「タカラヅカ」の持つ力を発揮する。@『A-EN』ARTHUR VERSION
2015年8月30日 タカラヅカ 見たいモノを見せてくれる。
それが、『A-EN』ARTHUR VERSIONのあーさだと思う。
あーさは、現代的な持ち味のスターだ。
現代……ネットが生活の中心にあり、誰もが手のひらの中で欲しい情報を無料で得られる、タカラジェンヌが舞台の上だけでないテレビ画面でも活躍する、この時代。
舞台の実力・魅力とは別に、「素顔の美しさ」「舞台とは無関係に楽しめるキャラクタ」が必要とされる。
あーさは、今この時代に生きるタカラジェンヌだと思う。
素顔が美しくて、男子アイドル的。
少女マンガの実写化が相次ぎ、「少女マンガの彼氏役」を演じられる男子アイドルが求められる今、一般女子の支持を得やすいタイプ。
テレビのアイドルを愛でるように、「ナマの舞台を観なくても」楽しくファン出来るキャラクタ性を持つ。
今までになかったタイプのタカラジェンヌだと思うの。
もちろん、このタイプが登場するのは、紅5とかのフロンティアな先人あってこそだけど。
で。
せっかくのテレビアイドル的セールスポイントを持つスターですよ。
テレビアイドル的に売らずに、いかがしますか。
アイドル俳優のお仕事は、人気少女マンガのお手軽実写映画に出ること。
硬派なドラマなどに出るのは、そこで人気を掴んでからですから。
……このセオリーを、ヅカにも使うの、いい案だと思う!
『A-EN』ってほんと、よくある少女マンガ。
よくあり過ぎて、たぶん、「少女マンガあるある」をネタとして作ったネタ作品だと思う。
ネタ作品で主演ってどうなの、なんて考えちゃダメだ、自虐を逆手に取って、大化け狙いだ!
求められる役割を、期待通り返す力。
横暴なドS彼氏、壁ドン顎クイ、上から告白、ネタでしかないことを、そのまま本当にやってしまう力。
現実にあると寒いだけの少女マンガあるあるを、三次元化するのは、これぞタカラヅカ!だ。
大昔に『ベルばら』が舞台化されたように。
ありえない、二次元だから許される、ことを、生身の人間がやってしまう感動。
歌舞伎調大芝居の『ベルばら』でなく、アイドル映画的な『A-EN』を息づかせるのが、現代のタカラヅカスター。
だから『A-EN』は、いい公演だと思う。
あーさの強みである、テレビアイドル的持ち味をプラスに使っているから。
あーさのファンが「見たい」と思うモノを、見せてくれるから。
これであーさが、「素顔がきれいなだけ」で他にはナニも出来ない人、なら、話は違ってくるけど。
彼が「顔だけの人」だったら、こんなネタだけの作品で主演しても「舞台人として」プラスになることが少なすぎるから、アタマの固い年寄りであるわたしはぶーぶー言ってると思う(笑)。
だがしかし。
あーさは顔だけの人ではないっ。
ちゃんと、バウ主演して破綻しない実力がある。
だから、彼の美点を活かせる役と作品で、真ん中経験を積むという意味でこの作品をやるのは、いいことだと思った。
って、四の五の言ったところで。
本音としてはもう、ただ、きゃーー! あーさステキ~~!! 楽しいーー!! ってだけですわ(笑)。
芝居だけでなく、ショーも、「見たいあーさ」。
バウのショーらしくいろんなジャンルが盛りだくさん! なわけだけど、その盛りだくさん!の中に、美青年はべらして軍服+鞭、ドSエロエロ場面があるのが、あーさ!! ですわ(笑)。
『TAKARAZUKA 花詩集100!!』新公で彼のキャラを決定づけたハードゲイ再び……(笑)。
これか。
あーさといえば、コレなのかっ!!
もー、客席で悶絶しました(笑)。
いいなあ、わかってるなあ。
潔いまでに「あるある」を、ネタとしか思えないモノを、「大真面目に」差し出してくれる。
客が見たいモノを見せるのが、エンタメの基本じゃないの?(素)
作家が見せたいモノじゃなくて。よくわかんない高尚なナニかじゃなくて。キャストの「お勉強」のためのカリキュラムじゃなくて。
お金を出して時間を割いて、客席にいるお客がよろこぶモノを出すのが、制作側の仕事なんじゃないの?
……そんな、「原点」を感じさせる公演でした。
全公演コレをやれと言ってるんじゃなくて、このキャスト、このタイミングでこの箱で、と、いろんな要因が重なった「今」、この公演は正しく機能していると思った。
コレを大劇場本公演でトップスター以下組子全員で東西2ヶ月かけてやられたら怒るけど(笑)。
ダブルキャストやダブル主演公演において、劇団がその役をやらせたいのは下級生の方のみである、というのは定番。上級生は、無理を通すための「言い訳」に使われただけ。
今回も、劇団が主演させたかったのは暁くんであり、あーさはその言い訳に使われただけだと思う。
だけど。
劇団の思惑がどうあれ、経験を積み、力に変えていって欲しい。
『明日への指針』新公のように、舞台に立ってしまえば、その場を支配するのは役者だから。
(わたしは、『明日への指針』新公があってこそ、現在のあーさがあると思っている。暁くんは大器かもしれないが、現時点では未熟、ゆえに「今」力を持つモノが舞台での評価を獲ることが可能)
きれいな人が見たい。
きれいなだけでナニも出来ない人ではなく、きれいでうまい人の舞台が観たい。
あーさは、きれいでうまい。
うまいったってそりゃ、今の学年や立ち位置に対しての評価であり、上を見ればキリがないけれど。
美しさも実力も、経験で磨かれるものなのだから、彼にはもっともっと、これからも機会を与えて欲しい。
だからわたしはもっともっと、彼の舞台を観たい。
それが、『A-EN』ARTHUR VERSIONのあーさだと思う。
あーさは、現代的な持ち味のスターだ。
現代……ネットが生活の中心にあり、誰もが手のひらの中で欲しい情報を無料で得られる、タカラジェンヌが舞台の上だけでないテレビ画面でも活躍する、この時代。
舞台の実力・魅力とは別に、「素顔の美しさ」「舞台とは無関係に楽しめるキャラクタ」が必要とされる。
あーさは、今この時代に生きるタカラジェンヌだと思う。
素顔が美しくて、男子アイドル的。
少女マンガの実写化が相次ぎ、「少女マンガの彼氏役」を演じられる男子アイドルが求められる今、一般女子の支持を得やすいタイプ。
テレビのアイドルを愛でるように、「ナマの舞台を観なくても」楽しくファン出来るキャラクタ性を持つ。
今までになかったタイプのタカラジェンヌだと思うの。
もちろん、このタイプが登場するのは、紅5とかのフロンティアな先人あってこそだけど。
で。
せっかくのテレビアイドル的セールスポイントを持つスターですよ。
テレビアイドル的に売らずに、いかがしますか。
アイドル俳優のお仕事は、人気少女マンガのお手軽実写映画に出ること。
硬派なドラマなどに出るのは、そこで人気を掴んでからですから。
……このセオリーを、ヅカにも使うの、いい案だと思う!
『A-EN』ってほんと、よくある少女マンガ。
よくあり過ぎて、たぶん、「少女マンガあるある」をネタとして作ったネタ作品だと思う。
ネタ作品で主演ってどうなの、なんて考えちゃダメだ、自虐を逆手に取って、大化け狙いだ!
求められる役割を、期待通り返す力。
横暴なドS彼氏、壁ドン顎クイ、上から告白、ネタでしかないことを、そのまま本当にやってしまう力。
現実にあると寒いだけの少女マンガあるあるを、三次元化するのは、これぞタカラヅカ!だ。
大昔に『ベルばら』が舞台化されたように。
ありえない、二次元だから許される、ことを、生身の人間がやってしまう感動。
歌舞伎調大芝居の『ベルばら』でなく、アイドル映画的な『A-EN』を息づかせるのが、現代のタカラヅカスター。
だから『A-EN』は、いい公演だと思う。
あーさの強みである、テレビアイドル的持ち味をプラスに使っているから。
あーさのファンが「見たい」と思うモノを、見せてくれるから。
これであーさが、「素顔がきれいなだけ」で他にはナニも出来ない人、なら、話は違ってくるけど。
彼が「顔だけの人」だったら、こんなネタだけの作品で主演しても「舞台人として」プラスになることが少なすぎるから、アタマの固い年寄りであるわたしはぶーぶー言ってると思う(笑)。
だがしかし。
あーさは顔だけの人ではないっ。
ちゃんと、バウ主演して破綻しない実力がある。
だから、彼の美点を活かせる役と作品で、真ん中経験を積むという意味でこの作品をやるのは、いいことだと思った。
って、四の五の言ったところで。
本音としてはもう、ただ、きゃーー! あーさステキ~~!! 楽しいーー!! ってだけですわ(笑)。
芝居だけでなく、ショーも、「見たいあーさ」。
バウのショーらしくいろんなジャンルが盛りだくさん! なわけだけど、その盛りだくさん!の中に、美青年はべらして軍服+鞭、ドSエロエロ場面があるのが、あーさ!! ですわ(笑)。
『TAKARAZUKA 花詩集100!!』新公で彼のキャラを決定づけたハードゲイ再び……(笑)。
これか。
あーさといえば、コレなのかっ!!
もー、客席で悶絶しました(笑)。
いいなあ、わかってるなあ。
潔いまでに「あるある」を、ネタとしか思えないモノを、「大真面目に」差し出してくれる。
客が見たいモノを見せるのが、エンタメの基本じゃないの?(素)
作家が見せたいモノじゃなくて。よくわかんない高尚なナニかじゃなくて。キャストの「お勉強」のためのカリキュラムじゃなくて。
お金を出して時間を割いて、客席にいるお客がよろこぶモノを出すのが、制作側の仕事なんじゃないの?
……そんな、「原点」を感じさせる公演でした。
全公演コレをやれと言ってるんじゃなくて、このキャスト、このタイミングでこの箱で、と、いろんな要因が重なった「今」、この公演は正しく機能していると思った。
コレを大劇場本公演でトップスター以下組子全員で東西2ヶ月かけてやられたら怒るけど(笑)。
ダブルキャストやダブル主演公演において、劇団がその役をやらせたいのは下級生の方のみである、というのは定番。上級生は、無理を通すための「言い訳」に使われただけ。
今回も、劇団が主演させたかったのは暁くんであり、あーさはその言い訳に使われただけだと思う。
だけど。
劇団の思惑がどうあれ、経験を積み、力に変えていって欲しい。
『明日への指針』新公のように、舞台に立ってしまえば、その場を支配するのは役者だから。
(わたしは、『明日への指針』新公があってこそ、現在のあーさがあると思っている。暁くんは大器かもしれないが、現時点では未熟、ゆえに「今」力を持つモノが舞台での評価を獲ることが可能)
きれいな人が見たい。
きれいなだけでナニも出来ない人ではなく、きれいでうまい人の舞台が観たい。
あーさは、きれいでうまい。
うまいったってそりゃ、今の学年や立ち位置に対しての評価であり、上を見ればキリがないけれど。
美しさも実力も、経験で磨かれるものなのだから、彼にはもっともっと、これからも機会を与えて欲しい。
だからわたしはもっともっと、彼の舞台を観たい。