ときおり、なにかスコン、と、胸の中に入ってくることがある。
 なにがどう、どこがどう、と説明はできないけれど、「入って」くる。

 スピッツの『愛のことば』がそれだ。
 なにがどうと説明できないが、この歌は、ダメなんだ。
 聴くと、泣く。
 なんでかわからない。
 好きな曲はいくらでもあるし、もっといい歌だっていくらでもあると思う。
 だが、この歌は特別だ。
 入ってくるんだ。

 それと同じ現象は、ときおり起こる。
 オギー作品とかに高確率で起こるな。
 入る。
 なにかが。
 説明できないままに、涙が出る。

 『めぐりあう時間たち』も、そーゆー映画だった。
 まいったねー、「入った」よ。涙が止まらない。

 監督スティーヴン・ダルドリー、出演メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン。

 3つの時代、3人の女たちのある1日の物語。
 1923年、作家ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』を執筆中。その日の午後には姉とその子どもたちを迎えてパーティをする予定。
 1951年、ふつーの主婦ローラ・ブラウンは小説の『ダロウェイ夫人』を読んでいる。今日は夫の誕生日パーティをする予定だ。
 2001年、編集者のクラリッサは友人の詩人の受賞記念パーティをする予定。詩人は彼女に「ダロウェイ夫人」という渾名を付けていた……。

 3つの時代と3人のヒロインたちの人生が、穏やかに、でもどこか緊張して、流れていく。
 そう、緊張。
 ずーっと、なんだか、こわかった。

 物語の冒頭でひとりの女が自殺するのだけど、彼女の遺書がこの作品のカラーをわたしに突きつけたせいかもしれない。
 愛に満ちた遺書だった。
 愛と、感謝と、意志があった。
 痛かった。

 クライマックス近くでもうひとり、やはり自殺するのだけれど、その死に際しての言葉もまた、愛に満ちていた。
 愛と、感謝と、意志と。

 痛い……のかな。
 少しちがう気もする。

 ここがこうだから感動したとか、愛について考えさせられたとか、そーゆーことではない。

 わたしは、深い海の水面に浮かんでいるんだ。海がとてつもなく深いことを知りながら、わたしはあえて水面に浮かんでいる。
 波がわたしを揺らし、どこかへ運ぶ。
 わたしは目を閉じ、それに任せている。

 そーゆー感じだった。

 プロットが緻密な作品が好きなだけに、この映画は好きだぞ。そーゆー意味でも。
 ラストで解ける謎には、膝を打ったもの。そうか、それであれはああだったんだ……と。

 リピーター割引があるのが、わかる。
 この映画は、もう一度出会いたくなる映画だ。

 

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