貧乏性のなせるワザ。@星逢一夜
2015年9月19日 タカラヅカ わたしはびんぼー性である。
実際にびんぼーなのだが、それ以上にびんぼー性なのだ。
喫茶店ではつい、ケーキセットを頼んでしまう。飲み物だけでこの値段出すなら、ケーキ付きでこの値段出す方がお得っぽい。
や、それおかしいだろ、びんぼーなんだから積極的に食べたいわけでもないケーキ付きにして、飲み物単体より高いお金出すのおかしいだろ?
という、これがびんぼー性のなせるワザ。こんなことやってるからますますお金が貯まらない。
東宝に新公を観るために遠征する、場合も、新公だけのために遠征がしにくいのだ。
花組『オーシャンズ11』のときは、たしかに新公も観たかったのだけど、時間とお金を使って東京まで行く、と考えたとき、本公演のだいもんの銀橋ソロを聴きたい、という思いが加わって、決行できた。
花組『エリザベート』のときも、本公演も是非観たい、だってムラではそんなに回数観られなかったし、という気持ちもあった。
新公だけじゃなく、本公演も観たい。そう思える公演でこそ、わたしの重い腰が上がる。
びんぼー性なので、一兎のためには走れないのだ。二兎ないと!
かなとくんを見届けるために東宝新公へ行こう。
そう思うと同時に、本公演の『星逢一夜』が観たい、と強く思った。
ムラでの『星逢一夜』の印象が、とても変動的だったので。
初日と中日、終盤はそれぞれ別モノだった。どんどん作品が変わっていった。
主に、源太@だいもんのアクセル踏みっぷりがすごかった。彼が源太役を整理し切れていないのか、観るたびに違っていて、目が離せなかった。
ムラは万遍なく7回観たんだっけ? ダブルするのではなく、1日1回ずつ、日を変えて。その都度劇場まで足を運んで。ご贔屓のいない公演でこの回数は自分的にかなり多い。
千秋楽まで観たけれど、「落ち着いていない」印象だった。
まだ、過渡期である。この作品は最終形を迎えていない。そう思えた。
最終形態を観られるのは東宝でなんだな。
そう思うゆえに、東京の人がうらやましかった。この作品を最後まで追えないことが残念でならなかった。
ムラのように万遍なく観ることはかなわないけれど、東宝の中日である新公日程に遠征して、「東宝での『星逢一夜』」を観よう。
それは実にわくわくする、楽しみなことだった。
遠征日を指折り数えながら、わたしは財布の中身と相談しつつ、東宝楽チケットを探していた。
中日を観たらきっと、千秋楽も観たくなる。だってムラがそうだったもの。あとになって楽チケット探しはじめて、大変だったわ……だから東宝楽は、早めに探しはじめましょう。新公遠征したあとから探すんじゃ遅いわ。
そう思っていたのに。
実際に、東宝『星逢一夜』を観て。
なんか、すとんと納得した。
肩の荷が下りた? 憑きものが落ちた?
千秋楽を観たくなるに違いない……そう思い込んでいたナニかが、すとんと消えた。
もう観なくていいや。
そう思った。
や、チケットが手に入って、なんの苦労もなく観られるというなら観ただろうけれど。
チケットないのに苦労して無理してなんとか、どうにかこうにか手に入れて、スケジュール調整して時間作って無理に遠征して。
そこまでして観る必要を、感じなくなった。
なんか、納得したんだ。
ああそうなのか、と。
こう落ち着いたのか、と。
それならもう、観なくていいや。
コレが答えなら、答えがもうこの段階で出ているなら、千秋楽である必要はないや。
ということで、木曜日の本公演観て新公観て、久々にどりーず東組のみなさんとごはんして、金曜日の1回公演を観て、帰阪したのでした。
憑きものが落ちたから、もう心悩まされることはない。
ない、けど……。
なんか、つまんないなあ。
拍子抜けしたというか。
東宝『星逢一夜』を実際に観るまでは、すっげー盛り上がってたのに、わたし的に。
無理してでも東宝楽行くか、と計算するほどに。
『星逢一夜』公演はまだ続いているのに、千秋楽はまだなのに、わたしのなかで先に終わってしまった。
それがなんか、残念。
もっとわくわくしていたかった、かな。
飲み物だけでいいのにケーキまで頼んで、食べきれないケーキをいつまでもちびちびと食べ続けて、「苦手なくせに、なんでケーキまで頼んだの?」と友人に突っ込まれた(実話)、そんな感じ?
観るのは新公だけにして、本公演はムラでのわくわくだけを胸に抱いていた方が、よかったんじゃあ?
まったくこのびんぼー性ときたら。
あ、ケーキは大好きなんですよ? 好きだから注文している。ただ、あまりたくさん食べられない・甘いモノを食べるのは人より時間が掛かる、ために、「好きじゃない」と思われがちである、というだけで。
東宝『星逢一夜』も、よかったのよ? 相変わらず名作ですとも。キャストも熱演ですとも。
ただ。
わたしが期待したモノとは、違っていた、というだけで。
実際にびんぼーなのだが、それ以上にびんぼー性なのだ。
喫茶店ではつい、ケーキセットを頼んでしまう。飲み物だけでこの値段出すなら、ケーキ付きでこの値段出す方がお得っぽい。
や、それおかしいだろ、びんぼーなんだから積極的に食べたいわけでもないケーキ付きにして、飲み物単体より高いお金出すのおかしいだろ?
という、これがびんぼー性のなせるワザ。こんなことやってるからますますお金が貯まらない。
東宝に新公を観るために遠征する、場合も、新公だけのために遠征がしにくいのだ。
花組『オーシャンズ11』のときは、たしかに新公も観たかったのだけど、時間とお金を使って東京まで行く、と考えたとき、本公演のだいもんの銀橋ソロを聴きたい、という思いが加わって、決行できた。
花組『エリザベート』のときも、本公演も是非観たい、だってムラではそんなに回数観られなかったし、という気持ちもあった。
新公だけじゃなく、本公演も観たい。そう思える公演でこそ、わたしの重い腰が上がる。
びんぼー性なので、一兎のためには走れないのだ。二兎ないと!
かなとくんを見届けるために東宝新公へ行こう。
そう思うと同時に、本公演の『星逢一夜』が観たい、と強く思った。
ムラでの『星逢一夜』の印象が、とても変動的だったので。
初日と中日、終盤はそれぞれ別モノだった。どんどん作品が変わっていった。
主に、源太@だいもんのアクセル踏みっぷりがすごかった。彼が源太役を整理し切れていないのか、観るたびに違っていて、目が離せなかった。
ムラは万遍なく7回観たんだっけ? ダブルするのではなく、1日1回ずつ、日を変えて。その都度劇場まで足を運んで。ご贔屓のいない公演でこの回数は自分的にかなり多い。
千秋楽まで観たけれど、「落ち着いていない」印象だった。
まだ、過渡期である。この作品は最終形を迎えていない。そう思えた。
最終形態を観られるのは東宝でなんだな。
そう思うゆえに、東京の人がうらやましかった。この作品を最後まで追えないことが残念でならなかった。
ムラのように万遍なく観ることはかなわないけれど、東宝の中日である新公日程に遠征して、「東宝での『星逢一夜』」を観よう。
それは実にわくわくする、楽しみなことだった。
遠征日を指折り数えながら、わたしは財布の中身と相談しつつ、東宝楽チケットを探していた。
中日を観たらきっと、千秋楽も観たくなる。だってムラがそうだったもの。あとになって楽チケット探しはじめて、大変だったわ……だから東宝楽は、早めに探しはじめましょう。新公遠征したあとから探すんじゃ遅いわ。
そう思っていたのに。
実際に、東宝『星逢一夜』を観て。
なんか、すとんと納得した。
肩の荷が下りた? 憑きものが落ちた?
千秋楽を観たくなるに違いない……そう思い込んでいたナニかが、すとんと消えた。
もう観なくていいや。
そう思った。
や、チケットが手に入って、なんの苦労もなく観られるというなら観ただろうけれど。
チケットないのに苦労して無理してなんとか、どうにかこうにか手に入れて、スケジュール調整して時間作って無理に遠征して。
そこまでして観る必要を、感じなくなった。
なんか、納得したんだ。
ああそうなのか、と。
こう落ち着いたのか、と。
それならもう、観なくていいや。
コレが答えなら、答えがもうこの段階で出ているなら、千秋楽である必要はないや。
ということで、木曜日の本公演観て新公観て、久々にどりーず東組のみなさんとごはんして、金曜日の1回公演を観て、帰阪したのでした。
憑きものが落ちたから、もう心悩まされることはない。
ない、けど……。
なんか、つまんないなあ。
拍子抜けしたというか。
東宝『星逢一夜』を実際に観るまでは、すっげー盛り上がってたのに、わたし的に。
無理してでも東宝楽行くか、と計算するほどに。
『星逢一夜』公演はまだ続いているのに、千秋楽はまだなのに、わたしのなかで先に終わってしまった。
それがなんか、残念。
もっとわくわくしていたかった、かな。
飲み物だけでいいのにケーキまで頼んで、食べきれないケーキをいつまでもちびちびと食べ続けて、「苦手なくせに、なんでケーキまで頼んだの?」と友人に突っ込まれた(実話)、そんな感じ?
観るのは新公だけにして、本公演はムラでのわくわくだけを胸に抱いていた方が、よかったんじゃあ?
まったくこのびんぼー性ときたら。
あ、ケーキは大好きなんですよ? 好きだから注文している。ただ、あまりたくさん食べられない・甘いモノを食べるのは人より時間が掛かる、ために、「好きじゃない」と思われがちである、というだけで。
東宝『星逢一夜』も、よかったのよ? 相変わらず名作ですとも。キャストも熱演ですとも。
ただ。
わたしが期待したモノとは、違っていた、というだけで。