見たいモノを見せてくれる。
 それが、『A-EN』ARTHUR VERSIONのあーさだと思う。

 あーさは、現代的な持ち味のスターだ。

 現代……ネットが生活の中心にあり、誰もが手のひらの中で欲しい情報を無料で得られる、タカラジェンヌが舞台の上だけでないテレビ画面でも活躍する、この時代。
 舞台の実力・魅力とは別に、「素顔の美しさ」「舞台とは無関係に楽しめるキャラクタ」が必要とされる。

 あーさは、今この時代に生きるタカラジェンヌだと思う。

 素顔が美しくて、男子アイドル的。
 少女マンガの実写化が相次ぎ、「少女マンガの彼氏役」を演じられる男子アイドルが求められる今、一般女子の支持を得やすいタイプ。
 テレビのアイドルを愛でるように、「ナマの舞台を観なくても」楽しくファン出来るキャラクタ性を持つ。

 今までになかったタイプのタカラジェンヌだと思うの。

 もちろん、このタイプが登場するのは、紅5とかのフロンティアな先人あってこそだけど。

 で。
 せっかくのテレビアイドル的セールスポイントを持つスターですよ。
 テレビアイドル的に売らずに、いかがしますか。

 アイドル俳優のお仕事は、人気少女マンガのお手軽実写映画に出ること。
 硬派なドラマなどに出るのは、そこで人気を掴んでからですから。
 ……このセオリーを、ヅカにも使うの、いい案だと思う!

 『A-EN』ってほんと、よくある少女マンガ。
 よくあり過ぎて、たぶん、「少女マンガあるある」をネタとして作ったネタ作品だと思う。
 ネタ作品で主演ってどうなの、なんて考えちゃダメだ、自虐を逆手に取って、大化け狙いだ!

 求められる役割を、期待通り返す力。

 横暴なドS彼氏、壁ドン顎クイ、上から告白、ネタでしかないことを、そのまま本当にやってしまう力。
 現実にあると寒いだけの少女マンガあるあるを、三次元化するのは、これぞタカラヅカ!だ。

 大昔に『ベルばら』が舞台化されたように。
 ありえない、二次元だから許される、ことを、生身の人間がやってしまう感動。

 歌舞伎調大芝居の『ベルばら』でなく、アイドル映画的な『A-EN』を息づかせるのが、現代のタカラヅカスター。

 だから『A-EN』は、いい公演だと思う。

 あーさの強みである、テレビアイドル的持ち味をプラスに使っているから。
 あーさのファンが「見たい」と思うモノを、見せてくれるから。


 これであーさが、「素顔がきれいなだけ」で他にはナニも出来ない人、なら、話は違ってくるけど。
 彼が「顔だけの人」だったら、こんなネタだけの作品で主演しても「舞台人として」プラスになることが少なすぎるから、アタマの固い年寄りであるわたしはぶーぶー言ってると思う(笑)。
 だがしかし。
 あーさは顔だけの人ではないっ。

 ちゃんと、バウ主演して破綻しない実力がある。

 だから、彼の美点を活かせる役と作品で、真ん中経験を積むという意味でこの作品をやるのは、いいことだと思った。


 って、四の五の言ったところで。
 本音としてはもう、ただ、きゃーー! あーさステキ~~!! 楽しいーー!! ってだけですわ(笑)。

 芝居だけでなく、ショーも、「見たいあーさ」。

 バウのショーらしくいろんなジャンルが盛りだくさん! なわけだけど、その盛りだくさん!の中に、美青年はべらして軍服+鞭、ドSエロエロ場面があるのが、あーさ!! ですわ(笑)。
 『TAKARAZUKA 花詩集100!!』新公で彼のキャラを決定づけたハードゲイ再び……(笑)。

 これか。
 あーさといえば、コレなのかっ!!
 もー、客席で悶絶しました(笑)。

 いいなあ、わかってるなあ。
 潔いまでに「あるある」を、ネタとしか思えないモノを、「大真面目に」差し出してくれる。

 客が見たいモノを見せるのが、エンタメの基本じゃないの?(素)

 作家が見せたいモノじゃなくて。よくわかんない高尚なナニかじゃなくて。キャストの「お勉強」のためのカリキュラムじゃなくて。
 お金を出して時間を割いて、客席にいるお客がよろこぶモノを出すのが、制作側の仕事なんじゃないの?
 ……そんな、「原点」を感じさせる公演でした。

 全公演コレをやれと言ってるんじゃなくて、このキャスト、このタイミングでこの箱で、と、いろんな要因が重なった「今」、この公演は正しく機能していると思った。
 コレを大劇場本公演でトップスター以下組子全員で東西2ヶ月かけてやられたら怒るけど(笑)。


 ダブルキャストやダブル主演公演において、劇団がその役をやらせたいのは下級生の方のみである、というのは定番。上級生は、無理を通すための「言い訳」に使われただけ。
 今回も、劇団が主演させたかったのは暁くんであり、あーさはその言い訳に使われただけだと思う。

 だけど。
 劇団の思惑がどうあれ、経験を積み、力に変えていって欲しい。
 『明日への指針』新公のように、舞台に立ってしまえば、その場を支配するのは役者だから。
 (わたしは、『明日への指針』新公があってこそ、現在のあーさがあると思っている。暁くんは大器かもしれないが、現時点では未熟、ゆえに「今」力を持つモノが舞台での評価を獲ることが可能)

 きれいな人が見たい。
 きれいなだけでナニも出来ない人ではなく、きれいでうまい人の舞台が観たい。
 あーさは、きれいでうまい。
 うまいったってそりゃ、今の学年や立ち位置に対しての評価であり、上を見ればキリがないけれど。
 美しさも実力も、経験で磨かれるものなのだから、彼にはもっともっと、これからも機会を与えて欲しい。

 だからわたしはもっともっと、彼の舞台を観たい。

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