なんてこったい。
 『DRAGON NIGHT!!』初日の感想が、なくなってた……。

 メモじゃないの、走り書きじゃないの、マジに感想、ブログ記事1本分。文字サイズ指定のタグまで入れてあったヤツ。

 毎度のごとく初日に劇場へ駆けつけ、休憩時間と帰りの電車で書ききった。や、わたしPCさえあればどこでも文章書けるんで。外野うるさくてもOK。電車の中で平気で仕事出来る系。
 で、まだUPする順番じゃナイから、これはまたいずれ、と保存。

 てなわけで『DRAGON NIGHT!!』の感想はすでにあるから安心、他のことやりましょう。

 そしてよーやくブログの日付が進み、9月1日だ、『DRAGON NIGHT!!』初日だー、あのとき書いた感想を…………あれ?

 ない。

 HDDにも、クラウドにも。

 ノートパソコンのHDDかカード、あるいはクラウドに保存してるはず。そりゃもう自動的にどこかに。
 なのに何故ナイ??

 あ。
 9月1日。
 このときって、まだ、前のPCだっけ……?

 PCクラッシュしたのって、たしか10月……。

 がーーん。

 そりゃ、今のPC探しても、ナイわ。9月に使ってたPCとは別モノだもの。
 クラウドじゃなく、PC本体に保存してたらしい……そのへんてきとーというか、そのときどきだから。

 あー……。

 わたしは「書く」ことでいろいろ整理するから、文章化する前の情報はのーみそに残っているんだけど、「書いた」と安心したら、抜け落ちるのよ……別データに上書きされてなくなっちゃうのよ、容量少ないから。

 ナニを書いたか、多少はおぼえちゃいるが、臨場感というものが……。今さら、「今幕間!」的なノリでは書けぬ……。
 てゆーかもう、喉元過ぎちゃうと「わざわざ書かなくてもいいか」と思う。うん、ほんとどーでもいいことを、観劇後の興奮のままに書き綴っていたなと(笑)。

 や、その他にも感想はあって、文章化されていないモノは、これから書くことが出来るのだけど、一度書いたモノは無理だわ。残念。
 すごくどーでもいいネタだったんだけど、そのときのわたしは心から楽しく書いたのでした……。だからわたし自身が、それを読み返したかったの。ちぇ~~っ。

 ということで、残ったメモ書きを元にした感想のみ、「今幕間! 今帰りの電車!」のアツくイタい感想は失ったまま。

 …………まあ、消えてて良かったのかもしれん(笑)。
 観劇後すぐの感想なんて、真夜中のラブレター状態、謎の興奮に支配され、冷静ぢゃないもんな。



 えーと、つまり。

 『DRAGON NIGHT!!』、面白かったのよ。



 という記事を書いて、でもUPしそこねている間にさらに時は過ぎ(書いてからすでに3ヶ月経過って……)、今さら感満載ですが、このブログの時間はまだ2015年9月なので(笑)。
 人事の感想とか、答えを知ってしまったあとで「これってどういうこと?」と混乱している文章載せるのもアホっぽいけど、数年後に読み返す分には問題ないから、あくまでも時系列に沿って進みます。
 『DRAGON NIGHT!!』観て思い出した。

 フジイくんって、ガチムチ耽美スキーだっけ。

 ふつー、女性の想像する耽美って華奢で中性的な美形が繰り広げるものだけど。
 フジイくんは、漢らしいガチムチ兄貴が薔薇の花とばしながら絡み合うのに萌える人だっけ。
 コム姫とかテルとか、線の細い美形がやって絵になるようなことを、あえてらんとむ兄貴にさせたりするのよね。
 らんとむは美形だけど、彼の魅力はくるんくるんロングヘアでフリルに埋もれて男に組み敷かれてうふんあはんするところにはないわ、スーツで男たちを従えてダンディに踊る方が100万倍魅力的だわ。……と思ったなあ。
 でもフジイくんには、ヘラクレスの似合う健康的な筋肉にーちゃんが、耽美で淫靡な中性的魅力の禁断の水仙に見えていたんだなあ。

 男同士の耽美場面の趣味の違いもそうだけど。
 男役を片方あえて女にすることで、官能的な場面を作るというヅカ定番場面でも、フジイくんの趣味はアレでしたっけ。
 中性的な美青年のテルが男で、おじさま得意で野郎系なヲヅキさんを女にしてましたっけ。ふつーソコは逆だろ?!!という全世界からのツッコミもスルーして、華奢な美青年が逞しいヲカマさんを相手にエロエロしてましたっけ……。
 ガチムチ野郎同士の花びら舞うシーンが好みのフジイくんらしい、といえばなんとも一貫した美意識だとは思いますが。

 フジイくんとはつくづく、男の趣味合わないなあ。

 なんて、もうすっかり忘れていた昔のことを思い出しました。

 耽美なたまきちさんを見て。

 …………毎回思うんだけど、タカラヅカ制作側のおじさんたちって、「男役スターに中性的な役をやらせればファンが喜ぶ」って思い込みすぎてないか?
 そりゃ耽美は好物だけど、人には、向き不向きがある。
 誰でも彼でもやらせりゃーいいってもんじゃない。

 たまきちさんは、おじさんたちの思い込みと手抜きのツケを一身に引き受けさせられて、気の毒だなあと思う。
 『ロミオとジュリエット』の死にしろ、新公ロミオにしろ、似合わない役を「劇団推しスターだから」というだけの理由でやらされて。
 『PUCK』のボビーだって、天海の役だから、って。
 たまきちの魅力はソコじゃないだろう、むしろソレは弱点だから触れてやるな……ってとこを、これでもかと強調されて。
 『ロミジュリ』本公演なら大公閣下かな。たまきちの魅力がいちばん活きる役。ガタイのよさと立ち役的雰囲気、作品のいちばん最初にソロを響かせる大切な役。たまきちアゲをしたいというなら、外部にある大公閣下の場面と曲をヅカでも入れればいいんだ。
 『ロミジュリ』新公ではティボルト、愛に滅びる情熱的な色悪キャラ。
 『PUCK』なら絶対ダニエルだろ……。イケコのおいしい悪役。スーツで大人。

 かわいこちゃんとか中性的なフェアリー、耽美キャラって、彼がいちばん似合わないモノ……。

 そんなたまきちさんは、またしても似合わないモノ、苦手なジャンルをやらされてました。

 乙。
 似合わないことを無理にやらされているたまきち本人も、女子プロレスラーみたいなガチムチ「美女」を相手に耽美をしなきゃならないまさおさんも。
 頭が下がります。

 ……フジイくんがなんも考えていないのか、あるいは「ガチムチ女装男ハァハァ」と本気で萌えて書いているのか、わからないだけに複雑です……どっちもあり得るから余計に……。

 たまきちに耽美パートをやらせたこと以外は、すっげー楽しかったっす!
 いやその、たまきち耽美も、楽しくないわけではなかったけど……多分、演出家が見ているものとわたしが実際に見ているものは違うんだろうなと。

 上級生が相応の扱いを受けている点でも、安心して観られました。
 これで最下のふたりがソロパートももらいながら客席登場してて、綾月さんやからんくんがモブのみだったりしたら、きつすぎたわ。

 とまあ、数日前に『A-EN』観て「月組こええぇ……っ!!」と思っていたところだったので。
 人事に振り回されない、落ち着いたキャスティングはいいなあ。安心して観ていられるわ。
 まさおくんが圧倒的な主役力を発揮し、みやるりが2番手としてがっつり彩りを添え、たまきちがそこにプラスしてスターとしての存在感を見せ、綾月さんやからんくんたち上級生・中堅たちが堅実に舞台を支えて。その周囲で若手たちがキラキラしてて。
 きれいなピラミッドは落ち着くわー。

 と、思っていたのでラストの挨拶順にひっくり返りました。
 たまきちとみやるりの順番、変わってますがな!!

 作品中はふつーにみやちゃんが2番手で、たまきちは3番手に見えましたが? なんの疑問もなくそう観ていましたが?
 なのにラストの挨拶順だけ逆転て……。

 こわい……月組こわい……。


 そして、ラストで驚かされたあと、公演を思い返してみて、「たまきち2番手初披露作品で、いちばんの目玉があのごつい女役場面……?」と、さらにさらに、混乱したのでした。

 ソレまったくたまきちのためになってねええ……。
 劇団も演出家も、プロデュースがヘタ過ぎる。てゆーか彼らはたまきちにナニを見て、ナニを求めてるんだ。
 それはそうと、『DRAGON NIGHT!!』

 楽しかった。

 とにかく楽しくて、わたしがまさおファンなら全公演コンプする!と思った。
 や、まっつ主演公演はフルコンプ基本だったせいで……(笑)、いつも主演が当たり前のトップさんと「次はないかもしれない」の人ではファンの基本位置も違うだろうけど、それにしたってこれは全公演制覇していい公演だよなあ、と。
 わたしは全組観るぬるいヅカヲタでしかないので、こういったファンのための公演をリピートする甲斐性はなかったけれど。
 時間と金があれば、もっともっと観たいなあ、と思った。

 てゆーか、まさお、本気で歌うまいな!

 わたしやっぱ歌ウマさんが好きだな~~。
 歌で魅せられる実力のある人って、気持ちいいわ。
 まさお氏はほんと、あの独特の節回しさえなければな……(笑)。
 芝居より、歌を歌ってくれる方がずっといい。
 昔の彼はそんなことなくて、お芝居も好きだったんだけどな。どうしてこうなった。
 芝居より歌の方が例の癖が薄いので、その分ストレスが軽減される。
 きれいで歌ウマ……加えて、謎のパワーがある。

 あー……。
 そうか。
 わたしがヅカに、タカラジェンヌに求めているモノって、ほんとのとこは歌がうまいことだけではないんだな。
 歌がうまいだけなら他に選択肢もいろいろ多種多様だろうけど、タカラヅカの世界観の中で、「世界を塗りかえるパワー」を持つ人にしびれる。

 劇場という閉鎖空間が、そのまま別次元へひっくり返される。塗りつぶさせる。異次元へ吸い込まれる。
 あの感覚が、好きなんだ。

 このドラマシティの客席で、つい少し前にあじわったっけ。『アル・カポネ』でだいもんが吠え、世界が彼を中心にぎゅいいぃぃん!と収束した。世界が伸び縮みするみたいに彼の元へ引き寄せられた。
 ああいう体験をさせてくれる人に、感動する。

 まさお氏の歌声は、だいもんの吸い寄せられる感覚とはチガウ。
 世界の大きさは変わらない、その変わらない世界に、「まさお」が何層に広がり、ぶつかってくる。
 がつん、がつん。
 ぶつかって砕けて、小さくなった破片すら「まさお」で、空気がまさお濃度を上げていく。

 「まさお」を吸わないと、ここでは息が出来ない。

 だから、まさおを吸う。空気と区別がなくなる、空気よりもアツくネバくエグ味のあるモノ。
 同化する。

 その、快感。

 歌唱力、というのは、表現手段のひとつでしかない。
 「世界を変える」ための。
 その場にいる人を異次元へワープさせるための。

 ダンスでも演技でも美しさでも、わたしを一気に異世界体験させてくれるなら、なんでもいい。
 ただジャンルとして、「歌」はわたしの波長に合いやすいんだと思う。芝居だってストプレではなくミュージカル、歌の力を必要としているジャンルだし。
 歌をうまく歌う技術のナイ人は、ミュージカルで表現出来る幅がその分狭くなっているわけだしね。技術より心が大切という人もいるけれど、どんなに素晴らしい心があっても、それを伝える技術がなくちゃ。

 わたしは異次元体験がしたくて、現実では決して味わえないトリップをしたくて、劇場へ行く。
 だからそれをさせてくれる人を、すごいスターだと思う。


 まさおの芸風自体は好きだった。
 『ロミジュリ』まではほんと、彼の「芝居」も好きだったんだよ。濃度の差こそあれ。
 植爺歌舞伎×まさお節の悪夢のコラボで現在のまさおが完成し、彼はどこかわたしの手の届かないところへ羽ばたいてしまった。
 シリアスな場面で吹き出させる節回しは勘弁してくれ。自分だけ気持ちいい芝居をして、空気を読まないどころかぶち壊すのは勘弁してくれ。
 そう思って幾公演。

 ああでもやっぱ、まさおはいいよなあ。

 行き過ぎたまさお節は心から苦手だけど、彼の持つこの傍若無人で攻撃的なパワーは、見ていてわくわくする。

 舞台に聖人君子は求めてない。
 現実にないもの、現実では御免被りたいモノを、差し出してくれ。

 『DRAGON NIGHT!!』で八面六臂の活躍をするまさおを見ながら、この人は、白鳥のようだ、と思った。
 いやマジで。

 ドヤりながら、水面下では必死にもがいてる。

 あの芸風からはわかりにくいけどこれ、かなりギリギリだよね? 相当無理してやってるよね?
 でもそれを絶対認めないで、「がんばってます加点期待」をせずに、「傍若無人に暴れてる減点上等!」てな勢いでやってるよね?
 いや、それすらなく、単にまさおが好き勝手やってるだけっしょ? と思わせる芸風がまたミラクル。
 いいよなあ、そういうの。

 まさおには、好きなだけ暴れて欲しい。
 その芸風で……それが「似合う」キャラクタでいて欲しい。

 これでもかとくり出される歌の素晴らしさに酔い、カメをアタマに載せてアニメ声で話す「あざとい」かわいらしさに酔う。
 くそー。

 とにかく。

 カメ仮装のまま、本気でドヤってキザって歌う姿が、ステキ過ぎた。

 かっこいい……っ。


           ☆

 えー、この半年遅れでぼちぼち更新しているブログですが、本文自体はもっと前に書いてあるので、UPする前に読み返してちょい手直ししたりしてるわけなんですが。その時間が取れずに、どんどん遅れていったりもしてるわけなんですが。
 今、UPするにあたって久しぶりに自分の書いたモノを読み返し、

> ぶつかって砕けて、小さくなった破片すら「まさお」で、空気がまさお濃度を上げていく。

 あたりのくだりで、小さなまさおが画面いっぱいに散らばっている絵を、『おそ松さん』の絵柄で想像しちゃった……しかも、トッティか十四松系のノリで……うわーーシュール……(笑)。
 わたしは、自分の座高の高さに自信がある。
 自慢じゃないが、胴長ですよ、ええ。
 だからあまり、観劇時に困ったことがナイ。深く坐ってひとりだけアタマが飛び出さないよう気を遣うことはあっても、「前が見えない」と困ることはナイ。

 そんなわたしの視界を遮る、って、どんだけ座高高いん。

 『DRAGON NIGHT!!』初日は、前列の男性がステキに視界を遮ってくれたので、舞台中央は、見えませんでした。

 男の人は座高だけでなく頭部が女性より大きいし、身体にも厚みがあるから、「角度を変えて隙間から観る」も出来ないんだよなあ。
 まさに「死角なし!」って感じに、まったく見えなかった。
 ほんとうに長身の人は、自覚があるからか気を遣った坐り方をしていたりするけど、「ナチュラルに視界を遮る男性客」って身長はあまり高くない人が多い。観劇後に通路を前後になって歩くとわかる、「ヲイ、前の席の人、オレより背ぇ低いやん」てな。(実際、この男性はわたしと同じか、あるいは低いくらいだと終演後判明)
 まあ、仕方ない。それもめぐり合わせだ。潔くあきらめよう。

 ってことで、まさみやたま以外の、周囲で踊るみなさんを観ている時間も長かったです。
 それはそれでよし。


 きおくんは、何故ああも動くんだろう。

 モブを観ていると、その動きで目に留まる。
 同じ振付で踊っているのに……他の人より動きが多い気がする。

 せれんくんと対になっていることが多いからか、せれんくんの動きの少なさ(いや、彼がふつーなのか?)と、きおくんのぐわっぐわっ感がすげー対照的で。
 なんだこりゃあ。

 面白い。

 ツボに入りまくって、きおくんばっか観てました(笑)。

 もともと顔が好きなので。
 このダンスの個性も、愉快だなあ。


 貴澄氏がオトコマエ過ぎてびびる。
 登場した瞬間から、アンタ、自分のことカッコイイと思ってるだろ?! と、胸ぐら掴みたくなった(笑)。
 ああ、カッコイイさ、カッコイイとも!
 ちくしょー、カッコイイよ! わーーーーん!!

 朝風先輩に感じるあざとさと同じだわ……。オンナを不幸にする、やばい感じの格好良さよ、あざとさよ!!(笑)
 危険危険! やーん、ステキ~~!


 綾月さんの活躍ぶりにびびる。
 丸い牛さん@『血と砂』と呼んで早15年。今まで観た中でいちばんの扱い。……って、そうか、まさおくんの同期か。


 萌花さんは相変わらずのアンドロイド美女。ミエコ先生的なフェアリーさんだと思う。
 でも、『SAUDADE』 のときに感じた「場面を埋める力の足りなさ」を、今回はさほど感じなかった。
 同じ劇場で同じような役割で、同じ美しさを見せているからこそ、「あ、チガウんだ」と気づいた。
 変わらず美しいけれど……確かに時が流れているんだなあ。


 わかばちゃんはもっと、ヒロインポジションなのかと思ってた。
 なんか物足りない使われ方だニャ……。
 しかし、日替わりのトークコーナーで、バリバリにキザってドヤって歌うわかばちゃんが、オトコマエ過ぎた。
 男役の歌だからなー。それをカメ@まさおと黒燕尾みやるりと同じように、男役張りに歌い踊るドレスの淑女……やだ滾る!!

 からんくん活躍はうれしいな。歌声が好きよ。
 ショーでは、彼の両性具有な持ち味が生きるな。少年であり、美女であり、かつ老成した部分もある、という。

 さちか様は歌声もだけど、コケティッシュさが好き。素顔が個性的なこととは関係なく、舞台の上には、こういう美女が必要。好み。


 いろんな楽曲、そして「ザ・タカラヅカ」な数々、おさかなのかぶり物も含めて(笑)、みんなみんなステキだったーー!


 初日だからか、ペンライトの出番はあまりなかったな。
 ノリノリで振るのではなく、着席して静かな場面で、思い出したように振る、感じ。
 えーとソレ、必要……?
 ペンラなくても成立する作りのコンサートだった気がする。
 初日だから?
 後半行ったらノリノリにスタンディングしてペンラ振り回してる?


 それにしても、ポスターの薔薇柄スーツを着こなすまさおは、偉大だとつくづく思ったわ……。
 ふつー、アレはナイわ……カメと同じくらいナイわ(笑)。

 ナイわ、と思えるモノを着こなすまさおさんに心からの拍手を!
 最高!!
 『DRAGON NIGHT!!』初日観劇。

 ふつーの公演ではない、コンサートの初日ってのは手探りだ。どういうノリなのか、わかんないもんねえ。
 『REON!!』もあれば『Streak of Light』もあるわけだし。
 演出家がフジイくんなので、『REON!!』寄りなんだろうなと想像はつくけれど。

 そして、わたしが「コンサートこそ初日に行かなければ」と思うのは、それが通常の組公演ではなく、主演者の「ファンのためのイベント公演」という位置づけだと思っているため。
 わたしがご贔屓の主演公演は全日程制覇を基本としていたように、多くのファンが同じよーなスタンスでいると思う。現実問題、全公演リピートできるかはともかく、気持ち的にはそういうもんだろ、と。
 つまり、半端な日程に行くと「客席ほとんどがコアなファンかリピーター、初見の外野が取り残される」恐れがある。

 手拍子や拍手のタイミング、スタンディングの有無はもとより、お手製の応援グッズや客席参加のダンスまで、「すでにお約束が出来上がった」ところに、「全組観る、ぬるいヅカファンです、主演さんのことも好きです」レベルの人間がひとりぽつんと参加は、きついわー。

 まったく手探り状態、どう盛り上がるのが正しいのか、まだ誰も知らない初日に行く。
 それは、昔からのわたしのパターン。

 ……だったのだけど。

 うーん、この習慣もセーフゾーンが低くなってきてるなあ。

 過去にもコンサート公演はあったけれど、当時は現在のように公式グッズを大々的に販売してなかった。

 みきちゃんの武道館にも、リカちゃんのバウコンサートにも、あさこの大阪NHKホールにも、たかこの数日で中止になったドラマシティコンサートにも……他にもいろいろ参加してきたけれど。

 今のような、グッズ各種売るぜ! 儲けるぜ! な時代ではなかった。

 他の芝居公演と同じ。販売しているのは、公演プログラムとブロマイドのみ。

 ヅカファンはおとなしく着席して観劇していた。
 スタンディングもあったけど、公式振付があるわけではなく、手拍子しながら揺れてる程度。

 どう盛り上がるか誰も知らなくて、客席は手探り状態……なのは今も昔も確かだけど。
 そして、今も昔も変わらず、初日は、ファン率が高い。
 ファンが多数を占める中規模劇場公演で、しかも公式グッズが前もって販売されている現在は……初日にグッズを用意していないと、肩身が狭い、という事態に陥る。

 いやあ、油断してたわー。

 見渡す限りの客席で、ペンライトを持っていないのがわたしだけだったなんて。

 ここまでペンラ必須とは思ってなくて。

 後方席なら持ってない人もいたのかもしんないけど、ハンパに良席にいたもんで、「ええっ、オレだけ?! オレ、オンリーワン状態?!」に、びびりました……(笑)。

 持ってなかったのはひとえに、びんぼーだからです……。

 積極的に公演を楽しみたいと思っているので、最初は買うつもりだったの。
 わたしの記憶にあるペンラというと、『フットルース』や『REON!!(無印)』。コム姫やワタさんのサヨナラ前楽で客席に配られたのと同じデザイン、たぶん同じメーカーでロゴだけ変えている、あのスティックタイプのペンライトよね。
 知っているわ、定価1000円よね。
 1000円くらいなら、大劇場プログラムと同じ値段だもの、びんぼーなわたしでも買えるわ。

 …………『DRAGON NIGHT!!』のペンライトは、無印でナイ『REON!!』と同じ、豪華で高価なモノでした……。

 1000円までは「記念品」として買えるけど、2000円は無理ーー。
 たった1000円差、大の大人がたった1000円出せないってナニゴト? チケットを買うお金のある人が1000円出せないとかおかしいでしょ、チケットの方が遙かに高額なのに。
 って確かにその通りなんだけど、なんつーか、心のハードルの問題。

 用意していた金額の「倍」は、気持ち的に無理……。

 それでも、贔屓組になら出せた。
 だって、リピートするもん。
 3回観るとしたら、1回あたり700円弱の出費。5回なら400円。
 2000円のグッズはわたしには高価だけど、何回も使うなら減価償却出来る。
 しかし。
 1回しか観ない公演の場合、そのたった1回に2000円使い捨てることになる。

 チケット代7908円+2000円 = 9908円

 高っ。
 定価7800円のチケットなのに、「グッズ購入必須」だとなんかすげー割高感。

 わたしはこの「割高感」に負けた……。

 そして、「大丈夫よ、あんなに高いペンライト、買ってない人だってきっといっぱいいるわ。『REON!!』の1000円のペンライトだって、持ってない人いっぱいいたじゃない」と思って、『DRAGON NIGHT!!』初日参戦。

 ……そして、華麗に敗北する……。びんぼーに(つか、己のびんぼー根性に)負けた……。

 『REON!!』はまだ、グッズ文化のハシリ状態だったかな。そっから、「グッズは売れる!」と踏んで、劇団はばんばんコンサートグッズを販売しだした印象。
 どんどん豪華に、高額に。

 2000円、という金額単体なら、大人だから、決して買えない金額ではないのだけど。
 チケット代だけで盛り上がれた、過去のコンサートを知っている身としては、「プログラム代以上」の設定金額のグッズは「嗜好品」認識で、「観劇に必須」とされると、つらいなあ。

 全公演、全客席に、公演グッズのハンカチ(毎回色違い・公演日時入り)を配布した、ワタさんのコンサートは神公演だったなあ、と、遠く思い出す……。
 チケットだけ握りしめて、手ぶらで行っても、客席全員で同じグッズを持って盛り上がれたのよ……初見のゆるいファンも、コアリピーターも、等しく。


 グッズ商売に目覚めた劇団は、これからもコンサート乱発して、グッズ売りまくるんだろうなあ。
 や、贔屓組ならそれも楽しいしうれしいけど、全組観る場合、贔屓組以外がきつい……。

 おかねもちになりたい。
 タカラヅカにおけるダブル主演は大人の事情。
 バウ主演をしてもおかしくない立場、だけど劇団的に主演の実績を与えたくない上級生と、バウ主演をするだけの実力その他もろもろには欠けるけれど、劇団的に主演の実績を与えたい下級生。
 上級生側は「本来なら主演出来なかった」のに半分だけとはいえ主演できるし、下級生側は「主演する実力(技術・集客力含む)はない」のに半分だけとはいえ主演できる。
 大人の事情丸出しだけど、わたしはWin-Winの関係だと思う。
 だって以前の劇団は、主演させたくない生徒にはどんだけ需要があっても絶対させなかったし、人気のまったくない生徒にがらがらの客席相手にえんえん主演させ続ける、という誰の得にもならないことを強行し続けていたんだもの。
 バウホールのがらがらはつらいよ? 劇場が小さくて舞台と客席の距離が近いだけに、やっている生徒も観に来ている観客も、いたたまれない空気があるから。ほんとに。頼むよ。あの規模の劇場を売り損なうとか、それはプロデュースする側の責任だろ。

 てことで、ダブル主演歓迎。

 それも「ふたりが主役」のダブルじゃなく、興行期間をふたつに割ってのダブル形態がいい。

 主演ふたりは、脚本を書ける人がいないのでやめとけ。
 主人公ひとりでもまともに書けない場合が多いのに、ふたりとかマジ無理。無理なことはしなくていいっす。
 演出家にとっては「うまく出来なかった。でもま、次がんばればいいや。てへっ」かもしんないけど、ダブル主演という微妙なバウ公演が当たる生徒(の片割れ)にとっては、「生涯でただ一度の機会」である場合が多い。習作は他でやってくれ、出来ないことはしなくていい。
 いつか自在に「主役が何人でも書ける」筆力を得たら、好きなだけやってくれ。

 ふたりが同時に主人公とされるダブル主演は、大抵の場合は「主演はひとり。もうひとりは2番手相当の比重。フィナーレだけふたりで登場してお茶濁し」になっている。
 そんなら最初から公演をふたつに割って、それぞれ単独で「主人公ひとり」、あとは別の子を「比重が高くておいしい2番手」の方がいい。下級生にもチャンスが2倍になる。

 てことでか、一時期劇団はこの2チームに分かれてのダブル主演バウをやりまくった。
 しかし、これが大変。
 主演の学年に合わせて出演者を配分するため、肝心の下級生主演チームにはさらに未熟なひよっこちゃんばかりになってしまう。舞台経験もそんなにないし、ビジュアルも磨かれてないし、無名ゆえにファンも少ないし、必然的に技術もなくて舞台クオリティは上級生チームより劣るし。
 せっかく同じ作品を別キャストでやるのに、片方のチームだけ満員御礼、片方は絶賛発売中。
 これじゃいかん。

 てことで、そこからさらに進化した2チームでのダブル主演。

 ひとつの物語のバージョン違い。2作両方観ることで完結する物語。

 これはいいね!
 これなら、両方観る人が増えるね!

 ダブル主演にすることで、本来なら主演できない人も出来た。
 2チームにすることで、倍の人数に役が付いた。
 さらに、2チーム両方観ざるを得ない仕掛けをして、集客の手助けをした。

 進化してるよ、ワークショップ。
 わたしはこういう進化は歓迎です。


 ただ、問題は。

 複数作にわたる仕掛けのある、複雑なプロットを作ることが、演出家に出来るのか?
 という一点に尽きます。

 なにしろ直近のこのテの作品が大駄作『灼熱の彼方』だからさー……。

 あれほどひどいモノはふつーの人には書けないと思うので、野口せんせがふつーの人なら大丈夫だと思う。

 『A-EN』ARTHUR VERSIONは、他愛なくネタだけで終始した作品だった。
 あちこち粗いという雑なんだけど、萌えネタ優先、ファンサービス優先の姿勢はアリだと思う。
 ARI VERSIONと合わせて、どうひとつの作品として昇華するのか、楽しみだ。
 やっぱりもう一度観たい! と強く思い、千秋楽へ駆けつけました、『A-EN』ARTHUR VERSION
 若手バウこそ初日とそれ以外の差が大きいもの。……1週間余りの公演を経て観たみなさんは、なんつーかこー、調子に乗ってた(笑)。
 楽しくて仕方ない様子。やりがいに満ちている様子。それは観ていて、気持ちいい。
 2度目の観劇でストーリーや出番を知っているので、それ以外をじっくり観られるし、新たな発見もある。

 オープニングのカッコ良さったらナイ!!
 制服男子最強!
 ここはまゆぽんのカッコ良さにうちのめされているのだけど……。
 えーと、本編とは別扱いなのかな?
 ハートは女子のアダム@佳城くんが、バリバリにキザってイケメンしてる!!
 そういや髪にお花を付けてない……本編とは別人設定なのか!
 まゆぽんだって、本編とはチガウもんな……ストーリー内ではこんなにがつがつしたイケメンじゃないもん。ゆるい二枚目半だもん。

 別モノ設定いいな!

 役にとらわれず、ただもうシンプルに、カッコ良さを追求できる。
 役のキャラクタでのダンスもいいけど、それじゃ三枚目はずーっと三枚目だもんね。ストーリー内のダンスはふつーに各キャラでのダンスなんだし、オープニングぐらい別でいいよね。
 佳城くんのファンなんて特に、1幕ずっとヲカマキャラだもの。すっごくいい役で観ていて楽しいだろうけど、ひとつぐらい「男役として」カッコいい場面があっていい。
 まゆぽんだって、マジ二枚目だし……マイルズくんとして踊ってたらこうはいかんやろ。オープニングのカッコ良さにドキドキして、本編観て肩を落としたもんな、初日。や、いいんだけど、オープニングがカッコ良すぎてな……。

 イケメンたちが本気で「カッコ良さ」を追求し、攻撃的に客席を食おうとしている姿が素敵過ぎる。

 ここに加われない大人役のファンは残念だろうなあ、と、『フットルース』の大人組ファンだったわたしは勝手に想像する(笑)。
 制服でキザる贔屓、誰だって観たいよねえ? そうそうある機会じゃないし。
 とはいえ、さすがにジョー先生はまじれないか……。グレンせんせはともかくとして。


 別箱公演のお楽しみは、新たな出会いがあること。
 今までノーマークだった子に注目したり、本公演では捕捉できない人まで眺められたり。
 男子でまったく知らなかったのは最下のふたりだけなんだけど、女子は知らない子ばっかだったので新鮮。
 脇の女の子たちが、みんなキャラ作ってきててかわいい!
 ストーリーに絡まないし、個々にエピソードがあるわけでもなく、みんな一斉に現れて一斉にはけていくんだけど、それでもひとりずつキャラがわかるの。
 モブやってるときも、ちゃんとそのキャラらしい仕草で小芝居してて、見てて楽しい。
 本公演でもきっとそうやってひとりずつがキャラ作ってモブやってるんだろうけど、大劇場じゃ見てられないもんなあ。
 バウホールならではだわ。

 『フットルース』のときもそうだったけど、わたしほんと女子の「オンナノコ」全開のキャラクタが好きだな。
 制服女子のオンナノコぶりを見ているだけで楽しい。


 てことで、意外にヒロインのキャラ付けが弱くて気の毒だなと思った。
 登場したときの変な女ぶりはそりゃ強烈だけど、外見を変えたあとは「ヒロイン」という以外のキャラクタがない……。
 シンプルな「ひな形」みたい。
 女の子の形だけ最低限の線で印刷してあって、「自由に色を塗って個性を出してね!」とある、ぬりえとか着せ替えみたい。
 誰もが好感を持つけど、だからといってこの子でなくてもいい、すぐに忘れちゃうような「テレビCМの無名タレント」っぽいかわいさ。

 演じている小雪ちゃんの問題ではなく、演出ゆえだと思う。
 アーサー、浅いなあ。
 ただ最大公約数にだけ着目した「美少女」を育てるなんて。人として男として浅いわー。

 って、高校生なんだから当然なんだけど。

 小一時間の他愛ない短編ドラマで、んなひねったモノはやってられない。
 だからヒロインはこれでいいんだと思う。

 わかっちゃいるが、もっと違うアプローチもあったろうに、ヒロインのステレオタイプさがもったいないなあ、と。


 ふつうの少女マンガと違い、タカラヅカではひたすらヒーローのカッコ良さに酔うモノだから、あーさがカッコいいだけでいいとも言う。
 二次元にしか存在しないイケメンぶりが気恥ずかしくも素晴らしい。

 わたしはまゆぽんスキーなので、彼を中心に見てしまうのだけど……彼がいい男であればあるほど、声が惜しくてなあ……。
 何故あの恵まれた体格で、あの甲高い声なんだ……。


 ショーのラスト、「ツキノミチ」の盛り上がりは、同期ならではだなあ。
 初日もあざとい演出(笑)だと思ったけれど、千秋楽の効果は想像以上。
 タカラヅカのシステム上、このふたりがこんな風にがっつり「トップと2番手」として組む公演は、タカラヅカのシステム上二度とない、だろうから。や、あって欲しいけど。確率的にかなり低い。
 初舞台生のロケットが「苦楽を共にした同期が、同じ舞台に立つ最初で最後」であるように、うれしさ楽しさと同時に切なさ儚さを感じる、ようなもので。

 しきりと、『巌流』を思い出していた。しあわせだったな。大好きな同期コンビの公演。ケロトウがラブラブでさ(笑)。や、いつもケロの片想い気味(大好きオーラが強い)んだけど、青年館楽でよーやくトウコがオトコマエに応えてくれたんだよね……それでケロが泣き出したんだよね……。
 あーさとまゆぽんがトウコとケロに似ている、というわけではなく、いろんな部分がケロトウ好きの琴線に触れるのだわ。あー、まつそのもまずはケロトウ好きゆえに惹かれたんだよなあ。罪が深いわ、ケロトウ(笑)。

 良き同期でいてください。素敵なコンビネーションを、これからも見せてください。心から思う。

 舞台は一期一会。
 この瞬間だけ存在し、消えていくもの。
 だからこそ、より愛しい。

 それを強く感じる千秋楽だった。
 新人公演『ガイズ&ドールズ』観劇。

 せおっち新公主演おめでとー!

 将来トップになるならないはともかく、新公主演事実大事。それによって舞台での扱いが変わるもの。
 もっとせおっちを観たいから、主演歴を得てくれたのがうれしい。

 たとえ、作品が『ガイドル』であっても。

 映像が残らない公演で最初で最後の新公主演をする子は、気の毒だ。

 や、花組のあきらが「なんで新公主演出来なかったの?」とか「1回でいいから新公させときゃよかったのに」とふつーに言われるから。
 してるから! あきら、新公主演してるから!
「え? ナニで? 観たことない」ってそりゃ、映像に残ってないからだよ、スカステで放送されてないからだよ。
 本公演の映像ソフトは発売されてるけど、スカステ放送頼みの新公は、放送されなきゃ「なかったこと」になっちゃうんだもん、人の心理として。
 ソフト発売されたりテレビ放送されれば、あとから来た人に見せることができるからね。そうやって、去年からヅカファンになった人でもふつーに、初演『エリザベート』の感想を語れるわけじゃん。「現在」ヅカファン同士で語れるわけじゃん。
 映像が残らないと、「観た人」は年々減るのみで増えることがない。減るのみなんだから、いつしか「そんなことあったっけ?」になるのは自然の摂理。

 映像ナシ・東西2公演のみの新公は、「当時」ナマで観た人以外感想を語ることも出来ない。「現在」のヅカファン同士で語ることも出来ない。アクティブになってない出来事は、記憶に残りにくい。

 そんな演目での主演は、ラストチャンスの子にさせてほしくないなあ。
 そんな演目だからチャンスが回ってきたのかもしんないけど。

 だから今回は絶対に観たい!と思った。
 や、どの公演だって観たい!と思っているけど、今回は特に。あきらの新公『麗しのサブリナ』が素敵だったように、せおっちの『ガイドル』だって素敵に違いない! この目に焼き付けるんだーー!


 と、いうことで。
 せおっち中心に観劇したわけですが。

 観ながら、改めて考えた。
 えーとわたし、なんでせおっち好きなんだっけ? 好きというか、わりと好きなジェンヌさんで、舞台にいるときは意識して観てみるうちのひとり。

 なんで彼に好意を持っているかというと、美形だから。コレに尽きる。

 タカラヅカだもん、美しい人が観たい。
 せおっちはモブにいても、モブを眺めるのが好きなわたしが「あ、あそこにきれいな人がいる!」とオペラを止める美形さんだ。
 で、いっつもモブに毛が生えたよーなもんだから、「もっとちゃんとした役で観たいなあ」とか「もっとたくさん観たいなあ」と思う。
 ゆえに、役付き上がれ! 新公主演来い! と願っていた。

 そーして今、念願の新公主演! ものすごくいい役!

 念願の……ってことは、ほんと、こんだけ大きな役を演じる彼を見るのがはじめてってことだ。
 これまでは、彼の顔が好きなだけ、興味あるだけでしかなかった。

 ようやく役者としての彼を見ることが出来て……。

 ちょっと、首をかしげたわけだ。
 なんでわたし、好きだったんだっけ、と。や、他意はなく、単純にふと。

 うーん……。

 別に、悪くはなかった。
 よくやっていた。
 初の大役、これまでの立ち位置からしても、プレッシャー半端なかったろうに、よくやりきったと思う。
 悪くはないんだけど……。

 好みでも、ない、かなあ?

 そういや、今までの別箱公演でも、脇でちょろちょろしている分にはいいんだけど、出番や台詞が多いとあまり響いてこなかった印象がある。いやその、顔がいいからそれだけでヨシ!的な気持ちだったっつーか。顔がいいから、それ以上のことをわたしが考えてなかったというか。

 なんだろう、この不自由さは。
 ワンサイズ小さな服を着せられているみたい。や、現実の衣装のことではなくて。
 手を伸ばすべきところで伸ばしきれない感じというか、不自然なぎこちなさがある。
 経験不足のせい?

 だからといって、舞台が進むにつれてエンジン掛かってくる風でもなく。
 ぎこちなさと不自然さはずーーっとそのまま。

 調子に乗るタイプではなさそうだ。かといって、あまり周囲を見れるタイプでもなさそうだ。
 目の前のことだけを観て演技している感じ。や、現実はそれでいいけど、舞台を、世界を作るっていうのはそうじゃなくて、舞台全体を観て演技しなきゃなんないわけで……うおー。
 なんかむずむず、手に汗握る。

 そして。
 手に汗握っていると、どんどん彼に感情移入する。
 がんばれー! 行けー! もう少しだー!
 握るのは汗ではなく拳? 心の拳を振り上げて、応援しまくりさ(笑)。

 結果。
 うん、なんか、良かった!(けろり)

 さっきと言ってることチガウけど、正直な気持ちだから。
 せおっち、良かった!
 なんかすがすがしく観終わった。

 足りないところがあるにしろ、素直な芸風が心に響くんだと思う。役の気持ちが、というより、役者本人の気持ちが、というのは課題だとしても、いいじゃん、今の段階はソレで!
 マラソンランナーを応援するような、一緒に汗をかいたような、そんな観劇後。

 てゆーかさ……。
 そうやって伴走する気持ちで長距離走り抜いたあと、挨拶があるじゃないですか、主演者の。
 大抵の初主演者は感極まって泣いちゃって(泣かなかったのはまっつとマギーくらい?)、大変微笑ましいヅカならではの「アマチュア感」があるアレ、アレがあるわけじゃないですか。
 せおっちも初主演だもの、きっと涙ながらに挨拶して、客席ももらい泣きするんだわー。
 と、思ってたら。

 人は、頭が真っ白になったとき、ほんとうに「首をかしげる」のだ。

 小説の常套句、「彼は首をかしげた。」
 まさかそれを、目の当たりにするとはっ!!(笑)

 挨拶の途中で、たぶん突然頭が真っ白になっちゃったんだろうなあ。焦点の合ってない目で沈黙して、ゆっくりと首をかしげた……。
 言葉に詰まる人はいくらでも見てきたけど、これは初体験だわ。

 マラソンランナー応援ハートでいたところに、コレですよ。
 ああなんかもう、まさしく!! って感じ。試合直後で放心してるアスリート!!

 …………愛しいっす。


 ラストチャンス新公主演はいいよね、それだけでドラマだよね、感動的だよね。
 終演後の挨拶時、ベテラン主演のことちゃんが、保護者の顔を見守っているのもまた見どころのひとつ。
 その昔、いっぱいいっぱいな様子で挨拶するベニーを、まひろくんが見守っていたように。

 こうやって、物語は受け継がれていく。
 ところで新人公演『ガイズ&ドールズ』ですが。

 ……あれえ??

 チガウよね?
 前はこんなじゃなかったよね??

 年寄りなので記憶が衰えまくってるけど。
 2002年の再演時の新人公演は、こうじゃなかったよね??

 なんかすっげーひどい構成だった。
 1幕をほぼそのままやって、盛り上がったぞ、さあ次は?! ってときに、いきなり2幕のラストシーン、ネイサンが更正して新聞スタンドで働いている、という場面になってた。
 拍子抜けどころの話じゃない。
 両脚を上げてひっくり返るギャグマンガ的「びっくり!!」展開。

 どの場面を残してどの場面を削るか、新公担当の新人演出家に決められることではナイのかもしれない。
 版権ガチガチで、2幕物をツギハギして1幕に収める、なんてことをしてはいけない、のかもしれない。

 それにしても、最悪な短縮方法。

 物語としてありえねー。
 いくら「本編を抜粋して上演します」と前置きしてたって、未完成作品を見せられても。

 ついでに、構成以外の演出もひどかったのだわ……。
 本公演まんまコピー。
 役者の持ち味無視。
 本役がスタイル抜群のリカちゃんですよ。彼だからこそキマる仕草や役作りを、美形だけどスタイルはいまいちのさららんに、そのまんまやらせたんですよ……。

 なんつーかもー、うわ~~、って感じで。

 さららんなら、もっと別のアプローチのスカイがあったろうに、って。
 リカちゃんのコピーをやるには、その、いろいろと苦しい。同じ仕草でキザられても、手足の長さが、その。

 さららんのやたらと好戦的な、熱量のある芸風が好きだったので、持ち味無視な演出は残念でした。

 ヒロインだって、本役はロリータえみくらで、新公はアダルトなあいあい。持ち味がチガウのに、本役コピーだしな……。
 他の役もみんなコピー。本公演をなぞることが目的です、的な。
 や、わたしにはそう感じられた。

 演出家出て来い、なんじゃこりゃあ。
 と、当時思ったもんです。

 あ、ちなみに新公の演出家はこだまっちでした。コピーが得意な(笑)。←


 演技がコピーだったのはこだまっちに文句言っていいかもだけど、構成がひどかったのはこだまっちのせいではなく、原作サイドの要請かな、と当時も自制しておりました。ほらわたし、坊主憎けりゃで嫌い演出家をなんでもかんでも悪く思いがちだし。
 ダメよこあら、こだまっちのせいじゃないかもだわ。1幕ラストに2幕ラストをくっつけるしか、原作サイドが許してくれなかったのよ……!

 そう思って、「ふざけんな、なんじゃこの演出?!」という憤りを収めていたのに。


 時は流れ、2015年。星組新人公演『ガイズ&ドールズ』にて。

 1幕のあとに突然ラストシーンじゃない! 話が続いてる!!
 と、心からびっくりしました……。

 ハバナから戻ったあと、サラに拒絶されたスカイが別れを決めて去って行く……その次のシーンでいきなり、ネイサンとアデレイドは結婚することになっていて、スカイとサラは「結婚しました!」になっている、あのトンデモ展開は……?!

 ええええっ?!!

 ふつーの新公だ、1幕2幕通して、必要な場面だけピックアップして1幕に収めた、ふつーの新公だーー!

 じゃあ、2002年の再演時の新公は、なんだったの……?
 あの「カネ返せ」的な落胆と憤りは……?

 10年以上経って、わたしの記憶が偏って置き換えられ、いろいろ構成を誤解しているのかもしれない。
 10年以上経って、版権管理が緩くなったのかもしれない。昔は切り貼り禁止だったのが、今は「ご自由にどうぞ」なのかもしれない。
 演出家の問題ではないのかもしれない。
 演出家に罪はないのかもしれない。
 かもしれない。
 かもしれない。

 しかし。

 こだまっち……。

 こだまっちにいい感情を持っていないわたしは、13年の時を経て、今また新たにこだまっちへの不信感を強く持ったのでした(笑)。


 はー……。

 星組新公、楽しかった!!

 ちゃんとストーリーがある!
 かっこいい場面、楽しい場面がある!

 こんな「あたりまえ」のことに感動。
 新人公演『ガイズ&ドールズ』あれこれ。

 わーいスーツ物だ、男役がみんなかっこよく見えるナンバーてんこ盛りだ、チェックが忙しいぞ~~!

 と思うわたしが、顔が好み!!と注目したのが、朝水りょうくんです。
 や、前々から気になってはいたけれど。好みの系統だけどもう一声足りない、あたりだったのが今回は、かっけーー!!と素直に思いました。

 学年が上がって、わたし好みに削ぎ落とされてきてるなあ、と。
 スーツ姿がたまりません。
 気がついたら彼を追いかけてる(笑)。

 が、クバーナの歌手にはときめかないので、スーツ限定か(笑)。クバーナの歌手こそが見せ場で、スーツ男(ジョーイ)は台詞僅少、ほとんどがモブ状態なのに、その台詞もないモブ状態こそ好み。ってソレ、本公演でもそうだから、新公の意味薄いよこあらさん!

 クバーナの歌手をやれているように、歌だって歌えるのに、役付き上がらないなあ。
 このテの顔が大好物なので、これからももっといい男になって、長く舞台にいて欲しいな。


 美貌ゆえにオペラテロしてくるたくてぃー。や、見るつもりなくても美貌ゆえに視界を奪いに来るから(笑)。
 芝居の善し悪しはわからない。ほぼモブだし。台詞もろくにない分には、別に「二度見するようなへたっぴ」ではないんだが……役付かないなあ。

 好みど真ん中ではないのだけど、ハンサムだなと思うのが天華くんと綾くん。
 本公演でも目に付く美形枠だけど、今のとこわたしにはふたりの差がわかりにくい……。本公演は仕方ないかと思ってたけど、新公でもわかんなかった……ナニこのニコイチ感。


 新聞売り少年@湊璃飛くんがかわいかった。
 あのはしこさはいいなー。なんつーか、本役よりよく「動く」少年だな。


 ネイサン@しどりゅーは、印象が薄い。
 外見も芝居も。
 悪くなかったし、出来てないわけでもなく……ただ、わたしの海馬に残っていない。

 むーん?
 先日の某公演で、わたしの割と近くの席に96期トリオ(キサキちゃん、たくてぃー、しどりゅー)がいて、キサキちゃんかわいい、たくてぃー美形過ぎうひゃー! で、ひとりすっきり薄い顔のしどりゅーが、予想外に好みの顔だったという記憶がありましてな。
 キサキ&たくてぃーにはさまれた並び(観劇座席も香盤順なのか)だとしどりゅーだけなんか人種がチガウ感じだったんだけど、そのひとり薄くて目鼻口が遠くから見えにくい人こそが、わたしの好み系だったという、目からウロコな事実。
 以来、はじめての新公なのでしどりゅーが気になっていたはずなんだが……むーん?
 舞台化粧すると、好みの顔じゃない……。
 素顔の方が、よっぽど好みだわ。テレビで素顔を見てもなんとも思わなかったから、ほんとナマで見ると好みっぽいという、なかなか難しいラインではあるのだけど。

 しどりゅーの場合、相手役が悪かった、てのはあるかもな。
 アデレイド@まあやちゃん相手じゃ、分が悪すぎるわ。
 全部彼女が持ってったもん……ネイサンはアデレイドに吹っ飛ばされちゃったよ……。

 まあやちゃんに太刀打ちできないのは、しょうがないかも。
 とはいえ、薄かったなあ。
 わかりやすい歌ウマは、わかりやすく話題をかっさらうのだ。

 新人公演『ガイズ&ドールズ』を観て思う。
 観劇後の人々が口々に「まあやちゃんすごい」と言いながら歩いていることについて。

 以前、『心中・恋の大和路』でも同じよーなことがあった。幕が下りたあと、人々が口にするのは「まっつすごい」で、それは彼の歌がわかりやすくすごかったからだ。
 ミュージカルで歌ウマさんが本気でぶっ飛ばすと、公演の印象を偏らせてしまうんだ。
 歌の力はそんだけ大きく、わかりやすい。

 『心中・恋の大和路』のときのまっつはらしくもなく空気を読まない芝居をしていて、ラストの大ナンバーも「作品の中の1曲」ということより、別の次元で歌っていた。その歌声はものすごくて、いいもん聴いたと思うけど……「作品」には合ってなかったと思う。
 歌ウマさん、ブレーキング大事。そう思った。

 まあやちゃんのアデレイドを観て、そんなことを思い出した。
 まあやちゃんの歌は「わかりやすくすごい」。だから、作品の印象を変えてしまう。

 まあやちゃん無双。

 ことちゃんが脇に回ったこの公演、まあやちゃん無双になるんじゃないかなと思っちゃいたが、ほんとにそうだった。
 全部吹っ飛ばしてひとり勝ち。

 たまにいるよね、こういうタイプ。
 ええ、近くにいるじゃん、星組。みっちゃんがまさにこのタイプ(笑)。
 みちこVSまあや観てみてええ、とニラニラしました。どっちも譲らないから摩擦部分から火花散るのかなとか。
 ただ、経験から圧倒的にみっちゃんが上だから、勝敗はわかっちゃいるんだが、その火花具合は観客には愉快なものだろうなと。ハイクオリティな応酬ですもの。

 とりあえず、まあやちゃんのアデレイドは新公の中で浮いてしまう出来でした。
 周囲の子たちとのバランス悪い。

 役者ならば合わせなきゃいけないんだけど、新公だからこそ合わせずに存分にやってくれてよしとも思う。たった1回の限られたチャンスに、周囲に合わせて実力セーブして、セーブした実力をMAXだと誤解されたら切ないもんな。
 それに、突出したひとりに引っ張られて、全体のクオリティが上がったりするし。新公の一か八か空気は好きよ、ミラクルな可能性。

 なんにせよ、アデレイドを娘役がやるとこうなるのか!! と、新鮮でした。
 2002年の『ガイドル』本公新公含め、娘役の演じるアデレイドははじめて観た。(02年『ガイドル』時点でるいるいは男役)

 タカラヅカによくある、クラブの色っぽい女の子だった。本来は下品な役なのかもしれないけれど、タカラヅカ比での下品さでちゃんと不快感のないラインでまとめてある、よくあるアレ。
 すでにカタチのあるモノにあてはめてるだけだから、とてもわかりやすかった。

 わかりやすいというのは、いいこと。余計な疑問に思考を取られることなく、あるがままを受け止められる。そして、歌声を堪能できる。

 まあやちゃんはすでに出来上がっているのかな。
 タカラヅカの娘役としてはまだ発展途上としても、舞台人としてのスキル部分は。
 入団前にどっかの劇団にいたとか? なんか、役の作り方とか舞台での居方がタカラヅカとは別の計算式で瞬時に答えを出せる回路がすでに備わっているみたい。
 彼女が無双になっちゃうのって、その別の計算式を使ってるからかも? 他の子たちが紙に数字を書き連ねていちいち計算していってるのに、まあやちゃんひとり式に当てはめてさっさと解答している感じ。

 ソレはそれで面白いので、この子がこれからどうなるのか楽しみだ。
 てゆーかみっちゃんと絡むのが観てみたいなあ。別箱でもなんでもいいから、芝居で絡まないかしら。


 ヒロインのサラ@キサキちゃんには、新たな発見は特になし。相変わらずかわいかった。

 ただ、作品的に難しかったかなと思う。
 『ガイドル』は、スカイに包容力が必要。リカくら、みち風と劇団が「大人の男役」「がくんと学年の離れた若い娘役」にやらせているのは、そういうこともあるだろう。
 スカイが百戦錬磨で、その手の内で小娘サラを転がして、だけど本気になっちゃって最後は逆転、という話だから。

 初主演でいっぱいいっぱい、周囲を見回す余裕のないせおっちと、ヒロイン経験十分でそれゆえの落ち着きを持ったキサキちゃんでは、役割が逆。
 今回の新公は、キサキちゃんにとってヒロイン力をあまり発揮できない作品と役だったなという印象。
 失敗はその時点よりも、そのあとに響くのだ。

 とんでもない駄作があったとする。
 駄作だ、と言われるその作品自体も興行成績がふるわない……のは、当然のこと。
 問題は、そのあと。
 その駄作を観て、「もうタカラヅカは二度と観ない」「この組は観なくていいわ」と思われる危険性がある。
 現時点だけでなく、未来の評価まで失うんだ。

 こわいこわい。

 『A-EN』が発表になったとき、期待する気持ちだけでなく、不安も大きかった。

 ワークショップで学園モノ……。
 しかも、作品解説に「ツンデレ男子」「残念女子」「不思議系男子」「イケメン」など、通常のタカラヅカ世界にナイ単語があたりまえに書かれている。

 こわいわ……これは、こわいわ……。

 だってタカラヅカには、『Young Bloods!! −青春花模様−』という黒歴史があるんだもの……!!

 別名「青春そのか学園」。サイトーヨシマサ作。
 この作品がもう、ひどい品質で。
 バウだからワークショップだからという言い訳では収まらない、学芸会を通り越して宴会芸レベルの脚本だった。

 出演者や舞台クオリティの話じゃないよ、脚本の話。
 植爺(全方向破綻)やこだまっち(倫理観欠如)ともまたベクトルのチガウ、ひどい作品だった。

 実際、この「青春そのか学園」の悪印象ゆえに、『A-EN』観劇を見送った人もいた。
 あーさはじめキャストに興味も好意もある、しかし作品解説が地雷過ぎる、と。

 学園モノって、「舞台人スキルが低くてもなんとかなる」ジャンルなので、完全な内輪ウケに終始して、成長や発見の度合いが他公演より低いからねえ。
 その上、黒歴史のトラウマありじゃあ……。

 キャストを好きだから、わたしは「青春そのか学園」も楽しんだ。
 が、演出家への評価は一気に落ちた。楽しいことと、作品レベルの低さにあきれることは別だ。
 あれから10年近く経つのに、『A-EN』の作品解説読んで「まさか……」と疑心暗鬼になるくらいには、アレルギーが出来ている(笑)。
 罪深いわ、サイトーくん。


 『A-EN』も学芸会的ワード付きの学園モノだ。
 解説を読んで「青春そのか学園」を思い出した……が、わたしは一応、「いくらなんでも、アレ以下の作品ではあるまい」と思った。

 根拠はある。

 舞台が、現代日本ではナイからだ。

 『A-EN』の舞台は、アメリカ。
 「アメリカのハイスクールで卒業シーズンに開催されるダンスパーティー“PROM(プロム)”を巡って若者たちの葛藤や淡い恋模様を描き出すミュージカル」と解説にある。
 脚本が「そのか学園」と同レベルであったとしても、これだけで「大丈夫」だと思えた。

 タカラヅカはどんなジャンルでも三次元化する優れた機能を持つが、唯一苦手なモノがある。
 現代日本を舞台とした作品だ。
 ファンタジーを築きにくい現代モノだけは、心からやめておけと思う。
 『メイちゃんの執事』が成功したのは稀な例(あとで語る)。『逆転裁判』すら、舞台をアメリカに変更しなければならなかった。
 サイトーくんの学園モノの作品レベルを下げているのは、内容のくだらなさももちろんだが、舞台が現代日本だということもある。

 わたしたちの生きる場所と陸続きの世界を描いてファンタジーを構築するのは、至難の業。
 優れた脚本と演出、そして高い水準の演技者が必要。

 安易に下級生ワークショップで出来る題材じゃない。

 が、舞台をアメリカにするだけで、ファンタジー度が上がる。
 だってここはアメリカじゃないし、わたしたちはアメリカ人じゃないからだ。
 異世界が舞台なら、ファンタジーになる。

 現代日本が舞台じゃない、それだけで野口くんの勝利を確信した。


 そして実際に、観劇してみて。

 さらに、サイトーくんの失敗理由を再確認した。

 つづく。
 野口せんせの『A-EN』を観ながら、考えるのがサイトーせんせのこと。あらやだわたし、どんだけサイトーくん好きなん(笑)。

 まあそれはともかくとして。
 学園モノのトラウマ語り(笑)、その2。

 「そのか学園」がダメで、『A-EN』がOKな理由。
 どっちも他愛ないマンガのような、ネタだけで出来上がったような学園モノ。レベル的には似たよーなもんかもしれない。
 が、舞台が日本・アメリカ、という以外にも、大きな違いがある。

 「そのか学園」は少年マンガで、『A-EN』は少女マンガだ。

 サイトーくんの学園モノはギャグ少年マンガだったけれど、野口くんの学園モノは王道少女マンガだった。

 「そのか学園」は、宮本武蔵が現代日本にタイムスリップして、現代の女子高生と恋に落ちる、というもので。
 ツンデレ剣道少女とか白学ラン+黒髪ロン毛のカンチガイ美形キャラとかスケ番とか萌え~~とか、決闘では必殺技とか、ギャグ少年マンガ「あるある」をこれでもかと詰め込んであった。
 一方『A-EN』は“学園一の「ツンデレ美男子」アーサーがうだつの上がらない残念女子と出会い、プロムに向けて究極の美少女にする為に「レッスンする」ラブ・コメディ。”(公式より)であり、少女マンガ「あるある」が詰め込まれまくっていた。

 男性目線で「男ヲタが萌える」「男が笑える」モノを詰め込んだギャグマンガと、女性目線で「ヲトメが萌える」「女子が好きなシチュエーション」を詰め込んだ少女マンガ。

 タカラヅカでウケるのはどっち?
 タカラヅカのファン、観客の性別の多数派はどっち?

 …………言うまでもない。


 わたしは少女マンガの安易なタカラヅカ化には反対だ。

 人気少女マンガは大抵、現代学園モノだからだ。
 タカラヅカに現代学園モノはいらん。
 タカラヅカ化していい少女マンガは、『ベルばら』のような西洋モノ、日本が舞台でいいのは『紫子』のような歴史モノだろう。よくタカラヅカ化希望で名前の挙がる『BASARA』は、日本が舞台だけどファンタジー作品だからアリ。
 が、そういう異世界を舞台にした少女マンガだって、ほんとのところタカラヅカに向いているとは思ってない。
 だって、少女マンガの主人公は、女性だから。

 そして、タカラヅカの主人公は、男性である。

 主人公の性別が違うんだもの! 無理。

 女の子が主人公なのに、その相手役を無理に「主役」にする。
 主人公を変えたらソレ、別モノやん。

 真の意味で、主人公を変え、新しい視点で作品を書き直すならアリだけど、それじゃ原作ファンを取り込めないから、「ストーリーもエビソードも原作まんま」だけど、「原作の主人公は脇役、別の人を主人公」にする。
 結果、作品が壊れる。

 顕著な例が、『ベルばら』のフェルゼン編。
 原作でなーんにもしてない人を無理矢理「主人公」にするから、作品はめちゃくちゃ。

 女の子が主人公の少女マンガをタカラヅカでやるには、主人公が男装する設定でないとね。オスカルも紫子も更紗も、男装するから男役が演じられる。
 反対に、主役(男でも女でも)を男役が演じられない作品は、ヅカでやる意味はないと思っている。

 少女マンガとタカラヅカの親和性が高いというなら、『ベルばら』の大成功があるのだから、劇団はいくらでも少女マンガを舞台化してきたはずだ。
 だが実際には、少女マンガ原作の割合は低い。
 方法的に、向かないからだ。

 昨今では『メイちゃんの執事』『伯爵令嬢』という成功例はある。
 だがどちらの作品も、主人公は間違いなく女の子で、タカラヅカの主役であるはずの男役は「主人公の相手役」でしかなかった。
 無理に「主人公の相手役」のソロを入れたりして、努力していたけれど。なんとか男役中心にしようとしていたけれど。
 物語がヒロイン中心なんだから、どうしようもない。

 それでもこの2作が成功したのは、題材が「異世界」であるためだろう。

 『伯爵令嬢』は外国の近代モノ、『メイちゃんの執事』は現代日本が舞台とはいえ、設定が異世界ファンタジー並にぶっ飛んでいる。


 話を戻す。

 現代日本は、タカラヅカで描くのはもっとも難しいジャンル。
 その上、女性目線の少女マンガではなく、男性目線の少年マンガをやってしまったら、そりゃ「カテゴリエラー」でしかないだろう。

 タカラヅカの演出家はほとんど男性なので、男性目線の作品を多々書いている。女性から観て「こりゃねーわ」な価値観満載。
 だけど、西洋中世だったり古代日本だったり、女性好みのドラマチックな時代背景が用意されているし、時代的に男性目線でも仕方ないと言える。

 時代背景が女性好みでないうえに、そこで「ツンデレ剣道少女ハァハァ」「カンチガイ美形モドキの当て馬プゲラ」とか、男ヲタ目線で描かれてもな。
 そんなもんより、ツンデレ美形が壁ドンする方が100万倍いいわ。

 この「男ヲタ目線」ての、サイトーせんせの作品に多々感じることなんだけど。
 ショーでは特に出るよねえ。
 娘役がかわいかったりかっこよかったりする場面はあっても、男役が「素直に、ストレートに、かっこいい場面」はほとんどなかったりするの。
 いやそこは、まず男役がかっこいい場面を作ろうよ、と常々思う。
 女の子が好きなのはよーっくわかったから。フジイくんみたいに「女装した男が好き」とか独特な好みではなく、そのまんま女好きなのはわかるから。男役への演出がマニアックで、好きな男のタイプが偏っているのも伝わってくるから。
 それはそれとして、もう少し「ふつー」のモノも作ってくれ。観客の女性の好みも考慮してくれ。
 サイトーくんの特性が、もっとも剥き出しになっていた芝居作品が「下級生ワークショップで実験公演だからいいんじゃね?」と作られたのが、『Young Bloods!!』の2作だったんだなあ。男子ギャグハートが花ヤンブラで、シリアスハートが雪ヤンブラの「兄弟萌え野球モノ」な。
 この2作が最低過ぎて、わたしはこの頃サイトーくんを見限っていた(笑)。

 この経験があるから、『A-EN』いいじゃん、野口くんいいじゃん!と、やたらハードルが低くなっていることは否めない(笑)。

 失敗は、その時点よりも、そのあとにずーーっと響くのだ(笑)。
 『A-EN』ARI VERSION初日観劇。

 タカラヅカではめずらしい、2作別バージョンのダブル主演公演。公式HPに「朝美絢主演版と暁千星主演版は、それぞれが違ったキャラクターを演じることによる、別バージョンとなります。」とあるからには、どう「別バージョン」なのか興味がわく。
 単に主役のキャラを変えただけなのか、他にも変更と関連はあるのか。

 あーさが「ツンデレ美男子」で、暁くんが「不思議系男子」というのはいい。ファンのツボを突くおいしいアテ書きっぷり。
 それがどう描かれているか、物語好きとして注目! わくわく!

 1幕のはじまり方が、あーさ=くらげで吹いた。

 あーさバージョンのあーさポジションを、暁くんではなく、くらげちゃんがやっているから。
 まさかの娘役主演?! ひとつの作品の別バージョンってこういうこと?! 暁くんはくらげちゃんの相手役?!

 ソレはそれでアリだ! 暁くんはまだバウ主演には(特に演技力が)頼りないから、1幕の芝居はくらげちゃんの「相手役」ってことでのびのび経験値稼ぎをしてもらって、2幕のショーでは堂々と真ん中を経験すればいいじゃん?
 頼れる上級生ヒロインの胸を借りて、おぼつかない少年が大人へのステップを上がる……って、はっ、これこそが芝居のタイトル『PROM LESSON(プロム・レッスン)』と掛けた裏テーマ?!

 と、感動しかかったのですが。

 それは導入部分のみで、ふつーに暁くんが主役、くらげちゃんはその相手役でした。
 なーんだ。

 物語はあーさバージョンのあーさ→くらげちゃん、小雪ちゃん→暁くんに変換しただけで、あとは同じ役割配置とストーリーで進んだ。

 それは一見楽しい仕掛けなんだけど、あーさバージョンのみでもアレな部分があったのに、無理矢理暁くん側も同じラインに収めようとするから、さらにアレさが増したというか。

 てゆーかこの『PROM LESSON』って話、ひとつの物語の別バージョンではなくて、あーさバージョンが本筋だよね?
 あーさの方が元の作品で、あとから暁くんバージョンをでっち上げた。
 もともとAというリボンがあって、Aはソレだけで一個の独立したリボンなのに、そこへあとからA’という細いヒモを巻き付けた。AとA’でひとつのリボンとして販売してるけど、「リボン」というならそれはAだけで、A’はリボンっていうより「ヒモ」だよなあ、的な。
 まず、リボンありき。ヒモはリボンと一緒に販売してはじめて「リボン」と認識される。

 それくらい、暁くんバージョンは割り食ってる。
 あーさバージョンという元ネタがなければ、まっさらの状態で暁くんのためだけに書き下ろしていれば、もっと別の作品になったろうなと思う。
 「あーさバージョンありき」のネタ盛り込み過ぎ。

 それでも、「役割は同じでもキャラは別」にしているあたり、ちゃんとアテ書きがんばってる。
 そして、ヅカファンというのは、作品が壊れていても、キャラが楽しければOKという習性を持つ。
 駄作でも贔屓がいい役だとリピートできるように。どんな名作でも贔屓が出ていない・出番がないと「退屈な作品」になるよーなもんで。

 登場人物みんなかわいいから、いいんじゃない?

 少なくともわたしは楽しんだ。

 みんなみんなかわいくて、どの子を見てもどこを見ても、楽しかったよーー!

 アテ書きの等身大キャラを愛でる、それだけのことで、こんなにも作品を楽しめる。


 2幕のショーも、感心した。

 や、あーさバージョンを観て、びびったのよ実は。こ、これを暁くんもやるの……? って。

 軍服で鞭を片手にドS全開、美青年だのヲカマだのを征服してエロエロするハードゲイ場面。
 あーさだから絵になるこの場面を、あのまるまるぷくぷくしたベビーフェイスちゃんにやらせるの……? って。それは本人も観客も罰ゲーム気分になるのでは……? って。

 そしたらその場面はまるっと差し替え。
 なんかやたらさわやかな場面になってました。で、暁くんがくるくる回ってた(笑)。

 あと、あーさが漢らしくオラオラして女装男と踊ってた場面が、暁くんは女役になってた。

 男役度がまだ低い暁くんに、ちゃんと合わせて作ってある……!

 これはGJだ!

 無理なことはさせず、ちゃんと本人の魅力が出るように調整してある。
 あーさがそうであったように、暁くんもキャラに合った「今の彼」に相応しいものを書き下ろしてもらってるんだね。

 暁くんの持つ、まっすぐな明るさ、おおらかさが生きる作品。

 だからGJ、野口せんせ。
 若い先生は柔軟でいいね!
 どっちのバージョンも楽しかったよ。

 ただ。
 暁くんバージョンの主人公、アリエルくんの変身設定だけは、賛同しかねる。
 「デブでイケてない少年が、痩せてイケメンになる」という設定。

 …………「イケメン」になった、という時点でも、アリエルくん、痩せてない…………。
 ぽちゃぽちゃしてるっす……。
 脚本に書かれているモノと、実際に舞台にあるモノが違う……。

 服装とか姿勢とか性格とか、それを矯正したからカッコよくなった、という設定にして欲しかった。デブネタはNG。
 体重には触れないで、別のところで「イケメン」にすればいいのに。
 そこだけはなんで、アテ書きにしなかったんだろう……って、ある意味アテ書きだったのか? お稽古しているうちに痩せるだろうという期待を込めた?
 ……若いからなあ、暁くん。今がいちばん、絞るのが難しい時期だよねえ。
 月組こわい、ということは理解したので。

 『A-EN』ARI VERSIONは「わかった」上で観劇しました。
 下級生抜擢があたりまえ、「上級生だから」はなんの免罪符にもならない、劇団は使いたい生徒を抜擢し、モブだと決めた生徒にはモブしかやらせない、このバウ公演のルール徹底。

 プログラムはあーさ版と1冊になっているから、あらかじめ確認できる。
 あーさ版の「新進スター枠」に、暁くん版は誰が入っているか。

 やっぱし下級生ですよ。
 99期研3、101期研1。
 こんな学年の子が、本公演で言えば銀橋渡っちゃうような扱い受けるわけだな。

 抜擢目的はわかっていたつもりだったけど、観終わってさらに驚いたのが、この公演の3番手研3?! てこと。
 ぜんぜん知らない子ですがな。当然ですがな、贔屓組以外の研3まで区別付いてませんがな。

 周辺のバウ公演見回してみても、研3で3番手とか、記憶にない……。月組こええ。


 抜擢が早いことは、別に悪いことじゃない。スター誕生はみんな大好きなはず。
 抜擢に相応しい美貌と実力があれば、問題ない。
 3番手の子ももうひとりも、この公演では破綻なく役割を果たしていた、と思う。


 ところで、この抜擢上等な公演のなかで、わたしが気になった下級生がひとりいる。

 オネエ少年@新斗希矢くん。

 シンプルに、顔が好き。

 ヲカマだとは思ってなかったから最初、あら、好みの顔の子がいるわ、と眺めてたら、なんか動きが変だ……ああ、現代モノのお約束のヲカマキャラかあ、あーさ版だとヲカマくんは主人公(あーさ)の親友に恋してたけど、暁くん版のあーさとその親友は女の子ふたりに変換されてるからなー。
 てことで、ただのモブによくあるヲカマかと思った。キャラ付けがしやすいからだろうな、ヅカの現代モノにはモブに高確率でヲカマさんがいるから(笑)。
 で、モブだと思ったのは、彼があまりにひょろんとしていたから。下級生感丸出しというか。ああこれは、主な配役には入らないだろう、と。

 そしたら、ちゃんと必要な役で、驚いた。

 モブじゃない、ストーリーを回す役のひとつ。てゆーかこの『PROM LESSON』って話、主要役にヲカマ出さなきゃいけないの? や、いいんだけど、お手軽だなあと。

 ヲカマさんは下級生でもうまく演じられる。イロモノだからだ。男役としての基礎が不十分でもなんとなくサマになって見えて、しかもウケを取れる。ヅカのにぎやかしモブキャラに高確率でヲカマさんがいるのはそのためもあるだろう。
 だから斗希矢くんの基礎力は判断に至らず。

 ただ、この子にヲカマ美容師をやらせたのはGJ! と思った。

 ナニこの説得力。
 外見からして「このヲカマさん、美容師にいそう」だもん。そしたらほんとに美容師志望だって言うし!

 芯のない細長いからだがへろへろしていて、吹けば飛びそうだ。でも気は強くてビッグマウスだ。
 同じヲカマキャラでも、あーさ版の佳城くんは技術あったんだなあ、と再確認させてくれる、腰の据わらない舞台姿。

 舞台の居方から「めっちゃ下級生だ」とわかる。わかるってことは、うまくないんだろう。
 うまくないんだろうに……それでもなんかサマになっているというか雰囲気勝ちしているというか、ビジュアル勝ち?
 よく喋り、喋りの延長で歌う。世界観に合った、破綻しないキャラだ。

 うまくないのにうまくやってる感じに、どーゆーこっちゃと幕間に学年を確認した。研2か! そりゃ「舞台」自体に慣れてなくても仕方ないわ。
 そして、芝居だけでいうと抜擢3番手の子より重要な役やってるわけだし。

 この学年にしてはうまい、ということでいいのかな? ヲカマ役だからよくわかんないんだけど。

 で、幕間のプログラムチェックで、「この名前たしかあそこにあったよな」とショーの出演場面確認したら、ええ、ありましたよ7場のエピローグに。
 ほら、冒頭で書いた、「新進スター枠」。あーさ版では最下のふたりが3番手のるねくんと共に客席登場し、ソロパートも交えて客席釣りしながら「スター!!」とドヤる、「月組こわい」の真骨頂(笑)ともいえる人遣い。
 その3人組のひとりに、斗希矢くん入ってる。彼以外のふたりが「新進スター枠」で、ショーを通して特別っぽい位置の子たち。
 あーさ版の記憶で、演出はわかってる。3人の「スター」が客席登場し、いちばん上の子は最前列センター、2番目が上手通路、3番目が下手通路。たぶん、この序列は学年順。

 てことはだ。
 斗希矢くん、上手来るわ。登場はたしかわりと上の方で……と考えるわたしは、上手通路際席。

 来るわ。
 客席登場場面、たぶん斗希矢くん、わたしの真横に立つ。

 ええ。見事に予想的中しました、ショーではマジに斗希矢くん、わたしの真横登場だった。暗い中入ってきて、わたしの真横でばんっとライト当たる。
 真下から見上げたので、顔はかえってよくわかんなかった。
 カラダでかい、ということしか(笑)。
 登場してきたとこなのに、すでに汗だくとか、なんかはあはあいってる感じとか。ばたばたしてんだろうなあ、楽屋、と想像できる感じというか。

 このいかにも「スター!!」な演出、下級生には相当ハードル高いんだろうなあ。
 斗希矢くんの、「テンション上げていくぜ!」的な感じ……「今、スイッチ入れた!!」と、自発的に恣意的にオラオラしはじめるのが……。
 なんつーか、野球部の声出しみたいな感じ? 仲間たちで「声出して行くぞー!」「おおおーっ!!」と、一緒になって気合い入れてるアレ。
 真横だから斗希矢くんのスイッチがいちばんわかったけれど、この場面は3人が3人とも、一緒になって無理矢理テンション上げてた。仲間の声を聞いて自分も奮い立つ、っていうか、死なばもろともっていうか。

 大変やなー……(笑)。
 でも、限られた人にしかやらせてもらえないことなんだから、みんながんばれー。


 ということで、トッキー注目です、わたし。
 顔が好みで学年的にヘタではなくて、ヲカマやっても女役やってもどっちにしろなよっとヲカマっぽくて(笑)、何故か客席登場メンバーに入ってていっぱいいっぱいで、素敵でした。

 てゆーか、いちばん彼にずきゅんとキタのは、ショーの最初の方、タイトル文字の吊り物に、踊りながら腕をぶつけたのを見たときかもしれん(笑)。
 えっ、当たった? 当たったよねソレ痛いよね、吊り物めっちゃ揺れてるし。でも彼は笑顔に一瞬の曇りもなく踊り続け……気づいてないのかもしれん、テンパり過ぎてて?
 いやあ、見ていてドキドキしました。吊り橋効果?(笑)
 『A-EN』ARI VERSION初日観劇。

 1幕『PROM LESSON』オープニングにちょーテンション上がった!
 あーさ版とは違う意味で。

 あーさ版そのままやるのかなと思うじゃん。漠然と。
 そしたら、確かに同じなんだけど、男女逆転キターーッ!
 あーさ版で男子生徒たち+あーさだったダンスナンバーが、全員女子+くらげちゃんになってるーー!!
 きゃーっ、女の子かわいい、かわいい!

 あーさ版が、「トップスターあーさ」という方程式で作られているわけよ。
 それをそのままくらげちゃんに置き換えると、「トップスターくらげちゃん」になるの。
 娘役という日陰の存在が、ばーーんと太陽の下に躍り出ましたー!
 楽しいーー。

 女の子たちが、女の子であることを武器に、とびきりキュートに歌い踊る様がたまらん。
 そしてくらげちゃんの納得の主役力。
 経験値の差が大きく出てる、美少女たちのセンターで踊るの納得!

 このままくらげちゃん主役でやってくれてもよかったのになあ(笑)。女の子主役の少女マンガ、バウワークショップのどさくさでなら、ちょっとやってくれてもアリだと思うけどなあ。

 暁くん版は、あーさ版のパロディ的な作り方。先にあーさ版がある、という前提で作られている。だからあーさポジションのくらげちゃんの比重が、通常のヅカヒロインより大きい。
 おかげで安心して観ることが出来た。やっぱうまいわ。大劇場本公演でヒロイン経験済みだもんなー、今さらバウワークショップぐらい、なんでもないよなー。

 芝居での比重が高いから、ショーでもそうかと思ったら、ソレはなかった。
 ショーは暁くんによる暁くんのためのショー。そりゃそうだよな。
 納得はするけれど、ちょっと残念でもある。
 くらげちゃんは芝居よりショーが弱い印象だし、娘役は男役以上にショーでの「スター」経験を得にくい。こういう場を借りて、訓練しておいた方がいいのにな。

 反対に、こんな絶好の機会がありながら、くらげちゃんにショーのセンターを勤めさせないことに、彼女のトップ就任予定の遠さを感じた。

 ののすみもみゆちゃんも、バウでショー公演の真ん中経験者だもんな。男役主演のふりをしながら、フタを開けてみると彼女たちの真ん中修行公演だったという。
 だいもんセンター期待していたわたしは、けっこうがっくり来てたわよねえ、当時……(笑)。また、みやちゃん単独を期待していたら、相手役としてがっつりスター枠にみゆちゃんがいて、その分みやちゃんが割り食ってて、そこでもちょっと肩を落としてたっけ……。89期ってそんな扱い。

 暁くんはそんな扱い受けるわけないから、そりゃ「トップ娘役」ポジションの女の子は置かないわ……。女の子は取っかえ引っかえ、男役に女装させたり自分が女役やったり、全部持ってくよね。
 や、この公演は暁くんを盛り立てるためにあるのだから、それでいいと思う。彼にはたくさん経験を積んで、ぜひいい男になって欲しい。

 くらげちゃんのツンデレ美少女はいいんだけど、彼女のきつい・硬い持ち味が、良くも悪くも出ていたなと。
 背中に定規入ってるイメージ? コメディやっててなお、ゆるくはならない頑なさ。
 もっと柔軟になれば、輝きも増すだろうな。


 2番手はアリエル@暁くんのライバルキャラ、コリン@れんこん。
 破綻のナイ人なんだが、こーゆー無茶振り系だと、沈むなあ。破裂する芸風じゃないし、すべりもしないので、予定調和的に収束する。
 彼はシリアスの方がいいなあ……。コメディだとしても、ギャグコメじゃなく、正統派に芝居で笑わせる系の方がいいと思った。
 あと、個人的に。彼にはみょーな色気があると思っているので、ソレを活かせる役が見たかったなあああ。って、この世界観じゃそんな役存在しないけどさ。

 その相手役、サンドリーヌ様@さくらちゃんは、とりあえず派手だ(笑)。こちらがガツンと来る分れんこんさらに不利。
 くらげちゃんが硬質で、さくらちゃんは骨太。かきんかきん音がしそうな戦いだな、すごいよ月娘。

 ステラ@真愛さんはうまくてきれいな人なのに、何故にこうも輪郭を深く刻むのが苦手なんだろう。
 やわらかい色ややさしい色を出すのは得意でも、今回のようなイロモノキャラだとなんか足りない気がする。
 や、芝居は好みの問題なので、わたしにそう思えるだけなんだけど。
 うまいだけに、もどかしい。

 3番手抜擢の英かおとくんは、芝居もショーもよくやっていたなと。破綻ナイのは助かる。や、劇団は抜擢だけして実力については目をつぶる、てなことを今まで平気でしてきたから。それを見せられる客の立場は関係なく。
 お芝居は元気で跳ねる直前のゴムマリみたい。「これから」を感じさせるの。役割があるから勝手に跳ねないで止まってるけど、跳ねるだけの弾力あるよこれは、と思わせる感じ。
 ダンスもよく動いてた。スタイルいいねー。
 顔が好みでないために今のところ琴線に触れることがないんだが、今後月組で活躍するはずだから、注目します。
 もうひとりの抜擢組、礼華はるくんも同じ。学年からすれば破綻なくよくやってる。でも顔が好みでないために今のところは静観。
 こっから技術が上がりビジュアルが磨かれ、個性が見えてくると魅力がわかるようになるんだろう。
 今は「認識した」ということで。

 暁くん版も、女の子たちがかわいかったなあ。
 制服女子最強! 女の子たちの小芝居眺めてるだけで楽しめるわー。
 ヒロインの親友ちゃん@かのんちゃんもかわいかった。ああいう「女の子同士」のふつーの友情っていいよね。ヅカではナニ気にめずらしい。

 完全イロモノのクレア先生@くれあちゃんとサム先生@有瀬くんは……ごめん、わたしにはちょっと痛々しくてつらかった。ほんとごめん。
 脚本の問題っす。
 あーさ版でも思ったけど、ほんとつらいわ、教師の恋愛コント。笑えるけど、あんな笑いをわたしはタカラヅカで求めてない。
 もっとまともにやってくれればよかったのに。
 はるばる行ってきました、雪組東宝新人公演『星逢一夜』

 東宝新公観るのは人生で6回目か。ムラがホームであるわたしは、新公を観るのはムラのみ、東宝まで行くことはまずない。ムラで観劇できなかった場合のみ、仕方なく東方まで遠征する……のが最近のパターン。
 が、『星逢一夜』新公はムラで観劇済み。1回観たモノを追いかけるのは通常じゃない。や、わたしにお金と時間が有り余ってるならしたいけど、したいこと全部出来るわけじゃないから、新公は東西1回まで、遠征までは基本しない。
 が、今回は。

 月城かなとを見届けたい。

 その一心で、遠征を決めた。

 だってさー、かなとくんムラでは喉潰してたんだもん。
 声出てなかったんだもん。歌えてなかったんだもん。もちろん表情には出ず「この声がふつうですがナニか?」って感じにやりきってたけど、絶対不完全燃焼だったと思うよ。
 同じ芝居をしていたって自分の中で「あ、出ない」「これ以上の音階は無理」とか、気持ちの何割かはそっちへ取られていたと思うし。
 そういう足枷のない状態、すべてを芝居にのみ向けられる状態での、かなとくんを観たい。
 95期はこれで新公卒業。最後の最後だ。
 声出てない状態、諦念だけが残る出来が「最後」なんて、わたしが残念過ぎる。わたしが、消化できない。
 だから、ふつーに新公やってくれるはずの、東宝を観ることにした。

 また、作品が『星逢一夜』だということも大きい。
 つまらない作品なら、誰が演じていようとその作品自体を観るのが苦痛過ぎて、わざわざ遠征するには心理的なハードルが高すぎる。
 でも『星逢一夜』なら、観たい。別キャスト版である新公も、東宝ですでに半月公演している本公演の方も。
 良い作品というのは、こんなところでもプラスに働く。


 てことで、東宝新公。

 いちばんのトピックは、かなとくんの子役が、気持ち悪くない!! でした(笑)。

 ムラではねー、子役が泣けるほど似合わなくてねー。大人が無理矢理膝出して、バカボンコスプレしてるみたいな痛々しさがあったんだけど。本役さんより若いのに、何故若い役が出来ないのかと、目頭が熱くなったもんだけど。
 ジェンヌってすごいね! 進化するよね!
 かなとくん、ちゃんと若返ってた。
 これなら次のバウホール公演も大丈夫かな……。←子役芝居てんこ盛りな演目ゆえ、不安もてんこ盛り。


 晴興@かなとくんと泉@みちるちゃんを観て、晴興と泉ってふたりで芝居する場面自体は少ないんだな、と思った。本公演では特に感じたことがなかったから。
 たぶん、かなとくんとみちるちゃんの芝居に、色の違いを感じたためだと思う。あんまししっくりハマってないな、と思い、そういやふたりで芝居する場面少ないんだ、と思い至る。

 かなとくんから感じる剛と、みちるちゃんの細は、うまくかみ合っていない。
 モザイク画でイメージしたんだけど、かなとくんのパーツは大きくてひとつのパーツの中に色の変化がある。みちるちゃんはパーツが小さくて、それぞれの色のパーツをたくさん並べることで色の違いを出す。
 ひとつの絵の中に、別の手法が混ざっていて、それも味だとは思うけど、落ち着かないなと。

 そして、晴興がより一層可哀想に見えた。

 本公演の晴興@ちぎくんも可哀想だけど。彼の可哀想さとは、またチガウんだよなあ。

 というのもだ、源太@ひとこがストレートでな。正しく「ヒーロー!」って感じなの。『1789-バスティーユの恋人たち-』のロナンなの、平民代表なの。バスティーユの壁登って門開けちゃうよーな人なの。

 源太があんだけストレートに「正しい」と、晴興はますます可哀想だわ……。

 泉とのラストシーンも、ふたりの芝居の質の差からか、晴興の孤独が一層伝わってきてなあ……。
 抱きしめて愛を告げてなお、このふたりは同じ世界にいない。共には生きられない。そう、強く思った。

 泉と晴興の乖離感が強かったのと、わたしが晴興中心で観ていたこともあり、今まで観た中でもっとも、「1年後の泉」場面を蛇足だと思った。
 晴興が舞台から去った「この里で見る星はきれいじゃのう」で本編終わりにし、そのまま子ども時代でEND、でいいのに、と。主役は晴興なんだから、1年後を描くなら1年後の晴興であるべき、泉だとおかしい……そう思えた。


 終演後のかなとくんの、憑きものが落ちたような顔を見て、ほんっとプレッシャーだったんやなあ、と改めて思った。
 高揚感とも達成感ともチガウ、ただもう、「ほっとした」という顔。
 こいつ、小ぃせぇな(笑)、とも思うが、そーゆーとこもらしいというか、イメージを裏切らないなという感じ。や、素のかなとくんがどんな人か知らないけれど、舞台姿から受ける印象に合った反応だと思えた。
 この笑顔を見られて、はるばる遠征して来た甲斐があったなと(笑)。
 東宝新人公演『星逢一夜』観劇。

 ムラで観たときは、ヒロイン泉@みちるちゃんと晴興@かなとくんの芝居の色が違うとは、特に感じなかった。
 それよりかなとくんの喉の残念さが先に来ていたというか、みちるちゃんの芝居が本役のみゆちゃんそっくりだとか、それくらいしか思うところがなかった。
 外見的に、大きなかなとくんの腕の中に、みちるちゃんがすっぽりはまっている感じとかに「きゃ~~♪」だったりして、それ以上は考えてなかった。

 それが東宝では、「あれ? チガウ?」と思った。
 主人公晴興と、ヒロイン泉。ふたりでひとつであるべきカップルの、色が違う。
 互いのパーツがぴったり重なり合い、「運命のふたり」に見えない。
 もともと合わない、別の世界の人間に見えた。ふたりが別れるのは仕方のないことだと思えた。

 みちるちゃんの泉の繊細さは、かなとくんよりも、本役のちぎくん晴興と合うだろうなと思った。
 ……というか、そもそもみちるちゃんの泉は、本役みゆちゃんにそっくりなんだ。
 本役まんまの役割を持った泉なんだから、そりゃ本役の晴興にぴったり合うわ。

 かなとくんは、ちぎくんとは違った晴興だったんだな。それはもう、持って生まれたものの違いかもしんないけれど。
 それでそのまま泉と晴興で恋愛したら、本公演通りにはならなかった、と。
 うーん、どうせなら泉もみちるちゃんオリジナルで見てみたかったなあ。

 これだけ大きな役を演じてなお、みちるちゃん自身がわたしにはよくわからなかった。うまい子なんだな、ということ以外。


 ムラではたしか、源太@ひとこくんもまた、本役まんまだったよなあ。

 が、東宝ではまったく別人になっていた。
 本役だいもん源太でも、ムラ初日の源太でもなく。

 発光する、ヒーロー源太。

 一揆場面で村人たちに檄を飛ばす源太が、ぴかーー!と輝いていて。
 目を疑った。

 え、なにこのヒーロー。

 ムラ初日の源太もたしかに頼り甲斐あるリーダーだったけど、みんなの大好きな源太だったけど、こんな輝き方はしてなかったよ?
 これ完璧に、主役オーラ……。
 ひとこ、すげえええ。
 源太が、ヒーローだーー!

 源太の輝きが強い分、晴興の影が深くなる。
 正しいのは源太、間違っているのが晴興。ヒーローは源太、悪者が晴興。なのに正しい源太が悪の晴興に殺されちゃって可哀想……!
 晴興の報われなさ倍増!!

 源太攻の晴興受。源太正義ゆえの鬼畜、晴興自虐被虐泥沼GOGO!
 ……そんな素敵関係が脳裏にまたたきました(笑)。

 ひとこ氏の白い光は容赦なくていいですな。彼自身の屈折も、白い光が影を消してしまい、自覚できなくしてしまうのですよ。
 れいこひとこの色の違いは、実においしいコントラストです。
 発光するひとこ、闇濃いれいこ。

 れいひとで、『血と砂』切望。

 できればダブルキャストで。前半日程と後半日程で、ガルラード兄弟入れて替えてください、両方観たいです。でもフィナーレは学年順固定で。れいこちゃん受確定で(笑)。や、男ふたりのダンスで、何故か上級生が受だったので、そこは入れ替えなしで、全日程れいこ受でお願いします。
 あ、グァルディオラ刑事は朝風先輩でお願いします。他は無理です、絶対朝風先輩でっ!!(笑)

 と、妄想配役に発展するくらい、ひとこ源太が素敵でした。


 主役3人の絡み方が本公演とも、そしてムラ新公とも違っていて、とても楽しい新公でした。
 わたしはびんぼー性である。
 実際にびんぼーなのだが、それ以上にびんぼー性なのだ。

 喫茶店ではつい、ケーキセットを頼んでしまう。飲み物だけでこの値段出すなら、ケーキ付きでこの値段出す方がお得っぽい。
 や、それおかしいだろ、びんぼーなんだから積極的に食べたいわけでもないケーキ付きにして、飲み物単体より高いお金出すのおかしいだろ?
 という、これがびんぼー性のなせるワザ。こんなことやってるからますますお金が貯まらない。

 東宝に新公を観るために遠征する、場合も、新公だけのために遠征がしにくいのだ。
 花組『オーシャンズ11』のときは、たしかに新公も観たかったのだけど、時間とお金を使って東京まで行く、と考えたとき、本公演のだいもんの銀橋ソロを聴きたい、という思いが加わって、決行できた。
 花組『エリザベート』のときも、本公演も是非観たい、だってムラではそんなに回数観られなかったし、という気持ちもあった。
 新公だけじゃなく、本公演も観たい。そう思える公演でこそ、わたしの重い腰が上がる。
 びんぼー性なので、一兎のためには走れないのだ。二兎ないと!

 かなとくんを見届けるために東宝新公へ行こう。
 そう思うと同時に、本公演の『星逢一夜』が観たい、と強く思った。

 ムラでの『星逢一夜』の印象が、とても変動的だったので。
 初日と中日、終盤はそれぞれ別モノだった。どんどん作品が変わっていった。
 主に、源太@だいもんのアクセル踏みっぷりがすごかった。彼が源太役を整理し切れていないのか、観るたびに違っていて、目が離せなかった。
 ムラは万遍なく7回観たんだっけ? ダブルするのではなく、1日1回ずつ、日を変えて。その都度劇場まで足を運んで。ご贔屓のいない公演でこの回数は自分的にかなり多い。
 千秋楽まで観たけれど、「落ち着いていない」印象だった。
 まだ、過渡期である。この作品は最終形を迎えていない。そう思えた。

 最終形態を観られるのは東宝でなんだな。
 そう思うゆえに、東京の人がうらやましかった。この作品を最後まで追えないことが残念でならなかった。

 ムラのように万遍なく観ることはかなわないけれど、東宝の中日である新公日程に遠征して、「東宝での『星逢一夜』」を観よう。
 それは実にわくわくする、楽しみなことだった。

 遠征日を指折り数えながら、わたしは財布の中身と相談しつつ、東宝楽チケットを探していた。
 中日を観たらきっと、千秋楽も観たくなる。だってムラがそうだったもの。あとになって楽チケット探しはじめて、大変だったわ……だから東宝楽は、早めに探しはじめましょう。新公遠征したあとから探すんじゃ遅いわ。

 そう思っていたのに。

 実際に、東宝『星逢一夜』を観て。

 なんか、すとんと納得した。

 肩の荷が下りた? 憑きものが落ちた?

 千秋楽を観たくなるに違いない……そう思い込んでいたナニかが、すとんと消えた。

 もう観なくていいや。

 そう思った。

 や、チケットが手に入って、なんの苦労もなく観られるというなら観ただろうけれど。
 チケットないのに苦労して無理してなんとか、どうにかこうにか手に入れて、スケジュール調整して時間作って無理に遠征して。
 そこまでして観る必要を、感じなくなった。

 なんか、納得したんだ。
 ああそうなのか、と。
 こう落ち着いたのか、と。

 それならもう、観なくていいや。
 コレが答えなら、答えがもうこの段階で出ているなら、千秋楽である必要はないや。

 ということで、木曜日の本公演観て新公観て、久々にどりーず東組のみなさんとごはんして、金曜日の1回公演を観て、帰阪したのでした。

 憑きものが落ちたから、もう心悩まされることはない。
 ない、けど……。

 なんか、つまんないなあ。
 拍子抜けしたというか。

 東宝『星逢一夜』を実際に観るまでは、すっげー盛り上がってたのに、わたし的に。
 無理してでも東宝楽行くか、と計算するほどに。

 『星逢一夜』公演はまだ続いているのに、千秋楽はまだなのに、わたしのなかで先に終わってしまった。
 それがなんか、残念。
 もっとわくわくしていたかった、かな。

 飲み物だけでいいのにケーキまで頼んで、食べきれないケーキをいつまでもちびちびと食べ続けて、「苦手なくせに、なんでケーキまで頼んだの?」と友人に突っ込まれた(実話)、そんな感じ?

 観るのは新公だけにして、本公演はムラでのわくわくだけを胸に抱いていた方が、よかったんじゃあ?
 まったくこのびんぼー性ときたら。

 あ、ケーキは大好きなんですよ? 好きだから注文している。ただ、あまりたくさん食べられない・甘いモノを食べるのは人より時間が掛かる、ために、「好きじゃない」と思われがちである、というだけで。

 東宝『星逢一夜』も、よかったのよ? 相変わらず名作ですとも。キャストも熱演ですとも。
 ただ。
 わたしが期待したモノとは、違っていた、というだけで。
 盛り上がっていた気持ちが鎮静した、東宝『星逢一夜』

 実際、不思議だ。
 同じ作品なのに、ムラで観たときほどわくわくしないのは何故。

 脚本・演出共に大きな変更があったわけじゃない。変更してほしいところもいろいろあるのに、変更なし。
 ムラで超好評だった源太少年の「待って~~」がなくなったくらいか、わかりやすい変更部分って。

 超好評だった「待って~~」をなくした、演出家の真意はわからない。公式発表されているわけじゃないからな。
 ただ、想像は出来る。
 リピート前提、「作品ファン」<「役者ファン」であるタカラヅカの特性として、源太の「待って~~」自体を「かわいい」と思って笑う人より、源太を演じているだいもんがかわいい・だいもんだから「かわいい」と思って笑う人が圧倒的に多い。ゆえにそれは「待ち構えた笑い」であり、作品への反応ではない。
 作品とは無関係に、ファンが目当てのスターを観て過剰反応している。作品無視。だいもんがかわいければ、作品なんかどーでもいー。……極論を言えば、そういう類いの反応なわけだ。
 それは、クリエイターとしては面白くないだろ。面白くないし、作品の本質を損なうモノだと判断して、削除する可能性はある。
 あくまでも可能性、わたしの想像だ。

 どんな理由があったのかはわからないけれど、好評だったモノをわざわざ削除することも(観客よりも自分の作品が大事?)、また、もともと「必要だから」あったモノを削除したことによる作品全体への影響を考えても(作品よりも自分のプライドが大事?)、あまりいい印象のない変更だ。

 源太の「待って~~」がなくなったことは、観る前から知っていた。東宝初日からすでに人の口に上がっていたので。
 ムラでの客席の過剰反応を知っているから「仕方ないか」と思ったし、その程度の変更は「ささやか」だと思っていた。だって所詮台詞ひとつ、あってもなくてもかまわない程度のものだと。わたしはだいもん好きだから残念だけどさ~~、てな。

 が、実際に「待って~~」のない『星逢一夜』を観てみると、「待って~~」のあるなしでかなり印象がチガウ。

 かわいいだいもんが観られなくて残念、というファン目線だけでなく、子ども時代編の緩急、源太のキャラクタ、晴興+泉、と源太、という関係性に変化が出る。
 で、こんだけ作品自体に影響があるのに、ただ削除しただけで、なんのフォローもされていないことに疑問を持った。
 計算してなくしたというより、ただ単に削った、と思えた。

 「待って~~」はいいガス抜きだったんだな。あそこで観客が笑い、劇場全体の空気が変わる。そこで切り替えが出来たあとで、紀之介たちの「希望」のある場面に続くわけだ。
 「待って~~」がなくなったことで、ガス抜きナシの同じ重さのまま子ども時代は終始する。せっかく子ども時代ラストは「希望」なのに、メリハリ薄く、前景から同じ角度で上向いてきただけ。

 次に少年時代に続くのだけど、ここで氷太@大ちゃんがことさらな笑いを取る。ここの「笑い」は「笑わせるための滑稽な芝居」であり、それまで抜くところがないまま進んできたゆえ、とても唐突だ。
 大ちゃんのキャラクタも加わり、氷太という役が作品の中で特殊な目立ち方をする。つまり、「イロモノ」「笑わせ役」としてだ。
 作者は氷太をそういう意味で使っているのだとわかってはいるし、大ちゃんの舞台クラッシャー資質を見込んでのアテ書きであり、彼の正しい使い方だとも思っている。彼ひとりで十分空気をクラッシュ出来るから、作者の予定では「笑い」は氷太の滑稽さのみ、だったんだろうなあ。
 それはそれでいいと思うが、ムラでの緩急が心地よかったため、東宝の「同じテンション芝居がえんえん続く」「突然大ちゃんひとりでどっかん」は、バランス悪く感じた。
 改悪された、と思った。

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