宙組大劇場公演がはじまっているわけですが、5月の宙組公演の振り分けが出ました。
 ……って、いつもなら、贔屓組以外の別箱振り分けにはなんの興味もない……いや、ヅカヲタとしての興味はあるが、ブログに書くことはない……のだけど、今回ばかりは食いつく。

 うらら様が博多座じゃない?!

 博多座公演は『王家に捧ぐ歌』です。
 ラダメス・アイーダ・アムネリス主要3役は絶対に博多座に投入されねばなりません。
 なのに、大劇場本公演でアムネリスを演じたうらら様が、博多座に出ない、DC出演って……。

 アムネリス@うらら様って鉄板じゃなかったの?!
 アムネリスを演じられる美貌のトップ娘役がいないから、10年以上再演出来なかった、うらら様という初演を超える美貌のスターが現れたことでようやく再演出来たのだ……とかなんとか、聞いたよーな気がするんですが。や、うらら様はトップ娘役じゃないけど、トップ娘役同然、未来のトップ娘役ってことで。

 なんか、再演時のあれこれを覆すことになってますなあ。

 いや、英断だと思います。
 たしかにアムネリスには美貌が必要だけど、「声が無い」人がやる必要はないと思う。アムネリスに美貌は必要、だからといって、美人なら誰でもいいわけじゃない。
 最低限、台本にある「声」は出してもらわないと。生の舞台なんだから。放送事故並に声が消える、声が無い、と最初からわかっている人がやるのはおかしい。
 アムネリス@うらら様は、作品のためにも観客のためにも、そして当のうらら様のためにもならない配役だった。

 だけど、そんなうらら様にアムネリスをやらせた劇団だから、絶望していたの。夢華さんにジュリエットをやらせた劇団だもの、誰のためにもならなくても、夢華さんを潰したようにうらら様を潰すことになったとしても関係なく、なんかしらの事情で、うらら様を推し続けるのだと。
 観客のためでもなく、生徒のためでもなく。表には出て来ないなにかのために、そーゆー残酷なことを平気でやるのが宝塚歌劇団だと(笑)、すまん、ふつーに思っている。
 そう思っているから、「そうじゃないよ、まともなことだってするよ」てなことを目にすると、驚くのだわ。

 や、劇団全部に絶望しているわけではなく、この「宝塚歌劇団」というモンスターを形成するひとつの要因に、とても黒くて冷酷なものがあるのだ、ということを、長年の経験から勝手に思い込んでいるだけ。
 夢とロマンにあふれたところだと信じていることも、確か。

 で、うらら様をあえてアムネリス役から降ろしたのならば、英断だと思う。
 これ以上うらら様の「タカラヅカ娘役として弱点」を、さらし続ける必要はない。
 わたしだって、アムネリスの惨状を見るまでは、まだ彼女に期待していた。美貌があるのだから、タカラヅカなんだから、それだけでいいじゃないかと思っていた。
 ……美貌だけでは無理なことがあるのだと、わたしにとって「タカラヅカ」とはなんなのか、「ミュージカル」とはなんなのか、そこまで考えさせられることになるとは思わなかったし、そこまで考えさせるような人を、アムネリス役にする必要はないとしか。

 うらら様がマカゼDCに出るのは、うらら様を守る振り分けだと思った。
 DCヒロインをやるために、博多座には出なかった……って、美しい理由じゃないですか。
 タカラヅカのそういう配慮の仕方はいいと思う。
 アテ書きオリジナルなら、うらら様に歌える歌を書き下ろせばいいんだもの。彼女の欠点をカバーし、魅力を拡大させることが出来る。

 ……ただ、DCヒロインが女子大生というのが気になる……。「学生」「少女」というのは、うらら様の魅力を最大限活かすキーワードじゃないんだけどなあ。
 つか、うらら様がヒロインでない可能性もあるのか。
 イシダせんせがこの作品を書く時点では、うらら様はとーぜん博多でアムネリスやってる予定だった、そのあと実際に本公演でアムネリス演じて、「舞台人なのに声が無い」という類を見ない状況が明るみに出て、あわてて変更になった結果、とか? 音痴程度なら100年の歴史上いくらでもいたからスルーされてたけど、「声が無い」はさすがに問題視された?

 劇団にナニがあったのかはわからないけれど、適材適所の、ジェンヌの魅力を発揮出来る使い方をしてほしいと思う。


 博多座が『王家に捧ぐ歌』だと発表されたときは興味もなかったけれど、アムネリスが誰かで遠征するかどうか再考必至だなー。
 や、単なる『王家』ファンとして!

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