わたしは口うるさく姑根性ばりばりの年寄りなので。
 新人のデビュー作を、とても意地の悪い目線で評価しがちなの。
 昔からそういうタイプではあったけれど、年を取るに従い、ほんっとそっちが強くなってきてねー。

 この先も長くヅカヲタを続ける予定のわたしにとって、新人演出家がどんな人か、ってのは大きな問題。だって、ジェンヌはせいぜい数年しか活躍しない(主要役を演じられる学年や立場になってから卒業するまで、はとても短い)けれど、演出家はこれから50年とか、あたりまえに活躍し続けるのよ? 気になるじゃない?

 自分の利害に絡むから、そういう目線で観ちゃうのよ。
 苦手な人がデビューして、これから50年えんえん、苦手なモノを見せられたらつらい。や、わたしがあと50年生きるかどうかはともかくとして。
 今度の新人さんは、どうなのかしら? って。

 だからその、とてもいじわるな目線。
 自分の利害優先の判断基準。

 タカラヅカの新人演出家がどうやってデビューに至るのか、その過程やシステムを知らないので、知らないところは勝手な想像で補う。

 思い込みその1。「作品」は、演出家本人の作品である。
 劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「これをやれ」と押し付けられたモノではない。
 思い込みその2。脚本演出もまた、演出家本人がやっている。
 劇団からでも先輩演出家からでもなんでいい、とにかく他者から「この台詞を使え」「このテーマを語らせろ」「この場面にはこのキャラを出してこの歌を歌わせろ」などと押し付けられたモノではない。

 演出家が自分の作品以外をあえてやる場合は「シェイクスピアシリーズ(1年かけてシェイクスピア作品のみを上演する)」とか「ワークショップ(植爺の苔生した日本物作品を全組で上演する)」とか、観客にわかる形で提示されてきた。
 シェイクスピアを元にしなきゃいけないからシェイクスピアなんだな、とか、植爺作品を新人演出家がやるんだなとか。

 そういったことをなにも言わないなら、その作品はその作者のモノなんだろう。
 ……と、思い込んだ上で。

 未知の新人演出家作品を視る。

1.タカラヅカにふさわしい題材か。
2.主役をかっこよく描いているか。
3.主役とヒロインの恋愛をまともに描けているか。
4.登場人物は多いか。

 タカラヅカに似合わない題材ってあるじゃん? 現代日本物とか、登場人物全員老人とか、反対に子どもとか。
 何故それをやろうと思った?!てなやつ。

 もちろん、似合わない題材にあえてチャレンジしたっていい。
 でも、タカラヅカが得意な洋物コスチューム系でなら「ふつー」にやるだけで70点もらえるところを、タカラヅカが苦手な太平洋戦争中の日本で丸刈り男ともんぺ女でやったら何点になる?
 技術的には同じ「ふつー」なことをしたとしても、苦手ジャンルはそもそもスタートがマイナス100からだから、70点の加点があっても-30点にしかならない。
 得意ジャンルでやれば、0スタート、苦手ジャンルだと-100スタート。
 苦手ジャンルだと、100点満点取るためには200点叩き出さなきゃならない……となると、「デビュー作でそんな難易度上げなくていいのに」としか思えない。
 200点出せる自信があってのことか、あるいはー30点でもいいからこの作品を世に出したいと思うのか。
 自信家も自作愛にあふれているのも、クリエイターとしては美点だと思うけど、とりあえずそれをわざわざデビュー作でやるとすると、「客観的判断力のない人」だと思っちゃうなー。

 オープンコンテストなら、自爆覚悟の一発狙いもアリだと思う。
 とにかくインパクト勝負、この作品自体はー30点でひどいことになっていても、これを踏み台にして次のオファーが来るように、あるいは審査員や観客の記憶に残るように。
 でもタカラヅカはサラリーマン作家で、地道に務めていれば次の機会は巡ってくるはず、なのにあえて博打を打つ人は、自己愛が強すぎてタカラヅカの形態に合わないんじゃないかな?
 だって、自爆覚悟の作品に付き合わされるジェンヌがたまったもんじゃない。演出家は駄作を書いても次があるけど、バウ主演を任される若手スターの多くは、ジェンヌ人生一度きりの機会なんだよ……?

 次に、主役の描き方。
 タカラヅカは男役中心で、トップスター至上主義のピラミッド社会。
 なにがどうでもとにかく最低限、主人公がかっこよくなきゃならない。
 テーマやこだわりを優先して、主人公がちっともかっこよくないと、「責任者出てこい!」って思う。わたしは。
 テーマやこだわりは、まず主人公をかっこよく描いた上でやれ。それで出来ないテーマやこだわりなら、他のカンパニーでやるか、出来るようになってから出直せと。

 男のかっこよさはひとつじゃない。お金持ちの貴族がきれいな服を着ていれば「かっこいい役」と思うわけじゃない。タカラヅカはきれいでなんぼ、だけど、そんな外見的なところだけが重要なわけじゃない。
 びんぼーでもダサい職業でも、悪人でも犯罪者でもなんでもいいけど、なにかしら意志を持って「かっこいい役」に仕立てていること。
 苦悩することでも軽快に世を渡ることでも、愛する人を守るために闘うことでも、なんでもいい。
 主役がかっこいいこと。

 そして、かっこいいその主役が、ヒロインと恋愛していること。
 友情や家族愛など、他にもテーマはあるけれど、やっぱ基本は男女の愛でしょう。
 ヒロインをないがしろにすると、必然的に「その程度の女を愛した主人公」の格も下がるしね。

 あとは、キャラクタの多さ。
 タカラヅカでは70人ほどの出演者を使いこなさなくてはならない。そして、たった90分の短い時間で、出来るだけたくさんのキャラクタを動かして、物語を起承転結させなくてはならない。
 その半分の人数で2時間も掛けて、大した人数の登場人物を作れない・動かせないとしたら、がっかりする。
 バウホールでこそ、たくさん役を作るべきだもの。


 という、4つの「未来を見据えた」目線。
 タカラヅカらしい、美しくて、スターがかっこよくて、キャラクタの多い物語を作っているかどうか。

 えー、そのあとです、ふつーの作品に対するような、「ストーリーが壊れていないか」「面白いか」「リピートできるか」などの観点で考えるのは。

 ぶっちゃけ、「ストーリーぶっ壊れてる」「つまんない」「ムカつく」「1回で十分、二度と観たくない」とか、そんな作品であったとしても、前述の「1~4」が満たされていたら、新人演出家としては、いいんじゃないの? ということになります。

 観ているのは、「未来」だから。
 この先50年おつきあいする相手だから。
 当日の服装とか話題とかより、人となりの方が大事じゃん? ダサい服着てても、何年か後には垢抜けるかもだし、今は洒落た会話のひとつも出来なくても、誠実な人ならつきあえるじゃん?

 てな観点から、演出家・樫畑亜依子の宝塚バウホールデビュー作 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』を語る。
 ……まあ、なんてウエメセかつ意地悪ばばあ的。
 緑野こあらってそんなヤツ。
  『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』初日、ぎりぎりにバウホールにたどり着き、階段上がったら目の前にれおんくんが立ってた……。
 いや、びびったー。


 演出家・樫畑亜依子せんせの宝塚バウホールデビュー作。ってことで、ワクテカ。
 マンガでも小説でも、新人作家デビュー! って謳ってあるとわくわくするよね。未知っていいよね、未来があるっていいよね。
 どんな作風の人なのか、早く知りたい・この目で確かめたいよね。

 で、前日欄まるまる3000文字使って、新人演出家作品の「わたしの」判断基準を書いた。
 ひとさまのことは知らないし、「わたしの」ったって、オマエナニサマだよ、てなもんですが。
 ヅカヲタゆえの戯れ言です。戯れ言ゆえに無駄にアツいの、真剣に戯れているから(笑)。

 『鈴蘭』の感想。

 いい。

 根拠は、前日欄で挙げたポイントをすべてクリアしているから。

 1.舞台は中世フランスの架空の国。
 タカラヅカのいちばん得意なジャンル。
 これを選ぶだけで、70点取れる。配点のいちばん大きいところを、きちんと押さえてくるのはいい。

 2.主人公がちゃんとかっこいい。かっこいい衣装を着て、キャラ立てもふつうにかっこいいところを押さえてある。
 少年時代のピュアな心を残しつつも今は適度にやさぐれていて、頭も良く、社会的にも優秀である。
 教科書(エンタメはこう作る!的なハウツー本)に載っているレベルに模範解答な主人公像だ。
 ヅカの主人公によくある「作者の頭の中でだけかっこいい」キャラじゃない。チェス、国王の信頼、舌戦、剣の腕と「かっこいい加点エピソード」を丁寧に盛り込んである。
 そして、主人公自身が計画発案し、実行している。……コレ、ヅカ的にけっこうめずらしい。主人公がナニもしない、ただ台詞でだけ「かっこいい」「素敵」ともてはやされている、てのが山ほどあるからなー。

 3.ヒロインと恋愛している。
 初恋をこじらせつつ、等身大のヒロインと出会い、反感→共感→恋、とこれまた教科書に載っていそうなくらい、模範的な流れ。
 しかも当世のはやり、「S系彼氏」路線だ。上から目線で命令、「お前はオレが守ってやる」……ほんとに丁寧に加点ポイントを押さえてくるなー。

 4.キャラクタが多い。書き込みの浅さは問題じゃない、まずキャラクタが「在る」ことが重要。なければナニもはじまらないもの。
 とにかくたくさんのキャラを出そう、という意欲が感じられる。「このキャラいらなくね?」と思うモノもあるけど、それでも「ひとりでも多く」出しているのはいい。

 デビュー作には、そのクリエイターの本質が現れるという。
 この4つは「タカラヅカの座付き演出家」としてこれからやっていけるのか、というわたし的なチェックポイントだ。
 や、やっていけるのかを判断するのはわたしじゃない、わたしはただのファンのひとりでしかない。
 ヅカヲタであるわたしが、「この演出家、期待出来ない……」としょんぼりすることになるかどうか、わたし自身が「(ファンを)やっていけない」と思うかどうか、ってことだ。

 樫畑先生のデビュー作『鈴蘭』は、わたしのナニサマ目線をクリアした、良い作品だと思うの。

 その点では好き。
 タカラヅカを研究して、本気で「タカラヅカ」してるから。

 これだけまともに「タカラヅカ」なら、今後も楽しくおつきあいできそう。

 ただ。
 「新人演出家デビュー作品」という括りではなく、ただこの作品だけぽんっと差し出された場合。

 別に、好きでもなんでもないな。

 ごめん。
 前述のチャンネルとはチガウ部分で語ると、そうなる。

 新人演出家デビューだ、どんな先生だろう、とワクテカして初日を観終わり、いちばん強く感じたことは、「及第点作家」出たなー、だった。

 真面目に勉強して教科書通りきちんと作ってある。
 作品は女の子向けライトノベルか少女マンガ。ストーリーもキャラもエピソードも、既視感パネェ。
 破綻なくきれいにまとまってる。が、とくにわくわくもしない。

 ストーリーが単純過ぎるというか、最初から犯人も筋道もなにもかもわかっていて、なにかしらどんでん返しがあるのかしら、いくらなんでもこんな答えが出ているまま終わらないわよね? と思ったら、ほんとにそのまま終わった、という拍子抜け感。
 キャラクタの造形の薄さ・浅さが気になる。そこを根っこにおいた、「このキャラの言動おかしくね?」が最後まで引っかかった。
 ……という点はわたし的にけっこう大きなマイナスなんだけど、それはまあヅカではよくあることっちゅーか、言及しなくてもいいレベルのことなんだとは思う。

 真面目にきれい、なのはいい。
 だけど行儀良すぎてて、内にも外にも、はみ出すモノがない……。

 外側に、どっかーん!と派手にはみ出すことは、せっかくお行儀のいい作りなんだから、そっちは目指さなくてもいいのかもしれないけど。
 内側にはみ出すモノがないのは、これが作風ゆえなのか、デビュー作だからセーブしているのか。
 初恋のシャルロット@はるこに対するリュシアン@ことちゃんの初恋のこじらせ方とか、書きようによっていくらでも深く重く出来るんだけど、なんつーかこー、絵に描いた餅的な、「お約束程度に触れました」「予定調和です」で終始しているのがなあ。
 悪役ヴィクトル@せおっちの軽さと、一歩間違えるとかなりのアホアホ感とかもなあ。

 きれいにまとまってるけど、そこで止まられると、演じているのが下級生メインのバウだってこともあり、全体的にすごく軽くなっちゃって、「教科書的」な作品がますます薄く小さくまとまったような。

 だからなんか、惜しかった。
 わたしが「タカラヅカ」に求めるモノを全部クリアしてくれてるし、話もお手本通りに作られてる。
 だから。
 だから、あとひとつ、わたし好みのものがあれば。
 わたしの好きな方向へ踏み込んでくれていれば。

 惜しい。

 ……あくまでも、わたしの好みの話なので。
 わたし好みの「濁り」とか「重み」がないからって、それが悪いなんてことは、たぶんまったくないと思うので、これはこのままでいい作品なのかも?
 『LOVE & DREAM』—I. Sings Disney/II. Sings TAKARAZUKA —梅芸初日観劇。

 えーと。
 まず最初に言っておくと、わたし、ディズニー好きじゃないっす。
 『ガンダム』とか『マクロス』とか『エヴァンゲリオン』とかの日本アニメで育ってきたので、あの絵がダメなの。
 絵の苦手感を乗り越えて見れば楽しいエンタメ作品だと思えるんだけど、乗り越えてまで見なくても、他にいくらでも娯楽があるので、ほとんど見たことがナイ。つか、どっちかしか時間がないなら、日本のアニメ映画見るわ。

 てな人間なので、「タカラヅカとディズニーコラボ」って聞くだけで、「あーあ(テンション↓)」とは思った。
 絵がダメなだけで音楽はいいから、コンサートはいいんだけど、それでも興味のない、知らないものだから、楽しみにしようがない。
 とはいえ、植爺にあんだけ文句言いつつも『ベルばら』にも毎回ちゃんと足を運んでいるわたしですから、苦手だろうと興味なかろうと、それが「タカラヅカである」なら、スルー出来ない。
 だって、「タカラヅカ」は好きなんだもの。
 好きなモノは、体験します。


 でもって。

 「タカラヅカ」でディズニーはやらんでいい。

 と、心から思いました(笑)。

 求めてない。
 わたしこれ、求めてないわー。

 ほら、わたし、大人が演じる子役苦手じゃん? 一般人より長身で手足の長いタカラジェンヌが、無理して子役を演じてるの。14歳のマリー・テレーズが4歳児みたいな喋り方して、ぞーっとする、アレ。

 アレが苦手な人間に、ディズニーは無理だった模様。

 せっかくの美しくてかっこいいタカラヅカスターたちが、幼児教育番組のキャストみたいになってる……。

 タカラジェンヌのかわいい仕草や衣装、場面は大好きだけど、それはショーの1場面だからだ。
 1幕全部がそのノリだと、きつい。

 チガウ、これはわたしの求める「タカラヅカ」じゃない。
 お子さまショーは別の団体でやってくれ。

 加えて、ディズニー界のトップスター、ミッキーマウス様が、みちこ様じゃないですか。

 …………わたし、みっちゃんの幼児プレイ、ちょー苦手なんよ…………。
 幼児プレイっちゅーか、かわいこぶるみちこ様。

 みっちゃんはタレーランとか、ウィリアム・ハミルトンとか、渋い大人キャラだと素敵なのよ、お笑いとかかわいこぶったキャラは違うのよ、わたし的に。

 チガウ、これはわたしの求める「みちこ様」じゃない。
 お子さまショーは別の人でやってくれ。

 と、肩を落としました。

 いや、ちゃんと楽しんだんだけどね。
 興味ナイ、絵が苦手、ったって、現代人やってればディズニー曲はいくらでも耳にしているし、耳馴染みのある曲をみっちゃんたち本気でうまい人が、もしくはかいまさこまおポコという本気で美しい人たちが表現してみせてくれているのよ。
 そりゃ楽しいわ。楽しめるわ。

 でも、わたしはこれ、好きじゃない。求めてない。

 2部の「タカラヅカ・ショー」が、本気で楽しかった。心に染みた。

 『Misty Station』かと思ったけど(笑)。ヨシマサ、使い回し自重。

 みっちゃん、マジすげえな。
 声がオトコマエで、それだけで全部吹っ飛ばす勢い。

 ……まっつヲタとしては、胸に痛い選曲もいくつかあったんですが(笑)。まあそこはソレ、ヅカヲタ続けてたら避けて通れないからねー。


 んで、毎度のことだが、コンサートグッズ高すぎ(笑)。
 ペンライトは昔の千円のに戻してくれー。びんぼーで買えない。買わない。とほほ。
 まだ途中だったんだ、新人公演『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』感想もろもろ。

 告白しよう。

 最近わたしは、和希そらが好きだ。

 いつからだろう、宙組を観るときは決まって彼を目で追っている。
 つか、無意識に探している。目に入っている。

 ほんと、いつからだろう……オスカルやってるときは別に大して好きじゃなかったよな……いや、キライでもなかったけど……ふつーに好き(タカラジェンヌ大半への感想)だったはずなのに。
 ショーでもなんか彼を見てるんだよなあ。

 でもって、彼の新公の役がコマの役だと知り。
 まあ、そんときは「ふーん」程度で。
 96期で唯一新公主演した男の子だけど、それっきり路線スターらしい配役もなく、「脇の便利屋さん」として使われてばかり、という印象なので「コマの役か。新公の3~4番手役ってまさに便利屋じゃん」と思ったのみ。
 や、2番手はスターの役だけど、3~4番手あたりって、新公では「スター候補という名のへたっぴな子たちばかりで主要役を固めると舞台が崩壊するから、適当なとこに脇のうまい子入れて支えさせよう」ってポジションじゃん? どの組、どの座組問わず。
 雪組ではがおりやあすくんがそんな感じで使われてたわ。
 そらくんはまだ若いのに、すっかりそんなポジションよね。
 てことで、「ふーん」だった。そうでしょうよ、てな。

 それが初日、本公演を……コマの役を観て。
 思ったわけよ。

 これは、ずるい。と。

 コマの役って、マジに舞台支えじゃん?
 いちおうスタークラスの役ではあるけど、ただキラキラしていればいいんじゃなくて、舞台締めます系。ヘタな人がやったらシャレならん系。
 だからコマなんだ、と納得する一方で、ちょっと待て、新公そらかよ、ずるいなー。(2回言いました)

 だってさ。

 そらがこんなんやったら、うまいってわかってるやん。

 いちばんの適役。
 想像(不安とか緊張とか)の余地もなく、がっつりうまい、役割こなす、のが目に見えてる。
 こんな鉄板配役するのか。絶対負けはなし、これで勝てなきゃおかしい、って配置するのかよ。
 手堅すぎるわ、ずるいわ。

 と、勝手に思って、「ずるいずるい」言ってた。
 うん。
 わたし、今回のコマの役、相当好きなのね。

 好きな役を、完璧にやられちゃったら、好きになるに決まってるやん。……ずるいわ。ぽっ。

 はー……。

 そらくん、好きやわー……。

 正直、期待しすぎで、リチャード役は「え、こんなもん?」とは思った(笑)。
 あたし、どんだけ思い込んでたん、ものすごいもの観られる、って。

 期待ほどではなかったのに、なのになのに、それでもそらくんにときめいてる(笑)。
 最後の演説がわたし的イマイチだったんだけど、そこ期待してただけに「あれ?」だったんだけど、そことは別に、ぜんぜん期待してなかった……ってゆーかあること忘れてたロミオ役でずきゅーーん!!ときちゃったりね。やだも~~、きゃ~~。

 まぁくんの『ブリドリNEXT』とか見てた頃、あのへこへこした三枚目下級生にメロメロになるとか、夢にも思わなかったわ……(笑)。

 てな感じです。
 そらくんは、スカステで見る素のキャラとのギャップも含めて萌えです。
 わたし、そらくんのシリアス芝居というか、「怒る」演技が好きらしい。
 今回もリチャードが不機嫌だったり怒ったりするたび「きゃっ♪」と思った。
 笑顔より、怒った顔。


 そらくん、このまま便利屋ポジで新公学年おわっちゃうのかなあ。
 新公主演……もう来ないか……。次『エリザベート』だもんな、今のそらくんの扱いから、トート役が来るとは思えな……はっ。
 オスカルやってトートやって、って、コマだ! その上コマは、歌バウで1幕のトリも務めてたのよね~。
 ほんとイケイケな若手スターだったわ……。
 そらくんにトートが来るとは思えないけど、なにかしら主演が見てみたいなあ。
 新人公演『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』感想あれこれ。

 エリザベス1世@しーちゃんが素敵。
 本役が美穂圭子おねーさまだから、そりゃ迫力はぜんぜん違うんだけど。
 すっきりした美女がせり上がって来て、しかも美声で歌ウマで、素直に「おおーっ」と思える。
 この役、あそこまで異次元感なくても十分成り立つやん。

 口では無理難題言っているのだけど、ほんとうのところ許したい、寛大さや優しさといったものに寄り添いたいんだ、というのが伝わる。
 だから、ウィリアム@もえこの芝居の、最初のラストに落胆して、本当のラストにこそ喜ぶ……それを望んでいたんだよこの人最初から!
 なんというか、いじらしい人だ。
 ぱっと見は、ちゃんと偉大な女王なんだけどね。

 しーちゃんは全ツ『メランコリック・ジゴロ』がいまいちだったので、わたしのなかでがっかり感があったのだけど、今回またぐーんと株上がったー!
 なんだ、華のある役出来るんじゃん! ひとことに華と言っても、ティーナみたいなキラキラかわい子ちゃんじゃなくて、専科さんの押し出し感ある役!なら出来るのか。
 わたしは華というものが一種類しかないとは思ってないので、しーちゃんの今回の役には、華を感じた。
 華がなかったら成り立たない役だもの。
 女王陛下、よかったよー。


 そして、その女王陛下に仕えている女官長@瀬戸花さんがまた、いいキャラクタで。
 女王陛下が最後の演説で、わざとシェイクスピア一座を責めるようなことを言い出すじゃん? そこでみんな血相変えて「それは……」とか「陛下……」とか、うろたえたり取りなそうとしたりするところ。
 たしか本公演でも、みんな一様に青くなっていたと思うの。女官長も含めて。
 なのに、新公女官長は取り乱さないの。取り乱す人たちの中、ひとりだけ微笑んでる。
 陛下が言葉だけで怒って見せていて、ほんとうはそんなこと問題にしてなくて、一座を許す気満々だってこと、女官長は気づいてるの。
 陛下が責める口調になった最初一瞬だけ「え?」って驚いた顔して、すぐに「ああ」と納得した微笑みになる。
 そして、穏やかな微笑顔で、陛下を見守っているの。
 女王陛下が、「わざと悪ぶっている」のを、一瞬で見抜いたのよ。
 この王宮でただひとり、女王陛下を理解しきっているの。

 エリザベス1世と女官長には、他の者にはない絆がある。
 だから女王陛下は、夫も持たず孤高の人生を歩んでなお、毅然としていられるのだわ。身近に、こうしてすべて理解して、微笑んでくれる人がいるんだもの。

 そう、思えた。

 しーちゃんの女王陛下が素敵に見えた要因のひとつに、瀬戸花さんの存在もあると思うわ。
 瀬戸花さんのお芝居好きだなー。


 悪女ベス@まどかちゃんは、フェイスラインのファニーさ以外は問題ない出来。
  だからほんと、あとは痩せてほしいなあ。若いからほっぺがぷっくりしちゃうのは仕方ないのだろうけど。
 夫のジョージ@ずんちゃんとも息が合っているし、役としてもやりやすかったのかな。マンガ的な悪女キャラだから、掴みやすいのかも。

 あれ? ところでうらら様は?
 新公の感想メモに彼女の名前がないっす……。今配役表確認したら、前回の新公に引き続き、役付いてなかったのね……。さすがにもう新公卒業か。しかし、前回は「うららちゃんの兵士ちょーイケメン!!」って書いてあるのに、今回メモ書きナシだから、言及することがなかったらしい……。

 個人的には、ダーク・レィディ役が見たかった……。美しさと妖しさで男たちを惑わすうらら様。


 えーと、あと、イケメンコンビ役のふたり、希峰かなたくんと優希しおんくん。どっちも甘いハンサムさんだったけど、今現在わたしにはあまり区別が付かず、早く男役としての型を身に付けてくれるといいなと思う。
 まだ研3と研2か……若っ。そりゃほっぺもお尻もぷるぷるだわな……。
 好みの男に育ってくれることを望む。
 100周年を境に、ヅカはいろいろ変わったのだと思う。
 なにかにつれそれを実感することがあるのだが。
 この日もまた、心から驚いたことがあった。

 いつものように大劇場へ行くと、客席がざわついている。いつものことだが、着いたのは開演間際。もうみんな席に着いて、数分後に上がる緞帳の方を向いているだろう時間なのに。
 みんな一様に後ろを振り返っている。
 立ち上がっている人たちもいる。
 なんだなんだ?
 誰かお客様が来るの? 他組のスターさん? OG?
 でもなんか、様子が違う。見ているのは後ろじゃない……2階?

「2階席が、真っ赤っか!!」

 へ?

「どうして? 2階席に人がほとんど坐ってない」
「こんなのはじめて見た!!」

 わざわざ立ち上がって、なにをショック受けてんのよ……。
 も、心から、びっくりした。
 空席具合にじゃないよ。
 「そんなこと」で驚く人たちがいることに。つか、2階席以前に、1階席の後ろだってバコっと空いてんじゃん、通ってくるとき気づかなかったのかよ?

 たぶん、誰かひとりふたりが声に出したから、周囲の人たちまで一緒になって「2階席が!」って騒いじゃったんだと思う。
 1列目~3列目あたりの、「振り返れば2階席が見える」けっこうな人数の人たち。
 わたしだって、みんなが見ているから一緒になって「なんだなんだ?」って2階席見ちゃったし。

 たしかに、客席は潔く空いていた。しばらく見ない光景だったから「あら。100周年効果も終了かしらね」とは思ったよ。
 でも、それだけならなんとも思わなかった。そんなこともあるさ、と。年末の某公演だって日によってはこんなもんだったし。そもそもわたしがこうやって前方席取れる日ってのは、競争率の低い日だってことだし、不思議じゃない。
 でも、「客席が空いている」ことに「驚く」人々がけっこうな人数いるのだ、ということには、心底驚いた。

 こんな光景、100周年前はあたりまえやってば……。

「生徒さん、可哀想……」

 って、大丈夫、まぁくんはまとぶさん時代の花組でがっつり育ってるわ、あの頃マジですごかったから! 当時の組担が太鼓判押すわ、こんな光景、見慣れてる。いやむしろあの頃の方がもっとすご……ゲフンゲフン。

 100周年おそるべし。
 今のお客の何割かは、客が入らなかった時代を、マジに知らないんだ。
 ヅカファンも入れ替わってるのかなあ。
 新規さんが来てくれるのはもちろん大歓迎! なんだけど、古いヲタにも踏みとどまっていて欲しい。わたしも含め、年寄りファンだっていていいと思うのよ。

 しかし、マジで自分ががくっと年を食った気がした……。わたし、前世紀の人間なんやねえ……。
 今さらですが『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』本公演の感想、UPし損ねてた分が出て来た(笑)。

 初演『エリザベート』語りしてる場合じゃなかったわ。つか、『エリザ』語りも途中、それを語ってから宙組の次の公演『エリザベート』への思いに続けるはずだったのに……。

 えーと、『Shakespeare』は役が多くて好き。

 りく&そらのベンマーコンビがかわいすぎる。

 わたし、『ロミジュリ』のベンマーに並々ならぬ思い入れがあるもんで。
 その上、わたしが好きなりくそらがコンビでその役をやってるって、どうしてくれよう、うきゃ~~。
 てゆーか、陸と空って……ゴロいいな、りくそら。

 このベンマーコンビは、ほんと罪なくバカでかわいい。

 役者役ってことで、いろんな役をやってくれるのも楽しい。


 役者というと、せーこ。
 あれ、髪短い? と思ったら、男役かよ!!(笑)
 ええ、せーこちゃんは元男役……つか、男役のせーこと、コマが一緒の舞台にいるって、なにコレなつかしい。

 しかし器用やな、せーこ……。女形だってちゃんとわかるわ。


 パリス@あっきーは、わたし的にチガウ。
 おいしい役で、あっきーが目立ついい役をやっているのはうれしい、だけどこのパリスはチガウ……。
 だってあっきー、こういうタイプのバカに見えないんだもん。頭良すぎてバカとか、真面目すぎてバカとかはわかるんだけど、下品なバカには、あっきー見えない……だからなんか据わりが悪い……。
 わたし、フィルターかかってる? あっきーかくあるべし的な?

 アンの弟@もえこちゃんは、短い出番と少ない台詞なのに、なんかとても目に入るし記憶に残る。
 モブにまざったって、「ああさっき、姉さん、って言ってた子だ」ってわかるもの。
 ヲヅキに似た顔立ちがわたしの視神経を刺激するのかもしれないが、それだけでなく、声もわたしには気持ちよく入ってくる。


 残念美形コンビ、と個人的に呼んでいるサウサンプトン@愛ちゃん、エセックス@ずんちゃん。
 実に見目麗しいふたりなんだけど、それ以上のモノがわたしには伝わらなくて、とにかく「惜しい」印象。
 ニコイチでなくひとりずつならよかったのに。
 とはいえ、ニコイチだからからおいしく、「残念」さで笑えるので、作品が求める役割的にはいいのかもしれない。
 ただわたしが、個別にキャラ立ちしてくれた方がうれしいのにな、と思うだけで。

 あ、でも、サウサンプトンの女装好き。ナルシストなとこも(笑)。

 前にもちらっと書いたけど、彼らとウィリアム@まぁくんの関係性が見えなくて、罪の問われたとき、彼らがウィリアムをかばうのが意外だった。
 そのへんちゃんと書き込んで欲しかったな。


 ダーク・レィディ@まどかちゃん、いい仕事してると思う。
 あの幼いキューピー似の輪郭の子に、そんな耽美役させてどうすんだ、と思ったけど、なかなかどうしてイケてるじゃないですか。
 雪のあんりちゃんがショーの大人っぽい場面でちゃんとセクシーに踊っている、あの感じを思い出した。
 ロリ顔でも、ダークな美女アリなんだ。
 少女ゆえに神がかってる感じ、いいと思うの。「少女」って特殊な存在だし。
 『LOVE & DREAM』—I. Sings Disney/II. Sings TAKARAZUKA —千秋楽に行ってきました。

 ディズニー苦手言うたやん! 「タカラヅカ」でコレは求めてない言うたやん! なのに行くんかよ!
 行きます(笑)、だって「タカラヅカ」は好きだし。

 2回目だと、ディズニーパートの苦手感もマシになった。「こういうもん」とあきらめが付いて。

 しかし、出演者の「ビジュアル特化」「歌特化」の二極化がすごくてウケた。
 おもしろいなあ。
 そして、それもこれもみんなアリだという、「タカラヅカ」は面白いなあ、と思う。


 ところで。

 この公演の梅芸初日を観たときから、「みっちゃん、好き放題やってんなあ」というのは感じた。
 劇団による公演企画が、トップスターとはいえ1タカラジェンヌの意見に左右されると思っているわけじゃないが、みっちゃんに関してはかなりその意向を汲んでもらっている気がする。
 物理的な根拠があるわけではないが、実際に舞台を観ているとそう感じるんだ。
 みっちゃんが望み、劇団がソレを許したなら、双方両思い、いい関係でいい興行を打てているのだと思う。
 そういう意味での「好き放題」だ。
 苦い思いを隠しての公演より、みんながハッピーな方がいい。

 だが、千秋楽。
 感じたことは、「好き放題」ではなく……いや、確かに楽もまた、彼が自分の意志で好きに暴れていることは伝わってきたけれど……なんつーか。

 みっちゃん、生き急いでるなあ。

 と、思った。

 トップになってからのみっちゃんに感じていた、背中をじりじり煽られるような感じ、これは、そういうことだったのか。
 生き急いでる。

 短い時間を、完全燃焼……いや、完全以上に燃焼しきる勢いを感じる。
 胸が詰まった。

 門外漢のわたしでも感じるんだから、きっとここにいる多くのファンはそう感じていて、でも具体的な言葉にはしなくて、ただ、この時間を共に燃焼しているんだろう。脇目も振らずに付いていくんだろう。


 2幕の「タカラヅカ・ショー」は好きだけど、やっぱふつうのヅカのショーがいいなあ。
 梅芸だと『タカスペ』と同じで、歌謡ショーにしかならないんだね……って、そっか、この公演そもそもコンサートだったね。

 それでもやっぱり、好きだな。
 これぞ「タカラヅカ」な選曲。

 それを深く豊かに盛り上げる、みっちゃんのドラマチックな歌声。

 次はディズニーなしで、「タカラヅカ」のもっとも「タカラヅカ」らしいコンサートを望む。
 ……バウホールじゃ、わたしはチケット取れないだろうけどなー。
 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』は、初日とその翌日午前公演を続けて観た。

 続けて観て、よかったと思う。

 わたしが公演を続けて観るのは、ご贔屓だったまっつが初日とその次の公演で芝居が変わることがあるのと、わたし自身頭が悪く、1回観ただけじゃ整理出来ず、2回続けて観てはじめて得心する、ということがままあるためだ。
 しかし、お金も時間も無限じゃない、ご贔屓以外にそんなことはしていられない。
 ので、基本他組にはしていない。てゆーか、贔屓の雪組以外は初日を観ることにも、そこまでこだわってないしな。

 ただ、『鈴蘭』は新人演出家デビュー作だったので、初日を観たかった。
 稲葉・生田・原田・野口・田渕・上田……最近の若手演出家のデビュー作品は、大抵初日を観てきたんじゃないかな? 「新人さんだー、わーい!」って喜んで。
 んで当然、初日1回きりで終わるはずだったんだけど、頼んでたチケットが両方取れちゃったので、急遽2日連続観劇することに。

 話は単純だったから2回見る必要はなかったんだけど、それでも「2回続けて観て良かった」と思った。

 いやあ、初日はけっこうびっくりしてて。
 その、出演者に。

 主演のことちゃんはうまいし、ヒロインの真彩ちゃんも脇の上級生もよくやっている。
 しかし。
 2番手のせおっち含め、下級生たちが、もお、すごくてね……。

 いくら真ん中だけうまくても、周りが学芸会だと作品全体がキツイぞヲイ、と。
 口悪くてすまん、しかしマジにびびったもんで。

 それが翌日、2回目の公演観たら、ぜんぜん違ってた。

 そりゃ劇的にうまくなるわけじゃないけど、昨日のあのアゴ落として頭抱える感じ、アレはなくなってた!
 初日は緊張してたんやね……! 客席にれおんくんまでいたしね。公開舞台稽古状態やったんか……。

 2回目観てよかった……。
 でないとわたし、初日の印象を、彼らの実力だと思い込んでたよ。
 大丈夫、新人公演レベルにはなってた! 新公学年のバウホール公演なんだから、新公レベルは当然。必然。仕方ない。


 そんななか、ほんとことちゃん、うまいな!

 周りの学芸会度が上がったのは、悪いけどことちゃんのせいもあると思う。
 ひとりだけ段違い過ぎて、他の子の粗が目立ちまくった。技術的には問題ない真彩ちゃんですら、精彩を欠いていたし。
 初の大役?の、せおっちときたらもお……。ほんと、大変なことに……。
 んで、周囲が屍累々って感じに実力も出せず自滅して倒れ伏している中、ことちゃんひとり孤軍奮闘。
 倒れた屍たちがゾンビみたいに脚だの腕だのにまとわりついてくる、自由に動けない……ゆえに眉間に縦皺刻みながらも、それでも力尽くで、ゾンビまとわりつかせたままゴールまで完走した。
 力持ちだなー、ことちゃん……。
 素直に感心した。

 下級生バウで学園モノ以外をやると、こんなに大変なことになるのか……と思った。
 せおっちだってしどりゅーだって、『A-EN』ならここまで自爆してないと思うの……等身大でいけるから。
 しかしいちおー中世フランス物で、コスチューム物で、人が死んだりする話だからな……。

 2回目では、出演者みんな初日と違い、なんというか「芝居」をしている感じだった。「手順」ではなくて。
 そしてことちゃんも、しがみつかれなくなった分、肩の力が抜けて見えた。
 よかったー。

 てことで、初日のことは忘れて、2回目の記憶で感想を書くことにする(笑)。
 星娘は、まずはるこを倒さなくてはならないのだな。

 『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』を観て思った。

 はるこは美貌と芝居力を併せ持つ娘役だ。彼女が演じると、役にドラマが生まれる。
 演出家が彼女を使いたがる気持ちはわかる。自分の作品に深みを出したいだろうし。
 『鈴蘭』でもはるこは主人公の初恋の女性、物語のキーパーソンを演じている。タイトルである「鈴蘭」とは、シャルロット@はるこのことでもある。

 シャルロットは冒頭にしか出番はなく、彼女の死から物語がはじまる。あとは回想だのイメージだので出るのみ。
 ヒロインはシャルロットの義理の娘エマ@真彩だ。
 だが、この「死んで、もういない」はずのシャルロットの、存在感の大きさときたら。
 彼女が登場するたびに「えっと、ヒロイン誰だっけ」となる。

 星組でヒロインを張るためには、このはるこよりも「説得力のあるヒロイン」を演じなければならないんだ。
 大変だなー。

 今の星組に限らず、いろんな組に「ポストはるこ」な娘役がいた。
 ちょっと前の花組なら、いちかとか。いちか以上の仕事が出来る、とならないと、娘役2番手役が若手に回らない、てな。
 いちかが脇で、若手がヒロインをやっているとしても、いちか以上の仕事をしないと食われるぞ、てな。

 この場合、はるこにもいちかにも非はない。彼女たちは、「物語」を盛り上げるため、実にいい仕事をしている。
 与えられた役割をこなし、深く華やかに存在することで、物語をより輝かせている。

 だから問題は、ヒロインの方にある。
 脇の「別格上級生」よりも、輝けばいいんだ。
 所詮「脇」としか脚本に書かれていない役に、「食われる」なんて、あってはならない。
 脇が魅力的であればあるほど、それを力に代えて、真ん中が輝くもんだ。本来なら。

 いやあ、真彩ちゃん、がんばってた!

 真彩ちゃんの敵はことちゃんじゃないね、はるこちゃんだね!

 「敵」という言い方はおかしいか。
 でもなんか、真彩ちゃんのお芝居にはそんな言葉を使いたくなる。

 なんだろ、調和しないっていうか、実力を使って、共演者をねじ伏せる感じがするの。
 実力を使う、という言い方も変だけど。
 真彩ちゃんには、実力がある。歌唱力も演技力も、舞台で「存在」することも、ちゃんと技術を持ってやっている。だからそういう「実力」が、「道具」のように思えるの。「コップを使って水を飲んだ」の「コップ」が道具であるように、真彩ちゃんは「実力を使って『鈴蘭』というお芝居をした」という感じ。

 で、真彩ちゃんのターゲットはことちゃんかなと、最初思ったんだ。
 実力を使って、闘う相手。
 負けない、地に伏さず立ち続ける、立ち向かう、相手。

 ことちゃんも真彩ちゃんもうまいんだけど、不思議とふたりは「組んで芝居をしている」感じがしない。
 ラヴい脚本なのに、少女マンガあるあるな作品なのに、そういった萌え感覚が薄い。
 ちゃんとうまい人たちが、書かれている通りに芝居しているのに……。

 真彩ちゃんの芝居が、受動態や調和ではなく、能動態で対立しているからなんだなあ、とわたしは思った。

 別に真彩ちゃんがことちゃんに敵愾心を持っているとか思ってるわけじゃなくて、たぶん彼女は「相手役としてがんばろう」とか「いい芝居をしよう」と思っていて、ことちゃんに負けないようにがんばっているんだと思う。
 この「負けない」は「上に立ってやる」ということではなく、ことちゃんに見劣りすることで足を引っ張らない、ことちゃんと作品を盛り立てる意味ね。

 でも真彩ちゃんの芸風って、他者を必要としない、ピンで真正面向いて立つ系なんだよなあ。

 ことちゃんはうまい人だけど、今現在、こういう芸風の真彩ちゃんを受け止め、手のひらの上で転がす度量はないように見える。
 だから、ふたりして同じ方を向いて競い合っている、ように見えてしまう。しのぎを削るアスリートみたいに。
 ……ラヴストーリーなのに。

 相手役、というより、好敵手。
 敵。

 うーむ。

 そんな真彩ちゃんと同じ舞台の上で、はるこちゃんがあざやかに「ヒロイン芝居」をしている。

 ……そりゃ真彩ちゃん、分が悪いわ……。

 真彩ちゃん、アナタのは敵はことちゃんじゃない、はるこお姉様よ。
 はるこちゃんにヒロイン力で勝利しないことには、ことちゃんにだって勝てないわ。

 や、観ている分には面白いし、また、今現在だけでなく、彼女たちの「これから」も含めて興味深いけれど。


 希帆、という名前の歌ウマ娘役さんは、別格上級生に翻弄されるめぐり合わせなのかしら、と思ってしまったわ。
 希帆ちゃん、せっかくの初バウヒロだったのに、別格上級生いちかに話題をかっさらわれてたなあ……。いちか、全開だったもんな……。と、遠い、なつかしい記憶。

 真彩ちゃんは面白い娘役さんなので、もっといろんな役を観てみたいっす。ぜひヒロインで。
 マジ、上級生の番手付きスターさんの相手役とかやってみてほしい。確立したスターさん相手でも、彼女は闘いを挑むのか、そしてそれはどういうことになるのか、観てみたいっす。
  『鈴蘭(ル・ミュゲ)-思い出の淵から見えるものは-』にて、物語のキーパーソン、主人公リュシアン@ことちゃんの初恋の相手であり、清冽な印象を残すシャルロット@はるこ。

 そして、わたしがこの物語でいちばん納得できないことが、シャルロットの死だ。

 公女シャルロットはリュシアンがまだ少年の頃に政略結婚をさせられる。
 顔も知らない子持ち男へ嫁がされるわけだ。
 ふつうなら不幸を嘆いていそうなものだが、彼女は「両国の懸け橋になる」と前向きだ。強がって言っているわけではなく、本心から、自分の人生を楽しんで言っているようだ。

 こんな、明るく強く聡明な女性が、夫であるガルニール公を殺害し、秘密裏に処刑された……いったいなにが起こったのか? というミステリー的なはじまり方をするわけだ。

 冒頭に出て来るシャルロット像はとても魅力的で、たしかにこの女性が、「夫を殺して処刑される」なんてことはありえない、と思えた。
 ありえないからこそ、物語が成立する、「何故?」と。

 そこにはものすごーい秘密が隠されているに違いないっ。

 探偵リュシアンの調査によると、殺されたガルニール公は素晴らしい人格者で、シャルロットともラヴラヴだったらしい。
 ならばなおさらおかしい。ラヴラヴ夫婦が殺人なんて。

 そしてリュシアンは真実にたどり着く。
 ガルニール公はその座を狙う弟ヴィクトル@せおっちに殺され、シャルロットは夫の後を追って自殺したのだと。

 ……え?

 それまでふつーに物語に付いて行っていたわたしは、ここで盛大に置いていかれた。

 人格者で優秀な施政者であったガルニール公が、かなりまぬけな弟にあっさり殺されちゃったの?
 物語中で語られる君主様像からはピンとこないんだけど……まあ、ここまではいい。

 シャルロット自殺が、まったくもってわからない。

 愛する夫が死んだから、後を追う。
 これが双方年老いてからなら、あるかなとも思う。子どもたちに家督を譲り、隠居したのちならば。
 だが、そうではない。
 後継者すら決まっていない、中途半端な時期だ。跡を継ぐのは娘のエマ@真彩だが、彼女は年若い。信頼できる夫を得てからはじめて後継者たりうる。
 シャルロットまで死ねば、エマは子どものまま責を負わされることになる。
 第一、ガルニール公は自然死ではない。明らかに毒殺されたわけだ。シャルロットがその犯人とされるほど、完全に他殺体で発見された。
 無残に殺された夫を見て、真相を究明せずに自殺するの? 聡明なシャルロットが?
 一市民であったとしても、「夫殺された→愛してるからと妻即後追い自殺」は周囲に禍根と混乱を残す。一国の君主とその妻がしていいことではない。
 シャルロットは政治の道具としてガルニール公に嫁いでいる。ガルニール公の不審死を放置して自分も死ねば、ふたつの国に亀裂が入ることを想像しないのか。

 シャルロットがのーみそお花畑のゆるふわ公女なら、「あいするだーりんがしんじゃった、かなしすぎる、わたしもしぬ」になるかもしれない。
 でも、冒頭で描かれたシャルロットは、使命感を持った聡明な女性だ。
 戦争の引き金になるかもしれないのに、自分だけが楽になるために自殺するとは思えない。

 「シャルロットの日記」とやらが思わせぶりに出て来るし、なにかしらどんでん返しがあるんだと信じて見ていたよ。
 まさかほんとーに、賢人ガルニール公はまぬけな弟に殺されて、聡明なシャルロットは感情のままに自殺して、犯人のヴィクトルは「騒ぎになるとまずいから隠蔽しよう。これで終わり、ナニも調べない」で、えええ、他国人の嫁が王様殺したのに完スルーって「犯人私です、これはお家騒動です」って言ってるも同然、こんなトンデモない展開なのに公王の母マルティーヌ@柚長は「ナニも気づかなかった。息子のために厳しく育てたのに(涙)」って……バカしかしかいないの?

 シャルロットを鈴蘭のような女性、で、ひたすら美しく描きたかった気持ちはわかる。その方が物語は美しい。
 だがそれなら、ミステリ部分をもう少しなんとかしようよ……。

 「シャルロットは何故死んだのか?」からはじまる物語なのに、その死の理由が杜撰過ぎる……。

 なんつーか、少女マンガだなあ。
 「彼女が死んだのは、愛ゆえにです」「彼が罪を犯したのは、愛ゆえにです」「彼女が彼の罪に手を貸したのは愛ゆえにです」「彼女が息子の歪みに気づかなかったのは愛ゆえにです」……。「愛」万能過ぎやろ。
 なんでもかんでも都合の悪いことは「愛ゆえにです」。
 愛、とさえ言っておけば通ると思ってる。なんて少女マンガ脳。

 も少しロジカルにしてくれ……。

 愛ゆえに、ってわたしも大好きな理屈だけど、コレはあまりにも「愛」の大安売りしすぎ。

 肝心要の「鈴蘭」たる女性の生き方がブレてしまっているために、物語全部がブレてしまった。
 せっかく優等生的な作りの物語なのに、もったいない。

 樫畑せんせって論理的組み立て苦手なのかしら。でも、物語自体は教科書丸写しかってくらい、計算されてるのになー。不思議。

 それとも、実は冒頭のシャルロットはリュシアンの妄想なのかしら。

 シャルロットはのーみそお花畑で、自分が気持ちいいことしか考えられないおさるさん。鈴蘭大好き、うふふあはは。政略結婚? なあにそれ? わかんないけどきれいなドレス着られてうれしい、いってきまーす。
 ……そんな残念な美少女。でもとりあえず善良で美人だったから、リュシアンは憧れていた。子どもだもん、自分に優しい美人なおねーさん、ってだけで恋するよね。

 そんなおバカさんだったから、嫁いだあとも人形みたいにかわいがられて、ガルニール公ともラヴラヴ、自分でモノを考えられないから、庇護者であるガルニール公が死んじゃったら即後追い自殺。

 おつむの出来がアレなことは公母マルティーヌも知ってるから「あの嫁なら、モノの善悪もわからず夫を殺してしまい、こわくなって自分も死んだのかも」とすんなり納得してしまう。
 ヴィクトルが真相を隠そうとするのも言葉通りに受け取るし、シャルロットに他意があるわけないことがわかっているので、戦争にもならない。

 ガルニール公も別に賢人ではない。家族の欲目。勉強は出来たかもしんないけど、中身はヴィクトルと五十歩百歩、だからお人形シャルロットと遊べたし、ヴィクトルに殺されもした。

 リュシアンは鈴蘭の毒夢から醒めて、現実の女の子と恋をする……そのきっかけが、お花畑全開のシャルロットの日記を読んだためだった……!

 あら。
 冒頭のシャルロットがリュシアンの妄想、シャルロットはおバカさんだった、とすればすべて説明が付くわ。

 リュシアンがクライマックスあたりで、「あれはすべて私の夢だったのだ……!」つぶやく。
 その後ろを、「幻想のシャルロット」が「少年時代のリュシアン」と美しく戯れながら通っていく、だけ。
 こんだけの追加でOKよ?

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