友人に会うなり、「元気だねえ」と言われた。
 星組初日、大劇場にて。

 贔屓の退団公演の千秋楽の4日後に、同じ場所にいるんだもんね。
 いやあ、元気ってわけでもないけど、トド様初日だしね。トドファンの端くれだしね。

 まっつ退団祭りの真っ直中だけど、出来る限り「ヅカヲタとしての自分の、ふつうの行動」はするようにしている。
 そうしないと、まっつだけに入れあげすぎて、他を全放棄してしまいそうだ。
 まっつがいなくてもヅカヲタをやめる気はないのだが、まっつのせいでヅカ卒業したくなったのも事実だ。まったく罪なヤツめ。
 先のことはわからないが、まっつ関係なく、日常生活含め、通常の行動は取ろうと心がけている。だから大劇場初日は行くし、9月以降の公演のチケ取りもする。
 そんでもって、早々に大劇場へ行き、「もうここにまっつが立つことはないんだ」と思い知る。うん、実は泣きに来た、てのもあるんだよね。
 4日前まで、ここで雪組公演がやっていた。ここに、まっつがいた。
 たしかに「存在した」人が、もういない。二度と会えない。
 その事実に、泣く。


 なにはともあれ、トド様が大劇場本公演で主演する。
 ……何年ぶりだ?
 日本物ショーには出演していたが、芝居は久しぶりのはず。2008年の『黎明の風』以来?
 タカラヅカのトップスターを頂点としたピラミッド制度を認めているんで、その上にやってくる専科スターというものに「どうよ?」という気持ちはある。
 その是非は置いておいて、トド様降臨が決定項ならばあとは、それを堪能する。

 わたしはトド様が好きだから、主演の彼を見られることはうれしい。興味深い。
 大劇場主演は数年ぶり、れおんくんとのワンツーは、2007年日生劇場の『Kean』以来だ。『Kean』は好きだった、れおんくんが実に良い鬼畜様で、トド様が美しい被虐様で。踊らない公演だったため、れおんくんは史上最大に太ってたけど(笑)。
 今回もまた、れおんくんが悪役で、トド様を追いつめる役だという。やっぱ『Kean』は好評だったの? れおん×トドは需要アリってこと?(笑)

 わくわく観劇しました、『The Lost Glory―美しき幻影―』初日。

 『オセロー』を下敷きにした、景子たん新作。舞台は1920年代のニューヨーク。
 建築王で成功者の中年男オットー@トド。その若き美貌の妻ディアナ@ねねちゃん。
 トドの腹心でありながら、ひそかに彼を裏切り、追いつめていく男イヴァーノ@れおん。
 れおんの暗躍により、トドは妻の不貞を疑うようになる……。

 トップと2番手の力が拮抗していないと、成り立たない作りの物語。
 だからこそ、トップ専科様のトドと、現トップの中でもっともベテランのれおんくんでの上演なんだろう。

 力のある舞台人が、舞台でその実力を競うのは、1ファンとして観客として、とても興味深い。楽しみ。
 それが好きな人たちなら、なおさら。

 ……だったんだ、けど。


 れおんくんとトド様。
 以前、『Kean』で共演したときは、こうじゃなかった。
 れおんくんはまだまだいろいろ足りない若い男の子で、トド様は円熟の余裕のある人だった。

 今は、逆転している。

 トド様の男役芸が、舞台人としての技術、経験値が劣っているわけじゃない。
 ただ……れおんくんの圧倒的な存在感、力強さに、負けていた。

 役柄の後押しもあるとは思う。
 ヘタレ役と行け行けゴーゴーな役では、勢いが違う。
 しかし。
 大劇場を圧倒する主役オーラが……薄く、感じた。

 タカスペや各種イベントで、真ん中で歌うことは、もちろんできる。広大な大劇場の舞台に立ち、その存在感を示すことはできる。今現在、ふつーにやっていることだ。
 でも、それと「芝居で主役をする」ことは、別なんだ……。

 ショーは所詮、1場面だ。全体を通してどうこうじゃない。それにトド様、ショー作品だってまるまるの「主演公演」を大劇場ではやってないしな。
 1場面、せいぜい5分から、長くて10分? それなら、場を征することは出来る。
 でも芝居は、1時間半ある。出番のあるなし、舞台上にいるいないに関わらず、芝居の主役ってのは1時間半全部を通して「主役」であり続け、オーラを発し続けなければならない。
 それは、並大抵のことではない。

 梅芸ではぜんぜん平気だったのに。
 やっぱり、役も関係しているんだろうか。バトラーは今回のれおんくんの役、トド様が今回やっているのは、いわばアシュレだ。
 辛抱役、受動態の役で場を圧倒するのは難しいってことか。

 でもなにより、柚希礼音の漲りっぷり。
 舞台人としてのオーラが半端ナイ。
 れおんくんが強すぎて、トド様が後手に回っている。
 役の上だけじゃない、輪郭が薄れて見える。

 こんなの、はじめてだ……。

 トド様を眺めて長いけど、こんなトド様をはじめて見る。
 わたしが知る限りトド様は、舞台上で誰かに「負ける」ことがなかった。
 下級生時代はそりゃ、当時のトップさんカリンチョさんの存在感の足元にも及んでなかったけど、学年や立ち位置相応の光を放っていた。
 技術や経験が足らない、そんなこととは別次元。
 後手には回らない。好きに存在している。
 だからこそ彼は、一貫して「スター」であれたのだろう。

 大劇場が、広い。大きい。
 そしてトド様が、薄い。
 大劇場を圧倒するオーラを、出せずにいる。


 役者にも、旬ってのはあるよね……。
 その年齢にしか出せないものって、ある。
 トド様の「大劇場」での旬は、過ぎてしまったのかな。それとも、あまりに久しぶりだから、調子が出てなかったのかな。
 なにしろ初日だからな。トド様と雪組は、初日にはしっかり仕上げてくる人であり組だったから、「初日は公開舞台稽古」なんてことはなく、ふつうに及第点だったんだけど。(その代わり、「いつ観ても一緒、変わりばえしない」というのがあった)

 柚希礼音の「スター!」として大きさ、そしてトド様の生彩の薄さに、「世代交代」という言葉の意味を思った。
 そして、「トド様はもう、大劇場で芝居の主演をすることはないのかもな」と、寂しく思った。これが最後かもしれない。
 大劇場で自在に呼吸し、当たり前に存在する彼をずっとずっと見てきた。そして、退団しない限りそれは変わらず、ずっとずっと見られるのだと、思っていた。
 だから、寂しかった。
 なんかもう、すごく寂しかった。
 まっつはもうこの舞台に立たない、そう思うだけでも寂しくて仕方ないのに。
 ずっと「在る」と信じていた人すら、「変化」はある。時は流れる。変わらないものなんて、どこにもない。だからタカラヅカは新陳代謝を繰り返し、100年続いてきた。
 いま、絶頂期を迎えているれおんくんだって、絶対じゃない。彼もいずれここを去るし、もしも残ったとしても、20年後に今のオーラを放出することは難しいだろう。

 寂しくて寂しくて、悲しくて、切ない。
 いやあ、たしかに今日は、泣きに来たんだけどね。それにしてもね。
 やりきれない。

 そんな日だった。

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