彼は第三の男になり得るのか?@相続人の肖像
2015年10月18日 タカラヅカ 『相続人の肖像』は、昨今のバウにしてはめずらしいほどの、徹底的な絶望作品。ここまであざやかに「無理!」なのは久しぶり。スズキケイの『灼熱の彼方』以来かしら。
作品に絶望したのは、最後まで観終わってから。
1幕が終わった幕間では、まだこんなにひどい話だと思ってないから、ただただ困惑していた。
あまりに、つまらなくて。
主人公がアホ過ぎて、彼の悩みが全部彼のせいで、ナニを悩むのか理解出来ないし、演出的にも盛り上がる部分がナイ。
ここまでなにもない作品もめずらしい……これ、後半どうするんだろ? そもそも1幕使ってナニも起こってない……起こっていること全部主人公都合だから、主人公の気が変わるだけで終わっちゃうから、ナニも起こってないのと同じだし……。
で、あまりに困惑して、HPの作品解説を読んだ。
そこで、顎を落とす。
>遺言により、邸以外の財産はすべて後妻のヴァネッサと、彼女の連れ子であるイザベルに譲られることが約束されていた。
へ?
なんだこの設定?
本編とチガウよ?
財産は没収されちゃうのよね? ヴァネッサたちは無一文なのよね?
わたしが引っかかった設定のひとつ、伯爵は何故愛するヴァネッサに遺産を遺さなかったのか? が、作品解説ではちゃんと疑問を持たない設定になっている。
なんで脚本変更したの?
HPにある作品解説の方が、ずっとマシなのに。つか、ありがち設定なのに。
わざわざ間際に変更したってこと?
意味わからんわー。
そしてもうひとつ、驚いたこと。
>亡き父の不実の愛と、遺産相続を巡る騒動を背景に、貴族の青年の成長をユーモラスに描く。
ユーモラス?
どこが?
お墓(人の死)からはじまったこの物語、めっちゃシリアスですが?
おばーさまひとりお笑い担当で……。
あ、そうか。
この話のわけわからなさって、ここに答えがあるんだ。
と、思い至った。
コメディにしかならないネタを、重くドシリアスにやってるから、収まり悪いんだ。
チャーリーの「いやだいやだ、えーんえーん」というキャラクタぶりも、おばーさまの「手のひら返し、おほほほ」というわざとらしく滑稽なキャラクタぶりも、「きらーん、どかーん♪」と存在が浮きまくっているハロルドも。
コメディなら、アリなんだ!
でもでも、まったくもってコメディにはなってない。
ずんちゃんの芝居は重くて、暗い。
地に足つきまくっていて、軽妙さがナイ。
ユーモラスに描いていたなんて、まったく気づかなかったわ……。
『A-EN』がコメディだからアリだったようなもん、あのマンガ的な軽い話とキャラクタを、ドシリアスにやられてたらキツかったはず。深刻でゆるさのカケラもない世界観で、点数稼ぎに女の子利用する主人公とか、相当うまく描かないと地雷踏むよ? お気楽コメディだからOKだったけど。
作品解説が書かれたのはずっと前、それこそ企画段階のものよね……。
田渕せんせは最初、コメディ寄りに考えてたんだわ……。でも、出来上がったら何故か、無駄にシリアスになってた……ナニ? なんか「いい話」にするため?
意味わからん……。
で、混乱したまま、2幕を見て。
「信じられないくらいつまらない」は、「めっちゃムカつく」にランクアップしたのでした(笑)。
植爺、スズキケイと続く、第三の男になり得るか、田渕せんせ?
「ゆがんだ倫理観」「ひとの心を持たない無神経さ」が芯を貫き、「構成力皆無」「物語作れません」的なプロットがその特徴! てな(笑)
……たまたま、この作品でなんかのはずみで大失敗しちゃった、ってだけだといいな。
『サンクチュアリ』は見てないから知らないけど、『Victorian Jazz』も似た作りだったぞ? 主人公は無神経に犯罪を繰り返しながら罪悪感もなく、ストーリーは破綻、辻褄が合ってなかった。途中でテーマがぶれて、誰のナニを描きたくてはじめた物語か、わかんなくなってたよなー。『Victorian Jazz』はコメディだったから、無神経でもまだ逃げ道があったけど。
デビュー作と同じ間違いをしており、さらに品質レベルダウンしている、って、大丈夫か?
作品に絶望したのは、最後まで観終わってから。
1幕が終わった幕間では、まだこんなにひどい話だと思ってないから、ただただ困惑していた。
あまりに、つまらなくて。
主人公がアホ過ぎて、彼の悩みが全部彼のせいで、ナニを悩むのか理解出来ないし、演出的にも盛り上がる部分がナイ。
ここまでなにもない作品もめずらしい……これ、後半どうするんだろ? そもそも1幕使ってナニも起こってない……起こっていること全部主人公都合だから、主人公の気が変わるだけで終わっちゃうから、ナニも起こってないのと同じだし……。
で、あまりに困惑して、HPの作品解説を読んだ。
そこで、顎を落とす。
>遺言により、邸以外の財産はすべて後妻のヴァネッサと、彼女の連れ子であるイザベルに譲られることが約束されていた。
へ?
なんだこの設定?
本編とチガウよ?
財産は没収されちゃうのよね? ヴァネッサたちは無一文なのよね?
わたしが引っかかった設定のひとつ、伯爵は何故愛するヴァネッサに遺産を遺さなかったのか? が、作品解説ではちゃんと疑問を持たない設定になっている。
なんで脚本変更したの?
HPにある作品解説の方が、ずっとマシなのに。つか、ありがち設定なのに。
わざわざ間際に変更したってこと?
意味わからんわー。
そしてもうひとつ、驚いたこと。
>亡き父の不実の愛と、遺産相続を巡る騒動を背景に、貴族の青年の成長をユーモラスに描く。
ユーモラス?
どこが?
お墓(人の死)からはじまったこの物語、めっちゃシリアスですが?
おばーさまひとりお笑い担当で……。
あ、そうか。
この話のわけわからなさって、ここに答えがあるんだ。
と、思い至った。
コメディにしかならないネタを、重くドシリアスにやってるから、収まり悪いんだ。
チャーリーの「いやだいやだ、えーんえーん」というキャラクタぶりも、おばーさまの「手のひら返し、おほほほ」というわざとらしく滑稽なキャラクタぶりも、「きらーん、どかーん♪」と存在が浮きまくっているハロルドも。
コメディなら、アリなんだ!
でもでも、まったくもってコメディにはなってない。
ずんちゃんの芝居は重くて、暗い。
地に足つきまくっていて、軽妙さがナイ。
ユーモラスに描いていたなんて、まったく気づかなかったわ……。
『A-EN』がコメディだからアリだったようなもん、あのマンガ的な軽い話とキャラクタを、ドシリアスにやられてたらキツかったはず。深刻でゆるさのカケラもない世界観で、点数稼ぎに女の子利用する主人公とか、相当うまく描かないと地雷踏むよ? お気楽コメディだからOKだったけど。
作品解説が書かれたのはずっと前、それこそ企画段階のものよね……。
田渕せんせは最初、コメディ寄りに考えてたんだわ……。でも、出来上がったら何故か、無駄にシリアスになってた……ナニ? なんか「いい話」にするため?
意味わからん……。
で、混乱したまま、2幕を見て。
「信じられないくらいつまらない」は、「めっちゃムカつく」にランクアップしたのでした(笑)。
植爺、スズキケイと続く、第三の男になり得るか、田渕せんせ?
「ゆがんだ倫理観」「ひとの心を持たない無神経さ」が芯を貫き、「構成力皆無」「物語作れません」的なプロットがその特徴! てな(笑)
……たまたま、この作品でなんかのはずみで大失敗しちゃった、ってだけだといいな。
『サンクチュアリ』は見てないから知らないけど、『Victorian Jazz』も似た作りだったぞ? 主人公は無神経に犯罪を繰り返しながら罪悪感もなく、ストーリーは破綻、辻褄が合ってなかった。途中でテーマがぶれて、誰のナニを描きたくてはじめた物語か、わかんなくなってたよなー。『Victorian Jazz』はコメディだったから、無神経でもまだ逃げ道があったけど。
デビュー作と同じ間違いをしており、さらに品質レベルダウンしている、って、大丈夫か?