「秘技オウム返し」は嫌い。@桜華に舞え
2016年12月20日 タカラヅカ 焼き直しの話が出たので、今ごろですが、『桜華に舞え』の感想で書き損なっていたことをば。
わたしは、『桜華に舞え』は好きじゃない。
『JIN-仁-』をさんざん観たから、もう飽きた。……というのは冗談だけど。いちいち『JIN-仁-』を思い出すのでめんどくさい。
べつに、『JIN-仁-』も好きじゃなかったし~~。や、思い入れはあるし、面白がってはいたし、萌えはあったけれど、ぶっ壊れすぎていて、あくまでひとつの作品としては、わたしの好みではなかった。
『桜華に舞え』は『JIN-仁-』の焼き直しだろう。わたしはそう思っている。白いジグソーパズルに別の絵を印刷したみたいな印象。絵は違うけど、ピース自体は同じ。
そして、『桜華に舞え』は『JIN-仁-』ほど予算がなかったのか、同じことをやったら画面が寂しくなっちゃった感じ。『エル・アルコン-鷹-』の焼き直しで作られた『TRAFALGAR』が、予算が雲泥の差で残念になっちゃったように。(『TRAFALGAR』は軍服新調したらセットにかけるお金がなくなったんだろうなー、と)
救いは、『桜華に舞え』が『JIN-仁-』の上位互換であること。
元は同じであっても、『桜華に舞え』の方がまともな作りになっている。『JIN-仁-』での失敗を踏まえて、それよりは良いモノを作れたんだろうなと。
……というか、原作アリの『JIN-仁-』より、オリジナルの『桜華』の方が、サイトーくんのリビドーに合っているから、作りやすかったのだと思う。
サイトーくんのリビドー。萌えシチュ。
男ふたりの愛憎。クライマックスはふたりの決闘。死にEND。破滅萌え。
主人公はチームのリーダー。義賊だと最高。男には「義」がなくちゃね! 権力者に逆らうのだ! そして、チームの仲間たちは戦って次々と息絶えていく。
主人公を憎み、追い続ける妄執キャラ(顔に傷あり)。
アニメ的「心の声」多用。
ずばり、アニメ(もしくは実写映像)を使う。
マザコン。実母にヨシヨシされる。
ヒロインに求めるモノは母性。ヒロインにヨシヨシされる。
……てのを、高確率で満たしてるよね、『桜華』。てゆーか、初心に返ったかのように、萌えに忠実に作られてるよね。
わたしはサイトーくんのリビドー作品好きだから、それは別にいいんだ。彼の恥ずかしいまでの赤裸々な欲望は、観ていて面白かった。
多少ぶっ壊れていても、エンタメとして盛り上がれば良し。キャラ萌え、シチュ萌えは整合性はより優先してイイ。あくまでも、面白ければ。
面白ければ正義。美しければ正義。
……なんだけど、『桜華』はわたし、面白さも美しさもいまいちだから、評価低い。
幹となるストーリー自体は、いつものサイトーくんだから、それはいい。
その幹を彩る枝葉が……タカラヅカ的じゃない。
近代日本の戦争モノなんて、タカラヅカでは観たくないわー。
美しくないんだもん。ファンタジーが少ないんだもん。
しかも2番手格が西郷隆盛って、ヅカで取り上げるキャラじゃないでしょう。
や、西郷隆盛でも徳川家康でも、なんでもタカラヅカ的にしちゃえばありよ、キラキラの美青年なら。
『花のもとにて春』の武蔵坊弁慶@トドロキなんか、登場した最初の口上で「弁慶は中年の醜男だという説は忘れろ! この物語ではこの通りの美青年だ!」と観客に宣言して、「ああ、この作品ではこういう世界観なんだ」と納得させてくれたわ。
タカラヅカを観に来た客は、「西郷隆盛がキラキラ美青年だなんて、さすがタカラヅカ」と思うだけのことよ。「タカラヅカってそういうもん」という認識が、一般人にも浸透しているのだから。
で、台詞が方言重視で聞き取りにくいし。そんなリアルさは求めてない。
『ベルサイユのばら』をフランス語で上演しないように、どこが舞台でも現代日本語・共通語で上演していいのよ。
ファンタジーが足りない。
ゆえに、好きじゃない。
『Young Bloods!!』で太平洋戦争と東京裁判やったのと同種の自己中さを感じた。自分が好きだからやりました、この題材がヅカに合うかどうかは考えてません、的な。
作品クオリティは『JIN-仁-』の方が遙かに低かったけれど、あっちはファンタジーがあったからまだマシだー。
でもって『JIN-仁-』でも大嫌いだった「秘技オウム返し」がえんえんと、パワーアップして再現されて、かなり辟易したよ、『桜華に舞え』。
「日本が美しくあって欲しか」
「日本が」
~間、台詞ふたつ~
「おい達みたいなみたいなもんは足枷になる」
「足枷?」
「おい達侍は死して次の時代へのこやしになる」
「死して次の時代へ」
~間、台詞ふたつ~
「ボケ桜じゃあ」
「ボケ桜?」
てな風に、オウム返しで会話が進む。
わたしコレ、ほんとキライで。
会話を進めるためのオウム返しはいいのよ。ふたりの人物が同等に会話しているなら。
この「秘技オウム返し」は、喋らせたいのがひとりだけで、その「喋らせたい台詞」があまりに長いので、ひとり芝居じゃあるまいしキャラが正面向いてえんえん客席へ演説する場面にしたくないから、「合いの手係」を用意しただけ、という場合に使用する。
よーするに、手抜き。
『JIN-仁-』で主人公とヒロインの会話でやってたことを、そのまま今回も主人公とヒロインの会話でやるってのがもう、「焼き直しなのはわかったから、少しは取り繕ってくれ」と頭抱えたニャ……。
台詞で主人公の考えだとか生き方を「解説」できるから、「ヒロインとのイイ場面」に使うんだろうけど、「ヒロインとのイイ場面」っていうのは「主人公の、今までのあらすじ」を解説することじゃないのになー。
『JIN-仁-』にしろ『桜華に舞え』にしろ、恋愛部分が薄いのは、ラブシーンの有無ではなく、こういうところにあると思う。
主人公とヒロインの場面で「恋愛」の発展がなく、「あらすじ解説」しかしない。サイトーくんが女性との恋愛に興味ないんだろうけどさー。手抜き反対ー。
みっちゃんには合った作品で、みっちゃんがかっこよかったから、それだけで点数が底上げされてるけどさ。
役が多くて組ファンなら楽しい、というのも『JIN-仁-』と同じで、そこはもちろん評価上がるけどさ。
わたしは好きじゃないのだわ。
わたしは、『桜華に舞え』は好きじゃない。
『JIN-仁-』をさんざん観たから、もう飽きた。……というのは冗談だけど。いちいち『JIN-仁-』を思い出すのでめんどくさい。
べつに、『JIN-仁-』も好きじゃなかったし~~。や、思い入れはあるし、面白がってはいたし、萌えはあったけれど、ぶっ壊れすぎていて、あくまでひとつの作品としては、わたしの好みではなかった。
『桜華に舞え』は『JIN-仁-』の焼き直しだろう。わたしはそう思っている。白いジグソーパズルに別の絵を印刷したみたいな印象。絵は違うけど、ピース自体は同じ。
そして、『桜華に舞え』は『JIN-仁-』ほど予算がなかったのか、同じことをやったら画面が寂しくなっちゃった感じ。『エル・アルコン-鷹-』の焼き直しで作られた『TRAFALGAR』が、予算が雲泥の差で残念になっちゃったように。(『TRAFALGAR』は軍服新調したらセットにかけるお金がなくなったんだろうなー、と)
救いは、『桜華に舞え』が『JIN-仁-』の上位互換であること。
元は同じであっても、『桜華に舞え』の方がまともな作りになっている。『JIN-仁-』での失敗を踏まえて、それよりは良いモノを作れたんだろうなと。
……というか、原作アリの『JIN-仁-』より、オリジナルの『桜華』の方が、サイトーくんのリビドーに合っているから、作りやすかったのだと思う。
サイトーくんのリビドー。萌えシチュ。
男ふたりの愛憎。クライマックスはふたりの決闘。死にEND。破滅萌え。
主人公はチームのリーダー。義賊だと最高。男には「義」がなくちゃね! 権力者に逆らうのだ! そして、チームの仲間たちは戦って次々と息絶えていく。
主人公を憎み、追い続ける妄執キャラ(顔に傷あり)。
アニメ的「心の声」多用。
ずばり、アニメ(もしくは実写映像)を使う。
マザコン。実母にヨシヨシされる。
ヒロインに求めるモノは母性。ヒロインにヨシヨシされる。
……てのを、高確率で満たしてるよね、『桜華』。てゆーか、初心に返ったかのように、萌えに忠実に作られてるよね。
わたしはサイトーくんのリビドー作品好きだから、それは別にいいんだ。彼の恥ずかしいまでの赤裸々な欲望は、観ていて面白かった。
多少ぶっ壊れていても、エンタメとして盛り上がれば良し。キャラ萌え、シチュ萌えは整合性はより優先してイイ。あくまでも、面白ければ。
面白ければ正義。美しければ正義。
……なんだけど、『桜華』はわたし、面白さも美しさもいまいちだから、評価低い。
幹となるストーリー自体は、いつものサイトーくんだから、それはいい。
その幹を彩る枝葉が……タカラヅカ的じゃない。
近代日本の戦争モノなんて、タカラヅカでは観たくないわー。
美しくないんだもん。ファンタジーが少ないんだもん。
しかも2番手格が西郷隆盛って、ヅカで取り上げるキャラじゃないでしょう。
や、西郷隆盛でも徳川家康でも、なんでもタカラヅカ的にしちゃえばありよ、キラキラの美青年なら。
『花のもとにて春』の武蔵坊弁慶@トドロキなんか、登場した最初の口上で「弁慶は中年の醜男だという説は忘れろ! この物語ではこの通りの美青年だ!」と観客に宣言して、「ああ、この作品ではこういう世界観なんだ」と納得させてくれたわ。
タカラヅカを観に来た客は、「西郷隆盛がキラキラ美青年だなんて、さすがタカラヅカ」と思うだけのことよ。「タカラヅカってそういうもん」という認識が、一般人にも浸透しているのだから。
で、台詞が方言重視で聞き取りにくいし。そんなリアルさは求めてない。
『ベルサイユのばら』をフランス語で上演しないように、どこが舞台でも現代日本語・共通語で上演していいのよ。
ファンタジーが足りない。
ゆえに、好きじゃない。
『Young Bloods!!』で太平洋戦争と東京裁判やったのと同種の自己中さを感じた。自分が好きだからやりました、この題材がヅカに合うかどうかは考えてません、的な。
作品クオリティは『JIN-仁-』の方が遙かに低かったけれど、あっちはファンタジーがあったからまだマシだー。
でもって『JIN-仁-』でも大嫌いだった「秘技オウム返し」がえんえんと、パワーアップして再現されて、かなり辟易したよ、『桜華に舞え』。
「日本が美しくあって欲しか」
「日本が」
~間、台詞ふたつ~
「おい達みたいなみたいなもんは足枷になる」
「足枷?」
「おい達侍は死して次の時代へのこやしになる」
「死して次の時代へ」
~間、台詞ふたつ~
「ボケ桜じゃあ」
「ボケ桜?」
てな風に、オウム返しで会話が進む。
わたしコレ、ほんとキライで。
会話を進めるためのオウム返しはいいのよ。ふたりの人物が同等に会話しているなら。
この「秘技オウム返し」は、喋らせたいのがひとりだけで、その「喋らせたい台詞」があまりに長いので、ひとり芝居じゃあるまいしキャラが正面向いてえんえん客席へ演説する場面にしたくないから、「合いの手係」を用意しただけ、という場合に使用する。
よーするに、手抜き。
『JIN-仁-』で主人公とヒロインの会話でやってたことを、そのまま今回も主人公とヒロインの会話でやるってのがもう、「焼き直しなのはわかったから、少しは取り繕ってくれ」と頭抱えたニャ……。
台詞で主人公の考えだとか生き方を「解説」できるから、「ヒロインとのイイ場面」に使うんだろうけど、「ヒロインとのイイ場面」っていうのは「主人公の、今までのあらすじ」を解説することじゃないのになー。
『JIN-仁-』にしろ『桜華に舞え』にしろ、恋愛部分が薄いのは、ラブシーンの有無ではなく、こういうところにあると思う。
主人公とヒロインの場面で「恋愛」の発展がなく、「あらすじ解説」しかしない。サイトーくんが女性との恋愛に興味ないんだろうけどさー。手抜き反対ー。
みっちゃんには合った作品で、みっちゃんがかっこよかったから、それだけで点数が底上げされてるけどさ。
役が多くて組ファンなら楽しい、というのも『JIN-仁-』と同じで、そこはもちろん評価上がるけどさ。
わたしは好きじゃないのだわ。