『心中・恋の大和路』まっつ語り、その2。

 初日はまっつだけでなく、全員がすごく「手順」っぽい印象があった。みんなまだ、おっかなびっくり「やること」に振り回されている感じ。
 そのぎこちなさのあるときのまっつが、なかなかに好みだった。
 もちろんまっつは初日から仕上げてきてるんだけど。それでも、はじめて「舞台」で息をした、という一種独特の空気は、ある。

 正直初日は、いろいろと違和感があった。
 まっつにも、えりたんにも。
 その、「あれ? なんかおかしくないか、これ??」と首をかしげていた……それがなんなのか、なにしろ初見だから自分でも判断がつかず、混乱したままだった……だからこそ、集中もするし、注目もする。

 ベンヴォーリオを、思い出した。

 八様とベン様はまったく別キャラだ。友を救えない、友の破滅をなすすべもなく見つめている、というシチュエーションが似ているだけで、性格はまったく違う。
 だから公演が進むと印象は変わったんだけど。
 初日はもっとも、ベンヴォーリオを彷彿とした。

 八様の痛々しさが、ハンパなかった。

 ベン様の、「このままこの人、壊れてしまうんじゃ……?」っていう、傷つきっぷり。もう心が返ってこないんじゃないか、ってな。

 でもって、ラストの絶唱ですよ。

 初日の八右衛門ソロがあまりにものすごすぎて、違和感とか全部ぶっ飛ばされたもん。
 こんな風に歌うまっつを、見たことない。
 心があふれてる。いや、暴れて、肉体という器からこぼれてる。
 そんな歌い方。

 で、大いにびっくりして、ちょこの公演これからどうなるの?!って思ったら、翌日の昼公演はすっかり落ち着いてた(笑)。

 や、たしかに熱唱ではあるんだけど、初日の、器が壊れそうなほどの絶唱ではなく。
 なんだ、こうなるのか、と少々肩すかしくらったら、その日の夜公演では落ち着きはしたけど、さらに熱量がアップしていて。

 やっぱ初日はいろいろとアレだったんだろうなあ。
 そっから先は、落ち着くところを見つけた上で、感情を発散させて歌っていた印象。

 感情任せのフルスロットルではなく、きちんとハンドル握りながらアクセル踏み切る感じ。
 まっつらしくて、そして、新しいまっつで。

 感情任せでいい、大泣きして歌えばそれでよし、という作り方をしない。
 あくまでも、正しく歌う。間違えない、踏み外さない。
 それでも、今までにない熱量を放出する。
 てゆーか、ここまで爆発的に歌って、踏み外さないのがすごい。
 ハンドリングの絶妙さ。
 新しいまっつ。この人またひとつ、階段を上がった。上のレベルに到達した。
 感情を前へ押し出すこと、そこに温度を加えること。

 初日にベンヴォーリオを思い出したけれど、あとになればベンヴォーリオとの乖離っぷりを思い知らされた。
 ベン様も友を思って1曲まるまる大ナンバーを歌いきるけど、あの頃のまっつはこんな歌い方はしていなかった。「場を支配する熱」はなかった。
 あの頃、この歌い方が出来ていたら、まっつの雪組人生も変わっていたんじゃ……?ってくらい、今はすげーことになっている。

 役者って、面白い。
 こんな風に、変わるものなんだ。

 当時のベン様だって、大好きだ。まっつの演じた役で、いちばん好きであることは、変わらない。
 でもそれは、あのときのまっつだから出来た役で、あのとき以外なら、あのベンヴォーリオにはならなかったんだろう。

 もどかしく、切ない。
 そして、愛しい。

 過去も、そして、今も。

 初日は八右衛門を見て、ベンヴォーリオを思い出した。
 繊細で、幼さのある八右衛門だった。砕け散る寸前に見えた。不安定で危うかった。儚かった。
 好みでしたとも! なにこれすごい、そう思いましたとも!

 でも、同じ八右衛門様でも、初日の八右衛門様には二度と会えませんでした。
 八様は大人の男性で、少年ではありませんから。ベン様とは似てませんから。
 それでいいのだと思う。


 まっつを「変わったなー」と思うのは、1幕のソロもだ。
 愉快な場面でさんざん笑いを取ったあとだ。セットが中央から開き、八右衛門@まっつが登場する。突然のドシリアス。
 DCの舞台上、まっつひとり。
 セットもナニもない、正味ひとり。
 その状態で歌うまっつの、支配力。
 舞台を、劇場を、完全に掌握している。

 この人の芝居を、「バウホールサイズ」と思ったことが、あったっけ。
 バウだといい芝居するんだ。でも、大劇場では弱いし地味だし、その中間のDCでも、前から5列目以内に坐らないと、伝わらない。
 あれは何年前? このDCで、やはり2番手役をやっていた。誠実な役作り、堅実な芝居をしていた。でも、弱かった。前方のかぶりつき席で凝視しないと伝わらなかった。
 ええ、『MIND TRAVELLER』ですよ。タカラヅカが誇る珍作のひとつ。まっつは「海馬の帝王」なんつー、トンデモ役をやっていた。
 トンデモだからいくらでもはじけられるのに、そうはならず、半端な存在だった。トンデモにならずリアルな造形を心がけたってのもあるんだろうけど、それとコレとは別、だって地味だったもん。ハコの広さに合ってなかったもん。(なんてことを書いてると教授に会いたくなって、ニコ動行ってきました・笑)

 昔、たしかにDCの広さに負けていたことがあった。
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-86.html ←とか、その前後の記事でも書いてる。(いやその、ほとんどは「まっつかっこいい」「まっつ好き」しか書いてないけど、盲目語りの最後にちょろっと、危惧している部分も)

 でも今、まっつはDCを掌握している。支配している。

 役者は、変わる。

 タカラヅカは期限のある世界なので、多くは「変わる」前に卒業してしまう。
 まっつもふつうの「新公主演経験のある男役」として研10あたりで卒業していたら、「バウサイズの人」という評価で終わっていたんだ。
 中劇場のセンター場面ひとつも務まらない、そんな役者。本公演だと台詞3つの脇役が妥当よね、てか。
 長く留まってくれたから、続けてくれたから、彼が「変わる」のを見ることが出来たんだ。

 ぞくぞくする。
 ひとりの役者が変わっていく姿……今また、「変わる」姿を目の当たりにする、快感。
 『BJ』を経て、『ベルばら』を経て、確実にこの人は大きくなっている。
 DCと青年館で単独主演した。相手役も2番手も設定されてない、ほんとにピンで打った公演だった。
 歴代トップスターが演じたアンドレを、「今宵一夜」を大劇場と東宝で演じた。
 それだけの経験のある彼は、もうDCぐらいじゃ、大きさに負けることはない。

 主演のえりたんがベテランなのはもちろん、主人公の親友で2番手役のまっつが、えりたんのベテランぶりに一歩も引かないからこそ、この作品に力が生まれている……その要因のひとつだと思う。

 舞台はナマモノで、役者もまた生きた人間なんだ。
 同じモノは、ない。
 今のまっつだから、この八右衛門がある。

 舞台って、面白い。

 そして、切ない。
 八右衛門にも、もうこの公演以外では二度と会えないし、ベンヴォーリオにも、もう決して会えないんだ。

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