安直な焼き直しは……。@舞音-MANON-
2015年12月5日 タカラヅカ 『舞音-MANON-』初日を観劇したとき、彷彿としたのは『舞姫-MAIHIME-』よりも、『愛と革命の詩』だ。
白い鳥、黒い鳥が踊ってて、白いベッドでいちゃいちゃウフフ、主人公ナニもしなくて、歌で革命で、お手紙で。
ナニもしない主人公がトップスターで、革命側でアクションを起こしているのが2番手ね。革命側にはおいしい別格さんもいるわ。
最後、せっかくダンスのみで表現してきた鳥さんが、突然テーマを語り出して台無しになるとこまで、一緒(笑)。
『HOLLYWOOD LOVER』を焼き直して『My dear New Orleans』を作ったように、『愛と革命の詩』を焼き直して『舞音-MANON-』を作ったのかなあ。
どーでもいいけど、景子タンが焼き直す作品って大抵駄作よね(笑)。
納得のいく出来映えだったら、焼き直そうとは思わないんだろうな。
だから、「焼き直しキターーッ!」と思ったら、元も新も、クオリティはビミョー、ということで。
現状に納得しないところはいいよね。あとは、焼き直して、もっといい作品にさえしてくれれば。……大抵、よくなってないのがつらいところ。
元が『愛と革命の詩』ならなおさら、舞台がフランスではダメだったんだろう。
だって、ビジュアルが似通ってしまったら、ますます焼き直しだってバレるじゃん。見え見えすぎるじゃん。
アジアに変更するぐらい、思い切ったことをしないと。
でも、ベトナムに変更してしまったのが、敗因のひとつになってると思うの……。
美意識の塊である景子せんせらしく、『舞音-MANON-』はとても美しい。
画面も音楽も、1枚の絵のようだ。
しかし。
画面として、フレームに収まるモノとして美しくても、それはほんとのとこ、チガウんじゃないかなと。
遠景は美しいけれど、個々が美しくない。
だってアジアだもの、ベトナムだもの。
ベトナムの貧しい人々の服装とか、市民の服装とか、……タカラヅカ的に、美しくないよね……。
や、ベトナムが悪いわけではなくて、ヅカファンの好むモノの話。
どんだけ意義があって文化として美しいとしても、日本物の青天ちょんまげ尻からげがヅカでは人気ないように、文化としての美しさとか時代考証とかの次元ではなく、「タカラヅカ」として向いている世界か否か、という基準があるのよ。
アオザイはたしかに美しい衣装だけど、「アオザイと輪っかのドレス、どっちが好き?」とヅカファンに聞いた場合、アオザイ選ぶのは何パーセント?
女性でソレなのに、男性となるとベトナムはさらにもの悲しい。フランス舞台のときより、男役を美しく見せない衣装だもの。
でもってタカラヅカは男役中心、男役がかっこよくてなんぼ。
ストーリーと関係ないダンス場面はとてもきれいだけど、肝心のストーリー部分がきれいじゃない、どうしても画面が泥臭くなる、というのは。
タカラヅカの芝居作品として、どうなのかと。
景子せんせのこだわりは、ストーリーとか男役の格好良さとかとは、別のところにあったのかなあ。
それはとても残念だ。
や、それでもまさおとみやちゃんは美しいし、このふたりがいつも一緒でほんと眼福なんだけど。
他のみんなも個々には美しいんだけど。
なんだろう、この画面の「美しいけれど、沈んで躍動しない」感じは。
せっかく独立運動という、派手なパーツも使ってるのにね。
まあ、なんだ。
「安直な焼き直しは駄作にしかならん」を、前作同様、今回もまた体現した感じ?
白い鳥、黒い鳥が踊ってて、白いベッドでいちゃいちゃウフフ、主人公ナニもしなくて、歌で革命で、お手紙で。
ナニもしない主人公がトップスターで、革命側でアクションを起こしているのが2番手ね。革命側にはおいしい別格さんもいるわ。
最後、せっかくダンスのみで表現してきた鳥さんが、突然テーマを語り出して台無しになるとこまで、一緒(笑)。
『HOLLYWOOD LOVER』を焼き直して『My dear New Orleans』を作ったように、『愛と革命の詩』を焼き直して『舞音-MANON-』を作ったのかなあ。
どーでもいいけど、景子タンが焼き直す作品って大抵駄作よね(笑)。
納得のいく出来映えだったら、焼き直そうとは思わないんだろうな。
だから、「焼き直しキターーッ!」と思ったら、元も新も、クオリティはビミョー、ということで。
現状に納得しないところはいいよね。あとは、焼き直して、もっといい作品にさえしてくれれば。……大抵、よくなってないのがつらいところ。
元が『愛と革命の詩』ならなおさら、舞台がフランスではダメだったんだろう。
だって、ビジュアルが似通ってしまったら、ますます焼き直しだってバレるじゃん。見え見えすぎるじゃん。
アジアに変更するぐらい、思い切ったことをしないと。
でも、ベトナムに変更してしまったのが、敗因のひとつになってると思うの……。
美意識の塊である景子せんせらしく、『舞音-MANON-』はとても美しい。
画面も音楽も、1枚の絵のようだ。
しかし。
画面として、フレームに収まるモノとして美しくても、それはほんとのとこ、チガウんじゃないかなと。
遠景は美しいけれど、個々が美しくない。
だってアジアだもの、ベトナムだもの。
ベトナムの貧しい人々の服装とか、市民の服装とか、……タカラヅカ的に、美しくないよね……。
や、ベトナムが悪いわけではなくて、ヅカファンの好むモノの話。
どんだけ意義があって文化として美しいとしても、日本物の青天ちょんまげ尻からげがヅカでは人気ないように、文化としての美しさとか時代考証とかの次元ではなく、「タカラヅカ」として向いている世界か否か、という基準があるのよ。
アオザイはたしかに美しい衣装だけど、「アオザイと輪っかのドレス、どっちが好き?」とヅカファンに聞いた場合、アオザイ選ぶのは何パーセント?
女性でソレなのに、男性となるとベトナムはさらにもの悲しい。フランス舞台のときより、男役を美しく見せない衣装だもの。
でもってタカラヅカは男役中心、男役がかっこよくてなんぼ。
ストーリーと関係ないダンス場面はとてもきれいだけど、肝心のストーリー部分がきれいじゃない、どうしても画面が泥臭くなる、というのは。
タカラヅカの芝居作品として、どうなのかと。
景子せんせのこだわりは、ストーリーとか男役の格好良さとかとは、別のところにあったのかなあ。
それはとても残念だ。
や、それでもまさおとみやちゃんは美しいし、このふたりがいつも一緒でほんと眼福なんだけど。
他のみんなも個々には美しいんだけど。
なんだろう、この画面の「美しいけれど、沈んで躍動しない」感じは。
せっかく独立運動という、派手なパーツも使ってるのにね。
まあ、なんだ。
「安直な焼き直しは駄作にしかならん」を、前作同様、今回もまた体現した感じ?