生田せんせ最新作、『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』初日観劇。

 まぁくん+生田せんせといえば。
 まぁくん初バウ主演、そして生田せんせのデビュー作『BUND/NEON 上海』-深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)-
 「BUND/NEON 上海」という凝り過ぎたタイトル(上海の外灘「バンド」に楽器のバンドネオンを懸けた多重単語、ゆえに/が入っている)に、「深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)」というクソ恥ずかしいサブタイトルまで付けた新人作家のデビューっすよ、厨二病キターーッ!!ってなるよね?
 あの素晴らしい顔ぶれが再び、ですよ。
 しかも「空に満つるは、尽きせぬ言の葉」という厨二臭ぷんぷんのサブタイ付きですよ。

 期待せずにはいられない!(笑) ……や、(笑)付いちゃうけどな。

 てことで、わくわく初日に駆けつけました。

 えーと。

 生田せんせ、この話の、元の話を見せてください。

 この話、元のプロットから二転三転どころじゃなく、予定通りうまくいってないんだよね?
 そもそも最初のプロットって、
シェイクスピアの劇作家としての創造力を共に育み、影ながら支え続けた妻アン・ハサウェイの「愛」。彼の才能を見出した後援者、ハンズドン卿との「友情」。そして彼にインスピレーションを与えた、ある夫人との秘められた「恋」・・・シェイクスピアが紡ぎ、遺し、今なお輝き続ける「言葉」の源泉を求めて、「言葉」に恋し、魅せられ、そして愛された男の姿を、史実と戯曲とを交錯させつつドラマティックに描き出します。
 ……だったのよね?(演目発表時の作品解説)
 ソレがいつの間にか、
劇作家シェイクスピアの創造力を共に育み、支え続けた妻アン・ハサウェイ。その才能を見出し、創作の場を与えた後援者、ジョージ・ケアリー。インスピレーションを与えたとされるも、正体が謎に包まれた「ダーク・レィディ」・・・  

エリザベス一世統治下のロンドンを中心に繰り広げられる様々な人間模様の中、人の本質を見つめ続けたシェイクスピアが紡ぎ、遺し、今なお輝き続ける「言葉」の源泉を求めて、「言葉」に恋し、魅せられ、そして愛された男の姿を、史実と戯曲とを交錯させつつドラマティックに紐解きます。
 ……になった。(現在の公式HPの作品解説)

 ある夫人との恋、が、謎に包まれた「ダーク・レィディ」になった。
 最初は三角関係ものだった? 支えた妻と不倫相手の夫人。
 それが、夫人から恋愛ネタが削除され、代わりに神秘性を加えて「ダーク・レィディ」とやらに変更。
 タカラヅカには恋愛必須、妻と夫人とふたつに別れていた愛を妻一本に絞って、夫人は創作サイドのみにする。恋愛もなしに天才シェークスピアのミューズとなり得る女ってどんな女よ? ふつーの女だと説得力がない、ってことで仕方なくミステリアスな味付けをするハメになった。
 でももともと恋ありきでミューズ設定だったわけだから、魔女だからシェイクスピアにインスピレーションを与えられた、という設定にしろと言われても「三角関係」で作っていたストーリーやキャラ配置にうまく合わない……。
 仕方なく元の話から三角関係ネタを削ったら、ストーリーの半分が消えてしまった。代わりに「ダーク・レィディと創作意欲」をがんばって書いたら……あれ? 妻の存在意義がなくなってしまった? てゆーか恋愛してないし、タカラヅカなのに恋愛なしとかやばいし!
 創作意欲を与えてくれるのは妻にしよう! 彼女と出会い、言葉が生まれる、ということにすれば「恋愛」と「天才劇作家物語」が融合する。……あれ、それじゃストーリーがなくなった……三角関係も創作にまつわるあれこれも、「妻がいれば解決」でナニも問題ない……。
 テーマを夫婦愛にして、妻とのすれ違い、『冬物語』にすればいいや! 障害となるのがパトロンと政治絡みってことで! ……あれ? ダーク・レィディ、いらなくなった……やべえ、HPに載せちまってるよ、今さら削れない……いらないけど無理矢理出すか……。

 なんて「番狂わせが面白い」的なことがあったのではないかと邪推。

 この物語、地層を感じさせるんだもん。

 地層……「作った時代の差」が、場面ごとにチガウ感じ。
 オープニングのやたら暗くて壮大なロンドン紹介は、いちばん古い地層、三角関係プロットのときに形成された地層。
 『ロミジュリ』パートは「妻がミューズ」プロットのときに形成された地層。
 主人公悩みまくりセンシティヴ場面は「ダーク・レィディ」プロット時代に作成。
 悪だくみパトロン部分は公式解説書き換えたあとに作成。
 そして、かなりギリギリ、にっちもさっちもいかなくなった頃に無理矢理書き換えて出来たのが、後半の「コメディ落ち」部分。
 ……てな風に、つぎはぎ感ひどい。

 小説ならストーリーが完成するまで机上でこねくり回すけど、舞台脚本だとそうもいかないんだろうな。多くの人が関わって作られるから、「ストーリー変わったから、今までに作っていたモノすべてなし、イチから全部作り直して」が通用しないんだろう。
 それで、すでに作りはじめていた場面をそのまま取り入れて使う。

 こんなブログですら、推敲する際に文章入れ替えたり削除したりするし、「加筆したら主題にズレが生じた、この結論に落ち着くためには、この段落があると混乱を招くな、仕方ない、削除しよう。でもこの段落、捨ててしまうには惜しいな……次の章のここに入れたら使えるかも」とかやって、文脈的には合っていても、やっぱりよそからツギハギした段落はうまく収まらなくて、アタマ抱えたりする。
 プロットが二転三転したのに、すでにある場面やネタを切り貼りして使い回したら、そりゃばらばらな印象にもなろうってもん。

 だからわたし、元の話が観たいわ。
 生田せんせは、どんな物語を考えていたんだろう?

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