ノーモア日本物!(リフレイン)@早霧せいな・咲妃みゆ退団発表
2016年11月21日 タカラヅカ リアルタイム記述。↓
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-2398.html
で、こっちはこっちでわめく。
だから嫌だったんだ、次の本公演の演目!
たぶん次がちぎくんの退団公演なんだろう、そう予想していたからこそ、嫌だった。
またしても日本物、しかもタカラヅカ的でない映画原作モノなんて。
まだまだ続くちぎくんの治世の1作なら仕方ないとあきらめるかもだけど、退団公演がコレは嫌だ。イロモノばっかやってきて、イロモノで卒業とかひどい。
救いはショーがあることだけど、中村Bは退団公演ショーのセンスに欠ける人だということは、『ラブ・シンフォニー』や『My Dream TAKARAZUKA』を観てもわかることだしな……。
流れていく時が、追い立てられるように過ぎていく時間が、さみしく切ない。
そして、それならせめていい思い出にと願うからこそ。
……何故この演目、と歯がみしてしまう。や、フタを開けたら「感謝!!」の神演目なのかもしれないけど。今の時点では。
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-2398.html
で、こっちはこっちでわめく。
だから嫌だったんだ、次の本公演の演目!
たぶん次がちぎくんの退団公演なんだろう、そう予想していたからこそ、嫌だった。
またしても日本物、しかもタカラヅカ的でない映画原作モノなんて。
まだまだ続くちぎくんの治世の1作なら仕方ないとあきらめるかもだけど、退団公演がコレは嫌だ。イロモノばっかやってきて、イロモノで卒業とかひどい。
雪組トップスター・早霧 せいな 退団会見のお知らせ
2016/11/21
雪組トップスター・早霧 せいなが、2017年7月23日の東京宝塚劇場公演『幕末太陽傳(ばくまつたいようでん)』『Dramatic “S”!』の千秋楽をもって退団することとなり、2016年11月22日(火)に記者会見を行います。
なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。
雪組トップ娘役・咲妃 みゆ 退団会見のお知らせ
2016/11/21
雪組トップ娘役・咲妃 みゆが、2017年7月23日の東京宝塚劇場公演『幕末太陽傳(ばくまつたいようでん)』『Dramatic “S”!』の千秋楽をもって退団することとなり、2016年11月22日(火)に記者会見を行います。
なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。
救いはショーがあることだけど、中村Bは退団公演ショーのセンスに欠ける人だということは、『ラブ・シンフォニー』や『My Dream TAKARAZUKA』を観てもわかることだしな……。
流れていく時が、追い立てられるように過ぎていく時間が、さみしく切ない。
そして、それならせめていい思い出にと願うからこそ。
……何故この演目、と歯がみしてしまう。や、フタを開けたら「感謝!!」の神演目なのかもしれないけど。今の時点では。
最も美しい誘惑者は睡魔かもしれない。@ 双頭の鷲
2016年11月22日 タカラヅカ ちぎみゆの退団会見を気にしつつも、バウホールへ。時間の流れは待ったナシだ、 『双頭の鷲』初日。
舞台に緞帳がなく、なんかすげーきれいなモノが幻想的に剥き出しになっている。
ビニール? なにか幕がわりのものがあるんだけど、ソレも含めて剥き出し感。
美しい。
景子タンの美意識が、美へのこだわりが、これでもかと主張している。
こんな美しい舞台で、なにを見せてもらえるのか、どれほど美しいモノを見せてもらえるのか、期待が高まる。
そして。
1幕。
美しい。
とても、美しい。
こんなに美しい舞台は稀だろう。
加えて、稀なほどの、
客席の爆睡率の高さ。
お隣が盛大に船を漕いでいるのに気づき、ふと周りを見渡せば、落ちている人たちがやたら目に付いた。隣とその隣、通路挟んだあの一帯、頭の角度からして舞台見てない……。
いや、わかる。わかるけど。
幕間。
「よく寝たー!」「こんなにぐっすり寝たのはじめて」……ちょ、みなさん、どんだけ寝たか語り出すのやめて(笑)。
告白が同時多発したのは、口火を切った人の声を聞いて、「あ、寝たの私だけじゃなかったんだ」と安心したせいかな。
1幕は、ほぼトドとみりおんのふたり芝居でした。
動きも歌も少ない会話劇、そりゃ見渡す限り落ちてます状態にもなるわ……。
わたしはトドファンという立ち位置から、無駄に気を回して、気が気じゃない、気もそぞろ。
宙組のみなさん、ただのモブ、いなくてかまわないただのにぎやかし、しかも出てこない、って、すみませんすみません。
わたしが気に病む必要はまったくないんだが。むしろおこがましいんだが。
それでも、謎の立ち位置で申し訳なく思っていた。
わたしは美しいトドロキ見られてうれしいけど、トド様美しすぎて「はうっ」て胸押さえて悶えるレベルだけど、ご贔屓が出てるとか組ファンだとかでトド興味ないのに観に来ている人たちに申し訳なさ過ぎる……!
だからみんな爆睡してるんだよね。いくらきれいでも、興味ない人がえんえんえんえん省エネな単調さで喋っているだけの舞台を、集中力動員して凝視しろとか無茶よね。
初日なんて、ファンばっかしだろうしなあ。すみませんすみません。
そうして、2幕。
またみんな爆睡するのかと思いきや。
すすり泣き多数。
大丈夫! 1幕観てなくても、2幕だけで泣けるし感動出来るよ!
爆睡してたお隣さんも泣いてる。
……明日から、2幕だけ観る人が増えたらどうしよう、タカラヅカあるある、芝居のとき空席だったのに、ショーになると埋まっている大劇場、それを一本モノのバウでもあるあるしちゃう?
いやあ、美しい舞台でした。
トド様もみりおんもすごかった。
宙組のみなさんもいい仕事してた。
でも。
この芝居、トドとみりおんだけでよくね?
他の人たちの「水増し感」ひどいわー。不要だわー。
いや、その水増しする意義はわかっているけれど。それすら美しいけれど。
景子タンのいいところと悪いところが見事に出た作品だなと。
初見では、景子タンの「苦手」な部分がぐさりと刺さってきて、どうにもつらい。この人、一生この芸風なのかなあ、と。
それでもわたしは景子タン作品好きなんだけどなー。期待して観るからこそ、ラストで「ああ、いつもの景子タンだ」と奈落へ落とされて終わるため、観劇直後は大抵評価が良くない。
「いつもの景子タン」と納得して(あきらめて)観る2回目の方が、素直に楽しめる。……ので、2回目に期待する。
とりあえず、美しいラストシーンで、王妃の決断に対し「迷惑な人たちだな」と思ったわたしは、この高尚な物語に相応しくないんだろう。
舞台に緞帳がなく、なんかすげーきれいなモノが幻想的に剥き出しになっている。
ビニール? なにか幕がわりのものがあるんだけど、ソレも含めて剥き出し感。
美しい。
景子タンの美意識が、美へのこだわりが、これでもかと主張している。
こんな美しい舞台で、なにを見せてもらえるのか、どれほど美しいモノを見せてもらえるのか、期待が高まる。
そして。
1幕。
美しい。
とても、美しい。
こんなに美しい舞台は稀だろう。
加えて、稀なほどの、
客席の爆睡率の高さ。
お隣が盛大に船を漕いでいるのに気づき、ふと周りを見渡せば、落ちている人たちがやたら目に付いた。隣とその隣、通路挟んだあの一帯、頭の角度からして舞台見てない……。
いや、わかる。わかるけど。
幕間。
「よく寝たー!」「こんなにぐっすり寝たのはじめて」……ちょ、みなさん、どんだけ寝たか語り出すのやめて(笑)。
告白が同時多発したのは、口火を切った人の声を聞いて、「あ、寝たの私だけじゃなかったんだ」と安心したせいかな。
1幕は、ほぼトドとみりおんのふたり芝居でした。
動きも歌も少ない会話劇、そりゃ見渡す限り落ちてます状態にもなるわ……。
わたしはトドファンという立ち位置から、無駄に気を回して、気が気じゃない、気もそぞろ。
宙組のみなさん、ただのモブ、いなくてかまわないただのにぎやかし、しかも出てこない、って、すみませんすみません。
わたしが気に病む必要はまったくないんだが。むしろおこがましいんだが。
それでも、謎の立ち位置で申し訳なく思っていた。
わたしは美しいトドロキ見られてうれしいけど、トド様美しすぎて「はうっ」て胸押さえて悶えるレベルだけど、ご贔屓が出てるとか組ファンだとかでトド興味ないのに観に来ている人たちに申し訳なさ過ぎる……!
だからみんな爆睡してるんだよね。いくらきれいでも、興味ない人がえんえんえんえん省エネな単調さで喋っているだけの舞台を、集中力動員して凝視しろとか無茶よね。
初日なんて、ファンばっかしだろうしなあ。すみませんすみません。
そうして、2幕。
またみんな爆睡するのかと思いきや。
すすり泣き多数。
大丈夫! 1幕観てなくても、2幕だけで泣けるし感動出来るよ!
爆睡してたお隣さんも泣いてる。
……明日から、2幕だけ観る人が増えたらどうしよう、タカラヅカあるある、芝居のとき空席だったのに、ショーになると埋まっている大劇場、それを一本モノのバウでもあるあるしちゃう?
いやあ、美しい舞台でした。
トド様もみりおんもすごかった。
宙組のみなさんもいい仕事してた。
でも。
この芝居、トドとみりおんだけでよくね?
他の人たちの「水増し感」ひどいわー。不要だわー。
いや、その水増しする意義はわかっているけれど。それすら美しいけれど。
景子タンのいいところと悪いところが見事に出た作品だなと。
初見では、景子タンの「苦手」な部分がぐさりと刺さってきて、どうにもつらい。この人、一生この芸風なのかなあ、と。
それでもわたしは景子タン作品好きなんだけどなー。期待して観るからこそ、ラストで「ああ、いつもの景子タンだ」と奈落へ落とされて終わるため、観劇直後は大抵評価が良くない。
「いつもの景子タン」と納得して(あきらめて)観る2回目の方が、素直に楽しめる。……ので、2回目に期待する。
とりあえず、美しいラストシーンで、王妃の決断に対し「迷惑な人たちだな」と思ったわたしは、この高尚な物語に相応しくないんだろう。
綺麗は汚い、キタナイはきれい。@ 双頭の鷲
2016年11月23日 タカラヅカ 『双頭の鷲』初日観劇。
この芝居、トドとみりおんのふたり芝居でよくね?
と思った。けど、そんなん無理、それじゃチケットさばけない。(ごめん)
商売として成り立たせるにはスタークラス生徒の出演が必要だし、タカラヅカ的に団体戦要員投入必須。
しかし、芝居に集中すればするほど、余計な茶々を入れられるのが不快になってくる。
宙組メンバーの出番の少なさを申し訳なく思うのと同時に、いらねー役だなと思う。
また、その無理に出番をねじ込んでいるモブ以外のキャラクタ使いが、物語への没入に水を差す。
あおいちゃんが小娘で、ずんちゃんが壮年?
何故そんな??
いやそもそも、トドが若者で、みりおんがおばさん、ってとこからおかしい。
おかしいけど、とりあえずトドは美しさと主役っぷりで補っているし、みりおんも演技で踏みとどまっている。
このふたりだけならまだ、世界を構築出来る。
でもそこに、年配にしか見えない「小娘」が加わると、途端カオス。
やっぱりトドが老けていることがわかっちゃうし、みりおんがお肌つるつるの若い娘であることもわかっちゃう。
世界観が、壊れるんだ。
主演ふたりはいい。前提というか、そもそもこのふたりありきで存在する公演だから。
でも、脇はそうじゃないよね? この舞台、あおいちゃんありきじゃないよね? まずいちばん最初に「宙組副組長が娘2を務める公演をやる」と企画され、「彼女を娘2にするために、主演とヒロインは誰がいいだろう?」とあとから選ばれたわけじゃないよね?
なのになんで、こんなことに。
エディット役は、ふつーに若手の娘役でよかったやん。演技が出来ないとダメな役で、へたっぴには無理だけど、ええっと、宙組にもいるよね、芝居出来る女の子。
エディットが若い女の子なら、ずんちゃんの違和感も緩和されたはず。
個人的にはららちゃん希望。きっと面白いキャラクタになったろう……彼女、いい意味での毒があるから。
無理矢理パパラッチという役を作って、しかもそれが無理矢理な大人数で、無理矢理年配副組長を若い娘の役にして、劇団推しの若手スターを無理矢理おっさん役にして、シンプルな作品に、作品以外の事情で無理矢理ごてごてと付け加えている。
その無理矢理尽くしに「ああ……」と肩を落としてしまう。
かといって、シンプルなふたり芝居がタカラヅカで観たいかというとそんなことはないのだから、この無理矢理感も正しいのか。
パパラッチたちも個性があって、彼らだけでも楽しく眺められる。衣装もオシャレだし、美しさにこだわった作品を壊さない配慮はされている。
だけど、ふたり芝居の長さと密度に、そぐわない。無理矢理だなあ、仕方ないよなあ、と、裏事情に気が行ってしまう。
だからせめて、トド以外のキャストの年齢は考慮してほしかったなあ。
……いや、「トドが若者」という無茶設定を誤魔化すために全力で小細工をした、その結果が「年配者が若者役」「若者が中年役」というキャスティングに落ち着いたのか……?
綺麗は汚い、キタナイはきれい?
わけわからん。
まあ、そんな混乱をよそに。
年齢の話なんぞと別次元にいる、愛ちゃんのフェアリーぶりの素晴らしさときたら。
愛ちゃんすげえわ。
この芝居、トドとみりおんのふたり芝居でよくね?
と思った。けど、そんなん無理、それじゃチケットさばけない。(ごめん)
商売として成り立たせるにはスタークラス生徒の出演が必要だし、タカラヅカ的に団体戦要員投入必須。
しかし、芝居に集中すればするほど、余計な茶々を入れられるのが不快になってくる。
宙組メンバーの出番の少なさを申し訳なく思うのと同時に、いらねー役だなと思う。
また、その無理に出番をねじ込んでいるモブ以外のキャラクタ使いが、物語への没入に水を差す。
あおいちゃんが小娘で、ずんちゃんが壮年?
何故そんな??
いやそもそも、トドが若者で、みりおんがおばさん、ってとこからおかしい。
おかしいけど、とりあえずトドは美しさと主役っぷりで補っているし、みりおんも演技で踏みとどまっている。
このふたりだけならまだ、世界を構築出来る。
でもそこに、年配にしか見えない「小娘」が加わると、途端カオス。
やっぱりトドが老けていることがわかっちゃうし、みりおんがお肌つるつるの若い娘であることもわかっちゃう。
世界観が、壊れるんだ。
主演ふたりはいい。前提というか、そもそもこのふたりありきで存在する公演だから。
でも、脇はそうじゃないよね? この舞台、あおいちゃんありきじゃないよね? まずいちばん最初に「宙組副組長が娘2を務める公演をやる」と企画され、「彼女を娘2にするために、主演とヒロインは誰がいいだろう?」とあとから選ばれたわけじゃないよね?
なのになんで、こんなことに。
エディット役は、ふつーに若手の娘役でよかったやん。演技が出来ないとダメな役で、へたっぴには無理だけど、ええっと、宙組にもいるよね、芝居出来る女の子。
エディットが若い女の子なら、ずんちゃんの違和感も緩和されたはず。
個人的にはららちゃん希望。きっと面白いキャラクタになったろう……彼女、いい意味での毒があるから。
無理矢理パパラッチという役を作って、しかもそれが無理矢理な大人数で、無理矢理年配副組長を若い娘の役にして、劇団推しの若手スターを無理矢理おっさん役にして、シンプルな作品に、作品以外の事情で無理矢理ごてごてと付け加えている。
その無理矢理尽くしに「ああ……」と肩を落としてしまう。
かといって、シンプルなふたり芝居がタカラヅカで観たいかというとそんなことはないのだから、この無理矢理感も正しいのか。
パパラッチたちも個性があって、彼らだけでも楽しく眺められる。衣装もオシャレだし、美しさにこだわった作品を壊さない配慮はされている。
だけど、ふたり芝居の長さと密度に、そぐわない。無理矢理だなあ、仕方ないよなあ、と、裏事情に気が行ってしまう。
だからせめて、トド以外のキャストの年齢は考慮してほしかったなあ。
……いや、「トドが若者」という無茶設定を誤魔化すために全力で小細工をした、その結果が「年配者が若者役」「若者が中年役」というキャスティングに落ち着いたのか……?
綺麗は汚い、キタナイはきれい?
わけわからん。
まあ、そんな混乱をよそに。
年齢の話なんぞと別次元にいる、愛ちゃんのフェアリーぶりの素晴らしさときたら。
愛ちゃんすげえわ。
作者的に、なくてはならない役。@双頭の鷲
2016年11月24日 タカラヅカ 『双頭の鷲』初日観劇。
この話、トドとみりおんのふたり芝居、あとひとり加えるなら、狂言回しのそらがいれば事足りる。
あとの役はなくても問題ない。
解説はそらがやるし、主役ふたりの長々続く会話劇ならではの説明台詞で補完可能。
ずんちゃんの役はほんとおいしくなくて、リピートがもっともつらいのはずんちゃんファンだろうなと思う。台詞は多いけど、キャラに合ってないし、いなくてもいいし。
愛ちゃんはスパイス的にいても良いし、と言うか、彼ひとりが「タカラヅカ」で、ここがタカラヅカである以上いてくれなきゃ困るけど、根幹を見れば別にいなくてもいい。
それに比べて、ストーリーテラー@そらのおいしいこと!
重要だし、オシャレだし、客席登場して客席いじりして、「スターここにあり!」という扱い。
番手ではなく、技術で選んでくれて助かる、滑舌重要。そうだよね、『エリザベート』にはルキーニが必要だよね。
舞台にずっといるし、他のみんなもいることはいるけど、ちゃんと見えるのはそらくんぐらいだし、なんなのこの破格の扱い。びびるわー。
そらくんスキーのわたしは、彼が活躍してくれることがうれしい。こんなに喋ってくれる彼を見るのがうれしい。
ありがとう景子せんせ!
……けど、わたしがいちばん「いらない」と思った役がそらくんなんだよなあ。
そして、景子せんせ的に、そらくんの役は、絶対に必要なんだよなあ。
どれくらい必要かというと、トドとみりおんがいなくても、そらひとりいればOK!……ってくらい、必要。
そらがひとりでストーリー語って、最後に、テーマを言葉で語る。はい、トドもみりおんもいなくて無問題。
本末転倒。
わたしが景子タンのもっとも苦手なところ。
ラストに、「このお話のまとめ」を解説すること。
国語テスト。
Q 作者がこの作品でもっとも伝えたかったことはなにか、20文字以内で答えなさい。
A ラストシーンで解説役が説明しています。(19文字)
どの作品も、どの作品も。
まるでコピーライトかっつーくらい、ラストに「この作品は私のモノ」と景子たん印が押してある。
どんだけ自分の作品好きなんだ。どんだけ自分好きなんだ。
作品の見方、感じ方まで、きっちり指図する。自分が意図した以外の感想を持ってはならない。だから、最後に「まとめ」を台詞で入れる。
せっかく美しい作品を観ても、感動しても、最後の最後で台無し。
作者自身が舞台上に現れ、作品解説をはじめる。
いやあのわたし、タカラヅカを観に来たんであって、タカラジェンヌを観に来たんであって、アナタを観に来たわけじゃないっす。もちろん、アナタの作品を観に来たのだけど、アナタ自身をタカラヅカの舞台上で観なくていいっす。
これが景子タンの芸風で、そうしないことには作品を創れない人なんだろうとは思う。
それがわかっていてなおわたしは、毎回作品を観ている間そのことを忘れ、作品世界に没入し、別世界で生きて笑って泣いて……そして、もっとも感動するラストシーンで、突然「はい、これは作り事です、私の作品です、出て行きなさい」と景子タンにホウキでお尻叩かれて追い出されるの(笑)。
そして、ホウキを持って仁王立ちした景子タンが「私の作品はこう感じて観るのです」と説明をはじめるのを、ぽかーんと眺める。
何度も何度も。
そりゃあもう、景子作品のたびに。
何度同じ目に遭っても、学習しないのよ。毎回、ホウキでお尻叩かれるまで、忘れてるの。そんなおっかないおかみさんのいる店だってこと。
今回もまた、叩き出されてぽかーん。
そして、幕が下りてようやく、不快感がじわーっとわき上がってくる。
お客なのに、作品をどう味わうかはお客の自由であるはずなのに、ホウキで叩き出されたわ、ひどい!
ということで、景子作品の初見は後味が悪い。
や、忘れているわたしが悪いんだけどね。学習しないんだもん。「今回はラストのまとめがないかも」とか「ラストのまとめ方が、ガチガチじゃなくマシになってるかも」とか、夢を抱いちゃうし。
でも大抵、「ひどいわー」とがっくり。
2回目は、「ラストでまとめ来る」とわかった上で観るから、最後まで水を差されずに作品を堪能出来るんだけど。
「わたしが思っていたこととまったくチガウことを感じろと強制された!」と不快に思っているわけじゃない。
むしろ逆。
「ソレ、観てたらわかるよね?」レベルのことを、大上段に解説しはじめるのが、ひたすら、かっこ悪い。
せっかくの美しい物語が、最後でダサくなる。
美しいタカラヅカの舞台に、突然、衿口の伸びた毛玉だらけのくたくたスウェット着た一般人が出てくる感じ。
かっこわる……。
だけどひょっとしたら、タカラヅカの観客のほとんどはその「ラストのまとめ解説」を必要としていて、みんなソレを聞いてはじめて「ああ、そうなんだ」とか思うものなのかもしれない。
いや、観客は善良だから、そこで「そういう話だったんだ」と洗脳される? 自分が漠然と感じていたモノを手放し、作者が上から押し付ける「解答」を「自分が感じたモノ」だと塗りかえてしまう?
景子タン、その確信を得てあえてやっているとか?
まあともかく、この芝居に必要なのは、主役ふたりとそらくん。
あとはいなくてもいい。
それってどうよ。
……いやあ、そらくんが「ラストのまとめ解説」はじめたときは、ぽかーんでがーんで、じわじわ不快で、……そしていっそ笑えてきた。
お約束キターーーー!!
『ベルばら』のラストにペガ子キターーーー!!的な笑い。待ってました、やんややんや。
……この美しい物語で、ラストに作者自ら渾身の自爆芸入れなくてイイのに。
この話、トドとみりおんのふたり芝居、あとひとり加えるなら、狂言回しのそらがいれば事足りる。
あとの役はなくても問題ない。
解説はそらがやるし、主役ふたりの長々続く会話劇ならではの説明台詞で補完可能。
ずんちゃんの役はほんとおいしくなくて、リピートがもっともつらいのはずんちゃんファンだろうなと思う。台詞は多いけど、キャラに合ってないし、いなくてもいいし。
愛ちゃんはスパイス的にいても良いし、と言うか、彼ひとりが「タカラヅカ」で、ここがタカラヅカである以上いてくれなきゃ困るけど、根幹を見れば別にいなくてもいい。
それに比べて、ストーリーテラー@そらのおいしいこと!
重要だし、オシャレだし、客席登場して客席いじりして、「スターここにあり!」という扱い。
番手ではなく、技術で選んでくれて助かる、滑舌重要。そうだよね、『エリザベート』にはルキーニが必要だよね。
舞台にずっといるし、他のみんなもいることはいるけど、ちゃんと見えるのはそらくんぐらいだし、なんなのこの破格の扱い。びびるわー。
そらくんスキーのわたしは、彼が活躍してくれることがうれしい。こんなに喋ってくれる彼を見るのがうれしい。
ありがとう景子せんせ!
……けど、わたしがいちばん「いらない」と思った役がそらくんなんだよなあ。
そして、景子せんせ的に、そらくんの役は、絶対に必要なんだよなあ。
どれくらい必要かというと、トドとみりおんがいなくても、そらひとりいればOK!……ってくらい、必要。
そらがひとりでストーリー語って、最後に、テーマを言葉で語る。はい、トドもみりおんもいなくて無問題。
本末転倒。
わたしが景子タンのもっとも苦手なところ。
ラストに、「このお話のまとめ」を解説すること。
国語テスト。
Q 作者がこの作品でもっとも伝えたかったことはなにか、20文字以内で答えなさい。
A ラストシーンで解説役が説明しています。(19文字)
どの作品も、どの作品も。
まるでコピーライトかっつーくらい、ラストに「この作品は私のモノ」と景子たん印が押してある。
どんだけ自分の作品好きなんだ。どんだけ自分好きなんだ。
作品の見方、感じ方まで、きっちり指図する。自分が意図した以外の感想を持ってはならない。だから、最後に「まとめ」を台詞で入れる。
せっかく美しい作品を観ても、感動しても、最後の最後で台無し。
作者自身が舞台上に現れ、作品解説をはじめる。
いやあのわたし、タカラヅカを観に来たんであって、タカラジェンヌを観に来たんであって、アナタを観に来たわけじゃないっす。もちろん、アナタの作品を観に来たのだけど、アナタ自身をタカラヅカの舞台上で観なくていいっす。
これが景子タンの芸風で、そうしないことには作品を創れない人なんだろうとは思う。
それがわかっていてなおわたしは、毎回作品を観ている間そのことを忘れ、作品世界に没入し、別世界で生きて笑って泣いて……そして、もっとも感動するラストシーンで、突然「はい、これは作り事です、私の作品です、出て行きなさい」と景子タンにホウキでお尻叩かれて追い出されるの(笑)。
そして、ホウキを持って仁王立ちした景子タンが「私の作品はこう感じて観るのです」と説明をはじめるのを、ぽかーんと眺める。
何度も何度も。
そりゃあもう、景子作品のたびに。
何度同じ目に遭っても、学習しないのよ。毎回、ホウキでお尻叩かれるまで、忘れてるの。そんなおっかないおかみさんのいる店だってこと。
今回もまた、叩き出されてぽかーん。
そして、幕が下りてようやく、不快感がじわーっとわき上がってくる。
お客なのに、作品をどう味わうかはお客の自由であるはずなのに、ホウキで叩き出されたわ、ひどい!
ということで、景子作品の初見は後味が悪い。
や、忘れているわたしが悪いんだけどね。学習しないんだもん。「今回はラストのまとめがないかも」とか「ラストのまとめ方が、ガチガチじゃなくマシになってるかも」とか、夢を抱いちゃうし。
でも大抵、「ひどいわー」とがっくり。
2回目は、「ラストでまとめ来る」とわかった上で観るから、最後まで水を差されずに作品を堪能出来るんだけど。
「わたしが思っていたこととまったくチガウことを感じろと強制された!」と不快に思っているわけじゃない。
むしろ逆。
「ソレ、観てたらわかるよね?」レベルのことを、大上段に解説しはじめるのが、ひたすら、かっこ悪い。
せっかくの美しい物語が、最後でダサくなる。
美しいタカラヅカの舞台に、突然、衿口の伸びた毛玉だらけのくたくたスウェット着た一般人が出てくる感じ。
かっこわる……。
だけどひょっとしたら、タカラヅカの観客のほとんどはその「ラストのまとめ解説」を必要としていて、みんなソレを聞いてはじめて「ああ、そうなんだ」とか思うものなのかもしれない。
いや、観客は善良だから、そこで「そういう話だったんだ」と洗脳される? 自分が漠然と感じていたモノを手放し、作者が上から押し付ける「解答」を「自分が感じたモノ」だと塗りかえてしまう?
景子タン、その確信を得てあえてやっているとか?
まあともかく、この芝居に必要なのは、主役ふたりとそらくん。
あとはいなくてもいい。
それってどうよ。
……いやあ、そらくんが「ラストのまとめ解説」はじめたときは、ぽかーんでがーんで、じわじわ不快で、……そしていっそ笑えてきた。
お約束キターーーー!!
『ベルばら』のラストにペガ子キターーーー!!的な笑い。待ってました、やんややんや。
……この美しい物語で、ラストに作者自ら渾身の自爆芸入れなくてイイのに。
バディは萌えの基本だから。@私立探偵ケイレブ・ハント
2016年11月25日 タカラヅカ 書き切れていない、『私立探偵ケイレブ・ハント』のこと。
ホレイショー@翔くんがかっこいい。
ろくになんの書き込みもされてないけど、かっこいいよね!
アツ過ぎもせず冷たすぎもせず、でも確実に「正しい」。
上層部が黒い圧力に屈しても、揺らぐことなく正義を貫いている。
そしてそれを特別視していない。ごくふつーにやっている。
この「ふつう」さがすごい。
ぎゃーすかわめいて自分勝手に正義をやるケイレブ@ちぎくんより、淡々と仕事として正義をやっているホレイショーがすごい。わめくケイレブより地味だけど、その地味さこそが、すごい。
それが彼にとっての「当たり前」であり「日常」だからだ。
相棒のライアン@ひとことの関係性もいいよなー。
ライアンはホレイショーほど正義の人ではなく、いちいち嘆くしぼやく。けど、ホレイショーに従う。
本当に嫌なら、間違っていると思うなら、従いはしないだろう。自分の人生と命がかかっているんだから。上層部に逆らって捜査をすれば刑事としての未来が断たれるし、マフィアに殴り込みかければシンプルに命を絶たれる。その危険性を「ぼやく」のは、「理解している」ということ。理解していてなお、異を唱えない。
もっとも彼は、ホレイショーが行動しなければ、彼自身が率先して行動しないように見えるので、「ホレイショーが行くなら行く」なんだろう。ぼやきながら。
……って、ナニその萌えコンビ。
ライアンにカノジョがいて、ホレイショーにいなさそうなとこもイイよなー(笑)。ライアンの方が人生を楽しむ気合いを持っている。
なのに、ライアンの方がホレイショーに惚れ込んでそうなとこが。
対等のバディも萌えだけど、先輩後輩バディもいいよな。力関係があるけれど相棒っての。
翔くんほんと、いい男になったなあ……。
無駄に力の入らない役の方が、彼の美貌が映える。顔立ちがクドい分、芝居が淡白な方が坐りがいいのかも。
クールなナギショってあんまり記憶にナイもんなー。『ローマの休日』から続いて、ハートを打ち抜いてくれるわ。
ひとこはふにゃけた役がうまい。ハマる。
この「調子の良さ」は持って生まれた資質だよな。同じ役をれいこがやってもこののほほんさは出ないはず(笑)。
人間的なゆるさを魅力として打ち出せるのは、役者として強みだと思う。今回の役、好きだわー。
ケイレブとホレイショー、ホレイショーとライアンに信頼が見えるのに、ケイレブとジム@だいもんとカズノ@咲ちゃんにそれが見えないのが不思議だ。
ケイレブ、ジム、カズノの関係性って、ケイレブとライアン程度の関係性に思える。ケイレブの友人はホレイショー、ライアンはホレイショーの相棒だから仲間カウントしていい、ぐらいの感じ。
なんだろ、この差。一緒に捜査する場面がナイからか?
ケイレブ、ジム、カズノはそれぞれでかわいいポイントはある。
撃たれたのがジムだけ、カズノは襲われなかったばかりか、かわいいカノジョまでGETしちゃいそうなところが、キャラクタの差としてかわいい。
ポーリーン@くらっちがカズノに一目惚れしていて、カズノの方はなんとも思っていないのがイイ。
偶然助けた若くてかわいい女の子になつかれたら。
ケイレブはたぶん、それなりに優しい態度を取る。デレるほどじゃなくても、まんざらでもないだろう。
ジムは絶対デレデレだ(笑)。おじさん、素直に喜ぶだろ。
ラブラブの恋人がいても、ふたりの男は「女の子からアプローチされている」ことに、プラスの反応を示すだろう。だって、ふつーに「男」だから。
でもカズノは興味なさそう。強引に関心を示されても心が動いた様子がない。「ふうん?」ぐらいの感じ。
カズノの不感症っぽいとこがイイ。恋愛に対しての。
たぶん年数を重ねて「マサツカキャラ」に成長しそうなのはカズノだなあ。ジムは絶対そっちには行かない。
探偵事務所の3人も、個々には面白いんだ。
だからなんで、3人のエピソードを描いてくれなかったんだろうと歯がゆく思う。
「ただの同僚」以上の温度のない関係なんて、つまんない。
ホレイショー@翔くんがかっこいい。
ろくになんの書き込みもされてないけど、かっこいいよね!
アツ過ぎもせず冷たすぎもせず、でも確実に「正しい」。
上層部が黒い圧力に屈しても、揺らぐことなく正義を貫いている。
そしてそれを特別視していない。ごくふつーにやっている。
この「ふつう」さがすごい。
ぎゃーすかわめいて自分勝手に正義をやるケイレブ@ちぎくんより、淡々と仕事として正義をやっているホレイショーがすごい。わめくケイレブより地味だけど、その地味さこそが、すごい。
それが彼にとっての「当たり前」であり「日常」だからだ。
相棒のライアン@ひとことの関係性もいいよなー。
ライアンはホレイショーほど正義の人ではなく、いちいち嘆くしぼやく。けど、ホレイショーに従う。
本当に嫌なら、間違っていると思うなら、従いはしないだろう。自分の人生と命がかかっているんだから。上層部に逆らって捜査をすれば刑事としての未来が断たれるし、マフィアに殴り込みかければシンプルに命を絶たれる。その危険性を「ぼやく」のは、「理解している」ということ。理解していてなお、異を唱えない。
もっとも彼は、ホレイショーが行動しなければ、彼自身が率先して行動しないように見えるので、「ホレイショーが行くなら行く」なんだろう。ぼやきながら。
……って、ナニその萌えコンビ。
ライアンにカノジョがいて、ホレイショーにいなさそうなとこもイイよなー(笑)。ライアンの方が人生を楽しむ気合いを持っている。
なのに、ライアンの方がホレイショーに惚れ込んでそうなとこが。
対等のバディも萌えだけど、先輩後輩バディもいいよな。力関係があるけれど相棒っての。
翔くんほんと、いい男になったなあ……。
無駄に力の入らない役の方が、彼の美貌が映える。顔立ちがクドい分、芝居が淡白な方が坐りがいいのかも。
クールなナギショってあんまり記憶にナイもんなー。『ローマの休日』から続いて、ハートを打ち抜いてくれるわ。
ひとこはふにゃけた役がうまい。ハマる。
この「調子の良さ」は持って生まれた資質だよな。同じ役をれいこがやってもこののほほんさは出ないはず(笑)。
人間的なゆるさを魅力として打ち出せるのは、役者として強みだと思う。今回の役、好きだわー。
ケイレブとホレイショー、ホレイショーとライアンに信頼が見えるのに、ケイレブとジム@だいもんとカズノ@咲ちゃんにそれが見えないのが不思議だ。
ケイレブ、ジム、カズノの関係性って、ケイレブとライアン程度の関係性に思える。ケイレブの友人はホレイショー、ライアンはホレイショーの相棒だから仲間カウントしていい、ぐらいの感じ。
なんだろ、この差。一緒に捜査する場面がナイからか?
ケイレブ、ジム、カズノはそれぞれでかわいいポイントはある。
撃たれたのがジムだけ、カズノは襲われなかったばかりか、かわいいカノジョまでGETしちゃいそうなところが、キャラクタの差としてかわいい。
ポーリーン@くらっちがカズノに一目惚れしていて、カズノの方はなんとも思っていないのがイイ。
偶然助けた若くてかわいい女の子になつかれたら。
ケイレブはたぶん、それなりに優しい態度を取る。デレるほどじゃなくても、まんざらでもないだろう。
ジムは絶対デレデレだ(笑)。おじさん、素直に喜ぶだろ。
ラブラブの恋人がいても、ふたりの男は「女の子からアプローチされている」ことに、プラスの反応を示すだろう。だって、ふつーに「男」だから。
でもカズノは興味なさそう。強引に関心を示されても心が動いた様子がない。「ふうん?」ぐらいの感じ。
カズノの不感症っぽいとこがイイ。恋愛に対しての。
たぶん年数を重ねて「マサツカキャラ」に成長しそうなのはカズノだなあ。ジムは絶対そっちには行かない。
探偵事務所の3人も、個々には面白いんだ。
だからなんで、3人のエピソードを描いてくれなかったんだろうと歯がゆく思う。
「ただの同僚」以上の温度のない関係なんて、つまんない。
救急車を呼ぶ男。@私立探偵ケイレブ・ハント
2016年11月26日 タカラヅカ 書き切れていない、『私立探偵ケイレブ・ハント』のこと。
マサツカ的なお遊びなんだろうな、と思う点。
冒頭の映画スタジオで、女優が事故死する。
その際にモブのみなさんがいろいろ叫ぶ。その中に、
「救急車を呼べ!」
という一言がある。
中盤、ジム@だいもんが狙撃され、モブのみなさんが騒ぐ。
「救急車呼んで!」
パニックになっているモブたちのところへ。もうひとりモブが現れて言う。
「もう呼んだよ」
ここを見るたび、「マサツカェ……」というキモチになる。
このやりとりの、ナニが面白いのか。どこがお遊びなのか。
冒頭の映画スタジオで「救急車を呼べ!」と叫んでいる男と、街角で「もう呼んだよ」と言う男は、同一人物である。
目の前で人が撃たれてパニックになって「救急車呼んで!」とわめく通行人の前に現れた、なんの関係もない通行人が、ものすごく淡々と「もう呼んだ」と言う……こと自体、おかしい。わらえるのではなく、奇妙だ。
狙撃にしろ救急車を呼ぶ行為にしろ、平常の出来事ではないのだから、ふつうなら、「もう呼んだよ」と答える男も焦っていたり声を荒らげていたりするのがふつうだ。
だけど現れた男は淡々と答える。
……人間の生理としておかしいよね?
なんでこんなおかしな演出になっているかというと、あとから現れた通行人は、冒頭の映画スタジオで「救急車を呼んだ」男だから、「救急車を呼んで」と言われて「(冒頭の映画スタジオで)もう呼んだよ」と答えているんだ。
男としては、今偶然通りかかっただけで、そこで人が撃たれていることなんか知らない。突然見知らぬ女から出会い頭に「救急車呼んで」と言われたから、反射的に「もう呼んだ」と返しているだけ。……たぶん、ジムのための救急車はこの時点で呼ばれてない。少なくとも、この男は呼んでないだろ。可哀想なジム。
……というネタなんだってことを、観劇した客の何%が気づいただろうか?
わかりにくっ。
というか、それすら通り越して、わかるか、アホ! と、ツッコミ(手振り)入れたいわ。
わたしが早々に気づいたのはひとえに救急車男がつばさくんだから、だ。
モブの中からつばさくんを探すのが日課なので、最初のスーツダンスからつばさくん探して、出て来るのけっこうあとの方のグループだな、立ち位置悪いな、と思ってたらアデル@あゆみちゃんの事故場面になって、「救急車を呼べ!」ってわざわざ客席へ向き直って叫んでるから、あ、台詞あった、しかもわざわざ顔を見えるようにして叫んでる、めずらしいな、モブなら後ろ向き(事故の方を見て)で言うだろうに、と引っかかった。
つばさくんの見せ場は唯一、サンタモニカの歌手。ポーリーン@くらっちのバックコーラス隊。
で、あとはもうほんとに出番ないし。モブのダンスにも入れてもらってないし。
ようやく出てきたのが、ジムの狙撃シーン。
出てきたと思ったら、台詞いっこで終了だし。しかも、パニック場面で淡々と答えるとか、流れ的に変な芝居だし変な台詞だし……あ。
つばさくんファンでないと気づかんわっ!!
冒頭のモブ男と街角のモブ男が同一人物だなんて。
わざわざ客席へ向き直って台詞言ってたけど、それだけでみんな同じスーツ着たモブを誰が見分けるのよ。まなはるあたりの人ならアリかもしれんが、つばさくんがソレやっても誰もおぼえないし、気づかない。
マサツカがつばさくんに与えた見せ場って、コーラス隊よりもむしろ、通し役(笑)である救急車男の方なんじゃ? 救急車男ってすごくマサツカ的。
しかし、ピント外れすぎ……。
つばさくんは、マクシミリアン@れいこのパーティですらただの客で、ダンス場面には入れてもらえなかったし。
ポーリーンが「スカウトされた!」って喜んでたから、コーラス隊もかと思ったら、ポーリーン単独だったらしく、コーラス隊はもう影もカタチもないし。ちぇー……。
「救急車を呼べ!」「もう呼んだよ」……これでニヤリとしろとか。できるとか。
ハリーは、本気で思ってるんだろうなぁ。つか、絶対ニヤリとしてるんだろうなあ。
マサツカェ……。
マサツカ的なお遊びなんだろうな、と思う点。
冒頭の映画スタジオで、女優が事故死する。
その際にモブのみなさんがいろいろ叫ぶ。その中に、
「救急車を呼べ!」
という一言がある。
中盤、ジム@だいもんが狙撃され、モブのみなさんが騒ぐ。
「救急車呼んで!」
パニックになっているモブたちのところへ。もうひとりモブが現れて言う。
「もう呼んだよ」
ここを見るたび、「マサツカェ……」というキモチになる。
このやりとりの、ナニが面白いのか。どこがお遊びなのか。
冒頭の映画スタジオで「救急車を呼べ!」と叫んでいる男と、街角で「もう呼んだよ」と言う男は、同一人物である。
目の前で人が撃たれてパニックになって「救急車呼んで!」とわめく通行人の前に現れた、なんの関係もない通行人が、ものすごく淡々と「もう呼んだ」と言う……こと自体、おかしい。わらえるのではなく、奇妙だ。
狙撃にしろ救急車を呼ぶ行為にしろ、平常の出来事ではないのだから、ふつうなら、「もう呼んだよ」と答える男も焦っていたり声を荒らげていたりするのがふつうだ。
だけど現れた男は淡々と答える。
……人間の生理としておかしいよね?
なんでこんなおかしな演出になっているかというと、あとから現れた通行人は、冒頭の映画スタジオで「救急車を呼んだ」男だから、「救急車を呼んで」と言われて「(冒頭の映画スタジオで)もう呼んだよ」と答えているんだ。
男としては、今偶然通りかかっただけで、そこで人が撃たれていることなんか知らない。突然見知らぬ女から出会い頭に「救急車呼んで」と言われたから、反射的に「もう呼んだ」と返しているだけ。……たぶん、ジムのための救急車はこの時点で呼ばれてない。少なくとも、この男は呼んでないだろ。可哀想なジム。
……というネタなんだってことを、観劇した客の何%が気づいただろうか?
わかりにくっ。
というか、それすら通り越して、わかるか、アホ! と、ツッコミ(手振り)入れたいわ。
わたしが早々に気づいたのはひとえに救急車男がつばさくんだから、だ。
モブの中からつばさくんを探すのが日課なので、最初のスーツダンスからつばさくん探して、出て来るのけっこうあとの方のグループだな、立ち位置悪いな、と思ってたらアデル@あゆみちゃんの事故場面になって、「救急車を呼べ!」ってわざわざ客席へ向き直って叫んでるから、あ、台詞あった、しかもわざわざ顔を見えるようにして叫んでる、めずらしいな、モブなら後ろ向き(事故の方を見て)で言うだろうに、と引っかかった。
つばさくんの見せ場は唯一、サンタモニカの歌手。ポーリーン@くらっちのバックコーラス隊。
で、あとはもうほんとに出番ないし。モブのダンスにも入れてもらってないし。
ようやく出てきたのが、ジムの狙撃シーン。
出てきたと思ったら、台詞いっこで終了だし。しかも、パニック場面で淡々と答えるとか、流れ的に変な芝居だし変な台詞だし……あ。
つばさくんファンでないと気づかんわっ!!
冒頭のモブ男と街角のモブ男が同一人物だなんて。
わざわざ客席へ向き直って台詞言ってたけど、それだけでみんな同じスーツ着たモブを誰が見分けるのよ。まなはるあたりの人ならアリかもしれんが、つばさくんがソレやっても誰もおぼえないし、気づかない。
マサツカがつばさくんに与えた見せ場って、コーラス隊よりもむしろ、通し役(笑)である救急車男の方なんじゃ? 救急車男ってすごくマサツカ的。
しかし、ピント外れすぎ……。
つばさくんは、マクシミリアン@れいこのパーティですらただの客で、ダンス場面には入れてもらえなかったし。
ポーリーンが「スカウトされた!」って喜んでたから、コーラス隊もかと思ったら、ポーリーン単独だったらしく、コーラス隊はもう影もカタチもないし。ちぇー……。
「救急車を呼べ!」「もう呼んだよ」……これでニヤリとしろとか。できるとか。
ハリーは、本気で思ってるんだろうなぁ。つか、絶対ニヤリとしてるんだろうなあ。
マサツカェ……。
ハリーワールド、長期連載中!@私立探偵ケイレブ・ハント
2016年11月27日 タカラヅカ 『私立探偵ケイレブ・ハント』で、マサツカェ……と思うこと、その2。
ああ、この「マサツカェ……」てのは、あきれたり辟易したり失笑したりするマイナスな思いと、かわいいよねイイよね好きだよねというプラスの感情も含まれた、複雑な「ェ……」です、はい。
探偵事務所の面々がひどい。
まなはるときゃびいと桃ひな。お気に入りばっかりかよ!
マサツカ氏は、役者使いに好みが大きく出る演出家だ。座付き作家だから、劇団指示には従うが、それ以外のところでは通常の役付きルールを無視して、自分の好みでキャスティングする。
他の演出家作品では当たり前に役をもらえている人がモブで、いつもはモブの人が重要キャラを与えられたりする。
クリエイターなんだから、番手とか学年とか関係なく、「いい作品を作るためにいい役者を使いたい」というのはわかる。自分の作品なんだから、自分の気に入った人を使いたいよね。わかる。わかるよ。
しかし、わかりやすすぎるわ。
探偵事務所の事務員コートニー@きゃびい、経理のダドリー@まなはる、秘書のグレース@桃ひななんて、個性なしのただのモブキャラでいい役割だ。
なのに、彼らのキャラクタを紹介する場面がえんえん挿入されている。
きゃびいが「マサツカ作品のきゃびい」全開でかっ飛ばしていて、そこに「まなはるらしいまなはる」が絡んでいて、それだけで十分「マサツカェ……」とニラニラしていたのに、トドメとばかりにももちゃん投入、しかも「以前働いていた」という、現在の物語に無関係なエピソードぶち込んでまで……!!
いやあ、震撼したわ。ここまでやるかと。
たまたまなにかの縁ではじめて宝塚大劇場にやって来て、なにも知らないままこの『私立探偵ケイレブ・ハント』を観たお客さんは、混乱すると思う。
女優の死をめぐる事件、という本筋に、関係ないキャラクタとエピソードを「重要です、そうでなきゃこんなに時間と場面割いてまで演じてません」と見せつけられたら、わけわかんないって。
ただでさえミステリ部分がお粗末なのに、不要なエピソードとキャラクタを入れてさらに本筋を薄くして、観客の気をよそに向けさせて混乱させるとか、ありえない。
50ページの長編読みきりならアリだけど、16ページの短編でなにやってんの。プロット段階で編集さんに削られるわ、商業作品なら。
同じ16ページでも、連載作品なら、アリだけど。この事件は16ページで完結するけど、『私立探偵ケイレブ・ハント』という連載長編作品はずーーっと続いていて、来週も誌面に掲載されるんだから、読者は続けて読むんだから、今回の事件と無関係でもレギュラーメンバーの物語を入れていいけど。
マサツカせんせは、今回の公演を「短編読み切り」だと思わず、「連載長編のうちの1回」だと思って作っている。
つっても、『ケイレブ・ハント』は1作きりだ。前にもあとにもない。
マサツカせんせが思っている「連載」「長編」というのは、「宝塚歌劇」における「タカラジェンヌ」と「正塚晴彦」のことだ。
きゃびいもまなはるも桃ひなも、「みんな、知ってるよね?」という前提。そして、過去のマサツカ作品で彼らがどう使われてきたか、どんなキャラクタを演じてきたか。「みんな、知ってるよね?」
大劇場の客席にいる人は、長期連載をずっと読んでいる人。いつもの面々で、今回はどんなお話かな? と思って、ページをめくる人。
だから、1から設定とかキャラの紹介をする必要はない。みんな知ってることは説明しなくていい。知っている人なら「またこのキャラがこんなことしてる(笑)」とウケるし、「この話はこうだな」と理解出来る。「うん、これこそハリーワールドだ」とか、最初から「わかっている人」に向けて書かれている。
座付き作家で、固定ファンで支えられている劇団なんだから、それはそれでアリだと思う。
思うけど。
そんなことは、バウホールでやれ。
ほぼヅカヲタしか公演の存在もチケットの入手も出来ない手持ちの小劇場でやれ。
一般客相手の大劇場本公演でやるな。
独立した一本の作品を観に来た客に、「全100回予定の長期連載作品の、第58話のみ上演中」なんてもんを見せんな。
甘えてるなー、と思う。
劇団にも、ファンにも。
お気に入りの役者で、不要な場面をえんえん入れる。
本筋の構成はゆるゆるで、組み立てが間違っている。
それでも、トップコンビの力技で、なんとか成立させてしまう作品。
実にタカラヅカらしい作品で、最近のハリーの悪いところが出まくった作品だと思う。
それでもわたしは、所詮長期連載中のハリーワールドのファンなわけで。
「きゃびいがいつものきゃびいだ」「まなはるがまなはるだ」「ほんとマサツカおじさん、どうしようもないな」「桃ひなキターーーー!! 笑うしかない!」とか、ちゃっかり楽しんでいる。
間違っていると思う。
そう思うことと、楽しいことは別だから。
探偵事務所の場面好き。
コーヒーメーカーのくだり大好き。
マサツカにあきれながらも、そういうとこも受け入れている。
ああ、この「マサツカェ……」てのは、あきれたり辟易したり失笑したりするマイナスな思いと、かわいいよねイイよね好きだよねというプラスの感情も含まれた、複雑な「ェ……」です、はい。
探偵事務所の面々がひどい。
まなはるときゃびいと桃ひな。お気に入りばっかりかよ!
マサツカ氏は、役者使いに好みが大きく出る演出家だ。座付き作家だから、劇団指示には従うが、それ以外のところでは通常の役付きルールを無視して、自分の好みでキャスティングする。
他の演出家作品では当たり前に役をもらえている人がモブで、いつもはモブの人が重要キャラを与えられたりする。
クリエイターなんだから、番手とか学年とか関係なく、「いい作品を作るためにいい役者を使いたい」というのはわかる。自分の作品なんだから、自分の気に入った人を使いたいよね。わかる。わかるよ。
しかし、わかりやすすぎるわ。
探偵事務所の事務員コートニー@きゃびい、経理のダドリー@まなはる、秘書のグレース@桃ひななんて、個性なしのただのモブキャラでいい役割だ。
なのに、彼らのキャラクタを紹介する場面がえんえん挿入されている。
きゃびいが「マサツカ作品のきゃびい」全開でかっ飛ばしていて、そこに「まなはるらしいまなはる」が絡んでいて、それだけで十分「マサツカェ……」とニラニラしていたのに、トドメとばかりにももちゃん投入、しかも「以前働いていた」という、現在の物語に無関係なエピソードぶち込んでまで……!!
いやあ、震撼したわ。ここまでやるかと。
たまたまなにかの縁ではじめて宝塚大劇場にやって来て、なにも知らないままこの『私立探偵ケイレブ・ハント』を観たお客さんは、混乱すると思う。
女優の死をめぐる事件、という本筋に、関係ないキャラクタとエピソードを「重要です、そうでなきゃこんなに時間と場面割いてまで演じてません」と見せつけられたら、わけわかんないって。
ただでさえミステリ部分がお粗末なのに、不要なエピソードとキャラクタを入れてさらに本筋を薄くして、観客の気をよそに向けさせて混乱させるとか、ありえない。
50ページの長編読みきりならアリだけど、16ページの短編でなにやってんの。プロット段階で編集さんに削られるわ、商業作品なら。
同じ16ページでも、連載作品なら、アリだけど。この事件は16ページで完結するけど、『私立探偵ケイレブ・ハント』という連載長編作品はずーーっと続いていて、来週も誌面に掲載されるんだから、読者は続けて読むんだから、今回の事件と無関係でもレギュラーメンバーの物語を入れていいけど。
マサツカせんせは、今回の公演を「短編読み切り」だと思わず、「連載長編のうちの1回」だと思って作っている。
つっても、『ケイレブ・ハント』は1作きりだ。前にもあとにもない。
マサツカせんせが思っている「連載」「長編」というのは、「宝塚歌劇」における「タカラジェンヌ」と「正塚晴彦」のことだ。
きゃびいもまなはるも桃ひなも、「みんな、知ってるよね?」という前提。そして、過去のマサツカ作品で彼らがどう使われてきたか、どんなキャラクタを演じてきたか。「みんな、知ってるよね?」
大劇場の客席にいる人は、長期連載をずっと読んでいる人。いつもの面々で、今回はどんなお話かな? と思って、ページをめくる人。
だから、1から設定とかキャラの紹介をする必要はない。みんな知ってることは説明しなくていい。知っている人なら「またこのキャラがこんなことしてる(笑)」とウケるし、「この話はこうだな」と理解出来る。「うん、これこそハリーワールドだ」とか、最初から「わかっている人」に向けて書かれている。
座付き作家で、固定ファンで支えられている劇団なんだから、それはそれでアリだと思う。
思うけど。
そんなことは、バウホールでやれ。
ほぼヅカヲタしか公演の存在もチケットの入手も出来ない手持ちの小劇場でやれ。
一般客相手の大劇場本公演でやるな。
独立した一本の作品を観に来た客に、「全100回予定の長期連載作品の、第58話のみ上演中」なんてもんを見せんな。
甘えてるなー、と思う。
劇団にも、ファンにも。
お気に入りの役者で、不要な場面をえんえん入れる。
本筋の構成はゆるゆるで、組み立てが間違っている。
それでも、トップコンビの力技で、なんとか成立させてしまう作品。
実にタカラヅカらしい作品で、最近のハリーの悪いところが出まくった作品だと思う。
それでもわたしは、所詮長期連載中のハリーワールドのファンなわけで。
「きゃびいがいつものきゃびいだ」「まなはるがまなはるだ」「ほんとマサツカおじさん、どうしようもないな」「桃ひなキターーーー!! 笑うしかない!」とか、ちゃっかり楽しんでいる。
間違っていると思う。
そう思うことと、楽しいことは別だから。
探偵事務所の場面好き。
コーヒーメーカーのくだり大好き。
マサツカにあきれながらも、そういうとこも受け入れている。
王女と奴隷の恋、の王道パターンの話。@金色の砂漠
2016年11月28日 タカラヅカ なんてこったい、『金色の砂漠』の感想をUP出来ていない。
や、周回遅れブログなので、のんきにテキストをカレンダーに当てはめてUPしていってるようなもんなんだが。
うーん、文字量気にせずに書いてるから、「あれ、このネタで1日分のつもりだったのに、なんだか長いわ。ふたつに分けてUPしましょう。……となると、あれ、このあとのUP予定内容がズレるわ。んじゃ、こっちのテキストを後回しにして……」てなことになり、どんどんズレていくのよねえ。
で、気がついたら翌日欄からは、『金色の砂漠』新人公演感想予定ですがな。本公演語ってないのに。
『金色の砂漠』好き。
面白いプロットだと思う。
特に、タルハーミネをいいキャラクタだと思う。
王女と奴隷の恋、でよくあるのは、ビルマーヤとジャーの関係だと思う。
心優しい王女と、彼女を包み込むように守る身分違いの男。
奴隷相手にも優しい王女は観客からも温かく迎え入れられるヒロインだし、彼女にかしずき片時も離れずに世話を焼く美形、ってのは女性が好むシチュエーション。
現実世界でなら、彼氏にいちばんに求めるのはお金や地位かもしれないけれど、ラブロマンスでは「現実にあり得ない」美味しさを楽しむもの。「身分違いの恋」は鉄板ネタ。
ただ、初恋身分違いモノで、身分が高いのが女性の方だと、実のところストーリーは広げようがない。
だって、女が身分を捨てれば済む話じゃん。家のためとか家族のためとかで泣く泣く恋人と別れる……って、つまりはその程度の恋だった、家族を犠牲にしたりなにかしら負い目を持つことになっても貫きたい想いではなかった、ということ。
男側が身分が高い、権力がある、という場合だと、いろんなパターンが出来るけどなー。身分を捨てる・捨てないからはじまって、身分を捨てない場合も女と恋を続行させる方法がいろいろある。
が、女の場合は、恋の成就は「身分を捨てる」ほぼ一択だ。王女だろうと令嬢だろうと、そのままの身分で下層の男と結ばれることは出来ないから。
ゆえに、すべてを捨てて恋に生きる!のなら、決意した次の瞬間身分違いの恋人と逃げてハッピーエンドだ。逃げ切れないなら、そのまま心中END、愛の成就。清らかな初恋、至上の愛の物語。
もっと夢夢しくご都合主義にハッピーエンドにするなら、「奴隷は実は王子様でした」END。
これならヒロインはナニも失わずに済む。裕福な暮らしと愛を手に入れ、誰も不幸にならないおとぎばなしEND。
ビルマーヤとジャーはコレよね。ジャーが一念発起してビルマーヤ姫との結婚をジャハンギール王に願い出ればいい。
ジャハンギールは「国を治める」「王妃アムダリヤを自分のものにする」ことを第一にしているのだから、前の王国の王子であり、アムダリヤの息子であるジャーが、自分の娘と結婚するのは政治的にも私情的にもまずいことではない。
王女と奴隷の恋、ああ身分違い切ないわ……王女様に縁談が! ああどうなっちゃうの切ないわ……ああらびっくり、奴隷は実は王子様だった!
愛し合うふたりのすったもんだに、王と王妃のロマンスも絡めて、王道ラブストーリーの出来上がり。
なのに、あえてその王道をやらずに、ツンデレだの愛憎だの盛り込んで折ってたたんで裏返しの盛りまくり……が、タルハーミネとギィ。
さて、バリエーションが限られる、「身分の高い女と、身分の低い男の恋愛」モノ。駆け落ち(心中)、実は王子様、の他にもうひとつ、次善作として、「王様になって略奪END」がある。
男の身分が低いために恋が実らない、というならば、身分を上げればいい、実力で。ただしこの場合、何年か時の流れが必要なので、女は別の男に嫁いでいるのがお約束。人妻略奪モノにシフトチェンジ。清らかな初恋ってわけにはいかない。
だけどこれも女性が好きなパターン、初恋のダーリンが強くセクシーになって戻って来て、不幸な結婚生活から救い出してくれるの。清らかな初恋もいいけど、大人のドラマチックロマンスもいいわよね。
タルハーミネとギィは、こっちのパターンね。わたしのアタマの中には『華の嵐』のテーマ曲が回ります、炎の中で見つめ合う柳子お嬢様と天堂一也(笑)。
この「人妻略奪モノ」にするためには、まずヒロインに人妻になってもらわないといかん。
「恋に生きる」ヒロインが、何故愛する男と別れて別の男へ嫁ぐのか。理由付けが必要。
大抵……というか、99%は「家のため・金のため」。父親が事業に失敗して、とか、停戦のために敵国へ嫁がねばならないとか、「政略結婚しないと誰かが不幸になる」という脅迫めいた状況で、泣く泣く恋をあきらめ、愛してもいない男の妻になる。
これがふつう……というか、これ以外に理由があるのかってもんだが。
誰も傷つけないなら、傷つくのが自分だけなら、迷わず恋を選ぶよね? でなきゃ奴隷と恋はしないよね?
タルハーミネにはそんな「理由」も「事情」もなかった。
なのに、彼女は恋を捨てた。
100%、自分のために。
奴隷のギィと駆け落ちします、ふたりですべてを捨てて生きていきます。……そう決めて逃げようとしたけれど、王に見つかってしまった。
王は不貞を許さない。王女も奴隷もその場で殺されるはず。タルハーミネが助かる道はひとつ、愛を否定し、ギィを殺すこと。
……この展開で、恋人を殺すことで命乞いするヒロインって。
身分違いの恋、から略奪愛へチェンジするきっかけが、「誰も傷つけないために私が犠牲になります」ではなくて、「私が傷つかないために恋人を殺します」って、新しいな!(笑)
だから好き。
タルハーミネが選んだのが、自分の命ではなく「誇り」だというところが、たまらなく好み。
そして、この土壇場で恋人に裏切られたギィが復讐の鬼となるのも、すっげーわかるっていうか、こんだけひどい目に遭う主人公もそうそうないよな(笑)ってことで、心から納得。
ふつー、愛し合った恋人同士が敵対するのって、誤解やすれ違いが原因なのに、間違いなく片方が悪い、酷い、って、なかなかナイわー。
そして、誤解やすれ違いが原因でないからこそ、この愛憎は救いがナイ。そこがイイ。
タルハーミネというキャラクタが好き。
わたしにノベライズさせてくれ、と思う。いや、ウエクミはきっと自分以外の者の目と脳を通した「自分の作品」を認めないと思うので、二次創作でいいや、わたしが好きにこの物語を文章化したい。
……てとこで文字数尽きた。またいずれ。
や、周回遅れブログなので、のんきにテキストをカレンダーに当てはめてUPしていってるようなもんなんだが。
うーん、文字量気にせずに書いてるから、「あれ、このネタで1日分のつもりだったのに、なんだか長いわ。ふたつに分けてUPしましょう。……となると、あれ、このあとのUP予定内容がズレるわ。んじゃ、こっちのテキストを後回しにして……」てなことになり、どんどんズレていくのよねえ。
で、気がついたら翌日欄からは、『金色の砂漠』新人公演感想予定ですがな。本公演語ってないのに。
『金色の砂漠』好き。
面白いプロットだと思う。
特に、タルハーミネをいいキャラクタだと思う。
王女と奴隷の恋、でよくあるのは、ビルマーヤとジャーの関係だと思う。
心優しい王女と、彼女を包み込むように守る身分違いの男。
奴隷相手にも優しい王女は観客からも温かく迎え入れられるヒロインだし、彼女にかしずき片時も離れずに世話を焼く美形、ってのは女性が好むシチュエーション。
現実世界でなら、彼氏にいちばんに求めるのはお金や地位かもしれないけれど、ラブロマンスでは「現実にあり得ない」美味しさを楽しむもの。「身分違いの恋」は鉄板ネタ。
ただ、初恋身分違いモノで、身分が高いのが女性の方だと、実のところストーリーは広げようがない。
だって、女が身分を捨てれば済む話じゃん。家のためとか家族のためとかで泣く泣く恋人と別れる……って、つまりはその程度の恋だった、家族を犠牲にしたりなにかしら負い目を持つことになっても貫きたい想いではなかった、ということ。
男側が身分が高い、権力がある、という場合だと、いろんなパターンが出来るけどなー。身分を捨てる・捨てないからはじまって、身分を捨てない場合も女と恋を続行させる方法がいろいろある。
が、女の場合は、恋の成就は「身分を捨てる」ほぼ一択だ。王女だろうと令嬢だろうと、そのままの身分で下層の男と結ばれることは出来ないから。
ゆえに、すべてを捨てて恋に生きる!のなら、決意した次の瞬間身分違いの恋人と逃げてハッピーエンドだ。逃げ切れないなら、そのまま心中END、愛の成就。清らかな初恋、至上の愛の物語。
もっと夢夢しくご都合主義にハッピーエンドにするなら、「奴隷は実は王子様でした」END。
これならヒロインはナニも失わずに済む。裕福な暮らしと愛を手に入れ、誰も不幸にならないおとぎばなしEND。
ビルマーヤとジャーはコレよね。ジャーが一念発起してビルマーヤ姫との結婚をジャハンギール王に願い出ればいい。
ジャハンギールは「国を治める」「王妃アムダリヤを自分のものにする」ことを第一にしているのだから、前の王国の王子であり、アムダリヤの息子であるジャーが、自分の娘と結婚するのは政治的にも私情的にもまずいことではない。
王女と奴隷の恋、ああ身分違い切ないわ……王女様に縁談が! ああどうなっちゃうの切ないわ……ああらびっくり、奴隷は実は王子様だった!
愛し合うふたりのすったもんだに、王と王妃のロマンスも絡めて、王道ラブストーリーの出来上がり。
なのに、あえてその王道をやらずに、ツンデレだの愛憎だの盛り込んで折ってたたんで裏返しの盛りまくり……が、タルハーミネとギィ。
さて、バリエーションが限られる、「身分の高い女と、身分の低い男の恋愛」モノ。駆け落ち(心中)、実は王子様、の他にもうひとつ、次善作として、「王様になって略奪END」がある。
男の身分が低いために恋が実らない、というならば、身分を上げればいい、実力で。ただしこの場合、何年か時の流れが必要なので、女は別の男に嫁いでいるのがお約束。人妻略奪モノにシフトチェンジ。清らかな初恋ってわけにはいかない。
だけどこれも女性が好きなパターン、初恋のダーリンが強くセクシーになって戻って来て、不幸な結婚生活から救い出してくれるの。清らかな初恋もいいけど、大人のドラマチックロマンスもいいわよね。
タルハーミネとギィは、こっちのパターンね。わたしのアタマの中には『華の嵐』のテーマ曲が回ります、炎の中で見つめ合う柳子お嬢様と天堂一也(笑)。
この「人妻略奪モノ」にするためには、まずヒロインに人妻になってもらわないといかん。
「恋に生きる」ヒロインが、何故愛する男と別れて別の男へ嫁ぐのか。理由付けが必要。
大抵……というか、99%は「家のため・金のため」。父親が事業に失敗して、とか、停戦のために敵国へ嫁がねばならないとか、「政略結婚しないと誰かが不幸になる」という脅迫めいた状況で、泣く泣く恋をあきらめ、愛してもいない男の妻になる。
これがふつう……というか、これ以外に理由があるのかってもんだが。
誰も傷つけないなら、傷つくのが自分だけなら、迷わず恋を選ぶよね? でなきゃ奴隷と恋はしないよね?
タルハーミネにはそんな「理由」も「事情」もなかった。
なのに、彼女は恋を捨てた。
100%、自分のために。
奴隷のギィと駆け落ちします、ふたりですべてを捨てて生きていきます。……そう決めて逃げようとしたけれど、王に見つかってしまった。
王は不貞を許さない。王女も奴隷もその場で殺されるはず。タルハーミネが助かる道はひとつ、愛を否定し、ギィを殺すこと。
……この展開で、恋人を殺すことで命乞いするヒロインって。
身分違いの恋、から略奪愛へチェンジするきっかけが、「誰も傷つけないために私が犠牲になります」ではなくて、「私が傷つかないために恋人を殺します」って、新しいな!(笑)
だから好き。
タルハーミネが選んだのが、自分の命ではなく「誇り」だというところが、たまらなく好み。
そして、この土壇場で恋人に裏切られたギィが復讐の鬼となるのも、すっげーわかるっていうか、こんだけひどい目に遭う主人公もそうそうないよな(笑)ってことで、心から納得。
ふつー、愛し合った恋人同士が敵対するのって、誤解やすれ違いが原因なのに、間違いなく片方が悪い、酷い、って、なかなかナイわー。
そして、誤解やすれ違いが原因でないからこそ、この愛憎は救いがナイ。そこがイイ。
タルハーミネというキャラクタが好き。
わたしにノベライズさせてくれ、と思う。いや、ウエクミはきっと自分以外の者の目と脳を通した「自分の作品」を認めないと思うので、二次創作でいいや、わたしが好きにこの物語を文章化したい。
……てとこで文字数尽きた。またいずれ。
引き続き役替わり公演。@新人公演『金色の砂漠』
2016年11月29日 タカラヅカ 花組新人公演『金色の砂漠』観劇。
面白い作品は、新人公演も楽しみになる。初日を観た段階から、こりゃ新公楽しみだー、絶対観たい!と思った。
作品としてもだが、そこにわたしはもうひとつ「別の人が演じるタルハーミネを見たい」という気持ちが痛烈にあった。
かのちゃん演じるタルハーミネが、どうにもダメで。いや、通常はいいんだけど、タルハーミネの心が大きく動く、鍵になる場面の芝居がどうにも苦手で。違和感で水を差されてしまって。
新公のタルハーミネ@みれいちゃんに、めーっちゃ期待していた。
みれいちゃんはうまいからな。実力安定しているし、主人公体質だ。弱い主演なんか押しのけてしまう強さを持つ。これくらいの子でないと、タルハーミネという役はこなせないだろうと思う。
だから最初からタルハーミネ注視するつもりだった、ん、だけど……。
開演前、座席配布のプログラムを見て首をかしげる。
幼少時代のタルハーミネ……?
子どもの役は子役(下級生とか娘役とか)が演じるのがふつうだ。だが『金色の砂漠』では、主人公ギィとヒロインのタルハーミネは、子ども時代もみりおくんとかのちゃん自身が演じている。幼少時代も重要かつ長いので、コレを別の役者にやらせるわけにいかない作りだからだ。(でも他の役は子役が演じているんだよなー。バランス的に変だよなー、本公演。……というのは置く)
なのに、新人公演は主人公とヒロインの幼少時代を別の役者が演じる。本公演と、配役が変更されている。何故?
新公では脚本を変えて、幼少時代は短くまとめられているとか? いや、短いならなおさら、別の役者を立てる必要がナイ。
ではなにか、演出的な意図があるんだろうか??
ウエクミが新公でそこまで自作を変更するとは、わたしには思えなかった。新公で役者が別になっても、がんとして同じモノ(本脚本にあるモノ)を要求するイメージがある。
じゃあどうして、主人公役とヒロイン役の出番を減らすんだろう?
本来ひとりの役者が演じているひとつの役を、ひとりの役者が全部演じるのではなく、別の子と分け合う、っていうのは、ある意味役替わり公演? ダブルキャスト? 前回の新人公演『ME AND MY GIRL』と同じカテゴリだよね?
「わざわざ子ども時代と役を分けるってことは、子ども時代を演じる子を劇団が推したいってことじゃないかな?」
と、つい思ってしまった。
タルハーミネの幼少時代を演じるのは、音くりちゃんだ。『ME AND MY GIRL』で新公ヒロインをした彼女に、続けてヒロインをやらせたかった、ということでは?
『ミーマイ』新公ヒロは、みれいちゃんと音くりちゃんのダブルキャストだった。そして今回、わたしは単純にみれいちゃんヒロインだと思っていたんだけど、何分の一かは音くりちゃんがヒロインじゃないか。役替わり2連発? しかも、本公演にはない役を作ってまで(HPの配役表には、わざわざ新公のみ幼少時代の配役が別欄で作られている)彼女にヒロインをやらせる?
なにそれこわい。
いやその、音くりちゃん苦手なので、配役知ってびびったんす……。
しかしそんなのはわたしのうがち過ぎってやつでしょう。
「幼少時代のギィ役の子は娘役だし推されてる子でもないし、そんな意図はないんじゃない?」
と、花担友人にはさくっと言われてしまった。
そう、「劇団が推したいから、わざわざ役を作った」と勘ぐるなら、ふつーは主人公のギィ役についてだろう。友人はわたしが音くりちゃんについて言っているとは、思わなかったようだ。
そうだよねえ。タカラヅカは男役中心だから、娘役のためにわざわざトップスター役の出番を減らさないよねえ。
わたしがタルハーミネ役にめっちゃこだわっていたせいです、はい。
でもほんとわたし、タルハーミネが役替わりだと当日まで知らなくて。新公配役はとっくに出てたはずだけど、どの組でもそうなんだけどぜんぜんチェックしてないし。
ああそして、新公を観て本当に、何故本公演で幼少時代までみりおくんとかのちゃんが演じているかの意味を思い知ったのですわ……。
面白い作品は、新人公演も楽しみになる。初日を観た段階から、こりゃ新公楽しみだー、絶対観たい!と思った。
作品としてもだが、そこにわたしはもうひとつ「別の人が演じるタルハーミネを見たい」という気持ちが痛烈にあった。
かのちゃん演じるタルハーミネが、どうにもダメで。いや、通常はいいんだけど、タルハーミネの心が大きく動く、鍵になる場面の芝居がどうにも苦手で。違和感で水を差されてしまって。
新公のタルハーミネ@みれいちゃんに、めーっちゃ期待していた。
みれいちゃんはうまいからな。実力安定しているし、主人公体質だ。弱い主演なんか押しのけてしまう強さを持つ。これくらいの子でないと、タルハーミネという役はこなせないだろうと思う。
だから最初からタルハーミネ注視するつもりだった、ん、だけど……。
開演前、座席配布のプログラムを見て首をかしげる。
幼少時代のタルハーミネ……?
子どもの役は子役(下級生とか娘役とか)が演じるのがふつうだ。だが『金色の砂漠』では、主人公ギィとヒロインのタルハーミネは、子ども時代もみりおくんとかのちゃん自身が演じている。幼少時代も重要かつ長いので、コレを別の役者にやらせるわけにいかない作りだからだ。(でも他の役は子役が演じているんだよなー。バランス的に変だよなー、本公演。……というのは置く)
なのに、新人公演は主人公とヒロインの幼少時代を別の役者が演じる。本公演と、配役が変更されている。何故?
新公では脚本を変えて、幼少時代は短くまとめられているとか? いや、短いならなおさら、別の役者を立てる必要がナイ。
ではなにか、演出的な意図があるんだろうか??
ウエクミが新公でそこまで自作を変更するとは、わたしには思えなかった。新公で役者が別になっても、がんとして同じモノ(本脚本にあるモノ)を要求するイメージがある。
じゃあどうして、主人公役とヒロイン役の出番を減らすんだろう?
本来ひとりの役者が演じているひとつの役を、ひとりの役者が全部演じるのではなく、別の子と分け合う、っていうのは、ある意味役替わり公演? ダブルキャスト? 前回の新人公演『ME AND MY GIRL』と同じカテゴリだよね?
「わざわざ子ども時代と役を分けるってことは、子ども時代を演じる子を劇団が推したいってことじゃないかな?」
と、つい思ってしまった。
タルハーミネの幼少時代を演じるのは、音くりちゃんだ。『ME AND MY GIRL』で新公ヒロインをした彼女に、続けてヒロインをやらせたかった、ということでは?
『ミーマイ』新公ヒロは、みれいちゃんと音くりちゃんのダブルキャストだった。そして今回、わたしは単純にみれいちゃんヒロインだと思っていたんだけど、何分の一かは音くりちゃんがヒロインじゃないか。役替わり2連発? しかも、本公演にはない役を作ってまで(HPの配役表には、わざわざ新公のみ幼少時代の配役が別欄で作られている)彼女にヒロインをやらせる?
なにそれこわい。
いやその、音くりちゃん苦手なので、配役知ってびびったんす……。
しかしそんなのはわたしのうがち過ぎってやつでしょう。
「幼少時代のギィ役の子は娘役だし推されてる子でもないし、そんな意図はないんじゃない?」
と、花担友人にはさくっと言われてしまった。
そう、「劇団が推したいから、わざわざ役を作った」と勘ぐるなら、ふつーは主人公のギィ役についてだろう。友人はわたしが音くりちゃんについて言っているとは、思わなかったようだ。
そうだよねえ。タカラヅカは男役中心だから、娘役のためにわざわざトップスター役の出番を減らさないよねえ。
わたしがタルハーミネ役にめっちゃこだわっていたせいです、はい。
でもほんとわたし、タルハーミネが役替わりだと当日まで知らなくて。新公配役はとっくに出てたはずだけど、どの組でもそうなんだけどぜんぜんチェックしてないし。
ああそして、新公を観て本当に、何故本公演で幼少時代までみりおくんとかのちゃんが演じているかの意味を思い知ったのですわ……。
新人公演『金色の砂漠』では、主人公とヒロインを演じる生徒の出番が削られていた。
本公演では、子ども時代もトップスターのみりおくんと、トップ娘役のかのちゃんが演じている。
でも、新公では子ども時代を、別の子が演じている。
子ども時代ぐらい、別の子が演じてもいいじゃん。新人公演は多くの若手に経験を積ませるためにある、役が増えるのはいいことじゃん。
というのはアリだと思うけど。
この『金色の砂漠』という作品においては、それはNGだ。
だって、子ども時代は長い。
しかも、主人公とヒロインの関係性の核に関わる部分だ。
これを別の役者にやらせてしまうと、物語に一貫性がなくなる。
一本モノの芝居をツギハギしたみたいな、「あ、あの場面なくなってる、カットされたんだ、いい場面なのに」と同じことになる。
主人公とヒロインの関係性の核に関わり、物語の一貫性に必須だから、みりおくんとかのちゃん本人が、幼少時代も演じていたんだ。
それが、よーーっくわかった。
別の人が演じていたら、物語が成り立たないんだわー。キモチが続かないんだわー。
この間までやってた『私立探偵ケイレブ・ハント』だと、主演ひとこ、ヒロインりさちゃんだけど、誕生日デートだけ別の下級生がやっちゃう感じ? 本公演ではちぎみゆだけど、新公だから多くの下級生に経験を積ませたいから、本筋に関係ないバカップルデート場面は別の子で! 事件に関わる部分はちゃんとひとことりさだから問題なし!みたいな?
ナイわー。
それってつまり、「役替わり」に近いよね。
主人公ギィをあかちゃんと華優希ちゃん、ヒロインのタルハーミネをみれいちゃんと音くりちゃんでやる、ってことよね。
ランベスウォークが終わったら、別の人がサリーの衣装着て出てきた、なんで??となった、『ミーマイ』新公再び、ってことよね?
いやあ、マジぶった切り感すごかった。
子ども時代だけ別モノで、大人っつーか、18歳だっけ? 現在の若者バージョンとイコールにならない。
あかちゃんと華ちゃんはともかく、みれいちゃんと音くりちゃんの隔絶感はすごかった。
せっかく面白いプロットの物語で、新人公演という別配役バージョンを楽しむ気満々で来ているのに、途中で話ぶった切られるなんて。え、誰この子? ギィ? ……まあ、ギィはなんか面影あるかもだけど、タルハーミネはどこ? 顔も雰囲気もまったく共通点ナイ、てゆーかこの子シャラデハだよね?? タルハーミネどこいったー!
また、子ども時代の回想が終わったあと、ギィ@あかちゃんとタルハーミネ@みれいちゃんが出て来ると、あ、久しぶり!と思った。
主人公とヒロインが舞台に出て来て「久しぶりに観た」と思うなんて……本公演ではふたりは出ずっぱりなのに。
ナイわー。
なんでこんな演出にしてしまったか、心からわからない。
なにか意図があったんだろうか?
せっかくの新公主役の出番を削ることが? 久しぶりに観たなー、と思わせるくらい、何場面も活躍の場を削ることが?
それとも、あかちゃんには子ども役は演じられないと……はっ。
身長か? 身長の問題か? こんなでかい幼児いねーよっ!というウエクミのツッコミが入って、それでまさかの主役降板、重要で長い場面だけど幼児に見える子が代役を務めることになった。タルハーミネのみれいちゃんはその巻き添え、とか?
そっかー、みりおくんもちぎくんもだいもんも、子役OKな身長だもんなー。ははは。これからウエクミ作品に出るトップスターと新公主演候補の二枚目たちは、低身長でないと「ザッツ・ウエクミ!!」な作品には出られないぞっていう……。
そんなつまらんことを考えつつ、さらに、はっ、こんなでかい幼児いねーよっ!が原因だったら、れいこはどうなるんだ、でかくて幼児姿が実写版バカボン的な痛々しい頭身になってたぞ、それでも無理矢理幼児をやってたぞ……はっ、れいこで懲りたから、もう長身男役には幼児役をさせなくなったのか? じゃああかちゃんはれいこのとばっちり??
……すんません、どーでもいいタワゴトです。
でもそれくらい、意味わかんないキャスティングだってことで。
わたしは、どんなに嘘くさい幼児姿になったとしても、あかちゃん自身で幼少時代のギィを観たかったし、なにより、みれいちゃんのタルハーミネを通し役で観たかったっす。
本公演では、子ども時代もトップスターのみりおくんと、トップ娘役のかのちゃんが演じている。
でも、新公では子ども時代を、別の子が演じている。
子ども時代ぐらい、別の子が演じてもいいじゃん。新人公演は多くの若手に経験を積ませるためにある、役が増えるのはいいことじゃん。
というのはアリだと思うけど。
この『金色の砂漠』という作品においては、それはNGだ。
だって、子ども時代は長い。
しかも、主人公とヒロインの関係性の核に関わる部分だ。
これを別の役者にやらせてしまうと、物語に一貫性がなくなる。
一本モノの芝居をツギハギしたみたいな、「あ、あの場面なくなってる、カットされたんだ、いい場面なのに」と同じことになる。
主人公とヒロインの関係性の核に関わり、物語の一貫性に必須だから、みりおくんとかのちゃん本人が、幼少時代も演じていたんだ。
それが、よーーっくわかった。
別の人が演じていたら、物語が成り立たないんだわー。キモチが続かないんだわー。
この間までやってた『私立探偵ケイレブ・ハント』だと、主演ひとこ、ヒロインりさちゃんだけど、誕生日デートだけ別の下級生がやっちゃう感じ? 本公演ではちぎみゆだけど、新公だから多くの下級生に経験を積ませたいから、本筋に関係ないバカップルデート場面は別の子で! 事件に関わる部分はちゃんとひとことりさだから問題なし!みたいな?
ナイわー。
それってつまり、「役替わり」に近いよね。
主人公ギィをあかちゃんと華優希ちゃん、ヒロインのタルハーミネをみれいちゃんと音くりちゃんでやる、ってことよね。
ランベスウォークが終わったら、別の人がサリーの衣装着て出てきた、なんで??となった、『ミーマイ』新公再び、ってことよね?
いやあ、マジぶった切り感すごかった。
子ども時代だけ別モノで、大人っつーか、18歳だっけ? 現在の若者バージョンとイコールにならない。
あかちゃんと華ちゃんはともかく、みれいちゃんと音くりちゃんの隔絶感はすごかった。
せっかく面白いプロットの物語で、新人公演という別配役バージョンを楽しむ気満々で来ているのに、途中で話ぶった切られるなんて。え、誰この子? ギィ? ……まあ、ギィはなんか面影あるかもだけど、タルハーミネはどこ? 顔も雰囲気もまったく共通点ナイ、てゆーかこの子シャラデハだよね?? タルハーミネどこいったー!
また、子ども時代の回想が終わったあと、ギィ@あかちゃんとタルハーミネ@みれいちゃんが出て来ると、あ、久しぶり!と思った。
主人公とヒロインが舞台に出て来て「久しぶりに観た」と思うなんて……本公演ではふたりは出ずっぱりなのに。
ナイわー。
なんでこんな演出にしてしまったか、心からわからない。
なにか意図があったんだろうか?
せっかくの新公主役の出番を削ることが? 久しぶりに観たなー、と思わせるくらい、何場面も活躍の場を削ることが?
それとも、あかちゃんには子ども役は演じられないと……はっ。
身長か? 身長の問題か? こんなでかい幼児いねーよっ!というウエクミのツッコミが入って、それでまさかの主役降板、重要で長い場面だけど幼児に見える子が代役を務めることになった。タルハーミネのみれいちゃんはその巻き添え、とか?
そっかー、みりおくんもちぎくんもだいもんも、子役OKな身長だもんなー。ははは。これからウエクミ作品に出るトップスターと新公主演候補の二枚目たちは、低身長でないと「ザッツ・ウエクミ!!」な作品には出られないぞっていう……。
そんなつまらんことを考えつつ、さらに、はっ、こんなでかい幼児いねーよっ!が原因だったら、れいこはどうなるんだ、でかくて幼児姿が実写版バカボン的な痛々しい頭身になってたぞ、それでも無理矢理幼児をやってたぞ……はっ、れいこで懲りたから、もう長身男役には幼児役をさせなくなったのか? じゃああかちゃんはれいこのとばっちり??
……すんません、どーでもいいタワゴトです。
でもそれくらい、意味わかんないキャスティングだってことで。
わたしは、どんなに嘘くさい幼児姿になったとしても、あかちゃん自身で幼少時代のギィを観たかったし、なにより、みれいちゃんのタルハーミネを通し役で観たかったっす。
1 2