月が変わり、いろいろ発表になった。
 わたしが反応するのはとりあえず、雪組関係。
 あとから日にちを確認したくなることもあるかもしれないから、雪組関連だけメモを残している。

>2016.09.01 雪組 宝塚大劇場/東京宝塚劇場公演『私立探偵ケイレブ・ハント』新人公演一部の配役決定

 と、

>2016.09.01 雪組公演『私立探偵ケイレブ・ハント』人物相関図 公開!

 ということで、公式HPの公演案内の、「主な配役」ページに、新公主演とヒロインの名前が載り、さらに、すべての役名に(説明)が付いた。

 新公主演は予想通りひとこ。
 そりゃそうだ、ルパンと剣心というイロモノしか主演経験なしじゃ期待の若手スターとしてまずい。真っ当にスーツ物で主演しないと。
 ヒロインののぞみちゃんちゃんは想定外だった……だってその、いろいろ誤魔化しの利くイロモノでヒロインやって力足らずが如実だった子が、スーツ物でヒロインって……さらに大変なことになるんじゃあ?
 それとも、しばらく観ないうちに演技力や歌唱力が上がったのかな? 若い子は突然伸びるから、あり得ないことではない。

 のぞみちゃんの本公演での役が、だいもんの恋人役というと、娘役2番手の役割……?
 ふつう、本公演で娘役2番手やって新公ヒロインやったら、それってガチのトップ娘役候補ってことになるんだが……。
 や、のぞみちゃん美少女だから、トップ娘役候補もありだろうけど、ええっと、……やっぱり、知らないうちにうまくなったんだよな……? 実力重視傾向にある現在、音痴で大根の美少女をトップにはしないだろうから、たぶんきっと。

 のぞみちゃんの歌と芝居がふつうレベルになってくれているなら、それがいちばんタカラヅカにとって良いことだと思う。
 きれいは正義だから。きれいな子に破綻しないだけの実力があれば、それがいちばん。

 ……まあわたしは、くらっちヒロインが見てみたかったんだけどね……。
 正塚芝居、似合うと思うんだけどなあ。


 正塚氏の最近の脚本力には期待が薄いので、人物相関図が出ても懐疑心しかない(笑)。ほんとにちゃんと機能した物語なんだろうな? と。
 それでも、ハリーファンなのは変わらないので、期待はせずに懐疑しながら、それでも楽しみにしている。

 れいこの悪役が楽しみかなー。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』初日観劇。

 ねえねえ、最初にぶっちゃけた話していいですか?

 『仮面のロマネスク』というと、プレイボーイのヴァルモンが、いろんな女性をゲームで落としていく話じゃないですか。
 ヴァルモンの本命は昔の恋人メルトゥイユ夫人。彼女に持ちかけられた勝負(ゲーム)で、貞淑な人妻トゥールベル夫人や、無垢な少女セシルを弄んで、捨てる。

 トゥールベル夫人を口説き落とすところは尺を取って描かれているけれど、セシル嬢は「ヴァルモンが彼女の寝室へ行く」ことと、翌日召使いたちの会話で「具体的な行為があったらしい」と示されるに留まる。その後、セシルの恋人ダンスニーに向かって、メルトゥイユ夫人が直裁な台詞でナニがあったか告げたりもするけど。
 実際に、ヴァルモンがどんな風にセシルを口説いたのかは、描かれていない。

 ヴァルモンは、セシルを抱いた。
 これは、事実だと思う。
 問題は……合意の上かどうか。

 ……ぶっちゃけた話題でしょ? 強姦か、和姦か、という、ミもフタもナイ話っす。

 セシルにはダンスニーという恋人がいて、ヴァルモンのことは頼れる素敵な人、任せて安心、夜中に寝室に招いても大丈夫、という認識だったのだと思う。
 や、どんなに信頼出来る人でも、若い娘が男を夜中に寝室に招き入れること自体あかんやろ、とは思うけど、なにしろセシルは純粋無垢、世間知らずのお嬢さんだ。彼女の迂闊さを責めるより、そんな無知な少女を手込めにする男を責めるべき。
 悪いのはもちろんヴァルモンですよ。
 でもそのヴァルモンだけど、ほんとのところ、どうなの? セシルは彼を受け入れたの? 拒絶したけれど、力尽くで手折られたの?

 わたし、初演、再演と観てきて、「合意の上」だと思い込んでたの。
 セシルはもちろんダンスニーを愛しているんだけど、いざヴァルモンに口説かれたらぽーっとなっちゃって、つい流されてしまったんだと。
 嫌がって泣くのを力づくで……なんてことは、あの大人で百戦錬磨のヴァルモンがするわけない。自分から身を投げ出すように仕向けたんだ……そう思ってたの。

 それが。

 今回のみりおヴァルモン様ってば。

 ご……強姦……?! マジに暴力でやっちゃったんすか……??
 と、観ていて、焦りました。

 や、殴る蹴るしたわけじゃなくても、合意ではなかったんだろうなと。無理矢理だったんだろうなと。

 恋のマジックに流されて夢のような一夜を過ごしてしまった……わたしには恋人がいるのに……どうしよう……。
 と、ミリちゃんにしろれーれにしろ、「不貞をはたらいてしまった」ことへの後悔と混乱に取り乱しているように見えたんだ。「自分で自分が信じられない」「どうしたらいいのかわからない」てな。
 ヴァルモンが強引に仕向けたことは確か、だけどセシルもまた甘い蜜に酔ったのだと。

 でも、今回の音くりちゃんは、「暴漢に身を汚された」被害者に見えた……。

 えええ。
 同じ行動でも、この差は大きいよ? 大きすぎるよ?

 繰り返すが、行動自体は同じ、確実にヴァルモンが悪いよ?
 30男が未成年を騙して処女を奪ったんだから。しかも、そこに愛も欲望もなく、ただゲームの手段として。
 あ、年齢は知らないので、あくまでもイメージです。

 ヴァルモンが悪いのは前提だけど、それでも。
 セシルが恋の夢に落ちたのか、無理矢理強姦されたのかでは、意味がまったく違ってくる。

 タカネくんもゆーひくんも、「男慣れしていないセシルがぼーっとなっちゃったんだろうなあ、仕方ないよなあ、あんなエロ気むんむんの大人の男に迫られたら、恋愛初心者の女の子なんて簡単にのぼせあがるわなあ」と思わせてくれた。
 善良で色気皆無のアホBFがいるのに、うっかりときめいちゃっても、それはもう不可抗力だよ。相手が悪いよ、仕方ないよセシル、うんうん!
 そう思った。

 そして、しれっとセシルの前に現れるヴァルモンに、「悪いやっちゃな~~」と思った。

 そういうもんだと思っていたから……。
 びびった。

 み、みりお様? あなたマジに鬼畜なことを……?

 初演、再演とのいちばん大きな違いだと思った。今回の、再々演。
 ヴァルモンが余裕綽々の大人の男……ではなく、もっと神経質というか、狭量な男に見えた。

 そして、セシルが……。
 見た目が13歳の健康優良児で、心も身体も恋愛OKなほど成熟しているように見えなかった。
 一夜明けての様子も、暴力に傷ついた子どものようで……ヴァルモン最低っ!!って感じ。

 わたしが音くりちゃん苦手だからか、ほんとに「え、セシル、それでいいの??」とびびるくらい、わたしが「セシル」「セシルとヴァルモン」にイメージしていた演技ではなかった……。
 セシルが違えば、ヴァルモンは卑劣なレイパーではなく、プレイボーイに見えただろうに……と。


 や、わたしにはそう見えた、というだけです。
 「初演から一貫してヴァルモンはレイパーだよ! セシルは無残に暴力で強姦されたんだよ!」とか「みりお様こそ魅力で落としたの、セシルはヴァルモンに恋したのよ!!」とか、ひとさまの目にはそう映っているのかもしれませんが、そこはそれ、わたしはわたし。

 みりおくんの持つ繊細さは、清顕のようなわがまま王子ぶりにはハマるけど、ヴァルモンのようなインモラルな行動を取る男だとガチ鬼畜に突き抜けちゃう持ち味なんだなと。
 光源氏だってヴァルモンと同カテゴリの男だけど、少なくとも彼は、年端もいかない若紫をレイプして捨てたりしてないもんな。相手が大人になるまで見守るし、ちゃんと妻にするし。つか、若紫は音くりちゃんじゃないから、犯罪被害者みたいにはならないと思うし。

 うーむ、『仮面のロマネスク』は好きな作品なんだが、今回なかなかスリリングだった。
 みりおくんのヴァルモンはみりおくんのヴァルモンで、アリだと思う!
 てな話はまたのちほど。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』についてつれづれに。

 二度目の再演となる『仮面のロマネスク』。初演は通いました、雪ヲタですから! 再演は中日だったので通うに通えず、1回だけの観劇にはなりましたが、ともかく生で観ています。
 そして今回が再々演。中日の再演と同じく初日に駆けつけました。

 初演厨ではあるけれど、再演はヅカの宿命と受け止めているためこだわりなし、演者が変わることで作品がどう見えるか、どう感じるかこそが興味深い。

 『仮面のロマネスク』は、なにをさておいてもメルトゥイユ夫人だと思う。
 このキャラクタ次第。

 初演厨かつお花様スキーのわたしは、これまでずっと、キモはヒロインというか、「もうひとりの主人公」であるメルトゥイユ夫人だと思っていたの。
 主人公のヴァルモンはタカラヅカスターならなんとでもなる、別箱主演をするクラスのスターならできるでしょう、だってかっこいい役だもん。
 でも。メルトゥイユは違う。いわゆる「ヒロイン」ではなく、ましてや「タカラヅカのヒロイン像」からはかけ離れたタイプ。ふつーなら悪役でしかない、癖の強すぎる役。タカラヅカの娘役スキルだけで演じられない役だし、また、この役を演じきったとして、タカラヅカの娘役スキルにはストレートに関係しない。

 ぶっちゃけ、お花様だから出来た。
 そう思っている。

 再演のメルトゥイユはののすみ、芝居巧者ちして名を馳せた彼女ならあるいは、と思わせた。ふつうのトップ娘役には無理、ふつうではないののすみならばできるかもしれない、という観点で再演が決まった、んじゃないかなと勝手に思っている。

 男役至上主義のタカラヅカで、まず娘役を考え、この子ならいけるかも、じゃあこのコンビにこの作品をやらせよう……なんていう選び方になる作品は、異端だと思う。
 まず男役スターの魅力を考えて作品を選び、娘役はどんな役が来ても合わせられること……それが基本。
 『仮面のロマネスク』は名作だけど、ヒロイン役が難し過ぎてなかなか再演できない……主人公はかっこいいしプロットも面白く、主人公以外の男役スターの比重は低めだけど役自体はいろいろあるという、いい作品なんだけど、取扱注意、再演は難しい認識。

 そして今回の再々演は、メルトゥイユ基点に選んだわけじゃないよね?
 メルトゥイユ夫人は大人の女で、トップになってまだ数作の新公学年の若い女の子がハマる役じゃない。
 つまり、かのちゃんありき、で選ばれた演目じゃない。
 あくまでもみりおくんありき。や、タカラヅカなんだからトップスター中心で当たり前だけど、『カメロマ』はやばい、ヴァルモンよりメルトゥイユ夫人が重要。

 だから。

 この物語、メルトゥイユ夫人に魅力を感じられないと、こんだけつまらない話になるのかと、思い知りました。

 メルトゥイユ夫人って、ヒロインとしてはほんとに異色。
 元カレへの仕返しに、その婚約者の少女をレイプするよう男友だちに依頼する女、ってリアルにアウトでしょ。ありえないでしょ。婚約者、なんの罪もないやん、てゆーかまだ中学生やん、善人ぶって近づいて、その裏でレイプ依頼とか……どこの夜10時のサスペンスドラマよ?

 いやあ、今回はじめて、ヴァルモンがセシルを抱いたのはレイプなんだと思いました。
 ヴァルモンは犯罪者だし、メルトゥイユ夫人は教唆犯。やべえよこのカップル!!

 トゥールベル夫人にも同じことをしているんだけど、あちらは大人なんだから、自己責任。ヴァルモンに恋して自分から身を投げ出しているのだと描かれているし。

 ヴァルモンももちろんひどいけど、よりひどいのは、メルトゥイユよね?

 ヴァルモンはもともとプレイボーイだけど、今回の行動に限って言えば「メルトゥイユの愛を得るため」という理由がある。愛のために間違ったことをしてしまうのはタカラヅカのお約束。
 そして彼自身が行動し、罵られもするし、決闘騒ぎに発展するほどに非難もされる。

 でもメルトゥイユ夫人は、いつも陰に隠れてこそこそ、「自らは手を汚さない」。世間体大事、周囲の評判ステキ。
 元カレへの復讐も、「まだ愛しているから」というタカラヅカ的な理由ではなく、「むしゃくしゃしてやった」レベルの身勝手なものだし。
 傷つける予定のセシルやトゥールベル夫人に対し、完全な善人のふりで近づいているのも、サスペンスドラマの悪役そのまま。
 こええ。こええよ、メルトゥイユ!!

 こんな女を、どれほど魅力的に見せるか。
 それが作品のキモ、勝負どころ。
 最低女、でも魅力的。ひどい女、でも泣ける。……あなたも戦ってきたのね、この世界で。仮面を付けて生きるしかなかったのよね……その切なさに胸を締め付けられる。ラストシーンでたどり着く、そのカタルシス!

 お花様は圧倒的な華と存在感で君臨し、ののすみは卓越した演技力で人間的な部分を打ち出した。
 でも、かのちゃんは。

 …………なんか、いつも同じ表情して、泣いてるのか笑ってるのかわからない。歯茎見せるのやめてー、メルトゥイユ夫人はそんな下品な表情しないよー。

 ちっとも「メルトゥイユ夫人」に見えなかった……。

 ただの意地悪女、にも見えない。意地悪、という能動理由すら感じないんだ。
 何故この女性がこんな言動を取るのか、わからないんだ。なにをしたいんだろう? や、台詞がそうなってるからそう言ってるんだろうけど、何故そう言うのかがわたしには伝わらない……メルトゥイユ夫人がわからない……。

 わたしが初演や再演の「メルトゥイユ夫人」像に縛られすぎているのかもしれない。
 再演はヅカの宿命だから受け入れている、そう言いながらちっとも認めてないじゃん! ってことなのかも。

 かのちゃんにはかのちゃんのメルトゥイユがある。
 そう思って観たつもりだったんだか、……所詮初演厨か。

 とにかく、わたしにはメルトゥイユ夫人がわからなくて、感情移入できなくて魅力もわからなくて、「もうひとりの主人公」が「ストーリーを進ませるためだけにヴァルモンに無理難題を言う、作者の都合だけの存在」に落ちてしまうと、ただもう薄っぺらくて、つまらない物語に思えました。
 や、どんな話だって、準主役が「作者の都合」でその場限りの言動繰り返すだけの存在なら面白くないよ。

 好きな作品なのになあ。
 メルトゥイユがダメだと、ここまで楽しめなくなるのか。
 それを改めて知った再々演でした。
 月組『NOBUNAGA<信長>』『Forever LOVE!!』東宝千秋楽日です。
 ラストディ中継を見るつもりだったけど、行けませんでした。残念。予定ではもう終わっているはずの仕事が、まだ終わらなくてな……ずっとパソコンに向き合ったまま、ここ数日。残念。
 スクリーンでまさおさんの美貌を見たかったよ……。
 大野せんせスキーとして、彼の作品をスクリーンで見たかった、というのもあるんだよね……。『エドワード8世』も中継は見られなかったから、まだ一度も大野作品をスクリーンで見たことナイ。


 てことで、今日タカラヅカを卒業するまさおさんに思いを馳せつつ、『NOBUNAGA<信長>』の話。

 勝手な思い込みですが。

 『NOBUNAGA<信長>』がアレな作品になってしまったのはすべて、制作発表会のせいだと思う。

 制作発表会は、初日の4ヶ月も前。
 ……4ヶ月前って、正気か? 
 4ヶ月前っていったら、脚本どころか、プロットすら出来てるかどうか危うい、「こんなのやりたいな」というイメージが漠然とあるだけの状態じゃないの?
 そんなときに制作発表会なんかやっちゃったら、百害あって一利なしでしょ?

 制作発表会のときは、「帰蝶の愛と憎しみ」を書くつもりだった。が、ふわっとしたイメージがあるだけで、具体的なことは決まってない。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 そしてとりあえず、一旦書き上げた脚本では、制作発表会パフォーマンスの帰蝶とは人格もエピソードも別モノになった。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 マスコミ相手にパフォーマンスした内容を、今さら撤回できない。人格もエピソードも別モノだけど、無理矢理パフォーマンスと同じ場面をねじ込んだ。
 前後のつながりもキャラクタの人格もめちゃくちゃだけど、しょーがない。
 なんにも決まってないのに、やらせる方が悪い。
 脚本ってのは初日の前日までに8割出来ればいいんであって、10割完成するのは公演がはじまって有料公開舞台稽古を宝塚という田舎町で1ヶ月やってから、首都東京の初日に合わせればいいんであって、なんで東宝初日の6ヶ月以上前に制作発表会なんかやるんだ、出来るわけないだろ、そんなことをやらせた劇団が悪い。
 ……てことかなあ。

 制作発表会で「言質を取られた」せいで、変えたくても変えられず、盛大に自爆した、ってことかなと。

 書き下ろしオリジナル作品の制作発表会は、筆の速い人しかやっちゃダメだよ……。
 創作物なんて、最後の最後まで手を入れまくるに決まってるやん……。8割方出来ていても、全ボツにして最初から書き直したりとか、キャラクタひとり削ったり、反対に増やしたり、当たり前にするじゃん。
 最後まで好きなだけ推敲出来るようにしてやってよ……「帰蝶にこの衣装でこの台詞を言わせる」という縛りのせいで、作品も帰蝶もぶっ壊れたとしか思えん……。


 帰蝶のわけわからなさを心から「ひでー」と思っていますが。

 加えて、人望ナッシング信長という、新しい信長像にも不満ありまくりですが。

 それはそれとして、構成についても大きな不満があります。

 この作品がどーしよーもないのって、クライマックスがないことも大きいと思うの。

 いちばん大きく物語が動くのが、「全員信長@まさおを裏切った! 信長、人望ナッシング! でも簡単に心変わりして信長にへつらった! 軽っ! ますます人望ナッシング!」という場面よね?
 ヒロインの帰蝶@ちゃぴは死ぬし、2番手のロルテス@たまきちの野望は潰えるし、という、主要人物の人生が動く場面よね?

 信長もひどいし家臣たちもひどい、帰蝶の死体は出しっ放しだし、全員の株を下げるだけの場面なんだけど、とりあえず、クライマックスだと思うの。
 わたしはあまりのことにアゴが落ちて戻らなかったけど。

 メンタルは理解を拒むけど、フィジカルな盛り上がりはわかる。

 で、そうやって「最高の盛り上がり」を作ったあとで。

 なんともしょっぱいラストシーンになる。

 本能寺の変だーー! と盛り上がるネタを使っているのに、ナニも起こらない。
 光秀@カチャと秀吉@みやるりの「説明台詞」があるだけ。
 信長と数名の、植爺のようなカーテン前芝居があるだけ。

 しかも信長、自分のために命を捨てて戦う家臣たち見捨てて、自分だけ逃げ出すし。しかもしかも、家臣たちにはナイショでだし。蘭丸@あーさとかを「一緒に死のうね!」と死地へ送り出したあと、突然心変わりして逃げるし。え、なにこれひどい。
 展開のものすごさにアゴが落ちて戻らない。

 説明台詞とカーテン前芝居という、しょぼい画面に、まさかの卑怯者展開。
 何故、クライマックスのあとに、こんなしょっぱい場面を??

 最後、龍の帆の場面をやりたいがため、なんだろうけどさ。
 ラストの絵面のためだけに、他のすべて犠牲にする意味がわからん。

 『一夢庵風流記 前田慶次』も同じ作りだから、大野くんの癖なのかこだわりなのか。
 いちばんのフィジカルの盛り上がりは、宿敵との一騎打ち、大野くんが大好きな傀儡たち跋扈、ばたばた人が死に、主人公大活躍!
 でもラストシーンは別の戦闘。主人公が大見得を切って幕。

 同じ作りだけど、『一夢庵風流記』の方はまだ、ちゃんと「戦」を描いてたのね。兵士たちが舞台全体を走り回り、群舞したりする。
 カーテン前で説明台詞、じゃない。

 クライマックスの位置がおかしいわ……。

 いちばん派手に盛り上げたなら、その勢いのままENDにするか、反対に静かなENDにするか、じゃない? 本能寺で盛り下げるくらいなら、裏切りクライマックスからそのままENDへ、もしくは本能寺を最大のクライマックスにするよう演出する。

 かといって、どこをどう直せばいいか、わかんないのよ。てゆーか、大野せんせがナニをしたかったのかわかんないんだもん。
 信長の描き方ひどいし、帰蝶はまともに書き込まれてないし、テーマもキャラクタも、ナニがやりたかったのか見えてこない。
 目指したモノがわかんないんじゃ、「ここをこうすればこうなる」という、いつものアタマの体操をやる余地もない。

 ビジュアルセンス以外は、面白そうだったのになあ、制作発表会。
 ああ、やっぱり制作発表会の罪は重い。
 ビジュアルセンスがどーにもダメだった、『NOBUNAGA<信長>』。や、わたしはね。

 すべてにおいて「無理!」だったんだけど、中でも大きな疑問だったのが、ロルテス@たまきちのビジュアル。

 あのヒゲは必要なのか?

 わかりやすくかっこいいヒゲではなく、むさくるしいヒゲ。
 タカラヅカは若い女性だけで老若男女を演じている都合上、どうしても「形式」が存在する。
 ヒゲの形もそうだ。バトラー@『風と共に去りぬ』のような口ひげ、ショーヴラン@みりお様限定『THE SCARLET PIMPERNEL』のイケメンヒゲは、「二枚目が付ける」。
 顔全体を覆うもしゃもしゃおっさんヒゲは、「美形役ではない、荒くれ者や中年男が付ける」。
 明文化されているわけじゃないが、概ねパターン化されている。演じているのが若くきれいな女の子ばかりなんだ、形式を守ることで区別するのは基本だろう。
 くわえて、純粋な見た目の問題。路線スターは、たとえおっさん役であっても少女マンガ的なヒゲしか付けない。観客は女性だから、たとえ荒くれ者設定であっても、女性が引くような体毛は表現しない。
 だから、この前の『リンカーン』でトドがもしゃもしゃおっさんヒゲを付けることが話題になった。「タカラヅカらしくない」からだ。
 タカラヅカの男役はヒゲを付ける。それが当然になっていても、付けるヒゲのタイプによっては、まだ物議を醸す。

 そんなタカラヅカで、何故か2番手役のロルテスが、「もしゃもしゃおっさんヒゲ」だった。
 タカラヅカのお約束的に、かなり異端な造形。
 おっさんでワイルドなキャラクタを表しているのかと思った。

 ……ら、なんと、若い青年、信長@まさおから見るとガキんちょらしい。
 えええ。
 おめめキラキラ、ヒゲを付けた少女のような信長と、むさくるしいヒゲ男、少女が中年オヤジでヒゲ男がぴちぴち?! なんなのその無駄に難しい設定!

 若者設定なら、何故おっさんヒゲ?

 「当時の風俗をリアルに再現したのです」は通用しない、帰蝶@ちゃぴが宇宙人みたいな衣装で長刀振り回してる世界観なんだから。

 たまきちが「もっとも美しく、かっこよく見える」ために、あえてこのヒゲなのだ! というなら、納得する。ここはタカラヅカだ、2番手で、数ヶ月後にはトップスターになる若者を「もっとも美しく、かっこよく見える」ように盛り上げるのは座付き作家の使命だ。
 だがしかし。
 もしゃもしゃおっさんヒゲは、はたしてたまきちを「もっとも美しく、かっこよく」見せたか……?

 たまきちの垢抜けなさやむさくるしさを、強調する結果になってないか……?
 たまきちの魅力である、男っぽさを出すためにやったんだろうか? しかし、「ガイジンさんで、こんな人いそう」「体毛濃くてもしゃもしゃなんだろうね」というあたりのリアリティは、たまきちの魅力を上げるのに必要だろうか?
 タカラヅカでこのテのヒゲを付けるのはオヤジか不細工とカテゴリ分けされるもんなのに、あえて敢行する意味はナニ?

 ふつーにヒゲなしか、あるいはイケメンヒゲでよかったんじゃないの?
 ひとりだけ洋装で、ガタイの良さを見せつけてくれてるんだしさ。

 たまきちのためのビジュアルかと思ったら、新公であちくんも同じヒゲ姿で、「ロルテス自体がこのビジュアル固定なんだ」とわかった。
 ロルテスを「タカラヅカらしい美形」に、何故しなかったんだろう。
 ロック・ミュージカル『NOBUNAGA<信長>』に、オスカル様みたいな茶髪ロン毛の耽美青年が出て来ても、「タカラヅカだもんねえ」で済むのに。(たまきちにオスカル風を期待するわけではない、念のため)

 2番手のビジュアル落として、いったいナニにこだわったんだろう、大野くん。


 ええと、世の中的にたまきちロルテスが「タカラヅカらしい美貌!!」「ヒゲがセクシー、野望あふれる若者に見える!」だったりするなら、すみません。
 そうだとしても、今よりもっと「タカラヅカらしい美貌!!」に出来たと思うので、今のビジュアルには疑問です。
 あー、まさおさん卒業しちゃったんだねえ。さみしいねえ。
 ガチファンでなくても、まさおさん印象強烈な人だから、卒業はさみしくなるよね……てな気分だったのが。

> 2016/9/6『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』出演者が決定しました!

 で、そのメンバーにしれっとまさおさんが加わっているのに、盛大に吹きました。
 卒業の翌々日にエリザベート役かよ!!(笑)
 だって、この『スペシャル・ガラ・コンサート』って、「宝塚歌劇版歴代キャストと共に祝うアニヴァーサリー」がコンセプトなのよ? 公式HPにそう書いてあるのよ? つまり、タカラヅカの『エリザベート』に出演したOGが、当時の役で出演する、というイベント。

 まさお、シシィやってへんやん!! 君がやったんはルキーニやん!!

 なのに、しれっとエリザベート……(笑)。

 ツボ入った。
 なんかそういうとこ、すごく、まさおらしい。

 や、見たいし、まさおのエリザベート! 歌聴きたい。うまいもん、絶対。スカーレットがハマるキャラクタであるまさおは、良い面も悪い面も「エリザベート」というキャラクタがハマると思うし。

 ……キャストスケジュール見て、あきらめたけど。
 なんでマリコトート限定なのよーー。
 わたしのヅカヲタ人生で、ぶっちぎりのナンバーワン、この人に比べればどんな人でも音痴なんて呼べないわ、というくらい、突き抜けた最高峰音痴だと思っているスターさん、それがマリコ氏です。
 歌だけじゃなく、台詞もナニ言ってんのか聞き取れなかったしな……や、かっこよかったけど。タカラヅカスターとしての魅力のある人だと、わかってるけど。
 あー、星組『エリザベート』はお風呂屋さんかってくらいエコーすごくて、いつもびんびんばんばん音が響いて割れて、耳がつらかったなー……。宝塚大劇場ってこんなに音が響くんだ、くわんくわん鳴るもんなんだ、って感心したなー……360度逃げ場なしに跳ね返った音が襲ってくるのよ、あんな体験はじめてだった。なつかしい。
 ごめん、マリコさんだけはマジ苦手。あの方の「歌」を聴きに行く根性はないっす……。

 なんでトドロキ東京だけ出演なんだ(バウ主演してるからです)とか、オサ様に会いたい、オサ様LOVE! とか、やたらややこしいスケジュールを眺めながら。

 わたしは、古代みず希様の名前に反応しました。盛大に。

 うきゃ~~っ、大好きだったおじさま、あのエロかっこいい方にまた会えるの……?!
 卒業以来、芸能活動はしていない、よ、ね……? 当時はネットもろくに機能しておらず、その後の活動を追うすべもなかったけど。
 古代さんに会える、古代さんに会える。
 それだけでくるくる回っちゃう心地。チケ取りがんばらなきゃ。

 あ、現役生も出演するからと、タカラヅカ公式にもニュースとして出たので記録コピペ。(ちなみに上のは梅芸公式HPのニュースから)
外部出演について「エリザベート スペシャル ガラ・コンサート」
2016/09/06
(専科)
轟 悠
京 三紗、飛鳥 裕、五峰 亜季、美穂 圭子、凪七 瑠海が外部出演します。   
公演名
三井住友VISAカードpresents
エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート   

公演期間
・大阪公演(梅田芸術劇場メインホール)
2016年12月9日(金)~2016年12月18日(日)
・東京公演(Bunkamura オーチャードホール)
2017年1月8日(日)~2017年1月20日(金)

※出演者ごとに出演日程は異なります。
出演スケジュール等の詳細は下記からご確認ください。
http://www.umegei.com/schedule/586/   
お問い合わせ
梅田芸術劇場(大阪) TEL.06-6377-3800
梅田芸術劇場(東京) TEL.0570-077-039   

 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』を観て思った。

 なにはさておき、ヴァルモンに美貌必須。

 主人公ヴァルモンも、ヒロインのメルトゥイユ夫人も、やってることはとてもひどい。ガチに犯罪者。
 でも、それを観客に感じさせてはいけない。
 「ブスは黙ってろ」と醜男が言ったら弾劾案件だが、美形サマが言ったらドSな萌えシチュエーションになる、ようなもので。

 主人公がさいてー行動を取るならば、それを演じる人は、超美形でなくてはならないっ。

 美は正義なのだ。

 それをしみじみと、思い知った。
 今回の『仮面のロマネスク』は、ヴァルモンが人生経験豊富な大人の男に見えず、狭量な若者に見えた。
 となると、彼のやってることにファンタジー要素が加わらず、そのまんまの非道な行いに見えた。

 えー、ヴァルモン、マジひどくね?
 引くわー……。

 そう思う、端から。

 でも、美しい。

 と、思うのだ。

 うわさいてー、でも美しい……、ちょっとこれシャレなんない……でも美しい……。
 マイナス要素が、いちいち「美しい」に塗り直されていく。

 あ、なんか楽しくなってきた。

 わたしもともとダメ男スキーだから。
 ヴァルモンさいてー、と思う方が、萌えるのです(笑)。

 初演も再演もナマで観ているけれど、わたしはヴァルモンではなくメルトゥイユに感情移入して観ていたのね。ヴァルモンにはあまり注目していなかった。
 それが、今回はヴァルモンの方が楽しい。
 初演も再演も、ヴァルモンは大人の色男で、包容力と余裕があったし、メルトゥイユが切ない女性だとわかって観ていたこともあり、そんな彼女を愛するヴァルモンは(多少やってることが難アリでも)いい男!だと余裕で思えた。
 今回メルトゥイユが理解不能だし、ヴァルモンはさいてーだし、イイ感じに楽しい。

 ヴァルモンはメルトゥイユを手に入れて、どうしたかったのかなあ。
 彼女を愛しているようには、うーん、別に見えなかったんだけど……かといって、ゲームにのめり込んでいる風でもなく。
 なにをどうしても不幸そうで、ステキ。ヴァルモン様、メルトゥイユを落としたとしても、きっと今と同じ不満そうな顔してると思うわ。

 なにが欲しいのかわかっていない、才能あふれる美青年。
 ヴァルモンはとても孤独そうだ。
 メルトゥイユ夫人より、トゥールベル夫人@仙名さんの方が欲しかったんじゃないかな、と思う。でも「ゲーム」としてスタートしたために、あとには引けず、トゥールベル夫人を傷つけるしかなかった。
 欲しいものがわからない、孤独な子どもは、苛立ち続けるしかないのかな。

 『カメロマ』は女性キャラが多く主人公に絡むのだけど、……うーむ、みりお様に合う娘役さんって難しいのかも、と思った。

 かのちゃんはあまり、みりおくんには合っていないなあ、と。
 もう退団しちゃうわけだけど……そうか、お芝居でこんな風に噛み合わない芸風の子だったんだねえ。
 わたし、かのちゃんのことはあまり……というか、ほとんどまともに観たことなくて、そのあたりよくわかってなかった。

 仙名さんもあまり合っているとは思えない……きらきらした満ち味の人じゃないからな、みりおくんと組むとかすんでしまう。仙名さんのいいところが、みりおくんの陰に隠れてしまうのな。

 音くりちゃんは、容姿も芝居も浮いてる。すっごくうまいんだけど、タカラヅカ的じゃないので、とてもタカラヅカ的なみりおくんとは画風のチガウ絵みたいに、いろんな素材が違っている。

 うーむ、せっかくみりおくんが美女を取っかえ引っかえする作品なんだから、彼に似合う美女を揃えて欲しかったな……って、誰が似合うのか、門外漢のわたしはぴんときてないのだけど。
月組 退団者のお知らせ
2016/09/08
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。   
月組
花陽 みら

2016年10月21日(月組 宝塚バウホール公演千秋楽)付で退団

 驚いた。
 新公ヒロインし、一時は大劇場本公演で準ヒロインをやったりしていたし、去年は本公演で役替わりまでしてたよね……そんな子が、バウホールで退団って。
 マギーと暁くんのバウ公演、『FALSTAFF』の集合日だったんだね。東上もなし、正味バウだけの短期間公演。次の大劇場公演はビッグタイトルなのに、そこまで待たないんだ。
 研10という娘役にしては高学年であることも、スカイ・ナビゲーターズをやっていることも、特別感ある娘役スターさんなのに。

 顔もかわいいし、歌えて芝居の出来る、押し出しのいい娘役さんだ。
 ただ、もう何年も太ったままで……脇の女役さんとか本専科さんならいいけど、スター枠で出演するには難しくなってはいた。
 一向に痩せないので、このまま別格スターさんになるか、卒業するかの岐路に来たのかもしれないが……まさか、バウで卒業、袴姿で大階段降りないとは、夢にも思わなかった。

 『HAMLET!!』のみくちゃん、すげーかわいかったなあ……。
 もう、まさおも卒業しちゃったんだもんなあ。時は流れてるんだよなあ。


 あ。
 UPするために読み返してて気がついた。
 みくちゃんがこの公演で退団を決意する理由のひとつ。
 谷先生だ。

 谷先生って生徒の使い方に特徴のある人、という印象。超路線様に優しいのはもちろんのことだけど、それ以外にも決まった人だけ重用する癖がある。
 たとえば、雪組のがおりは、別箱の谷作品は皆勤賞で、他演出家作品の方に出たことは一度もない。そして、谷作品では番手関係なく見せ場やソロがある。ちなみに、昔から別格風味だったにも関わらず、谷作品で新公主演もしている。
 どんだけ谷先生のお気に入りか、わかるというもの。

 月組ではとしくんをお気に入りだよね。マギーも気に入っていて、専科になってからは谷作品だと組を超えて出演するし、今回はバウ主演することになった。

 でもって、みくちゃんの唯一の新公ヒロインも、谷作品だ。
 それほど谷せんせのお気に入りという印象はなかったんだけど、谷せんせの作品で退団したいとか、思っちゃうのかも。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』についてあれこれ。

 はじめて、「正しいダンスニー」を観た。

 『仮面のロマネスク』は初演・再演ともに観てます、初演厨です、ついでに、当時のご贔屓が初演のダンスニー役でした。

 されど。
 ダンスニーというキャラクタに、初演も再演も、まったく合ってなかった!

 『カメロマ』好きだけど「2番手ろくな役じゃないよ、男役がおいしくない作品なんて……ぶちぶち」と文句を言ったりするくらい、ダンスニーというキャラクタが嫌いでした。

 まぬけな三枚目ですよ、空気読めないアホの子ですよ、周囲から失笑されたり憐れみの目で見られちゃう人ですよ。NTRですよ。
 や、それならそれでいい、アホの子ですかっこ悪いです、タカラヅカ的ではありません、と突き抜けてくれるなら。
 わたし、バカとかヘタレとか大好物なんだけど、なんでもいいわけじゃない、愛せないバカもいる。バカさの足元が定まっていない、日和見的というか、観客への媚びのあるバカは無理。
 あと、笑わせるためにわざと滑稽な言動を取る、お笑い特化キャラとか。

 初演のトドロキがほんと、知能の低いダンスニーで。
 トド自身この役を持てあましているのか、「お笑いキャラで行こう」「アドリブ命」と思ったのか、とにかく滑稽な芝居を過剰にするのね。
 毎回毎回、ヴァルモンの「恋愛講座」でこれでもかとアドリブしてくる。叫び声とか動作とか、どんどん過剰になっていってね。
 客席が笑うもんだから、芸人芝居ばかりがんばるようになって。

 もともとそんなに芝居うまくないのに、アドリブ職人目指すのヤメテ。
 ダンスニーという男が嘘臭くて、メルトゥイユ夫人が彼を愛人にするのが、本気でわからなかった。彼女の性格なら、あのアホは選ばんでしょ。

 なまじトドファンだったから、トドの最後の2番手役がこれかい、という憤りと、ユキちゃんのことも好きだったから、最後のトドユキがこれかい、という憤りもあり、ほんと嫌だったのだわ。

 ご贔屓だから過剰反応してしまった、というのはあるだろう。
 たかこがこの役だったらきっと、「かわいいー」とにまにましていただろうし。(たかちゃんは当時このテの役が得意だった)

 だからほんと、持ち味大事。トドのキャラクタじゃなかったんだ、この役。そして当時のトドは、柄違いの役をねじ伏せる実力はなかった。


 ああなのに、再演のダンスニーもまた、柄違いの人がやってます。
 みちこ様です、ええ。
 芋にーちゃんの役を、芋にーちゃんにやらせてどうする!(暴言)
 みっちゃんは役によって色男にもなるけれど、芋にーちゃんをやらせると救いなく芋になってしまうのです。
 しかも彼は芸風に「あざとい」というスキルを基本装備している。みっちゃんの演じる「いい人」って悪い方に作用するのよ……あざとさが見えるのよ……。
 みっちゃんがハマるのはヴァルモンです、ダンスニーではありません。色悪みちこ様は観たいけど、アホの子みっちゃんは観たくありません。
 みっちゃんがまた、お笑い方面にがんばりすぎちゃう癖があるしね……。

 トドのようにわざとらしいアホっぷりではないけれど、みっちゃんだとビジュアル面でメルトゥイユ夫人が食指を動かす意味がわからん。トドはお笑い芸人だったけど、とりあえず美形だった。

 そんな、わたしの逆ツボ直撃の過去のダンスニーたち。
 ダンスニーという役自体、嫌いになっていた。

 それが。

 今回はじめて、ダンスニーをいいと思った!

 キキダンスニー、天使。

 おぼっちゃまぶりに、嫌味がない。
 低脳なんじゃなくて、純粋なのよ。
 ああ、ほんとーに素直に育った子なんだ……見ていてほっこりする。
 癒される。

 ダンスニーって、かわいい子がやると、こんなにかわいい役なのね。

 無邪気にセシルに恋している様子も、ヴァルモンに転がされちゃう様子も、セシルを愛しているのに、あっさりメルトゥイユ夫人の愛人になっちゃうのも、すんなり納得出来る。
 そして、ヴァルモンに決闘を申し込むのも。
 この子なら、そうなんだろう、と。

 キキくんの透明感っていいなあ。
 このジャングルみたいなカラーリングの世界観で、彼だけふわりとパステルカラーなの。

 いい人を含みなく「いい人」に演じられるって、路線スターとして得がたい資質だわ。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』についてあれこれ。

 トゥールベル夫人@仙名さんは、……うーん、期待したほどじゃなかった。
 柄違いかな。彼女はメルトゥイユ夫人の方がハマる人だと思うし。
 初演のゆりちゃんが大好きで、再演のえりちゃんも大好物だった……だけに、仙名さんのトゥールベル夫人は、なんだろ、わくわくしない作りだった。
 この女性を口説いても楽しくなさそう、って感じでなあ。旦那さんのさおたさんが好々爺っぽい感じだし、その好々爺とお似合いの、きれいだけどすでに枯れた女性に思えた。貞淑というより、年齢的にそこへ落ち着きました的な。
 ヴァルモンとのラヴシーンも、あんましドキドキしなかったなあ……。
 仙名さんには、背徳の色気はなさそう。そこかな、いちばんの問題。


 ジェルクール伯爵@ちなつくんがかっこいい。や、わかっていたことだけど、かっこいい。

 ロベール@らいらいが、好みだった。
 わたし、初演の泉つかささんが好きでね。わたしの弁慶様(はーと)。悪役専科みたいな人だったんだけど、最後の公演で、ロベールというステキな大人の男の役をやってくれて……すごくすごく、好きだったのね。
 その泉つかささんのロベールを思い出した。大人で、穏やかで、程よく枯れてて。
 再演のロベールではそんな風に思わなかったから、らいらいのロベールはほんと好みなんだと思う。

 相方のヴィクトワール@くみちゃんは、もうちょいかわいくてもいいかなあ。大人に作りすぎてるような……いや、役割的にこれでいいのか。初演厨だからつい……!

 若手スター枠の、アゾラン@ゆーなみくんとジュリー@うららちゃん。手堅いな。
 ゆーなみくんはそつなくうまい。うららちゃんはかわいい。


 しかし、組を3つ……4つ?に割っての公演だから仕方ないんだろうけど……。

 台詞のある出演者たちが、あまりにへたでびっくりした。
 舞踏会の貴族たち、ジェルクールの取りまき、ブルジョアや市民たち……声を出すたび、「えっ?!」とびびるくらい、素人声。
 これからうまくなっていく下級生たちなんだろうけど、現時点ではほんとがんばってくれと。いちいち二度見しちゃうと、物語に没入出来ない。

 そして、あまりにへたっぴで感動したのは、メルトゥイユ家のこそ泥トリオたち。
 帆純くん、お芝居苦手なんやね……。まず、声かなあ。女の子声のまま、舞台用でもない感じの発声で喋ってる……。
 聖乃くんもまた、経験値不足モロ出しの素人っぽさ。
 ふたりとも、きれいなんだけど……お笑い担当のイロモノキャラだから、最低限男役としての発声さえできれば、なんとかなると思うんだけど……現時点ではつらいっす。
 トリオの芝居があまりにすごいので、もうひとりの女の子も研4以下の下級生かと思ってよく見れば……かがりりだった。えっ、下級生チガウ、94期……。
 かがりりなら、もっとうまく芝居できそうなもんだが、今回は男の子たちにつられちゃってるのか、トリオでうまくない……つらい……。

 空気を変えるお笑いキャラ、うまい人がやらないと、こんなに痛々しいことになるんだなと。
 ちなみに初演では、「実力不問の若手のかわいこちゃん」ではなく、組きってのバイプレーヤーたちが務めてました。配役見ただけで「こりゃ笑えるぞ」と観客が期待するほどの。


 へたでびっくりしたというと、なんつっても五峰さん……。
 どうしちゃったんだ。
 もともとお芝居のうまい人ではなかったが、芝居にも発声にも違和感ありまくり。
 あとから友人がチェックしてたんだけど、五峰さん、舞台に立つの2年ぶりとかなんだね。使わない線路が錆びるように、役者をしばらくしてなかったんじゃ、そりゃ芝居力も落ちてるでしょう……。
 全国ツアー『Melodia-熱く美しき旋律-』は、任せて安心中村B。セットが少なく代わりに人海戦術、「いつも同じ」の基本に忠実なダンシングショーで、全ツ向き。

 トップと2番手がそのまま出演しているから、それほど変化した印象もない。や、わたしみたいなゆるいファンには。
 カレーくんいないけど、歌って踊れるちなつくんがいるしねー。

 とりあえずびっくりしたことは、黄金郷のあきらパートが組長さんだったこと。
 そうか……ここに入るスター枠はいないのか……。
 たかしょーさんはかっこいい系おじさまなので、スター枠でもかまわないのだが。ただ。
 髪型が、すごいことになっていた。
 
 ど、どうしちゃったんだ、さおたさん……!
 思わずオペラで見ちゃったよー。

 えーとえーと、あのカツラ、必要? 地毛でいいんじゃないかな……? 地毛で十分かっこいいと思うよ……?


 中詰めで、ヲカマだったちなっちゃんが、男になってる!
 や、大劇場ではちなっちゃんが脚線美のヲカマさんで、カレーくんが「ヲカマぐらい、手の内で転がしてやるぜ!」って、スカシて踊っていた、あの場面。
 ちなつくんが男でした。
 そして、ここはヲカマ限定なんでしょうか、相手役はヲカマさんでした。……ヲカマに見えるなら将来有望です(笑)。

 ゆーなみくんがなんかスターっぽかったです。
 歌いながら踊れる、はじめてでもあわあわせずに務められる、頼もしいっすね。

 あちこちでいい位置にいる、帆純くんと聖乃くん。帆純くんの方が顔がわかる……のは、あのテの顔が好きだからだろう。聖乃くんもきれいよね。女装はいまいちだったけど(笑)。

 ロケットセンターも大劇場とは違ってヲカマさんだったので、なんかヲカマ推しなショー……(笑)。


 かのちゃんはショーの方がかわいい。
 中村Bショーは、トップ娘役が娘役を率いて踊るのがデフォだから、牽引力が必要。
 かのちゃん、真ん中が板に付いてきたなと思う。


 全国ツアーは客席降りありまくりだから、1階席がおいしいよなあ。
 チケ運のないわたしはもちろん、今回も1階席ではありませんので、指をくわえて見ていました。最近、2階席が多いんだよなあ、梅芸。


 ところで。
 この公演、2番手キキくん、3番手ちなつくんなんだよね。
 ヅカファン相手の別箱公演ではなく、非ヅカファン相手に全国回るわけよね。

 キキちなつを並べるのは、一般客の混乱を招くのでは?

 初心者は絶対見分け付かない(笑)。

 芝居はちなっちゃんがヒゲ男だからいいとして、ショーはどっちも二枚目さんだもの。
「あ、ダンスニー役の人出てきた!」「右手に引っ込んだのに、一瞬で左手側から出てきた!」「しかも服着替えてる!」「手品? タカラヅカすごい!!」「あ、また出てきた!」「あ、また出てきた、ダンスニーの人、ほぼ出ずっぱり!」……てな。
 そしてついに、「また出てきた……えっ、ここにいるのに、また出てきた??」「ふたりいる?!」「双子?!」てなオチに。

 初心者を惑わし、注目させる目的か。
 そして気がついたらキキ&ちなつのファンに……(笑)。
 宙組新人公演『エリザベート』あれこれ。

 思うのだが、大作ミュージカルのときの新人公演のチケットの取れなさはすごい。
 純粋に「いい作品だから、新公も観てみたい」と思う人が多くなるのはわかるが、それ以外の部分が大きい気がして、理不尽に思う。
 チケットが市場に出回る数が、圧倒的に少ない。
 友会とネット頼みの一般人ゆえ、チケット動向にはアンテナを立てるのだが、『エリザベート』新公チケットはほんとうに、なかった。
 定価譲渡・交換サイトにも、高額転売サイトにも、ほとんど出ない。
 市場に出回っていれば良くも悪くも転売サイトには出る。そこにどんな価格や付加価値を載せるかはともかく、倫理や感情論はともかく、母体が大きければ、目に見えるところにあふれる。
 それが、『エリザ』新公は極少だった。

 ほんっとうに、一般には下ろしてもらえなかったんだな。
 聞く限りでは、会チケも壊滅していたみたいだし。

 通常公演よりも、関係者に吸い上げられるんだろうと思う。
 友会枠は変わらないと思いたいので、少なくなったのは会チケとかその周辺の浮動票という、わりとグレーなあたりと、一般発売枠と推測。
 友会枠が変わらないと思うのは、一応有料会員だからだ。年会費を取っているんだから、規定の枠は最低限守られているだろうと。甘いかな? そこで客を騙す必要はないと思うし。
 一般発売枠が減っているのではないかと思うのは、高値転売目的の業者がろくにチケットを入手できていないことから推測。先着順の一般発売は、素人ではとても購入出来ない、設備や並び屋など、「商売」として本気でつぎ込んでいる組織にはかなわない。なのに、そんなプロの転売屋がチケットを入手できない……ほどに、そもそも一般発売されていない。
 あとは、劇団がチケットの卸先として明言してない私設後援会やその周辺など、流通経路がグレーなあたりに下ろす枚数で、いろいろ調整しているんだろうなと思う。

 ともかく、新人公演チケットは、『エリザベート』のときは末端に降りてくるチケット数が極端に減る。

 新公は誰が主演でどんな演目でも、表向きは即日完売するけど、実際のところ、チケットの「入手しやすさ」はそれぞれまったくチガウ。
 その「即日完売」した上での、市場に出回るチケット数の話ね。
 『エリザベート』だけ、段違いなんだもの。
 タカラヅカの人気作は他にもいろいろある、人気作はチケットが少なくなる、その中でも『エリザベート』別格。ダントツ。

 そりゃ主演スターの人気も関係はするだろうけど、過去の新公『エリザ』だって無駄にチケ難だったよ。トップにならずにコースから逸れた人が主演だった新公『エリザ』だって。

 それにしても、チケ難が年々ひどくなっている気がする。
 チケットを要求する関係者が、年々増えているんじゃないかな。『エリザ』の市場価値が上がるのに比例して。


 今回、あまりのチケ難ゆえに友人たちが誰も観られず、従って観劇後のごはん会も出来ず、寂しかったこともあり、チケット流通量の露骨な変動にぷんすかするのだった。
 ……次の『エリザベート』新公はさらに過酷になるんだろう、そう思うとマジ、チケット取れる気がしない。
 星組新人公演『桜華に舞え』観劇。

 いやはや。
 本公演でも鹿児島弁キツイのに、新公になるとお手上げだな。字幕なしの洋画を観ている気分で観る(笑)。まあ、聴き取れなくても話を追う分には問題ない。

 そして、もひとつお手上げだったのは、役の多さ。
 星組さん馴染みが薄いもんで、誰が誰やら。
 これまた早々にあきらめました。せめて台詞が無理なく聞き取れれば意識を視覚のみに集中できるかもだけど、台詞は聞き取れないわわらわら出てすぐいなくなるわで、わたしには無理、アタマ悪いんだってば。

 ということで、いつもにも増して、視野が狭いっす。真ん中あたりしか観てません。

 本公演でも「役が多い」とは思っていたけど、ほら、本公演だとある程度見分けがついているから、わらわら出てきても意識する以前に認識出来るわけよ。自動的に「この役は**くん」とか仕分けして収めるところに収めている。だから、負荷が少ない。
 新公はいちいち「誰?」となって、のーみそ本体から読み込みしなきゃで、ずっとういーんと起動音たててる感じというか、負荷が大きいのよ。で、「役多いわー、無理ー」となった。

 『JIN-仁-』のとき、役が多くて目が足りなくて楽しかったな。
 下級生まで見分けの付く組担なら、とても楽しい新公だと思う。
 キムシンとか正塚とか、役が極端に少ない演出家の作品より、サイトーくん作品がいいよね、新公は特に!


 初主演おめでとー!の、ぴーすけくん。
 若くてきれいな桐野利秋! おー。
 まず、そんなところに感心する(笑)。

 なんかよく喋ってよく動いてる。
 歌もふつうに歌えてるよね、芝居も出来てるよね、初主演なのによく出来てるよね、すごいね。

 ハンサムだしガタイもよくてかっこよくて。
 なるほどなー、と思うのに。

 何故だ、今こうしてパソコンに向かっていて、顔が思い出せない……。
 表情は思い出せるんだ。や、表情に対する、自分の感情を思い出せる、ということなのかな?

 全組通して、新公主演するような位置の子は、本公演でも大抵見分け付いてるもんなんだけどな。で、新公主演が発表されると「ああ、あの子が!」となる。
 で、ぴーすけくんだって名前と立ち位置は知っていたから「ああ、あの子」とわかった……が、舞台で見つけられていない……。

 本公演で見つけられない・顔がおぼえられないので、主演を観ればわかるようになると期待したんだけど……「かっこいいわねー」ってオペラで追いかけていたのに……だ、大丈夫かわたし。
 年寄りはつらい……海馬がどんどんポンコツになっている。


 衣波隼太郎@あやなくんは、とてもベニーっぽい。線の細い、女顔の男の子。
 剣客にも軍人にも見えないあたりが、とってもベニーテイスト。
 こちらも破綻なく演じているし、歌っている。歌バウではいまいちだった印象なんだが、新公では毎回歌えるんだよな……って、芝居歌ならOKなのか?

 ぴーすけくんと対照的に、あやなくんは本公演でもやたらめったら目に飛び込んでくる。
 帽子かぶっていても、あ、今のあやなくんだー、とわかる。

 顔は目立つんだが、表情はいまひとつかな?
 「見せる」ための表情ではなく、「自分が今こう思っている」表情をしている感じ。
 や、心のままの表情なんだろうけど、それではまだ伝わることが少ないし、えーっとその、あんまりきれいでないことが多いような。
 せっかくの美形さん、心をどう表現すると効果的なのかを会得してくれると助かるなあ。や、観客として。
 なまじ顔が目立つから、余計にそう思うのかも。あの顔で、所作も表情もいつも完璧に美しかったら、そりゃすごい武器ですぜ。


 ぴーすけとあやなだと、親友設定が自然というか、そりゃ同期だもんな、と空気感に安心出来る。
 腕の中で死ぬならどっちも美形がいい、新公はそこが楽しみと言っていた友人に、心から同意。

 2作連続で、トドの腕の中でかしげが死んでいったよなあ、演出家が違っても同じことをさせてしまうくらい、美形の腕の中で美形が息絶える、のは鉄板シチュだよなと。
 新人公演『桜華に舞え』の感想つらつら。

 役が多すぎて、かえって誰のこともろくに見られていないという、ダメっぷり。アタマ悪いと人生つまらないね。
 だからほんと、真ん中あたりしか見えていない。


 ぴーすけ&あやな、男ふたりは美形で目に楽しいのだけど。
 ヒロインの小桜ほのかちゃんはなんつーか、ファニーフェイスだなあ。
 今までわたしの目に入ることがなかったゆえに、この新公ではじめて顔を観たのだけど……うん、おぼえた。モブにいても見分けられる。特に横顔。めっちゃ特徴ある。

 歌うまいね! おおう、安定の歌声。
 お芝居もうまい。初ヒロインとは思えない。
 声が良いからかな。ヒロイン芝居に無理がなく、説得力をもって進んでいく。

 歌のうまい子は、芝居もうまい場合が多い。特に新人公演ではそれが顕著になる。
 たぶん、声の制御が出来ると、芝居も格好が付くのだろう。学年が上がるとそれだけでは足りなくなるが、新人公演において「声を制御出来る」と、「女子校の文化祭」っぽい駆け出しさんたちとは一線を引くことが出来る印象。

 ほんとに今の歌劇団は歌唱力重視なんだね。出て来る子、出てくる子、みんなうまい。
 音痴しか抜擢されなかった頃からすれば、夢のようだ。耳に優しい。

 ……しかし、ヒロインはもう少し、きれいな子だといいな……。
 や、カツラも衣装も難しすぎる題材だから、仕方ないんだとは思う。本役の風ちゃんだってえらいことになってるし。
 もっと女の子をかわいく見せるカツラと衣装の役なら、ここまでファニーではないんだと思う。

 ほんと、女の子たちはみんな大変。

 竹下ヒサ@真彩ちゃんも、カツラ似合わないね……(笑)。史実無視でいいから、女の子たちにはかわいく見える格好をさせてほしかったよ、サイトー。

 真彩ちゃんは、なにをやっても役不足に思えるから困ったもんだ。
 ヒサはいい役。女の子に役がない男子ハートで描かれた戦記モノで、それでも最大限クローズアップされた役だ。
 それを真彩ちゃんはすごく軽々と、余裕綽々にやってしまい、「うん、役が小さいね、君はもっと出来るよね!」と頷きたくなる感じ……に見える。
 なにをやってもいっぱいいっぱいには見えない度量の大きさは、舞台人として頼もしい。同時に、娘役としてはマイナスなんじゃないだろうかと老婆心。ほら、タカラヅカって成長を見守るのが楽しい文化だから。


 八木永輝@しどりゅーが美形だ!
 いつもの通り、前もって配役チェックしてないから、出てきたとき誰なのか、一瞬わからなかった。つか、しどりゅー今回顔違くね? こんな顔だった?
 しゅっとした薄い美形出てきたー、誰だあれ? 知ってる顔だが誰だろう、ふつーにうまいよね……え、しどりゅー?
 怒り顔だとこんなに美形なのか! 口元特徴あるから? 笑わないと美形度UP?


 西郷隆盛@いーちゃん、うまいわー、違和感なく西郷隆盛だわー、すごいわー。
 ……でもわたし、ダンディないーちゃんが観たいっす。やっぱこの役、わたし求めてない……。

 犬養毅@遥斗くんがすごい……。
 本役のまおくんを観たとき、「こんな神スタイルのじじいいねえ」と思った。青年時代だって、スタイル良すぎて「日本人じゃねえ」だった。
 そのシルエットが脳にインプットされているだけに……、落差すごい……。
 いやその、まおくんがスタイル良すぎるので、そこと比べられたら誰でも大変なんだけど。
 ……遥斗くんが西郷隆盛の方が、違和感なかったんじゃ……? や、うまいから。うまい人だから、ここは是非、難しい専科さんの役を。
 華と押し出しが必要な役は、路線スター候補のきれいどころに割り振った方がタカラヅカ的だったんじゃないかなあと。

 ビジュアルの違和感というと、岩倉具視@朝水くん。
 この役がなんか美形キャラになっててツボった。ここで美形が現れると思ってなかったんで、え? この大仰な感じで美形が出て来ちゃうと、重要な役っぽく見えてまずくね? と焦った(笑)。
 『アイラブアインシュタイン』初日観劇。
 宝塚歌劇団って一定の名字の人しか演出家になれない、それ以外はハードル上がるから入りにくいとか、ナニかルールがあるんだろうか?と思うくらい、名字かぶりが確率を超えて多いところだよな。
 この作品でもってデビューする演出家は、谷貴矢先生。……ふたりめの「谷」先生。
 ナカムラがふたり、ウエダが3人、そしてタニがふたりか。演出家はそれほど人数いないのに、かぶりまくってる不思議。

 ともかく、あきらスキーだし、新人演出家のデビュー作だもん、絶対初日観なきゃ。先入観や他人の評価がない状態で観なきゃ!
 わくわくバウホールへ駆けつけて。
 そして。

 あまりにトンデモ過ぎて、アタマを抱えた(笑)。

 帰りの電車で感想を書くのはわたしのデフォルトだが、めちゃくちゃ筆進んだ。すっげー熱意と勢いで書いた。書きまくった。書かずにいられない。

 脚本ひでーー!

 すげー破綻しまくり。

 こんなにテンション上がるのって『相続人の肖像』以来か。2015年ワースト作品(笑)。あんときも帰りの電車でタブレットに入力しまくりでしたなあ。

 あちこち『相続人の肖像』思い出すし、破綻ぶりが似ている。new谷先生って田渕先生の直属の後輩かなんか?
 いろんな先生いるけど、大きく分けると植爺系?

 植爺-谷-鈴木-田渕-new谷?

 物語の構成の相似点による分類。

 植爺なら「愛」、谷なら「命」など、耳ざわりのいいテーマを掲げるけれど、作者自身そのテーマに興味が薄い。
 やたら愛愛言葉だけ垂れ流す植爺が興味あるのは「母の愛」だけで、男女の愛は興味ない。母だけは大事だが、女という生き物は下等、それを基準にした恋愛観。大切な命、と繰り返す谷せんせの得意技は皆殺し、大切だと持ち上げるのは、殺してお涙頂戴するため。
 あー、田渕せんせのデビュー作、マジック生き甲斐のマジシャンの話なのに、マジックの軽んじ方がひどかった。マジック生き甲斐にする人が決してしてはいけないこと、するはずもないことをさせまくっていた。
 テーマはただの道具なんだね。
 テーマは愛です、と言えば、誰も文句言えない「愛は素晴らしい」「愛は大切」、「命」だってそう。耳ざわりいいこと言って、はいOK。
 利用はするけど、敬意はない。だってただの道具だから。

 という、植爺ラインの構成パターンを、new谷せんせに感じました。

 アンドロイドをテーマにしているわりに、アンドロイドに興味なさそう。すげー雑な扱い。
 てゆーか設定自体破綻しまくり、興味以前の問題……?
 観ていてびびった(笑)。

 もう少しなんとかならんかったんか……。

 画面はきれいだし、意欲作ではあるんだけど。
 脚本というか、「物語を作る」というのは、かくも困難なことなのか。
 「物語る」という点において、ウエクミはやっぱ飛び抜けていたんだなあ、と改めて思ってみたり。そして、生田せんせもまた、違った意味で飛び抜けていたんだなあ、と思ってみたり。

 でも、『相続人の肖像』ほどの嫌悪感はないな。基本設定と構成が壊れているだけで、キャラクタ自体は毒にも薬にもならない感じだからか。『相続人の肖像』は主人公が偽善者の卑劣漢だったからなあ。

 とにかく愉快なことになってるわ、新人の谷せんせ作品。
 あまりに破綻しまくりで唖然とした、『アイラブアインシュタイン』

 2日続けて観劇しても、感想は変わらなかった。や、作者が手を入れるなりしてくれるかなと期待したけど、変わってなかった。(サイトーくんの『血と砂』は初日だけ演出違ってた。つまり、翌日から変更される可能性はある) 

 この作品がぶっ壊れている原因は、そもそもの設定とテーマにある。ってそれ、土台から間違ってるってことやん!

 敗因は、アンドロイドの扱い。

 この作品のテーマは、HPの解説文にある通り、「果たして、「AI」は、「愛」の感情と「I(自我)」を持つ事が出来るのか。」なわけでしょ?

 これをやるためにまず存在する「前提」「基本設定」は、

 アンドロイドは機械人形であり、感情はない。

 だから、ヒロインのエルザ@みれいちゃんがアルバート@あきらに、「感情を与えて欲しい」と頼むのよね? 公式にも書いてある通り。「ない」から、「欲しい」。最初からあれば、こんな話にはならない。

 アンドロイドに感情はない。これが第一の設定。
 なのに、幕が開いて最初に提示される情勢が「アンドロイドと人間の対立」。
 アンドロイドに感情がなく、人間を傷つけることができない設計である以上対立は不可能だ。

 民衆が反発すべきはアンドロイドではなく、安易な労働力として使用している企業に対してだ。
 服の手洗いをしていた労働者が、「会社が洗濯機を購入したせいで、労働を奪われた、洗濯機は敵だ!」とは言わないよね? 街中で洗濯機を見かけたからといって攻撃しないよね?

 そして、洗濯機のせいで会社をクビになる人が続出したからと言って、「洗濯機と人間が対立している」とは言わないよね?

 最初から「???」だった。
 アンドロイドの扱いが「感情もない道具」ではなく、「人種差別」として描かれている……。

 政府が難民を受け入れるから、俺たちの職が奪われた……! 政府は国民ファーストを心がけよ! と同じ扱い?
 アンドロイドって、そういうもんとチガウよね……?


 また、民意を操ってなにやら画策している、悪役チームの主張がおかしい。
 アンドロイドに雇用を奪われる、だからアンドロイドはいらない。ここまではわかる。
 いらないなら、廃棄が正当。しかし彼らの目的はアンドロイドの軍事利用だという。

 戦争をアンドロイドに任せるのはアリだと思う。命令を受け行動出来る、「感情のない道具」なのだから、工業用機械と同じで、高所とか難所とか、人間だと危険な場所を機械を使って作業する、それと同じ考え方。

 だが、アンドロイドは人間を傷つけることができない。人間の生活の中で作業する以上、安全対策が取られており、「人間を傷つけられない」ように最初から設計されている。

 この理屈でいくなら、レオ博士@エマさんの目的は「アンドロイドが人間を殺せるように設計変更する」ことだ。
 アンドロイドはただの道具。使用目的に合わせて、仕様変更をする。
 イマドキの自動車に自動ブレーキが付いているようなもん。街中では事故が起こらないよう、自動ブレーキは必要だけど、人間をひき殺す目的で使うならいらないから、この機能はなくすよね?

 なのに何故かここで「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」になる。
 自動車で置き換えて考えてくれ。
「自動車の感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」……なんだこれ。

 あのー、「アンドロイドには感情はない」という前提はどうなりました?
 感情がないから、アンドロイドは洗濯機や自動車と同じ「道具」なわけでしょ?

 「人間と対立」したり、アンドロイドのダークな利用法が「感情を暴走させる」って、最初からすでに「アンドロイドには感情がある」という前提で、話が進んでますが。

 アンドロイドがまるで人間のように動いたり喋ったりするのは、すべてプログラムされたことなんでしょ?
 そういう設定だよね?
 なのに、アンドロイドが「人間と同じ姿」をしているだけで、作中の人々だけでなく、作者本人が混同している。
 自動運転する洗濯機や自動車と同じなんでしょ? なんで混同して作劇しているの?
 プロット段階で「おかしい」って気づこうよ。

 アンドロイドに感情はない、だから感情を持っているように見えるエルザは異端、興味深い、アンドロイドは恋をするのか、愛を理解出来るのか……というテーマ部分と、実際にアンドロイドが在る世界、生活をどう描くか。
 これがひどいダブルスタンダードになっているんだ。
 アンドロイドの扱いがそのときの都合で「洗濯機(ただの道具)」「社会的弱者(差別される人間)」と変化するんだ。

 作者自身が、この矛盾に気づいていないのではないかと思う。
 いかなる場合も「洗濯機」は「洗濯機」として描くべきで、「ストーリー上の都合」で勝手に「社会的弱者」にしてはならない。
 アンドロイドを「社会的弱者」にしにければ成り立たないストーリーなら、テーマを「アンドロイドの人権」にして、「アンドロイドには感情がある、愛も理解するし、恋もする」という設定にするべき。その上で、「なのに社会はそれを認めない、おかしい」という流れにすべきだ。

 それならば、「アンドロイドを軍事利用」を「道具なんだから当然」と思う人々と、「感情のある存在に対して非道だ」と思う人々で対立が起こる。
 また、レオ博士の言う「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」も成立する。

 基本設定を間違えたまま、イメージだけで話を作るからおかしくなるんだ。

 こういうアタマの悪い間違い方って、すごく引っかかるわ、わたし。
 『アイラブアインシュタイン』の破綻っぷりについて、続き。

 悪役チームはアンドロイドを軍事利用しようと企む。
 軍事利用、っていい言葉だよね。整合性なくても「軍事利用」って言葉を出すだけで「悪!!」ってことになるの。
 だから、すべてのクリエイターは、悪役を出すときにこの魔法の言葉を使うといいのよ。読者も視聴者も観客も、他になんの説明も不要、反射的に「悪!!」と思ってくれるから。
 や、わたしも嫌ですよ、軍事利用。アンドロイドでも洗濯機でも、その用途で作られたものではないのに、軍事利用する組織がいたら、「悪!!」だと思う。「宝塚歌劇団を軍事利用しようとする政治家が現れた」とか、「絶対許すな!」と思うよ。
 現実の「戦争反対」ハートと、作劇のご都合主義「軍事利用」はまったく別の意味で捉えているだけで。

 まあともかく、軍事利用。
 悪役チームは、現在の日常作業で活躍しているアンドロイドを、軍事利用しようと考える。
 だがアンドロイドは「人間を傷つけられない」設計になっている。
 その設計を崩すには、対象の区別なく攻撃出来るよう仕様変更するのではなく、何故か「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」そうな。

 アンドロイドに感情はない、はずなのに、それを暴走させる……。
 ひどいダブスタだけど、まあ、そういうことが出来るとして。

 暴走して破壊行動に出るよーな危険な存在を軍事利用できるはずがない。

 軍事利用=安全性無視、じゃないよ?
 戦場にはアンドロイドだけしかいないわけじゃないでしょう?
 軍事利用……つまり、高い戦闘力を持つ道具であるならば、安全性は日常生活レベルを超えて重要になるんですが。

 戦闘用アンドロイドに必要なのは「暴走する破壊行動」ではなく、「どの対象を破壊するか、指示・制御する」技術ですよ……?

 もー、聞いていてアタマが痛くなるレベルでアホアホなんだが、この理屈で悪役チームは動く。
 そしてやることが、「アンドロイドが人間を傷つけた」と自作自演して、民衆の恐怖心をあおること。
 いや、おかしいから。

 「人間を傷つけるよーなモノ」を軍事利用させよう! って、恐怖におののく市民に演説しても、逆効果だから!
 そんな危険なモノに、さらに高い殺傷力を与えるってことでしょ?
 ふつう、「危険なモノ」を見たら、「鎮圧・排除」を望むよね?
 無差別殺人犯が銃を乱射してます、この殺人犯に武器をたくさん与えて軍事利用しましょう! って、誰が思うよ? 「そんな危険なモノに、危険な武器を与えるのはやめてくれ!」だよね?
 この方法おかしすぎる。

 さらに。
 「人間から物を奪い、攻撃した」と濡れ衣を着せられたアンドロイドの少年は、なにを言われても言い返せない。人間に逆らえない設定だからだ。
 その段階で、人間を傷つけたというのがおかしいとわかる。反論ひとつできず、拘束を振り払うこともできないモノが、奪い攻撃できると?
 この自作自演は、この段階ですでに「悪役たちの主張は嘘」「アンドロイドは安全」と証明しているようなものだ。

 この自作自演はアンドロイドを「道具」としてではなく、「社会的弱者」として扱っているゆえに成立するエピソード。
 アンドロイドは「道具」だから、軍事利用しよう、という流れなのに。
 作者はここでダブスタを発揮し、罪を着せられる少年アンドロイドを使い、「社会的弱者が虐げられる」ことでわき上がる観客の義侠心を利用している。
 なのに、台詞でだけは「アンドロイドは道具」と主張し続ける。

 さらにこの自作自演話はトンデモ理論を主張する。

 少年アンドロイドが責められているのに、少年アンドロイド自身もなにも言えず、他のアンドロイドもなにも言い返さない。
 悪役たちはそのことを「冷酷だ」と言う。だからアンドロイドは危険だと。

 あのー、人間になにを言われても、されても、一切逆らえない、というのぱ従順さを表しているわけで。
 そこは「アンドロイド安全!」と考えなければならないところ。

 なのにみんなそろって「アンドロイドは冷酷!」って。
 「使えない洗濯機だ!」って蹴っても、洗濯機はなにも言い返さないよね? それに対して「仲間の洗濯機が蹴られているのに、冷蔵庫も電子レンジもナニも言わない。家電は冷酷だ」って言う?

 アンドロイドに感情はない、っていう設定はどこへ……。

 なにもかもおかしい。
 『アイラブアインシュタイン』が変だー! タスケテクレー! という話の続き。


 悪役チームのおかしさを書いてきましたが。

 同じレベルで、主人公のアルバート@あきらもひどい。

 アンドロイドに感情はあるか。愛を理解出来るか。
 というテーマだから、テーマ自体崩壊しているこの作品では、主人公アルバートも避けて通れないのよ……おかしすぎるのよ……。

 アルバートの前に現れた、謎のアンドロイド、エルザ@みれいちゃん。
 亡き妻ミレーヴァ@べーちゃんに瓜ふたつだというこのアンドロイドは、他の「言われたことしか出来ない」アンドロイドたちと違い、自分の感情で行動しているように見える。
 そして彼女はアルバートに、「感情を教えて欲しい」と言う。「愛を理解したい」と。

 アルバートとエルザはデートをしたりして、心が近づいていく。
 ふたりは盛り上がり、良いムードになって、そして。
 エルザは突然ショートしてしまう。
 感情回路が高まりに耐えられなくなったらしい。

 えーと。
 メーターぶっちぎったためにショートした、ってことは、感情がある、ってことよね?
 そのメーターを動かしたエネルギーはなに? 感情よね? そして、現段階では100までしかメモリがなく、感情が高ぶり100を超えてしまった。ショートした。
 「愛」はメモリ100なんてもんじゃないぜ、200は必要だぜ! なんたって「愛」だからな!
 というなら、単に容量の問題だよね。200まで昂ぶることができるように、改良すれば良い。や、100とか200とかはただの例ですよ。

 エルザがショートした、というのは、物理的な出来事だ。
 現実に故障したのだから、原因がある。感情論じゃない、洗濯機が故障するには原因がある。
 耐えられない負荷が生じた……その負荷ってナニ、これまで存在するモノではそんなもんは生じてない。「感情」というモノが生じたために、そしてそれが大きすぎたために、故障したんだ。

 なのにアルバートは、エルザに向かって突然、「君に愛を理解するのは無理だった」と言い出す。
 ちょっと待て科学者。
 おかしいだろう。
 ショートした、ということ自体がアンドロイド科学の大きな進歩ですがな。

 アルバートが突然キレる意味がわからなくて、マジにぽかーんとした。
 キレ方がまた、感情的だし。失敗を分析してその先につなげる意欲ナシで、脊髄反射みたいな完全否定。子どもか。
 や、もともとアルバートが「子どものような、気まぐれで感情的な天才科学者」「気に入らないことがあるとキレる、人格に問題のある人物」として描かれているならそれでいいけど、「クールでかっこいい大人の男」として描かれてきただけに、突然の人格崩壊にはびびった。

 や、「彼は科学者である前に、ひとりの男なのです」という意味で、「妻と瓜ふたつの存在」へ複雑な思いを抱いていた、それゆえにあんなキレ方をしたのです、ってか。
 繊細論で齟齬を覆い隠すやり方。「なんで彼はそんなことをしたの?」「繊細 だからです」「どうして彼女はあんなことを言ったの?」「人間の心は複雑なんです」……整合性に欠けるときは、なんでもかんでも「繊細だから」「人間だから」と言っておけばOK、だって無の証明は出来ないからね! というやつを発動? 魔法の言葉「軍事利用」と同じく。

 ともかく。
 ここで「感情が高ぶってショートするなんて素晴らしいよ!」と肯定してしまうと、このあとのストーリーにつながらない。
 ストーリー展開の都合で、「ここで拒否」という手順を踏んでいるようにしか見えない。
 アルバートは科学者でありながら、論理的な思考がまったく出来ない。彼にあるのは破綻した感情論のみ。

 『相続人の肖像』と似ている。何故そこで主人公がそんな支離滅裂な言動を取るのか理解不能、いや、理解は出来ないが、理由はわかっている、作者の都合だ、そうしないと話が進まないから、主人公の人格を壊しても、わけのわからないことをさせる。


 とまあ、1幕ですでに相当おかしかったんだけど。
 1幕終わりに、大きな爆弾が来る。

 アルバートは人間ではなかった!!
 本物のアルバートはすでに死に、今ここにいるアルバートは、トーマス@マイティーが作ったアンドロイドだった!!

 えええっ!!

 この「引き」自体はいい。整合性はともかく、フィクションにはこれくらいの盛り上げ必要。

 アルバートがアンドロイドだったとしたらおかしいことが1幕にはいろいろあったけど、それは1幕ラストのどんでん返しを効果的に盛り上げるためだとしたら、その程度の齟齬はOKだと思う。
 や、ほんとうならそこまで計算し尽くしてほしいけど、大筋さえ誠実なら、些末な部分の嘘はかまわないと思うの。完璧に正してモノより、面白いモノが見たいから。

 だから、それはいいのよ。
 でも、この「アルバート=アンドロイド」設定には、どうしても看過出来ない問題があった。

 せっかく1幕ラストでこんだけ盛り上げたのに。
 この盛り上げ自体は、多少の構成上の粗を吹っ飛ばす、よいエンタメぶりなのに。

 ってことで、new谷せんせを見習ってここで「引き」を作ります。
 翌日欄へ続く!!
 わたしがこの『アイラブアインシュタイン』を観て、初お目見えの新人演出家の谷貴矢先生に対して抱いた、いちばん端的な、最大の感想は。

 バカなの?

 ……だった。

 すんません、自分もバカなくせに、ナニ言ってんだか。でも、バカだからひとさまをバカだと思わないわけもなく、いやひとさまをバカだと思うこと自体がバカの証明、アタマいい人はひとさまにそんなこと言いません……って、めんどくさいなヲイ、とにかく、自分のことは棚上げして、シンプルにそう思ったのよ。

 「アンドロイドに感情はあるのか?」というテーマだったり、「アンドロイドと人間の対立」だったり、「アンドロイドの軍事利用」だったり、「アンドロイドは冷酷」だったり、道具と社会的弱者の混同とダブスタだったり、いちいちいちいち、アタマ悪いとしか思えないことばかりしている作者。

 でも、それらすらぶっ飛ばす、最大の間違いが、2幕で披露される。


 えー、『アイラブアインシュタイン』は、アンドロイドを取り扱った物語です。
 タカラヅカでアンドロイドを扱うなんて! という、新人作家らしいモチーフで、新風を期待させました。

 だからわたしも、アンドロイド物だと思って観ていました。
 アンドロイドの描き方が破綻しまくっていて目眩がしたけど、それでもアンドロイド物だと信じていました。

 1幕ラストに、主人公が実はアンドロイドだった! と告げられ、「おおっ、すげーな!」と思いました。この大どんでん返しをやりたくて、あえてアンドロイド物だったんだ! と、思いました。

 しかし。

 new谷せんせは、「アンドロイド」がナニかを、知らない??

 ここまで、アンドロイドアンドロイド言っておいて。
 「アンドロイド」を知らない。

 主人公アルバート@あきらは、人間ではなかった。
 彼は、トーマス@マイティーによって作られた、アンドロイドだったのだ!

 アンドロイドは感情を持たない。でも、アンドロイド・アルバートには、感情もアルバートとしての記憶もある。何故か。
「死んだアルバート博士の脳を移植したからだ」

 ソレ、「アンドロイド」チガウやん!!

 アンドロイドとは、人造人間のことだ。ロボットのことだ。
 中身(脳)が人間ならばそれは、ロボットではない。

 ソレは、「サイボーグ」だ。

 サイボーグは、もとは人間であったモノを、機械化したもの。
 脳だけオリジナルで、あとは全部機械、とかもあり。

 今までずーっと「アンドロイドに感情はあるのか」とやってきておいて、全否定。

 アルバートとエルザ@みれいちゃんにだけ感情があるのは、それぞれ死んだ人間を移植したから。

 つまり、アンドロイドに感情はない、ということになる。

 さんざん「エルザはふつうのアンドロイドとチガウ」ってやっておいて、「アンドロイドではなく、サイボーグだからです」って。
 そして、感情を持ち愛を知るアルバートもまた、サイボーグ。

 アンドロイド関係ないやん。

 感情はないとされたアンドロイドたちが、結局感情を持つように描かれるのだが、それはアルバートともエルザとも無関係だ。だって彼らはサイボーグ、アンドロイドたちがどう変化しようと別次元。

 なのに、すべてが混同して描かれる。
 ダブルスタンダードだらけ。
 作者都合にあわせて動物になったり鳥になったり、おいしいとこ取りのコウモリ行動のみで展開する物語。

 この作者、バカなの??
 ちょっと類を見ない混迷ぶり。

 物語を読んだりしないのかしら?
 おかしいところだらけで、目眩がする。
 誰かプロット段階で添削してあげないの? おかしいって指摘してあげないの?

 アンドロイドというSF用語さえ使えばなにやってもいいと思ってる?


 あー、こーゆーこと書くと、「アンドロイド」と「サイボーグ」の定義論に発展します? 法律があるでなし、全人類が納得する明確な定義はないのでしょう。
 「人間の脳を移植してもアンドロイドだ」とnew谷先生は思っていて、それを間違いだと決めつけるわたしが間違っているのかも。

 だとしても、「人間の脳を移植したアンドロイド」と「ただの人型機械」を同じ俎上で「感情はあるのか」と語る物語には「アホか」と言わしてもらいます。
 すべてが謎に包まれた『アイラブアインシュタイン』

 テーマも設定もわけわかんないんだけど、その上、物語の流れっちゅーか構成もおかしいの。

 この物語はたぶん、1幕ラストの「アルバート@あきらはアンドロイド」だという爆弾を派手にぶち上げることを基軸として、構成されている。
 この「引き」はいい。エンタメはこれくらい派手にやるべきだ。

 ただ、1幕ラストで大どんでん返しをやるために、容量配分が難しくなってくる。
 起承転結の「起」だけで1幕、「承・転・結」を全部2幕でやるはめになる。

 アルバートがアンドロイドだった、ということが物語の最終回答になるなら、1幕で「起・承・転1」とやって2幕で「転2・結」にできるけど。
 アルバートがアンドロイドだった、ということがわかったあとで、さらに話が進む・むしろここからスタートする、作りだよね?
 なのに、尺は2幕(しかもフィナーレ分、時間が短い)しかない。

 コレって相当大変なこと。

 なのに、だ。
 その貴重な尺を使って、どーでもいい情報をだらだら見せられる。

 1幕の「起」で描かれているのは、現在の社会情勢、アルバートやトーマス@マイティーなどキャラクタ紹介、悪役たちの主張。アルバートとエルザ@みれいちゃんが出会い、心が近づく様。
 説明が主で、物語自体は進んでない。
 まあ、バウホールの1幕なんて大抵そんなもんだ。
 その説明の一環でもある、1幕ラストの爆弾「アルバートはアンドロイド」。

 さあこれで、事前解説は終わった。ここから物語がはじまる、本編がはじまる……!
 はずの、2幕。

 なのに、何故かえんえん、アルバートとミレーヴァ@べーちゃんの昔話。

 えーと。
 今ソレ、必要……?

 や、ちょっとだけ描いてくれる分にはいい。言葉で解説するだけでなく、実際にふたりがラブラブしているところを見せてくれるのはいい。
 ただ、長い。
 全10話の連続ドラマなら過去回があってもいいけど、120分(フィナーレ込み)の短編で、ナニやってんだ? 「こんなふたりでした」というだけなら数行で済む内容を、何十ページかけて解説するの……?

 それでも、これからはじまる「本編」に必要な情報があるんだと思って、長い長い過去話を眺めていた。
 ……けど、肝心なことはスルーされた。

 えええ。

 必要なのは、「ふつうの男女のラブストーリー、しあわせいちゃいちゃ→夫婦にはすれ違うこともある→でも愛してるんだよ」とかいう、ふつーのカップル話ではなくて。

 何故、肝心な「事故」が語られてないんだ?

 アルバートをかばってミレーヴァが死に、アルバート慟哭、憑かれたように研究没頭、その後壮絶な最期……を描くべきじゃ?
 肝心なとこを描かずにだらだら時間だけ取って。
 そこがないと、トーマスが何故偽アルバートを作ったか説得力ない。

 アルバートの罪はナニ?
 アンドロイドなんてもんを作ろうとしたこと?
 ミレーヴァを死なせてしまったこと?

 アルバートの最大の罪は、自殺したことじゃないの?

 トーマスが許せなかったのはソコじゃなかったの? ミレーヴァを事故死させたことより、その死から逃げたこと。

 でなければ、アルバートの脳を移植して「死んだ人間を甦らせる」ことをしないだろう、トーマス。甦らせた偽アルバート相手に、友だちの振りして生活しないだろう。

 記憶を取り戻したアルバートも、トーマスも、そこをスルーしてるのが理解できない。
 それよりもアンドロイド研究が大事?
 や、人間の脳と心臓を移植して作ってる段階で、アンドロイド計画はブレている。
 人間の臓器を移植しないと心は得られないってことじゃん? 答え出てるじゃん、自分たちで。


 ほんとに、心から、「何故、アルバートをアンドロイドにしなければならなかったのか」がわからないの。わたしには。
 物語としての、必要性が、わからないの。
 てゆーか「不要」だと思う……このストーリーラインに。
 ただ「1幕ラストでびっくりさせたかった」以上のモノを感じない。

 わかんないけど、そういうことになっているから、そのまま話を進める。

 1幕で状況説明とキャラ紹介やって、2幕でえんえん回想編やって。
 それでようやく、「すべての説明が終わった」ところから、本編がはじまる。
 アンドロイドの人権問題(ダブスタ)と、軍事利用しようとする悪の組織との対決だ。

 これがもー、ひっどい内容で。
 ここまでかけてえんえん説明された「アンドロイドとこの世界」と整合しない、破綻しまくった内容なの。

 つづく。

1 2

 

日記内を検索