とある学園モノについて・その2。@A-EN
2015年9月13日 タカラヅカ 野口せんせの『A-EN』を観ながら、考えるのがサイトーせんせのこと。あらやだわたし、どんだけサイトーくん好きなん(笑)。
まあそれはともかくとして。
学園モノのトラウマ語り(笑)、その2。
「そのか学園」がダメで、『A-EN』がOKな理由。
どっちも他愛ないマンガのような、ネタだけで出来上がったような学園モノ。レベル的には似たよーなもんかもしれない。
が、舞台が日本・アメリカ、という以外にも、大きな違いがある。
「そのか学園」は少年マンガで、『A-EN』は少女マンガだ。
サイトーくんの学園モノはギャグ少年マンガだったけれど、野口くんの学園モノは王道少女マンガだった。
「そのか学園」は、宮本武蔵が現代日本にタイムスリップして、現代の女子高生と恋に落ちる、というもので。
ツンデレ剣道少女とか白学ラン+黒髪ロン毛のカンチガイ美形キャラとかスケ番とか萌え~~とか、決闘では必殺技とか、ギャグ少年マンガ「あるある」をこれでもかと詰め込んであった。
一方『A-EN』は“学園一の「ツンデレ美男子」アーサーがうだつの上がらない残念女子と出会い、プロムに向けて究極の美少女にする為に「レッスンする」ラブ・コメディ。”(公式より)であり、少女マンガ「あるある」が詰め込まれまくっていた。
男性目線で「男ヲタが萌える」「男が笑える」モノを詰め込んだギャグマンガと、女性目線で「ヲトメが萌える」「女子が好きなシチュエーション」を詰め込んだ少女マンガ。
タカラヅカでウケるのはどっち?
タカラヅカのファン、観客の性別の多数派はどっち?
…………言うまでもない。
わたしは少女マンガの安易なタカラヅカ化には反対だ。
人気少女マンガは大抵、現代学園モノだからだ。
タカラヅカに現代学園モノはいらん。
タカラヅカ化していい少女マンガは、『ベルばら』のような西洋モノ、日本が舞台でいいのは『紫子』のような歴史モノだろう。よくタカラヅカ化希望で名前の挙がる『BASARA』は、日本が舞台だけどファンタジー作品だからアリ。
が、そういう異世界を舞台にした少女マンガだって、ほんとのところタカラヅカに向いているとは思ってない。
だって、少女マンガの主人公は、女性だから。
そして、タカラヅカの主人公は、男性である。
主人公の性別が違うんだもの! 無理。
女の子が主人公なのに、その相手役を無理に「主役」にする。
主人公を変えたらソレ、別モノやん。
真の意味で、主人公を変え、新しい視点で作品を書き直すならアリだけど、それじゃ原作ファンを取り込めないから、「ストーリーもエビソードも原作まんま」だけど、「原作の主人公は脇役、別の人を主人公」にする。
結果、作品が壊れる。
顕著な例が、『ベルばら』のフェルゼン編。
原作でなーんにもしてない人を無理矢理「主人公」にするから、作品はめちゃくちゃ。
女の子が主人公の少女マンガをタカラヅカでやるには、主人公が男装する設定でないとね。オスカルも紫子も更紗も、男装するから男役が演じられる。
反対に、主役(男でも女でも)を男役が演じられない作品は、ヅカでやる意味はないと思っている。
少女マンガとタカラヅカの親和性が高いというなら、『ベルばら』の大成功があるのだから、劇団はいくらでも少女マンガを舞台化してきたはずだ。
だが実際には、少女マンガ原作の割合は低い。
方法的に、向かないからだ。
昨今では『メイちゃんの執事』『伯爵令嬢』という成功例はある。
だがどちらの作品も、主人公は間違いなく女の子で、タカラヅカの主役であるはずの男役は「主人公の相手役」でしかなかった。
無理に「主人公の相手役」のソロを入れたりして、努力していたけれど。なんとか男役中心にしようとしていたけれど。
物語がヒロイン中心なんだから、どうしようもない。
それでもこの2作が成功したのは、題材が「異世界」であるためだろう。
『伯爵令嬢』は外国の近代モノ、『メイちゃんの執事』は現代日本が舞台とはいえ、設定が異世界ファンタジー並にぶっ飛んでいる。
話を戻す。
現代日本は、タカラヅカで描くのはもっとも難しいジャンル。
その上、女性目線の少女マンガではなく、男性目線の少年マンガをやってしまったら、そりゃ「カテゴリエラー」でしかないだろう。
タカラヅカの演出家はほとんど男性なので、男性目線の作品を多々書いている。女性から観て「こりゃねーわ」な価値観満載。
だけど、西洋中世だったり古代日本だったり、女性好みのドラマチックな時代背景が用意されているし、時代的に男性目線でも仕方ないと言える。
時代背景が女性好みでないうえに、そこで「ツンデレ剣道少女ハァハァ」「カンチガイ美形モドキの当て馬プゲラ」とか、男ヲタ目線で描かれてもな。
そんなもんより、ツンデレ美形が壁ドンする方が100万倍いいわ。
この「男ヲタ目線」ての、サイトーせんせの作品に多々感じることなんだけど。
ショーでは特に出るよねえ。
娘役がかわいかったりかっこよかったりする場面はあっても、男役が「素直に、ストレートに、かっこいい場面」はほとんどなかったりするの。
いやそこは、まず男役がかっこいい場面を作ろうよ、と常々思う。
女の子が好きなのはよーっくわかったから。フジイくんみたいに「女装した男が好き」とか独特な好みではなく、そのまんま女好きなのはわかるから。男役への演出がマニアックで、好きな男のタイプが偏っているのも伝わってくるから。
それはそれとして、もう少し「ふつー」のモノも作ってくれ。観客の女性の好みも考慮してくれ。
サイトーくんの特性が、もっとも剥き出しになっていた芝居作品が「下級生ワークショップで実験公演だからいいんじゃね?」と作られたのが、『Young Bloods!!』の2作だったんだなあ。男子ギャグハートが花ヤンブラで、シリアスハートが雪ヤンブラの「兄弟萌え野球モノ」な。
この2作が最低過ぎて、わたしはこの頃サイトーくんを見限っていた(笑)。
この経験があるから、『A-EN』いいじゃん、野口くんいいじゃん!と、やたらハードルが低くなっていることは否めない(笑)。
失敗は、その時点よりも、そのあとにずーーっと響くのだ(笑)。
まあそれはともかくとして。
学園モノのトラウマ語り(笑)、その2。
「そのか学園」がダメで、『A-EN』がOKな理由。
どっちも他愛ないマンガのような、ネタだけで出来上がったような学園モノ。レベル的には似たよーなもんかもしれない。
が、舞台が日本・アメリカ、という以外にも、大きな違いがある。
「そのか学園」は少年マンガで、『A-EN』は少女マンガだ。
サイトーくんの学園モノはギャグ少年マンガだったけれど、野口くんの学園モノは王道少女マンガだった。
「そのか学園」は、宮本武蔵が現代日本にタイムスリップして、現代の女子高生と恋に落ちる、というもので。
ツンデレ剣道少女とか白学ラン+黒髪ロン毛のカンチガイ美形キャラとかスケ番とか萌え~~とか、決闘では必殺技とか、ギャグ少年マンガ「あるある」をこれでもかと詰め込んであった。
一方『A-EN』は“学園一の「ツンデレ美男子」アーサーがうだつの上がらない残念女子と出会い、プロムに向けて究極の美少女にする為に「レッスンする」ラブ・コメディ。”(公式より)であり、少女マンガ「あるある」が詰め込まれまくっていた。
男性目線で「男ヲタが萌える」「男が笑える」モノを詰め込んだギャグマンガと、女性目線で「ヲトメが萌える」「女子が好きなシチュエーション」を詰め込んだ少女マンガ。
タカラヅカでウケるのはどっち?
タカラヅカのファン、観客の性別の多数派はどっち?
…………言うまでもない。
わたしは少女マンガの安易なタカラヅカ化には反対だ。
人気少女マンガは大抵、現代学園モノだからだ。
タカラヅカに現代学園モノはいらん。
タカラヅカ化していい少女マンガは、『ベルばら』のような西洋モノ、日本が舞台でいいのは『紫子』のような歴史モノだろう。よくタカラヅカ化希望で名前の挙がる『BASARA』は、日本が舞台だけどファンタジー作品だからアリ。
が、そういう異世界を舞台にした少女マンガだって、ほんとのところタカラヅカに向いているとは思ってない。
だって、少女マンガの主人公は、女性だから。
そして、タカラヅカの主人公は、男性である。
主人公の性別が違うんだもの! 無理。
女の子が主人公なのに、その相手役を無理に「主役」にする。
主人公を変えたらソレ、別モノやん。
真の意味で、主人公を変え、新しい視点で作品を書き直すならアリだけど、それじゃ原作ファンを取り込めないから、「ストーリーもエビソードも原作まんま」だけど、「原作の主人公は脇役、別の人を主人公」にする。
結果、作品が壊れる。
顕著な例が、『ベルばら』のフェルゼン編。
原作でなーんにもしてない人を無理矢理「主人公」にするから、作品はめちゃくちゃ。
女の子が主人公の少女マンガをタカラヅカでやるには、主人公が男装する設定でないとね。オスカルも紫子も更紗も、男装するから男役が演じられる。
反対に、主役(男でも女でも)を男役が演じられない作品は、ヅカでやる意味はないと思っている。
少女マンガとタカラヅカの親和性が高いというなら、『ベルばら』の大成功があるのだから、劇団はいくらでも少女マンガを舞台化してきたはずだ。
だが実際には、少女マンガ原作の割合は低い。
方法的に、向かないからだ。
昨今では『メイちゃんの執事』『伯爵令嬢』という成功例はある。
だがどちらの作品も、主人公は間違いなく女の子で、タカラヅカの主役であるはずの男役は「主人公の相手役」でしかなかった。
無理に「主人公の相手役」のソロを入れたりして、努力していたけれど。なんとか男役中心にしようとしていたけれど。
物語がヒロイン中心なんだから、どうしようもない。
それでもこの2作が成功したのは、題材が「異世界」であるためだろう。
『伯爵令嬢』は外国の近代モノ、『メイちゃんの執事』は現代日本が舞台とはいえ、設定が異世界ファンタジー並にぶっ飛んでいる。
話を戻す。
現代日本は、タカラヅカで描くのはもっとも難しいジャンル。
その上、女性目線の少女マンガではなく、男性目線の少年マンガをやってしまったら、そりゃ「カテゴリエラー」でしかないだろう。
タカラヅカの演出家はほとんど男性なので、男性目線の作品を多々書いている。女性から観て「こりゃねーわ」な価値観満載。
だけど、西洋中世だったり古代日本だったり、女性好みのドラマチックな時代背景が用意されているし、時代的に男性目線でも仕方ないと言える。
時代背景が女性好みでないうえに、そこで「ツンデレ剣道少女ハァハァ」「カンチガイ美形モドキの当て馬プゲラ」とか、男ヲタ目線で描かれてもな。
そんなもんより、ツンデレ美形が壁ドンする方が100万倍いいわ。
この「男ヲタ目線」ての、サイトーせんせの作品に多々感じることなんだけど。
ショーでは特に出るよねえ。
娘役がかわいかったりかっこよかったりする場面はあっても、男役が「素直に、ストレートに、かっこいい場面」はほとんどなかったりするの。
いやそこは、まず男役がかっこいい場面を作ろうよ、と常々思う。
女の子が好きなのはよーっくわかったから。フジイくんみたいに「女装した男が好き」とか独特な好みではなく、そのまんま女好きなのはわかるから。男役への演出がマニアックで、好きな男のタイプが偏っているのも伝わってくるから。
それはそれとして、もう少し「ふつー」のモノも作ってくれ。観客の女性の好みも考慮してくれ。
サイトーくんの特性が、もっとも剥き出しになっていた芝居作品が「下級生ワークショップで実験公演だからいいんじゃね?」と作られたのが、『Young Bloods!!』の2作だったんだなあ。男子ギャグハートが花ヤンブラで、シリアスハートが雪ヤンブラの「兄弟萌え野球モノ」な。
この2作が最低過ぎて、わたしはこの頃サイトーくんを見限っていた(笑)。
この経験があるから、『A-EN』いいじゃん、野口くんいいじゃん!と、やたらハードルが低くなっていることは否めない(笑)。
失敗は、その時点よりも、そのあとにずーーっと響くのだ(笑)。