しあわせを探して。@シニョール ドン・ファン
2003年5月4日 タカラヅカ 『シニョール ドン・ファン』の「ロドルフォのゴーストライター設定、ナシにしない?」話のつづきだ。
天才デザイナー・レオは、学生時代からすでにその才能を発揮していた。
彼は「女性のきよらかさ」や「清楚さ」「やさしさ」を賛美するよーな、宗教芸術を彷彿とさせる作品を創りつづけていた。母の愛に飢えていた彼らしい、「聖母マリアへの憧憬」というか。マリーへプレゼントしたドレスだって、色は派手こいピンクだけど、いやらしさではなくキュートさが現れているように。
その才能に、俗人ロドルフォは嫉妬するのです。
だけど、マリーを失ったあとのレオは、それまでとはまったく逆の「現実的な美しさ」を創造しはじめる。いつわりの恋と快楽に耽る彼の生活そのままに。それが「ドン・ファン」ブランド。攻撃的に世界と女を征服していく。もう、昔のレオはどこにもいない。
たしかに現在のレオもすばらしい。彼は天才だ。だけど。ロドルフォが愛し、羨望し、嫉妬したのは、今のレオじゃない。昔の、きよらかな世界を描きつづけるレオなんだ。
それがロドルフォが「殺してしまったアーティストとしてのレオ」ということなの。レオはもう、「心の純白」をテーマにはデザインをしなくなったのよ……。
そして、すべてを乗り越えた彼は物語の最後に、「純白のウエディングドレス」をデザインするところにたどり着くわけよ。
なにもレオが筆を折らなくても、ストーリーは作れるんだってば。
景子せんせ、このキモになるあたりだけでも、修正してくんないかなあ。ここさえ乗り切れば、あとはいい出来なのよ、この作品。
ジルがいいキャラだと思うのね。
主人公とくっつかないヒロイン。
彼女はレオを愛していないし、愛す必要もないと思う。トップ男役と娘役だから愛し合わなきゃ、という偏見を抜きにするならば。
彼女は「愛がわからない」ゆえに暴走する。レオへの憎しみは、「愛したい」ことの裏返し。
誰を愛したいの? っていえばそれはやはり、セルジオでしょう。
レオに近づくためだけに、利用するつもりで近付いた純朴な青年。バカ丸出しに……じゃなかった、とても実直にジルを愛する彼と一緒にいるうちに、彼女の心も動いたのでしょう。
「愛を信じたい」「愛したい」彼女にとって、バカ丸出しに……じゃなかった、純粋に愛だけに生きるセルジオの存在は、どれほど救いになったことか。
最後に彼の愛を選ぶことで、ジルはほんとうに過去の檻から解き放たれたのだと思う。……セルジオへの想いは恋ではないと思うが。それもアリでしょう。しあわせになれ。
セルジオというキャラが、とても好きなんですが。
あの白痴美人ぶりが、ツボです。
きれいなだけで、アタマの弱そうな田舎青年。一流ホテルのコンシェルジュが務まるのも、すべて美貌ゆえでしょう。美貌は七難隠す。同じ失敗でもブスなら許さんが、美人なら許す。世の中そういうもんです。
……一流ホテルなのに、ロビーでコンシェルジュがガールフレンドと立ち話するのよ? んなバカな。
浅慮で善良。ほとんどバカ。だけど愛だけはあふれている。たよりなさそうな、泣きそうな顔が、ツボです。さえちゃんならではだー。
とくに、いちばん笑わせてもらった、最後の台詞。
「これでも俺、けっこう遊び人だっんだ」
……ナイナイ。音速でツッコミ入れましたとも。
このバカ、「遊ばれた」過去とかを「俺も罪な男だな、遊び人だな」とか、本気でカンチガイしてそうだ。嘘を付くのがうまいとも思えないジルにだまされていたくらいの男だからな。
あまりのバカっぷりに、涙が出そうだ。
バカだからこそ、自分を利用していた女を、なんのしこりもなく愛し続けるのだろう。
「愛が信じられない」と泣く彼女を、愛しく思うのだろう。信じられないってことは、信じたいと思っていることだから。愛を信じたいと泣く娘を、愛することのできる、そーゆーバカな男。
好きだよ、セルジオ。
彼の「遊ばれた」過去をいろいろと考えてみたりな。女にも遊ばれてるけど、絶対「男」にも遊ばれているはずだ……(笑)。
ほんとうに惜しい、ロドルフォというキャラ。
コウちゃんでさえなければ、絶対ホモ。
つーか、レオがマリーを失った段階で、ヤッてるよね? レオのこと喰っちゃってるよね? 設定だけでいけば。
でないと10年も、レオの影として生きないよね? レオもあそこまで完璧にロドルフォを信じていないよね?
レオとロドルフォの関係は、ひたすらエロいんですが。
……重ね重ね、コウちゃんでさえなければっ。
ワタルだったら……樹里ちゃんだったら……ガイチだったら……きりやんだったら……。あうー。
……こっそりとつぶやきますと、ケロでもいいです。死ぬほど萌えたと思います……。
逮捕されたロドルフォを見て、「よかったね」と思いました。
ああこの話、ほんとにハッピーエンドだな、と。
ロドルフォはずっと、罰を欲していたんだ。己れの罪と欲と汚さを、懺悔したかったんだ。他ならぬ、愛するレオに。
レオもまた、ロドルフォの懺悔を聞き、彼への愛を再確認したことでしょう。
だからこそ、ラストシーンの「握手」になるんだよね。
ローサとスティーブはいちばんベタな書き込み方がされているキャラたちなので、とくになにも思わず。
「君をスクリーンで輝かせるために俺は生きる。いや、生きたい」
スティーブのこの台詞の、「生きたい」がツボ。
使命ではなく、よろこびなんだな、と。
自発的な意志によってやっていることなんだなと思わせてくれるのが、うれしい。
でないと押しつけがましくなるからねえ。
ゆーひ、がんばれ。人を愛する演技をするのだっ。
ゆーひの演技力には多大な期待はしていないし、失望もあるんだが、それでも好みの男が好みのいい男を演じているので、見ていてたのしい。うれしい。
あとはローサ役のコモちゃん……なんか、どんどん演技がきつくなってる気がするんですが。そんなにがんばりすぎなくていいのに。
日を追うとエスカレートしちゃうのかな。
それを言うならえみくらもなんだけど。えみくらちゃん、『ガイドル』のときも思ったけど、今回もどんどんハイテンションになってるよ……もう少し押さえた演技に戻してくれえ。
カトリーヌとジャン夫妻も、実はけっこー好みです。
こいつら、ものすげえ年齢差カップルだよねえ?
親子、下手したらそれ以上?
だけどラヴラヴな感じが、見ていてすごくかわいいんですけど。
金と権力目当てのバカな若妻に見えるカトリーヌ。カジノで大金を擦ってみたり、プレイボーイのナンパ(この単語を口にするあたり、お育ちが良くないのかもな)に応じてみたり。
でも結局彼女、じじいな旦那にべた惚れなのよね。いつも猫を抱いているところを見ても、寂しがり屋なんだなってのがわかるし。「かまってくれなきゃいやん」な女。惚れている相手がじじいであるだけに、それがかわいいぞ。
「私には君が必要だ」
そして、そんな小娘に本気で惚れている「次期大統領」の旦那。コレを言うためだけに、国境を越えて飛んできたんだな。かわいいぞ(笑)。
パトリシアという女の子がかわいいんですが。
自分がバカだということを知っている女の子。実際、どっから見てもバカだし。
「彼は特別な人。彼に愛されるって思うと、自分まで特別な存在になった気がするの」
バカな彼女は、自分が持つ「美貌」だけで勝負をする。それこそ「倒れるまでのダイエット」をして、戦う。
自分の居場所を求めて。
戦士が剣の腕を磨くように、アタマの足りないかわいいだけが取り柄の女の子は、美貌を磨く。そうやって世界と戦う。人生と戦う。
その猪突猛進ぶりが、「明日捨てられても、今がしあわせならいい!」と言い切る強さが愛しい。
幼馴染みのフィリッポという「居場所」を見つけて、しあわせを見つけた。バカだけど、かしこいチャーミングな少女。
登場人物全員が「なにか」を乗り越え、ハッピーエンドにたどりつくラストが圧巻。
テーマを全員で歌う。
犯罪者のはずのロドルフォまで再登場してのフィナーレ。
人生賛歌。
人間賛歌。
ひとは迷い、まちがい、傷つけ傷つけられるけれど。
だけど、人生は素晴らしい。
生きることは愛しい。
人の強さを信じて、愛を信じて、生きていく。
いやあ、そんなのキレイゴトだけどね。
わかってるけど、こうでなくちゃと思うのよ。タカラヅカだからね。エンタメだからね。
ひとを、わたしを、しあわせにしてよ!!
否定ばかり描いてたって、わたしはしあわせになれないよ。
このラストシーンで、わたしはしあわせになる。
だから好き。
この作品。
ついでに。
生まれ直したレオにくっついていくのがジョゼッペだというオチも、ものすごーくわたしをしあわせにする。
そうか、ジョゼッペ×レオか!! 肯定だよね、景子せんせ? ヤッていいのね? と(笑)。
わたしはしあわせになりたくて、この作品に会いに行く。
いろんな意味で(笑)。
天才デザイナー・レオは、学生時代からすでにその才能を発揮していた。
彼は「女性のきよらかさ」や「清楚さ」「やさしさ」を賛美するよーな、宗教芸術を彷彿とさせる作品を創りつづけていた。母の愛に飢えていた彼らしい、「聖母マリアへの憧憬」というか。マリーへプレゼントしたドレスだって、色は派手こいピンクだけど、いやらしさではなくキュートさが現れているように。
その才能に、俗人ロドルフォは嫉妬するのです。
だけど、マリーを失ったあとのレオは、それまでとはまったく逆の「現実的な美しさ」を創造しはじめる。いつわりの恋と快楽に耽る彼の生活そのままに。それが「ドン・ファン」ブランド。攻撃的に世界と女を征服していく。もう、昔のレオはどこにもいない。
たしかに現在のレオもすばらしい。彼は天才だ。だけど。ロドルフォが愛し、羨望し、嫉妬したのは、今のレオじゃない。昔の、きよらかな世界を描きつづけるレオなんだ。
それがロドルフォが「殺してしまったアーティストとしてのレオ」ということなの。レオはもう、「心の純白」をテーマにはデザインをしなくなったのよ……。
そして、すべてを乗り越えた彼は物語の最後に、「純白のウエディングドレス」をデザインするところにたどり着くわけよ。
なにもレオが筆を折らなくても、ストーリーは作れるんだってば。
景子せんせ、このキモになるあたりだけでも、修正してくんないかなあ。ここさえ乗り切れば、あとはいい出来なのよ、この作品。
ジルがいいキャラだと思うのね。
主人公とくっつかないヒロイン。
彼女はレオを愛していないし、愛す必要もないと思う。トップ男役と娘役だから愛し合わなきゃ、という偏見を抜きにするならば。
彼女は「愛がわからない」ゆえに暴走する。レオへの憎しみは、「愛したい」ことの裏返し。
誰を愛したいの? っていえばそれはやはり、セルジオでしょう。
レオに近づくためだけに、利用するつもりで近付いた純朴な青年。バカ丸出しに……じゃなかった、とても実直にジルを愛する彼と一緒にいるうちに、彼女の心も動いたのでしょう。
「愛を信じたい」「愛したい」彼女にとって、バカ丸出しに……じゃなかった、純粋に愛だけに生きるセルジオの存在は、どれほど救いになったことか。
最後に彼の愛を選ぶことで、ジルはほんとうに過去の檻から解き放たれたのだと思う。……セルジオへの想いは恋ではないと思うが。それもアリでしょう。しあわせになれ。
セルジオというキャラが、とても好きなんですが。
あの白痴美人ぶりが、ツボです。
きれいなだけで、アタマの弱そうな田舎青年。一流ホテルのコンシェルジュが務まるのも、すべて美貌ゆえでしょう。美貌は七難隠す。同じ失敗でもブスなら許さんが、美人なら許す。世の中そういうもんです。
……一流ホテルなのに、ロビーでコンシェルジュがガールフレンドと立ち話するのよ? んなバカな。
浅慮で善良。ほとんどバカ。だけど愛だけはあふれている。たよりなさそうな、泣きそうな顔が、ツボです。さえちゃんならではだー。
とくに、いちばん笑わせてもらった、最後の台詞。
「これでも俺、けっこう遊び人だっんだ」
……ナイナイ。音速でツッコミ入れましたとも。
このバカ、「遊ばれた」過去とかを「俺も罪な男だな、遊び人だな」とか、本気でカンチガイしてそうだ。嘘を付くのがうまいとも思えないジルにだまされていたくらいの男だからな。
あまりのバカっぷりに、涙が出そうだ。
バカだからこそ、自分を利用していた女を、なんのしこりもなく愛し続けるのだろう。
「愛が信じられない」と泣く彼女を、愛しく思うのだろう。信じられないってことは、信じたいと思っていることだから。愛を信じたいと泣く娘を、愛することのできる、そーゆーバカな男。
好きだよ、セルジオ。
彼の「遊ばれた」過去をいろいろと考えてみたりな。女にも遊ばれてるけど、絶対「男」にも遊ばれているはずだ……(笑)。
ほんとうに惜しい、ロドルフォというキャラ。
コウちゃんでさえなければ、絶対ホモ。
つーか、レオがマリーを失った段階で、ヤッてるよね? レオのこと喰っちゃってるよね? 設定だけでいけば。
でないと10年も、レオの影として生きないよね? レオもあそこまで完璧にロドルフォを信じていないよね?
レオとロドルフォの関係は、ひたすらエロいんですが。
……重ね重ね、コウちゃんでさえなければっ。
ワタルだったら……樹里ちゃんだったら……ガイチだったら……きりやんだったら……。あうー。
……こっそりとつぶやきますと、ケロでもいいです。死ぬほど萌えたと思います……。
逮捕されたロドルフォを見て、「よかったね」と思いました。
ああこの話、ほんとにハッピーエンドだな、と。
ロドルフォはずっと、罰を欲していたんだ。己れの罪と欲と汚さを、懺悔したかったんだ。他ならぬ、愛するレオに。
レオもまた、ロドルフォの懺悔を聞き、彼への愛を再確認したことでしょう。
だからこそ、ラストシーンの「握手」になるんだよね。
ローサとスティーブはいちばんベタな書き込み方がされているキャラたちなので、とくになにも思わず。
「君をスクリーンで輝かせるために俺は生きる。いや、生きたい」
スティーブのこの台詞の、「生きたい」がツボ。
使命ではなく、よろこびなんだな、と。
自発的な意志によってやっていることなんだなと思わせてくれるのが、うれしい。
でないと押しつけがましくなるからねえ。
ゆーひ、がんばれ。人を愛する演技をするのだっ。
ゆーひの演技力には多大な期待はしていないし、失望もあるんだが、それでも好みの男が好みのいい男を演じているので、見ていてたのしい。うれしい。
あとはローサ役のコモちゃん……なんか、どんどん演技がきつくなってる気がするんですが。そんなにがんばりすぎなくていいのに。
日を追うとエスカレートしちゃうのかな。
それを言うならえみくらもなんだけど。えみくらちゃん、『ガイドル』のときも思ったけど、今回もどんどんハイテンションになってるよ……もう少し押さえた演技に戻してくれえ。
カトリーヌとジャン夫妻も、実はけっこー好みです。
こいつら、ものすげえ年齢差カップルだよねえ?
親子、下手したらそれ以上?
だけどラヴラヴな感じが、見ていてすごくかわいいんですけど。
金と権力目当てのバカな若妻に見えるカトリーヌ。カジノで大金を擦ってみたり、プレイボーイのナンパ(この単語を口にするあたり、お育ちが良くないのかもな)に応じてみたり。
でも結局彼女、じじいな旦那にべた惚れなのよね。いつも猫を抱いているところを見ても、寂しがり屋なんだなってのがわかるし。「かまってくれなきゃいやん」な女。惚れている相手がじじいであるだけに、それがかわいいぞ。
「私には君が必要だ」
そして、そんな小娘に本気で惚れている「次期大統領」の旦那。コレを言うためだけに、国境を越えて飛んできたんだな。かわいいぞ(笑)。
パトリシアという女の子がかわいいんですが。
自分がバカだということを知っている女の子。実際、どっから見てもバカだし。
「彼は特別な人。彼に愛されるって思うと、自分まで特別な存在になった気がするの」
バカな彼女は、自分が持つ「美貌」だけで勝負をする。それこそ「倒れるまでのダイエット」をして、戦う。
自分の居場所を求めて。
戦士が剣の腕を磨くように、アタマの足りないかわいいだけが取り柄の女の子は、美貌を磨く。そうやって世界と戦う。人生と戦う。
その猪突猛進ぶりが、「明日捨てられても、今がしあわせならいい!」と言い切る強さが愛しい。
幼馴染みのフィリッポという「居場所」を見つけて、しあわせを見つけた。バカだけど、かしこいチャーミングな少女。
登場人物全員が「なにか」を乗り越え、ハッピーエンドにたどりつくラストが圧巻。
テーマを全員で歌う。
犯罪者のはずのロドルフォまで再登場してのフィナーレ。
人生賛歌。
人間賛歌。
ひとは迷い、まちがい、傷つけ傷つけられるけれど。
だけど、人生は素晴らしい。
生きることは愛しい。
人の強さを信じて、愛を信じて、生きていく。
いやあ、そんなのキレイゴトだけどね。
わかってるけど、こうでなくちゃと思うのよ。タカラヅカだからね。エンタメだからね。
ひとを、わたしを、しあわせにしてよ!!
否定ばかり描いてたって、わたしはしあわせになれないよ。
このラストシーンで、わたしはしあわせになる。
だから好き。
この作品。
ついでに。
生まれ直したレオにくっついていくのがジョゼッペだというオチも、ものすごーくわたしをしあわせにする。
そうか、ジョゼッペ×レオか!! 肯定だよね、景子せんせ? ヤッていいのね? と(笑)。
わたしはしあわせになりたくて、この作品に会いに行く。
いろんな意味で(笑)。