自己愛はあっても、作品愛はないイメージ。@シトラスの風III
2015年10月29日 タカラヅカ 全国ツアーは再演作品になる。
これは基本。だから、再演自体に問題はない。
ただ、新鮮味のない「再演」はつまんないなあ。
特に、ショー。
中日公演の『シトラスの風II』を観ていないので、わたしが『シトラスの風』を観たのは前世紀が最後だ。84期初舞台公演、宙組創設公演。
たかちゃんファンだったわたしはもちろん複数回ナマで観ているし、新しい組の誕生にどきどきわくわく、感動して観ていた……のを覚えている。
再演を観ていないんだから、17年ぶりの『シトラスの風』体験になるわけだ。
なのに。
『シトラスの風III』の、新鮮味のなさはどうだ。
ぶっちゃけ、「明日へのエナジー」見飽きた。
この17年の間に、「明日エナ」何回やったよ……。
『シトラスの風』はこれでようやく2回目の再演なのに、「明日エナ」だけは何回も何回もあちこちで、えんえん。
「名場面」と言われる場面を、1回限りの使い捨てで終わらせるのは惜しい。ショーなんて場面ごとが独立した存在だから、名場面だけ別の作品に入れても構成的には破綻しない。だから、リサイクルする。
……のは、別にいい。実際「明日エナ」は素晴らしい場面だ。
しかし、そうやってリサイクルに出した作品は、もう元の作品としては不完全である。
1枚の絵から、「この風車だけはよく描けたんだよねー。このまま埋まらせるのは惜しいから、今描いてる絵に貼り付けようっと」と、一部分切り抜いた。新しい絵はそれで1枚の絵に仕上がったかもしれないが、元の絵は、一部分が切り取られて空洞になっている。
その空洞になった絵を、「商品です。お金出して買ってください」と出してくるのはよせ。
「空洞じゃないですよ、切り抜いた風車はまた新しい絵から引っぺがして、元の場所に貼りましたから!」……って、そういう問題じゃない、切り取ったあとが残ってるし、この風車を使った別の絵で商売したあとじゃん!
繰り返すが、「明日エナ」は名場面だから、使い回すこと自体は別にいい。
でも、「明日エナ」ありきの『シトラスの風』を再演するのは、「なんかチガウ」と思う。
なまじ、「明日エナ」が正しく機能していた初演『シトラスの風』を知っているから。
あちこちで便利使いされて色褪せた「明日エナ」を「貼り戻した」様を見せられてもなあ。
なんで今、『シトラスの風』で、なにが『シトラスの風III』なんだろう?
まぁ様と新生宙組に、はたしてこの作品がベストか? 他に選択肢は、可能性はなかったのか?
何故『シトラスの風』の焼き直し、『シトラスの風III』か。
……わたしには、ただの手抜きに見えた。
まあねえ、岡田せんせになんの期待もしてないけどさー。
過去作品の切り貼りだけでなんとか体裁取り繕ってるご老体だもんなー。
『Rose Garden』の薔薇を水仙に変換しただけで『ナルシス・ノアールII』にしちゃうくらい、プライドも意欲も霧散した人だからなー。テーマ部分変えたら意味ナイ、ってふつーの創作者なら思うことを、まったく考えず、楽することしか頭にないっぽいもんなー。
それでもみっちゃんの全ツ『Amour それは・・・』は成立していたと思う。
みっちゃんが昭和スターで、岡田作品と合っていたからだ。
スターに合うなら、昭和でも過去の遺物でもなんでもいい。タカラヅカはスターありき。
しかし、まぁくんとみっちゃんを、同じ手法でまとめるのはよせ。
まぁくんも実は古いタイプのスターさんだと思ってはいるんだけど、それでもみっちゃんとはチガウから! まったくもってチガウから!
岡田せんせの「ナニも考えてない」ところが痛いです……。
まぁくんの客席降りの長さはナニゴト。
みっちゃんはまだ、成立した。
本気で歌ウマ、プラス、主張の激しい歌声だから。押しつけがましいから、声だけでも存在感ある。や、悪い意味に取らないでくれ、昭和のスターさんってのはそれくらい「やさしくない」強さががあった。
でも、まぁくんはチガウ。
空っぽの舞台を客に何分間も眺めさせて問題なし、なほどの圧倒的歌声、では、ごめん、まったくない。歌唱力も、表現力も、押しつけがましさも、すべてにおいて。
星組全ツと同じく3階席だったんだけど、ちょー歌ウマみっちゃんでも「演出家クソだな(毒舌)」と思ったのに、まぁくんでも同じことをするとか、わたしの岡田嫌いにさらに拍車が掛かりました(笑)。
創作者としていーかげんな人が嫌なのよ。
手抜きとか不誠実とか、ほんと無理なのよ。
創作者として、誇りとこだわりをもって作劇していたら、過去作の切り貼りとか恥ずかしくて出来ないじゃん?
過去は過去として大切にしたいけど、「それよりもっといいモノを創ってやる」と思うじゃん? 「私の最高傑作は次回作だ」であるべきでしょう?
そうでなければ、クリエイターなんかやめちまえ。
と、思っちゃうのよねえ。他人事だから、気軽に。
今の岡田さんは「終わった人」だと思っているけれど。
「明日へのエナジー」は素晴らしいと思っている。
見飽きたとか言ってごめん。
見飽きるぐらい何度も安く再演され続けてきた、それでも風化しない力強さのある名場面だと思う。
いいものは何度観たっていい。
感動する。
だから。
こんな素晴らしいモノを創った人に、誠意のナイ作劇をされるのが、エンタメ好きフィクション好きとして、とてもとても残念なんだ。
これは基本。だから、再演自体に問題はない。
ただ、新鮮味のない「再演」はつまんないなあ。
特に、ショー。
中日公演の『シトラスの風II』を観ていないので、わたしが『シトラスの風』を観たのは前世紀が最後だ。84期初舞台公演、宙組創設公演。
たかちゃんファンだったわたしはもちろん複数回ナマで観ているし、新しい組の誕生にどきどきわくわく、感動して観ていた……のを覚えている。
再演を観ていないんだから、17年ぶりの『シトラスの風』体験になるわけだ。
なのに。
『シトラスの風III』の、新鮮味のなさはどうだ。
ぶっちゃけ、「明日へのエナジー」見飽きた。
この17年の間に、「明日エナ」何回やったよ……。
『シトラスの風』はこれでようやく2回目の再演なのに、「明日エナ」だけは何回も何回もあちこちで、えんえん。
「名場面」と言われる場面を、1回限りの使い捨てで終わらせるのは惜しい。ショーなんて場面ごとが独立した存在だから、名場面だけ別の作品に入れても構成的には破綻しない。だから、リサイクルする。
……のは、別にいい。実際「明日エナ」は素晴らしい場面だ。
しかし、そうやってリサイクルに出した作品は、もう元の作品としては不完全である。
1枚の絵から、「この風車だけはよく描けたんだよねー。このまま埋まらせるのは惜しいから、今描いてる絵に貼り付けようっと」と、一部分切り抜いた。新しい絵はそれで1枚の絵に仕上がったかもしれないが、元の絵は、一部分が切り取られて空洞になっている。
その空洞になった絵を、「商品です。お金出して買ってください」と出してくるのはよせ。
「空洞じゃないですよ、切り抜いた風車はまた新しい絵から引っぺがして、元の場所に貼りましたから!」……って、そういう問題じゃない、切り取ったあとが残ってるし、この風車を使った別の絵で商売したあとじゃん!
繰り返すが、「明日エナ」は名場面だから、使い回すこと自体は別にいい。
でも、「明日エナ」ありきの『シトラスの風』を再演するのは、「なんかチガウ」と思う。
なまじ、「明日エナ」が正しく機能していた初演『シトラスの風』を知っているから。
あちこちで便利使いされて色褪せた「明日エナ」を「貼り戻した」様を見せられてもなあ。
なんで今、『シトラスの風』で、なにが『シトラスの風III』なんだろう?
まぁ様と新生宙組に、はたしてこの作品がベストか? 他に選択肢は、可能性はなかったのか?
何故『シトラスの風』の焼き直し、『シトラスの風III』か。
……わたしには、ただの手抜きに見えた。
まあねえ、岡田せんせになんの期待もしてないけどさー。
過去作品の切り貼りだけでなんとか体裁取り繕ってるご老体だもんなー。
『Rose Garden』の薔薇を水仙に変換しただけで『ナルシス・ノアールII』にしちゃうくらい、プライドも意欲も霧散した人だからなー。テーマ部分変えたら意味ナイ、ってふつーの創作者なら思うことを、まったく考えず、楽することしか頭にないっぽいもんなー。
それでもみっちゃんの全ツ『Amour それは・・・』は成立していたと思う。
みっちゃんが昭和スターで、岡田作品と合っていたからだ。
スターに合うなら、昭和でも過去の遺物でもなんでもいい。タカラヅカはスターありき。
しかし、まぁくんとみっちゃんを、同じ手法でまとめるのはよせ。
まぁくんも実は古いタイプのスターさんだと思ってはいるんだけど、それでもみっちゃんとはチガウから! まったくもってチガウから!
岡田せんせの「ナニも考えてない」ところが痛いです……。
まぁくんの客席降りの長さはナニゴト。
みっちゃんはまだ、成立した。
本気で歌ウマ、プラス、主張の激しい歌声だから。押しつけがましいから、声だけでも存在感ある。や、悪い意味に取らないでくれ、昭和のスターさんってのはそれくらい「やさしくない」強さががあった。
でも、まぁくんはチガウ。
空っぽの舞台を客に何分間も眺めさせて問題なし、なほどの圧倒的歌声、では、ごめん、まったくない。歌唱力も、表現力も、押しつけがましさも、すべてにおいて。
星組全ツと同じく3階席だったんだけど、ちょー歌ウマみっちゃんでも「演出家クソだな(毒舌)」と思ったのに、まぁくんでも同じことをするとか、わたしの岡田嫌いにさらに拍車が掛かりました(笑)。
創作者としていーかげんな人が嫌なのよ。
手抜きとか不誠実とか、ほんと無理なのよ。
創作者として、誇りとこだわりをもって作劇していたら、過去作の切り貼りとか恥ずかしくて出来ないじゃん?
過去は過去として大切にしたいけど、「それよりもっといいモノを創ってやる」と思うじゃん? 「私の最高傑作は次回作だ」であるべきでしょう?
そうでなければ、クリエイターなんかやめちまえ。
と、思っちゃうのよねえ。他人事だから、気軽に。
今の岡田さんは「終わった人」だと思っているけれど。
「明日へのエナジー」は素晴らしいと思っている。
見飽きたとか言ってごめん。
見飽きるぐらい何度も安く再演され続けてきた、それでも風化しない力強さのある名場面だと思う。
いいものは何度観たっていい。
感動する。
だから。
こんな素晴らしいモノを創った人に、誠意のナイ作劇をされるのが、エンタメ好きフィクション好きとして、とてもとても残念なんだ。