8月になった。
 なってしまった。

 『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』東宝初日行ってきました。
 演出的に大きな変更はなく、すっげーささやかな微調整入ってるかなあ、ぐらい。

 なんだけど、個人的に「!!!」だったのは、えりたんが支えナシで松風から降りた!!こと。

 『一夢庵風流記 前田慶次』には、馬の松風が登場する。
 外部のプロの方が演じている、生きた馬。主人公の前田慶次@えりたんが、この馬の松風に颯爽と乗り降りする……場面が、劇中何度もある。
 この松風の乗り降り、たぶん安全性の問題で、「支えをつけること」が決まってるんだと思う。
 大野先生は細心の注意を払って、不自然ではないように松風に人が集まった状態でのみ、慶次を乗り降りさせてきた。
 支えメンバーが集まらないときは、慶次はいつまでも馬上にいる。人が集まったぞー、と思うと、すらりと降りる。
 えりたんはとても軽々と乗り降りしていて、支えなんか不要に思えるけど、それでも絶対誰か2名以上は松風の横に付いた状態でないと乗り降りしないので、そういう「契約」なんだと思って見ていた。

 それが。
 ラストの1回だけなんだけど、えりたんが支えなしで降りるのよ。
 びっくりした。
 そんなこと出来るのか。していいのか、って。

 そして、「つちかった信頼関係」を思って、じーんとした。

 ムラで1ヶ月乗り降りしてきて、「支えなしでも大丈夫」と判断されたんだろうな。
 不要に見えても、不自然でも、絶対に支えの人がはべっていたのに。それが安全上の決まりだったんだろうに。
 そういった縛りを超えられるくらい、互いの絆が強くなっているのかと。


 あー、あと、聚楽第の鉄砲隊の扱いが、見るたびに変わるというか、落ち着かないのは何故?
 初日は金色の幕が落ちると鉄砲隊登場、翌日午前公演は幕なしで号令と共に鉄砲隊登場、午後公演は幕あり。
 ナニがしたいのか、いまいちわからん(笑)。


 それ以外でわたしが気づいたのは、重太夫関係ぐらいかな。登場シーンがザッキー含めより大げさに胡散臭く、あと各種「重太夫メロディ」のアレンジが派手になっていた、印象。そこまでバカっぽくしなくても……ってくらい、わかりやすく(笑)。


 松風はますますノリノリに、どんどん演技過多になっていて、ショー場面のジャンプの高さにびびる(笑)。
 ちょ、松風、松風、やり過ぎやり過ぎ! 馬はそんな風に真上に跳ばないから!! そんな骨格も筋肉もしてないから!(笑)


 松風といえば、松風ぬいぐるみマスコットを鞄につけて観劇していると、いろんな人に話しかけられて、交流の輪が広がります。ほっこり「ヅカファンって、いいなあ」という気持ちになれます。
 や、大抵「買えたなんてすごいですね! いいなあ!」てな導入。
 発売から数時間で売り切れるような生産管理ってどうなの、と劇団のアホさを嘆く……のとは別に、そうやってレアグッズとなりはてた松風だから、知らない人から「あ、松風!」と反応され、会話のきっかけになる。そっから、公演の感想や「壮さん辞めるの惜しいですよね」とかいう話になる……のは、いいかも。
 他愛ないヅカトーク楽しい。
 松風を持っている・松風グッズに反応する=一見さんではないヅカファンである、ってことで、お互い安心して話せるのなー。
 んで、知らない人相手にいきなりディープなことやマイナス意見を振ることもないから、ほんとにただキラキラした美しい思いだけを交わすことが出来る。
 贔屓退団で身も心も疲れ切っているもんで、この「他愛ない、好意だけの会話」ってのが、なかなか染みるのよーー。

 タカラヅカっていいね。
 同じモノを好きで集まった人たちって、いいね。楽しいね。

 ショーもあちこちアレンジ変わってない? 気のせい? 翔くんの銀橋ソロの導入部とかさー。


 まあともかく、ムラと同じにシンプルに劇場だけ変わりました、という印象。
 大野くん、作品大幅改編してくれても良かったんだけどな(笑)。


 ムラでサヨナラショー観て、袴姿のパレード見て、もうすっかり「卒業」を意識にきざんでいる面があって。や、まっつ退団は未だに受け入れられてないんだけど、それとは別チャンネルで。
 もう「終わった」はずなのに、またこうして「別の場所」で同じことをしている……というのが、不思議な気がした。

 もちろん、東宝がラストなのはわかっている。ムラでも「まだ東宝がある」と思っていた。

 でもわたしはムラがホームなので、ムラが終わることが「区切り」になる。
 東宝は「終わったあとに、まだ残りがあった」という感じかな。「まだあったんだ、うれしいな」と特別感を置く……自分の意識を騙す感じ? 最初から「東宝まで」を全部と考えるのではなく。

 もともと東宝は遠い劇場。距離だけでなく、気持ちの面で。
 それが今回さらに大きくなった気がする。

 もう、ここに来ることもなくなるんだなあ。

 そう思うことで、より距離を感じる。
 ムラはホームだから、これからも通うけれど、大阪人のわたしはわざわざ東京まで「すでに観た」公演を観に行くことはない。
 千秋楽より初日が好きなんだもん。ムラで初日を観られる以上、わざわざ東宝まで遠征することはなくなる。
 どんだけ「ムラは公開舞台稽古。東宝が本番。舞台クオリティが高いのは東宝。東宝を観ずに公演を語るな」てな風潮がヅカにあるとしても、だ。
 や、わたしがお金持ちなら、遠征もばんばんするけどさー。いいもの観たいしー。でも現実問題、お金ないんだもん。

 まっつを観るために遠征していたのは、お金があるからではなく、まっつを観たいからだ。
 びんぼーで、生活に余裕なんかまったくないけれど、人生の優先順位に従って、まっつを観に通っていた、というだけのこと。
 まっつがいなくなれば、少ない収入の優先順位で「ヅカ遠征」の位置はかなり下がる。
 仕方ない。わたしはまだ、生きていくつもりだから。生活しなきゃなんないから。

 おかげで、東宝劇場がさらによそよそしい(笑)。
 アウェイだなあ、と思う。
 このアウェイ感のまま、まっつを見送るんだなー。
 仕方ない、今までもがんばって遠征していたけれど、所詮わたしは東西股に掛けられるくらいのお金持ちではなかった。自宅と仕事のあるムラでなら、そこで生活しつつ20回観られても、東京に公演の間だけ1ヶ月住み、ムラと同じ頻度で劇場に通うことは、出来なかった。出来ない以上、東宝はホームにはならず、アウェイのままだ。

 いろんな意味で、さみしい。

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