これだけ語って、まだ語ることがあるのか、あるんだ、『星逢一夜』のこと。

 東宝ではなく、ムラでの話。

 『星逢一夜』を観ていて、きゅーーん!としたこと。

 源太@だいもんと泉@みゆちゃんの子どもたち、雷太@えーちゃん、雲太@ひーこ、凛@のぞみちゃん。
 あざとく登場しては泣かせる3人組。いつも3人揃って登場するので個別には観にくかった。や、女の子の凛ちゃんはまだ差異がわかるけど、男ふたりは「子ども」「お兄ちゃん」というところまでで、わたしの意識は止まっていた。

 だがあるとき、気づいた。

 雷太が、源太の息子であることに。

 もともと息子じゃん、3人とも源太の子どもであることはわかってるじゃん、ということではなくて。
 3人の子どもたちの中、年長の雷太は間違いなく、源太だった。

 子どもだけでいるときはわかりにくいけれど、「大人」が絡んだときに顕著になる。
 あとのふたりは完全に「子ども」で、大人たちとは別の世界で生きているけれど、雷太ひとり「大人」の言葉がわかっている。
 本当の意味で大人たちの言葉や立場を理解しているかどうかはわからないが、彼は大人たちと「同じ世界」にいる。意味を完全に理解できなくても、大人たちが「話している」事実は見えている。
 聡明で、かつ、控えめである。
 大人の話に意識を向けても、出しゃばらない。

 雷太にあるのは、思いやりだ。
 大人たちの重いやりとりを聞きながら、「自分に出来ること」を考えている。いざとなれば、母や妹たちを守るために動くのだろう、そう思わせる、大人びた、鋭い眼差し。
 それは間違いなく、源太と同じ表情。

 源太だ。
 子どもたちの中に、源太がいる。源太が、受け継がれている。

 そう気づいたとき、胸がきゅーーーん!となった。

 源太が若くして死んでしまうことを、わかって観ているわけだから。
 彼がいなくなってしまう、泉は源太への愛着とは別に紀之介(晴興)@ちぎを思い、晴興もまた現世から逃げ出し、あとにはなにも残らない、すべてが徒労、幻、そんなやるせない未来しかない。そう思っていたから。

 源太が、いる。

 誰も残らない、誰もしあわせにならない、そんな世界に、源太がまだいる。
 現実と抗う勇気と気概を持った男が、その魂が、受け継がれている。

 それは、救いだ。
 源太の息子が、間違いなく源太であること。源太を宿していること。それは、救いだった。

 ありがとう、えーちゃん。
 男前なえーちゃんの眼差しに、しゅっとした姿に、娘役とか子どもとかを超え、「ひとりの男」の存在を見たよ。

 雷太はきっと、源太のような男になるんだろうな。
 将来、弟や妹が母を責める日が来たとしても、雷太だけは母の……泉というひとりの女の味方になるだろう。源太なら、最終的にそうしただろう、と思うゆえに。

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