はじめての「源氏物語」。@新源氏物語
2015年10月3日 タカラヅカ 結局のところ、わたしははじめて、「源氏物語」と出会ったのだと思う。
「源氏物語」自体は学校でさわりの部分だけ習ったし、その昔田辺聖子の『新源氏物語』も読んだし、大和和紀の『あさきゆめみし』も読んだけど。
宝塚歌劇の「源氏物語」は、未体験だった。
『あさきゆめみし』という公演はあったけれど、あんなもん、「源氏物語」ぢゃねえしな(笑)。
これが、はじめて出会う「源氏物語」。
この世で唯一、「平安絵巻」を三次元化できるカンパニーで、「光源氏」を表現できうる役者をそろえた宝塚歌劇団で、こんだけ長くファンをやってきてなお、はじめての体験。
才能を持つモノは、それを行使する義務がある、美しいモノを作れる劇団は、美しいモノを上演する義務がある。
宝塚歌劇団は、「源氏物語」を上演する義務がある……! なのになんで今までその義務を怠っていたんだ?!
と、愕然とする。
それくらい、感動しました。
『新源氏物語』初日。
幕が上がるなり、客席から沸き上がる歓声。
声が漏れてしまうほどの、美しさ。豪華さ。
タカラヅカのナニが好きって、この「思わず声が出る」ほどの美しさよ。
銀橋に並ぶ公達姿のスターたちの美しさ、大階段を彩る十二単の美女たちの雅やかさ……、この、異世界感。
四の五の理屈をぶっ飛ばして、なんかとんでもないモノが展開しているとわかる。
なんかの間違いでたまたま客席に紛れて来ちゃった人も、幕が上がるなり、「なんかすげーー!」となること請け合い。
この豪華なオープニングで、一気に平安世界へ連れて行かれた。
この世界の中で、さらに華やかな存在である、源氏の君@みりおくん。
みんなにきゃーきゃー言われてるし、本人は調子よく恋愛してるみたいだし、友だちもいて人望もあって、人生勝ったようなもん。
……なのに、その華やかな顔の下に、深い苦悩を秘めている。
「今夜思いを遂げられなければ、死んでしまおうと思った」って、それほどまでの絶望的な思いを抱いて。
源氏の闇に、吸い寄せられる。
彼の鬱屈とした思いに、破滅の色に。
藤壺の女御@かのちゃんとのラブシーンで、すでに大泣き。
ティボルトの破滅ソングもだけど、わたしはこのテの「間違った情熱」がツボらしい。
明らかにおかしい、明らかに狂気……俯瞰してみると「傍迷惑な!」とツッコミ入れたくなるくらい、正気を逸脱した愛、にぞくぞくする。
歪みを歪みとして描いてくれた場合ね。
完璧に自分勝手なだけなのに「これは正義」と主張する植爺理論は逆ツボなんだけど。
安寧を捨て、業火に身を灼く覚悟で罪に堕ちる。
源氏があまりに、美しくて。
泣けた。
そして。
そんな源氏に、いちばん敏感に反応する、六条御息所@カレーくん。
うっわ、カレーくんが女やってるー。つか、この子に大人の女って、どんだけ無茶振り……と、唖然とする面はあるんだけど。
わたし、カレーくんの芝居には、安心している。『カリスタの海に抱かれて』はヘタ過ぎてクラッシャー過ぎてびびったけど(笑)、なんだろ、この子は「裏切らない役者」だと思っているの。
技術が足りなくて出来ないことはいろいろあるにしても。
「芝居」の部分で、わたしの逆ツボになることはないだろうっていうか。
芝居は所詮好みだからねえ。『エリザベート』の彼がルドルフにしろトートにしろ、とても好みだったので「役者」として注目しているの。
女役、大変そうだなあ。
と、思うこととは別に。
この六条御息所、好きかも、と思った。
源氏より大人の女には、今のところ見えないんだけど。まあ、同世代かな、って感じだけど。
そのへんは置いておいて、恋人の心が離れていくのを気づくゆえに、棘を見せながらも表面上は静観している女の矜持が見えて、切なかった。
それと同時に、この女から離れたいと思う源氏の気持ちも、よくわかった。
六条御息所と源氏、両方の気持ちがわかると、切なさ倍増するよね。
泣けるよね。
六条御息所VS葵の上@じゅりあもね。
葵がきついのは、不幸だから。悲しいから。
愛に傷つく女たちが、元凶の源氏ではなく、互いに刃を向けるのがまた、切ないね。
葵の上も悲しいし、ちゃんと罪の意識を持つ源氏も悲しい。
そして、あのプライドの高い六条御息所が、もっとも見せたくない姿を源氏に見られてしまう、その心の痛みを想像するだけで泣ける。
源氏に愛されている藤壷にしろ、幸福と罪の意識を同時に抱え、恍惚と恐怖の最中であがき続けている。
桐壷帝@汝鳥サマが赤ん坊を抱いているところとか……彼女の惑乱を思うと苦しくなる。
不思議なことに、この芝居を見ていてわたしは、ほとんどかのちゃんの顔を見ていないんだ。
藤壷を見たい、とオペラグラスを向けるのだけど、不思議なほど視界に入ってこない。
かのちゃんに、他意はない。だからほんとに、不思議。
わたしは源氏の君を見ているらしい。
源氏中心に見ていると、藤壷は横顔だったりナナメ後ろからの頬骨だけだったりして、顔が見えてこない。
これって、「藤壷」というキャラクタを象徴しているのかもな。
藤壷は「聖域」扱いのヒロインで、現実には絡まない。
『北斗の拳』のユリアが聖域で美しいイメージだけあり、実際にケンシロウのそばでヒロインやってるのがリンみたいなもんで。
物語によくあるキャラ配置。ユリアが藤壷、リンが紫。
藤壷は見えなくていいのかもしれない。
見えないからこそ、後ろ姿の彼女はこの世のナニより美しく、光君の「永遠の恋人」に相応しい女性だとイメージできる。
あとはこれで、かのちゃんの声がよければ、さらによかったんだけどな……。
源氏に感情移入し過ぎて、明石とかどきどきしながら観てたわ……、柏木@カレーくんの裏切りに、怒りよりも悲しみの方が強いんだなっていう、みりおくんの特質に心がひりひりしたわ……。
そして、惟光@キキくんの明るさに、救われたわ……。あああ、いいなあ、キキくん……。
『新源氏物語』、すっげー楽しかった。
こんなに没入して息を詰めるように観て、泣きまくる作品だとは、思ってなかった。
いい作品だ~~、また観に来るのが愉しみ~~。日本物って、平安モノっていいなあ!!
みりおくんがもう美しくて、声も歌も素晴らしくて。存分に夢を見せてもらったわ。
「源氏物語」自体は学校でさわりの部分だけ習ったし、その昔田辺聖子の『新源氏物語』も読んだし、大和和紀の『あさきゆめみし』も読んだけど。
宝塚歌劇の「源氏物語」は、未体験だった。
『あさきゆめみし』という公演はあったけれど、あんなもん、「源氏物語」ぢゃねえしな(笑)。
これが、はじめて出会う「源氏物語」。
この世で唯一、「平安絵巻」を三次元化できるカンパニーで、「光源氏」を表現できうる役者をそろえた宝塚歌劇団で、こんだけ長くファンをやってきてなお、はじめての体験。
才能を持つモノは、それを行使する義務がある、美しいモノを作れる劇団は、美しいモノを上演する義務がある。
宝塚歌劇団は、「源氏物語」を上演する義務がある……! なのになんで今までその義務を怠っていたんだ?!
と、愕然とする。
それくらい、感動しました。
『新源氏物語』初日。
幕が上がるなり、客席から沸き上がる歓声。
声が漏れてしまうほどの、美しさ。豪華さ。
タカラヅカのナニが好きって、この「思わず声が出る」ほどの美しさよ。
銀橋に並ぶ公達姿のスターたちの美しさ、大階段を彩る十二単の美女たちの雅やかさ……、この、異世界感。
四の五の理屈をぶっ飛ばして、なんかとんでもないモノが展開しているとわかる。
なんかの間違いでたまたま客席に紛れて来ちゃった人も、幕が上がるなり、「なんかすげーー!」となること請け合い。
この豪華なオープニングで、一気に平安世界へ連れて行かれた。
この世界の中で、さらに華やかな存在である、源氏の君@みりおくん。
みんなにきゃーきゃー言われてるし、本人は調子よく恋愛してるみたいだし、友だちもいて人望もあって、人生勝ったようなもん。
……なのに、その華やかな顔の下に、深い苦悩を秘めている。
「今夜思いを遂げられなければ、死んでしまおうと思った」って、それほどまでの絶望的な思いを抱いて。
源氏の闇に、吸い寄せられる。
彼の鬱屈とした思いに、破滅の色に。
藤壺の女御@かのちゃんとのラブシーンで、すでに大泣き。
ティボルトの破滅ソングもだけど、わたしはこのテの「間違った情熱」がツボらしい。
明らかにおかしい、明らかに狂気……俯瞰してみると「傍迷惑な!」とツッコミ入れたくなるくらい、正気を逸脱した愛、にぞくぞくする。
歪みを歪みとして描いてくれた場合ね。
完璧に自分勝手なだけなのに「これは正義」と主張する植爺理論は逆ツボなんだけど。
安寧を捨て、業火に身を灼く覚悟で罪に堕ちる。
源氏があまりに、美しくて。
泣けた。
そして。
そんな源氏に、いちばん敏感に反応する、六条御息所@カレーくん。
うっわ、カレーくんが女やってるー。つか、この子に大人の女って、どんだけ無茶振り……と、唖然とする面はあるんだけど。
わたし、カレーくんの芝居には、安心している。『カリスタの海に抱かれて』はヘタ過ぎてクラッシャー過ぎてびびったけど(笑)、なんだろ、この子は「裏切らない役者」だと思っているの。
技術が足りなくて出来ないことはいろいろあるにしても。
「芝居」の部分で、わたしの逆ツボになることはないだろうっていうか。
芝居は所詮好みだからねえ。『エリザベート』の彼がルドルフにしろトートにしろ、とても好みだったので「役者」として注目しているの。
女役、大変そうだなあ。
と、思うこととは別に。
この六条御息所、好きかも、と思った。
源氏より大人の女には、今のところ見えないんだけど。まあ、同世代かな、って感じだけど。
そのへんは置いておいて、恋人の心が離れていくのを気づくゆえに、棘を見せながらも表面上は静観している女の矜持が見えて、切なかった。
それと同時に、この女から離れたいと思う源氏の気持ちも、よくわかった。
六条御息所と源氏、両方の気持ちがわかると、切なさ倍増するよね。
泣けるよね。
六条御息所VS葵の上@じゅりあもね。
葵がきついのは、不幸だから。悲しいから。
愛に傷つく女たちが、元凶の源氏ではなく、互いに刃を向けるのがまた、切ないね。
葵の上も悲しいし、ちゃんと罪の意識を持つ源氏も悲しい。
そして、あのプライドの高い六条御息所が、もっとも見せたくない姿を源氏に見られてしまう、その心の痛みを想像するだけで泣ける。
源氏に愛されている藤壷にしろ、幸福と罪の意識を同時に抱え、恍惚と恐怖の最中であがき続けている。
桐壷帝@汝鳥サマが赤ん坊を抱いているところとか……彼女の惑乱を思うと苦しくなる。
不思議なことに、この芝居を見ていてわたしは、ほとんどかのちゃんの顔を見ていないんだ。
藤壷を見たい、とオペラグラスを向けるのだけど、不思議なほど視界に入ってこない。
かのちゃんに、他意はない。だからほんとに、不思議。
わたしは源氏の君を見ているらしい。
源氏中心に見ていると、藤壷は横顔だったりナナメ後ろからの頬骨だけだったりして、顔が見えてこない。
これって、「藤壷」というキャラクタを象徴しているのかもな。
藤壷は「聖域」扱いのヒロインで、現実には絡まない。
『北斗の拳』のユリアが聖域で美しいイメージだけあり、実際にケンシロウのそばでヒロインやってるのがリンみたいなもんで。
物語によくあるキャラ配置。ユリアが藤壷、リンが紫。
藤壷は見えなくていいのかもしれない。
見えないからこそ、後ろ姿の彼女はこの世のナニより美しく、光君の「永遠の恋人」に相応しい女性だとイメージできる。
あとはこれで、かのちゃんの声がよければ、さらによかったんだけどな……。
源氏に感情移入し過ぎて、明石とかどきどきしながら観てたわ……、柏木@カレーくんの裏切りに、怒りよりも悲しみの方が強いんだなっていう、みりおくんの特質に心がひりひりしたわ……。
そして、惟光@キキくんの明るさに、救われたわ……。あああ、いいなあ、キキくん……。
『新源氏物語』、すっげー楽しかった。
こんなに没入して息を詰めるように観て、泣きまくる作品だとは、思ってなかった。
いい作品だ~~、また観に来るのが愉しみ~~。日本物って、平安モノっていいなあ!!
みりおくんがもう美しくて、声も歌も素晴らしくて。存分に夢を見せてもらったわ。