マサツカ作品は動きが少ないし舞台の情報量も省エネなので、カメラで登場人物をアップで撮るだけで済む。
 坐って会話するふたりを交互に撮るだけ、テレビドラマと同じ手法で問題ない。
 ゆえに、ライブ中継で事足りると思った。
 中継に向いてる、むしろ広大な劇場で見るより細部が伝わっていいはず、中継楽しみ。
 そう思って見に行った、『私立探偵ケイレブ・ハント』東宝千秋楽ライブ中継

 でも、期待に反して、ライブ中継はライブ中継でしかなかった。
 映像だと、伝わる情報が少ない。
 ちぎみゆの濃密な芝居を、映像だと映し切れてない感じ。

 変だなあ、まっつのときは映像の方がよかったのに……と首をひねり、はっと気がついた。
 そもそもわたし、ちぎみゆ場面はちぎみゆ見てるわ!

 えー、「まっつのとき」というのは、『La Esperanza』新人公演を指します。
 ナマ観劇したときと、あとからスカステで新公映像を見たときとで、印象がまったく違ったの。
 映像を見てはじめて、主人公のまっつがとてもいい芝居をしていることを知ったの。てゆーか、まっつが主人公なんだってことがわかったの。
 ナマで見ているときは、ぜんぜん彼が目に入ってこなくてね。
 わたしにとって『La Esperanza』の主人公は、ヒロインのあすかちゃんだった。彼女を中心に見ていたもんだから、まっつは「主人公の相手役」でしかなく、小さくて地味な彼は広大な舞台に埋もれ、意識して見ないとどうしているのかわからなくなりがちだった。

 あすか主役の青春物語。がんばる女の子の仕事と恋、そして人生。日常の中にあるよろこびとしあわせを綴ったハートウォーミング・ストーリー。本公演と違って、主人公カップルが「恋愛」していたから、本公演よりよっぽどラブストーリーだったけど、あくまでもヒロイン中心。
 そう思っていたから、テレビで見たモノが、わたしの見たモノと違いすぎてびっくりした。

 だって、スカステのカメラは忠実に「主演」のまっつを撮っていた。彼が台詞を言うときは、彼が映るのよ。
 ストーリー展開に従って、主役がアップになる。わたしが見たことのない人が、ばんばん映って、その人を中心に話が進む。
 舞台だとどこにいるのかわかんないくらい地味でも、テレビではアップで撮ってくれるから、画面に他の人は映らないから、彼が主役に見える。
 そうか、これ、そういう話だったんだ……!
 ナマで観たときは、知らなかった。

 わたしはナマ観劇派で、映像は基本見ない。『La Esperanza』新公だって、録画だけして、見ることなかった。
 新公当時は「地味で主役に見えない」とひどい評価をしていたにもかかわらず、その後まっつにすこーんとハマって。惚れ込んで。
 昔録画した、彼の新公主演作品を見直したのよ。

 そしたら、まっつはちゃんと「主役」だった。
 ナマとチガウ、「カメラ」という視点によって再構築された作品は、あの日わたしが観たモノとは、まったく別モノだった。

 で、カメラが映してくれるまっつを見ると、とてもかっこよくていい芝居してて、まっつとあすかの「恋愛物語」だった……ガチにラブストーリーだった……しかも泣ける……。

 てな経験が痛烈だったために。
 マサツカ芝居は映像も楽しい。映像イケる。そう思い込んでいた。

 『La Esperanza』新公映像が衝撃的だったのは、わたしが主役のまっつをろくに観てなかったためか。
 ナマで観ていないモノを、映像ではきちんと見せてくれた。だから感動した。
 しかし『ケイレブ・ハント』は。
 わたし、ナマでちぎみゆ観てる……めっちゃ観てる……凝視してる……。
 それで映像見ても、そりゃ情報量落ちるわ……ナマの方が得られるモノ多いわ……。


 期待したほど、楽しくなかったのです、マサツカ作品。
 ごめんよハリー、映像で収まるなんて誤解してて。収まりません、そんなもんであるはずがない。わたしが間違ってた。
 マサツカお約束の「心象をダンスで表現する」踊る男や女も映像だとろくに見えず、魅力半減。
 マサツカ作品だって、他演出家作品と同じです。映像は映像でしかない。

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