初演『エリザベート』とわたし・その5。~わたしの「エリザベート」~
2016年1月18日 タカラヅカ 前日欄にもちらりと書いているけれど、わたしは『二人だけの戦場』が好き。
ヒロインの花ちゃんはものごっつー、かわいかった。いじらしかった。
花ちゃんが舞台でうまいこともかわいいことも、わかっていたけれど。
それとは別に、ぬぐいきれないわだかまりもあった。
なにしろ彼女は、雪組トップ娘役になる過程が、ダーク過ぎた。あんなことをしなくても、花ちゃんは実力で認められたと思うのに、劇団は何故かおかしな人事をし、ヅカファンが彼女をよく思わなくなるようなことをわざわざやりまくった。
舞台人は、舞台の上だけがすべて。
舞台の上の花ちゃんは素敵。
でも、「え、それひどい」配役があったのも、間違いなく舞台の上だったので。
雪担としては胸にもやもやがあった。
それを吹き飛ばしてくれたのが、『エリザベート』だ。
以前も書いたことがあるけれど、1幕ラストの鏡の間。
わたしが「花總まり」にひれ伏した瞬間。
花ちゃんがかわいいことも魅力的なことも、知ってはいたけれど。
素顔がかなりアレだし(ラガールカードのポスターはすごかった)、いわゆる一般的な「美貌」を持つ人だとはまったくもって思ったことがなかった。
あ、今のお花様はきれいな人だと思ってますよ、素顔も。ただ、若い頃は垢抜けてなくて、お化粧もトンデモなくて、いやほんとすごいことになってて……当時ネットがなくてよかったよ……しみじみ。
だから、台詞でどんだけ「美貌」を大安売りされても、あまりまともに考えることはなかった。
「そういう設定」であり、ちゃんときれいでかわいい女の子が舞台にいるんだから、それでいいじゃない。「きれいでかわいい」止まりで、「美貌」じゃないけど、「きれいでかわいい」なら、「そういう設定」だと脳内変換出来るもの。
それが、ほんとうに、圧倒的な美貌に、度肝を抜かれた。
ビデオではあの神々しさが伝わらないのがくやしい。
もやってた気持ちなんか吹き飛ばす勢いの美しさだった。
わたしが『エリザベート』という作品を好きになったのは、好きでいられるのは、お花様が初代エリザベートだったからだな、と思える。
シシィってさ、ひどい女だよねえ。
子どもの教育を任せろって言ったり放置したり、ろくなもんじゃねえ。
しょっぱなの「私がプリンセスでなければ、サーカスに入って曲馬師になるのに」だけで、カチンとくる。
自分で働いたこともないくせに、それを言うか。飢えて死んでいく子どもたちの前でソレを言ってみろ、「プリンセスで不幸だわ」って。
シシィは万事それ。
「義務を押し付けられたら出ていくわ」とか、今あなたが着ている服1枚だって、「果たすべき義務」と引き替えに与えられているのよ、と思う。受け取るだけ受け取って、対価を払わないのは犯罪でしょうに。
自由が欲しい、って、自分で土や肥料にまみれて畑耕してから言いなさいよ、金と権力があるからこその「道楽」を欲しているだけでしょ?
無知で無神経で無能な人間の、言い訳に聞こえる。「ああ、私って不幸だわ」「悪いのは私以外のすべて、私は被害者」「もし代われるなら、代わってもいいのよ。私の孤独に耐えられるのなら」……ふざけんな。
シシィの言動には「お前が言うな」「自業自得」という言葉しか出てこない……。
という、言動だけ見ると「ひどい」しかないのに、わたしがそのことに気づいたのはあとになってからだ。
最初はひたすらシシィに感情移入していた。
「あなたがいるなら嵐もこわくない」で泣き、「あなたは私を見殺しにするのね」で泣き、「私だけに」で泣き、「子どもを返して!」で泣き、「わかりました、あなたは敵だわ」で泣き、「それは正式な最後通告です」で泣き、「嫌よ、負けないわ」で泣き……って、とにかく彼女の人生が動き出してからは全場面で泣いてる状態。
シシィの運命、感情のままに『エリザベート』という作品を味わっていたの。
だから、シシィってひどい女だなー、とうすうす気づいてはいても度外視していたのに、改めてそう思ったのは、花ちゃん以外のシシィを見てからだな(笑)。
てゆーか、いちばん最初に拒否反応でたのが東宝『エリザベート』初演のいっちゃんだったような。ヅカ演出の方が好き、ということと、花ちゃん以外のシシィ、に強く反応したのかもしれない。
シシィ体験順は花ちゃん→あやかちゃん→花ちゃん→いっちゃんだけど、あやかちゃんはあまり「見た」印象がない。シシィよりトートに気が行っていたためと思われる。だから、ちゃんと注目した花ちゃん以外のはじめてのシシィがいっちゃんだった。
いっちゃんシシィで「シシィならなんでもいいわけじゃないんだな」と自覚出来たため、耐性が付き、その後のシシィには寛容になった。誰が演じるシシィにも楽しみを見つけられる。
だからわたしがシシィを……つまりは『エリザベート』という作品を好きになったのは、花ちゃんシシィありき、だ、
花ちゃんのヒロイン力……1幕ラストの神々しい美貌もそのひとつではあるけれど、実のところそれ以上に強いのは、ヒロインの人生に観客を巻き込む力だと思う。
『ホテル ステラマリス』のとき強く感じた、「物語が動き出す」感覚は、今思えば花ちゃんが若い頃から標準装備していたものだったんだ。
や、『ホテル ステラマリス』というひどい作品があってね、上演時間90分のうち60分くらい「視点なし、モブが歌い踊るだけ」というつまらない場面が続いて途方に暮れてたんだけど、お花様が主導権を握るやいなや「物語」がスタートした。視点がお花様になり、彼女の心の動きを中心にストーリーが動いていく。
それまでの「素人の取ったホームムービー」みたいな画面が、花ちゃんがヒロインとして立った瞬間から、「鮮明な映像と意志のあるカメラワークの、プロ制作の映画」に変化した。
お花様がヒロイン力を発揮しているのはいつものことだったろうけど、『ホテル ステラマリス』は作品があまりにひどく、お花様の力技がわかりやすくなってたので、強く印象に残っている。
シシィに感情移入できないと、『エリザベート』は今ほど楽しめなかったろうな。
わたしにとっての『エリザベート』が初演版だったこと……はじめて出会うシシィがお花様だったことは、心底幸運だった。
わたしは『エリザベート』が好きで、シシィが好き。
ヒロインの花ちゃんはものごっつー、かわいかった。いじらしかった。
花ちゃんが舞台でうまいこともかわいいことも、わかっていたけれど。
それとは別に、ぬぐいきれないわだかまりもあった。
なにしろ彼女は、雪組トップ娘役になる過程が、ダーク過ぎた。あんなことをしなくても、花ちゃんは実力で認められたと思うのに、劇団は何故かおかしな人事をし、ヅカファンが彼女をよく思わなくなるようなことをわざわざやりまくった。
舞台人は、舞台の上だけがすべて。
舞台の上の花ちゃんは素敵。
でも、「え、それひどい」配役があったのも、間違いなく舞台の上だったので。
雪担としては胸にもやもやがあった。
それを吹き飛ばしてくれたのが、『エリザベート』だ。
以前も書いたことがあるけれど、1幕ラストの鏡の間。
わたしが「花總まり」にひれ伏した瞬間。
花ちゃんがかわいいことも魅力的なことも、知ってはいたけれど。
素顔がかなりアレだし(ラガールカードのポスターはすごかった)、いわゆる一般的な「美貌」を持つ人だとはまったくもって思ったことがなかった。
あ、今のお花様はきれいな人だと思ってますよ、素顔も。ただ、若い頃は垢抜けてなくて、お化粧もトンデモなくて、いやほんとすごいことになってて……当時ネットがなくてよかったよ……しみじみ。
だから、台詞でどんだけ「美貌」を大安売りされても、あまりまともに考えることはなかった。
「そういう設定」であり、ちゃんときれいでかわいい女の子が舞台にいるんだから、それでいいじゃない。「きれいでかわいい」止まりで、「美貌」じゃないけど、「きれいでかわいい」なら、「そういう設定」だと脳内変換出来るもの。
それが、ほんとうに、圧倒的な美貌に、度肝を抜かれた。
ビデオではあの神々しさが伝わらないのがくやしい。
もやってた気持ちなんか吹き飛ばす勢いの美しさだった。
わたしが『エリザベート』という作品を好きになったのは、好きでいられるのは、お花様が初代エリザベートだったからだな、と思える。
シシィってさ、ひどい女だよねえ。
子どもの教育を任せろって言ったり放置したり、ろくなもんじゃねえ。
しょっぱなの「私がプリンセスでなければ、サーカスに入って曲馬師になるのに」だけで、カチンとくる。
自分で働いたこともないくせに、それを言うか。飢えて死んでいく子どもたちの前でソレを言ってみろ、「プリンセスで不幸だわ」って。
シシィは万事それ。
「義務を押し付けられたら出ていくわ」とか、今あなたが着ている服1枚だって、「果たすべき義務」と引き替えに与えられているのよ、と思う。受け取るだけ受け取って、対価を払わないのは犯罪でしょうに。
自由が欲しい、って、自分で土や肥料にまみれて畑耕してから言いなさいよ、金と権力があるからこその「道楽」を欲しているだけでしょ?
無知で無神経で無能な人間の、言い訳に聞こえる。「ああ、私って不幸だわ」「悪いのは私以外のすべて、私は被害者」「もし代われるなら、代わってもいいのよ。私の孤独に耐えられるのなら」……ふざけんな。
シシィの言動には「お前が言うな」「自業自得」という言葉しか出てこない……。
という、言動だけ見ると「ひどい」しかないのに、わたしがそのことに気づいたのはあとになってからだ。
最初はひたすらシシィに感情移入していた。
「あなたがいるなら嵐もこわくない」で泣き、「あなたは私を見殺しにするのね」で泣き、「私だけに」で泣き、「子どもを返して!」で泣き、「わかりました、あなたは敵だわ」で泣き、「それは正式な最後通告です」で泣き、「嫌よ、負けないわ」で泣き……って、とにかく彼女の人生が動き出してからは全場面で泣いてる状態。
シシィの運命、感情のままに『エリザベート』という作品を味わっていたの。
だから、シシィってひどい女だなー、とうすうす気づいてはいても度外視していたのに、改めてそう思ったのは、花ちゃん以外のシシィを見てからだな(笑)。
てゆーか、いちばん最初に拒否反応でたのが東宝『エリザベート』初演のいっちゃんだったような。ヅカ演出の方が好き、ということと、花ちゃん以外のシシィ、に強く反応したのかもしれない。
シシィ体験順は花ちゃん→あやかちゃん→花ちゃん→いっちゃんだけど、あやかちゃんはあまり「見た」印象がない。シシィよりトートに気が行っていたためと思われる。だから、ちゃんと注目した花ちゃん以外のはじめてのシシィがいっちゃんだった。
いっちゃんシシィで「シシィならなんでもいいわけじゃないんだな」と自覚出来たため、耐性が付き、その後のシシィには寛容になった。誰が演じるシシィにも楽しみを見つけられる。
だからわたしがシシィを……つまりは『エリザベート』という作品を好きになったのは、花ちゃんシシィありき、だ、
花ちゃんのヒロイン力……1幕ラストの神々しい美貌もそのひとつではあるけれど、実のところそれ以上に強いのは、ヒロインの人生に観客を巻き込む力だと思う。
『ホテル ステラマリス』のとき強く感じた、「物語が動き出す」感覚は、今思えば花ちゃんが若い頃から標準装備していたものだったんだ。
や、『ホテル ステラマリス』というひどい作品があってね、上演時間90分のうち60分くらい「視点なし、モブが歌い踊るだけ」というつまらない場面が続いて途方に暮れてたんだけど、お花様が主導権を握るやいなや「物語」がスタートした。視点がお花様になり、彼女の心の動きを中心にストーリーが動いていく。
それまでの「素人の取ったホームムービー」みたいな画面が、花ちゃんがヒロインとして立った瞬間から、「鮮明な映像と意志のあるカメラワークの、プロ制作の映画」に変化した。
お花様がヒロイン力を発揮しているのはいつものことだったろうけど、『ホテル ステラマリス』は作品があまりにひどく、お花様の力技がわかりやすくなってたので、強く印象に残っている。
シシィに感情移入できないと、『エリザベート』は今ほど楽しめなかったろうな。
わたしにとっての『エリザベート』が初演版だったこと……はじめて出会うシシィがお花様だったことは、心底幸運だった。
わたしは『エリザベート』が好きで、シシィが好き。