『星逢一夜』はバッドエンドである。
 その、やるせない終わり方を愉しむ物語である。

 ということは、わかるけど。

 ハッピーエンド好きのわたしとしては、考えるんだ。
 バッドエンド回避するには、どうすればいいか?

 それについては前日欄で書いた。

 ……の、とは、別に。
 もうひとつ。

 晴興を救うということ。について、わたしなりに結論を出している。

 ムラ公演に通いながら、なんとももやもやした、落ち着かない、腑に落ちない感覚を味わっていた。
 『星逢一夜』はいい物語だし、大好きだ。
 だが、手放しで喜べないし、愛せない。
 それはやはり、誰もしあわせにならない、誰も救われない物語というのが、わたしの本能からはずれているためだろう。

 本能が求める部分に合致しないから、気持ち悪い。
 よく出来ているとか好きとか、そういう表の部分とは別に。

 四の五の理屈をこねる前に、考えている。
 どうやったら、晴興が救われるか。

 『星逢一夜』自体は、そのままで。
 あの、誰も救われない、悲惨な結末のままで。
 蛍村の人々は死んだり不具になったりしたままで、悪意ある者が施政者となり、この先お先真っ暗で。
 泉は「夫を殺した」負い目を背負ったまま生きて。
 晴興は、親友を手に掛けて、藩も仲間も愛した女も誰も救えず、多くの命を犠牲にしてまで進めてきた仕事も途中で投げ出し、自分ひとり「罰を受ける」という大義名分付きの安寧な檻の中に逃げ込んで。
 吉宗も貴姫も、愛した晴興に捨てられ、それでも血まみれになって闘い続けるしかなくて。
 誰も救われない、物語……そのままで。

 このままの地点から、晴興を救う。

 世界を救うことは出来ない。
 こんだけ悲惨な物語だ、全部を救うことは出来ない。救いたかったら、前に語った通り、根本から変更しなければならない。
 そーゆーことじゃなく、今のままで出来るのは、誰かひとりを救うことのみ。

 わたしは、晴興を救いたい。

 どうやって?


 それに答えが出たときに、わたしの中でいろんなことが整理できた。
 ああそうか、と。

 ムラ千秋楽の前日の夜、わたしは憑かれたよーに、PCに向かっていた。
 公演が終わってしまう、その焦燥感のまま、書かずにはいられなかった。
 わたしは「書く」ことでしか、自分の考えをまとめられない。表現できない。
 なにがしたいのか、なにを思っているのか……それを、「書く」ことで昇華した。

 本能に突き動かされて書いたので、書き終わるまで、理解してなかった。
 自分がどうしたいのか、なにを求めているのか。

 書き終わって、気がついた。わかった。
 ああそうか。わたしは、晴興を救いたかったんだ、と。


 『星逢一夜』ラストの晴興に必要なモノはナニか。


 ひとり、遙かな地へと旅立つ晴興。
 すべてを失い、囚人暮らしが待っている。
 おそらく彼は、自分の犯した過ちから逃れようとはせず、生真面目に生涯背負い続けることだろう。

 そんな晴興を救えるのは誰だ?

 泉か? いや、泉ではダメだ。
 泉が晴興を追って来たとする。そのときだけはいいだろう、恋の情熱に一時救われはするだろう。
 が、泉は子どもたちを忘れられないだろう。子どもを捨て、女であることを選び、晴興に付いてきたことを、必ず悔やむ。毎日100%でなくても、日々の中時折、あるいは無意識の底で、ずっと心を残し続けるだろう。
 そしてそれは、泉も晴興も、不幸にする。
 子どもをすっぱり捨てられるなら、そもそも櫓の上で抱き合ったとき、ふたりで駆け落ちしているはず。そうできなかった泉であり、晴興であるから、泉が再び晴興を選び直して追って来ても、答えは見えているんだ。

 貴姫か? いや、貴姫では足りない。
 晴興を愛している彼女が、立場を省みず晴興を追って来たとして。
 そのけなげさと愛情は晴興のなぐさめにはなるだろうけど、救うには足りない。
 だって、晴興の犯した罪は、変わらないからだ。
 彼はずっと、苛まれ続ける。

 吉宗か?
 吉宗が下知をひるがえし、晴興を江戸へ呼び戻す。役職自体は落ちるにしろ、依然改革に必要な立場に晴興を置き、これまで通りに掲げた理想に向かって共に歩き続ける。
 ……毒をもって毒を制す、晴興の傷はそのまま、さらに新しい痛みを与え、古傷で泣いている場合ではなくす、てか。
 それはそれでアリかもしんないが……ハードだなヲイ。

続く

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