ヅカブログではありますが、昔はここ、単なるヅカヲタの日記であり、日常のことも書いてました。
 その名残で、第34回『1万人の第九』メモ。

 朗読は佐々木蔵之介だった。
 ……いやあ、蔵之介氏が朗読やるってわかったときの、女性陣の食いつきすごい。
 わたしが『1万人の第九』のレッスンに通っている、と知っている人たちが、それ自体にはなんのコメントもなかったのに、出演が発表になるなり「佐々木蔵之介出るんだって?」と複数の人から声を掛けられた。え、そこ食いつくんだ。ちなみに、男性からはなんの突っ込みもなし。
 うーん、同年代女子に人気高いんだな、蔵之介氏。や、わたしも大好きだ(笑)。

 実際、佐々木蔵之介の朗読はすごかった。

 わたしは2年前の井川遥の朗読しか知らないわけなんだけど、そのときは間違いなく「朗読」で、文章を正しく声に出して読んでいた。
 1万人の合唱団と数千人の観客と何百人のスタッフと何十人のオーケストラとマスコミとテレビカメラに注視され、広大なホールでただひとりスポットライトを浴びて古めかしい詩を朗読する、ってどんだけ緊張するだろう。
 噛まずに読むのだけでも大変だよなああ。仕事とはいえ、重責だなああ。
 そんな風に思って、眺めていたっけ。

 それがアタマにあるもんだから、蔵之介氏にはもう、第一声からびっくりさせられた。

 蔵之介氏は、吠えた。

 「朗読」ではなかった。
 突然、「演劇」がはじまった。

 読んでいる詩は、同じモノなんだけど。
 表現方法が、まったくチガウ。

 古典劇でも観ているかのような、パワーの塊が叩きつけられた。
 言葉に熱と重さが加わり、物語が形作られる。
 物語の一片であり、それ自体が一篇の物語であるようにも思えた。

 す……っ、げえ……!!

 「朗読」って、こんなのもアリなのか。
 ここまでかっとばしていいもなのか。

 兄弟たちよ! 語りかけられ、拳を握った。
 熱いモノが確かにおなかの奥にずしんときた。届いた。
 そうだ、わたしたちはひとつになる。よろこびのうたを歌う。

 ……てことで、めっちゃ盛り上げていただきました、佐々木蔵之介! 彼の舞台演劇調の朗読から、ドラマチックに「第九」を堪能、歌うことが出来た。気持ちいい!(笑)


 ところで。
 意外に知られていない『1万人の第九』の小ネタっていうか“『1万人の第九』あるある”をひとつ。

 『1万人の第九』でいちばん驚かれることって、実は参加者は抽選で当選した者だけであるってこと。
 ほんとコレ、いろんなとこで驚かれる。毎年確実に、何人にも言われる。
 「週末空いてる?」「ごめん、第九のレッスンあるから無理ー」「え、第九歌うの?」「うん、『1万人の第九』って知ってる?」「ああ、名前だけ知ってる……へええ、あれに参加するんだー。レッスンとかあるんだ?」てな会話を、毎年必ずどこかでする。生活していたら、どうしても話題に出してしまう。
 そして言われる。
「『1万人の第九』って毎年あるけど、こあらちゃん、毎年行ってるの?」「毎年応募してるけど、去年ははずれちゃったから行けなかったよ。今年は当たったの」「……え? 抽選なの??」

 抽選なんです。
 1万人なのに、抽選で当たらなきゃ、参加出来ないんです。
 けっこう、狭き門なんです。
 当落発表時期は悲喜こもごもですよ。当たった、落ちたで話題になるもん。

 去年はわたし、はずれたから行ってない。
 参加出来たのは、2014年、第32回。

 まっつが退団した年。

 8月31日、『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』東宝千秋楽。
 翌日9月1日、18きっぷで東京を出て、雪丸様の公演二次なんぞを書きながらまったり列車に揺られ、夕方大阪へ。
 旅行荷物は先に宅配便に出してあるから、ふつうのバッグのみの軽装。なにしろウィークリーマンションタイプのホテルに腰を据えてのお見送りでしたからな。持って移動出来るような荷物じゃない。

 そして、旅のつづきで、大阪の街を歩いた。大阪駅から天満橋のエル・シアターまで。

 第九レッスンの1回目が、9月1日だった。
 未涼亜希がいなくなった最初の日。

 陽の傾いた中之島を歩いた。大川沿いを歩いた。難波橋の獅子を眺め、欄干からシルエットのように浮かぶ大阪の街を眺めた。

 ……あれから、2年。
 今年もまた、わたしは同じように梅田から天満橋まで歩いてレッスンに通った。……や、ふつーは歩く距離ではないらしいが、大抵どこでもてくてく歩いているわたしには、1時間以内は徒歩圏内だ。気に入った景色を撮影しながら町歩きするの好き。
 去年ははずれて参加出来なかったので、わたしの記憶は2014年で止まっていた。
 だから2016年のレッスンは、「前にここを歩いたときは、まっつが退団した年」と思い返しながら、となる。
 同じ風景を眺めながら、「2014年」を思い返していた。

 難波橋から中央公会堂を眺める光景がなあ、なんか泣けるんだよなあ。切ないんだよなあ。
 あれは2014年。それより前にここを歩いたときは、まだまっつがいて、父もいて……そんな風に、「間が何年か空いて、同じ風景を見る」ことで、記憶の海に溺れそうになるのさ。
 年寄りって大変ね。生きてきた分、切ないことが増えていく。

 そんな、切なさや愛しさや寂寥や悔恨なんぞを抱えて、どうしようもないもんをしこたま抱え込んで、集大成として、1万人のひとりとなって、第九を歌う。

 だからこんなに、泣けるんだよなあ。

 泣けますよ、『1万人の第九』。
 今回もまた。

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