『双頭の鷲』は、とことん美しいけどタカラヅカらしくない、というのも、わたしには残念ポイント。タカラヅカでしか出来ない美しい作品なのに、タカラヅカらしくないとはこれいかに。

 タカラヅカは大衆演劇であると思っているから。エンタメだと思っているから。『双頭の鷲』はチガウなと。

 『双頭の鷲』はエンタメよりも純文学寄りの作りだと思う。美しくあることを優先して、タカラヅカの持つダサい部分を排除した。
 芸術性の高さをすごいなと思う。
 けど、わたしは高尚なものより俗っぽいものが好き。アタマ悪いから、難しいモノは理解できないの。てへ。

 この高尚っぽい静かな凪のような作品で、突然ざっぱーーんとマンガちっくな波を立てる、愛ちゃんが素敵すぎる。

 愛ちゃんひとり、世界観違うんだけどいいのアレ。
 景子せんせの計算なのか、愛ちゃんにはアレしか出来ないのか、判断つかなくて混乱する(笑)。

 狂言回しのそらやパパラッチたちは、物語を割って入るからトドとみりおんのふたり芝居に集中してガーガー泣いてたりするわたしは、水を差されて正気に返り、水増し要因イラネと思う。
 が、彼らはべつに、世界観を壊すとは思わないんだ。
 彼らは演劇的手法でそこにいるだけで、いらないけど同じ作品内にいる、同じカラーを持っている。

 でも、愛ちゃんは逆だ。
 物語には必要な役。なのに、世界観が違う。
 繊細な筆致の絵画の中に、紙と絵の具や鉛筆の世界に、突然デジタルなアニメキャラが登場する。
 画材も次元も違いますがな、愛ちゃん今どきの今どきのフルCGアニメだよね? ちょっとマネキン入ってる、表情や動きが不自由な感じのやつ。

 愛ちゃんがあまりに愛ちゃんで、心震える。

 だって、愛ちゃんが出てくると、突然そこが「タカラヅカ」になるんだもの!
 タカラヅカを超えた高尚な舞台から、一気にただのタカラヅカになる。
 そしてわたしは、タカラヅカが好き。
 世界観ぶち壊して「ザ・タカラヅカ!!」をはじめる愛ちゃんに腹筋鍛えられる。マジ面白い。好き。

 景子せんせが狙ってやってるのか、ただの愛ちゃん効果なのかはわからないけど。そして、狙ってなくてああなって、それでも許容されているのだとしたら、さらにすごいことだと思うけど。
 いいなあ、ほんと。

 フェーン伯爵@愛ちゃんがスタニスラス@トド様と絡むとことか、素晴らしいわ。トド様がすっぽり腕の中に入ってしまう、体格差がイイ。愛ちゃんってほんとカラダ美形さん。

 高尚すぎず、ずっとこの「タカラヅカ」的世界観で作ってくれたら、もっと好きだったな、きっと。

 愛ちゃんがいてくれて良かった。

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