『銀二貫』あれこれ。

 この物語を観ながらしみじみ感じたことは、人は、ひとりで生きているわけではない、ってことだなあ。

 なんてたくさんの人に、育ててもらっていることだろう。

 松吉@かなとくんは父も母も失うけれど、天涯孤独の身で名前すら失うけれど。
 それでも彼は、ひとりではない。
 彼の命を銀二貫で買ってくれた和助@みつるはもとより、口うるさい番頭の善次郎@エマさんという「同じ家の住む大人」が、愛情と厳しさを持って、彼を育ててくれる。
 それだけでなく、料理人の嘉平@にわにわ、丁稚仲間たち、出会う人出会う人が、松吉を育ててくれる。

 なんて、ありがたいことだろう。

 そして松吉は、それらをすべて素直に受け入れ、感謝している。

 だからこの子は、みんなから愛され、伸びていくんだろう。
 こちらも素直にそう思える。
 他人からの注意も厳しい声も、曲がることなく拗ねることなく、咀嚼する。
 まっすぐ伸びる木のように、松吉はどんどん大きく、枝葉を広げていく。

 谷先生は、やっぱりいい人なんだと思うよ。

 彼の作品は逆ツボも多くて、イライラすることも嫌いなところも多いのだけど。
 でもやっぱり、嫌いにはなれないなあ。好きだなあ。
 谷作品の「人間を信じている」部分が、わたしはすごく好きだなあ。

 後半、大人になった松吉が「すべての人のおかげ」と感謝を口にする場面がある。
 そのとき松吉は、客席に向かって礼を言う。感謝の言葉を告げる。

 「すべての人」に、わたしたちも含まれている。

 松吉が。
 ううん、松吉の姿を借りて、かなとくんが。

 月城かなとが、わたしたちに……全世界に、感謝を告げている。

 タカラジェンヌは卒業の際に、みんな決まって感謝を言葉にする。「感謝の気持ちでいっぱいです」と言う。「関わってくださったすべての方に」と言う。
 定型句かってくらい、みんな判で押したように同じことを同じ文言で言うのだけど、それを嘘だとは思わない。
 ほんとうなんだと、わたしは思う。

 全世界に感謝を告げる……その純粋さが、タカラジェンヌのタカラジェンヌたる由来、フェアリーである証拠なんだと思う。

 自分の存在を、他人への感謝で満たす。
 それが「あたりまえ」である人……それってもう、ふつーの人を超えてる、フェアリーだよ。

 「関わってくれた人すべてに」と感謝を告げるかなとくんに、この人も、まぎれもない妖精だと思った。

 松吉でありながら、月城かなと自身が、今この瞬間に感謝していることが伝わってくる。
 舞台の共演者に、スタッフに、そして、わたしたち観客に。
 劇場は役者にとって世界に等しい、そこで客席へ感謝を告げるかなとくんは、全世界へ感謝を告げている。

 今彼は、この世で最も美しいモノを、捧げている。
 わたしたちは、とてつもなく、美しい場所にいる。

 純粋な、感謝。
 感動。
 無償の愛。

 なんて、うつくしいのだろう。
 ここは、うつくしいところだ。

 生まれてきたんは幸せになるため。
 この美しい場所で、しあわせになれ。

 てゆーか、すでにしあわせだ。
 こんなにあたたかい涙を流すことが出来る、わたしはしあわせだ。

 ひとりでは感じることはできない。
 わたしではない誰かがいるから、わたしではないあなたがいるから、得られたしあわせだ。

 生きることが、愛しくなる。
 わたしではない誰かが、愛しくなる。
 人は、ひとりで生きているわけではない。
 ありがとう、ありがとう。

 なんかいろんなものに、感謝する。

 かなとくんに、みつるさんに、エマさんに、出演者ひとりひとりに。
 やさしい舞台を創ってくれた谷先生に。原作者さんに。
 今、この場にいるすべての人に、わたしがここにいることができた、すべてのめぐりあわせに。

 ありがとう。
 だからわたしは、また生きていこうと思う。

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