初日に観たときは、めちゃくちゃ感動して、大泣きした『新源氏物語』ですが……。

 何故だ。
 2回目観に行ったら、すっげー眠かった。

 なんつーかこー、平板な演出だなあ……。
 もう少し緩急付けることは出来なかったのか、とか、話わかりにくくね? とか、台詞聞き取りにくいなあ、とか。
 席の問題かなあ。初日は2階席で、2回目は1階上手前方だったんだけど。

 席が近い分、キャストの顔はよく見えて、それは楽しいんだけど、話がどうにも……「遠い」なあ。わたしの心が、物語に対して距離を感じている。
 なーぜーだー。

 ジェンヌさんの顔を見ることにかまけちゃって、気持ちが散漫だったのかな。
 わたしには多分にそーゆー面がある。浅い人間なので、「舞台に近いー、きゃ~~うれしい~~」「ジェンヌさんと目が合った~~」だけでお手軽に舞い上がれる。で、そっちに気が行って、物語をまともに咀嚼できなくなる。
 『ガイズ&ドールズ』もそうだったんだよなあ。初日は2階B席で観て大泣きしたくせに、2回目は1階5列目で観てぜんぜん泣けない、とかな。
 いやあ、人間小さいっす。

 わたしの問題ではあるのだけど、それにしてもこの『新源氏物語』、客を選ぶ話じゃないか?
 わかりにくいわ~~。
 なんつーか、「積極的に物語に入っていかないと、閉め出される」感じ。
 なんの気概もなく、「与えられて当然」な気持ちで椅子に坐っていると、目の前にカーテン閉められちゃうの。紗のカーテン。なにが起こっているのか透けて見えるからわかるんだけど、ぼやけた状態でしか見えないから、入り込めない。
 なにもしなくても「与えられる」と思わずに、自分から「関わってやるぞ!」と前のめりになってはじめて、物語が見えてくる。

 初日はわたし、すっげー前のめりだから。気持ちが。
 すべてを味わってやる、って鼻息荒く舞台に集中している。
 だから、物語への耽溺度がすごい。
 めっちゃ入り込んで感情移入して、わんわん泣く。

 わたしは欲深いから。
 余計な雑音なく、自分で、すべてを味わいたい。
 すでに観た人の評価だとか感想だとか、耳に入れたくない。それがなんであれ、「わたしが」判断したい。
 「わたしが」感動したいんだ。
 わたしはわたしが欲しいモノを得るために、最大限の努力をする。
 チケットを取ることも、その日時に劇場へ行けるようにすることも、努力。
 そして、「味わってやる!」とゆるい感性叩き起こしておんぼろ集中力に激飛ばして、目の前の舞台に食らいつくのも、努力。
 わたしが、そうしたいから。
 わたしが、愉しみたいから。

 初日はねえ、体調や精神状態がどうあれ、テンションMAXで臨むからなー。
 でもリピートだと、そこまでいかないというか、ゆるむというか……。

 あああ、せっかくの良席で、なんでこうゆるくなっちゃうんだわたしは。
 もっともっと、研ぎ澄ませて受け取りたいのに。いろんなことを。
 もったいない、や、「わたし」が。

 くそー。
 集中力の衰えは、ほんと加齢を思い知りますわ。若い頃はもう少し、自在に視点を置けたのにな。老いるというのは切ないことですわね……ほろほろ。
 でもま、そのときそのときに感じたことが財産、わたしの糧となる。それは、これから先さらにわたしが衰えたとしても、変わらない。
 そのときそのときが、その時点での真実。その時点でのわたし。

 集中力の低い状態で観ると、紗のカーテン越しのように感じてしまうのもまた、まぎれもなくわたしの感想。

 はー、みりお様美しい……。
 それだけのことに感動する。それもまた、まぎれもない真実。

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