『My Dream TAKARAZUKA』の、まっつの胸キュンポイント。

 最後の大階段、エトワールとして真ん中に立つ、その瞬間。

 小さっ!!

 小さな羽を背負ったまっつの、身体の小ささに、びっくりする。

 まっつが小柄だということは、知っている。
 専科・管理職を除いた現役男役で、最低身長だ。
 でかければそれだけで有利であるこの世界で、この小さな小さな人が、闘ってきた。
 努力と実力で、ひとつひとつの障害をねじ伏せてきた。

 小さいことはひと目でわかるけれど、芝居中、あるいはダンス中は、ここまで小さくは見えない。
 確固たる技術ゆえに、存在感ゆえに、身体の大きさを不問にしている。

 だけどこうして、なにもせずにただ大階段の真ん中に出てきたとき。
 大きな劇場の大きな階段の真ん中に立ったとき。

 その「小ささ」が、そのまま出る。
 むき出しになる。

 小さっ。

 こんなに、小さいんだ。
 それこそ、娘役並みに。

 こんなに小さい。
 それが、胸キュン。

 まっつが、愛しくて、たまらなくなる。


 階段の真ん中に立つまっつは、「チガウ」と思うのね。
 タカラヅカのトップスターになる人ではないと思うの。こうやって真ん中に立って「小さっ」と思う人は、トップになってはいけないと思うの。
 それが「タカラヅカ」だと思う。
 そうでなくてはいけないと思う。

 まっつのような人がトップスターになってはいけない、それが「タカラヅカ」というところだと思うの。

 わたしが愛する「タカラヅカ」は。
 どんだけ巧くても、どんだけ美しくても、どんだけ人気があっても。
 まっつは、チガウと思う。
 チガウからこそ、「タカラヅカ」は美しく、特別なところなんだと思う。
 「トップスター」というのは、特別なモノなのだと思う。
 そうでなくてはならないと思う。

 それとは別に。

 まっつが真ん中に立つ姿を、乞うていた。

 贔屓がトップスターになることを求めていたかというと、少しチガウ。正直それは、考えてなかった。
 結果としてそんなことがあればいいけれど、長年のヅカヲタ意識が邪魔して、そっちはあんまし考えられなかった。
 ただ、まっつが舞台で活躍してくれることだけを求めた。それは芝居で主要な役をやることだったり、素敵なダンス場面に出ることだったり、単純に出番が多いことだったりした。

 トップスター向きではない。それこそが、まっつの魅力だと思っている。

 番手にこだわったのは、それが得られるのが今のタカラヅカでは番手スターのみだからであって、まっつがまっつらしい活躍をしてくれるなら、どんなカタチでも良かった。
 ……んだけど、まっつがトップになってくれてもうれしかったし、「チガウよな」と言いながらもよろこんだろう。それがファンってもん。

 まっつがトップになったら、「それはタカラヅカ的におかしい」と思うくせに、そうなればうれしいと思う。
 トップにならない人は、いつまでも番手スターにいるモノではない。組が停滞してしまう。それもわかる。正しいと思っている。でも、それが理解出来ていてなお、まっつに今の番手でいて欲しかった。

 矛盾していた。

 わたしが愛した世界は、わたしの愛する人を認めない。
 だけどわたしの愛する人は、その世界にしか存在しない。
 キミなしでは生きていけない。でも、キミとは生きられない。……そんな感じ?

 矛盾したまま、ただ、まっつを眺めていたかった。
 彼を「世界でいちばん美しい」と思い、彼が創り上げるモノを観るのが、好きだった。人生のよろこびだった。


 その矛盾が、むき出しで突きつけられるのが、最後のエトワール。

 小さっ。

 これが、まっつの現実。
 ファンでもわかる、大階段の真ん中に相応しくない小ささ。
 それでも。

 それでも、彼を美しいと想う。

 この小ささごと。
 いや、小さいからこそ。

 胸を張って言える。
 このぽつんとしたちっちゃな身体で、ここまでやってきた「男役・未涼亜希」が、愛しいのだと。
 誇らしいのだと。


 胸キュンポイント。
 大きな劇場の、とてつもない大階段の真ん中に立つ、小さな男役の姿。

 この美しい人と出会えた。
 この人を好きでいられた。

 そのよろこびを世界に叫びたくなる。
 そんな一瞬。

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