ふたりのタルハーミネ・その1。@新人公演『金色の砂漠』
2016年12月2日 タカラヅカ 新人公演『金色の砂漠』観劇。
タルハーミネというキャラクタが好きなわたしは、新人公演のみれいちゃんのタルハーミネを楽しみにしていた。
……が、新公はまさかのダブルキャスト。ひとつの役をひとつの芝居の中で、ふたりの役者が分担して演じることになっていた。
タルハーミネ、子ども時代と現在が別人過ぎる……!!
音くりちゃんのタルハーミネは、彼女の本役である第三王女シャラデハと同じ破壊力を持っていた。
わたし、シャラデハは苦手。現実にも物語にもこういう人間はいるだろうけど、関わり合いになりたくないタイプ。や、物語においてはわかりやすく「悪役」として描かれるよね。学園モノだったら、ヒロインを苛めるグループのリーダー(優等生)とか。
実際、『金色の砂漠』においてもシャラデハは「現代の価値観にて、悪い王族の典型のひとつ」として描かれている。
だから本公演の音くりちゃんはそれでいい。露悪的に描かれているんだから、見ただけで「うわ、嫌なキャラ」と思わせてくれる演技は正しい。
でも、タルハーミネをそれと同じテイストでやられちゃうと……。
確かにタルハーミネもワガママで傲慢な、「悪い王族」の見本みたいな言動の女の子だけど。でも、シャラデハと違って、ソレだけではないキャラクタなのよ。
音くりちゃんが意識してタルハーミネを「記号のような傲慢キャラ」に演じているとは思わない。タルハーミネとシャラデハが同じでいいなんてアタマ悪いことは考えないはずだ。
だから、本人的には演じ分けているんだと思う。実際、違うんだろうと思う。
だけどわたしには、同質の「苦手」を感じる。細かい演技分けなんぞ吹っ飛ばすほどの「破壊力」を感じる。
それはたぶん、わたしが彼女の芝居を苦手とする根幹部分なんだろうなと思う。
うまく表現できないが、「酷い人」を演じる音くりちゃんは、ふだんの彼女が醸し出す「苦手オーラ」をさらに純度高く放ってくれるのだわ。
単なる「酷い人」の役が酷くてもいいけど、「実は酷い人じゃないんだよ」の役が酷いと……つらい。
幼いタルハーミネは、なんというか、気持ち悪かった。ただワガママとか傲慢とかいうんじゃなく、人として傾いている気がした。
なんだろ、ふつーの人が生まれつきまっすぐに持っている芯が、微妙に斜めになっている感じ。そして、それゆえに世界を見る角度が違っていて、酷い言動や感情の爆発につながっている。彼女にとってはその傾いた軸が「当たり前」だから、他人との違いなんか想像することもなく、その傾いた目線ですべてを断罪する。
そう、断罪。齟齬はすべて、攻撃して叩きつぶすの。正義の鉄槌として。
王女だから、という後天的理由によるズレではなく、先天的なズレ。芯が傾いている。
という、キモチ悪さ。
どんだけ気持ち悪くても、シャラデハなら「嫌な王女ねー」で済むけど、タルハーミネはそうじゃない。ヒロインなんだから、彼女の心を理解し、愛さなければ、物語を楽しめない。
……その生まれつき芯が傾いている感が「特別な女性」を表しており、音くりちゃんが大人時代も通してタルハーミネ役を演じることが出来たなら、大きなカタルシスにつながるナニかを秘めていたのかもしれない。
でも、彼女はあくまでも「タルハーミネの一部」でしかない。その一部でしか計れない。
芝居は好みの寄るところが大きいので、あくまでもわたしにとっては、というだけの話。
わたし以外の人に好評ならそれでいいのだろう。
しかし、わたしはめっちゃ戸惑った。
要するに、子ども時代のタルハーミネが苦手過ぎて、「タルハーミネ」というキャラクタに感情移入出来ない。うわ、この子キライ、と思ってしまって、タルハーミネちゃんがその後どんなにがんばっても切ない思いを抱いて苦しんでいても、心がそこに寄りそわない。
大人のタルハーミネ@みれいちゃんは、子ども時代の音くりちゃんとはまったく別人で、こっちは苦手感はないけど、あの嫌な子どもと同一人物と言われてもキモチがついていかない。
困った。
正直、困った。
タルハーミネというキャラクタが好きなわたしは、新人公演のみれいちゃんのタルハーミネを楽しみにしていた。
……が、新公はまさかのダブルキャスト。ひとつの役をひとつの芝居の中で、ふたりの役者が分担して演じることになっていた。
タルハーミネ、子ども時代と現在が別人過ぎる……!!
音くりちゃんのタルハーミネは、彼女の本役である第三王女シャラデハと同じ破壊力を持っていた。
わたし、シャラデハは苦手。現実にも物語にもこういう人間はいるだろうけど、関わり合いになりたくないタイプ。や、物語においてはわかりやすく「悪役」として描かれるよね。学園モノだったら、ヒロインを苛めるグループのリーダー(優等生)とか。
実際、『金色の砂漠』においてもシャラデハは「現代の価値観にて、悪い王族の典型のひとつ」として描かれている。
だから本公演の音くりちゃんはそれでいい。露悪的に描かれているんだから、見ただけで「うわ、嫌なキャラ」と思わせてくれる演技は正しい。
でも、タルハーミネをそれと同じテイストでやられちゃうと……。
確かにタルハーミネもワガママで傲慢な、「悪い王族」の見本みたいな言動の女の子だけど。でも、シャラデハと違って、ソレだけではないキャラクタなのよ。
音くりちゃんが意識してタルハーミネを「記号のような傲慢キャラ」に演じているとは思わない。タルハーミネとシャラデハが同じでいいなんてアタマ悪いことは考えないはずだ。
だから、本人的には演じ分けているんだと思う。実際、違うんだろうと思う。
だけどわたしには、同質の「苦手」を感じる。細かい演技分けなんぞ吹っ飛ばすほどの「破壊力」を感じる。
それはたぶん、わたしが彼女の芝居を苦手とする根幹部分なんだろうなと思う。
うまく表現できないが、「酷い人」を演じる音くりちゃんは、ふだんの彼女が醸し出す「苦手オーラ」をさらに純度高く放ってくれるのだわ。
単なる「酷い人」の役が酷くてもいいけど、「実は酷い人じゃないんだよ」の役が酷いと……つらい。
幼いタルハーミネは、なんというか、気持ち悪かった。ただワガママとか傲慢とかいうんじゃなく、人として傾いている気がした。
なんだろ、ふつーの人が生まれつきまっすぐに持っている芯が、微妙に斜めになっている感じ。そして、それゆえに世界を見る角度が違っていて、酷い言動や感情の爆発につながっている。彼女にとってはその傾いた軸が「当たり前」だから、他人との違いなんか想像することもなく、その傾いた目線ですべてを断罪する。
そう、断罪。齟齬はすべて、攻撃して叩きつぶすの。正義の鉄槌として。
王女だから、という後天的理由によるズレではなく、先天的なズレ。芯が傾いている。
という、キモチ悪さ。
どんだけ気持ち悪くても、シャラデハなら「嫌な王女ねー」で済むけど、タルハーミネはそうじゃない。ヒロインなんだから、彼女の心を理解し、愛さなければ、物語を楽しめない。
……その生まれつき芯が傾いている感が「特別な女性」を表しており、音くりちゃんが大人時代も通してタルハーミネ役を演じることが出来たなら、大きなカタルシスにつながるナニかを秘めていたのかもしれない。
でも、彼女はあくまでも「タルハーミネの一部」でしかない。その一部でしか計れない。
芝居は好みの寄るところが大きいので、あくまでもわたしにとっては、というだけの話。
わたし以外の人に好評ならそれでいいのだろう。
しかし、わたしはめっちゃ戸惑った。
要するに、子ども時代のタルハーミネが苦手過ぎて、「タルハーミネ」というキャラクタに感情移入出来ない。うわ、この子キライ、と思ってしまって、タルハーミネちゃんがその後どんなにがんばっても切ない思いを抱いて苦しんでいても、心がそこに寄りそわない。
大人のタルハーミネ@みれいちゃんは、子ども時代の音くりちゃんとはまったく別人で、こっちは苦手感はないけど、あの嫌な子どもと同一人物と言われてもキモチがついていかない。
困った。
正直、困った。