花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』において、2幕で不要な場面は、ベルナールとド・ブロイ元帥とロザリーの場面だ。

 ド・ブロイ元帥ってさ、今までにいたキャラクタの台詞や役割をちょっとずつつついただけのキャラクタなのね。
 植爺『ベルばら』の特徴として、「キャラクタはただの記号、人格なんかないから代用可能」というのがある。植爺都合で出なかったキャラの台詞を、別のキャラがそのまんま喋ったりするアレ。
 だからド・ブロイ元帥も、そうやっていろんなキャラのいろんな台詞や立ち位置を流用しているの。
 1幕冒頭とラストでは、プロヴァンス伯爵とブイエ将軍。2幕ではアラン。
 おかげで、彼の人格が初見ではわかんなかった……。バラバラの寄せ集めすぎて。みつるならたぶん、説得力あるキャラに仕上げてくれるだろうけど、初日だけでは無理だった。わたしには。

 王妃救出作戦に荷担しているというベルナール@がりんと、それを止めるロザリー@かのちゃん。
 ベルナールの同志として登場するのは、通常アラン。だから、アランで十分、ド・ブロイ元帥である必要はまったくない。

 というか、もともとこの「ベルナールとアランの王妃救出作戦、それを止めるロザリー」という場面自体、無用。
 そもそもが植爺配役ゆえに存在する、原作にも本作にも不必要な場面だからだ。つまり、ストーリーに必要だからあるのではなく、「格のある役者に台詞を喋らせるため」だけに存在する場面。
 だから、話している内容は整合性ナシの寝言レベルだし、「台詞の水増し」が目的だから、無意味に長い。
 トップ娘役がロザリーだから、あるいはベルナール役が準トップだから、アラン役が劇団推しの若手だから……など、あくまでただの「役者都合」。
 そもそも、ベルナールとアラン、ふたり登場する意味はない。もともとはベルナールひとりだった。配役事情でベルナールの台詞と役割を分けてアランを出した、というだけのこと。キャラはただの記号ですから。

 タカラヅカだから、スターに見せ場を作ることは間違ってないけれど、手法が間違っている。ロザリー、ベルナール、アランの見せ場なら原作に山ほどあるのに、わざわざ原作無視して珍妙なやり取りをさせ、キャラの人格を破壊する。原作を理解出来ない人が脚本演出をしている以上、仕方ないけどな。

 とまあ、もともと大嫌いな場面。
 話している内容は、「革命は失敗だった。だから国王一家を逃がす」というベルナールとアラン。
 この「救出作戦」がねえ……実態が見えなくて、すごくアホっぽい。「処刑せよとの声が高まっている。時間がないんだ」……って、それまったく説得理由にならないし!
 「ばあちゃん、オレだよオレ! 事故っちゃって(革命失敗しちゃって)今すぐ示談金がいるんだ(国王一家を逃がさなきゃいけないんだ)! 時間がないんだ、わかってくれ!」……最低の説得方法。
 それに対する、ロザリーの答え。「王妃様はフランス王妃として死ぬべきだから、反対」。
 説得する方もアホだが、される方はさらに斜め上過ぎて、口が開いてしまう。

 植爺のロザリーの破壊ぶりは凄まじく、彼女は「オスカルは死ぬべき」「王妃は死ぬべき」と、「生きる努力をするよりは、とっとと死んだ方が幸せ」論者。……ロザリーというか、植爺の人生観なんだろう。彼の育った時代のせいかもしれない。
 「生きて恥を重ねるより、潔い死を選ぶ」という考え方自体はありだと思うけれど、それは選択肢のひとつでしかなく、それの正誤は描き方や観る側の受け取り方によってチガウ。
 でも植爺は「選択肢のひとつ・価値観のひとつ」ではなく、「絶対の正義」として押しつけるし、根っこに「正義だから」という思い込みがあるため、「それおかしいんじゃね?」と思う人がいる現実を想定して表現していない。
 自分を絶対正義だと思い込んだ人の言動が他者から奇異に映るのはままあることで、植爺美学で「死ね、死ね!」と言い続けるロザリーはとてもキモチ悪い。

 原作のロザリーはそんな思想は持ってないし。
 彼女は波瀾万丈の人生を、泣き虫さんゆえにべそべそ泣きながら、それでも一途に生きてきた、心優しい女性。「恥をかくぐらいなら死んだ方がいい」という人や、「意志にそぐわない生き方をするぐらいなら、死んだ方がいい」という人がいたら、泣いて異を唱えるはずだ。「それでも生きて」と。「生きていれば、きっといつか幸せになれる」と。

 王妃救出作戦を語るベルナールに「危険だからやめて」と言うのはありだけど、「王妃は死ぬべきだからやめて」と言うのは、おかしい。

 大体、「革命は失敗だった」という記述は、原作にない。
 その獰猛な奔流に疑問を抱く作りにはなっていても、「失敗」と決めつけることはしていない。それはもっとあとの時代の視点だ。
 ベルナールとアランが、革命政府に疑問を抱くにしても、それは別の物語。
 全50話の大河ドラマなら、別作品のネタを融合させてもいいが、2時間半で全10巻の原作を消化しきれず破綻しまくった作りになっているくせに、別ネタを入れるとか、バカなんじゃないの。余計なことをする暇があったら原作のエピソード入れろっつーの。

 わざわざ尺を取って「フェルゼンの力を借りて、救出作戦やるぞ」と語るから、これからどんなことが起こるのだろう! と思ってみても、ナニも起こらない。
 次の場面では、「国王は1ヶ月前に処刑された」と農民たちが話していて、まだ国境も越えてないフェルゼンが「遅かったか!」とがっくりしている……って。
 計画もナニもないのかよ! まだフェルゼン、ベルナールと合流もしてないのかよ!

 ベルナールもアランも、そしてフェルゼンも、ただのまぬけでしかない。

 わざわざ「救出作戦やるよ!」「やめて!」とえんえんやってなければ、フェルゼンが国境で国王処刑を聞いてがっくりしていても、「間に合わなかったのね」で済むのに……大仰な前振りがあるだけに、「不可抗力」が「能力不足」になり、キャラの価値を暴落させる。

 とまあ、もともと百害あって一利なし場面だった。

 それが、さらに、パワーアップした!!
 最低の、まだ下があるとは……!! 植爺恐るべし!!

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