植爺にずっと、聞きたかった。
ルイ16世とアンドレが、同い年だって知ってますか?
アントワネットやオスカルとは、ひとつしか違わないんだよ?
原作を読んだことのない植爺は、知らないのかもしれないけどなー。
ということで。
植爺版『ベルばら』のルイ16世は、概ね苦手だったんだ、わたし。
だって、不自然におじいさんなんだもの。
王様=えらい=老人、という図式が植爺の中にあるんでしょう。
ちなみに、植爺が大好きなメルシー伯爵だって別に、老人じゃない。原作ではロマンスグレーのおじさまとして描かれている。
だけど植爺は、えらいおじいさんが大好き。えらいおじいさんが豪華な服を着て、みんなに尊敬されたり、バカな若者に説教する話が大好き。
また、特別感を出すつもりなのかなんなのか知らないけれど、妙な棒読みで喋らせる。
「ふぇるぜん、キカセテクレホントウノキコクノワケヲ」的な、非人間的な棒読み。
王族はこういう喋り方をする、という演劇界の決まりがあるんですか? それとも史実がこうなの?
決まりだろうが史実だろうが、アントワネットはふつーに喋っているのに、ルイ16世だけカタカナ棒読みは変。
最初に観たときは「あの王様はなにか精神に問題がある設定なのか?」と思ったもんだった……だってひとりだけ、金属的な声で棒読みするんだもの。
時代と共に喋り方はマシになってきたけれど、老人もしくはかなり年配であることは変わらず。
組長や専科さんの役という認識。演じる人が悪いわけじゃない、専科さんたちは学年相応の見た目と芝居をしているだけで、そんなキャスティングをする植爺のセンスの問題。
人格者だとやたらと語られるわりに、「今晩中にこの錠前を開けなくてはならないのだ。たかが百姓の暴動ではないか、軍隊で鎮圧しろ」「暴動ではございません、革命でございます!」……ごとっ(箱を落とす)、てな、アホの子として描かれるし。
なんとも苦手だ。
しかし、花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』。
ルイ16世が、ストレスじゃない!!
まず、若い。
青年ではないし、アンドレと同い年にも見えないけど、少なくともおじいちゃんじゃない。
おかしなカタカナ喋りもしない。ごくふつうだ。
この「ふつう」ってのが、得がたい。
優しく気の弱そうな男の人。一歩腰が引けているというか、「たしかにこの人だったら、アントワネットのこと苦手だろうなあ」と思える、説得力。
統治者としてや政治家としての優秀さはまったく感じないけれど、おっとりとした気品があり、国の象徴として王座にいてくれる分には納得の愛されキャラ。
三部会開催まで切羽詰まった情勢の中、国王だけはちゃんと人気があった(アントワネットには拍手なし)というのがわかる。あー、好かれてたんだろうなあ、この人。
おじいさんだから若いアントワネットにガン無視された、ではなく、性格的なことやいろんな掛け違いがあったために、今の状態なんだなとわかる。
そして、ふつうにいい人だから、その掛け違いがなくなる革命後は、夫婦としていい関係を築けたのだと、納得出来る。
さおたさんはほんとやさしげな、不器用そうな男の人に見えた。
夜の散歩がうざくないって、すげえよ。あ、わたし王様がお小姓連れて庭を散歩するシーン、キライです。不要だと思ってます。子ども相手に夫婦関係の愚痴を言い出す老人とか、嫌すぎる。しかもなにを言われても黙って従うしかない立場の者に、一方的に。
年寄りでもなく、「王族ですから」とロボットみたいな喋り方もせず、ごくふつうに優しく頼りなさそうな男の人が、ほんとに楽しそうにしている。王妃への愚痴も、どこか優しいユーモアをにじませている。
あー、この人いいなあ、好きだなあ。
1幕ラストの「困る」発言も、2幕のアントワネット@蘭ちゃんとのほのぼのぶりも、ストレスなく観られた。
植爺のルイ16世キライだからさ~~、わたしにとって相当ストレスなのな~~。
唯一心から「いらんっ。間違ってるっ」と思うのは、1幕冒頭の「暴動ではございません、革命でございます」「(ごとっ)」場面のみだ。ここはいくらさおたさんが好演していても、やってることがなにもかも間違いすぎてて、無理。
今回のさおたさん観て、『あさきゆめみし2』を思い出したなあ。
終演後友人と「さすが、タカラヅカ一、寝取られ役が似合う男!」と、頷き合った(笑)。
さおたさんってラスボスもよくやるけど、正反対のそーゆー役もハマる人。……実に素晴らしい芸風です、組長!
わたしの大嫌いなメルシー伯爵とルイ16世が、今回の『フェルゼンとアントワネット編』では両方ともストレスが少なくなっていて、大変感動しました。
や、どっちの役も植爺脚本だから間違いまくってるんだけど、その間違った中で最善の役作りをしてくれていた。
エマさんがメルシー伯爵で、さおたさんがルイ16世という配役は良かったなあ。ふつーに考えたら逆だもんなあ。
「中日『ベルばら』どうだった?」っていろんな人に聞かれて、「ルイ16世良かったよ、アントワネットとの別れの場面とかじーんとするよー」てな話をするとき、大抵「そっか、エマさん出てるんだよね」とか「エマさん経験者だしね」とか返ってくる。
待って待って、ルイ16世@さおたさんだよ! と言うと「え? たしかエマさん出てたよね?!」と言われ、エマさん=ルイ16世認識なんだと知る。
で、エマさんがメルシー伯爵だと言うと、意外そうな反応になる。
植爺『ベルばら』の刷り込みすごい。
「意外」なキャスティングだったけれど、ここだけは本当に良かった。
ルイ16世とアンドレが、同い年だって知ってますか?
アントワネットやオスカルとは、ひとつしか違わないんだよ?
原作を読んだことのない植爺は、知らないのかもしれないけどなー。
ということで。
植爺版『ベルばら』のルイ16世は、概ね苦手だったんだ、わたし。
だって、不自然におじいさんなんだもの。
王様=えらい=老人、という図式が植爺の中にあるんでしょう。
ちなみに、植爺が大好きなメルシー伯爵だって別に、老人じゃない。原作ではロマンスグレーのおじさまとして描かれている。
だけど植爺は、えらいおじいさんが大好き。えらいおじいさんが豪華な服を着て、みんなに尊敬されたり、バカな若者に説教する話が大好き。
また、特別感を出すつもりなのかなんなのか知らないけれど、妙な棒読みで喋らせる。
「ふぇるぜん、キカセテクレホントウノキコクノワケヲ」的な、非人間的な棒読み。
王族はこういう喋り方をする、という演劇界の決まりがあるんですか? それとも史実がこうなの?
決まりだろうが史実だろうが、アントワネットはふつーに喋っているのに、ルイ16世だけカタカナ棒読みは変。
最初に観たときは「あの王様はなにか精神に問題がある設定なのか?」と思ったもんだった……だってひとりだけ、金属的な声で棒読みするんだもの。
時代と共に喋り方はマシになってきたけれど、老人もしくはかなり年配であることは変わらず。
組長や専科さんの役という認識。演じる人が悪いわけじゃない、専科さんたちは学年相応の見た目と芝居をしているだけで、そんなキャスティングをする植爺のセンスの問題。
人格者だとやたらと語られるわりに、「今晩中にこの錠前を開けなくてはならないのだ。たかが百姓の暴動ではないか、軍隊で鎮圧しろ」「暴動ではございません、革命でございます!」……ごとっ(箱を落とす)、てな、アホの子として描かれるし。
なんとも苦手だ。
しかし、花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』。
ルイ16世が、ストレスじゃない!!
まず、若い。
青年ではないし、アンドレと同い年にも見えないけど、少なくともおじいちゃんじゃない。
おかしなカタカナ喋りもしない。ごくふつうだ。
この「ふつう」ってのが、得がたい。
優しく気の弱そうな男の人。一歩腰が引けているというか、「たしかにこの人だったら、アントワネットのこと苦手だろうなあ」と思える、説得力。
統治者としてや政治家としての優秀さはまったく感じないけれど、おっとりとした気品があり、国の象徴として王座にいてくれる分には納得の愛されキャラ。
三部会開催まで切羽詰まった情勢の中、国王だけはちゃんと人気があった(アントワネットには拍手なし)というのがわかる。あー、好かれてたんだろうなあ、この人。
おじいさんだから若いアントワネットにガン無視された、ではなく、性格的なことやいろんな掛け違いがあったために、今の状態なんだなとわかる。
そして、ふつうにいい人だから、その掛け違いがなくなる革命後は、夫婦としていい関係を築けたのだと、納得出来る。
さおたさんはほんとやさしげな、不器用そうな男の人に見えた。
夜の散歩がうざくないって、すげえよ。あ、わたし王様がお小姓連れて庭を散歩するシーン、キライです。不要だと思ってます。子ども相手に夫婦関係の愚痴を言い出す老人とか、嫌すぎる。しかもなにを言われても黙って従うしかない立場の者に、一方的に。
年寄りでもなく、「王族ですから」とロボットみたいな喋り方もせず、ごくふつうに優しく頼りなさそうな男の人が、ほんとに楽しそうにしている。王妃への愚痴も、どこか優しいユーモアをにじませている。
あー、この人いいなあ、好きだなあ。
1幕ラストの「困る」発言も、2幕のアントワネット@蘭ちゃんとのほのぼのぶりも、ストレスなく観られた。
植爺のルイ16世キライだからさ~~、わたしにとって相当ストレスなのな~~。
唯一心から「いらんっ。間違ってるっ」と思うのは、1幕冒頭の「暴動ではございません、革命でございます」「(ごとっ)」場面のみだ。ここはいくらさおたさんが好演していても、やってることがなにもかも間違いすぎてて、無理。
今回のさおたさん観て、『あさきゆめみし2』を思い出したなあ。
終演後友人と「さすが、タカラヅカ一、寝取られ役が似合う男!」と、頷き合った(笑)。
さおたさんってラスボスもよくやるけど、正反対のそーゆー役もハマる人。……実に素晴らしい芸風です、組長!
わたしの大嫌いなメルシー伯爵とルイ16世が、今回の『フェルゼンとアントワネット編』では両方ともストレスが少なくなっていて、大変感動しました。
や、どっちの役も植爺脚本だから間違いまくってるんだけど、その間違った中で最善の役作りをしてくれていた。
エマさんがメルシー伯爵で、さおたさんがルイ16世という配役は良かったなあ。ふつーに考えたら逆だもんなあ。
「中日『ベルばら』どうだった?」っていろんな人に聞かれて、「ルイ16世良かったよ、アントワネットとの別れの場面とかじーんとするよー」てな話をするとき、大抵「そっか、エマさん出てるんだよね」とか「エマさん経験者だしね」とか返ってくる。
待って待って、ルイ16世@さおたさんだよ! と言うと「え? たしかエマさん出てたよね?!」と言われ、エマさん=ルイ16世認識なんだと知る。
で、エマさんがメルシー伯爵だと言うと、意外そうな反応になる。
植爺『ベルばら』の刷り込みすごい。
「意外」なキャスティングだったけれど、ここだけは本当に良かった。