源太にたどり着く物語。@星逢一夜
2015年9月28日 タカラヅカ 『星逢一夜』でもっとも書き込まれているのが泉@みゆちゃんで、主人公のはずの晴興@ちぎくんは泉以下、源太@だいもんに至ってはストーリーの隙間的な書き方しかされてないと思う。
泉があれっぽっちの出番でもっとも書き込みがされているのは、彼女の持つドラマが一本だけなので短い時間でも書き込めたんだな、ブレることなく。
晴興は持っているドラマが二本線だったために、どちらも半端になってしまった。書き込み不足。
源太はふたりのドラマを描いた隙間の辻褄合わせとして利用。源太自身のドラマはない。
だから最初、源太役は不足だった。わたしには。
なーんだ、3人出演で制作発表までやっておきながら、こんな役か。
隙間扱いで農民で、かっこいい要素皆無なのにかっこいいから、「だいもんすごい」とは思うけど、こんな扱いか。がっかり。現在のタカラヅカを代表する歌手のひとりなのに、まともに歌もないし。
反面、作品がきちっとよく出来ていたから、1回できちんと過不足なく咀嚼出来、余白がない分おなかいっぱい、もう観なくてもいいや、になった。
物語が俄然面白くなったのは、隙間埋めでしかなった源太が、キャラクタとして立ち上がってきたとき。
泉と晴興の物語、でしかなかったところに、泉と源太、晴興と源太、が加わったんだ。1が一気に3になったんだ。いきなり三倍っすよ、そりゃ様変わりするわ。
泉と晴興の物語、だったときだって、泉(出番不足)、晴興(書き込み不足)と( )付きだったのよ。( )の不足ぶりは変わらないけど、泉と源太、晴興と源太が加わると( )部分の言い訳になるのね。3つの物語を描くために、( )部分の不足が出たんだ、仕方ないよ、と。
源太が面白いのは、彼が出番も書き込みも不足しまくり、計算高い作者の計算外にいたから、てのもあると思う。
晴興なんか、なまじ出番が多い分作者にがっちり首根っこ押さえられてて、フリースペースが少ないのね。なにか作りたくても許されない造形。
フリースペースが多いからこそ、だいもんならではの味、「闇」や「毒」が出てきたのが、わたしの好みに合致した。その人個人の体臭と混ざり合うことで完成する香水みたいなもんね。香水単体で良い香りでもわたしにはあまりピンときてなかったのが、だいもんがアクセル踏んでから俄然好みになった。
そう、あくまでも、「好み」の話。
一揆直前に晴興と再会したときの源太の、こわさ。晴興を……かつての親友を見据える目の冷酷さ。人が人に向ける、最大級の敵意。
その敵意が、「光」に由来するものだったら、わたしはこんなに惹かれていない。
善良な人が、純粋な正義感だとか義憤だとかで、「悪」に対して憤る……そういう「光」に由来する強い感情。
源太も一見そういう意味での感情を発しているように見える。立場上、冷酷な為政者であり裏切り者であるかつての友に対し、「感じて当然の怒り」を発しているように見える。
が、その中に闇と濁りがある。「必然」のふりをしながら、根に別のモノがある。光由来ではない、嫉妬や劣等感を根底とした、怒り。そしてそれを否定して「農民として当然の怒り」にすり替えてみせる、ずるさ。醜さ。
「闇」に由来する、濁りある攻撃の意志。
「人間」の持つ、生々しさ。「人間」の持つ、こわさ。
それを感じられたからこそ、ものごっつー好みだった。
この場面、晴興に心から同情したもの。こんな悪意をぶつけられて、なおも冷酷ぶらなきゃいけないなんて……しかも、テレビ時代劇の悪代官みたいな紋切り型の冷酷さで対抗しなけりゃいけないなんて……気の毒過ぎる。
晴興が主役だから、ここで観客が彼に同情するのは正しい展開なんだろうけど、それにしても毒が強すぎるわ。(被虐に耐えるちぎたさんが好物なので、それはそれでおいしくいただいてますが・笑)
源太視点になる場面はひとつもないし、通常あってしかるべき「2番手のソロ歌銀橋(気持ち独白ソング)」もない。だから、源太にどんな出来事があり、なにを思ってどんな風に生きてきたのか、語られることはない。
泉が晴興とふたりだけで会っていた、というだけのことで、ここまで闇パワー全開になるのよ? 10年も夫婦やってて子ども3人も作って、それでもなお。
別に、泉と晴興が自分に隠れてずっと不倫してたとか、示し合わせての密会だとか、そんなことを思っているわけじゃなかろう。
たまたま会って、ほんのわずかな時間会話したんだろう、って、わかってるだろう。
それでも、瞬間沸騰闇全開。
この10年、源太はずっと、闇を飼ってきたのか。
泉との結婚生活は、ちゃんとしあわせだったと思う。穏やかに愛し合い、家族と仲間たちと、あたたかに暮らしてきたんだろう。そこに嘘はないはず。
それでも、晴興の存在が、ずっとあった。
泉は晴興を忘れていないし、源太もまた、そんな泉を通して晴興を棘として胸の奥に飼う。
10年掛けて育った闇だから、当の晴興と再会することで、破裂した。瞬間沸騰した。
源太の10年が見える。
台詞でえんえん説明された「天野様の冷酷老中様ぶり」よりも、はるかに。
ということで、源太が破滅に向かって全力疾走するのはわかるのだけど。
だからもう、このあとどうなるのか、こわくて仕方なかった。
や、何度も観ているから話は知っている。源太、死ぬんでしょ? 晴興と一騎打ちして。斬られて殺されるのよね。
知っていても、関係ない。今、自分が目にしているモノの答えは「知らない」。
最初に源太パニックになったとき、わたしはただ翻弄されて「わけわかんない」ままに終わった。
晴興との壮絶な一騎打ち。ほとんどイッちゃってる、醜い顔。晴興と肩を合わせながら白目剥きながら、源太はナニを思っているのか。作者は何故かそこで「笑え」と指示したようだが、源太が笑っていたのは初日付近だけで、あとは笑ってなかった。
わかんないけど、源太はもう死ぬしかない。ここまで行ってしまった人間は、もう戻って来られない。
死ぬことは、源太を見ていたらわかる。わかる……が、彼はどう死ぬの。出来事ではなく物理ではなく。
彼の意識はなにがあって終わりを迎えるの。
源太のラストシーンが咀嚼できたとき、腑に落ちたときの、カタルシスと来たら……!!
「ウォーター!」と叫ぶヘレン・ケラー的なカタルシスですよ。ええ、美内すずえ氏の絵でお願いします。
そうか! と、得心、納得すっきり気持ちいー!
てことで、つらつらと源太語り、続きます。
泉があれっぽっちの出番でもっとも書き込みがされているのは、彼女の持つドラマが一本だけなので短い時間でも書き込めたんだな、ブレることなく。
晴興は持っているドラマが二本線だったために、どちらも半端になってしまった。書き込み不足。
源太はふたりのドラマを描いた隙間の辻褄合わせとして利用。源太自身のドラマはない。
だから最初、源太役は不足だった。わたしには。
なーんだ、3人出演で制作発表までやっておきながら、こんな役か。
隙間扱いで農民で、かっこいい要素皆無なのにかっこいいから、「だいもんすごい」とは思うけど、こんな扱いか。がっかり。現在のタカラヅカを代表する歌手のひとりなのに、まともに歌もないし。
反面、作品がきちっとよく出来ていたから、1回できちんと過不足なく咀嚼出来、余白がない分おなかいっぱい、もう観なくてもいいや、になった。
物語が俄然面白くなったのは、隙間埋めでしかなった源太が、キャラクタとして立ち上がってきたとき。
泉と晴興の物語、でしかなかったところに、泉と源太、晴興と源太、が加わったんだ。1が一気に3になったんだ。いきなり三倍っすよ、そりゃ様変わりするわ。
泉と晴興の物語、だったときだって、泉(出番不足)、晴興(書き込み不足)と( )付きだったのよ。( )の不足ぶりは変わらないけど、泉と源太、晴興と源太が加わると( )部分の言い訳になるのね。3つの物語を描くために、( )部分の不足が出たんだ、仕方ないよ、と。
源太が面白いのは、彼が出番も書き込みも不足しまくり、計算高い作者の計算外にいたから、てのもあると思う。
晴興なんか、なまじ出番が多い分作者にがっちり首根っこ押さえられてて、フリースペースが少ないのね。なにか作りたくても許されない造形。
フリースペースが多いからこそ、だいもんならではの味、「闇」や「毒」が出てきたのが、わたしの好みに合致した。その人個人の体臭と混ざり合うことで完成する香水みたいなもんね。香水単体で良い香りでもわたしにはあまりピンときてなかったのが、だいもんがアクセル踏んでから俄然好みになった。
そう、あくまでも、「好み」の話。
一揆直前に晴興と再会したときの源太の、こわさ。晴興を……かつての親友を見据える目の冷酷さ。人が人に向ける、最大級の敵意。
その敵意が、「光」に由来するものだったら、わたしはこんなに惹かれていない。
善良な人が、純粋な正義感だとか義憤だとかで、「悪」に対して憤る……そういう「光」に由来する強い感情。
源太も一見そういう意味での感情を発しているように見える。立場上、冷酷な為政者であり裏切り者であるかつての友に対し、「感じて当然の怒り」を発しているように見える。
が、その中に闇と濁りがある。「必然」のふりをしながら、根に別のモノがある。光由来ではない、嫉妬や劣等感を根底とした、怒り。そしてそれを否定して「農民として当然の怒り」にすり替えてみせる、ずるさ。醜さ。
「闇」に由来する、濁りある攻撃の意志。
「人間」の持つ、生々しさ。「人間」の持つ、こわさ。
それを感じられたからこそ、ものごっつー好みだった。
この場面、晴興に心から同情したもの。こんな悪意をぶつけられて、なおも冷酷ぶらなきゃいけないなんて……しかも、テレビ時代劇の悪代官みたいな紋切り型の冷酷さで対抗しなけりゃいけないなんて……気の毒過ぎる。
晴興が主役だから、ここで観客が彼に同情するのは正しい展開なんだろうけど、それにしても毒が強すぎるわ。(被虐に耐えるちぎたさんが好物なので、それはそれでおいしくいただいてますが・笑)
源太視点になる場面はひとつもないし、通常あってしかるべき「2番手のソロ歌銀橋(気持ち独白ソング)」もない。だから、源太にどんな出来事があり、なにを思ってどんな風に生きてきたのか、語られることはない。
泉が晴興とふたりだけで会っていた、というだけのことで、ここまで闇パワー全開になるのよ? 10年も夫婦やってて子ども3人も作って、それでもなお。
別に、泉と晴興が自分に隠れてずっと不倫してたとか、示し合わせての密会だとか、そんなことを思っているわけじゃなかろう。
たまたま会って、ほんのわずかな時間会話したんだろう、って、わかってるだろう。
それでも、瞬間沸騰闇全開。
この10年、源太はずっと、闇を飼ってきたのか。
泉との結婚生活は、ちゃんとしあわせだったと思う。穏やかに愛し合い、家族と仲間たちと、あたたかに暮らしてきたんだろう。そこに嘘はないはず。
それでも、晴興の存在が、ずっとあった。
泉は晴興を忘れていないし、源太もまた、そんな泉を通して晴興を棘として胸の奥に飼う。
10年掛けて育った闇だから、当の晴興と再会することで、破裂した。瞬間沸騰した。
源太の10年が見える。
台詞でえんえん説明された「天野様の冷酷老中様ぶり」よりも、はるかに。
ということで、源太が破滅に向かって全力疾走するのはわかるのだけど。
だからもう、このあとどうなるのか、こわくて仕方なかった。
や、何度も観ているから話は知っている。源太、死ぬんでしょ? 晴興と一騎打ちして。斬られて殺されるのよね。
知っていても、関係ない。今、自分が目にしているモノの答えは「知らない」。
最初に源太パニックになったとき、わたしはただ翻弄されて「わけわかんない」ままに終わった。
晴興との壮絶な一騎打ち。ほとんどイッちゃってる、醜い顔。晴興と肩を合わせながら白目剥きながら、源太はナニを思っているのか。作者は何故かそこで「笑え」と指示したようだが、源太が笑っていたのは初日付近だけで、あとは笑ってなかった。
わかんないけど、源太はもう死ぬしかない。ここまで行ってしまった人間は、もう戻って来られない。
死ぬことは、源太を見ていたらわかる。わかる……が、彼はどう死ぬの。出来事ではなく物理ではなく。
彼の意識はなにがあって終わりを迎えるの。
源太のラストシーンが咀嚼できたとき、腑に落ちたときの、カタルシスと来たら……!!
「ウォーター!」と叫ぶヘレン・ケラー的なカタルシスですよ。ええ、美内すずえ氏の絵でお願いします。
そうか! と、得心、納得すっきり気持ちいー!
てことで、つらつらと源太語り、続きます。