人間と対立する洗濯機。@アイラブアインシュタイン
2016年9月16日 タカラヅカ あまりに破綻しまくりで唖然とした、『アイラブアインシュタイン』。
2日続けて観劇しても、感想は変わらなかった。や、作者が手を入れるなりしてくれるかなと期待したけど、変わってなかった。(サイトーくんの『血と砂』は初日だけ演出違ってた。つまり、翌日から変更される可能性はある)
この作品がぶっ壊れている原因は、そもそもの設定とテーマにある。ってそれ、土台から間違ってるってことやん!
敗因は、アンドロイドの扱い。
この作品のテーマは、HPの解説文にある通り、「果たして、「AI」は、「愛」の感情と「I(自我)」を持つ事が出来るのか。」なわけでしょ?
これをやるためにまず存在する「前提」「基本設定」は、
アンドロイドは機械人形であり、感情はない。
だから、ヒロインのエルザ@みれいちゃんがアルバート@あきらに、「感情を与えて欲しい」と頼むのよね? 公式にも書いてある通り。「ない」から、「欲しい」。最初からあれば、こんな話にはならない。
アンドロイドに感情はない。これが第一の設定。
なのに、幕が開いて最初に提示される情勢が「アンドロイドと人間の対立」。
アンドロイドに感情がなく、人間を傷つけることができない設計である以上対立は不可能だ。
民衆が反発すべきはアンドロイドではなく、安易な労働力として使用している企業に対してだ。
服の手洗いをしていた労働者が、「会社が洗濯機を購入したせいで、労働を奪われた、洗濯機は敵だ!」とは言わないよね? 街中で洗濯機を見かけたからといって攻撃しないよね?
そして、洗濯機のせいで会社をクビになる人が続出したからと言って、「洗濯機と人間が対立している」とは言わないよね?
最初から「???」だった。
アンドロイドの扱いが「感情もない道具」ではなく、「人種差別」として描かれている……。
政府が難民を受け入れるから、俺たちの職が奪われた……! 政府は国民ファーストを心がけよ! と同じ扱い?
アンドロイドって、そういうもんとチガウよね……?
また、民意を操ってなにやら画策している、悪役チームの主張がおかしい。
アンドロイドに雇用を奪われる、だからアンドロイドはいらない。ここまではわかる。
いらないなら、廃棄が正当。しかし彼らの目的はアンドロイドの軍事利用だという。
戦争をアンドロイドに任せるのはアリだと思う。命令を受け行動出来る、「感情のない道具」なのだから、工業用機械と同じで、高所とか難所とか、人間だと危険な場所を機械を使って作業する、それと同じ考え方。
だが、アンドロイドは人間を傷つけることができない。人間の生活の中で作業する以上、安全対策が取られており、「人間を傷つけられない」ように最初から設計されている。
この理屈でいくなら、レオ博士@エマさんの目的は「アンドロイドが人間を殺せるように設計変更する」ことだ。
アンドロイドはただの道具。使用目的に合わせて、仕様変更をする。
イマドキの自動車に自動ブレーキが付いているようなもん。街中では事故が起こらないよう、自動ブレーキは必要だけど、人間をひき殺す目的で使うならいらないから、この機能はなくすよね?
なのに何故かここで「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」になる。
自動車で置き換えて考えてくれ。
「自動車の感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」……なんだこれ。
あのー、「アンドロイドには感情はない」という前提はどうなりました?
感情がないから、アンドロイドは洗濯機や自動車と同じ「道具」なわけでしょ?
「人間と対立」したり、アンドロイドのダークな利用法が「感情を暴走させる」って、最初からすでに「アンドロイドには感情がある」という前提で、話が進んでますが。
アンドロイドがまるで人間のように動いたり喋ったりするのは、すべてプログラムされたことなんでしょ?
そういう設定だよね?
なのに、アンドロイドが「人間と同じ姿」をしているだけで、作中の人々だけでなく、作者本人が混同している。
自動運転する洗濯機や自動車と同じなんでしょ? なんで混同して作劇しているの?
プロット段階で「おかしい」って気づこうよ。
アンドロイドに感情はない、だから感情を持っているように見えるエルザは異端、興味深い、アンドロイドは恋をするのか、愛を理解出来るのか……というテーマ部分と、実際にアンドロイドが在る世界、生活をどう描くか。
これがひどいダブルスタンダードになっているんだ。
アンドロイドの扱いがそのときの都合で「洗濯機(ただの道具)」「社会的弱者(差別される人間)」と変化するんだ。
作者自身が、この矛盾に気づいていないのではないかと思う。
いかなる場合も「洗濯機」は「洗濯機」として描くべきで、「ストーリー上の都合」で勝手に「社会的弱者」にしてはならない。
アンドロイドを「社会的弱者」にしにければ成り立たないストーリーなら、テーマを「アンドロイドの人権」にして、「アンドロイドには感情がある、愛も理解するし、恋もする」という設定にするべき。その上で、「なのに社会はそれを認めない、おかしい」という流れにすべきだ。
それならば、「アンドロイドを軍事利用」を「道具なんだから当然」と思う人々と、「感情のある存在に対して非道だ」と思う人々で対立が起こる。
また、レオ博士の言う「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」も成立する。
基本設定を間違えたまま、イメージだけで話を作るからおかしくなるんだ。
こういうアタマの悪い間違い方って、すごく引っかかるわ、わたし。
2日続けて観劇しても、感想は変わらなかった。や、作者が手を入れるなりしてくれるかなと期待したけど、変わってなかった。(サイトーくんの『血と砂』は初日だけ演出違ってた。つまり、翌日から変更される可能性はある)
この作品がぶっ壊れている原因は、そもそもの設定とテーマにある。ってそれ、土台から間違ってるってことやん!
敗因は、アンドロイドの扱い。
この作品のテーマは、HPの解説文にある通り、「果たして、「AI」は、「愛」の感情と「I(自我)」を持つ事が出来るのか。」なわけでしょ?
これをやるためにまず存在する「前提」「基本設定」は、
アンドロイドは機械人形であり、感情はない。
だから、ヒロインのエルザ@みれいちゃんがアルバート@あきらに、「感情を与えて欲しい」と頼むのよね? 公式にも書いてある通り。「ない」から、「欲しい」。最初からあれば、こんな話にはならない。
アンドロイドに感情はない。これが第一の設定。
なのに、幕が開いて最初に提示される情勢が「アンドロイドと人間の対立」。
アンドロイドに感情がなく、人間を傷つけることができない設計である以上対立は不可能だ。
民衆が反発すべきはアンドロイドではなく、安易な労働力として使用している企業に対してだ。
服の手洗いをしていた労働者が、「会社が洗濯機を購入したせいで、労働を奪われた、洗濯機は敵だ!」とは言わないよね? 街中で洗濯機を見かけたからといって攻撃しないよね?
そして、洗濯機のせいで会社をクビになる人が続出したからと言って、「洗濯機と人間が対立している」とは言わないよね?
最初から「???」だった。
アンドロイドの扱いが「感情もない道具」ではなく、「人種差別」として描かれている……。
政府が難民を受け入れるから、俺たちの職が奪われた……! 政府は国民ファーストを心がけよ! と同じ扱い?
アンドロイドって、そういうもんとチガウよね……?
また、民意を操ってなにやら画策している、悪役チームの主張がおかしい。
アンドロイドに雇用を奪われる、だからアンドロイドはいらない。ここまではわかる。
いらないなら、廃棄が正当。しかし彼らの目的はアンドロイドの軍事利用だという。
戦争をアンドロイドに任せるのはアリだと思う。命令を受け行動出来る、「感情のない道具」なのだから、工業用機械と同じで、高所とか難所とか、人間だと危険な場所を機械を使って作業する、それと同じ考え方。
だが、アンドロイドは人間を傷つけることができない。人間の生活の中で作業する以上、安全対策が取られており、「人間を傷つけられない」ように最初から設計されている。
この理屈でいくなら、レオ博士@エマさんの目的は「アンドロイドが人間を殺せるように設計変更する」ことだ。
アンドロイドはただの道具。使用目的に合わせて、仕様変更をする。
イマドキの自動車に自動ブレーキが付いているようなもん。街中では事故が起こらないよう、自動ブレーキは必要だけど、人間をひき殺す目的で使うならいらないから、この機能はなくすよね?
なのに何故かここで「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」になる。
自動車で置き換えて考えてくれ。
「自動車の感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」……なんだこれ。
あのー、「アンドロイドには感情はない」という前提はどうなりました?
感情がないから、アンドロイドは洗濯機や自動車と同じ「道具」なわけでしょ?
「人間と対立」したり、アンドロイドのダークな利用法が「感情を暴走させる」って、最初からすでに「アンドロイドには感情がある」という前提で、話が進んでますが。
アンドロイドがまるで人間のように動いたり喋ったりするのは、すべてプログラムされたことなんでしょ?
そういう設定だよね?
なのに、アンドロイドが「人間と同じ姿」をしているだけで、作中の人々だけでなく、作者本人が混同している。
自動運転する洗濯機や自動車と同じなんでしょ? なんで混同して作劇しているの?
プロット段階で「おかしい」って気づこうよ。
アンドロイドに感情はない、だから感情を持っているように見えるエルザは異端、興味深い、アンドロイドは恋をするのか、愛を理解出来るのか……というテーマ部分と、実際にアンドロイドが在る世界、生活をどう描くか。
これがひどいダブルスタンダードになっているんだ。
アンドロイドの扱いがそのときの都合で「洗濯機(ただの道具)」「社会的弱者(差別される人間)」と変化するんだ。
作者自身が、この矛盾に気づいていないのではないかと思う。
いかなる場合も「洗濯機」は「洗濯機」として描くべきで、「ストーリー上の都合」で勝手に「社会的弱者」にしてはならない。
アンドロイドを「社会的弱者」にしにければ成り立たないストーリーなら、テーマを「アンドロイドの人権」にして、「アンドロイドには感情がある、愛も理解するし、恋もする」という設定にするべき。その上で、「なのに社会はそれを認めない、おかしい」という流れにすべきだ。
それならば、「アンドロイドを軍事利用」を「道具なんだから当然」と思う人々と、「感情のある存在に対して非道だ」と思う人々で対立が起こる。
また、レオ博士の言う「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」も成立する。
基本設定を間違えたまま、イメージだけで話を作るからおかしくなるんだ。
こういうアタマの悪い間違い方って、すごく引っかかるわ、わたし。