『舞音-MANON-』初日を観劇したとき、彷彿としたのは『舞姫-MAIHIME-』よりも、『愛と革命の詩』だ。

 白い鳥、黒い鳥が踊ってて、白いベッドでいちゃいちゃウフフ、主人公ナニもしなくて、歌で革命で、お手紙で。
 ナニもしない主人公がトップスターで、革命側でアクションを起こしているのが2番手ね。革命側にはおいしい別格さんもいるわ。
 最後、せっかくダンスのみで表現してきた鳥さんが、突然テーマを語り出して台無しになるとこまで、一緒(笑)。

 『HOLLYWOOD LOVER』を焼き直して『My dear New Orleans』を作ったように、『愛と革命の詩』を焼き直して『舞音-MANON-』を作ったのかなあ。

 どーでもいいけど、景子タンが焼き直す作品って大抵駄作よね(笑)。

 納得のいく出来映えだったら、焼き直そうとは思わないんだろうな。
 だから、「焼き直しキターーッ!」と思ったら、元も新も、クオリティはビミョー、ということで。
 現状に納得しないところはいいよね。あとは、焼き直して、もっといい作品にさえしてくれれば。……大抵、よくなってないのがつらいところ。

 元が『愛と革命の詩』ならなおさら、舞台がフランスではダメだったんだろう。
 だって、ビジュアルが似通ってしまったら、ますます焼き直しだってバレるじゃん。見え見えすぎるじゃん。
 アジアに変更するぐらい、思い切ったことをしないと。

 でも、ベトナムに変更してしまったのが、敗因のひとつになってると思うの……。


 美意識の塊である景子せんせらしく、『舞音-MANON-』はとても美しい。
 画面も音楽も、1枚の絵のようだ。

 しかし。

 画面として、フレームに収まるモノとして美しくても、それはほんとのとこ、チガウんじゃないかなと。

 遠景は美しいけれど、個々が美しくない。
 だってアジアだもの、ベトナムだもの。
 ベトナムの貧しい人々の服装とか、市民の服装とか、……タカラヅカ的に、美しくないよね……。
 や、ベトナムが悪いわけではなくて、ヅカファンの好むモノの話。
 どんだけ意義があって文化として美しいとしても、日本物の青天ちょんまげ尻からげがヅカでは人気ないように、文化としての美しさとか時代考証とかの次元ではなく、「タカラヅカ」として向いている世界か否か、という基準があるのよ。

 アオザイはたしかに美しい衣装だけど、「アオザイと輪っかのドレス、どっちが好き?」とヅカファンに聞いた場合、アオザイ選ぶのは何パーセント?
 女性でソレなのに、男性となるとベトナムはさらにもの悲しい。フランス舞台のときより、男役を美しく見せない衣装だもの。
 でもってタカラヅカは男役中心、男役がかっこよくてなんぼ。

 ストーリーと関係ないダンス場面はとてもきれいだけど、肝心のストーリー部分がきれいじゃない、どうしても画面が泥臭くなる、というのは。
 タカラヅカの芝居作品として、どうなのかと。

 景子せんせのこだわりは、ストーリーとか男役の格好良さとかとは、別のところにあったのかなあ。

 それはとても残念だ。

 や、それでもまさおとみやちゃんは美しいし、このふたりがいつも一緒でほんと眼福なんだけど。
 他のみんなも個々には美しいんだけど。

 なんだろう、この画面の「美しいけれど、沈んで躍動しない」感じは。
 せっかく独立運動という、派手なパーツも使ってるのにね。

 まあ、なんだ。
 「安直な焼き直しは駄作にしかならん」を、前作同様、今回もまた体現した感じ?

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