勝手に『金色の砂漠』妄想展開。
 主人公ギィがわたし的につまらないから、どうやったらわたし好みになるか、というアタマの体操、続き。


 ギィは、復讐などするつもりはなかった。

 理由があって、あえて「復讐」という言葉を使っていただけ。
 本当は、タルハーミネを恨んでなどいない。
 だって、タルハーミネがタルハーミネだから、愛したんだもの。彼女が誇りを選び、ギィを殺そうとしたのは当然のこと。そういう彼女だから愛した、むしろ惚れ惚れした……くらいなのに、恨むはずがない。

 ギィが求めたのは、因果応報。
 ジャハンギールは力尽くで王になり、先王の妃だったアムダリヤを妻にした。
 その話をアムダリヤから聞き、自分が成すべきはタルハーミネと逃げて貧乏暮らしをすることではない、自分が王になってタルハーミネを妃にすることだと気づいた。
 ジャハンギールが撒いた種は、時を経て、同じ花を咲かせる。彼がしたように、ギィも力尽くで王になる。

 復讐のふりをしたのは、その方がタルハーミネが楽になるから。
 復讐者に力尽くで奪われる。家族の命を盾に取られ、仕方なく従う。昔、自分がギィに惨いことをしたのだから、報復されるのも仕方がない。
 そう、彼女が彼女自身に言い訳を出来るように。

 たとえギィが立派な王になって戻って来ても、タルハーミネはギィを受け入れない。
 ギィを殺せと命じた自分を責め、苦しみながら生き続けるだけ。
 それなら、ギィはあえて悪役になり、復讐で惨い行為をしてみせることで、タルハーミネの心を救おうとした。

 ジャハンギールとアムダリヤが、愛し合いながらも「簒奪者と被害者」であり続けたように、ギィとタルハーミネも「復讐者と罪人」のまま共に生きることは出来る。
 ジャハンギールとアムダリヤが、それでも、愛し合いながら暮らしたように。
 共に生きることで、ギィとタルハーミネは、癒し合うことが出来ただろう。

 だからあえて、復讐という言葉を使った。
 苛烈な怒りを装った。

 すべては、タルハーミネのために。
 因果はめぐり、ジャハンギールは己の行いゆえに、身を滅ぼす。
 ギィもまた、いずれ応報を得るだろう。それでもいい。

 ただ、愛のために。


 だけどタルハーミネは、すべてを察していた。
 ギィが復讐するために戻って来たのではないことを、知っていた。

 だって、見てしまったから。
 ギィの処刑を宣言したタルハーミネに向けられた、あの微笑みを。
 ギィは、こんな自分をあるがまま愛してくれたんだ。
 そんな男が、復讐なんて考えるはずがない。
 それを装っているとしたら、すべては自分のためだ。

 誇りのために、愛する男を殺そうとした、そんな度しがたい女のために、悪鬼にまで堕ちてみせた……そんな男に、なにを返せるというんだ。

 砂漠へさまよい出るタルハーミネと、彼女を追うギィ。
 金色の砂漠を探して。

「焼け付くような憎しみの中で、俺はお前に恋したのだ!」
 キメ台詞は同じ。
 だけどタルハーミネは笑う。
「うそつき」
 復讐なんて、考えてないくせに。そんな愚かな人ではないくせに。
 あの微笑みが真実なのに、憎しみに憑かれたふりをして。
 優しい自分を殺して、冷酷なふりをして、何年も何年も、闘い続けた男。

 誇りのために、愛を殺すしかなかった女。
 そんな女を愛したために、自分を殺すしかなかった男。

 ふたりは金色の砂漠で、ようやくひとつになる。
 あるがままの、むきだしの魂で。


 ……というのが、わたし好みのギィ、わたし好みの展開。
 ストーリーも台詞もウエクミまんま。ラストシーンに補正を入れるだけで変更可能。
 ギィが復讐者になっていると、観客をミスリードして、最後に真実を明かしてどんでん返し。全部演技だったんだ、タルハーミネの心を救うための!と。でもってタルハーミネ、全部わかってたんだ!と。

 幼いメンタルしか持たなかったギィが、愛を知り、劇的に変化する。
 度量の深い大人の男になって、戻ってくる。それこそカタルシス。

 や、勝手な妄想です、アタマの体操です。
 ああ楽しい。

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