それはみんな女の子のために。@ガイズ&ドールズ
2015年11月10日 タカラヅカ 2002年月組の『ガイズ&ドールズ』では、ナイスリー@ゆーひくんの歌う主題歌に泣かされた。
ピンク×黒のお洒落スーツに身を包んだ美青年が、明るくコミカルに歌い出す。
「♪男達が星を欲しがる みんな女の子のために」
雨の中待ち続ける男、高い家賃を払う男、貯金して毛皮を買う男……すべては女のために。
ナイスリーの背景には、女の尻に敷かれた情けない男達が登場する。
荷物持ちしたり、赤ん坊の面倒をみたり。
なんともかっこわるい、滑稽な姿。
女のために生きる男はかっこ悪い。笑える。
そう表現するように。
だけどこの「滑稽な姿」は、なんともあたたかい。
ナイスリー自身も「女のために生きるなんてくだらない」と言っているわりに、その「くだらない」者たちへの態度がやさしい。
物語の「クールな男」たちは、女を泣かせて自分の生き方を貫く。物語は大抵そーゆー男をもてはやす。
女ごときに足を取られない、むしろ女を足蹴にする男こそがかっこいい、と描く。
『ガイズ&ドールズ』に出て来る男たちだって、ろくでなしばかりだ。ギャンブルに明け暮れて、女を不幸にする。(ここでアデレイドちゃん、くしゃみヨロシク)
ろくでなしを描き、「女のために生きる男はかっこわるい」と言いながら……じつは、とても女にやさしい。
ナイスリーの後ろで女の尻に敷かれているモブの男たちの、しあわせそうなこと!
女のために滑稽になっている男たちは、ちゃんとしあわせなんだよ。
自分の意志で、そうしているの。
そして、それを揶揄しているようなナイスリーたち3バカトリオもまた、そんな男たちを結局のところ肯定している。唾棄するような目で見ない。
ろくでなしのスカイが、ネイサンが、愛した女のために生き方を変える。
かっこいいギャンブラーをやめて、かっこわるい勤め人になる。サラとアデレイドが妄想した「マイホームパパ」姿のように。
自分を捨てて生き方を変える、おもねる、曲がる、流される……女のために、それが出来る男たち。
しあわせそうに、やってしまえる男たち。
それは滑稽かもしれないけど……最高に素敵。
人生指南本には書いてあるよ、「他人を変えることは難しい、まず自分が変わりましょう」。
でも我らがヒロイン、サラとアデレイドは「愛する男の生き方を変えさせる!」「それで結婚するわ!」と拳を握る。
えー、そんな無茶な。
でも、その無茶が通ってしまう。
2時間かけて「生き方は変わらない、変えられない」とやってたのに、サラとアデレイドが「♪結婚するわ」と歌った次の場面では、変わっているし。
だからそれは、愛の奇跡。
男たちは、愛の前に敗北した。
生き方を変えてでも、愛を選んだ。女を選んだ。
嫌々ではなく、渋々ではなく、意気揚々と。
主題歌を歌うナイスリーの後ろで女にへこへこ踊っていた男たちのひとりに、なったわけだ、我らがスカイもネイサンも。
愛に敗北したこと……「♪すべては女のためにすること」と、誇らしく。
だから泣けるの。
「ガイズ&ドールズ(野郎どもと女達)」というこの主題歌に、「まさに主題歌!!」を感じて。
この物語のテーマそのまま、愛に敗北することに、胸を張る男たちの歌。
それを歌うのが、ナイスリーたち3バカトリオだってのがいいよね!
たぶんいちばんなんにもわかってない奴らが歌っちゃうのがいいね!
ナイスリーたちって、この物語の「スタンダード」な男たちだもの。中庸っていうか、基本値っていうか。
そういう男たちが歌い、最後は主人公の物語がそこに帰着する、というのがいい。
大好きな主題歌と場面だから、今回の星組再々演版でもたのしみにしていたんだけど……。
ここでは、泣けなかったっす……。
さやかさんはうまいから、はじめて(←)まともに歌詞が聴き取れた!てなもんだけど……うまさとは別。
さやかさんのナイスリーは賢そうで、ゆーひくんのあっけらかんとしたバカさとはチガウのな。
なにより、見た目が……。
女に不自由しないだろう美青年が歌うから、よかったのよ~~。
さやかさんのナイスリーだと、彼を愛する女は、彼自身、彼の中身に惚れてるんだと思える。人生の真理を知った中年男が歌うのは、チガウのよ。
ゆーひナイスリーだと、中身より外見で惚れる女が後を絶たないだろうってもんで、「愛のなんたるかを知らない」のーみその軽い男の子が歌うのが、よかったのよ。
や、あくまでもわたし限定のツボの話。
再演のときの感涙ポイントが、「わー、歌詞わかるー、ふつーにうまいー」で、まったく意味合いのチガウ場面になっていたことに、おどろきました。
や、もともとナイスリーはでぶ中年の役で、ゆーひくんが特異だったんだってことは、わかってる。さやかさんのが正しいことは。
でも、正しいことに感動するとは限らないわけで。
わたしはイレギュラーな再演版のナイスリーと彼の場面に、勝手な視点でテーマを解釈して感動していたのよ。
勝手上等。
それが間違いで、そんなこと思っていたのがわたしだけなら、なおさらラッキー、感動できて得したわ~~。
今回の再々演版は、ツボは別のとこにあるからね。
別のところで、泣けるから。
違ってていいんだ。
それこそが、再演の楽しみ。
ピンク×黒のお洒落スーツに身を包んだ美青年が、明るくコミカルに歌い出す。
「♪男達が星を欲しがる みんな女の子のために」
雨の中待ち続ける男、高い家賃を払う男、貯金して毛皮を買う男……すべては女のために。
ナイスリーの背景には、女の尻に敷かれた情けない男達が登場する。
荷物持ちしたり、赤ん坊の面倒をみたり。
なんともかっこわるい、滑稽な姿。
女のために生きる男はかっこ悪い。笑える。
そう表現するように。
だけどこの「滑稽な姿」は、なんともあたたかい。
ナイスリー自身も「女のために生きるなんてくだらない」と言っているわりに、その「くだらない」者たちへの態度がやさしい。
物語の「クールな男」たちは、女を泣かせて自分の生き方を貫く。物語は大抵そーゆー男をもてはやす。
女ごときに足を取られない、むしろ女を足蹴にする男こそがかっこいい、と描く。
『ガイズ&ドールズ』に出て来る男たちだって、ろくでなしばかりだ。ギャンブルに明け暮れて、女を不幸にする。(ここでアデレイドちゃん、くしゃみヨロシク)
ろくでなしを描き、「女のために生きる男はかっこわるい」と言いながら……じつは、とても女にやさしい。
ナイスリーの後ろで女の尻に敷かれているモブの男たちの、しあわせそうなこと!
女のために滑稽になっている男たちは、ちゃんとしあわせなんだよ。
自分の意志で、そうしているの。
そして、それを揶揄しているようなナイスリーたち3バカトリオもまた、そんな男たちを結局のところ肯定している。唾棄するような目で見ない。
ろくでなしのスカイが、ネイサンが、愛した女のために生き方を変える。
かっこいいギャンブラーをやめて、かっこわるい勤め人になる。サラとアデレイドが妄想した「マイホームパパ」姿のように。
自分を捨てて生き方を変える、おもねる、曲がる、流される……女のために、それが出来る男たち。
しあわせそうに、やってしまえる男たち。
それは滑稽かもしれないけど……最高に素敵。
人生指南本には書いてあるよ、「他人を変えることは難しい、まず自分が変わりましょう」。
でも我らがヒロイン、サラとアデレイドは「愛する男の生き方を変えさせる!」「それで結婚するわ!」と拳を握る。
えー、そんな無茶な。
でも、その無茶が通ってしまう。
2時間かけて「生き方は変わらない、変えられない」とやってたのに、サラとアデレイドが「♪結婚するわ」と歌った次の場面では、変わっているし。
だからそれは、愛の奇跡。
男たちは、愛の前に敗北した。
生き方を変えてでも、愛を選んだ。女を選んだ。
嫌々ではなく、渋々ではなく、意気揚々と。
主題歌を歌うナイスリーの後ろで女にへこへこ踊っていた男たちのひとりに、なったわけだ、我らがスカイもネイサンも。
愛に敗北したこと……「♪すべては女のためにすること」と、誇らしく。
だから泣けるの。
「ガイズ&ドールズ(野郎どもと女達)」というこの主題歌に、「まさに主題歌!!」を感じて。
この物語のテーマそのまま、愛に敗北することに、胸を張る男たちの歌。
それを歌うのが、ナイスリーたち3バカトリオだってのがいいよね!
たぶんいちばんなんにもわかってない奴らが歌っちゃうのがいいね!
ナイスリーたちって、この物語の「スタンダード」な男たちだもの。中庸っていうか、基本値っていうか。
そういう男たちが歌い、最後は主人公の物語がそこに帰着する、というのがいい。
大好きな主題歌と場面だから、今回の星組再々演版でもたのしみにしていたんだけど……。
ここでは、泣けなかったっす……。
さやかさんはうまいから、はじめて(←)まともに歌詞が聴き取れた!てなもんだけど……うまさとは別。
さやかさんのナイスリーは賢そうで、ゆーひくんのあっけらかんとしたバカさとはチガウのな。
なにより、見た目が……。
女に不自由しないだろう美青年が歌うから、よかったのよ~~。
さやかさんのナイスリーだと、彼を愛する女は、彼自身、彼の中身に惚れてるんだと思える。人生の真理を知った中年男が歌うのは、チガウのよ。
ゆーひナイスリーだと、中身より外見で惚れる女が後を絶たないだろうってもんで、「愛のなんたるかを知らない」のーみその軽い男の子が歌うのが、よかったのよ。
や、あくまでもわたし限定のツボの話。
再演のときの感涙ポイントが、「わー、歌詞わかるー、ふつーにうまいー」で、まったく意味合いのチガウ場面になっていたことに、おどろきました。
や、もともとナイスリーはでぶ中年の役で、ゆーひくんが特異だったんだってことは、わかってる。さやかさんのが正しいことは。
でも、正しいことに感動するとは限らないわけで。
わたしはイレギュラーな再演版のナイスリーと彼の場面に、勝手な視点でテーマを解釈して感動していたのよ。
勝手上等。
それが間違いで、そんなこと思っていたのがわたしだけなら、なおさらラッキー、感動できて得したわ~~。
今回の再々演版は、ツボは別のとこにあるからね。
別のところで、泣けるから。
違ってていいんだ。
それこそが、再演の楽しみ。