とある学園モノについて・その1。@A-EN
2015年9月12日 タカラヅカ 失敗はその時点よりも、そのあとに響くのだ。
とんでもない駄作があったとする。
駄作だ、と言われるその作品自体も興行成績がふるわない……のは、当然のこと。
問題は、そのあと。
その駄作を観て、「もうタカラヅカは二度と観ない」「この組は観なくていいわ」と思われる危険性がある。
現時点だけでなく、未来の評価まで失うんだ。
こわいこわい。
『A-EN』が発表になったとき、期待する気持ちだけでなく、不安も大きかった。
ワークショップで学園モノ……。
しかも、作品解説に「ツンデレ男子」「残念女子」「不思議系男子」「イケメン」など、通常のタカラヅカ世界にナイ単語があたりまえに書かれている。
こわいわ……これは、こわいわ……。
だってタカラヅカには、『Young Bloods!! −青春花模様−』という黒歴史があるんだもの……!!
別名「青春そのか学園」。サイトーヨシマサ作。
この作品がもう、ひどい品質で。
バウだからワークショップだからという言い訳では収まらない、学芸会を通り越して宴会芸レベルの脚本だった。
出演者や舞台クオリティの話じゃないよ、脚本の話。
植爺(全方向破綻)やこだまっち(倫理観欠如)ともまたベクトルのチガウ、ひどい作品だった。
実際、この「青春そのか学園」の悪印象ゆえに、『A-EN』観劇を見送った人もいた。
あーさはじめキャストに興味も好意もある、しかし作品解説が地雷過ぎる、と。
学園モノって、「舞台人スキルが低くてもなんとかなる」ジャンルなので、完全な内輪ウケに終始して、成長や発見の度合いが他公演より低いからねえ。
その上、黒歴史のトラウマありじゃあ……。
キャストを好きだから、わたしは「青春そのか学園」も楽しんだ。
が、演出家への評価は一気に落ちた。楽しいことと、作品レベルの低さにあきれることは別だ。
あれから10年近く経つのに、『A-EN』の作品解説読んで「まさか……」と疑心暗鬼になるくらいには、アレルギーが出来ている(笑)。
罪深いわ、サイトーくん。
『A-EN』も学芸会的ワード付きの学園モノだ。
解説を読んで「青春そのか学園」を思い出した……が、わたしは一応、「いくらなんでも、アレ以下の作品ではあるまい」と思った。
根拠はある。
舞台が、現代日本ではナイからだ。
『A-EN』の舞台は、アメリカ。
「アメリカのハイスクールで卒業シーズンに開催されるダンスパーティー“PROM(プロム)”を巡って若者たちの葛藤や淡い恋模様を描き出すミュージカル」と解説にある。
脚本が「そのか学園」と同レベルであったとしても、これだけで「大丈夫」だと思えた。
タカラヅカはどんなジャンルでも三次元化する優れた機能を持つが、唯一苦手なモノがある。
現代日本を舞台とした作品だ。
ファンタジーを築きにくい現代モノだけは、心からやめておけと思う。
『メイちゃんの執事』が成功したのは稀な例(あとで語る)。『逆転裁判』すら、舞台をアメリカに変更しなければならなかった。
サイトーくんの学園モノの作品レベルを下げているのは、内容のくだらなさももちろんだが、舞台が現代日本だということもある。
わたしたちの生きる場所と陸続きの世界を描いてファンタジーを構築するのは、至難の業。
優れた脚本と演出、そして高い水準の演技者が必要。
安易に下級生ワークショップで出来る題材じゃない。
が、舞台をアメリカにするだけで、ファンタジー度が上がる。
だってここはアメリカじゃないし、わたしたちはアメリカ人じゃないからだ。
異世界が舞台なら、ファンタジーになる。
現代日本が舞台じゃない、それだけで野口くんの勝利を確信した。
そして実際に、観劇してみて。
さらに、サイトーくんの失敗理由を再確認した。
つづく。
とんでもない駄作があったとする。
駄作だ、と言われるその作品自体も興行成績がふるわない……のは、当然のこと。
問題は、そのあと。
その駄作を観て、「もうタカラヅカは二度と観ない」「この組は観なくていいわ」と思われる危険性がある。
現時点だけでなく、未来の評価まで失うんだ。
こわいこわい。
『A-EN』が発表になったとき、期待する気持ちだけでなく、不安も大きかった。
ワークショップで学園モノ……。
しかも、作品解説に「ツンデレ男子」「残念女子」「不思議系男子」「イケメン」など、通常のタカラヅカ世界にナイ単語があたりまえに書かれている。
こわいわ……これは、こわいわ……。
だってタカラヅカには、『Young Bloods!! −青春花模様−』という黒歴史があるんだもの……!!
別名「青春そのか学園」。サイトーヨシマサ作。
この作品がもう、ひどい品質で。
バウだからワークショップだからという言い訳では収まらない、学芸会を通り越して宴会芸レベルの脚本だった。
出演者や舞台クオリティの話じゃないよ、脚本の話。
植爺(全方向破綻)やこだまっち(倫理観欠如)ともまたベクトルのチガウ、ひどい作品だった。
実際、この「青春そのか学園」の悪印象ゆえに、『A-EN』観劇を見送った人もいた。
あーさはじめキャストに興味も好意もある、しかし作品解説が地雷過ぎる、と。
学園モノって、「舞台人スキルが低くてもなんとかなる」ジャンルなので、完全な内輪ウケに終始して、成長や発見の度合いが他公演より低いからねえ。
その上、黒歴史のトラウマありじゃあ……。
キャストを好きだから、わたしは「青春そのか学園」も楽しんだ。
が、演出家への評価は一気に落ちた。楽しいことと、作品レベルの低さにあきれることは別だ。
あれから10年近く経つのに、『A-EN』の作品解説読んで「まさか……」と疑心暗鬼になるくらいには、アレルギーが出来ている(笑)。
罪深いわ、サイトーくん。
『A-EN』も学芸会的ワード付きの学園モノだ。
解説を読んで「青春そのか学園」を思い出した……が、わたしは一応、「いくらなんでも、アレ以下の作品ではあるまい」と思った。
根拠はある。
舞台が、現代日本ではナイからだ。
『A-EN』の舞台は、アメリカ。
「アメリカのハイスクールで卒業シーズンに開催されるダンスパーティー“PROM(プロム)”を巡って若者たちの葛藤や淡い恋模様を描き出すミュージカル」と解説にある。
脚本が「そのか学園」と同レベルであったとしても、これだけで「大丈夫」だと思えた。
タカラヅカはどんなジャンルでも三次元化する優れた機能を持つが、唯一苦手なモノがある。
現代日本を舞台とした作品だ。
ファンタジーを築きにくい現代モノだけは、心からやめておけと思う。
『メイちゃんの執事』が成功したのは稀な例(あとで語る)。『逆転裁判』すら、舞台をアメリカに変更しなければならなかった。
サイトーくんの学園モノの作品レベルを下げているのは、内容のくだらなさももちろんだが、舞台が現代日本だということもある。
わたしたちの生きる場所と陸続きの世界を描いてファンタジーを構築するのは、至難の業。
優れた脚本と演出、そして高い水準の演技者が必要。
安易に下級生ワークショップで出来る題材じゃない。
が、舞台をアメリカにするだけで、ファンタジー度が上がる。
だってここはアメリカじゃないし、わたしたちはアメリカ人じゃないからだ。
異世界が舞台なら、ファンタジーになる。
現代日本が舞台じゃない、それだけで野口くんの勝利を確信した。
そして実際に、観劇してみて。
さらに、サイトーくんの失敗理由を再確認した。
つづく。