線の向こう側から、連れてこられた子。@心中・恋の大和路
2014年3月27日 タカラヅカ 『心中・恋の大和路』感想つれづれ。
初の大役、与平@かなとくん。
劇団は入団当初から路線スターとそうでない子を選別していて、最初の路線認定から漏れた子はなかなか日の目を見ない。
かなとくんは漏れていた子で、ずーーっと役らしい役もなく、脇のその他大勢だった。
それが美貌と実力で、周回遅れだけれど路線コースに入ってきた。
それは心から喜ばしいことだ。
前回の新公でいきなり主演が決まったときは、大喜びしたもの。
新公主演の有無で、ここまで扱いが変わるのかと思った。他のなにより、ショーで。
下級生の立ち位置って、ほんとに変わるね。それまでと一線を置いてかなとくんの位置が変わっていて、新公主演の意味を改めて見せつけられた。……そりゃみんな、新公主演にこだわるわ。トップを望んでなくても、贔屓には1回だけでもとにかく新公主演して欲しいだろう……そのとき1回限りの真ん中どうこうだけでなく、日常の立ち位置を懸けて。
まあそんな風に、線の向こう側から「こっち」へ、突然連れてこられた男の子。
学年と経験値のわりに実力はある。……が。
盛大に、きょどってます。
真ん中経験の少なさが、モロに出ている。
突然の大役におろおろしてる感じ。もてあましている、どうしていいかわかっていない感じ。
かなとくんの与平は、とても優しく誠実さのある若者で、見ていて応援したくなる。技術でそう演じているというより、本人の一生懸命さが透けて見えているゆえ、という気がする。
それが与平としてうまく作用しているんだけど、……でもそれは結果としてであって、意図してそうなったわけじゃない。
劇団が路線スターを最初から分けて帝王学を叩き込むのがわかるなあ。あとから路線変更された子って、大抵きょどるよなあ。
居方がわからない、というか。
舞台にライトを浴びて立っている、それだけのことにとまどっている様子。
かなとくんはまともな子なんだろうなと思った。ふつーの人は、突然舞台の上で演技しろって言われても途方に暮れるじゃん? 嫌なら降りればいいけど、別に嫌じゃない、むしろやりたい、でもやりたい気持ちと実際舞台の上に立ってナニか出来るかは別、つか、どうしよう、なにすればいいんだろう。
突然スポットライト浴びて、調子に乗るタイプじゃないんだなー。まともだわー。ふつーだわー。
だから、がんばれ。
チョーシタイプでない限り、舞台の真ん中は、慣れるしかない。経験を積むしかない。
ひとつずつ、階段を上っていくしかない。
そして今いちばんの課題は、美しい表情の作り方を、学ぶことだっ。
せっかくの美形様なのに、なんちゃって美男子や雰囲気ハンサムじゃなく、マジに美形様なのに、表情で損してる!!
与平は純情青年、しょんぼりわんこ。いつもいつも泣きそうな困った顔をしている。そういう役。
……とはいえ。
ずーーっとずーーっと、いかなるときも、八の字眉毛で間延びした顔をしているのは、どうしたもんか。
せっかくのかなとくんの美貌がっ。
もったいない!
しっぽを垂れたしょんぼりわんこ演技も、「美しさを崩さずに」心情を表すことは出来るはず。つか、しろ。それがタカラヅカだ。
「きれいな顔にこだわって、くずさずにする芝居は薄っぺら。美を捨て顔をぐちゃぐちゃにして演じることこそが素晴らしい」という意見もあるだろう。
それは否定しない。必要なときに「きたない表情はしませんわ、ツンツン」なんてグラビア表情されたらたまらん。
必要なときは、崩してよし。
必要なとき、感情の高ぶった、ここぞ!ってなときにくずれるのはアリだろう。
そうじゃなくて、いつもただずーっときれいじゃない表情のままってのは、どうなのか、という話。
困ったとき、悲しいときに、顔を歪めることなら誰でも出来る。歪むんだから、きれいじゃなくなる。
きれいなままで、その歪みを表現するのがプロ。なにより、タカラヅカ。
なーんてぐたぐだゆってますが、ただ単に、わたしが、きれいなかなとくんを見たい。
「美しい泣き顔」「美しい、苦痛に歪んだ顔」が見たい。
泣かせてブスになる男の子より、泣かせるとなお魅力的できゅーんとなる子を、おねーさんたちは好むと思いますよ。
これからかなとくんがさらにさらに活躍するためには、「美しい泣き顔」が必須ですわ!(笑)
演出家やファンに「泣かせたい」と思わせる男役は、舞台で大成するよね。「泣き」はエンタメで、盛り上がり。盛り上がる場面・役をさせたいと思わせる=スター。
がんばってくれ~~。
かなとくんというと歌ウマ、歌える下級生という認識で、それゆえ重要な歌がある与平役は納得。
名曲「この世にただひとつ」は劇中何度も使われるけれど、与平がラストに歌うのがもっとも尺も長く、「歌の力」が要求される。
ラストにこの歌を歌うのが与平なのか、それとも歌ウマ2番手まっつなのかは幕が開くまでわからなかった。どっちもアリだから。
まあたぶんまっつだろうなと思いつつ、そのへんどうなるのかあまり気持ちをおかずに見ていた初日、2幕半ばで突然与平が「この世にただひとつ」を歌い出して、びびった。
あ、こっちが与平になったんだ。つーとやっぱ、ラストは八右衛門か。
16年前のコウちゃん版で、八右衛門@ケロが歌った「この世にただひとつ」を、今回は与平@かなとくんが歌ってた。コウちゃん版とは、八右衛門と与平の歌を入れ替えたみたいだ。道中のワンコーラスが八右衛門→与平、ラストのフルコーラス熱唱が与平→八右衛門。
そっか、八右衛門ではなくここで与平が歌うのか。そろそろ八様の歌が入るかと身がまえていたわたしは、「てことはまっつ、マジでラストまで出てこないぞ」と知り、ちょっと落胆というか身体の力を抜いた。
その、予期していなかったところでの、かなとくんの歌。
うーん……。
ヘタではないけれど、期待したほどうまくもない……。
正直、あれ、こんなもん? と思った、初日。
そして初日はラストにまっつのあの絶唱でしょ。与平でなく八右衛門がラストの大ナンバーを振られたのはそりゃ納得だと思った。
かなとくんの経験値のなさは、名曲歌唱にも出ていた。
そりゃそーだよね、脇育ちだとピンライトもらって1曲歌うなんて経験ないよね。自分の歌でトップさんが芝居をするなんて、ありえないよね。
そんな「畏れ多い」状態で、かなりいっぱいいっぱいだったのでは。
あのへたれわんこ八の字眉のまま、ただ一心不乱に……悲壮感漂わせて歌っていた。
や、だから。
公演が進むにつれての、成長度合いがハンパなかった。
表情はアレなままなんだけどさー、歌はさー、明らかによくなっていったんだ。
うわ、すごい。変わる。変わっていくんだ、この子。
今はただ、「真摯に演じること」だけがすべて。
きれいかどうかなんて眼中にない。がんばること、だけに必死で、それゆえに歌はどんどんよくなるんだろう。だって本人、必死だもの。必死なのが見えるもの。
……愛しいなあ。
一生懸命を超えたところにあるものにも、経験を重ねれば気がつくんだと思う。
今はそれが楽しみだ。
初の大役、与平@かなとくん。
劇団は入団当初から路線スターとそうでない子を選別していて、最初の路線認定から漏れた子はなかなか日の目を見ない。
かなとくんは漏れていた子で、ずーーっと役らしい役もなく、脇のその他大勢だった。
それが美貌と実力で、周回遅れだけれど路線コースに入ってきた。
それは心から喜ばしいことだ。
前回の新公でいきなり主演が決まったときは、大喜びしたもの。
新公主演の有無で、ここまで扱いが変わるのかと思った。他のなにより、ショーで。
下級生の立ち位置って、ほんとに変わるね。それまでと一線を置いてかなとくんの位置が変わっていて、新公主演の意味を改めて見せつけられた。……そりゃみんな、新公主演にこだわるわ。トップを望んでなくても、贔屓には1回だけでもとにかく新公主演して欲しいだろう……そのとき1回限りの真ん中どうこうだけでなく、日常の立ち位置を懸けて。
まあそんな風に、線の向こう側から「こっち」へ、突然連れてこられた男の子。
学年と経験値のわりに実力はある。……が。
盛大に、きょどってます。
真ん中経験の少なさが、モロに出ている。
突然の大役におろおろしてる感じ。もてあましている、どうしていいかわかっていない感じ。
かなとくんの与平は、とても優しく誠実さのある若者で、見ていて応援したくなる。技術でそう演じているというより、本人の一生懸命さが透けて見えているゆえ、という気がする。
それが与平としてうまく作用しているんだけど、……でもそれは結果としてであって、意図してそうなったわけじゃない。
劇団が路線スターを最初から分けて帝王学を叩き込むのがわかるなあ。あとから路線変更された子って、大抵きょどるよなあ。
居方がわからない、というか。
舞台にライトを浴びて立っている、それだけのことにとまどっている様子。
かなとくんはまともな子なんだろうなと思った。ふつーの人は、突然舞台の上で演技しろって言われても途方に暮れるじゃん? 嫌なら降りればいいけど、別に嫌じゃない、むしろやりたい、でもやりたい気持ちと実際舞台の上に立ってナニか出来るかは別、つか、どうしよう、なにすればいいんだろう。
突然スポットライト浴びて、調子に乗るタイプじゃないんだなー。まともだわー。ふつーだわー。
だから、がんばれ。
チョーシタイプでない限り、舞台の真ん中は、慣れるしかない。経験を積むしかない。
ひとつずつ、階段を上っていくしかない。
そして今いちばんの課題は、美しい表情の作り方を、学ぶことだっ。
せっかくの美形様なのに、なんちゃって美男子や雰囲気ハンサムじゃなく、マジに美形様なのに、表情で損してる!!
与平は純情青年、しょんぼりわんこ。いつもいつも泣きそうな困った顔をしている。そういう役。
……とはいえ。
ずーーっとずーーっと、いかなるときも、八の字眉毛で間延びした顔をしているのは、どうしたもんか。
せっかくのかなとくんの美貌がっ。
もったいない!
しっぽを垂れたしょんぼりわんこ演技も、「美しさを崩さずに」心情を表すことは出来るはず。つか、しろ。それがタカラヅカだ。
「きれいな顔にこだわって、くずさずにする芝居は薄っぺら。美を捨て顔をぐちゃぐちゃにして演じることこそが素晴らしい」という意見もあるだろう。
それは否定しない。必要なときに「きたない表情はしませんわ、ツンツン」なんてグラビア表情されたらたまらん。
必要なときは、崩してよし。
必要なとき、感情の高ぶった、ここぞ!ってなときにくずれるのはアリだろう。
そうじゃなくて、いつもただずーっときれいじゃない表情のままってのは、どうなのか、という話。
困ったとき、悲しいときに、顔を歪めることなら誰でも出来る。歪むんだから、きれいじゃなくなる。
きれいなままで、その歪みを表現するのがプロ。なにより、タカラヅカ。
なーんてぐたぐだゆってますが、ただ単に、わたしが、きれいなかなとくんを見たい。
「美しい泣き顔」「美しい、苦痛に歪んだ顔」が見たい。
泣かせてブスになる男の子より、泣かせるとなお魅力的できゅーんとなる子を、おねーさんたちは好むと思いますよ。
これからかなとくんがさらにさらに活躍するためには、「美しい泣き顔」が必須ですわ!(笑)
演出家やファンに「泣かせたい」と思わせる男役は、舞台で大成するよね。「泣き」はエンタメで、盛り上がり。盛り上がる場面・役をさせたいと思わせる=スター。
がんばってくれ~~。
かなとくんというと歌ウマ、歌える下級生という認識で、それゆえ重要な歌がある与平役は納得。
名曲「この世にただひとつ」は劇中何度も使われるけれど、与平がラストに歌うのがもっとも尺も長く、「歌の力」が要求される。
ラストにこの歌を歌うのが与平なのか、それとも歌ウマ2番手まっつなのかは幕が開くまでわからなかった。どっちもアリだから。
まあたぶんまっつだろうなと思いつつ、そのへんどうなるのかあまり気持ちをおかずに見ていた初日、2幕半ばで突然与平が「この世にただひとつ」を歌い出して、びびった。
あ、こっちが与平になったんだ。つーとやっぱ、ラストは八右衛門か。
16年前のコウちゃん版で、八右衛門@ケロが歌った「この世にただひとつ」を、今回は与平@かなとくんが歌ってた。コウちゃん版とは、八右衛門と与平の歌を入れ替えたみたいだ。道中のワンコーラスが八右衛門→与平、ラストのフルコーラス熱唱が与平→八右衛門。
そっか、八右衛門ではなくここで与平が歌うのか。そろそろ八様の歌が入るかと身がまえていたわたしは、「てことはまっつ、マジでラストまで出てこないぞ」と知り、ちょっと落胆というか身体の力を抜いた。
その、予期していなかったところでの、かなとくんの歌。
うーん……。
ヘタではないけれど、期待したほどうまくもない……。
正直、あれ、こんなもん? と思った、初日。
そして初日はラストにまっつのあの絶唱でしょ。与平でなく八右衛門がラストの大ナンバーを振られたのはそりゃ納得だと思った。
かなとくんの経験値のなさは、名曲歌唱にも出ていた。
そりゃそーだよね、脇育ちだとピンライトもらって1曲歌うなんて経験ないよね。自分の歌でトップさんが芝居をするなんて、ありえないよね。
そんな「畏れ多い」状態で、かなりいっぱいいっぱいだったのでは。
あのへたれわんこ八の字眉のまま、ただ一心不乱に……悲壮感漂わせて歌っていた。
や、だから。
公演が進むにつれての、成長度合いがハンパなかった。
表情はアレなままなんだけどさー、歌はさー、明らかによくなっていったんだ。
うわ、すごい。変わる。変わっていくんだ、この子。
今はただ、「真摯に演じること」だけがすべて。
きれいかどうかなんて眼中にない。がんばること、だけに必死で、それゆえに歌はどんどんよくなるんだろう。だって本人、必死だもの。必死なのが見えるもの。
……愛しいなあ。
一生懸命を超えたところにあるものにも、経験を重ねれば気がつくんだと思う。
今はそれが楽しみだ。