いつか、あったはずの翼で・その3。@My Dream TAKARAZUKA
2014年7月26日 タカラヅカ こあらった目線のまっつまっつ、『My Dream TAKARAZUKA』その3。
「第2章 パリ・ドリーム」。
銀橋渡って本舞台へ。
この場面の、まっつのダンスが好き。
や、まっつのダンスはいつも好きなんだけど、改めて。
登場からこのネコちゃんたちの場面まで、ほぼソロでダンスの見せ場だったりするからなー。
ダンスソロは、歌以上になかなか機会を与えられないもんだ。
舞台上にはもちろんまっつ以外もいっぱい登場しているので、まったくのソロダンスではないんだが、ひとり別の役割を得ているので、ソロでの見せ場だと思っている。
昔のまっつのダンスを思い出す。
下級生時代の彼は、もちろんヘタではなかったけれど、とりたてて「うまい」とも思わなかった。
『琥珀色の雨に濡れて』新公でいきなり2番手役に抜擢されたとき、「この役に抜擢される無名の下級生ってことは、ばりばりのダンサーなのかしら!」と期待して、そうでもなかったことにダンサー好きの友人が肩を落としていたっけねえ。
たぶん、技術的なことじゃなくて、「見せ方」だったんだろうな。『La Esperanza』新公でもダンサー役だったんだけど(なんでオサ様の役なのに、ダンサー設定ばかりなの、マサツカ?!)、役の設定ほど「うまい」印象がなかった。
名ダンサーののどかちゃんと組んで踊ったタンゴは良かったから、なおさら「見せ方」なんだろうな。
きっちり踊っているけれど、きっちり過ぎるというか、力の入ったダンス。きちっ、きちっ、「抜く」ことがないというか。
きれいに踊っているのに、あまり目立たない、てのもあったなあ。地味だから……というか、やっぱ「前に出る」「他人を押し退けても自分!」という意識には欠けていたと思う。
客席に向かって発散するのではなく、内に向かう。正しく踊り、表現することに忠実。
それがいつの頃からか、変わってきた。まっつが変わったというより、その求道者的なスタイルが、その道の過程にある境界線を越えたとき、華に匹敵する濃さを得たというか。
ただただ実用だけを考えて磨き続けられた刀身の輝きが、ある一線を越えたときうっかり宝石並みの光を放つようになってしまった的な。
地味か派手かと言われたら、やっぱり地味な芸風だ思うけれど、いぶし銀の存在感を放ちだした。
地味にきれいに、真面目に踊っている……だけにとどまらず、アピるよりも濃くて目に付く個性に昇華されましたよってか。
自分のスタイル貫いて磨き続けると、こんなところにまでたどり着くんだなと。
ネコちゃんたちをバックに踊ってるとこが好きでねえ。ウインクてんこ盛りで「ま、まっつ?!」て感じだし。
ラストのターンがきれいに展開するんだけど、えりたんの登場とかぶっているから、映像には残らないんだろうな。
ソロで役割を得ていることを喜んでいる、と書いたけれど、ひとりがいいとは思ってない。
この「パリ・ドリーム」という場面自体が好きで、たくさんいるキャストの中のまっつが好き。
ジゴロS@えりたんが現れると、物語の中心は彼に移る。それまでの観客の「視点」だったジゴロA@まっつは上手端を通って舞台奥へ回り、他のジゴロたちと合流する。
「主役でないこと」の、面白さ。
それが、まっつにはある。
それまでまっつを照らしていたピンライトが、舞台奥へ向かうまっつの背中を追う。それがやがて、消えるんだ。
奥へ回り、他のジゴロたちの間にまざるときには、ライトは消えている。
そして、娘役たちと入れ替わるように、えりたんの方へ出ていくところで、またライトが当たる。ただしこれはピンではない。
物語のメインになるときにだけ、ライトが当たる。そうでないときは、はずれる。その繰り返しが、面白い。
基本トップはずーーっとライト当たりっぱなしだからね。消えることはない。そうでないからこその、面白さ。
まっつを視界の中心にしていることで、物語が明滅する。
ライトが当たっていないときも、暗転しているわけじゃない、ちゃんと舞台は明るい。ずーっと眺めていられる。
その上で、ライトの軌跡を追う。
ライトの当たっていない、後ろのグループで静止しているときとか、後ろ向いてただ立っているところとか。
物語のフレームの外にいるまっつが、美しい。
後ろ向いてるところ、まっついつもかなり上の方見てるよね。どこを見てるんだろう。なにを思っているんだろう。その顔を見てみたいと、切に思う。
次にピンライトがまっつを照らすのは、せしことペアになったとき。
えりあゆとまつせし、ふた組のカップルダンス。
ああここで、物語のメインとなって再登場したよ、臙脂のスーツの男が。ピンライトだけを追った「物語」ならば、まっつはここで久しぶりに登場したことになる。この、ドラマ性。
まっつとせしこの身長はほぼ同じ。ひょっとしたら、せしこの方が高いんじゃ、てなサイズ感。
それでも余裕の美男美女カップル。大人のエロス。
デュエットダンスが楽しめるのが、中村Bのいいところだ。他の演出家に比べて、中村Bはデュエダン率が高い。脇の子たちまでみんな、男女で踊らせる。
まっつはあくまでも「ジゴロA」。美女と踊ってなお、硬質さがある。ダンスに熱があっても、男と女にエロスが漂っていても、カツンと鳴るような硬質さを感じる。
それは男がジゴロであり、「生きるために愛する」から。
ペアでなくなり、えりたん中心のダンスになった、ラストの盛り上がりも好き。
いのりちゃんの歌声がまた、ドラマティック。
この場面は、わたしの好きな「まっつ」がしこたま詰まってる。
冷めたように空を仰ぐ仕草も好きだし、肩のラインを見せつける腕の動きが多用されているのもいい。
そして、ラストのいのりちゃんの歌い出しのとこ、「♪偽りと知りつつ」で、腕を激しく回すとこが好きだなー。
まっつは基本洗練されていて、小粋にクールに踊るから、時に乱暴に激しく動くときの破壊力がすごい。見ていてぐはぁっ、となる。
んでラストになるとジゴロたちも女たちも、なんとなく笑ってるよね。わたしの視界はまっつ中心なんで、あくまでもその周辺だけなんだけど。
あの硬質で低温だったジゴロが、それまでと同じカラーのダンスを踊りながら、カラーは同じでもスイッチがひとつ上、ターボ入った感じになってて、さらに笑顔も入る、ってナニ。
アダルトでアンニュイなムードに支配されていたけれど、最後にネコちゃんが勝った?
ジゴロの持つ世界観と、ネコちゃんたちのかわいらしい小悪魔ムードがせめぎ合っていたけど、最後はネコちゃんか。
なんせ「♪無邪気な子ネコが愛の夢に誘う」だからね。
いろんなものを超えたところで、笑みを湛えながら踊るまっつがまた、かっこいい。
美しい。
かっこいいね。美しいね。
クールでエロエロだけど、すべて肯定して笑って、真ん中にいるえりたんに集約して、人生賛歌で終わるね。
ああもお、すごすぎだ、この場面。
「第2章 パリ・ドリーム」。
銀橋渡って本舞台へ。
この場面の、まっつのダンスが好き。
や、まっつのダンスはいつも好きなんだけど、改めて。
登場からこのネコちゃんたちの場面まで、ほぼソロでダンスの見せ場だったりするからなー。
ダンスソロは、歌以上になかなか機会を与えられないもんだ。
舞台上にはもちろんまっつ以外もいっぱい登場しているので、まったくのソロダンスではないんだが、ひとり別の役割を得ているので、ソロでの見せ場だと思っている。
昔のまっつのダンスを思い出す。
下級生時代の彼は、もちろんヘタではなかったけれど、とりたてて「うまい」とも思わなかった。
『琥珀色の雨に濡れて』新公でいきなり2番手役に抜擢されたとき、「この役に抜擢される無名の下級生ってことは、ばりばりのダンサーなのかしら!」と期待して、そうでもなかったことにダンサー好きの友人が肩を落としていたっけねえ。
たぶん、技術的なことじゃなくて、「見せ方」だったんだろうな。『La Esperanza』新公でもダンサー役だったんだけど(なんでオサ様の役なのに、ダンサー設定ばかりなの、マサツカ?!)、役の設定ほど「うまい」印象がなかった。
名ダンサーののどかちゃんと組んで踊ったタンゴは良かったから、なおさら「見せ方」なんだろうな。
きっちり踊っているけれど、きっちり過ぎるというか、力の入ったダンス。きちっ、きちっ、「抜く」ことがないというか。
きれいに踊っているのに、あまり目立たない、てのもあったなあ。地味だから……というか、やっぱ「前に出る」「他人を押し退けても自分!」という意識には欠けていたと思う。
客席に向かって発散するのではなく、内に向かう。正しく踊り、表現することに忠実。
それがいつの頃からか、変わってきた。まっつが変わったというより、その求道者的なスタイルが、その道の過程にある境界線を越えたとき、華に匹敵する濃さを得たというか。
ただただ実用だけを考えて磨き続けられた刀身の輝きが、ある一線を越えたときうっかり宝石並みの光を放つようになってしまった的な。
地味か派手かと言われたら、やっぱり地味な芸風だ思うけれど、いぶし銀の存在感を放ちだした。
地味にきれいに、真面目に踊っている……だけにとどまらず、アピるよりも濃くて目に付く個性に昇華されましたよってか。
自分のスタイル貫いて磨き続けると、こんなところにまでたどり着くんだなと。
ネコちゃんたちをバックに踊ってるとこが好きでねえ。ウインクてんこ盛りで「ま、まっつ?!」て感じだし。
ラストのターンがきれいに展開するんだけど、えりたんの登場とかぶっているから、映像には残らないんだろうな。
ソロで役割を得ていることを喜んでいる、と書いたけれど、ひとりがいいとは思ってない。
この「パリ・ドリーム」という場面自体が好きで、たくさんいるキャストの中のまっつが好き。
ジゴロS@えりたんが現れると、物語の中心は彼に移る。それまでの観客の「視点」だったジゴロA@まっつは上手端を通って舞台奥へ回り、他のジゴロたちと合流する。
「主役でないこと」の、面白さ。
それが、まっつにはある。
それまでまっつを照らしていたピンライトが、舞台奥へ向かうまっつの背中を追う。それがやがて、消えるんだ。
奥へ回り、他のジゴロたちの間にまざるときには、ライトは消えている。
そして、娘役たちと入れ替わるように、えりたんの方へ出ていくところで、またライトが当たる。ただしこれはピンではない。
物語のメインになるときにだけ、ライトが当たる。そうでないときは、はずれる。その繰り返しが、面白い。
基本トップはずーーっとライト当たりっぱなしだからね。消えることはない。そうでないからこその、面白さ。
まっつを視界の中心にしていることで、物語が明滅する。
ライトが当たっていないときも、暗転しているわけじゃない、ちゃんと舞台は明るい。ずーっと眺めていられる。
その上で、ライトの軌跡を追う。
ライトの当たっていない、後ろのグループで静止しているときとか、後ろ向いてただ立っているところとか。
物語のフレームの外にいるまっつが、美しい。
後ろ向いてるところ、まっついつもかなり上の方見てるよね。どこを見てるんだろう。なにを思っているんだろう。その顔を見てみたいと、切に思う。
次にピンライトがまっつを照らすのは、せしことペアになったとき。
えりあゆとまつせし、ふた組のカップルダンス。
ああここで、物語のメインとなって再登場したよ、臙脂のスーツの男が。ピンライトだけを追った「物語」ならば、まっつはここで久しぶりに登場したことになる。この、ドラマ性。
まっつとせしこの身長はほぼ同じ。ひょっとしたら、せしこの方が高いんじゃ、てなサイズ感。
それでも余裕の美男美女カップル。大人のエロス。
デュエットダンスが楽しめるのが、中村Bのいいところだ。他の演出家に比べて、中村Bはデュエダン率が高い。脇の子たちまでみんな、男女で踊らせる。
まっつはあくまでも「ジゴロA」。美女と踊ってなお、硬質さがある。ダンスに熱があっても、男と女にエロスが漂っていても、カツンと鳴るような硬質さを感じる。
それは男がジゴロであり、「生きるために愛する」から。
ペアでなくなり、えりたん中心のダンスになった、ラストの盛り上がりも好き。
いのりちゃんの歌声がまた、ドラマティック。
この場面は、わたしの好きな「まっつ」がしこたま詰まってる。
冷めたように空を仰ぐ仕草も好きだし、肩のラインを見せつける腕の動きが多用されているのもいい。
そして、ラストのいのりちゃんの歌い出しのとこ、「♪偽りと知りつつ」で、腕を激しく回すとこが好きだなー。
まっつは基本洗練されていて、小粋にクールに踊るから、時に乱暴に激しく動くときの破壊力がすごい。見ていてぐはぁっ、となる。
んでラストになるとジゴロたちも女たちも、なんとなく笑ってるよね。わたしの視界はまっつ中心なんで、あくまでもその周辺だけなんだけど。
あの硬質で低温だったジゴロが、それまでと同じカラーのダンスを踊りながら、カラーは同じでもスイッチがひとつ上、ターボ入った感じになってて、さらに笑顔も入る、ってナニ。
アダルトでアンニュイなムードに支配されていたけれど、最後にネコちゃんが勝った?
ジゴロの持つ世界観と、ネコちゃんたちのかわいらしい小悪魔ムードがせめぎ合っていたけど、最後はネコちゃんか。
なんせ「♪無邪気な子ネコが愛の夢に誘う」だからね。
いろんなものを超えたところで、笑みを湛えながら踊るまっつがまた、かっこいい。
美しい。
かっこいいね。美しいね。
クールでエロエロだけど、すべて肯定して笑って、真ん中にいるえりたんに集約して、人生賛歌で終わるね。
ああもお、すごすぎだ、この場面。