意志を持ってアクセルを踏む。@るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-
2016年3月13日 タカラヅカ なんだかんだいって、楽しんでます、『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』。
でも、本当の意味で楽しくなったのは、だいもんがだいもん全開になってからだと思う。
わたしにとっては。
ひとさまがどうだかは、知りません。
加納惣三郎@だいもんって、ひどい役じゃないですか。
ぶっちゃけいらないし、意味わかんないし、バカだし、かっこ悪いし。
べらべら喋るけど、ナニ言ってんのかマジわかんないし。論理破綻しまくってるし。
たぶん、だいもんも役のアレはさわかってるんだと思う。や、ふつーのアタマがあれば、「おかしい」ってわかるだろうし。
どんなにおかしな脚本でも、生徒は先生に「おかしい」とは言えないんだろうな。過去の公演を見ていてもわかる。
この役はおかしい。それはもう、変えられない現実。ならば、そのおかしい役を、「おかしいと感づかれないように演じる」しかない。過去のありとあらゆる公演で、多くのスターたちがそうしてきたように。
舞台は役者のもの。アホ脚本を佳作に押し上げるのは、役者だ。
だいもんが、アクセル踏んだ。
わたしは大体週1~2回の割合で、バランス良く観てきたつもりなんだけど。
公演中盤辺りから、だいもんが変わった。
加納さんの熱量がすごい。
脚本の粗を、自分が高速回転して発光して発熱して、押し隠すつもりだ。なかったことにするつもりだ。
加納は脚本の破綻を全部押し付けられている。彼の言動がおかしいからすべての事件が起こる。だから、その元凶である加納さんが「自分のしていることは破綻してない、筋が通っている」と力尽くで主張し、舞台全体の色を決めることで、舞台が変わる。
すごい。
ただもう、息を飲んだ。
力技キターー!
クライマックスの剣心@ちぎくんVS加納の場面の、あの気合いと覚悟。
持ってく気だ。
この作品の闇を全部、ひとりで集約し、ひとりで背負っている。
主役のちぎくんには背負わせない。ちぎくんはきれいなまま、公演の看板として頂点に立ってくれていればいい。だいもんが発する熱量に、ただ沿ってくれればいい。それが主役の仕事、トップスターの責務。
駄作に足を取られて、倒れてはいけない。
悪いのは全部加納。剣心は剣心でありつづける。
役の役割りとリンクしている。
だいもんが高速回転している。「だいもん力」を全開で放出している。ほら、『アル・カポネ』の裁判シーンとかで放出する、とんでもない力……「だいもん力」としか言いようのないパワー。
うおー、ここで「だいもん力」放出しますか、主演舞台以外でここまでやるのって、『BUND/NEON 上海』以来? いや、『BUND/NEON 上海』は本人無意識でしょ、ブレーキの存在を知らなかった幼さゆえの事故みたいなもん。だいもんが全開すぎてまぁくんファンが苦い顔してたっけ。全部持ってくからなー。
大人になった今は、意識した上でアクセル踏んでいると思う。そこにあるのは2番手としての責任感、そしてちぎくんへの信頼感?
全開のだいもんに巻き込まれず、ちぎくんは自分のスタンスを貫いている。トップの貫禄。そうよ、巻き込まれちゃいけない、だいもんは良くも悪くも周りを巻き添えにするから。
ちぎくんなら大丈夫、そう思えるからこそのアクセル全開。
いやー……涙出た。
だいもんの「だいもん力」全開ぶりに。
この人、ここまでやるんだ、と。
こんなひどい作品なのに……いや、ひどい作品だからこそ、全部背負って走るんだ。
『BUND/NEON 上海』のときみたいに憑依してるんじゃなくて、あくまでも自分の意志の力であそこまで持って行くことに、胸が痛くなった。
だいもんは『アル・カポネ』をやったことで、「駄作の背負い方」をおぼえたんだと思う。
今までどんだけ駄作に出演していても、大きな役をもらってなかったから、背負いようがなかった。
雪組にやってきてからは、作品に恵まれていたから、そこまでする必要がなかった。
でも、『アル・カポネ』で「駄作で真ん中を張る」経験をして。どんだけ間違っている脚本でも破綻したキャラクタでも、自分の力で吹っ飛ばせることを体感した。
その経験が、活きてるんだなぁ。しみじみ。
「駄作を力技で佳作に変える」のはトップスターの仕事。どんだけ美貌でも技術があっても、このスキルを持たない人は、タカラヅカのトップスターには不向き。
だいもんはまたひとつ、スキルを取得したんだなあ。
トップスターが熱量全開にして吠えて暴れて、駄作を力技でねじ伏せる、のが常のタカラヅカ。
でも今回は、その仕事をだいもんがやっていた。
ちぎくんにそれが出来ないからだいもんがやった、わけじゃない。
今回は原作の縛りがあり、剣心役のちぎくんにはその役割りを振れなかったんだ。剣心がそんなにあくせくハイテンションじゃおかしいもの。
オリキャラで原作の縛りのない加納が、その役を担った。
そうやって高熱に発光している加納を倒すことで、剣心の大きさも示せる。
双方に舞台力があり、信頼関係があってこその役割分担だと思う。
まあ、だいもんが勝手に暴走してるだけかもしんないけど。
それでもゆるがないちぎくんはオトコマエだ。
わたしはだいもんがだいもんであると、感動する人なので。
初日付近の役と作品にとまどっている、手探りっぽいあたりは楽しめなかった。
覚悟を決めてアクセル踏んでからだ。
楽しくてたまらないのは。
いやあ、もお、好きだわ……。
だいもんのこういうとこ、大好きだわ。
空気を動かす力。
それを持っている、ということにも感動するし、それを体感することに快楽をおぼえる。
でも、それ以上に。
「空気を動かす」という覚悟を持ち、現に実行している事実、に感動する。
強い、意志の力。
ひとを、空気を動かす、……動かすと決めた、力。
それを持っている人に、感動するんだ。
泣くんだ。
はー。
駄作もいいもんだね。舞台人の底力を見られて。
……駄作ではなく、作品も役者も両思いゆえに奇跡を生む、そんな舞台が観たいけどな。
でも、本当の意味で楽しくなったのは、だいもんがだいもん全開になってからだと思う。
わたしにとっては。
ひとさまがどうだかは、知りません。
加納惣三郎@だいもんって、ひどい役じゃないですか。
ぶっちゃけいらないし、意味わかんないし、バカだし、かっこ悪いし。
べらべら喋るけど、ナニ言ってんのかマジわかんないし。論理破綻しまくってるし。
たぶん、だいもんも役のアレはさわかってるんだと思う。や、ふつーのアタマがあれば、「おかしい」ってわかるだろうし。
どんなにおかしな脚本でも、生徒は先生に「おかしい」とは言えないんだろうな。過去の公演を見ていてもわかる。
この役はおかしい。それはもう、変えられない現実。ならば、そのおかしい役を、「おかしいと感づかれないように演じる」しかない。過去のありとあらゆる公演で、多くのスターたちがそうしてきたように。
舞台は役者のもの。アホ脚本を佳作に押し上げるのは、役者だ。
だいもんが、アクセル踏んだ。
わたしは大体週1~2回の割合で、バランス良く観てきたつもりなんだけど。
公演中盤辺りから、だいもんが変わった。
加納さんの熱量がすごい。
脚本の粗を、自分が高速回転して発光して発熱して、押し隠すつもりだ。なかったことにするつもりだ。
加納は脚本の破綻を全部押し付けられている。彼の言動がおかしいからすべての事件が起こる。だから、その元凶である加納さんが「自分のしていることは破綻してない、筋が通っている」と力尽くで主張し、舞台全体の色を決めることで、舞台が変わる。
すごい。
ただもう、息を飲んだ。
力技キターー!
クライマックスの剣心@ちぎくんVS加納の場面の、あの気合いと覚悟。
持ってく気だ。
この作品の闇を全部、ひとりで集約し、ひとりで背負っている。
主役のちぎくんには背負わせない。ちぎくんはきれいなまま、公演の看板として頂点に立ってくれていればいい。だいもんが発する熱量に、ただ沿ってくれればいい。それが主役の仕事、トップスターの責務。
駄作に足を取られて、倒れてはいけない。
悪いのは全部加納。剣心は剣心でありつづける。
役の役割りとリンクしている。
だいもんが高速回転している。「だいもん力」を全開で放出している。ほら、『アル・カポネ』の裁判シーンとかで放出する、とんでもない力……「だいもん力」としか言いようのないパワー。
うおー、ここで「だいもん力」放出しますか、主演舞台以外でここまでやるのって、『BUND/NEON 上海』以来? いや、『BUND/NEON 上海』は本人無意識でしょ、ブレーキの存在を知らなかった幼さゆえの事故みたいなもん。だいもんが全開すぎてまぁくんファンが苦い顔してたっけ。全部持ってくからなー。
大人になった今は、意識した上でアクセル踏んでいると思う。そこにあるのは2番手としての責任感、そしてちぎくんへの信頼感?
全開のだいもんに巻き込まれず、ちぎくんは自分のスタンスを貫いている。トップの貫禄。そうよ、巻き込まれちゃいけない、だいもんは良くも悪くも周りを巻き添えにするから。
ちぎくんなら大丈夫、そう思えるからこそのアクセル全開。
いやー……涙出た。
だいもんの「だいもん力」全開ぶりに。
この人、ここまでやるんだ、と。
こんなひどい作品なのに……いや、ひどい作品だからこそ、全部背負って走るんだ。
『BUND/NEON 上海』のときみたいに憑依してるんじゃなくて、あくまでも自分の意志の力であそこまで持って行くことに、胸が痛くなった。
だいもんは『アル・カポネ』をやったことで、「駄作の背負い方」をおぼえたんだと思う。
今までどんだけ駄作に出演していても、大きな役をもらってなかったから、背負いようがなかった。
雪組にやってきてからは、作品に恵まれていたから、そこまでする必要がなかった。
でも、『アル・カポネ』で「駄作で真ん中を張る」経験をして。どんだけ間違っている脚本でも破綻したキャラクタでも、自分の力で吹っ飛ばせることを体感した。
その経験が、活きてるんだなぁ。しみじみ。
「駄作を力技で佳作に変える」のはトップスターの仕事。どんだけ美貌でも技術があっても、このスキルを持たない人は、タカラヅカのトップスターには不向き。
だいもんはまたひとつ、スキルを取得したんだなあ。
トップスターが熱量全開にして吠えて暴れて、駄作を力技でねじ伏せる、のが常のタカラヅカ。
でも今回は、その仕事をだいもんがやっていた。
ちぎくんにそれが出来ないからだいもんがやった、わけじゃない。
今回は原作の縛りがあり、剣心役のちぎくんにはその役割りを振れなかったんだ。剣心がそんなにあくせくハイテンションじゃおかしいもの。
オリキャラで原作の縛りのない加納が、その役を担った。
そうやって高熱に発光している加納を倒すことで、剣心の大きさも示せる。
双方に舞台力があり、信頼関係があってこその役割分担だと思う。
まあ、だいもんが勝手に暴走してるだけかもしんないけど。
それでもゆるがないちぎくんはオトコマエだ。
わたしはだいもんがだいもんであると、感動する人なので。
初日付近の役と作品にとまどっている、手探りっぽいあたりは楽しめなかった。
覚悟を決めてアクセル踏んでからだ。
楽しくてたまらないのは。
いやあ、もお、好きだわ……。
だいもんのこういうとこ、大好きだわ。
空気を動かす力。
それを持っている、ということにも感動するし、それを体感することに快楽をおぼえる。
でも、それ以上に。
「空気を動かす」という覚悟を持ち、現に実行している事実、に感動する。
強い、意志の力。
ひとを、空気を動かす、……動かすと決めた、力。
それを持っている人に、感動するんだ。
泣くんだ。
はー。
駄作もいいもんだね。舞台人の底力を見られて。
……駄作ではなく、作品も役者も両思いゆえに奇跡を生む、そんな舞台が観たいけどな。