この公演はすごい。@心中・恋の大和路
2014年3月15日 タカラヅカ 『心中・恋の大和路』がすごい!という話をしよう。
そもそも和物ってだけで敬遠されがちだし所詮心中モノだし、好き嫌いは分かれると思うよ。再演を重ねられてきた分、過去と比較もされるし、観客の立ち位置によって受け取り方も違うと思う。
まあそんなこんな、一切合切を置いておいて。
そーゆーこととは、まったく別の次元で。
『心中・恋の大和路』は、すごい。
聞いて驚け。
歌のヘタな人が、いない。
……すごいっしょ?
あり得ないでしょ?
快挙でしょ?
宝塚歌劇団公演なのに、ヘタな人がいないの!!(笑)
てゆーか、うまい人しか、歌ってないの!!
すごいでしょ?
驚くでしょ?
我が目を、耳を、疑うでしょ?
そりゃさ、キャストの中には歌が苦手な人もいるよ。でもそーゆー人は、歌ってないの。
歌がうまい人だけが、歌ってる。番手関係なく。
いやあ、すげえよ。
感動だよ。
ヘタな人がいない、うまい人だけが歌っている……これだけのことで、こんなにこんなに印象が変わるのか。
いいもん観たー!!感が上がるというか。
タカラヅカは歌唱力だけを重視する劇団ではないので、歌がうまい=スターではない。
それはわかっているけど、純粋に歌える人たちだけで構成された舞台ってのも、いいもんですニャ。
特にこの作品、2幕はストーリーがほとんどなく、ショーのような構成になっている。
ショーで、ソロで歌う人がみんな歌ウマっすよ? そんなのアリ??
隣に坐った見知らぬ人が、2幕になると突然プログラムを広げ、少ない光源の中、必死にキャスト確認しようとしていることがあって、内心膝を打ちまくりでしたよ。
「ちょっ、歌ウマ!! 誰コレ?!!」と思って、あわててプログラムめくったんだよね。不意打ちっつーか、「ぜんぜん知らない人なんですけど?!」って。
で次の場面でもまた「この人もまた歌ウマ! 誰よ?!」、次の場面でも「この人もうまい!! ええっ、ちょっと待って!!」……その調子で、ソロ歌手が変わるたびにあわくってプログラム確認しているの。
うんうん、わかるわかる。わかるよー。本公演ではまずソロなんかもらえない人たちだもんね、知らないよねー。なんなら解説しますよ、村娘はありちゃん、後半に早口台詞で拍手もらってる子だよ、女の子は有沙瞳ちゃんだよ、さっきまで禿やってた子、デュオのふたり、片方はさっきまで槌屋の女将さんやってた子だよ、振り幅すごいよね! ちょろやの人が朝風くん、飴屋はあすくんだよー、イケメンな上に歌ウマの男たち! さらさ・ももひな・がおりレベルなら、区別ついてるよね……?
……って、上演中に話しかけられるわけもなく、お隣さんがあわくってる間、内心じれじれしてました(笑)。
いやもお、素晴らしいっすよ……!
こんだけ歌える子が歌っている、という現実。
歌はなかったけれど、りーしゃ、ザッキー、タジィだって歌えるもんねえ。
もちろん、主演のえりたんは「歌える」人だし。
昔彼の歌はいろいろ大変!なことになっていたけれど、花組に戻ってからオサ様の元でぐんぐんうまくなっていったし、「スターとして」「トップとして」必要な「見せる」歌い方が出来るようになった。
歌ウマさんではないのかもしれんが、タカラヅカのトップスターとして十分な「歌える」人だ。
相手役のあゆっちも娘役スターとして歌える人だし、なんつっても声のきれいさは武器。彼女の「ヒロイン声」は聞いていて気持ちいい。……でもこの芝居、ヒロインには歌の見せ場ないのだわ、主役とのデュエットだけで。
えりあゆはきれいに「歌」を作り上げている。
歌が苦手なせしるは歌なし、美貌勝負の役。
あと、ショー場面でひとこ君と蒼井さんが「美貌担当!」って感じにふたりで踊り出したのにはツボった。そうかそうか、君らの仕事はソレか!(笑)
歌だけでなく、芝居も、びっくりするようなヘタな子はいない。
ベテランと下級生と両極端に分かれた編成だから、もちろん技術や経験不足の子たちもいる。でもその子たちもうまく使い、悪目立ちするような配置にはしていない。
劇団推しのスター候補生だから!とかいう事情で、歌えない子に歌わせたり、発声できない子にべらべら喋らせたりしてないの。
適材適所。
……すごい。
すごいよこんなの。
タカラヅカなのに!(笑)
好みはいろいろあるから、ある人にとっての「素晴らしい公演」が、ある人にとっては「どこがいいの?!」だったりする。
だけどとりあえずこの『心中・恋の大和路』は、わかりやすい「すごさ」がある。
「歌のヘタな人がいない、歌える人しか歌ってない」という、「ものすごい」公演。
わかりやすい売り文句がある、っていいよね。
人に勧めやすい、語りやすい。
「ビジュアル担当が豪華衣装で黙って踊って、歌ウマたちが次々と歌いまくる公演だよー」
日本物だからとか心中モノだからとか、そーゆーので敬遠している人も、誘いやすい。
すごいよね。
そもそも和物ってだけで敬遠されがちだし所詮心中モノだし、好き嫌いは分かれると思うよ。再演を重ねられてきた分、過去と比較もされるし、観客の立ち位置によって受け取り方も違うと思う。
まあそんなこんな、一切合切を置いておいて。
そーゆーこととは、まったく別の次元で。
『心中・恋の大和路』は、すごい。
聞いて驚け。
歌のヘタな人が、いない。
……すごいっしょ?
あり得ないでしょ?
快挙でしょ?
宝塚歌劇団公演なのに、ヘタな人がいないの!!(笑)
てゆーか、うまい人しか、歌ってないの!!
すごいでしょ?
驚くでしょ?
我が目を、耳を、疑うでしょ?
そりゃさ、キャストの中には歌が苦手な人もいるよ。でもそーゆー人は、歌ってないの。
歌がうまい人だけが、歌ってる。番手関係なく。
いやあ、すげえよ。
感動だよ。
ヘタな人がいない、うまい人だけが歌っている……これだけのことで、こんなにこんなに印象が変わるのか。
いいもん観たー!!感が上がるというか。
タカラヅカは歌唱力だけを重視する劇団ではないので、歌がうまい=スターではない。
それはわかっているけど、純粋に歌える人たちだけで構成された舞台ってのも、いいもんですニャ。
特にこの作品、2幕はストーリーがほとんどなく、ショーのような構成になっている。
ショーで、ソロで歌う人がみんな歌ウマっすよ? そんなのアリ??
隣に坐った見知らぬ人が、2幕になると突然プログラムを広げ、少ない光源の中、必死にキャスト確認しようとしていることがあって、内心膝を打ちまくりでしたよ。
「ちょっ、歌ウマ!! 誰コレ?!!」と思って、あわててプログラムめくったんだよね。不意打ちっつーか、「ぜんぜん知らない人なんですけど?!」って。
で次の場面でもまた「この人もまた歌ウマ! 誰よ?!」、次の場面でも「この人もうまい!! ええっ、ちょっと待って!!」……その調子で、ソロ歌手が変わるたびにあわくってプログラム確認しているの。
うんうん、わかるわかる。わかるよー。本公演ではまずソロなんかもらえない人たちだもんね、知らないよねー。なんなら解説しますよ、村娘はありちゃん、後半に早口台詞で拍手もらってる子だよ、女の子は有沙瞳ちゃんだよ、さっきまで禿やってた子、デュオのふたり、片方はさっきまで槌屋の女将さんやってた子だよ、振り幅すごいよね! ちょろやの人が朝風くん、飴屋はあすくんだよー、イケメンな上に歌ウマの男たち! さらさ・ももひな・がおりレベルなら、区別ついてるよね……?
……って、上演中に話しかけられるわけもなく、お隣さんがあわくってる間、内心じれじれしてました(笑)。
いやもお、素晴らしいっすよ……!
こんだけ歌える子が歌っている、という現実。
歌はなかったけれど、りーしゃ、ザッキー、タジィだって歌えるもんねえ。
もちろん、主演のえりたんは「歌える」人だし。
昔彼の歌はいろいろ大変!なことになっていたけれど、花組に戻ってからオサ様の元でぐんぐんうまくなっていったし、「スターとして」「トップとして」必要な「見せる」歌い方が出来るようになった。
歌ウマさんではないのかもしれんが、タカラヅカのトップスターとして十分な「歌える」人だ。
相手役のあゆっちも娘役スターとして歌える人だし、なんつっても声のきれいさは武器。彼女の「ヒロイン声」は聞いていて気持ちいい。……でもこの芝居、ヒロインには歌の見せ場ないのだわ、主役とのデュエットだけで。
えりあゆはきれいに「歌」を作り上げている。
歌が苦手なせしるは歌なし、美貌勝負の役。
あと、ショー場面でひとこ君と蒼井さんが「美貌担当!」って感じにふたりで踊り出したのにはツボった。そうかそうか、君らの仕事はソレか!(笑)
歌だけでなく、芝居も、びっくりするようなヘタな子はいない。
ベテランと下級生と両極端に分かれた編成だから、もちろん技術や経験不足の子たちもいる。でもその子たちもうまく使い、悪目立ちするような配置にはしていない。
劇団推しのスター候補生だから!とかいう事情で、歌えない子に歌わせたり、発声できない子にべらべら喋らせたりしてないの。
適材適所。
……すごい。
すごいよこんなの。
タカラヅカなのに!(笑)
好みはいろいろあるから、ある人にとっての「素晴らしい公演」が、ある人にとっては「どこがいいの?!」だったりする。
だけどとりあえずこの『心中・恋の大和路』は、わかりやすい「すごさ」がある。
「歌のヘタな人がいない、歌える人しか歌ってない」という、「ものすごい」公演。
わかりやすい売り文句がある、っていいよね。
人に勧めやすい、語りやすい。
「ビジュアル担当が豪華衣装で黙って踊って、歌ウマたちが次々と歌いまくる公演だよー」
日本物だからとか心中モノだからとか、そーゆーので敬遠している人も、誘いやすい。
すごいよね。