2016年を振り返る、その1・回数。
 今年の観劇回数を数えてみた。
 手帳に毎月の観劇数を書いてあるので、それを足すだけの簡単なお仕事。内訳を確認するのはめんどくさい(笑)。

 お手製の『フットルース』手帳に記してあったメモによると、82回ですな。
 2015年の観劇回数と比べるつもりで書いてたのに、2015年分を写すのめんどくせー、と1年間放置しきったのがわかる紙面(笑)。

 2015年が何回だったかおぼえてないけど、とにかく、減りましたな。
 ダブルしなくなったのは大きいな。劇場へ行く回数自体は、そんなに変わってないと思う。
 前はご贔屓の公演を午前午後観てたりしたから。
 今ははるばるムラまで行っても、1公演だけ観て帰る感じ。

 リピートしたい公演があっても、そんな公演こそチケットが取れなくて、大して観られずに終わったり。
 ご贔屓公演はたとえチケ難でもなにがなんでも通っていたから、そのあたりの差が年を追うごとに出て来ている気がする。

 ヲタをやめる予定はないので、ここいらでがつーんと恋に落ちて、ご贔屓に夢中になる日々を送りたいもんだ。
 うーん、恋はするモノではなく、落ちるモノだからなあ。求めたところで、どうしようもないもんなあ。

 だいもんは好きだけど、彼の芝居が好きなのであって、ご贔屓ではないしな。
 ご贔屓ではなくても、もっともっと、彼の芝居を観たいと思う。芝居歌を聴きたいと思う。

 ジェンヌに芝居を求めるから、なかなか恋が出来ないのだろうとは思う。
 だって、芝居って要するに、作品と役だもん。演技の天才がいたとして、モブで暗がりで台詞なし、だと出会うことが出来ない。
 良い作品の良い役をやって、それでわたしのツボにはまる芝居をしてくれて、はじめて注目する、わけで。
 芝居は姿と声がよくなきゃいけないから、さらに狭き門で。

 まっつは奇跡的確率で出会ったんだなあと思う。
 まず顔が好みだったから注目した。たとえモブでも、顔を観ているだけで楽しい。
 そして彼は、声が良かった。整った聞きやすい声をしていたから、表現出来ることが多かった。
 顔と声が好きだから、端役でも眺めること自体が楽しくて、そうやって眺めていたら芝居も好みだった。顔と声が好みでなかったら、芝居に気づくことはなかったか、あるいはかなり遅くなったと思う。番手が上がらないと役がもらえないから。「役がなくても眺めている」状態にはならなかったから。

 どこかに顔がちょう好みで、声が良くて芝居がうまい下級生いないかしら……。ショタの気はないので、ある程度育ってる方がいい……。

 路線スターに惚れたいなあ、と思うのは、芝居好きだから。
 スターでないと、芝居で大きな役はつかないし、恋愛する役も回ってこないもの。
 トップになるならないはこだわらないから、がっつり「芝居」を劇団から与えられる立場の人に惚れたいものです。

 ご贔屓が出来るまでは、観劇回数も増えないだろうな。ん? それはそれでいいのか。

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