ここは、美しい場所。@銀二貫
2015年12月19日 タカラヅカ 『銀二貫』あれこれ。
この物語を観ながらしみじみ感じたことは、人は、ひとりで生きているわけではない、ってことだなあ。
なんてたくさんの人に、育ててもらっていることだろう。
松吉@かなとくんは父も母も失うけれど、天涯孤独の身で名前すら失うけれど。
それでも彼は、ひとりではない。
彼の命を銀二貫で買ってくれた和助@みつるはもとより、口うるさい番頭の善次郎@エマさんという「同じ家の住む大人」が、愛情と厳しさを持って、彼を育ててくれる。
それだけでなく、料理人の嘉平@にわにわ、丁稚仲間たち、出会う人出会う人が、松吉を育ててくれる。
なんて、ありがたいことだろう。
そして松吉は、それらをすべて素直に受け入れ、感謝している。
だからこの子は、みんなから愛され、伸びていくんだろう。
こちらも素直にそう思える。
他人からの注意も厳しい声も、曲がることなく拗ねることなく、咀嚼する。
まっすぐ伸びる木のように、松吉はどんどん大きく、枝葉を広げていく。
谷先生は、やっぱりいい人なんだと思うよ。
彼の作品は逆ツボも多くて、イライラすることも嫌いなところも多いのだけど。
でもやっぱり、嫌いにはなれないなあ。好きだなあ。
谷作品の「人間を信じている」部分が、わたしはすごく好きだなあ。
後半、大人になった松吉が「すべての人のおかげ」と感謝を口にする場面がある。
そのとき松吉は、客席に向かって礼を言う。感謝の言葉を告げる。
「すべての人」に、わたしたちも含まれている。
松吉が。
ううん、松吉の姿を借りて、かなとくんが。
月城かなとが、わたしたちに……全世界に、感謝を告げている。
タカラジェンヌは卒業の際に、みんな決まって感謝を言葉にする。「感謝の気持ちでいっぱいです」と言う。「関わってくださったすべての方に」と言う。
定型句かってくらい、みんな判で押したように同じことを同じ文言で言うのだけど、それを嘘だとは思わない。
ほんとうなんだと、わたしは思う。
全世界に感謝を告げる……その純粋さが、タカラジェンヌのタカラジェンヌたる由来、フェアリーである証拠なんだと思う。
自分の存在を、他人への感謝で満たす。
それが「あたりまえ」である人……それってもう、ふつーの人を超えてる、フェアリーだよ。
「関わってくれた人すべてに」と感謝を告げるかなとくんに、この人も、まぎれもない妖精だと思った。
松吉でありながら、月城かなと自身が、今この瞬間に感謝していることが伝わってくる。
舞台の共演者に、スタッフに、そして、わたしたち観客に。
劇場は役者にとって世界に等しい、そこで客席へ感謝を告げるかなとくんは、全世界へ感謝を告げている。
今彼は、この世で最も美しいモノを、捧げている。
わたしたちは、とてつもなく、美しい場所にいる。
純粋な、感謝。
感動。
無償の愛。
なんて、うつくしいのだろう。
ここは、うつくしいところだ。
生まれてきたんは幸せになるため。
この美しい場所で、しあわせになれ。
てゆーか、すでにしあわせだ。
こんなにあたたかい涙を流すことが出来る、わたしはしあわせだ。
ひとりでは感じることはできない。
わたしではない誰かがいるから、わたしではないあなたがいるから、得られたしあわせだ。
生きることが、愛しくなる。
わたしではない誰かが、愛しくなる。
人は、ひとりで生きているわけではない。
ありがとう、ありがとう。
なんかいろんなものに、感謝する。
かなとくんに、みつるさんに、エマさんに、出演者ひとりひとりに。
やさしい舞台を創ってくれた谷先生に。原作者さんに。
今、この場にいるすべての人に、わたしがここにいることができた、すべてのめぐりあわせに。
ありがとう。
だからわたしは、また生きていこうと思う。
この物語を観ながらしみじみ感じたことは、人は、ひとりで生きているわけではない、ってことだなあ。
なんてたくさんの人に、育ててもらっていることだろう。
松吉@かなとくんは父も母も失うけれど、天涯孤独の身で名前すら失うけれど。
それでも彼は、ひとりではない。
彼の命を銀二貫で買ってくれた和助@みつるはもとより、口うるさい番頭の善次郎@エマさんという「同じ家の住む大人」が、愛情と厳しさを持って、彼を育ててくれる。
それだけでなく、料理人の嘉平@にわにわ、丁稚仲間たち、出会う人出会う人が、松吉を育ててくれる。
なんて、ありがたいことだろう。
そして松吉は、それらをすべて素直に受け入れ、感謝している。
だからこの子は、みんなから愛され、伸びていくんだろう。
こちらも素直にそう思える。
他人からの注意も厳しい声も、曲がることなく拗ねることなく、咀嚼する。
まっすぐ伸びる木のように、松吉はどんどん大きく、枝葉を広げていく。
谷先生は、やっぱりいい人なんだと思うよ。
彼の作品は逆ツボも多くて、イライラすることも嫌いなところも多いのだけど。
でもやっぱり、嫌いにはなれないなあ。好きだなあ。
谷作品の「人間を信じている」部分が、わたしはすごく好きだなあ。
後半、大人になった松吉が「すべての人のおかげ」と感謝を口にする場面がある。
そのとき松吉は、客席に向かって礼を言う。感謝の言葉を告げる。
「すべての人」に、わたしたちも含まれている。
松吉が。
ううん、松吉の姿を借りて、かなとくんが。
月城かなとが、わたしたちに……全世界に、感謝を告げている。
タカラジェンヌは卒業の際に、みんな決まって感謝を言葉にする。「感謝の気持ちでいっぱいです」と言う。「関わってくださったすべての方に」と言う。
定型句かってくらい、みんな判で押したように同じことを同じ文言で言うのだけど、それを嘘だとは思わない。
ほんとうなんだと、わたしは思う。
全世界に感謝を告げる……その純粋さが、タカラジェンヌのタカラジェンヌたる由来、フェアリーである証拠なんだと思う。
自分の存在を、他人への感謝で満たす。
それが「あたりまえ」である人……それってもう、ふつーの人を超えてる、フェアリーだよ。
「関わってくれた人すべてに」と感謝を告げるかなとくんに、この人も、まぎれもない妖精だと思った。
松吉でありながら、月城かなと自身が、今この瞬間に感謝していることが伝わってくる。
舞台の共演者に、スタッフに、そして、わたしたち観客に。
劇場は役者にとって世界に等しい、そこで客席へ感謝を告げるかなとくんは、全世界へ感謝を告げている。
今彼は、この世で最も美しいモノを、捧げている。
わたしたちは、とてつもなく、美しい場所にいる。
純粋な、感謝。
感動。
無償の愛。
なんて、うつくしいのだろう。
ここは、うつくしいところだ。
生まれてきたんは幸せになるため。
この美しい場所で、しあわせになれ。
てゆーか、すでにしあわせだ。
こんなにあたたかい涙を流すことが出来る、わたしはしあわせだ。
ひとりでは感じることはできない。
わたしではない誰かがいるから、わたしではないあなたがいるから、得られたしあわせだ。
生きることが、愛しくなる。
わたしではない誰かが、愛しくなる。
人は、ひとりで生きているわけではない。
ありがとう、ありがとう。
なんかいろんなものに、感謝する。
かなとくんに、みつるさんに、エマさんに、出演者ひとりひとりに。
やさしい舞台を創ってくれた谷先生に。原作者さんに。
今、この場にいるすべての人に、わたしがここにいることができた、すべてのめぐりあわせに。
ありがとう。
だからわたしは、また生きていこうと思う。