『フットルース』のムーア牧師@まっつって、別に大した人じゃないよね。
 っていうか、聖人君子じゃないよね。

 町の権力者で歩く法律。
 ……ていう段階ですでに、ろくなもんじゃないと思う。
 真の人格者は独裁なんかしない。

 心を閉ざしているからとか、昔はたくさんの人を救い導いていたとか、言い訳みたいな情報はもういいから。
 そーゆー設定の上で君臨しているけれど、実はすごく小物っちゅーか……人間くさい、感情的な人だよね(笑)。

 彼の最初の登場シーン。

 牧師として、ミサでお説教しているところ。

 あれ、嘘くさいよね?(笑)

 人格者、聖職者、尊敬される牧師様……を、装っている感じがもお、たまりません!!
 や、一見すがすがしいんだけどね。ちゃんと猫かぶってるんだけどね。猫をかぶってもう5年、堂々たるモノだけどね。

 あちこちで、ボロが出ている。
 本来の「小せぇな」(not身長)ってところが、垣間見える。

 初対面のレン@キムくんに、「ヨロシク!」と握手を求められたときの、顔。
 人格者なら、高校生に「目上の者への敬意がない」屈託のなさで手を差し出されても、寛大に受け止めようよ。

 いちばんひどいのは、チャック@きんぐへの態度。

 町いちばんの不良、チャックを嫌いなのはよくわかる。そりゃそーだろうさ。厳格にルール遵守を掲げる牧師様が、いちばん許せないタイプだろうさ。
 だけど、ソレを顔に出したらいかんだろ?

 最初のミサにおいて、調子に乗ったレンが「レンです!」と大声で自己紹介したとき、チャックがチャラけてそれを真似る。
 レンの「レンです!」に対しては、礼儀の範囲をわきまえない子どもへの驚きに過ぎないんだけど、ソレを真似たチャックの「レンです!」に対しては。
 あからさまな、侮蔑と苛立ちの目を向ける。

 ちょ……っ、牧師様。目! 目!
 本音出てる、人格者の目じゃないからそれ! 牧師様の目じゃないからそれ!

 で、内心かなりイラッとしたらしい。
 牧師様は説教台に戻るときに、苛々と指で台を叩く。

 うっわー……。
 これ、目の前でやられたら引くよー?
 怒ってること、不快だってこと、そのまま表してるよーなもんじゃん。

 あ、つまんなこと言っちゃった、彼怒ってるかな? と、向かいに坐る彼をちらりと見ればなにごともない様子で……苛々と指でテーブルを叩いている!
「ご、ごめん、怒った?」
「なにが?(笑顔)」
 ひぃいいいっ、めちゃくちゃ怒ってる~~!!

 てな感じですよね。
 素直に注意すればいいものを、それをせずに寛大なふりをしつつ、実は根に持っている、という、最悪のケース。

 牧師様、小さい。
 人間が小さいわーー!!

 こんだけ大嫌いなチャックが、愛娘アリエル@みみちゃんのボーイフレンドだとわかり、超絶怒ってるし。
 めちゃくちゃ冷たい、こわい目でチャックを睨め付けながら、彼をなじることは一切しない、表面的には丁重な態度を取るし。
 そんな目でひとを、まだ未熟な青年を睨め付けてはいけませんて。若者はまだ人格形成途上なのであって、いい年した大人がそーゆー切り捨て方・決めつけ方をするのは最悪です。

 アリエルへの態度も、黙って説教台を指で叩くのと同じ。
 言いたいことがあれば言えばいいのに、本音は言わずに意地悪な態度を取る。

 子どもか。

 レンを嫌うのも、彼の表面的な不作法さゆえ。カタチだけ見て、本質まで見ようとしない。


 まあ、いちばんアゴが落ちるのは、妻のヴァイ@きゃびいに絶交宣言するところ。
 親に嘘をついて夜遊びをする娘。心配しているんだと言っても聞かない、思わず手を上げそうになって……途方に暮れる。なにをどうすればいいのかわからない、と。
 そんなムーアに、ヴァイはやさしく思いやりのあふれる励ましの言葉をかける。歌いかける。
 「あなたにもきっとわかる」「あなたは素晴らしい説教師よ」「ただ、娘との新しい関係を築くことが出来ていないのよ」
 こんだけ優しい言葉を掛けられ、理解を示してくれているのに、だ。
 ムーアさんの返事は。
「君だけは私の味方だと思っていたよ」

 おま……っ、話、聞いてへんかったんかいっ!!

 アゴが落ちる。
 ヴァイがムーアを責めていたならともかく、完全に味方に立ってくれてたじゃん!!

 ヴァイさん今、すげーいい話してたんだよ? なあ、マジ感動話してたんだって!
 なのにお前、聞いてなかったんかいっ。
 最初の方のアリエルの肩を持つ意見と、最後の「娘との新しい関係を築くことが出来ていない」だけ聞いて、敵認定しやがったな?
 途中の話、聞いてなかったろ、自分の思いの中に沈み込んで。

 会話、噛み合ってなかったもんな。
 ヴァイの話に、自分の中だけの言葉をぽつんと返してた。

 も、こいつなんとかして。
 最悪。
 どんだけ自分勝手なの。小せぇの。

 ほんとに……。

 大好き(笑)。

 その自分勝手で小さいところが、たまらんわ。

 さすが、自分だけがいちばん傷ついたと思い込んで、悲劇のヒロイン気取るだけじゃなく、町中巻き込んで鎖国させただけあるわ。
 思い込み激しくて迷惑なヤツ。

 で、自分が解き放たれたら、町中同じよーにしようとするし。
 今、陽が昇る。朝の説教で晴れ晴れと前言撤回しやがるの。えっと、昨夜ですよね、ダンスパーティ完全拒否したの。
 禁止もムーア、解禁もムーア、なにもかも彼ひとりの都合。

 ああもお、バカでウザくて、最高。
 傷つきやすくて繊細で、ヲトメで面倒くさくて、素敵に萌えキャラだわ!

 ムーアが聖人君子ではない、欠点だらけの人間だってのがいい。
 だからこそ、町中巻き込んで、こんな騒ぎになった。
 それくらい、愛に弱い人。
 愛が弱点の人。
 膝を折るのも、起ち上がるのも、原因は、愛。


 まあ、なんだ。
 フェリペ二世もそうだったけどさ。

 こんな奴に、権力握らせるな、ってことだな(笑)。


 あーもー、大好き。
 「I’m Free」が好きだ。

 わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。

 ふつーに芝居してりゃ済むものを、わざわざ歌う。踊る。
 その意味。

 テーマを表現するための、手段。
 そこ、にたどり着くための道。方法。
 それが、歌であり、ダンスである。

 その場面で表現するもののタイプにもよるが、「描きたいテーマ」に対する、ほんとうの「最上級の表現」がぴたりとハマったときって、魂が、湧き立つ。

 それは個人の感覚によるモノだから、わたしにとっての「最上級」が他人にとっても同じかどうかは、わからない。
 ただ、「ミュージカル」という表現媒体は、うまくハマったときわたしにとてつもない快感を与えてくれる。

 たとえそれが、悲しみの場面であっても、恐怖の場面であっても、幸福だとか癒しだとか、おだやかな場面であっても。
 魂が、沸き立つ。
 細胞がぐつぐつ煮えるのがわかる。
 五感すべてが叫びだし、踊り出すのを感じる。

 制御するのが、難しいくらい。

 大人だから、羞恥心あるから、必死に耐えるけど。
 わたしに理性がなく、本能だけのケモノだったら、まちがいなく立ち上がり、叫びだしている。
 ……そんな感覚。

 や、滅多にないけどね。
 まれに、ある。

 そして『フットルース』の1幕ラスト、「I’m Free」は、そういった場面なんだ。

 その場面のテーマと、曲と言葉とダンス、歌唱力とダンス力と演技力と、ビジュアルとストーリーとキャラクタが、完璧にマッチした。
 フィクションを愉しむ、ミュージカルを愉しむ、すべてのベクトルが正しく重なり、ひとつの高見に向かって駆け上り、爆発した。

 快感。

 それは、快感だ。

 わたしのすべてが叫び出す。
 立ち上がり、叫びたい。
 そう、踊り出したい。

 Footloose……解き放たれるとは、こういう気分なのか。

 や、物語のテーマを、理屈ではない部分で、体感できるの。
 アタマで考えるのではなく、細胞にたたき込まれる感じ。


 正しく、まっすぐな少年が言う。

「町議会とも闘うさ。自由のために!」

 過去の傷にとらわれ、うつむくこと、あきらめることしか出来なかった者たちに。
 長いものに巻かれてあきらめて、不満を抱きながらも楽をすることしか考えなかった者たちに。
 現実から目を背け、逃げ出すことしか考えない者たちに。

 拳を握ってみせる。

 「闘う」という方法があることを示す。

「I’m Free!」

 胸を張って。うつむくのでなくあきらめるのでなく逃げ出すのではなく。
 自分自身に、叫べ。

「神様に聞こえるように!」

 檻を破る音。
 走り出す音。

 世界が、割れる音。

 少年たちの声が、ひとつになり、ダンスがはじまる。
 それまではレン@キムひとりの歌だった。
 それがみんなの合唱になり、同時にダンスもはじまる。彼らの「決意」が「行動」になる。心がアクションにつながる。
 それが「ミュージカル」。

 力強いダンス。
 アクロバティックな振付。
 女性には難しいんじゃ、てな筋力必要なことを、キムくんたち男子がダイナミックにこなし、観客を感嘆させる。さらに、彼らの輪の外側に、ピンスポが当たる。浮かび上がるのはダイアン@あゆみ、サラ@ひーこ。雪組を代表するダンサーふたりが、パワフルにダンスソロを決める。
 この流れ!

 殻を割らなければ、雛は生まれることが出来ない。

 今ある世界を壊さなければ、新しい世界は創造できない。

 殻を壊し、古い世界を壊す。
 それは、若者の力。彼らに与えられた権利。……そして、使命。

 ひとは、生まれなければならないんだ。

 だから苦しくても、こわくても、進め、前へ。


 まるで戦車のように隙なく固まる若者たちの上方に、「敵」が立つ。
 彼らが反乱の旗を揚げれば、必ず制圧しに来るだろうとわかっていた強大な敵……ラスボスが現れる。

 揺るぎない力で、反乱を叩きつぶすことを宣言する。

 いやもおそりゃ、この闘いの過酷さ、これからはじまるドラマの波乱を予感させて。

 このラスボス登場!!の演出に、ぞくぞくする。

 この敵……物語のラスボスであるムーア牧師@まっつは、「悪」としての台詞を吐かない。
 彼が口にするのはあくまでも「正道」だ。
「我々は正しき道を歩まねばならない」

 「正しい」大人へ、「正しい」子どもたちが、闘いを挑む。

 悪などない。
 退治していい悪者がいるのは、テレビの中だけ。
 ここは現実、わたしたちの世界。
 ヒーローもいないし、悪もいない。

 だから、拳を握り、声を上げる。
 ヒーローでない、ごくふつーのわたしたちが、拳を握るんだ。
 自分で、自分の信じたモノのために闘うんだ。

 自分の力で。
 自分の責任で。

「I’m Free」
 叫ぶんだ。


 この三重唱が、すごい。
 「自由を手に入れろ」と歌う子どもたち、ミサの曲を歌う大人たち、ただひとりで「正しき道」を歌うムーア。

 確固たる意志を歌う子どもたち、他人の言葉を歌う大人たち。
 そのコーラスの中、ひとり響くムーアの声。「正義」のもと、すべての意志を押さえ込む、威圧する声。

 やがて子どもたちのコーラスの中から、ひとりの声が明確に響き出す。

 それまでひとりだったムーアの声を塗りつぶすように。入れ替わるように。

「掴み取る 人生を」……レンの声。

 そして全員の叫び、「I’m Free」で暗転、幕。


 この演出が、かっこよすぎる。
 これぞ、ミュージカルだ。

 血湧き、肉躍る。
 じっとしてなんかいられない。

 すごいもん見た。すごいものを見たんだ、見ているんだ!
 その幸福な興奮。


 カッコイイ。
 それだけで、涙が出る。


 レン@キムくんが、すごすぎる。
 芝居もダンスもビジュアルも。

 そしてなんといっても、歌声が。

 ひとは、出会いによって成長する。
 舞台人は、舞台に出会い、役に出会い、成長する。

 キムくんは間違いなく、この作品と役に出会うことで、大きく成長した。

 もともとうまい人で、なんでも出来る人だったけれど、ここに来てまた、大きく変貌した。

 タカラヅカのトップスターという特殊な立場は、やはり数年経験しないといけないんだろう。
 ただのポジションではないからだ。
 この位置でしか出会えないナニかと出会い、さらに上のステージへ行くんだ……トップスターって。
 トップになり、そこでさらに変わるんだ。成長するんだ。

 音月桂は、ここからはじまるのだろう。

 それがわかるだけに、くやしい。
 何故、待てなかったのかと。
 これからこそ彼は、新しい世界を、円熟した魅力を見せてくれただろうに。

 「I’m Free」は、キムくんなくしては、存在できなかった場面だ。

 これほどまでに「ミュージカル」なものを見せてもらえた。
 その幸福感に酔う。

 大好きだ、「I’m Free」。
 「I’m Free」が好きだ。

 わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。

 ってことで、『フットルース』のこの場面について前日欄でえんえん書いた。
 レン@キムくんがすごすぎること、かっこよすぎることも書いた。

 この場面が、好き過ぎる。

 毎回、若者たちの鬨の声に、涙を流している。


 それとは、別に。

 ここのムーア牧師@まっつが、好きだ。

 いやもお、震えがくるぐらい。
 好きすぎて、やばい。

 自由への闘いを誓う少年たち。
 子どもたちの希望を、勇気を、踏みにじるかのように高見に登場するムーア。
 絶対権力。「神」に等しい男。

 ライトの当たり方がまた、ひどくてね。
 とことんまで彼を、「非人間的」に映しているの。

 傷ゆえに心を閉ざしたムーアは、ある意味「化物」になっている。
 他者との関わりを拒絶し、誰も理解しようとせず、過去と後悔だけに凝り固まり、攻撃することで自分を守り続けている……そんなムーアは、すでに「人間」じゃない。
 別のナニかだ。
 なにかおそろしい……かなしい、モノに変貌している。

 それが表れた場面だ。

 非人間的なライト。
「我々は正しき道を歩まねばならない」
 正義を説きながら、彼こそがとてつもなく歪んでいる。

 この、不細工に映るライト照らされ、顔立ち変わって見えるよなー、てなまっつさんがねえ……めちゃくちゃカッコイイの!!

 冷酷さ半端ねえ。
 こわさ半端ねえ。
 これぞラスボス……!!

 梅芸の最初の方、喉を痛めていたときのムーアさんが、すげー痛々しい人になっていて萌え狂った。
 ラスボスとして冷酷に振る舞っているのに、壊れてしまいそうに哀しい人に見えた。
「我々は正しき道を歩まねばならない」……その台詞が、悲鳴に聞こえた。
 誰か彼を助けて。
 このままでは、彼は壊れてしまう。狂ってしまう。

 なんてのは、ほんとそのときだけで。
 喉の調子が良くなると、さらに強大なラスボスさんとして花開いていった(笑)。
 こ・わ~~。
 めちゃくちゃこわいー。
 強くて固くてこわすぎるよこの人!!

 歪みは見えるけれど、強くこわいところで安定した。や、とってもラスボスらしくね。

 その強いこわい人がまた、格好いいんだ。
 喉がアレだったときとはまた、チガウ歪みや痛さも垣間見えてね。

 回数観るうちに、どんどんわたしはクリアになっていった。
 考えるのではなく、感じるようになった、というか。
 ただもお、まっつを見る、それだけになった。

 考えない。
 ただ、彼をカッコイイと思う。

 響く、歌声。

 他のコーラスはほんとに「音」になり、ムーアの歌声だけがクリアに聞こえる。
 彼に同調し、彼しか見えなくなる。

 その、快感。

「正しき道を示さなければ」
 と歌う、その歌声だけがわたしを満たす。まっすぐな矢となり、突き刺さる。

 まっつの声が聞こえなくなるのと入れ違うように、キムくんの声が盛り上がってくるのも好き。
 ふたりの、相容れない存在が、歌声にも表れている。

 キムくんが歌っているのは、「I’m Free」だ。彼も、子どもたちもみんな一貫してその曲を歌っている。
 だから曲のラストに「I’m Free!!」と叫ぶのは正しい。

「導いて 主よ」
 と歌うまっつ、まったく別の歌を歌っているムーアまでもが、最後に「I’m Free!!」と叫ぶ。

 そう、これは正義の聖戦。
 子どもたちも、大人たちも、どちらも正しい。

 客観的にどうこうじゃない、どちらも自分たちこそが「正しい」と思っている。

 だから彼らはラストに叫ぶんだ。
 「神様に聞こえるように」、声を上げて。

 大人たちも、ムーアも。

 わたし、このラストの「I’m Free!!」が好きで。

 ムーア牧師が叫ぶ、「I’m Free!」が好き過ぎる。

 冷徹な権力者、おそろしいラスボスが、拳を握って宣言するんだ。「I’m Free!」

 独裁者の叫び。

 うおおお、かっけーーっ!!

 理屈じゃない。
 ただもお、アタマ悪く、ハクハクしてる。
 かっこいいかっこいいかっこいい。
 まっつかっこいい。
 ……それしか考えてない(笑)。

 2幕の教会の、レンとの会話とか、翌朝のミサの演説とか、彼の演技力のすごさに感動するところはちゃんとある。
 ラストシーンのヴァイ@きゃびいとのラヴシーンや、まっつが歌うラヴソングと、ときめきまくるところはちゃんとある。

 それとは別に、ただもお、格好良さに打ちのめされる。
 口から心臓が飛び出るんじゃないかってくらい、ドキドキする。

 「ミュージカル」としての演出のすごさだろうよ。
 レンたち学生たちの歌とダンスの流れ、大好きなんだもの。血湧き肉躍るんだもの。
 その「ミュージカル」としての力、わたしがもっとも好む演出・表現の中の一部として、ムーアさんが好み過ぎるの。

 彼の歪みがどうとか、悲しさがとか、理屈はいいです、その辺考えるのも好みだし大好きだけど、とりあえず見ているときは置いておきます、ただもお、かっこいいっす。
 ここのムーアさん、見ていたい。
 ただもおエンドレスで、見ていたい。

 こんなに好きでいいのか?!
 ってくらい、好きだわー。

 ライト変だから、顔も変に映ってるんだけどねー(笑)。
 「きれいに映す」ことを考えていない画面にされてるんだけどねー。

 それでも、すげーかっこいいのー。
 アタマ悪いのー、それしかコトバ、出てこないのー。

 ムーアさんの「I’m Free!」が好き。
 あの握り拳が好き。
 眉間の縦皺が好き。


 1幕ラスト、泣きすぎで毎回大変っす(笑)。
 キムくんたち若者に泣かされ、ムーアさんが格好良すぎて泣かされ。

 消耗する。

 しあわせ。
 2階席の魅力にクローズアップ!

 ……てな。

 実はわざと、2階席を選んだ。
 博多座『フットルース』

 夜の部はリピーターチケットっつーのがあってだな、非売品ポスカがもらえたり、スイーツ券だのキャトルレーヴのお買い物券だのも付いてお得なのだ。
 スイーツもキャトレも興味はない。わたしゃ甘い物に興味がないし、旅先で荷物になる買い物もしたいとは思わない。

 欲しかったのは、非売品ポストカードだ。

 まっつは映ってません(笑)。
 キムくんを中心にした、若者たちの図。
 ええ、「I’m Free」のダンス場面。

 戦車みたいになってるとこじゃなく、みんなで前向いて踊っているところ……って、戦車、って表現だと伝わらないのかな。
 わたしだけかな、こんな印象。
 いわゆる現代の戦車じゃなくて、ちょい昔の、装甲板の後ろや穴から槍を突き出しているやつ。
 兵士たちは装甲板の後ろに固まっていて、あらゆる方向に槍を構えている……。

 360度、どこからの攻撃にも耐えられるよう、ぐるりと円を描くように集まり、球体に腕を突き上げている姿が、その人力時代の「戦車」を思い出させるんだなー。

 ご贔屓がいなくても、欲しいですよ、ポスカ。
 大好きなんだもん、『フットルース』。
 大好きなんだもん、「I’m Free」。


 んで、リピーターチケット買うなら、どこを買う? ちなみに、S席限定です。
 1階席は後方とか端っこしか残ってない。
 ならいっそ、2階センターでしょう!

 考えてみりゃわたし、博多座の2階って未経験なの。
 わざわざ高い交通費出して行くわけだから、前もって無理してでも、そこそこのチケットを押さえるわけですよ。
 遠征してまでショボイ席で観たくないわー、なんて、新幹線乗れなくて夜行バスでしみったれ遠征してるヤツがどのクチで言うか!てなもんだけど、交通費削ってでも、チケット代は削れない(笑)。

 で、もともと遠征計画立てていた分は、すでにチケット用意している。

 …………はい、やりました。
 急遽、予定変更。

 博多に長逗留してまっつ三昧している友人に、メールをする。
「突然だけど、金曜から行くことにした。金曜夜のリピーターチケット買っておいて」

 友人はふたつ返事。
 希望通り、2階S席ど真ん中を買っておいてくれた。「博多座の2階っていいよね、私大好き」てなコトバと一緒に。

 うん、わたし、2階席坐ったことないけど、この間まっつメイトから聞いたもんで。
 博多の2階席はイイ! と。

 そんなら1度、経験してみたいじゃん?
 この大好きな大好きな作品で。

 しかし、2日前に遠征予定変えるもんぢゃないですな。
 ホテル取れなくて、泣きそうだった(笑)。


 ともかく、初の博多座の2階。

 楽しかった!!

 近いのよ、舞台が。
 いい感じに全体を感じられて、個々の出演者は近く見える。

 そしてコレ重要、まっつと、目が合った気分になれる(笑)。

 昼公演であえて2階センターに坐っていたまっつメイトが、えらい鼻息で報告してくれた。
「まっつがなんかやたらと上を見るんだコレが!」
 まっつが、つーか、ムーアさんが、だな。目線を上げることが、思ったよりぜんぜんある、と。

 んで、博多座の大きさと2階の高さの関係で、目が合ったよーな錯覚に陥れる。

「なにより1幕最後!!」

 あのすばらしいラスボスぶり、「I’m Free」場面。
 ムーア牧師@まっつは、ひとり高い位置にいる。異端審問@『ドン・カルロス』のフェリペ二世くらい、高いところにいて、レン@キムくんたちを見下ろしている。
 や、見下ろしてはいないかな。ムーアさん、視線は真っ直ぐ上げたままだから。

 その、高いところにいて、視線を真っ直ぐ客席の方へ向けているムーアさんは。

 ええ、我が身で体験しました。

 目が、合う。

 合うなんてもんぢゃない。
 1幕最後、あのめちゃくちゃカッコイイ、絶対権力独裁者、神のごときムーア様が、わたしに向かって、歌っている……!!

 わたしに向かって凄んでる。
 わたしに向かって威嚇してる。
 わたしに向かって拳を握ってる。

 う・きゃ~~~~っ!!

 崩壊。
 溶解。

 ばらばらになって崩れ落ちる、どろどろに溶けて広がる。
 原型なくなるくらい、悶えました(笑)。

 楽しい~~、楽しいわ2階~~。
 1階後方よりずっといい~~。


 ライトの行方を見るのも好きなので、1階だとわからないライト使いも堪能しました。

 いやはや、いい劇場ですな、博多座。
 遠征するならやっぱり1階前方でがっつり観たいけど、今回みたいに複数回観るなら、2階も混ぜるべきだわ。

 って、結局『フットルース』、梅芸で12回、博多で8回観ちゃったわけですが。
 最初、2枚しかチケット持ってなかったのになー(笑)。梅芸初日観てから、かき集めたなー。
 博多座公演『フットルース』千秋楽。

 ただ、もお、終わってしまうのが哀しかった。
 これほど素晴らしい作品が、物語が、もう2度と見られないのだということが、哀しくて仕方なかった。

 「未来」があるならまたチガウだろうけど、キムみみには、今の雪組には、もう未来が限られている。
 次はもう、サヨナラ公演であって、通常の公演じゃない。

 これが、「ふつう」の最後の公演。
 ただしあわせでいられる、最後の公演。

 舞台も客席もキラキラして、みんな笑顔で。
 作品に、出演者に、そしてタカラヅカのファンであることに、胸を張れる、そんな公演。

 そんな公演に出逢えたことが幸せ、だけど、幸運も幸福も認識しているけどとにかく、別れるのが寂しい。

 そんな気持ちでいっぱいだった。


 梅芸のときも思ったけれど、楽だからって、アドリブでめちゃくちゃにしたりしないよなあ、雪組(笑)。
 わりとやりたい放題出来そうな作品だと思うんだけどね、『フットルース』。楽しい場面、いじれる場面はけっこうあるから。
 他の公演と違って千秋楽だからって映像にも残らないんだもん、ハメはずしてもわかんないよねえ。
 それでも真面目っちゅーか頑固っちゅーか、折り目正しいよな、雪組。や、どっちもアリです、楽しいです、愛しいです。

 細かいアドリブはいろいろあった、みんなみんなかわいかった(笑)。やっぱウィラード@コマのかわいさは異常!!
 小芝居している学生たちのかわいさも異常!


 終わって欲しくない。
 このままずっと、だといいのに。

 停滞を望むわけじゃない。
 タカラジェンヌも生身の人間で、彼らは進歩を、成長を望んでいる。
 同じものを永遠に繰り返し眺めたいだけなら、ビデオで十分。ナマである意味はない。
 だから、はじまった公演が終わる、のは当然のこと。
 わかっているけれど、切ない。


 わたしは今もしつこく、「キムくん辞めるのやめないかな」と思っているし、わたしが愛するタカラヅカから、男役・音月桂がこんなに早く消えてしまうことに、納得できていない。
 や、単にわたしが、もっともっと彼を見たいんだもん。

 彼がいなくなることは、タカラヅカの損失だと思ってるし。

 あくまでも、わたし中心っていうか、わたしの都合、欲だけの話ですな。
 それが。


 おさまらない拍手、くり返されるカーテンコール。
 最後はキムくんが、両手の指にペンライトを複数挟む「オクトパス・フラッシュ」を披露して、緞帳前に。
 組子にやらされたらしい。組子たちのペンライトらしい。……まっつも1枚噛んでるのかなあ、やっぱ(笑)。

 楽しくて幸せで、いっぱい笑って、みんなと一緒に「雪組」「最高!!」って叫んだけど。
 寂しさと切なさも半端なくて。
 笑いながら泣くしかなくて。

 それでも、キムくんの笑顔がうれしくて。

 何度も感謝の言葉をくり返す彼は、その一連の言葉の中で、こう言った。

「幸せな夏を過ごすことができました」

 そう叫ぶ彼に、なんかすとんと、落ちる物があった。
 納得でもない、答えでもない。

 ただ、すとんと。

 幸せだったのか。良かった。

 わたしはわたし中心だから、「わたしが」音月桂を失うのが嫌だ。耐えられない。
 それは変わらない。

 ただ。

 キムくんが、しあわせでいて欲しいと思う。

 キムくんに、ではない。
 キムくんが。

 彼自身が、しあわせでいて欲しい。


 カテコも全部終わって、出待ちをする友人たちとも別れて、ひとりで博多の町を歩いた。
 泣けて泣けて、仕方なかった。旅先で良かった、ひとりで良かった。
 無理に笑うでなく喋るでなく、ただ、自分の中の切なさに浸った。

 なにも納得してないし、哀しいのも寂しいのも変わってない。

 だけど。
 キムくんが、しあわせだといいな。

 彼はきっと、つらいときにも太陽みたいに笑うのだろうし、公の場では正しい強い姿しか見せないのだろうけど。

 ほんとうのことなんかなにひとつわからないけど、ただ、彼がしあわせだといい。

 そう思った。
 博多座公演『フットルース』千秋楽にて。

 アドリブで個人的にツボだったのは、チャック@きんぐ。

 チャックがひとり町を出る場面で、おちゃらけているトラビス@まなはるにひとこと、声を掛けるんだけど、ここの台詞は公演途中から日替わりになった。
 トラビスは最初チャックのツレだったのに、物語半ばくらいからレン@キム側に付く。チャックから見て……見なくても……裏切り者だわなー。まあもともと、その程度の関係だったんだろう、てな?
 最後にチャックがトラビスを罵ることで、彼らの物語も一応決着がつく。ああやっぱチャック、快く思ってなかったんだ、町を出る理由の中には友だちに裏切られたこともあるんだろう、でも「裏切られた!」と騒ぐことすらない程度の間柄で、この台詞ひとつで終了なんだ、と。
 チャックがトラビスに言う台詞は、大体「どけよ」とかで、「てめーなんか相手にしてない」という意味が伝わることを、日替わりで言っていた。

 それが、千秋楽は違った。
 いつもの「罵り」ではなくて。

「じゃあな、トラビス」

 優しい……「兄貴」としての言葉になっていた。
 トラビスの裏切りも、許しているかのように。

 ちなみに、トラビスが「トラビス」と呼ばれたのは、はじめてだ。
 チャックが、じゃない。
 『フットルース』という作品通して、彼の名が呼ばれることはなかったんだ。
 名前だけ付いていて、一度も呼ばれることのないキャラは、他にもいる。そんなの、どんな舞台にも作品にもいくらでもいる。
 トラビスは、そんなキャラクタ。そんな位置の役。

 それが、はじめて、名前を呼ばれた。
 千秋楽。最後の場面、別れの場面で。
 リピートしていた観客だって、「あのめんたいこ君、トラビスって名前だったんだ!」とか、そもそも「名前ある役だったんだ!」とか、驚いた人がいたかもしれない。

 よかったね、トラビス。

 チャックというキャラクタには「負け犬」「成長してはいけない」という役割があったと思う。
 レンをはじめ、すべての人が成長して、己れに打ち克つのに、ただひとりチャックだけはなにひとつ変わらないまま、逃げ出していくんだよね。
 レンたちの対比キャラであり、とことんまで情けなくかっこ悪い、「わかりやすい侮蔑キャラ」でなくてはならない。例を挙げると、『タイタニック』のヒロインの婚約者みたいな。
 悪役という記号だから、成長したり改心したりしちゃいけないの。

 だけどここはタカラヅカで。
 2ヶ月の公演を通して、最後の最後に、チャックは成長した。キャラを変えた。

 自分を裏切った仲間に優しい言葉を掛けて旅立つことで、「負け犬」ではなくなった。
 すべてを受け入れた上で、納得して旅立つ男、になった。
 悪ぶっているのは口先だけのポーズ、ってことで。

 そんなチャックは『フットルース』の世界観に合っていない。正しくない。
 わかっているけど、それがいい。

 千秋楽だから。
 最後だから。
 祭りだから。

 …………いやその、もともとわたし、トラビス×チャック派だったので(かけ算はやめなさい)、まさか千秋楽にこんなことになるとは、思ってもみなかった。
 え、あたし絶対少数派だと思ってたのに、公式設定だったの?! みたいな驚きとうろたえ(笑)。
 いやあ、かけ算でいうなら、チャック×牧師が世の主流でしょうに……。トラビス公式来たかー。

 いや単にわたし、チャック@きんぐ大好きでね……もういろいろと、かわいすぎるよね彼(笑)。


 きんぐと言えば、カーテンコールでまっつにいじられているのを見るのが、まっつファンの楽しみのひとつだったはず。
 牧師様@まっつは、隣に立つきんぐをペンライトで刺したり突いたり、ろくでもないことを仕掛けるんだよなああ。
 んできんぐが「今日はナニをされるんだろう」とびくついてる感じなのがまた、たまらんかったし(笑)。
 たまにきんぐがやり返したら、次に倍返しするし。
 「今日はナニもしないよ」と油断させて、無防備になっているところを襲ったり。

 まっつ、ドS。

 千秋楽は、ペンライトを日本刀に見立てて、ばさーっと袈裟斬り。きんぐ、「やられた~~」リアクション。
 まっつ……。
 次が『JIN-仁-』だから? 武士の役だから?

 本編との差が、激しすぎる。
 牧師様の格好で、ナニやってんだ……(笑)。

 かわいすぎる。


 そーいやまつださん、最後の最後まで裏をかかれました、わたし。

 カラーバンドですよ。

 梅芸では、最初のウチはちゃんと、自分が選んだ「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていた。
 それが後半は、「イエロー」と「ライム・グリーン」を付けていたの。
 ちょ……っ、すっげー苦労してまっつカラーを手に入れたのに、まっつとお揃いをしたかったのに、別の人のカラーまで押さえてないわよ~~!!

 仕方ないなあ、黒とピンクというまっつカラーに、キムくんカラーのイエローも付けておこう。
 と、梅芸楽に臨んだところ……楽だけは、自分カラーに戻してきた。
 えええ、イエロー付ける必要なかったじゃん!

 んで、博多座。
 わたしが観る限り、牧師様はずーーっと、「チェリー・ピンク」と「イエロー」をしていました。

 梅芸の「イエロー」と「ライム・グリーン」は、牧師ルックに合わせたコーディネイトだろう。
 そして博多座の「チェリー・ピンク」と「イエロー」は、反対色という意味でのコーデかな? 自分カラーのピンクに『フットルース』的カラーリングで、合う色ってことで。

 ったく、なんで自分カラー付けないんだよ、キムくんとか律儀に自分カラー付けてるじゃん。

 でもきっと、千秋楽は自分カラーにするよな。うん、梅芸でもそうだったし。
 よしっ、わたしも千秋楽は堂々とまっつカラーのバンドをして「まっつファンですがナニか?」って顔して生きるわ!!

 そう読んで、意気揚々と「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていったのに。

 千秋楽まで、「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった。
 ちょ……っ、黒を付けたわたしの立場は……っ。

 裏をかかれたっ。騙されたっ。きぃ~~っ。

 なによドSまっつ!


 ……自分カラーを無視して、博多公演中ずーっと「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった、その理由が。

 自分の色=ピンク、キムくんの色=イエローを重ね付けすることでの、無言の友情アピールだと思って、萌えておくことにするわっ。ふんっ。←
 『フットルース』から頭が切り替わっていないままに、大劇場へ行く。
 時は待ってくれない。
 花組公演『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』千秋楽。

 みわっちが、卒業してしまう。


 「みわっちがいない花組」がぴんとこない。
 わたしが「花組」を意識するようになったとき、みわっちはみわっちで、すでに「スター」だった。
 超下級生時代から、なにかにつれ「スター」だということで、スポットライトを浴びていた。ショーのちょっとしたおいしい場面や役、新聞や雑誌の記事。
 10年以上、ずっとずっと「スター」だった。
 花組をろくに観たことのない頃のわたしだって、顔は知らなくても名前だけは知っていた。花組の新進スターだと。
 わたしだけが特別じゃないと思う。
 花組をろくに知らなくても、花組の舞台をろくに観たことがなくても、タカラヅカファンなら名前と顔は知っている、そんな下級生スターだったはず。

 抜擢は早く、その扱いは安定していた。
 10数年、ずーっとずーっとスターだったし、それが当たり前だったから。
 彼がいなくなることが、理解できない。
 いて当然の人だもの。

 花組を観に行ったら、みわっちに目線とウインクをもらわなきゃなんないんだもの! 仕様だもの! お約束だもの!

 代表的な、花男。他組でその魅力が受け入れられるとも思えない、花組でだけ、花組でこそ、生きる魅力。
 みわっちを見ると、「花組を見た!!」という気持ちになった。

 そのみわっちが、いなくなるなんて。
 花組の舞台に立たなくなるなんて。

 感情として、理解できていない。


 みわっちの最後の役、メルモーズ@『サン=テグジュペリ』は、谷作品らしい、ひどい役で。
 人格も物語もなく、突然出てきては谷せんせの大好きな「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を語って、1曲演歌を歌って、いなくなる。
 みわっちの退団を知っている観客に、退団と死を重ね合わせて泣け、という仕掛け。

 それまでの物語がないから、突然出てきて「泣いて止める女を振り切って、死へ旅立つ男」をやられても、ぽかーんとする。
 会話が、特攻隊員とその恋人……。
 100%死ぬ前提ですか。や、みわっちの退団は100%決まったことで、覆らないので、それに掛けているのはわかるけど。

 死ぬために出撃するわけじゃないんだがな……。危険の高い仕事に赴く、だけで、生きて帰ることが第一の使命であり、メルモーズは自殺志願者ではないはずなんだが。
 谷せんせにとって「死ぬことがロマン」なので、「100%の死」を前提にうだうだやるのが萌えなんだよね。

 ひどい役、ひどい脚本なんだけど、みわっちはそんなこと、カケラも思ってない。絶対。

 素直に、退団する自分と重ね合わせもし、死地に赴く男という男役冥利に尽きる役を、誠心誠意演じているはず。


 みわっちは芸幅の広い人で、子役から美女、うさんくさいおっさんまで、なんでも演じてしまう。
 年齢も性別も、超越している。
 時代錯誤な大芝居も出来るし、リアルで繊細な芝居も出来る。

 これだけ可能性を持つ人なのに。演出家から頼りにされ、いろんな役を、役割を、担わされていたのに。

 スカステのニュース内のトークコーナーで、今までのタカラヅカ人生で、「好きな台詞」がオスカル@『ベルばら』で、言ってみたい台詞(やりたかった場面)がオスカルのバスティーユ@『ベルばら』と語っているのを見て、うわ、マジだと震撼した。

 これだけタカラヅカ・スターとして、役者として、幅広い実力を持ちながら、こんだけ長い間スターとして活躍していろんな役と出会っていながら、複雑な役、繊細な役、その魅力を理解しアテ書きされた役があったにも関わらず、『ベルばら』なのか。

 みわっちはほんとうに、「タカラヅカ」が好きなんだ。

 「タカラヅカ」=『ベルサイユのばら』、そういうベッタベタな感覚の、愛すべき古い古いタイプの、タカラジェンヌなんだ。

 あのめちゃくちゃな『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』にもなんの疑問も持たないし、心底感動しちゃえる人なんだ。

 そういう人だからこそ、「ザ・男役!」だった。
 賢しい懐疑心なんか持たない。与えられたモノを素直に受け止め、感動を持って舞台に立つ。
 確かに古いタイプ、昭和系スターかもしれない。
 でも、それが、「タカラヅカ」だ。

 女が男の格好して、厚化粧で歌ったり踊ったり、ラヴシーンしたりする劇団だよ?
 嘘くさいとか、バカらしいとか、思う人は思うだろうさ。

 嘘を真実に変える力、ただの虚構でなくそのとき確実に「世界」を創る力……それは、斜に構えて疑って、出来ることじゃない。

 みわっちの持つ「フェアリー力」は、彼がタカラヅカというシステムをまったく疑っていない、素直にあるがままに愛しきっている、そこにある気がする。

 愛音羽麗は、「タカラヅカ」の申し子だ。

 前後して卒業する、星組のすずみんと、似て非なる。
 すずみんは、すずみんがタカラヅカを愛し、己れの意志でタカラヅカ・スタァであろうとしていたけれど、みわっちはナチュラル・ボーンのタカラヅカの申し子で、もちろん愛しているけれど、そもそも愛する愛さない以前の問題かと。

 どちらのスターも、得がたい人たちだ。

 タカラヅカを愛しきっているすずみんと、タカラヅカの申し子みわっちが、前後して卒業していくのか。
 いなくなってしまうのか。

 時代が変わろうとしているんだ。



 で。
 みわっち卒業に関して、なにがなんでも彼を見送るんだと意気込んでムラへ行ったけれど、結局出のギャラリーは出来なかった。
 袴姿の大階段見るだけで、号泣し過ぎてフラついた。

 ……ヘタレにも、逃げ帰ったんだ。

 なんかもお、途中からこわくてこわくて、仕方なくなった。

 いろいろと、重なって。

 次は、ウチなのかと。
 いやその、次ってなんだよ、それがいつかなんてわかってない、考えても怯えても仕方ないことだって、わかっていても。

 みわっちの隣に、当たり前にいた人。
 対で踊ることも、肩を並べて歌うことも、がっつり組んで芝居することも、当たり前だった人。
 彼のことに、想いが至ってしまってだな。

 こわくてこわくて、仕方なくなった。

 トップさんと一緒に辞めない場合はパレードがないから、楽屋口の出を花の道から見送ることになるんだ、とか、リアルに考えちゃって、もうダメだ。
 すずみんでも、みわさんでも、長く愛着持って見守ってきた人の退団は、こんなに哀しい。寂しい。
 そして次は、さらに愛情持って見つめてきたキムくんの卒業が控えている。
 なんかもお、考えれば考えるほどこわくなって、耳をふさいで目をつぶって、一気に逃げ帰った。

 ヘタレでごめん。
 でもこわい。
 ほんとに。


 みわさん、東宝公演がんばってね。
 タカラヅカの申し子、ナチュラル・ボーン・フェアリー。
 ずっと、ずっと、忘れない。
 遠征中だったから、遅れて知ったんだ。

2012/8/24

2013年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<2月~5月・花組『オーシャンズ11』>


8月24日(金)、2013年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場・東京宝塚劇場公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

花組
■主演・・・蘭寿とむ、蘭乃はな

ミュージカル
『オーシャンズ11』
脚本・演出/小池修一郎

2001年に公開されたアメリカ映画で、ダニー・オーシャンと彼が率いる10人の仲間が、ラスベガスにあるカジノの金庫破りに挑む犯罪アクションドラマ。ハリウッドを代表する豪華な俳優が多数出演することでも知られ、2005年に続編の「オーシャンズ12」、2007年には「オーシャンズ13」が公開されています。刑務所から仮釈放された窃盗犯ダニー・オーシャンは、前代未聞の強盗計画を立てていた。そして、それを実行するために、11人の選りすぐりの犯罪ドリーム・チームを作る。彼らは、地下深く分厚い壁に覆われた金庫室を目指すが、オーシャンの目的は意外にも金ではなかった……。男同士の戦い、友情、そして男女間の愛憎が、複雑に絡み合いながら描かれていく。2011年に星組が世界初のミュージカル化、大きな話題を呼んだ舞台をさらにパワーアップして上演いたします。

 もう再演するのか、それも花組でなのか!

 だから遠征中で、ヅカファンと一緒だったけど他の話している暇がないくらい、『フットルース』で盛り上がりまくっていたので。

 誰とも、話せてない(笑)。
 フラストレーションだわー。

 誰がどの役っていうか、ホテルで風呂入りながらひとり想像・予想して楽しもうとしたんだけど、みわっちが、もういないことにへこんで、一旦考えるのをやめた。ヘタレ……。
 えりたんもいないわけだしな……。

 えーっととりあえず、次回花組本公演のポスターが、にぎやかになる!ということが、地味にうれしい。

 劇団はここ数年、なんかとてもお堅く線引きをしていた。
 ポスターに載せていい人、ダメな人。
 ポストカードを出していい人、ダメな人。

 とにかく、できるだけ「スター」を作らない方針。「スター」とは劇団が創るモノであり、劇団から「許可シール」をもらった人だけが「スター」としてポスターに載ったり、ポスカが出たりしてヨシ、それ以外はダメ。

 無認可、シールなしで「スター」を名乗るなんて絶対認めない、観客やファンの目に触れないようにしなきゃ! 見えるとこに出したら、ファンがつくかもしれないから、売れちゃうかもしれないから、店の奥に隠しておかなきゃ!
 客が買っていいのは、劇団認可シール付きの商品だけなんだから!

 んなことしてたら、客自体少なくなっちゃった。客が欲しがるかもしれない商品を隠して、劇団許可シールを付けた商品だけをずーーっと売り続けていたから。
 劇団認可商品が悪いわけじゃない。それらはみんな、魅力ある良い品物。ただ、いつ行ってもある、品揃えが変わらないとなると、いちいち足を運ばなくなるよねえ。
 買い物するかどうかはともかく、いろんな商品が並んでいる、とわかったら、ふらりと行ってみたり、するじゃん、人って。

 人の好みも価値観もそれぞれなんだから、誰が人気出るかなんてわからない。
 できるだけいろんなタイプを揃えて、ぞろりと売り出しましょうよ。
 トップスターになる人だけがスターじゃない、今の時代、真ん中の横で輝く人が好きな人も、ライトの切れるあたりでいい味出してる人が好きな人、いろいろいる。いっぱいいる。
 こだわりの小型店は廃れ、品揃い豊富な大型店でないと生き残れなくなってるじゃないですか、なんのためにタカラヅカには生徒が何百人もいるのよ、出来るだけたくさんのジェンヌを推していきましょうよ。

 てことで、トップコンピと2番手までしか載れないポスターではなく、最近の劇団推しスター以外も載って良しポスターに、わくわくしているの。

 コアなヅカファンは、本公演ポスターが特別なモノで、通常トップコンビと2番手までしか載れないモノ、だからこそ価値も重みもあるものだと知っている。
 でも、そうではない、阪急電車でたまたまポスターを目にするだけの人たちには、そんなルールは関係ない。
 いつも同じ顔ぶれ、同じ人しか載ってないポスターには、まったく興味を持たなずに眺めていた人が、別コンセプトのポスターには反応するかもしれない。
 誰がどこで好意や興味を持つか、誰にもわかんないもの。選択肢は、多い方がいい。

 『オーシャンズ11』のポスター、また6人は載るよね?
 オーシャン夫妻と、親友と、ディーラーとスリと、悪役。
 誰がなにをやるか、オーシャン夫妻以外わかんないけど。

 だいもんとみーちゃんまで、ポスター入りするよね?

 という、わくわく感(笑)。

 『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』プログラムの、インタビュー付きのスターは、えりたんみわっちを抜いて、蘭蘭、みつる、みーちゃん、だいもんだから、ここまではガチっしょ?
 あとひとりが誰かわかんないけど。

 ……これで、花組はポスターがトップコンビだけ、だったりしたら肩を落としますが……。

 宙も雪も、人いっぱいでにぎやかなポスターだし、来年の『ベルばら』も特出スター全員の写真も載せるからにぎやかだろうし、花組もぜひお祭り的に「スターいっぱい!」ポスターを……。

 最近はポスターだけでなく、ポスカの基準も変わったみたいで、ガチ路線以外も出してもらえるようになって、良かったよ。
 スターは多い方がいいんだから。もったいつけずに、お高くとまらずに、たくさんスターを創ればいいのに。
 それでトップ路線が停滞するのでなく、トップ以外に価値なしみたいな概念を捨て、個性や特性を活かして、トップ以外でも輝ける場を作って共存共栄していくんだ。
 ……ってソレはつまり、スターより、演出家不足が深刻って現実を浮き彫りにするだけですがね。とほほ。


 誰がどの役かはわかんないし、誰がどの役でも魅力的だと思うけど。
 ただ、イケコ。

 お願い、ヒロインは歌手ではなく、ダンサーに変更して。

 みんなのために。
 『フットルース』公演実況CDですが、「封入特典・オリジナルミニカード5枚付き!!」と書いてあります。

 !マークふたつも付いてるけど、だからナニっちゅーか、あんまし気にしてなかった。
 公演本編と、ブックレットに歌詞の記載があるかどうかだけが重要。発売日にいそいそ梅田まで買いに行ったわけです。

 あんまり深く考えず、「5枚」だから、「ああ、そういうことね」と勝手に思った。
 ポスターメンバー5人、制作発表も5人、博多座の柱巻きポスターも5人。
 おまけカードが5枚なら、きっとこの5人なのよね。博多座の柱巻きになっている、あの写真まんまかも。
 それでもいいや、みんなかわいいし。

 ちがいました。

 思いっきり、オリジナルの舞台写真。
 だからキムくん、カツラじゃないよー、地毛だよー。かっこいーよー。

 どちらが表でどちらが裏と書いてあるわけじゃないけど、なんとなくわたしはこっちが表と思ったのか、キムくん単体写真が載っている面を表に、カードを手に取った。
 レンひとり写り、おお、この表情かっこいー。んで、裏を見る。レンを中心とした若者たちのダンス場面。「I’m Free」だなこれ。
 そっか、表がひとりで、裏がみんなの場面なんだ。

 勝手に納得して、5枚のカードを広げる。や、早くまっつ写真見たくて。5枚あるから、ポスターの5人だと信じ切ってるし。
 はい、ありました、まっつ牧師様。緑のストール掛けて憂い顔。
 おおお、劇団発行の舞台写真ともまたチガウ、いい顔してるわー。
 と手にとって眺めて、裏を返す。

 裏はもちろん、複数写りの舞台写真……なんだけど。

 吹きだした。

 牧師様のいる複数写りになる場面って、最初のミサのコーラスじゃないの? キムくんと一緒に画面に収まるとこが少ないためか、なにかっちゃーあの場面だよね?

 フィナーレの愉快ダンス……!!

 最後の最後、みんなが役の衣装に戻って、ペンライト持って1列になって踊っているところ。
 牧師様の正装しながら、まっつはもう牧師様ではなく、ふつーにまっつになって踊っている。

 満面の笑顔で、左手と左足、同時に上げてます。

 隣のキムくんがかっこいいポーズになってるのに、牧師様とチャックは愉快な人になってる……!

 この写真チョイスした人、センスあるな!!
 憂い顔の牧師様の裏が、この愉快なおじさん状態かよ!!(笑)

 この調子で表と裏でオチになったりしてるのかと、みみちゃんのカードをめくると、ぐはぁ、これまた破壊力高し。
 表はふつーにかわいいアリエル、裏はキムみみデュエットダンスの、後ろから抱きしめ密着笑顔。

 いやあ、いいわコレ!!

 と、ここまできてようやく気づく。

 あれ?
 カードは5枚、ポスターメンバーも5人。だから5人分のカードと、裏がオチになってる(?)複数写り場面、だと勝手に思ったけど。

 チガウわ。

 5枚のカード、広げてみれば、キムくん、みみちゃん、まっつ、キムくん、キムくん。
 ……コマときんぐは?

 まだ見ていなかったキムくんカードの裏をめくると、1枚のカードにコマときんぐが分割で入ってました。
 あー、なるほどー。

 メンバーはたしかにポスターメンバーの5人だけど、考え方としてはあくまでも、「トップスター・キムくんのグッズ」。他のメンバーはおまけっちゅーか。
 カード5枚両面で全10枚の舞台写真なわけだが、7枚までがキムくんかキムくん中心写真。
 そりゃそうか。5人並列なわけないよなー。

 まっつはそれでもカード1枚あったんだから、ラッキーだ。
 しかも、美麗写真と愉快写真……(笑)。

 おまけのカードなんてどーでもいー、と思ったのは撤回。
 このカードまで含めて『フットルース』CDですわ!!

 実況CDなので、歌だけでなく台詞まで全部入っているし、歌詞カードもあるし。
 ……その昔、DVDはおろかビデオ発売もなかった頃は、実況CDだけだったのよね。こうしてCD聴いて、思いを馳せたモノだわ……。(ラストシーンに台詞のない『心中・恋の大和路』の最後がどうなったのか、再演を観るまでわからなかったわ……・笑)

 まっつの声と、ささやかな息づかい、心の揺れに聴き入って、ハァハァしてみたりな(笑)。←キモイよ!
 思い知らされるのは、「永遠」などないのだということ。

 いや、もちろんそんなこと、わかってるんだけど。
2012/8/30

宝塚歌劇団 名誉理事(専科)春日野 八千代 逝去について

宝塚歌劇団 名誉理事で専科の春日野 八千代が2012年8月29日(水)午前10時34分に逝去いたしましたので、お知らせいたします。

※葬儀等は密葬とし、近親者のみで執り行われます。

 100周年まで、あと2年。
 春日野先生の年齢がどうということは関係なく、当たり前に信じていた。
「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」
 そう、それが可能かどうかなんて、考えもしない。
 祝典では、春日野先生登場。それが当たり前だから、それ以外はない。

 自分が「当たり前」と思っている現実のもろさ。

 夢の世界、夢のフェアリー。
 彼らを愛し、彼らとともに、時間とか現実とかとは、別の世界に生きているつもりでいたけれど。
 時間は、現実は、確実に過ぎている。

 そんなことありえなかったのかもしれないけれど。

 昨日の続きが今日で、今日の続きが明日である。「また明日ね」と今日手を振って別れた友だちと、明日も会える。
 そんな幻影と同じように、信じていたよ。

「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」


 存在自体が、ファンタジーな方でした。
 ご冥福をお祈りします。
 雪組集合日。
2012/8/31

雪組 退団者のお知らせ

下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

 (雪組)   
  音月 桂     ―すでに発表済み―
  花帆 杏奈
  詩風 翠
  舞羽 美海    ―すでに発表済み―

     2012年12月24日(雪組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

  空波 輝

     2012年8月31日付で退団

 杏奈ちゃんと、ハウル……。

 何故……。

 リサリサがいなくなり、杏奈様までって、雪組美女姫連が……っ。
 前公演時点だと、あゆっちが「大人のいい女ポジ」に就任するのか、となると杏奈様の芸風とかぶる面も出てくるのか?と思えたけれど、次期トップ発表でそうではないとわかったわけだし。せしるはまだ未知数だし。
 美しいおねーさまポジとして、必要不可欠の杏奈様が、何故今……。

 永遠のルーシーちゃん。

 リサリサと杏奈ちゃん、雪組の美女双璧が相次いで卒業なんて。


 そして、ハウル。
 何故なんだハウル。
 ありえないだろハウル。

 いろんな意味で「妖精」にふさわしい君が何故。

 てゆーか、大公様に続いて、ピーターまでいなくなるなんて、いやあああっ!!←思い入れありすぎるそうですよ。

 見た目のイメージはピーター@『ロミジュリ』とかカルロス@『ZORRO 仮面のメサイア』新公とかなのに、本人的には鬼畜系なんぢゃ……ってキャラクタに、無限の夢を紡いでいるところだったんですが?!


 あとひとり、集合日退団の空波くん。
 『フットルース』梅芸でよーやく顔をおぼえたのに、博多座には出ていなかった。
 腕立て伏せで、翼くんに次いできれいに、丁寧に腕立てしていたのが印象的。筋力ある子なんだなと思った。

 あの楽しい素晴らしい舞台を休演することになるなんて、さぞや残念だろうなと思っていた。

 そのまま、舞台にもファンにも顔を見せることなく去るのか。

 休演の多さといい、彼女のこの数年間はなんだったんだろう。
 10代の女の子を導く大人の責任、重要性をしみじみ感じる。


 んで、集合日なので、配役も発表される。

 …………役名、多っ。

 スクロールしてもスクロールしても、下がある。

 たとえ舞台上で呼ばれることがなくても、ただのモブと変わらない扱いでも、役名はある方がいい。生徒のモチベーションにもファン感情にも、二次創作好きのヲタの都合的にも(笑)、役名はある方がいい。
 しかし……それも限度っちゅーか……上演時間が2時間半ある一本モノや、2時間以上取れる梅芸ではないんだ……ショーと2本立ての公演なんだ……。

 不安しか、感じられない……(笑)。

 頼むよサイトーくん。
 キムみみ最後なんだよ、『TRAFALGAR』とかひどかったけど、ゆーひくんにはまだ「もっといい作品に出逢える!」と期待できる「未来」があったから、「これは、これ」と耐えられた。
 でも、今回はそれがないんだよ? 正味、サイトーくんの責任なんだよ??

 とりあえず。
 配役表で、作品のトホホ度を表している気がして、すごーく心配した役がある。それを演じる生徒が「役にはまってて、きっと魅力的だろうな」と思うこととは別に、あくまでも、「作品」として、サイトーくんの過去実績からして、不安になったこと。

 くノ一ってなんだよおおおおっ。

 (『花吹雪恋吹雪』を観た人なら、この悲鳴はわかるはずだ)

 頼むよ吉正。

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