花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』で、いちばん感動したのはメルシー伯爵@エマさんの演技だ。
『フェルゼン編』、『フェルゼンとアントワネット編』共に、「もっとも不要」「もっとも苦痛」と誰もが言う最悪場面が、「メルシー伯爵のお説教」場面だ。
広い広い舞台に、登場するのはふたりだけ。
ひとりはトップスター演じるフェルゼンだからいいとして、もうひとりは専科のおじさま演じるメルシー伯爵。
このふたりが向かい合って椅子に坐り、ただ話すだけの場面。
しかも、メルシー伯爵がひとりで何十行もの台詞を喋る。内容は「説明台詞」で、2行で済ませてもいいことを何十倍に水増しして喋り続ける。フェルゼンはそれに相槌を打つだけ。メルシー伯爵の独壇場。
メルシー伯爵の話は要するに、「不倫はやめろ」という至極もっともなこと。ひとのものに手を出してはいけません。幼稚園で習いましたね?
それに対してフェルゼンが、逆ギレ。「えらそーに説教するけど、自分がかわいいだけじゃないか!」
「じゃあこのまま一国の王妃と不倫し続けるつもり? そんなことができると本気で思ってる?」……そこでさらにメルシー伯爵に正論を吐かれ、フェルゼン沈黙。
画面として美しくないし、舞台に動きはなくて退屈だし、どーでもいい説明台詞の洪水で退屈通り越して苦痛だし、その上「正しいことを言われて逆ギレ、自分の悪は棚上げで相手を攻撃、最終的には論破されてへこむ」という、擁護出来ないくらい最低な姿を「主人公」がさらす。
誰ひとり得をしない、百害あって一利なし場面。
だがこの場面は、植爺がもっとも愛する場面なので、他のどんなに重要だったり人気があったりする場面をカットしたとしても、ここだけは絶対にカットしない。かわされる会話も、追加されて延びることはあっても、削られることはないという、渾身の場面なのだ。
2005年の全ツ版では、「今宵一夜」も「バスティーユ」も全カットだったのに、この「メルシー伯爵のお説教」だけはフルバージョン入ってたさ。
だからフェルゼンをトップスターが演じる場合、「メルシー伯爵のお説教」もセットだと考えなくてはならない。
どんなに苦行であっても、それが現実である限り、受け入れるしかないのだ。ああ、なんて人生の縮図。
とまあ、あきらめて挑んだ初日観劇。
目からウロコが落ちました。
メルシー伯爵のお説教が、うざくない。
もちろん、いらない場面であることは変わらない。もしも神様が「一場面だけ植爺のアタマの中から存在を消してあげましょう」と言ってくれれば、間違いなくこの場面をお願いする。
間違ってるしつまらないし、とても不快な場面であることは、たしかだ。
しかし。
ストレス度合いが、違った。
なまじわたしは、去年の雪組『フェルゼン編』をアホほど観ている。リピートしている。この場面だって笑える回数観てきた。
その記憶があるだけに……驚いた。
エマさんのメルシー伯爵は、偉人には見えなかった。
悪人ではないのだろう、たしかに善良ではあるのだろう……しかしなんというか、小人物だった。
小役人っぽいというか。
へこへこせこせこした感じ。気のいい商人のおじさん。
善良なのはたしかだから、親代わりに見守ってきたマリーちゃんがかわいくて、彼女の思い出を目を細めて語る。
そして、彼女の幸せを思って、彼女を悪の道にそそのかす色男に「別れてくれ」と頼む。
そんなメルシーおじさんを、正義のフェルゼンが一喝する。「あなたは身勝手だ」。
マリーちゃんの幸福と言いながら、自分の保身しか考えてないじゃないか!!
おじさん、痛いとこ突かれて、がーーん! 思わずキョドりつつも反論「で、でも不倫は不倫だろ。このまま続けるなんてむ、無理に決まってる!」。
マリーちゃんの保護者ってことで、たしかにいい目もみてきたわけだけど、メルシーおじさんは悪人じゃない。得をするから育ててきたんじゃない、ほんとにマリーちゃんがかわいくて、その幸せを願っているんだ。
メルシーおじさんを責めても仕方ない。フェルゼンは聡明な青年なので、膝を付いて懇願するメルシーおじさんに、それ以上反論するのをやめた。
……という図式に見えたの。
そうか。
今まであんなに不快だったのは、メルシー伯爵が完全な人格者だったからだ。それゆえにどうしても、フェルゼンが下から上のモノに噛みつく、ように見えた。
メルシー伯爵は本当に年齢的にも経験的にも格上の存在で、「偉人だから、正義オーラがにじみ出ているのは仕方ない」状態だったんだな。
メルシー伯爵の役割は、「正論を説いて、間違ったことをしているフェルゼンを改心させる」……わけだから、礼儀正しくへりくだっていても、基本一歩も引かないというか、えらそーな人だった。
実際、トップスターよりはるかに格上の専科さんが演じるわけだし。その舞台人のとしての年輪も含め、威厳を持って若造を圧倒する場面だ。
正義のメルシー伯爵にたてつくフェルゼンはますます邪悪で、どうしようもないアホに見えた。
それを、どうだ。
メルシー伯爵を「ふつーのおじさん」にしてしまえば、同じ脚本でも、こんなに違う。
間違ったことは言っていなくても、彼に隙があるため、フェルゼンが刃向かっても、フェルゼンの株を下げない。
本人は「王妃様のため」と本気で思って言っているんだけど、フェルゼンに反論されるとびくっとする。聖人でもない限り、自分の言動に1ミリの欲や打算がないがないとは言い切れないものね。
またみりおくんのフェルゼンが、ヒーローオーラ、ゆんゆん。
こずるさのある小者相手に、「私が正義ですが、ナニか?」ってな風情で対峙する。
まさかの、フェルゼン>メルシー伯爵。
今まで砂を吐くくらい繰り返し観てきたいろんなバージョンの「メルシー伯爵のお説教」は、フェルゼン<メルシー伯爵、だったのに。
正しいのも優勢なのもメルシー伯爵。間違っていて負け犬として逃げ出すのがフェルゼン。
それが、ひっくり返された。
メルシー伯爵を小者にすることで、こんなに違うのか!
ちゃんと主人公が正しく、主人公がかっこいい。
それでいてメルシー伯爵も悪人じゃない。ちゃんと「いい人」だ。
だから2幕の最後、牢獄のアントワネット@蘭ちゃんに会いに来るところも、じーんとするんだ。
観客が感情移入出来る、等身大の「いい人」だ。
いやあ、感動しました。
メルシー伯爵の、『ベルサイユのばら』の、新しい可能性だなあ。
『フェルゼン編』、『フェルゼンとアントワネット編』共に、「もっとも不要」「もっとも苦痛」と誰もが言う最悪場面が、「メルシー伯爵のお説教」場面だ。
広い広い舞台に、登場するのはふたりだけ。
ひとりはトップスター演じるフェルゼンだからいいとして、もうひとりは専科のおじさま演じるメルシー伯爵。
このふたりが向かい合って椅子に坐り、ただ話すだけの場面。
しかも、メルシー伯爵がひとりで何十行もの台詞を喋る。内容は「説明台詞」で、2行で済ませてもいいことを何十倍に水増しして喋り続ける。フェルゼンはそれに相槌を打つだけ。メルシー伯爵の独壇場。
メルシー伯爵の話は要するに、「不倫はやめろ」という至極もっともなこと。ひとのものに手を出してはいけません。幼稚園で習いましたね?
それに対してフェルゼンが、逆ギレ。「えらそーに説教するけど、自分がかわいいだけじゃないか!」
「じゃあこのまま一国の王妃と不倫し続けるつもり? そんなことができると本気で思ってる?」……そこでさらにメルシー伯爵に正論を吐かれ、フェルゼン沈黙。
画面として美しくないし、舞台に動きはなくて退屈だし、どーでもいい説明台詞の洪水で退屈通り越して苦痛だし、その上「正しいことを言われて逆ギレ、自分の悪は棚上げで相手を攻撃、最終的には論破されてへこむ」という、擁護出来ないくらい最低な姿を「主人公」がさらす。
誰ひとり得をしない、百害あって一利なし場面。
だがこの場面は、植爺がもっとも愛する場面なので、他のどんなに重要だったり人気があったりする場面をカットしたとしても、ここだけは絶対にカットしない。かわされる会話も、追加されて延びることはあっても、削られることはないという、渾身の場面なのだ。
2005年の全ツ版では、「今宵一夜」も「バスティーユ」も全カットだったのに、この「メルシー伯爵のお説教」だけはフルバージョン入ってたさ。
だからフェルゼンをトップスターが演じる場合、「メルシー伯爵のお説教」もセットだと考えなくてはならない。
どんなに苦行であっても、それが現実である限り、受け入れるしかないのだ。ああ、なんて人生の縮図。
とまあ、あきらめて挑んだ初日観劇。
目からウロコが落ちました。
メルシー伯爵のお説教が、うざくない。
もちろん、いらない場面であることは変わらない。もしも神様が「一場面だけ植爺のアタマの中から存在を消してあげましょう」と言ってくれれば、間違いなくこの場面をお願いする。
間違ってるしつまらないし、とても不快な場面であることは、たしかだ。
しかし。
ストレス度合いが、違った。
なまじわたしは、去年の雪組『フェルゼン編』をアホほど観ている。リピートしている。この場面だって笑える回数観てきた。
その記憶があるだけに……驚いた。
エマさんのメルシー伯爵は、偉人には見えなかった。
悪人ではないのだろう、たしかに善良ではあるのだろう……しかしなんというか、小人物だった。
小役人っぽいというか。
へこへこせこせこした感じ。気のいい商人のおじさん。
善良なのはたしかだから、親代わりに見守ってきたマリーちゃんがかわいくて、彼女の思い出を目を細めて語る。
そして、彼女の幸せを思って、彼女を悪の道にそそのかす色男に「別れてくれ」と頼む。
そんなメルシーおじさんを、正義のフェルゼンが一喝する。「あなたは身勝手だ」。
マリーちゃんの幸福と言いながら、自分の保身しか考えてないじゃないか!!
おじさん、痛いとこ突かれて、がーーん! 思わずキョドりつつも反論「で、でも不倫は不倫だろ。このまま続けるなんてむ、無理に決まってる!」。
マリーちゃんの保護者ってことで、たしかにいい目もみてきたわけだけど、メルシーおじさんは悪人じゃない。得をするから育ててきたんじゃない、ほんとにマリーちゃんがかわいくて、その幸せを願っているんだ。
メルシーおじさんを責めても仕方ない。フェルゼンは聡明な青年なので、膝を付いて懇願するメルシーおじさんに、それ以上反論するのをやめた。
……という図式に見えたの。
そうか。
今まであんなに不快だったのは、メルシー伯爵が完全な人格者だったからだ。それゆえにどうしても、フェルゼンが下から上のモノに噛みつく、ように見えた。
メルシー伯爵は本当に年齢的にも経験的にも格上の存在で、「偉人だから、正義オーラがにじみ出ているのは仕方ない」状態だったんだな。
メルシー伯爵の役割は、「正論を説いて、間違ったことをしているフェルゼンを改心させる」……わけだから、礼儀正しくへりくだっていても、基本一歩も引かないというか、えらそーな人だった。
実際、トップスターよりはるかに格上の専科さんが演じるわけだし。その舞台人のとしての年輪も含め、威厳を持って若造を圧倒する場面だ。
正義のメルシー伯爵にたてつくフェルゼンはますます邪悪で、どうしようもないアホに見えた。
それを、どうだ。
メルシー伯爵を「ふつーのおじさん」にしてしまえば、同じ脚本でも、こんなに違う。
間違ったことは言っていなくても、彼に隙があるため、フェルゼンが刃向かっても、フェルゼンの株を下げない。
本人は「王妃様のため」と本気で思って言っているんだけど、フェルゼンに反論されるとびくっとする。聖人でもない限り、自分の言動に1ミリの欲や打算がないがないとは言い切れないものね。
またみりおくんのフェルゼンが、ヒーローオーラ、ゆんゆん。
こずるさのある小者相手に、「私が正義ですが、ナニか?」ってな風情で対峙する。
まさかの、フェルゼン>メルシー伯爵。
今まで砂を吐くくらい繰り返し観てきたいろんなバージョンの「メルシー伯爵のお説教」は、フェルゼン<メルシー伯爵、だったのに。
正しいのも優勢なのもメルシー伯爵。間違っていて負け犬として逃げ出すのがフェルゼン。
それが、ひっくり返された。
メルシー伯爵を小者にすることで、こんなに違うのか!
ちゃんと主人公が正しく、主人公がかっこいい。
それでいてメルシー伯爵も悪人じゃない。ちゃんと「いい人」だ。
だから2幕の最後、牢獄のアントワネット@蘭ちゃんに会いに来るところも、じーんとするんだ。
観客が感情移入出来る、等身大の「いい人」だ。
いやあ、感動しました。
メルシー伯爵の、『ベルサイユのばら』の、新しい可能性だなあ。