全国ツアーを考える。

 大昔はともかく、「全国ツアー」という名前になってからの本拠地以外の各地方を巡業する公演は、「トップスター主演」が基本だったはずだ。
 それまで「地方公演」という名称だった巡業公演が「全国ツアー」と改められたのは、いいことだと思う。や、「地方」呼びは失礼だよな~~。変更されたのは90年代かな。宙組発足あたりが分岐点という記憶。

 本拠地含む決まった劇場での公演は、スタンスとして「宝塚歌劇団がなんたるかを知る人」を客として想定しているのだと思う。わざわざ定位置に、客の方から足を運ばせるのだから。ゆえに、「タカラヅカ」であることは前提で、そのうえで「誰が主演」「どんな演目」にこだわる。
 だが全国ツアーの各会場はチガウ。客ではなく、劇団の方から足を運ぶ。客は「誰が主演」「どんな演目」以前に、「タカラヅカである」ところまでしか着眼しない。
 劇団への興味 < 手軽さ
 地元で観られるから観る、そうでなかったら一生観ない。そういう層を想定しているのだと思う。
 もちろん、日本中にヅカファンはいるだろうし、全ツだからといってタカラヅカに知識も興味もナイ人ばかりだと思ってるわけじゃないし、地元に来たから観た→大ファンになった、という人もいるだろうけど。
 全ツは「未体験の人にタカラヅカを知ってもらうため」「普段タカラヅカを観ない人に観てもらうため」にやっているのであって、「全国各地のヅカファンに、家の近くでヅカを観られるという、兵庫県民や東京都民の生活を疑似体験してもらうため」にやっているのではない思っているの、わたしは。
 で、ヅカと接点のなかった人たちに「ほーら、地元にタカラヅカがやってきますよ」と提示する「タカラヅカ」というのは、どのスターとかどの演目ということよりなにより、「タカラヅカ」であることが重要なんだと思う。

 誰でもイイ、なんでもイイ。
 それなら、誰がどんな演目で行ってもいいじゃん。

 ということではなく、誰でもなんでもイイからこそ、誰でもなんでもよくはない、んだ。

 地方の人たちにとって、全ツで出会う「タカラヅカ」は、「宝塚歌劇団そのもの」なんだもの。

 「宝塚歌劇団」の看板を背負って全国各地を回る。ヅカに興味ナイ人たちに「タカラヅカ」を宣伝する。
 そんな重責を任せられるのは、トップスターのみだ。

 宝塚歌劇団に、常時5人しかいない存在。
 隆盛や停滞逆風いろんなことがあるにしろ、常時5人、選ばれた稀有な存在。
 宝塚歌劇団の名を背負って興行できる、劇団から給料をもらっているすべての関係者の名誉と生活を保障できる能力を持ち、その責任を果たせる、たった5人の人間。
 彼らが興行するからこその、「全国ツアー」。

 だと、わたしは思うんだよな~~。
 そして劇団も、わたしとそれほど違った考え方はしてないと思うんだな~~。
 そうでなければ、この20年間に行われた全ツ、ある程度のスターなら誰でも行っていい、ってことになってたと思うもの。そうじゃなく、ずっとトップスター限定だったのは、「誰でもイイ」わけじゃなかったからでしょ?

 全国ツアーは、トップスターが行くモノ。

 この認識は、間違っていないと思う。

 近年、トップ以外のスターが全ツ主演している。だが彼らは通常、「次期トップ確約済」だ。
 特別な存在である「トップスター」、そのプレお披露目……「次代の最重要人物」が率いる公演、というのは、これまた意義の上でプレミアが付く。「誰でもイイ」とは真逆の人選だ。

 ……ということで。

 2015年10月1日の劇団発表は、平成以降の劇団史に残るイレギュラーなものである。
2016年 公演ラインアップ【全国ツアー】<3月~4月・月組『激情』『Apasionado!!III』>
2015/10/01
10月1日(木)、2016年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、全国ツアーの上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   
月組
■主演・・・珠城 りょう、愛希 れいか

◆全国ツアー:2016年3月19日(土)~4月17日(日)

ミュージカル・プレイ
『激情』—ホセとカルメン—

脚本/柴田 侑宏 演出・振付/謝 珠栄

メリメ原作「カルメン」をモチーフに、ドン・ホセが宿命の女カルメンに翻弄され、彼女への愛ゆえに堕ちて行く様を情熱的に描き出したミュージカル作品です。1999年の姿月あさと、花總まりを中心とした宙組による初演時には、第54回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞。2010年の柚希礼音、夢咲ねねを中心とした星組による全国ツアーでの再演も好評を博した秀作に、月組選抜メンバーが挑みます。

ファナティック・ショー
『Apasionado(アパショナード)!!III』

作・演出/藤井 大介

“Apasionado”は、スペイン語で「熱い」「情熱の男」という意味。「熱」をテーマに、熱いリズム、熱い血潮、燃え上がる恋、嫉妬の炎、命を賭けた情熱など、様々な「熱」の形を具現化した、情熱的でエネルギーに満ちたダンシング・レビューです。2008年に瀬奈じゅんを中心とした月組で、2009年に大空祐飛を中心とした宙組で上演された大人の雰囲気溢れるショー作品を、ブラッシュ・アップしてお届け致します。

 現在の月組トップスターは龍真咲。
 そして、月組の2番手(=次代のトップスター)は未確定。
 直前の本公演で2番手は明示されていなかったため、珠城りょうは2番手以外のポジションにいた。劇団が2番手としたいと考えていたのは明白だが、考えが見えるだけで、立場を確定されていなかった。
 何番手かもわからない、観る人によって番手認識がチガウ、ようなスターが、全国ツアー主演する。
 これは、過去に例がない。
 今まで全ツ主演したスターは、その後トップになったかどうかはともかくとして、明らかに2番手スターだったからだ。

 過去に例がなくても、過去がすべてではないのだから、なんでも起こりうる、のはわかる。
 前代未聞の自体だが、これだけならまだ、「単体」の出来事だ。

 それに加えて、演目の謎。

 トップスター以外が主演する場合の演目は、「スターが誰でもかまわない」くらいに名前のしれた、「タカラヅカといえばコレ!」という、演目先行の興行だった。
 さらに、長編芝居一本モノで、ショーとの二本立てではなかった。
 芝居の主演はトップ以外でも出来るが、ショーの主演は基本トップ以外は出来ない。特に、最後に大羽根を背負うのはトップの仕事。次期トップとして回る全国ツアーだって、「トップの大羽根」は背負えない。大羽根なしでパレードする芝居のみの上演。

 なのに、「ふつーの芝居」と「ふつーのショー」で巡業って……。
 つまり、大羽根、背負うんだ……。トップスター以外で。

 主演者に加え、演目まで「前代未聞」。

 というとほんと、なにかしらイレギュラーな事態が起こっている、と考えてしまうよな。


 それはともかくとして、たまきちで『激情』ってイイな!
 ホセはすげーたまきちっぽい。ずんこよりれおんより、イメージだけでいうなら、合ってる。
 ふつーにバウなりDCなりでやってくれたら、手放しで喜べたものを、何故こんな炎上人事を選ぶのかな、月組。
 『新源氏物語』初日。

 幕が上がるなり、歓声が上がった。

 チョンパではじまる、日本物。
 ライトが点いた瞬間、舞台すべて、銀橋にまで勢揃いしたスターたちの姿に、知らず声が出る。

 ぞくぞくした。

 すごい。
 タカラヅカってすごい。
 こんなのタカラヅカだけだ。

 昔から何度も何度も繰り返してきている感動の再体験。ヅカの日本物はこうでなくちゃ。
 衣装の美しさ、舞台の美しさ、役者の美しさ。それが際立つ日本物の素晴らしさときたら!

 銀橋センターに立つ、みりおくんの美しさ。
 わーん、光源氏だ、光源氏はこうでなきゃ!!

 心地いい歌声が流れ、誰が歌ってるのか最初マジでわかんなかった。
 だってみりおくん歌ってないし、みりおくんの声じゃないし、でも花組できれいに歌える人って、ごめん、誰かいたっけ? 思いつかない……って、キキくんなの?!

 二度見したわ。
 キキくん、歌うまくなってる……!

 まとぶさんがオサ様の横で急激に歌がうまくなっていったのを、思い出す。星組からやって来たやんちゃな男の子は、花の歌ウマ帝王のもとで花開くものなのね……!

 配役発表があった当時チェックしたのみで、誰がどの役か理解してない。六条がカレーくんで、何故かあきらが頭中将だってことぐらいしか、予備知識なし。
 や、あの陽気なクラッシャー(ナポレオンイメージ強し)カレーくんが女役、しかも情念の六条御息所ってチャレンジャー極まりないな! ということと、頭中将って大きな役じゃなかったっけ? あきらでいいの?? という驚きとで。

 オープニングから「女性です」とやってるカレーくん(当然です)見て、ひょえ~~!てな気持ちになったり、まるで2番手スターみたいに、みりおくんと踊っているあきらを見てうっわ~~!となったり。
 いろんな意味で舞台をぶっ壊してくれる京さんに、盛大に?マークが飛んだり。いや、いくらなんでもあの役に京さんはナイやろ……見た目からすでにおばあさんやし、声だっておばあさんやし……なんでこんな無茶苦茶な配役??

 わたし、『新源氏物語』自体は観たことがナイのね。初演1981年、再演1989年よ、まだ生まれてないもん~~。(大嘘)
 ともあれ、再演月組をビデオで(DVDですらない)1回見たのみ。
 舞台を映像で見るのが得意でないため、ちゃんと咀嚼できたとは思えないし、そんなだから記憶にもあまり残っていない。

 いやあ、ナニがショックかって、『あさきゆめみし』と記憶がごっちゃになっていることだわ……。

 わたし、『あさきゆめみし』大っ嫌いなの(笑)。
 原作マンガが、じゃないわよ? 草野せんせ作のタカラヅカ版『あさきゆめみし』が。特に『あさきゆめみしⅡ』は最低。
 ベクトルはチガウけど、植爺の『ベルばら』と張る勢いで嫌いだわ。
 作品として、物語として許せないレベル。

 なのに、その大嫌い作品を、けっこうおぼえている衝撃。つか、嫌いだからこそ記憶に刻まれている模様。ちっくしょー。

 頭中将というとえりたんの金髪のーてんき笑顔が浮かぶし、柏木の裏切りを知った光源氏を見て怒りの歌来るーー!! と身がまえたもん……え、歌わないの、なんで? はっ、あれは『あさきゆめみしⅡ』だ、『新源氏物語』じゃない!

 オサ様の「柏木ー!」の歌はもう、めちゃくちゃこわくてだね……背筋ぞくぞく、あの歌のためだけに通うことが出来たもんな……そりゃ柏木死ぬわ……あのエネルギーぶつけられたら、てなもんでな……。

 身がまえていた分、拍子抜け。あれ、源氏の怒りってこんなもん……?

 そして、ビデオの印象だと、「私を許さなかった」の台詞で幕、だった……んだけど、それはわたしがこの台詞に思い入れているせいで、そのあとの場面をおぼえないせいなのかしら。
 再演版ビデオはけっこう淡々と眺めていたんだけど、ラストのどんでん返し……というか、源氏のこの台詞で膝を打ったからなー。
 この台詞が聞きたいゆえに今回の再々演がうれしかった……くらいなので、この台詞のあと、さらに話が続き、なんかデジャヴ、『夢の浮橋』……。さらに、『一夢庵風流記 前田慶次』のラストも思い出した……。
 ので、ラストはわたし的には盛り下がって幕。
 大野せんせの萌えなのかしら。傅く人々の間を進む主人公の図で幕、って。

 てな部分部分のいろんな過去印象由来の感想も持ちつつ。

 すっげー泣けた。

 わーん、この話泣けるー! ツボ刺激されるー!
 『新源氏物語』ってこんな作品だったんだ。ビデオではわかってなかったよ。
 素敵な作品に出会えてうれしい。
 結局のところ、わたしははじめて、「源氏物語」と出会ったのだと思う。

 「源氏物語」自体は学校でさわりの部分だけ習ったし、その昔田辺聖子の『新源氏物語』も読んだし、大和和紀の『あさきゆめみし』も読んだけど。
 宝塚歌劇の「源氏物語」は、未体験だった。

 『あさきゆめみし』という公演はあったけれど、あんなもん、「源氏物語」ぢゃねえしな(笑)。

 これが、はじめて出会う「源氏物語」。
 この世で唯一、「平安絵巻」を三次元化できるカンパニーで、「光源氏」を表現できうる役者をそろえた宝塚歌劇団で、こんだけ長くファンをやってきてなお、はじめての体験。
 才能を持つモノは、それを行使する義務がある、美しいモノを作れる劇団は、美しいモノを上演する義務がある。
 宝塚歌劇団は、「源氏物語」を上演する義務がある……! なのになんで今までその義務を怠っていたんだ?!
 と、愕然とする。

 それくらい、感動しました。

 『新源氏物語』初日。

 幕が上がるなり、客席から沸き上がる歓声。
 声が漏れてしまうほどの、美しさ。豪華さ。
 タカラヅカのナニが好きって、この「思わず声が出る」ほどの美しさよ。
 銀橋に並ぶ公達姿のスターたちの美しさ、大階段を彩る十二単の美女たちの雅やかさ……、この、異世界感。
 四の五の理屈をぶっ飛ばして、なんかとんでもないモノが展開しているとわかる。
 なんかの間違いでたまたま客席に紛れて来ちゃった人も、幕が上がるなり、「なんかすげーー!」となること請け合い。

 この豪華なオープニングで、一気に平安世界へ連れて行かれた。

 この世界の中で、さらに華やかな存在である、源氏の君@みりおくん。
 みんなにきゃーきゃー言われてるし、本人は調子よく恋愛してるみたいだし、友だちもいて人望もあって、人生勝ったようなもん。
 ……なのに、その華やかな顔の下に、深い苦悩を秘めている。

 「今夜思いを遂げられなければ、死んでしまおうと思った」って、それほどまでの絶望的な思いを抱いて。

 源氏の闇に、吸い寄せられる。
 彼の鬱屈とした思いに、破滅の色に。

 藤壺の女御@かのちゃんとのラブシーンで、すでに大泣き。

 ティボルトの破滅ソングもだけど、わたしはこのテの「間違った情熱」がツボらしい。
 明らかにおかしい、明らかに狂気……俯瞰してみると「傍迷惑な!」とツッコミ入れたくなるくらい、正気を逸脱した愛、にぞくぞくする。
 歪みを歪みとして描いてくれた場合ね。
 完璧に自分勝手なだけなのに「これは正義」と主張する植爺理論は逆ツボなんだけど。

 安寧を捨て、業火に身を灼く覚悟で罪に堕ちる。

 源氏があまりに、美しくて。

 泣けた。


 そして。
 そんな源氏に、いちばん敏感に反応する、六条御息所@カレーくん。

 うっわ、カレーくんが女やってるー。つか、この子に大人の女って、どんだけ無茶振り……と、唖然とする面はあるんだけど。
 わたし、カレーくんの芝居には、安心している。『カリスタの海に抱かれて』はヘタ過ぎてクラッシャー過ぎてびびったけど(笑)、なんだろ、この子は「裏切らない役者」だと思っているの。
 技術が足りなくて出来ないことはいろいろあるにしても。
 「芝居」の部分で、わたしの逆ツボになることはないだろうっていうか。
 芝居は所詮好みだからねえ。『エリザベート』の彼がルドルフにしろトートにしろ、とても好みだったので「役者」として注目しているの。

 女役、大変そうだなあ。
 と、思うこととは別に。
 この六条御息所、好きかも、と思った。

 源氏より大人の女には、今のところ見えないんだけど。まあ、同世代かな、って感じだけど。
 そのへんは置いておいて、恋人の心が離れていくのを気づくゆえに、棘を見せながらも表面上は静観している女の矜持が見えて、切なかった。
 それと同時に、この女から離れたいと思う源氏の気持ちも、よくわかった。

 六条御息所と源氏、両方の気持ちがわかると、切なさ倍増するよね。
 泣けるよね。

 六条御息所VS葵の上@じゅりあもね。
 葵がきついのは、不幸だから。悲しいから。
 愛に傷つく女たちが、元凶の源氏ではなく、互いに刃を向けるのがまた、切ないね。
 葵の上も悲しいし、ちゃんと罪の意識を持つ源氏も悲しい。

 そして、あのプライドの高い六条御息所が、もっとも見せたくない姿を源氏に見られてしまう、その心の痛みを想像するだけで泣ける。

 源氏に愛されている藤壷にしろ、幸福と罪の意識を同時に抱え、恍惚と恐怖の最中であがき続けている。
 桐壷帝@汝鳥サマが赤ん坊を抱いているところとか……彼女の惑乱を思うと苦しくなる。

 不思議なことに、この芝居を見ていてわたしは、ほとんどかのちゃんの顔を見ていないんだ。
 藤壷を見たい、とオペラグラスを向けるのだけど、不思議なほど視界に入ってこない。

 かのちゃんに、他意はない。だからほんとに、不思議。

 わたしは源氏の君を見ているらしい。
 源氏中心に見ていると、藤壷は横顔だったりナナメ後ろからの頬骨だけだったりして、顔が見えてこない。

 これって、「藤壷」というキャラクタを象徴しているのかもな。

 藤壷は「聖域」扱いのヒロインで、現実には絡まない。
 『北斗の拳』のユリアが聖域で美しいイメージだけあり、実際にケンシロウのそばでヒロインやってるのがリンみたいなもんで。
 物語によくあるキャラ配置。ユリアが藤壷、リンが紫。

 藤壷は見えなくていいのかもしれない。
 見えないからこそ、後ろ姿の彼女はこの世のナニより美しく、光君の「永遠の恋人」に相応しい女性だとイメージできる。
 あとはこれで、かのちゃんの声がよければ、さらによかったんだけどな……。

 源氏に感情移入し過ぎて、明石とかどきどきしながら観てたわ……、柏木@カレーくんの裏切りに、怒りよりも悲しみの方が強いんだなっていう、みりおくんの特質に心がひりひりしたわ……。

 そして、惟光@キキくんの明るさに、救われたわ……。あああ、いいなあ、キキくん……。


 『新源氏物語』、すっげー楽しかった。
 こんなに没入して息を詰めるように観て、泣きまくる作品だとは、思ってなかった。
 いい作品だ~~、また観に来るのが愉しみ~~。日本物って、平安モノっていいなあ!!
 みりおくんがもう美しくて、声も歌も素晴らしくて。存分に夢を見せてもらったわ。
そんなに明日海りおの光源氏が観たいのか。観たいとも。@新源氏物語
 とまあ、大泣きして大満足な初見だったわけですよ、『新源氏物語』初日。

 だけど終演後、友人と首をかしげた、のも事実。

 この話、面白いのかしら? と。

 「源氏物語」をまったく知らない人が観て、理解できるのかしら?
 いや、でも、「源氏物語」って日本人ならもれなく知ってるレベルでしょ?
 いや、でも、今の若い子はそうでもないんじゃ?

 自分が若くないから、さっぱりわからん(笑)。

 しかしそんなこと言ってたら、固有名詞ひとつ取っても理解できているかわかんないもんなあ。全部現代語に置き換えてたら、なんのための平安絵巻かわかんないし。

 ひとさまの評価はわかんないが、わたしは愉しんだ。

 「源氏物語」自体を大雑把に知っていて、主人公の心の動きを追うことに夢中になれたら、あとは勝手に転がっていった感じ。
 もう少しわかりやすくすることも、派手にすることもできるとは思うけど、そもそも30年以上前の古いセンスの作品だもの、手を入れるにも限界があるだろうし。
 最大限よく掘り起こしてあるんじゃないかなあ?

 なにはともあれ。

 明日海りおに光源氏やらせようと企画した、劇団GJ!

 ……光源氏を、大人のプレイボーイ、百戦錬磨の色事師、と思うとみりおくんの持ち味とチガウかもしんない。
 でもな、初恋こじらせちゃった厨二くん@無駄にイケメンだと思えば、すっげーハマり役!! ナニこの最強アテ書き!!
 こじらせ系男子やらせると、みりおくん無敵じゃないですか。清様! 清様!

 そして、わたしだけでなく、世の中の人も「明日海りおの光源氏を観たい」と思った人が多かったんじゃないかな。

 ムラに、完売告知が出ていた。

 星組に通ってるときっすね。
 東宝と違い、ムラは完売しないのがふつう。物理的に無理でしょ、都心から離れた田舎に、2500人入る劇場があり、平日にも2公演やってるのよ? こんな立地のこんなキャパの劇場が、1ヶ月以上も公演やって、埋まるわけがない。
 や、だからいいんだけどね。隔離された場所で駅を降りたところからテーマパーク的異世界感があって、客席だけじゃなく劇場を取り巻く環境ごとファンタジーを構築できる。いつでも手ぶらでふらっと行って、席を選んで観劇できる。それがムラのいいところ。
 そんなムラ公演で、まさかの完売告知。
 ……いつ以来だ、こんなもん見るの。花組『エリザベート』?

 みんなそんなに、明日海りおの光源氏が観たいのか?
 観たいとも!
 ……てな会話をしましたな、友人知人、いろんな人たちと。ヅカヲタ以外の「タカラヅカもたまに観ることある」レベルの人たちとかがこぞって「みりおくんで『源氏物語』やるんでしょう?」って食いついてたなあ。みりお様の美貌最強。


 とはいえ。

 正直、なんでこんなに売れるのかわかんない。や、みりおくんの人気がすごい、としてもだ。ムラは個人人気で完売できるよーなハコではないんだ、実際のところ。

 日本物は売れない、が定説なのに。
 みんなが苦手or嫌いな日本物で、何故こんな。

 あ、でも、『夢の浮橋』もすげー売れてた。当時は今と違ってチケットは売れなくてあたりまえ、2階席に人がいなくてあたりまえ時代だったから、完売するわけじゃなかったけど、当時からするとありえないくらい売れていた。平日に対岸が見えなくなるくらい、ずらりと壁のように観光バスが停まっていたり、多くの人が劇場へと「動いている」感じがした。
 あんときも、なんで?と首をかしげていたっけ。

 みんなそんなに、「源氏物語」が好きなの?

 日本物は嫌い、でも「源氏物語」は好き、ってこと?

 タカラヅカで「源氏物語」をやる、って言ったら、「なにがなんでも観なきゃ!!」という層が存在する、ということか?
 「ふだんタカラヅカは観ないけど、『エリザベート』やるときは教えてね、『エリザベート』だけは観るから!」という人がいるようなもん? 「源氏物語」って『エリザベート』と同じように、固定ファンがかなり大勢いるの?

 そんな実感まったくないから、ほんと不思議。
 なんで「源氏物語」だと客が動くのか。

 実際に『新源氏物語』を観て大泣きしたくせに、それでもやっぱり首をひねる。そんなに「源氏物語」観たい層がいるのか……? わっかんねーなー。

 しかしま、盛況なのはいいことです。
 雅な平安モノで、こんなにお客が集まって、美しさに歓声が上がる、って、なんかいいよなあ。タカラヅカに可能性をまだまだ、一段と、感じるわ。
 『新源氏物語』初見感想あれこれ。

 惟光@キキくんは素敵な明るさ。
 彼がいるとぱっと画面が明るくなる。……それは持って生まれたスター力だと思う。ので、彼の持ち味に合った配役だ。
 ……でも、2番手の役じゃないなあ。オープニングにソロがあったからまだ体裁取れてるけど、オープニングはアレ惟光じゃないよね……? 配役表見てないけど、惟光の歌う歌じゃないもの。あれはストーリーとは無関係の「スターの役」よね?
 惟光みたいな役って、『夢の浮橋』のまさおみたいなもんで、推したい若手にやらせる、「ちょっとしたおいしい役」あたりじゃないすか、コレ……。
 通常通り、2役やるべきだったんじゃ? 初演も再演も、2番手は惟光と夕霧の2役だったんでしょ?

 そして、カレーくんは六条御息所と柏木の2役。初演も再演も、柏木が単体なのよね? なにしろ柏木はドラマのある、ストーリーに必要な役だからなあ。出番は少ないけど、がっつり全力集中してもおかしくない。
 でも何故かカレーくんが2役で、しかも片方六条御息所。
 旬の男役が女役のみってのはもったいないから、男役もあるのはうれしい。
 うれしい……けど、わたしには不思議と柏木役の印象がない。カレーくんが美しい公達姿で現れたときは「おお!」と思ったんだけど。
 六条御息所のインパクトが大きかったからかな……。


 てゆーかこの芝居、男役に役がなさ過ぎだ……。
 トップ10、2番手7、3番手5、4番手3……くらいの数値で基本的な芝居作品の役の大きさがあるとしたら、この作品はトップ10で2番手から4番手まで3、その他1……的な割合?
 それヅカとしておかしいから! 2番手不在、番手誤魔化しに全勢力傾けて、その残りで作品作ってますな組じゃなく、ふつーに番手の決まった組でやるべき作品じゃないっす。

 が、その番手誤魔化しかよっ?!な横並び比重のおかげで、頭中将@あきらは、あきらなのにすごくいい役っす。2番手さんと同じくらいの役だーー!
 初演・再演のように「惟光+夕霧」なら頭中将よりいい扱いだと思うけど、惟光単体だと、頭中将とどっこいだと思う。なんでこんなことになってるのかわからないけど、あきら、よかったねええ、と目頭が熱くなります。

 ただ。
 頭中将という役を、あきらはおいしく出来ていないなあ、とは、思いました……。
 脇育ちの人が花形役をやるとこうなるのか、という……。
 なんつーか、地味だわー……。
 あきらがもっとうまい人なら実力で押し返したかもしんないけど、地味で実力もいまいちとなると、トップスターと並んで舞ったりする役は、あきらのくすみ方が切ないわ……。

 まだ初日だから、これから真ん中慣れしていってくれることを祈る。実力は急激に変わらないだろうけど、見せ方は実際に舞台に立つことで磨かれるはずだから。

 ……突然真ん中に立たされて、それでもぺかーー!っと輝いていたキキくんは、ほんと真ん中向きの資質のある人なんだよなあ。と、しみじみ。

 あー、たんにわたしがあきらスキーなんで、あきらに肩入れし過ぎて思い入れすぎて、それが行きすぎた結果、勝手に「足りない」と思っているだけかもしれん。
 あきらに、もっともっと輝いてほしい。もっともっと、タカラヅカにいてほしい。
 だからもっともっとと、あきらに求めてしまうんだ。


 夕霧単体だと、しどころのない役だなあ、と思った、ちなつくん。
 うまいので、観ていて安心。……だからこそ、え、出番これだけ?てな拍子抜け感。
 立場的にこの程度の出番で相応なんだろうに、え、これだけ?と思うあたり、わたしは彼にもっと活躍してほしいと思っているらしい(笑)。


 左大臣@ふみかがもう、期待通りの色男で……!
 このナニをするでもないのに色気むんむんの大人の男が、もう観られなくなるとか、なんだソレ。わーん、もっともっと観ていたいよう。
 いつか専科のおじさまになって、だいもんと共演してほしかったっす……『BUND/NEON 上海』の夢ふたたび……てのがひそかな希望だったのになあ。

 個人的に、ふみかとあきらが親子っての、萌えるわ。あきらは今の花組ではおっさん役をやる学年・立ち位置になっている人なので、今さら現役感あふれるパパにがつんとやられる若い息子ってな場面を観られると、得した気分(笑)。
 小僧なあきらと、大人の男ふみか……って、なんかいいな~~、萌える~~。


 右大臣@タソが、どこの専科さんかと……! ほんとうまいなああ。
 彼単体でちゃんと空気感が出来上がってるのね。役割を理解してきちんとこなしている感が、もう……!


 他の男役スターたちが十把一絡げなのが、もったいない……。
 雨夜の品定めだけって……。
 にしてもマイティがきれいだなああ。


 きれい、つながりで。
 日本物のお化粧って難しいんだなと、改めて思った。
 男たちはまだいいとして。
 娘役のみなさんの化粧の自爆っぷりはどうにかならんかったのか……。
 出て来る人出て来る人、お化粧がすごいことになっててびびった。
 平安モノのお化粧って、さらに難しいのかもしれないね……。髪型がほぼ一定でしかもそれが「平安美人」でなきゃ似合わない髪型、そして「平安美人」って現代の美的感覚とかけ離れてるわけで、それでも現代感覚で美形に作らねばならないわけで……大変だな。
 なにしろ初日だから、これから日が経てばみんなきれいになっていくんだと思う。……なってくれ……。
 なんかもーしみじみと、「源氏物語」って面白い!!と思った。

 『新源氏物語』という作品自体は、それほどいい出来の作品だとは思えない……うん、大泣きしたけど、冷静に思い返してみると、あちこち気になる……のだけど、コレを通して原作である「源氏物語」自体の面白さに開眼した。
 や、原作本気で読んだことないけどね。第一に、あの文字読めないもん。どこまでが一文字なのかもわからん、ただののたくった模様に見える……。←
 わたしの少ないのーみそでは、「源氏物語」を原文で読むことは一生ナイと思う。誰かが現代の活字に直し、訳し、注釈を付け、読み解いてくれたモノしか、理解できないだろう。
 その程度の教養の人間の「開眼」だ(笑)。

 原作・原文は読めないけれど、先人たちがわたしにも読めるカタチで残してくれた「源氏物語」……その設定とプロットの面白さを再確認。

 光源氏の設定とプロットで、いくらでも物語作れるよね。ドロドロ不倫モノでも、ピュアな恋愛モノでも、父子関係に焦点あてたモノでも、人生哲学モノでも、ビジネス界のサクセスモノでも。
 あらゆる「普遍的なドラマ」が詰まってる。

 多くの人が「源氏物語」を再構築して世に出している、その気持ちがわかる。
 こんだけいろんなモノが詰まった物語、「自分なりの切り口」で俎上に載せられて面白いわ~。

 簡単なところで言うと、ヒロインを藤壷にするか、紫にするか……というだけでもまったくチガウ物語を描けるしな。女性キャラのひとりをピックアップして、その彼女と源氏の「恋愛」を書くことだって出来るのだし。

 ただ、原作全部をなんとかしようと思ったら、大変だなー。長いし、どうしても焦点はぼけるし内容も変化しているし。
 光源氏の一代記を短編で再構築するとなると、……今まで見てきたいろんなドラマや映画、おもしろいと思えるモノはひとつもなかったもんな~~。
 この『新源氏物語』にしたって、大駄作の『あさきゆめみしⅡ』にしたって。
 一代記ものは難しいわ。

 そしてつくづく、『夢の浮橋』はよく出来ていたなと思い返す。や、「源氏物語」ったって主人公光源氏じゃなかったけど。その分原作が短いし一代記モノではなかったけど。テーマの切り口がはっきりしてたからなー。
 

 「源氏物語」を面白いと思い、自分ならどこをどのように切り取って書くだろうかと考える。舞台やドラマでなら短編90分、小説だとしたら文庫1冊くらいのボリュームで。
 …………六条御息所が面白いかなあ。作中の時間幅を大きく取らないで、短い期間をより深く掘り下げて描く、のが楽しそう。
 あとは藤壷かなあ。


 「源氏物語」って面白い。
 そう再確認させてくれた、そのことだけでも『新源氏物語』を観て良かった。
 これは書き方の好みの問題だと思うけど、物語には芯になるキャラクタがふたりはいてほしい。
 主人公と、もうひとり。主人公に匹敵する比重のキャラクタ。恋人でも敵でもいい。このキャラがいないと物語が成り立たない、くらいの。90分の短編だから、そのもうひとりは主人公と無関係のキャラではなく、愛でも憎でもいいから、主人公とがっつり絡むこと。
 主人公と無関係のキャラクタが2番目の比重で物語を回してもかまわないけど、その場合主人公と同じくらいそのキャラのドラマを書き込まなければいけなくなるので、大河ドラマならいざ知らず、90分枠でやるのは物理的に無理がある。無理なことはやらんでいい。

 『新源氏物語』がわたし的に「弱い」「ぼけている」と思うのは、光源氏以外に芯となりうるキャラがいないためだ。
 源氏ひとりしか芯がなく、あとのキャラはみんな似たり寄ったりのモブ風味。ちょろっと出てきて主役に絡んで終了。
 つまんないなあ。『新源氏物語』って「動」で魅せる物語じゃないもの。ハリウッド映画みたいに、派手なアクションとかCGとか、物理的な動きで観客の度肝を抜いて注目させる作品じゃない。ひとの心の動きという、目に見えないものを視覚化して話を進める「静」の物語。
 心を追う作品で、キャラクタがモブ系ばっか、ての、残念だわ……。
 原作のエピソード消化、キャラクタ多数消化するために、ひとりずつの比重が低くなるのは仕方ない、出てきて絡んで消える消耗品的扱いになるもの仕方ない、だからせめてひとりだけ、源氏に匹敵する比重で書き込んでほしかった。

 男ひとりに複数の女性キャラ、主役以外の男役はおいしくなくて、娘役においしい話……というので、『仮面のロマネスク』を思い出す。『仮面のロマネスク』も男役は2番手すらおいしくない……通常作品の3番手あたりの役どころが、なんとか2番手に充てられる、みたいな。
 でも『仮面のロマネスク』は弱くないんだよね、物語。だってちゃんと芯がある。主人公ともうひとりが、がっつり物語を回していく。
 『仮面のロマネスク』のもうひとり、ってのは、ヒロインだ。物語の動作面でも心理面でも、彼女がしっかりと話を進める。彼女がいないと話も、そして主人公の心も変化しない。

 『新源氏物語』はなあ……ヒロインが、弱すぎる。
 作品の作りとして、芯になるべきなのはヒロインの藤壺なのよね。なのにこの人が弱すぎる……動作面でも心理面でも。
 もともと藤壺は前面に出るキャラじゃないにしろ、それは描き方で物語の真ん中に持ってくることは出来たはず。
 藤壺も「源氏を彩る女たち」のひとりになってしまい、限界線が下方ストップ、おかげで登場キャラ全員が総モブ化してますがな……いちばん比重高い藤壺があの位置じゃ、他のキャラはそれより下でしかないんだもの、推して知るべし。

 もう少しなんとかならなかったのかなあ、ともどかしい。
 「源氏物語」自体は、とても面白いプロットなんだもの。

 って、単なるわたしの好みの話っす。
 切っても切ってもみりおくん、で、みりおくんがいろんな娘役(女装男子含む)とラブシーンやるのを目で楽しむ作品、という位置づけなら、源氏以外等しくモブの方が、観客はフラットに楽しめていいのかも。
 昭和時代って「トップさえ扱いが良ければそれでよし」の、トップ圧倒的治世のイメージあるから、この作りこそが当時の正義だったのかもな。
 10月1日、たまきち全ツ主演・まさお前回に引き続きコンサートをやると発表。
 10月8日、月組本公演発表。

 なんというかコム姫のときを思い出して、胸が痛くなりますわ。
 『堕天使の涙』『タランテラ』という、いかにもなタイトルと演出家の本公演、その前の全ツ主演が水しぇんで、コム姫は急遽ねじ込んだバウと青年館。
 外堀を埋めていかれる感覚というかね。
 オサ様もそうだったな。『アデュー・マルセイユ』という、いかにもなタイトルの本公演に、ディナーショー、縁のある作品を書き直しての梅芸公演。
 じわじわと事実を積み上げて、逃げ場をなくしていく感じ。それでもファンとしては「そんなことない。これはただの偶然、意味なんかない」と思う。思おうとする


 それはともかくとして、信長。
 まさおで信長はアリだと思う(笑)。(笑)マーク付いちゃうけど。俺様な英雄は、まさおのキャラに合ってると思うから。
 大野先生の新作ってこともうれしい!

 ただ引っかかるのは、ロックミュージカルだということ。
 ?

 大野せんせ、ソレ系時代劇否定してなかったっけ? なんかのインタビューで見たような?
 戦国時代の着物にブーツとか、大野せんせの美意識に合わない、それを美しいと思わないからやらない、的なことを語ってた記憶があるんだが。
 意識が変わったのかな? それならよかった、そういうのも観てみたいから。……上からの指示で無理やり美意識に合わないものをやらされるんじゃなければ。
 大野くんの日本物はきれいだから好き。画面が地味だけど(笑)。でもその地味さは「日本物」自体が持つ色。蛍光ピンクやイエローだのパープルだのがレーザー光線と共にまたたくような「派手な」世界観は、「日本物」じゃないから仕方ない。日本物の持つくすんだ美しさを真面目に……頑固に、表現しているイメージ。
 それがロックミュージカルでどうなるのか。
 タクジィファンとして楽しみっす。
2016年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<6~9月・月組『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』『Forever LOVE!!』>
2015/10/08
10月8日(木)、2016年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【宝塚大劇場】【東京宝塚劇場】の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   
月組
■主演・・・(月組)龍 真咲、愛希 れいか

◆宝塚大劇場:2016年6月10日(金)~7月18日(月)
一般前売:2016年5月7日(土)
◆東京宝塚劇場:2016年8月5日(金)~9月4日(日)
一般前売:2016年7月3日(日)

ロック・ミュージカル
『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』

作・演出/大野 拓史

戦国乱世を駆け抜け、天下統一を目前としながら炎の中に散った、一代の英雄・織田信長。
時に「うつけ者」と、時に「魔王」と呼ばれながらも、己を貫き通し、幻の如く儚い「下天(人の世)」にあって、確かな生き様を示した織田信長の生涯を、信長に夢を抱き、愛し、戦った同時代の群像と共に描く、ロック・ミュージカル。
龍真咲演じる織田信長が、戦国乱世の下天を華々しく駆け抜け、そして、飛翔する。

シャイニング・ショー
『Forever LOVE!!』

作・演出/藤井 大介

永遠に輝き続ける“愛”をテーマに、様々な愛の形を綴るショー作品。豊かな歌唱力、そして現代的でありながらクラシカルな面も併せ持った月組トップスター・龍真咲の魅力を存分に引き出すと共に、個性豊かな月組メンバーが多彩な姿を披露する、エネルギッシュでドラマティックな“愛”のステージをお楽しみ下さい。

 『Melodia-熱く美しき旋律-』初見感想。

 トンデモカラーのオープニング、総力戦の出たり入ったりののち、唐突に挿入されるトップコンビ場面……あ~、これ何万回観た……(笑)。
 次は2番手によるガチなダンス場面よね、外国人振付とかの。
 んでトップ様登場の三角関係、争いアリ場面が来て、ラテンな中詰め、ムード歌謡な銀橋付き。
 ロケットボーイありのロケット、トップ娘役と娘役だけの場面、大階段黒燕尾……既視感だらけ。

 なにもかも「中村B」で、腹筋鍛えられた。

 しかし、「2番手によるガチなダンス場面」がキキくんって……。まあ、キキくん単体ならまだいいのかなと思ったら、あとからカレーくん登場するし!
 カレーくん、ちなつくん、仙名さんに囲まれて踊るキキくんて……。
 さすがは「上から順番、1・2・3」の中村Bだわ。スターの得意分野ガン無視かい。
 ちぎくんは踊れる人だったもんな……と遠い目になった。
 踊れない2番手をダンサーで囲んで、ガチなダンスえんえん長丁場て、演出家のなんも考えてなさが丸出しですごい。


 じゅりあ様がかっこいい。

 女海賊? 男たちの間になんの説明もなく混ざっている紅一点、彼女がもう、めちゃくちゃかっこいい。男前。
 その存在、そのダンス、それだけでドラマだわ。

 そして、美しいみりお様と対峙するきんきらきんのスターが……あ、あきら?!
 その扱いに驚愕。あきらがあんな衣装来て、あんなポジションにいる~~!
 と、あきらに驚いていたためか、かのちゃんがわからなかった。
 あきらの隣に派手な格好の女の人がいることはわかってたけど、それがトップ娘役だとはつゆ知らず……。
 あきら死んでから(中村Bのお約束)、はじめて「えっ、あれかのちゃんだったんだ?!」と気づいた。
 ……じゅりあの方が目立つ……。って、そーいや前回のショーでも、きらりの方が目立ってたっけ。

 というのは、わたしが単にかのちゃんを見慣れていないせいかもしれない。きらりやじゅりあを観てきた期間の方が長いわけだしね。

 しかしこの場面のストーリーよくわかんない……かのちゃんはあきらの妃じゃなかったのか? あきら死んだら即みりおくん……葛藤とかないの?
 終演後にプログラム解説見て「なーんだ、そういうことか」と思いはしたが……そんな設定、舞台からはわからんかった……次観るときはもっと納得できるのかなあ?

 あきらがもう少しうまかったらなあ……歌とかダンスとかいろいろと……と、思いつつも、あきらが活躍していてうれしい。


 カレーくんは毎回男相手に絡まなきゃならなくて大変だなあ。いつもいつもみりおくん相手にエロ担当してたけど、今回はちなつくんかー。
 「男と絡めたい」美貌の彼なんだもんなあ。
 ちなつくんは女役もイケるイメージあったけど、いやあ、やっぱ大人になってるってことだよね、美女と言うより立派なヲカマさん……。や、男役たるもの、そーでなくちゃ!
 あいかわらずの美脚は眼福です。
 
 カレーくんと言えば、オペラ使わず遠目にぼーっと群舞を眺めていて、「まっつっぽい」と思って視点を合わせると、大抵カレーくんだったりする。
 顔は似てないので、ほんとシルエットというか、ダンスにおいて、わたしの「まっつセンサー」が働く。重度の「まっつロス」ゆえに、まっつに似たモノを無意識に追い求める、という、生産性のない本能が勝手に動かすセンサーなのだ。←
 今回の大階段黒燕尾が、振付も相まってすげーまっつを思い出した。
 ……が、歌い出すと一気に正気に返るというか、「ああ、チガウ」とわかる(笑)。チガウから……ツボに入ってにやにやしちゃうくらい、いっそ清々しいくらい歌の実力がチガウから……余計、いいのかもしれない。癒される、のかもしれない。

 まっつセンサーは関係なく、カレーくんは魅力的なスターさん。
 こうしてずっと、まったり眺めていきたいなあ。


 ムード歌謡担当はPちゃんかあ。きんぐよりうまい(笑)。って、比べるところがソコなの?!


 てゆーかマイティーが美しい。
 なんかマイティーきれいやなあ、と思っていたら、銀橋渡りだして、びびった。
 えええ?! なんなのこの「スター!!」な扱い……!
 って、ロケットボーイですがな、中村Bの十八番。その昔しいちゃんだってマギーだってやってたわ……そんな驚くことでもない。とはいえ、やっぱ驚くー!

 いいなあ、中村Bのショー。「上から順番、1・2・3」で持ち味関係なく番手遵守。従って、微妙路線の人だって、「劇団の思惑」なんて目に見えないモノとは無関係に、「表に現れている順番」でスター扱いされる。
 学年、新公主演経験などの数値を使い、ロジックのみでポジション決定。
 シンプルだからこそ、いろんな人に見せ場が振られる。
 Pちゃんもマイティーも、新公主演したスターだもんな。銀橋ソロくらい、あってもいいもんな。


 雪組の『ラ』でも思ったけど。
 「銀橋大安売り!」「スター山盛り!」ぶりはいいよな。
 トップと2番手以外、銀橋を渡らせてはならない!的な作品より、スター山盛り、ばんばん銀橋渡っちゃうぜ!な作品の方が、観ていてたのしい。わたしは。
 「銀橋を安売りしてはならない、スターの格が下がる」という考え方もあるだろうけど。
 プログラムに3番手スターとして1ページばーんと写真が載っているのに、銀橋も渡らせてもらえず何公演もじれじれしていた、あの日々がある以上、「渡らせたっていいじゃない!」と思う。はじめて渡らせてもらったとき、ほんとうにうれしかったもの。感動したもの。
 たくさんのスターが渡れば、感動する人が増える。「将来のトップスター以外は渡れない特別なところ」でなくていい、そういう特別感は別のところでしっかり区別して、舞台が盛り上がることはやっちゃった方がいい。

 中村Bのオーソドックスさ、スターだらけ!な総力戦っぷりは好き。
 出演者への興味の度合いで、退屈度も大きく変わる、マンネリ作風だけど(笑)。
 既視感ばりばりな作品ゆえに、いろんな記憶、いろんな思いが込み上げてきて、ちょっと切ない。

 しかし。
 オーソドックスで、「上から順番、1・2・3」誰がどの組が演じても同じ、という作風ですから。
 みりおくんアテ書きじゃないよね……。
 そのあたりは、ファンにはどうなんだろう? 前回のショーもみりおくんのトップ初のショー作品だったのに、「台湾公演ありき」でアテ書きはしてもらってなかったもんなあ。

 初日だからか、みりおくんは余裕なさそうで、彼が心底リラックスして楽しそうにしているショー作品を観てみたいなあ、なんてことをぼんやり思いつつ眺めてた。
 宙組全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』初日観劇。
 ……この同じ劇場で、同じ公演を観たなあ……。客席に、まっつがいたっけ。と、思わず遠い目をしてしまふ……。

 なにはともあれ、『メラコリ』。好きな作品なので、いろんなキャストで観られるのがうれしいです。

 宙組再演決定と知ったときから、わくわくした。まあその、ぶっちゃけ雪全ツと演目逆だろヲイ、とは思ったけどな……キャストの持ち味的に。
 まぁくんはなんでもハマる人なんで『メランコリック・ジゴロ』でも『哀しみのコルドバ』でもいいんだけど、みりおんが致命的に「ドジっこ妹・天然アホの子キャラ」ではなく、どう考えても「大人の女・知性のある未亡人」の方が似合う。みりおんの場合、知性も理性も持ち合わせて見えるから、無垢とか天然ぶると「たくらんでる」みたいに見える恐れが……。
 そして2番手マカゼ氏がもう。放っておいてもおっさん……もとい、大人に見えちゃう人だから、「チンピラの饒舌詐欺師」よりも、「ヒゲのダンディ、大人の男」の方がハマるのがわかりきってる。
 3人中ふたりまでが柄違い……何故今の宙組で『メラコリ』?

 とまあ、キャラが合わないからこそ、楽しみだった、ともいえる(笑)。
 だって、観る前から想像つくより、わくわくするよね?

 みりおんのフェリシアは苦手注意報出てるけど(わたしはみりおんのマリー@『うたかたの恋』がダメだった人だ)、マカゼのスタンが楽しみでならない。

 あのマカゼが、口八丁の詐欺師! ドSキャラ! そして、女の子とラブラブいちゃいちゃ。
 しかも、宙組2番手娘役といえばうらら様! おバカキャラのうらら様といちゃつくマカゼ!! なにソレ観たい!!
 うらら様がタカラヅカ史上ランキング上位に入る奇声系バカうざキャラのティーナを演じるとか、想像もつかないけど、いつも憂いのある未亡人ばっか演じてるわけにはいかないんだから、ここらで一発殻を破っておバカキャラに徹するのもいいよな、と。

 ……いやまさか、うらら様がティーナじゃないとか、思わなかったんで。番手的に。
 そりゃ、うらら様の外見でティーナやったらウザさが格段に跳ね上がり、大変なことになっていたかもしんないけど……いやそのティーナってかわいこちゃんだから許されるバカさで、「大人っぽい美人」だとおバカキャラというより、スタンの言う「かわいそうな子」がシャレにならない感じになる恐れがあるから……やっぱ無理か~~。
 ティーナではなくルシルというのは、いい落としどころだなと。ヤクザの姐さんならうらら様の「大人っぽい美人」スキルを活かせる。外見だけでいうと、たぬき顔のかわいこちゃんだったいちかより、よっぽど合ってる。いちかは演技力で成立させちゃってたけど。

 まあそんなこんなで、観る前から楽しみでした。

 わたしは、初演は映像でしか知らないし、当時の花組はよく知らない。わたしが花組も毎公演観に行くようになったのは、ミユさん組替え後だから、『メラコリ』時は「縁があれば観に行く」程度だったのね。わたしが確実に観る、かつリピートする、のは雪組だけだった。他の組も観たいけど、今よりさらにびんぼーで無理だった。ミユさんが雪組から花組へ組替えになったため、彼目当てに花組も毎公演観るようになったのなー……。
 『スパルタカス』も『心の旅路』も観てるのに、たまたま、特に理由はないまま、まさに「縁がなかった」としか言いようもなく、『メラコリ』は観ていない。
 だからわたしの『メラコリ』のイメージはまとぶんの再演版。プレお披露目公演として、中日劇場でやったやつ。再々演の全国ツアー版じゃない。


 それで今回の再々々演を観て、驚いたというか、ウケたことは。

 主人公が、ジゴロだ。

 タイトル通り、ジゴロの話だ~~! すごーい!
 まとぶん時代は、ジゴロがひとりも出てこなかったもんな~~(笑)。


 まぁ様の花男ぶりを再確認する。


 以前友人たちと話したことがある。
 各組男役のカラーというか、特徴について。

 花男の特徴っつーか売りは、「複数の女を同時に愛せる」スキル常備。
 愛する女はひとり。……それは本当、嘘偽りナシ。が、そのままで別の女を抱き寄せて問題なし。……という、スキル。
 これを話していたとき、当時の路線花男をひとりずつ思い浮かべ、「確かに(笑)」とウケたもんだ。オサ様も、えりたんも、みわさんも、まっつも、誰も彼も、「女複数OK」だ。誠実にひとりを愛してる……ことと、別の女をはべらすことが相反しない。
 それが、黒タキが制服であるところの「花男の色気」ってやつだろう。

 そんな花組で孤軍奮闘していた、星男のまとぶさん。
 星男のイメージは、「俺のオンナはただひとり」。
 ヤンキーっちゅーか体育会系っちゅーか、ガチャガチャ頭悪く威勢をあげている男たち、悪ぶって見せようがどうしようが、惚れた女はひとりだけ、命懸けて守るぜ!! てな。複数の女をどうこうなんて、粋がる以外では考えたこともない。やんちゃだけど、根っこ単純ピュア。にじみ出る誠実さ。

 花組になじむために、黒タキ着てオラオラがんばるまとぶさんは、多分基本部分が違ってた。
 いくら黒タキ着ても、チャラぶってみても、違うんだよ。まとぶんってば泣けてくるほど星男、「俺のオンナはただひとり」オーラゆんゆん。やんちゃなこととジゴロなことは、まったく別。

 まとぶんの演じるダニエルは、まったくもってジゴロじゃなかった。おいたをしたために年上の恋人に捨てられ、「ただの遊びさ、だって俺はジゴロだからな」と強がってみせる、純粋一途な大学生。本気で恋してたんだね、繊細ハートを守るために「ジゴロだから」と嘯いて。ただの小僧じゃ相手にしてもらえない、だから「ジゴロ」のふりをした。自分を守るための嘘。……切ないね。
 ……そこにいるのはメランコリック大学生。ジゴロなんてどこにもいなかった。
 スタンはジゴロ仲間という設定だけど、女に食わしてもらっている描写なし、むしろ女の子(ティーナ)を養っている的言動、女性のことは騙してないし近づいてもいない、ターゲットは男ばかり、どうみてもただの詐欺師。

 そんな「看板に偽りあり」な『メラコリ』しか観てないから。

 まぁくんは、ちゃんとジゴロだ! ということに、感動した(笑)。

 まぁくん、花男。女複数OKだ。清廉さと胡散臭さが自然に同居している。
 『メランコリック・ジゴロ』のティーナを、難しい役だと思う。

 初演の華陽子にアテガキされた役だと聞く。初演ファンからすれば、華陽子以外誰がどう演じても「チガウ」と思うくらい、特異な役……らしい。
 初演は知らないので、わたしの刷り込みは再演のののすみティーナ。ウザかわいくて、見ていて「うき~~っ!!」となる、だけどかわいくてたまらない女の子。ののすみが泣くと世界が泣く、勇み足で買ったアクセサリーを返す、コミカル場面で観客を泣かせる、とんでもない芝居力。
 ののすみがデフォルトだから……ティーナというのは「かわいくて、華のある役」認識。

 再々演ではゆまちゃんが演じた。配役発表されたときは、わくわくした。
 美貌のゆまちゃんがティーナ!! 巨乳でエロかわいいゆまちゃんが、あのかわいい役をやるなんて、なんて俺得な配役なの? 美貌で目を引くゆえに「どうしてあのきれいな子は役がつかないの?」といろんな人から言われ続けたゆまちゃんがついに、花形役に!

 すっげーわくわくしたんだがなあ。
 実際に観てみたら……なんつーか……あまりに地味で拍子抜けした。
 かわいい役で、頓狂ゆえに嫌でも目立つ、オイシイ役、のはずなのに……そう見えない。
 こんなに冴えない役だっけ……? 台詞も演出も、絡む相手も変わってナイのに、おいしく見えない。ただの脇役に見える。
 美醜という点でも、一般的に美しいのはゆまちゃんだと思うのに。
 だけど、舞台でティーナとして輝くのはののすみだった。

 ののすみすげえな!! と思った経験のひとつ。

 だからわたし、「ティーナ」には路線娘役を当てると思ったの。
 ただの「かわいこちゃん役」認識で、かわいいだけの子を当ててもうまく機能しない。路線育ちで、真ん中で輝く経験と能力を持った子がするべき役なんだと。
 初演は純路線スターではなかったのかもしんないけど、キャラ勝ちゆえに華やかに機能していたんだと勝手に推測、ティーナには華が必要、と。

 出演者のみが発表になった時点で、路線娘役はうらら様のみだったから、とーぜんうらら様がやるもんだと思ってた。うらら様の持ち味とは真逆だけど、アホの子を演じるうらら様は痛々しいことになるかもしんないけど、この役には路線力が必要だからここはうらら様に踏ん張ってもらうしか……!

 そしたらまさかのしーちゃんで。
 あ、あれ? またも路線外?

 しーちゃんは好きな娘役さんのひとりだ。『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』新人公演以来、ずっと好意的に目で追っている女の子だ。
 きれいでうまい人だとわかっているから、大きな役が付くことはうれしい。
 だがしかし。

 ティーナ役は……チガウやろ。

 い、いやでも、観てみたらものすごく合ってるかもしんないし……なにより実力派演じるティーナなんてはじめて観るわけだし! 観てみたらハマるかも……!

 そう前向きに観劇したんだけど、……ごめん、やっぱチガウわ……しーちゃんはティーナに合ってない……。

 うーん。
 ティーナの役割って、同じトーンで進む物語に瞬間的に別の色を加えることだと思うのね。
 同じ幅で揺れている波形グラフが、いきなり上下にどーんと揺れて、また定位置に戻る、そのどーんと揺れる部分がティーナ。
 『メラコリ』を波形グラフで表すと、真ん中の安定した線が主人公ダニエル。それとほぼ同じリズムで、かなり下の方をのーんびり進んでいるのがヒロインのフェリシア。ダニエルの線に気忙しく絡んでいるのがトラブルメーカー、いつもこいつが元凶、のスタン。そして、ひとりだけ誰ともチガウ大きな幅で描かれた線がティーナ。
 ダニエルとフェリシアは数値こそ違えど同じリズムなのでお似合いだとわかるし、スタンのやたら細かく振動してる線に、おおらかに交わるティーナもお似合い。
 なのに、ダニエルとフェリシアの間の数値を、常識的な波形で進むティーナは……チガウ……。それじゃつまんない……。

 しーちゃんのティーナはすごく「ふつう」だった。
 ののすみのような圧倒的な華と存在感はなく、ゆまちゃんほどのわかりやすい美貌もない。
 端正にまともにまとまった、小さな役だった。

 スタン@マカゼ氏と絡んでいても、わくわく感が薄い……。マカゼ氏は蛍光カラーの人じゃなく、どっちかっつーと渋い色合いの人なんで、地味な色を合わせると本人も落ち着いた色合いに引っ張られちゃうのだわ。
 古い柴田作品なら、マカゼとしーちゃんでしっとりクラシックな色合いを出してくれてもいいと思うけど、洒落たコメディで鈍色に落ち着くのは危険だわ。

 しーちゃん好きなんだけどなあ……。この役は、わたしには残念だったわ……。


 て、全部ただの思い込みですよ、「ティーナはこうあらねばならない!」という。
 単に「自分がはじめて観たモノ以外を認めない」という、偏狭さゆえに新しいモノを否定しまくっているだけかも。

 ティーナとはなんなのか。
 決まったカタチはないのかもしれないし、あってもわたしには見えないのかもしれない。だって初演観てないんだし。答えは初演だけにあるのかもしれないし。
 わたしが観た3つの公演でも、全部別モノだったわけだしな。
 メインキャラクタのひとりに思える存在感を持つ、超路線スターが演じるののすみ版。「ああ、脇育ちの子がやってるんだな」とわかる、それほど技術が優れているわけでもない、ひたすらビジュアル重視のゆまちゃん版。
 そして、脇の実力者が堅実に務めるしーちゃん版。(花の仙名さんがティーナをやったらこんな感じかなあ、とかうっすら思いながら観た。仙名さんならルシルの方が似合うのになあ……と思うところまで同じ)
 全部持ち味も育ち方もチガウ娘役さんがやってるんだね。それだけ、「決まってない」役なのかも。

 だからわたしが「チガウ」とか「足りない」と思うのは、わたしの勝手な思い込み。しーちゃんごめん。

 ただほんと、ティーナは難しい役だと思ったんだ。
 『メランコリック・ジゴロ』を宙組で再演する、と知って、いちばん楽しみにしていたのは、スタン@マカゼだ。

 顔が好みなんです、マカゼさん。
 水しぇんファンだったわたしが、惹かれないわけがないっ。

 だけどわたしがマカゼ氏でいちばん好きだった役がエルモクラート先生@『めぐり会いは再び』なもんで、なんつーか「マカゼ=ヘタレ男」というイメージが強くてだね……!
 ガチな二枚目マカゼが観たい。いやその、路線ど真ん中スター様であらせられるマカゼ氏はもちろん今までずっと二枚目ばっかやってきてるけど、どれもなんかチガくてだね……、ああそうだ、ドSなマカゼが見たいたんだ!
 同じ系統の顔でも水しぇんはシャープなキツネ系、マカゼ氏はやさしげな大型犬系……、水しぇんは悪役まかせろな人だが、マカゼは悪役に騙される善人役がハマる人……この持ち味の違いは愛しいけれど、悪役よ、わたしは真っ黒なマカゼが観たい。
 過去の正塚作品では、ヘタレしかやらせてもらってないマカゼ氏が、『メラコリ』のスタンをやる……!
 スタンというと、ドS!
 ドSキャラを売り物にしていたえりたんのハマり役、ゆえにドS認識。……初演のビデオを見る限りじゃ、みきちゃんのスタンはドSではなかった気がするけど、えりたんで刷り込まれているのでドS!

 ドSなマカゼ!!

 あああ、想像するだけでわくわくするー! うっとりするー!(笑)

 想像するだけで、と言いつつ、実は想像がつかない。想像できるようで、実体が見えてこない。
 ああ、その曖昧さがときめくわ……数式で割り切れるところに恋は生まれないのよ、曖昧さや理不尽さがなくちゃ!

 まぁくんはね、想像できる。彼は花形育ちの花男、「ヒーロー」を演じるのは得意、なんの心配もない。
 心配なのはマカゼ。不安なのはマカゼ。だからこそ、ドキドキは彼ゆえに。


 って、なんかキモい言い回ししてますが、ヅカヲタは永遠のヲトメなので勘弁してくれ。
 マカゼ氏はわたしのトキメキをかき立てるジェンヌのひとり。

 マカゼのスタンが見たい!!
 と、そこにいちばん食いついての観劇。

 えーと。

 なんというか。
 マカゼさんは、ふつー、でした。

 ちゃんとかっこいい。ちゃんとひどいこと言ってる。ちゃんとひどいことしてる。
 けど……ふつーだ……。

 あー、うん、こんな人いるかもねー、レベルで、ふつーだ。

 みきちゃんのような外連味もないし、えりたんみたいなドSさもない。
 ふつーに、かっこいいわ……。

 そして、かっこいいマカゼは今までもいくらでも見てきている、っていうか、もともとナニもしなくてもマカゼはかっこいいわけで、スタンだからどうこうってことじゃない。

 へー……スタンって、ふつーにかっこいいのか。
 一癖も二癖もあったり、ドSだったりするのは、デフォルトではないのか……。

 ティーナも真面目に地味だし、スタンもなんかふつーの人だし、ずいぶん印象のチガウ『メラコリ』だ。
 フェリシアもそれほどトロ子じゃないしな。
 えーと。

 がんばれ、まぁくん。
 この公演のアクセントは、君ひとりの肩にかかっている……!!

 まぁくんのスター力に、改めて感心しましたの。ただ流れていく物語を、彼が要所要所で引き上げていく感じ。

 わたしが観たのは初日だから、まだこなれてなくて、ダニエルとスタンの掛け合いもこれからもっとヒートアップしていって、個性が出て来るのかもしれない。
 つか、あの硬さがマカゼの個性かな。うん、それはそれで好きだ。ただ、「スタン」にはどうかと思うだけで。


 あー、しかし、スーツ姿のマカゼ氏、かっこいいなあ……。溜息。
 宙組全ツ『メランコリック・ジゴロ』感想の途中ではありますが。
 マカゼかっこいい!ハートなもんで、そのパッションのままに書く。

 「宝塚パーソナルブック2015」について。

 2015年版のパソブは、雪組だいもん。月組かちゃみや、星組かいちゃんベニー、宙組マカゼ、と「花組いないよ?!」状態で全ラインアップ発売完了しました。
 んで、この6人のパソブを眺めて思ったこと。

 マカゼが、好み過ぎる。

 着物姿とかね……もう、息を飲むレベル!

 つくづく、好みの顔だわぁ……。
 マカゼさんはそれこそ、入団前の音校時代からその顔立ちゆえに注目して眺めて来たけれど、年を取って、どんどんわたし好みになってきてる。
 わたし、ショタの気ナイから。おっさんスキーだから(笑)。
 大人になって、イイ感じに枯れてきて、目の下にシワが入り出すと、「食べ頃」だと思うクチ(笑)。
 いやあ、ときめきますわ~~、あのシワ。ガキにはない、大人の魅力よね~~。

 マカゼさんは老け顔だから、下級生時代から貫禄あったけど、学年が外見に追いついてきて、違和感なくオトコマエだわ。

 は~~、かっこいい。
 今のマカゼ氏で写真集が出て、ほんとうれしい。


 6人のパソブで、いちばん好みなのがマカゼ氏です。
 純然たる、好み。企画とかコンセプトとか、理屈は置いておいて、ただもう、ビジュアルのみでの評価。

 コンセプトっつーか、「よくぞこのラインで三次元化した!」とあっぱれを叫びたいのが、カチャ様。

 表紙と巻頭のカチャが素敵すぎる……!

 貴族的というか、人形的というか。異世界感がたまらん。
 こーゆーの好きだなあ。
 アニメとかゲーム好きなわたしには、こういう異世界美少女はすっげーツボなの。
 この路線だけで1冊出してほしい……!

 そして、写真集としてのカラーがいちばん残念だと思うのが、だいもんっす。
 最初の1冊だから仕方ないのかなあ。なんとも散漫で、そのくせ冒険心も薄く、わくわくしない作り……。練り込みが浅いというか、せっかく1冊まるまるだいもんなのに、「GRAPH」のポートと作り込み的にあんまし差がないというか、延長でしかないというか。

 1冊目は手探りで、あとになるほどいろいろアイディアも出て、よくなっていくのかなあ。
 それとも被写体自身のプロデュース力も関係してるのかなあ。自分から「これやりたい」「ここはこうしたい」と口を出せるもんなのかどうか知らないけど。

 他の3人はふつーに素敵な写真集だと思う。
 ただ、買いたいと積極的に思うのは、マカゼとカチャとだいもん。
 え、だいもん? いちばん残念なのに?

 ……だって、だいもん好きだもん。

 顔が好みなのは断然マカゼさんですが、だいもんはだいもんだから好きなのだ。企画が残念でもなんでもいい、だいもんだから買う(笑)。

 そして、カチャ様は表紙写真を好き過ぎるだけで……というか、表紙写真も「女の子」として好みのビジュアルなのであって、「男役」としてときめいているわけではない、のが、彼の難しいところかなあ、と思う。


 なんにせよ、パソブはいいな。
 シリーズとしてまずタイトルの全ラインアップが出る。全組に亘りスター名が並列されるので、立場明確、スターの証、ってことで、まずわくわくするよね。
 て、定期刊行される。毎月配本、とかいいよね。連続する楽しみってあるよね。
 単体でも楽しめて、シリーズ全部通して楽しめる、てのがいいよな。

 次のシリーズがいつになるか知らないが、楽しみだ。
 つか、出し惜しみしないでばんばん出せばいいのにー!
 で、宙組全ツ『メランコリック・ジゴロ』感想続き。

 わたしはフォンダリあっきーで見たかったんだよなあ。
 すっしーさんはかっこいいけど、それはもうわかっているから、「3番手が演じておかしくない役」は若者に譲ってほしかった。や、配役決めるのすっしーさんじゃないから、彼に「譲れ」はお門違いだけど。

 すっしーさんは貴重な二枚目組長。「おじさん」と「美しさ」を併せ持つのは難しい、稀有な才能を持つ人なんだから大切にしたい。
 が、こうして大きな役をやると違和感が出るようになっちゃったな。

 昔はそれでよかったの。トップスターがたかちゃんの頃は。DCでトップスターの恋敵の2番手役がすっしーでも、ショーのスター位置にすっしーがいても、かまわなかった。
 スターたちとすっしーは、違和感の少ない濃度で存在出来た。
 でも今は。
 さすがにもう、いろいろと隔絶感がある。
 すっしーの男役としての色の濃さ、輪郭の濃さが、現代のパステルカラーに淡い色でおしゃれに輪郭された画面に合わない……浮いてる……。
 組長らしく脇からぴりりとスパイス的に画面を締めるのは効果的だけど、「スターのひとり」として舞台の真ん中に立ってしまうと違和感を持つ。

 こう言うとアレかもしれんが。
 すっしーが、若者たちを食っちゃう。

 半端なスターたちより、すっしーの方が輪郭濃いから。薄い人たちはさらに薄く、背景に透けてしまう。

 宙組は長らく「トップコンビとその他全員動く背景」体制で来た。「次代を担うスター」はいなくてよかったから、「スター」位置には管理職のすっしーとかまりえったが入った。
 本来「若手スター」がやるべき役割を、管理職がやる組だった。
 長い長いたかはな時代は終わったけれど、「スター」位置を経験したことのあるキャリア長い上級生と、歩き出したひよっこたちが、同じ土俵で争えるわけもない。
 すっしーが真ん中に近い役をすると、「これから育っていってほしい」とファンが思っている若手や中堅スターたちが、食われてしまう。
 あー、宙組子たち、薄いなー。弱いなー。そう思ってしまう。
 や、今の主流は薄くて淡い色だから。真ん中に濃い輪郭の絵を持ってくるから薄いと思うのであって、全部薄ければ気にならないから。
 さすがにトップスタークラスになると大丈夫だけど、それ以外はなあ……。

 フォンダリ一家が、フォンダリ以外弱すぎてつらい……。そこで組長がひとり勝ちしちゃいかんやろう、バロットもルシルも路線スターを配しているのに。
 や、負ける方にも問題は大ありだけど、それにしても。

 あっきー好きだけど、薄いなあ、とか、ベルチェが必要以上に脇役風味になってる、とか。
 それはすっしーのせいではないんだろうけど、肩を落とした。
 あっきーには、もっと「前に出る」役をやらせてくれえ。そうでないとこの人、一歩下がっちゃうよおぉ。性格なのか、芸風なのか。
 これからあっきーがどういうジェンヌ人生を送るのか、劇団がどう使いたいと思っているのか、知るよしもないが、「前に出る」訓練はしておいた方がいいと思う。
 フォンダリは濃い役だから、あっきーの成長に最適だと思うんだがなあ。

 てゆーか。
 あっきーがフォンダリやったら、人気出たと思うの。(素)

 今も人気あるじゃん!とかいうツッコミはなしで。

 あっきーに限らず、キラキラとかショタ系以外の持ち味の二枚目スターが演じれば、人気出る役だと思う。
 シリアス+ギャグのバランスのいい、胡散臭いエロ男。短いけれどソロで歌うこともラブシーンもあり。その胡散臭さで、観客の視線を一身に集め、場をさらう役割。
 ……たぶん、ハリーのお気に入りジェンヌが演じる役なんだろうなあ。ミサノエールにみわっち、そしてすっしー。
 お気に入りのための役だから、そりゃオイシイわ……。ハリーめ……(笑)。

 おいしい役をちゃんとおいしく演じているすっしーは、正しい。
 配役権だって生徒にはない。
 だからこれは、わたしの勝手な愚痴っす。

 ああ、ほんとにもう、すっしーかっこいいなあ。ちくしょー。
 ひさしぶりに、ひどいバウ作品を観た。
 『相続人の肖像』初日観劇。

 1幕はひたすら、首をかしげていた。
 物語を理解しようとする部分では、「これ、ナニがしたいんだろう」「どうするつもりなんだろう?」と疑問符が飛び、単純に観劇している部分では「信じられないくらいつまんない……」と、これまた盛大にとまどっていた。
 最近のバウ公演って、多少粗があっても構成がおかしくても、とにかくなにかしら目を引く・気を惹く部分があって、「つまらない」ということだけはなかった。
 それが、びっくりのつまらなさ……。
 なんにも魅力的なモノがないまま、えんえん進む舞台にただただ困惑した。

 わからないことだらけなんだ。

 伯爵家のおぼっちゃまである主人公チャーリー@ずんちゃんは、爵位と屋敷だけ相続、その他の財産を相続したかったら、継母ヴァネッサ@せーこと屋敷で一緒に住み続けなければならない……という父伯爵の遺言を受けた。
 母を顧みず、その死後は愛人のヴァネッサと再婚した、ということで父を憎んでいるチャーリーは、たとえ財産を放棄してでもヴァネッサを追い出すことを選ぶ。
 チャーリーの父と心から愛し合っていたヴァネッサは、もともと伯爵家の生活に未練はなく、夫の喪が明けたら出ていくつもりだった。

 これが最初に提示される設定。
 ここからすでに、わからない。
 伯爵とヴァネッサは愛し合っていた。なのに何故愛する妻とその連れ子に、きちんと財産を与えなかったのか。
 チャーリーと和解して欲しい、真の家族になって一緒に暮らして欲しい、という願いがこめられていることはわかる。だがそれは願いでしかなく、自分の死後、ヴァネッサを憎んでいるチャーリーが彼女を拒絶する可能性を、何故考えなかったのか。万が一にでも、ヴァネッサと娘のイザベル@まどかが生活に困ることがないようにするべきでは?
 息子チャーリーの優しさに賭けた? まさか無一文で追い出しはしないだろう、遺産も欲しいし、追い出すのも可哀想だし、という二面から一緒に暮らすことを選ぶだろう、って?
 しかし、ケンカ別れしたまま何年も会っていない息子の「優しさ」ってものに、愛する人の一生を賭けていいのか? 賭けに負けた場合、妻と娘が野垂れ死ぬかもしんないんだよ?
 そんな危険な賭けを、何故わざわざしなくてはならない?
 わたしは嫌だ、家族の人生を勝手に賭けていなくなるような人。

 チャーリーとヴァネッサの和解が望みならば、何故ヴァネッサにそれを託さなかったのか。彼女は無一文で出ていくつもりだった。遺言状のことがなくても。伯爵を心から愛しているヴァネッサは、チャーリーのことを託されればどんなに罵られても金目当てと誤解されても、屋敷に留まりチャーリーの心をほぐそうとするだろうに。
 なんにせよ、彼女に財産を遺すべきだった。彼女が拒んだとしても、娘のためにも一定の保障は必要だ。

 チャーリーがヴァネッサを受け入れない場合、財産はヴァネッサのモノになる、ということにしておけばいいのに。
 なんで彼女には一銭も遺産を遺さず、チャーリーが彼女を拒絶した場合は国へ没収される、なんて遺言したんだろう。

 人との情というか、あたりまえの心の動きというか想像する範囲を超えた、無理ありまくりの設定に、「???」が飛び交う。


 父親の伯爵様も変だけど。
 主人公チャーリーは、人として最悪。

 自分の心の傷にはちょー敏感、擦り傷かすり傷にも大騒ぎして、さわぐだけならまだしも、報復を考える。他人の心や痛みには鈍感……というか、想像することも出来ない。
 父親に傷つけられた……から、危篤の報せも無視。でも、ひとりで生きていけないから、戻ってくる。父のお金とコネで大学生活をしていたため、立ちゆかなくなったのな。
 父の後妻のヴァネッサは敵、この女のせいで母が不幸になった……すなわち、自分が傷つけられた……から、無一文で屋敷から追い出す。
 チャーリーがヴァネッサを受け入れないと、伯爵家は破産、家族も使用人も路頭に迷う……けど、自分の心の方が大事。
 下品な成金娘と政略結婚は嫌、メガネブスで行き遅れの幼なじみの方がマシだから、こっちと結婚してお金をもらおう。
 他に好きな子が出来たから、メガネブスは捨てよう。幼なじみの親友の恋人でも、好きになったんだから仕方ない、奪ってしまおう。

 見ていて、口がぱかーんと開いたままだった。

 見事に、ひとつも、いいところがない。

 えーと、「主人公」だよね? 悪役じゃなくて。心優しい主人公やヒロインをいじめるだけだけに出て来た悪役のアホ男でなくて、これが、この物語の「主人公」なんだよね?
 観客に感情移入させたり、「素敵」と思ってもらわなくてはならない「主人公」なんだよね??

 …………作者はこの男が「魅力的」だと本気で思っているんだろうか。
 それとも、なにか他に表現したいことがあったのだけど、力足りずこうなってしまったんだろうか。
 前者なら絶望しかない。

 いや、でも、こう思うのはわたしだけで、世の中の人は「チャーリー素敵! こんな人としてすばらしいキャラクタ観たことナイ!!」と思うのかもしれない。もしくは「完璧でないところが共感できる」とか。

 でもわたしは無理だ。
 最低最悪な男だと思う。
 ので、『相続人の肖像』は「チャーリーは最低男」と思う感性を元に感想を書く。

 続く!
 『相続人の肖像』が、すごい。開いた口がふさがらないほど、すごい。
 なにもかもすごいんだけど、なんといっても主人公チャーリーがすごすぎる。

 チャーリーとは、どんな人物か。
 「頭脳的にアホ」であり、かつ「精神的にアホ」だと、わたしは思った。
 頭がよくても心がアホだからなにごともうまくいかない人っているよね。思いやりがないとか、想像力がないとか。それ言ったら相手を怒らせて、取引だめになるのに、バカだから言っちゃうとか。
 反対に、学校の成績は悪いけど、思いやりがあって人気者っているよね。なにかあったときたくさんの人から自然と助けられる、そんな人。
 頭のいい悪いと、心の賢さは別。
 そしてチャーリーは、絶望的なことに両方アホだと思う。


 オックスフォードの学生だったけど、コネとカネで入学出来ていただけ。
 高校時代も成績はひどかったらしい。なのに名門校へ入学出来たことを不思議に思っていない(実力で合格したと思っている)辺り、本物のアホらしい。
 入学時の成績が足りていなくても、大学生活でなにかしら益を上げていれば、理不尽な退学はなかったはずだ。素晴らしい成績とか、人望とか。いくらおばーさまが裏で手を回したとしても、惜しい人材なら理不尽な処置に対し、力になってくれる人がいるはずだ。
 成績も悪く、惜しんでくれる教師も、共に闘ってくれる友だちもいなかったようだ。

 その設定だけでも十分絶句していたのに。

 ヴァネッサへの逆恨みだけで、子どものような駄々をこね続ける。

 ヴァネッサと暮らさなければ、父の遺した全財産を失う。つまり、ヴァネッサを屋敷に置いておくだけで、遺産はすべて彼のモノ。たやすくクリア出来る条件だ。
 最初の場面のおばーさまとヴァネッサの会話でわかるように、この広い屋敷の中では、住人はあまり顔を合わさずに生活することも可能なようだ。
 また、途中から「食堂も使わせてやらない、あとから食べに来れば?」と言い渡すことによって、最低限の顔を合わせる機会すらなくすことが出来るのだ、とわかる。
 つまり、ヴァネッサとこの屋敷で共に暮らす、ことはそれほど大変なことじゃない。
 ふつーなら「得られるモノ」と「失うモノ」を天秤にかけ、計算するはずだ。

 だがチャーリーはふつうじゃない。
 ヴァネッサが同じ屋根の下にいること自体、許せないのだ。
 彼女を追い出すと自分も含め、すべての人が不幸になるとわかっていても、彼女に報復せずにはいられないのだ。
 ……だから彼女は、もともと無一文で出て行くと言ってるので、報復にもなんにもならないんだけどね。自分を基準に考えるから、無償の愛で行動しているヴァネッサが理解出来ないの。

 いわば、「赤信号だから、止まりなさい」と言われても、「いやだいやだ! ボクは今渡るんだ! 止まれなんて意地悪を言うのはひどい!!」と泣きわめきながら道路に飛びだして行く子どもだ。
 突然飛びだして来た子どもを避けようと、車が次々と衝突、大事故が起こっているのに、「車を避けようとしてすりむいちゃったよーー、痛いよーー!! ボクかわいそーー! 許さないからなー!」と泣きわめいている。いやその、周囲血の海ですけど?!

 チャーリーがわがままを撤回すれば、すべて丸く収まる。
 すべてはチャーリー自身が撒いた種。

 伯爵家を守るために金持ちと政略結婚しなくてはならない……なんて不幸なボク!! でもみんなのためにしなくてはならない、ああ、この貴い犠牲の上にみんなのしあわせがあるんだ……くっ(唇を噛む)。
 ……いやあの、そもそもお金がなくなったのは、あなたがわがまま言って、財産放棄したせいでしょ?

 ヴァネッサが同じ屋敷に住む、よりも、好きになれない相手と政略結婚、の方がマシだと、何故思うのかわからない。
 ヴァネッサがそれくらい嫌いなんだ、許せないんだ、という感情論じゃない。
 常識的な計算が出来るか出来ないか、の話だ。
 ヴァネッサとは別に会わなくてもすむし、自分は自分の人生を自由に生きていけるけど、政略結婚したら自由はなくなりますよ? 年齢的にヴァネッサはチャーリーより先に死ぬけれど、同世代の結婚相手はへたしたらチャーリーより長生きし、一生鎖でつながれた生活ですよ?

 こんな誰にでもわかる計算も出来ないアホって……。
 それで、「可哀想なボク」って苦悩されても……。

 で、本当に嫌な相手(目的は爵位。チャーリー自身に愛も興味もない)とは結婚せず、昔から自分にべた惚れの幼なじみベアトリス@もあちゃんと婚約する。
 選んだ理由は、「まだマシだから」。えええ。

 ベアトリスはメガネの年増、とてもじゃないが男には相手にされないだろう残念な女性、として描かれている。恋に舞い上がっていて、周囲が見えていない。
 あー、少年マンガによくあるなー、「ブス」というだけの記号女。主人公が「勘弁してくれえ」と逃げ回るやつ。ブスだからどれだけ足蹴にしてもヨシ、というお約束のご都合キャラ。男性目線の作品だと、女性に対する最大の価値基準は「美人かどうか」、次が「若さ」なので、ブスの年増に生きる資格はナイ。

 カネのためとはいえ、少しはまともな対応をするかというと、んなこたぁーない。
 チャーリーはただの一度も、ベアトリスをまともに相手にしなかった。
 心ここに在らずとか、「オマエなんかどーでもいい」とわかりきった言動。
 別に、ベアトリスを貶める気はなく、ただ、心の底から、どーでもよかったんだ……。

 イザベルに恋していると気づいてからは、めっちゃ重荷、障害でしかない、という態度。

 「ボクはイザベルを愛してる……でもボクは、みんなを守るために生け贄にならなくてはならないんだ……この恋は口にしてはならない……ああ、苦しい……」てな調子。
 ちょお待て、ベアトリスはヤマタノオロチか? モンスターか? ナニ「貴い犠牲者」ぶってんのよ、そもそもオマエがわがままこいて破産必至な状況に追い詰められたんだろ?

 チャーリーが苦悩すればするほど、込み上げる疑問。

 たしかに今彼は、苦しい状況にある。追い詰められている。障害がある。
 だがな。

 その障害をそこに置いたのはチャーリー自身で、自分で置いたのだから、自分で取り除けられるんだ。

 のーみそも性根も、掛け値なしでバカですが、なんなのコレ?


 続く。
 『相続人の肖像』がすごい!!語り、その3。
 主人公のチャーリーがすごい。めちゃくちゃすごい。

 自分から遺産相続条件を蹴った(私怨)。 なんて可哀想なボク! → 金目当てに政略結婚することにし、自分で相手を選んだ(私利)。 嫌だけど仕方ない、嫌だ嫌だ、ボク不幸。→ 好きな女の子が出来たから、政略結婚したくない(私欲)。 なんという運命の皮肉、不幸なボク! 苦悩!

 見ながら、「???」だった。
 自分で障害を置いて、「障害のために苦しい」とやっている。
 どかせばいいじゃん。
 誰かが置いたわけじゃない。全部自分じゃん。

 ベアトリスと結婚したくない。 → しなければいい。
 政略結婚しないと、破産する。 → 破産しなければいい。
 イザベルと結婚したい。 → すればいい。

 ベアトリスとの婚約は破棄、イザベルと結婚する……というクライマックス、おばーさまが「そんなことしたら破産よーー!!」とパニックになっているのを見て、どんだけイライラしたか。

 破産なわけないじゃん、そもそもベアトリスと結婚する必要がなかったんだってば。と。

 で、イライラしまくってるのに、弁護士くんがしれっと「これで解決ですよ」と「種明かし」、「まあっ、ほんとだわーー!」「ハッピーエンド、すごーい!」となるのを見て、イライラは、ムカつきに変換、ちゃぶ台があったらひっくり返してるわ!!(笑)

 ナニが種明かしよ、んなもん最初からわかってたわーー!!

 チャーリーが勝手に障害作って大騒ぎしてただけじゃん。
 彼が「まともな」思考力を持っていたら、なんの騒ぎにもならなかった。
 ヴァネッサとイザベルは同じ屋敷で暮らし、伯爵家は破産せず、ベアトリスを傷つけることもなく、同じ屋敷で暮らしていれば、いずれチャーリーとイザベルは愛し合ったかもしれない。
 なんの問題もなかったんだ。

 チャーリーがわがままで、アホで、無神経だから、たくさんの人が振り回され、傷ついた。

 いちばんの犠牲者はベアトリスと、その弟ハロルド。
 この善良な姉弟を、完膚なきまでにコケにして、傷つけて、大団円て……。
 そして、このふたりがまた「いい人」で、「きれいに身を引く」ことで、都合良く収めているのにも、不快極まりない。

 ベアトリスとハロルドは「いい人」じゃなくて、「都合のいい人」だよ……作者にとって。薄っぺらぺらな設定。

 相当うんざりしてたんだけどね。
 おばーさまがこの「どんでん返し」で滑稽な言動を取るのよ。で、客席からは笑いが起こったの。

 心が、冷えた。

 あー、だめだ。
 もうダメだ。
 限界超えたわー。

 おばーさまは、チャーリーに負けず劣らず、下劣な人だ。お金のためにカメレオン、態度を変えまくり。
 貴族は「家を守る」使命がある、そのためにやっている……ようには、見えない。
 だって彼女は「お笑い担当」なんだもの。遺産目当てに態度を変えまくる様を、ことさら滑稽に演じ、笑いを取る。
 貴族の使命で、家を守るためにあえて金満者へこびへつらっているというなら、それに対する葛藤を描いてもらわないと。
 ただ彼女は、コロコロ態度を変えて客席を笑わせる、それだけ。

 わたしは、笑えなかった。
 チャーリーとイザベルがくっつけば、遺産が手に入るのだ、ということが最初からわかっているのに、そんな基本設定を金の亡者のおばーさまが忘れているとかありえない。それこそ、「赤信号は止まれの意味」レベルで。
 そんな赤信号レベルの基本設定を「どんでん返し」として持ってくる構成にドン引きだし、そこでことさらコミカルにするのも、アタマが悪すぎる。

 そしてなにより、つまらなさすぎるオチで、そのうえ下劣な言動を、笑いにする演出に、絶望した。

 あかんわこりゃ。

 植爺に対する絶望感と同種だわ。
 人としておかしい、のに、それを「美談」だと思っている倫理観。

 きもちわるい……。

 チャーリーやおばーさまがどんだけアホで下劣でも、ストーリー構成が秀逸で、「こう来たか! 思いもしないどんでん返し!」なら、スカッとしたと思う。
 エンタメってのは、そういうもんだ。
 共感はなくても、カタルシスは味わえる。

 が、脚本クソだし、キチガイしかいないんじゃ、ナニを楽しめというんだ……。

 また、ストーリー的にどんだけありきたりで、先が見えて、どんでん返しにもならない、んなもん最初からわかってたよ!な作品でも、キャラクタに共感できればそれは感動になる。

 共感もなく、ストーリーは破綻しまくり。ストーリーを進めるために、主人公はアホで無神経でその場限りの言動を繰り返す。

 なんなのこれ。
 ほんとに、心からわけがわからなかった。
 『相続人の肖像』は、昨今のバウにしてはめずらしいほどの、徹底的な絶望作品。ここまであざやかに「無理!」なのは久しぶり。スズキケイの『灼熱の彼方』以来かしら。

 作品に絶望したのは、最後まで観終わってから。
 1幕が終わった幕間では、まだこんなにひどい話だと思ってないから、ただただ困惑していた。
 あまりに、つまらなくて。

 主人公がアホ過ぎて、彼の悩みが全部彼のせいで、ナニを悩むのか理解出来ないし、演出的にも盛り上がる部分がナイ。
 ここまでなにもない作品もめずらしい……これ、後半どうするんだろ? そもそも1幕使ってナニも起こってない……起こっていること全部主人公都合だから、主人公の気が変わるだけで終わっちゃうから、ナニも起こってないのと同じだし……。

 で、あまりに困惑して、HPの作品解説を読んだ。

 そこで、顎を落とす。

>遺言により、邸以外の財産はすべて後妻のヴァネッサと、彼女の連れ子であるイザベルに譲られることが約束されていた。

 へ?
 なんだこの設定?
 本編とチガウよ?
 財産は没収されちゃうのよね? ヴァネッサたちは無一文なのよね?

 わたしが引っかかった設定のひとつ、伯爵は何故愛するヴァネッサに遺産を遺さなかったのか? が、作品解説ではちゃんと疑問を持たない設定になっている。
 なんで脚本変更したの?
 HPにある作品解説の方が、ずっとマシなのに。つか、ありがち設定なのに。
 わざわざ間際に変更したってこと?

 意味わからんわー。

 そしてもうひとつ、驚いたこと。

>亡き父の不実の愛と、遺産相続を巡る騒動を背景に、貴族の青年の成長をユーモラスに描く。

 ユーモラス?

 どこが?
 お墓(人の死)からはじまったこの物語、めっちゃシリアスですが?
 おばーさまひとりお笑い担当で……。

 あ、そうか。

 この話のわけわからなさって、ここに答えがあるんだ。
 と、思い至った。

 コメディにしかならないネタを、重くドシリアスにやってるから、収まり悪いんだ。

 チャーリーの「いやだいやだ、えーんえーん」というキャラクタぶりも、おばーさまの「手のひら返し、おほほほ」というわざとらしく滑稽なキャラクタぶりも、「きらーん、どかーん♪」と存在が浮きまくっているハロルドも。
 コメディなら、アリなんだ!

 でもでも、まったくもってコメディにはなってない。
 ずんちゃんの芝居は重くて、暗い。
 地に足つきまくっていて、軽妙さがナイ。

 ユーモラスに描いていたなんて、まったく気づかなかったわ……。

 『A-EN』がコメディだからアリだったようなもん、あのマンガ的な軽い話とキャラクタを、ドシリアスにやられてたらキツかったはず。深刻でゆるさのカケラもない世界観で、点数稼ぎに女の子利用する主人公とか、相当うまく描かないと地雷踏むよ? お気楽コメディだからOKだったけど。

 作品解説が書かれたのはずっと前、それこそ企画段階のものよね……。
 田渕せんせは最初、コメディ寄りに考えてたんだわ……。でも、出来上がったら何故か、無駄にシリアスになってた……ナニ? なんか「いい話」にするため?

 意味わからん……。

 で、混乱したまま、2幕を見て。
 「信じられないくらいつまらない」は、「めっちゃムカつく」にランクアップしたのでした(笑)。

 植爺、スズキケイと続く、第三の男になり得るか、田渕せんせ?
 「ゆがんだ倫理観」「ひとの心を持たない無神経さ」が芯を貫き、「構成力皆無」「物語作れません」的なプロットがその特徴! てな(笑)

 ……たまたま、この作品でなんかのはずみで大失敗しちゃった、ってだけだといいな。
 『サンクチュアリ』は見てないから知らないけど、『Victorian Jazz』も似た作りだったぞ? 主人公は無神経に犯罪を繰り返しながら罪悪感もなく、ストーリーは破綻、辻褄が合ってなかった。途中でテーマがぶれて、誰のナニを描きたくてはじめた物語か、わかんなくなってたよなー。『Victorian Jazz』はコメディだったから、無神経でもまだ逃げ道があったけど。

 デビュー作と同じ間違いをしており、さらに品質レベルダウンしている、って、大丈夫か?
 『相続人の肖像』を、ひどいと思う。

 主人公のチャーリーは頭おかしいし、ヒロインもどうかと思うし、主人公のおばーさまもひっでーし。
 ストーリーは破綻しているし、第一につまらないし。

 この話ダメだー、と思い、ダメな理由はいくらでも挙げられるけれどそれら含めてわたしがいちばん許せないのってつまり。

 「物語」の不誠実さ。

 ……に、尽きると思う。


 主人公がキチガイだとかのーみそがナイとか、つまらなくて盛り上がらなくて途方に暮れるとか、別にそれはそれでいいのよ。や、よくないし、文句言うけど(笑)、ただあきれるだけでムカつかない。そこまでの興味も労力もわかない。
 ずんちゃんの格好良さだけで誤魔化される。「つまんなかったなー、でもずんちゃんがカッコよかったからいっかー。衣装似合ってたー」とか。ヅカヲタらしい、あったま悪い感想でまとめることが出来た。
 ヅカに駄作はつきもの、多少の駄作で本気で腹立ててたらヅカヲタなんかやってらんないわ、てな。

 ムカついたのは、創作姿勢。

 この物語の「壊れた部分」のほとんどは主人公チャーリーにある。
 彼が人としてあり得ないくらい、バカであること。ふつーののーみそや感性があれば、絶対しないことばかりをやり続けること。

 でもさ、いくらなんでもおかしいよ。ここまでアホなキャラクタを、何故作る?
 チャーリーをアホだと言って憤慨するのではなく、「何故チャーリーは、あそこまでバカで恥知らずである必要があるのか?」を考える。
 結果には、原因がある。
 チャーリーの知能や人格が「歪められている」部分は、すべて、「物語」の都合による。

ケース1.自分も他人も不幸になるとわかっていて、ヴァネッサを追い出そうとする。
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

ケース2.金目当てで政略結婚を目論む。家名目的の成金娘ではなく、自分に恋している純情一途な幼なじみをターゲットに選ぶ。
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

ケース3.政略結婚しなければならないのに、他の子を愛してしまった! 許されない恋! 破産しても真実の恋を貫く!
 知能と人格に問題のある行動。何故こんなことをする?
  ↓
《理由》
(誤)知能と人格に問題があるから。
(正)そうしないと、ストーリーが進まないから。

 ……すべてにおいて。
 あきらかに「おかしい」ところって、「そうしないと、ストーリーが進まない」ところなの。

 チャーリーがヴァネッサを追い出そうとしなければ、政略結婚騒動もなく、ベアトリスを巻き込んだ四角関係にもならず、なんの事件も起こらないまま話は終わっていた。
 チャーリーとイザベルは今の脚本でも、別になにかあって恋に落ちたわけじゃない。なんで恋したのかわかんないレベルだ。それでいいなら、一緒の屋敷で暮らしてたら、なんてことない日常のうちにくっつくだろう。
 開始10分で終了、ですかね。

 それではいかんから、チャーリーにヴァネッサを追い出すと言い張らせる。話を10分で終わらせないために。ストーリー上の「事件」が必要だから、わけわかんない言動を取らせる。
 わけわかんないことだから、周囲は混乱、「大変だ!」と大騒ぎ。

 都心の人であふれるスクランブル交差点で、突然裸踊りしたら騒然となるよね。「なにごと?!」って。怒号が飛び交い、悲鳴が上がり、逃げ出す人や囃し立てる人、制止しようとする人、反応さまざまで大騒ぎ。
 でもふつーの人は、突然裸踊りなんかしない。
 でも、ふつーのままじゃ「物語」にならないから、突然主人公に裸踊りをさせる。それで「大事件だ!」「盛り上がった!」……って。あのー、それで、主人公の人格は……? そんなことをする主人公に、どう感情移入しろと……?

 政略結婚だって、ベアトリスを利用することだって、「する必要のないこと」なのに、チャーリーの意志でやらせる。ストーリー上の「事件」を起こすために。
 イザベルとの恋に障害なんかないのに、「タカラヅカのお約束、許されない恋に悩む」というストーリー上の「事件」を起こすために苦悩させる。

 「事件を起こす」「ストーリーを進める」ことが第一目的で、キャラクタの人格はその「辻褄合わせ」にしか使われていない。
 「こういう性格のキャラクタだから、必然的に裸踊りをするに至ったのだ」ではなく、「裸踊りをする必要が主人公にではなく、作者にあった、だから主人公は裸踊りをした」、なんだ。主人公自身には裸踊りする理由はない。
 で、作者は「そんな性格なんだよ。そんな人も世の中にいるよ」と、あとから理由付けする。……そりゃ、どんな性格の人間だって地球上にはいるだろうけど、そんな変質者をなんで宝塚歌劇の主人公にしなけりゃならないんだ。

 わたしが許せないのは、そこなんだ。
 人混みで突然裸踊りをすりゃ、そりゃ騒ぎになるよ。でもそれって、禁じ手じゃないの?
 どんなドラマティックな展開だって、主人公の人格と知能を無視すれば、いくらでも作れるよ。出来事に合わせて、いくらでも性格や言動を変えればいいんだもん。あきらかにおかしな行動だって「そんな性格なんです」って言えばいい。

 「遺言に従わなければ無一文」「みんなを守るために政略結婚」「一途に愛してくれる幼なじみ、その弟で幼なじみの親友、憎い仇の娘、との四角関係」「障害を乗り越えて愛し合うふたりがハッピーエンド」……盛り上がりそうな「事件」だけ作って、それらをつないで機能させる努力はしない。主人公の人格や知能を無くし、「盛り上がる方へ」選択させ続ける。
 なんて簡単なお仕事。

 イザベルとチャーリーが結婚すれば遺産相続できて、ハッピーエンド……と最初からわかっているのに、そのことに誰も気づかず、ふたりが結婚すると破滅だ!!と大騒ぎする「クライマックス」を観て、絶望した。
 それまでくすぶっていたモノが爆発したのは、そこでわかったからだ。
 今までの疑問、不快さの答えが「手抜き」によるものだと。

 なんで裸踊りするような人が主人公なんだろう……? 不快だわ、そんな主人公、と思って観ていたら、「別に理由はないよ。だって裸踊りしないと、話が進まないんだもーん」という答えを聞かされ、ちゃぶ台返しそーになった、てなもん。

 わたしダメなのよ、不誠実な創作物。
 たとえつまらなくても、破綻しまくっていても、作者が「俺はコレが描きたいんどぅわああぁぁっ!!」って鼻血出しながら書いてるモノとか、「倒れるまで必死に書きました、出来はともかく、これが今の私の精一杯です」てなモノなら、OKなの。
 伝わるじゃん、そーゆーの。
 原作に敬意のないメディアミックス作品とか、消費者(客)を見下した片手間作品とか、作り手の態度や誠意ってのは伝わってしまうから、わたしのよーな文句多い人間以外の、一般の方々だってそのテのモノを嘆いてるじゃん。

 主人公やキャラクタの人格や知能をぶっ壊して、都合良くストーリーを回すことだけ考えた作品は、わたしの逆ツボ。
 拒絶反応出る。
 花組新人公演『新源氏物語』感想。

 まず、なにがなんでも、観たかったの。この新人公演。
 演目が発表されたときから、まだ誰が新公主演するとか、なんもわかんないときから、ただひたすら願っていた。

 カレーくんの光源氏が観たい。

 美しかろう。
 そりゃあもう、美しかろう。

 今の花組で「源氏物語」やるなら、カレーくんの光源氏を見ずにどうする!! 彼が光源氏をやらずにどうする!!
 ……てなもんでな。
 かなり前から、勝手に盛り上がってました。

 そして、頭中将@マイティー!!

 カレーくんとマイティーが親友役! しかも美しい平安モノで、「源氏物語」で!!
 うっきゃ~~!!
 見る見る、あたし絶対コレ見る~~!!


 えー……。
 これだけで舞い上がって、ヒロインが誰かも知りませんでした……。すまぬ……。

 まず、歌は気になりませんでした。
 カレーくんというと歌にびっくりするのがお約束なんだけど、気にならなかった。そりゃうまくはないんだけど、世界観を壊すほどじゃなかった。
 わたしが彼のビジュアルにぼーっとなっていた、せいかもしれないが(笑)。

 カレーくんの源氏には、より繊細さを感じたんだ。
 不安定さかな。

 彼が見ている世界は、どんな色に映っているんだろう。
 そう思う。

 出来事のひとつひとつに、人との言葉ややりとりに、ふるえている、感じがする。
 ぶるぶる、という震えではなくて、水面が揺れるあの感じ? 波動? とても小さな、かすかな揺らめき。
 世界……人であれ、出来事であれ……に触れるたび、水面が揺れる。波と言うにもささやかな、表面に揺らぎが起こる。
 そんな青年。

 だから彼の女性への接し方が、切なくてな。
 藤壷@ひらめちゃんよりも、六条御息所@帆純くんと接しているときに強く感じた。
 ああ、つらいな、って。
 六条御息所への気持ち……というか、自分の内側に向かう棘のようなものが、六条と話すことで押されるっていうか、痛いよなー、そんなの。
 藤壷とまともに接しているところがラブシーンしかろくにないもんで、そっちは必死さの方にベクトルが向いてて、棘と揺らめきは六条がわかりやすい。

 カレーくんの芝居がうまいのかどうかは知らない。
 芝居という、「肉体を使って表現する」技術自体は、ダンスほど鍛えられてはいないのだと思う。だから発声ひとつとっても、未成熟さを感じる。
 技術が未成熟である分、テンション高い表現の方がボロが出やすい。大きく跳ね上がる感情を表現する方法として、声や肉体を制御することが、現時点では不得手なんだと思う。
 だから、静かな芝居の方が、今あるモノで表現しやすいのではないかと思う。
 トートも、そして光源氏も。
 外側に跳ね上がるのではなく、今の輪郭の中だけで勝負する。
 そして、そーゆー芝居をしているカレーくんは、わたしの琴線をくすぐる。
 彼の輪郭に、勝手に好きなモノを投影して見ているのかもしれない。好みの姿をした人に、好みの内面を想像する。彼の芝居云々ではなくて。
 そうだとしても、それをさせてくれるのが、カレーくんであり、カレーくんの芝居なんだ。

 だから好きなのよ。
 カレーくんの芝居。

 主演だと彼をじっくり見られるからいいなあ。
 本公演だと、彼以外の主要キャラを見ちゃうからね、どうしても。

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