谷先生で、わたしが印象深くおぼえているのは、『アナジ』のときのインタビューだか対談記事だかの一文だ。
 「轟悠の代表作を作ってやる!」という意気込みで『アナジ』を書いたのだと。

 トドファンだったわたしは感激した。出来映えはともかく、クリエイターが誇りと意欲を持って、本気で没入して生み出した作品を見られるのは、うれしい。
 実際『アナジ』はトンデモ作ではあるけれど、やたら鼻息の荒い「これでもか!」という情熱が込められまくった、谷正純の作家性を凝縮したような作品だった。
 当時の谷作品は、今のイケコの「NPOでエコホテル」くらいわかりやすいパターンがあった。

 主人公は「英雄」。どう英雄なのかはどーでもいい、とにかく「英雄」は決定事項、前提、だから説明なし。
 英雄は仲間たちに信頼され尊敬され崇拝されまくっている。仲間ってのは男たちだ。英雄を語るのに女は不要、男が惚れる男が英雄なのだ。
 だから恋愛要素は僅少。出さなきゃいけないからヒロインを出す。でも作者が愛しているのは主人公である英雄なので、ヒロインなんかどーでもいい。
 英雄はトラブルにぶちあたり、勝てるはずのない戦いに挑み、壮絶に散っていく。
 このトラブルってのも、別になんでもいい、どうでもいい。だって描きたいのは「壮絶な最期を遂げる英雄」なので、そこへ至る事情に興味はない。だから大抵英雄が「そんなアホな!」ということをしでかし、悲劇へなだれ込む。どんなにアホな展開でも、英雄は平気で正義だの人情だのを説く。いや、お前がアホなことをしたせいで、この酷い状況はただの自業自得なんだけど……というツッコミは、崇高な自己犠牲に陶酔した英雄には届かない。
 ひとりで死ねばいいのに、英雄は仲間を道連れにする。英雄の取りまきの男たちが、英雄を守ってひとり、またひとりと死んでいく。
「私のために、大切な命を……!!」谷せんせは「命」という言葉が大好き。「命」「命」大安売り。なんでその言葉が好きかというと、「命は大切。その大切な命を捨てる英雄かっこいい」「仲間たちが大切な命を捨ててまで守ろうとする英雄素晴らしい」ということが描きたいから。
 皆殺しをやりたいから、「命は宝」と声高に語る。

 『春櫻賦』『望郷は海を越えて』『野風の笛』なんかほんと、ストーリーラインそのまんまなんだよねえ。あと、『EL DORADO』『ミケランジェロ』『ささら笹舟』『SAMOURAI』なんかも根っこは同じ。
 主人公讃えて周りが死ぬの。主人公は死んだり生き残ったりするけど、それは最後の結果でしかなく、「英雄」のために誰か死ぬのがお約束。それが谷せんせのリビドー。俺のために命を投げ出す者たちがいる、俺すげえ、俺慟哭、俺陶酔。自己愛炸裂。

 だから『アナジ』は谷せんせの性癖をすべて詰め込んだ、夢のような作品、であって、「轟悠のため」に作られたかどうかはアヤしい。
 でも、たかが文字を読むだけにしろ、リップサービスではなく本気で言ってるんだろうと思った。「轟悠」という役者は、谷せんせのリビドーを満たす男気のある役者だったから。「男の中の男」「男が惚れて命を投げ出す英雄」を体現出来る、男くさい男だった。

 よかったねえ、谷せんせ。自分の描きたいモノを体現してくれる役者に出会って。好きなだけ「男の中の男すげえ」「英雄萌え」を描いてくれていいよ。

 ほんと谷せんせはそっからしばらく、トド相手に同じ話と同じ主人公ばかりを書き続けた。見ているこっちが飽きたり恥ずかしくなったりするほど、欲望ダダ漏れワンパターン。
 あー、『アナジ』がうれしかったんだねえ。楽しかったんだねえ。でもいい加減、別の役と話が見たいです……何年も何作もずっとって。

 そんな記憶があるから。
 谷先生が「代表作を作ってやる!」ってすげー意気込みで、がんばっちゃってたときがあるって、知ってるから。

 『FALSTAFF』を観て、思った。

 谷せんせこれ、「星条海斗の代表作を作ってやる!」って握り拳突き出すような思いで、作ったのかなあ?
 別格スターが主演できる機会は少ない。へたしたら、最初で最後の機会かもしれない。
 そのたった一度の機会を、どういうつもりで消費したんだろう?

 フォルスタッフという役が、マギーの魅力をもっとも引き出す役で、彼の今後のタカラヅカ人生に必要な役だったと、言えるのかな。

 それとも、この公演の意図は、上演目的は、演目と同時に発表された準主役暁くんの魅力を引き出し彼の今後のタカラヅカ人生に必要な役をやらせること、だったのかな。
 谷せんせとしては、ちゃんと劇団のオーダーに応えた、結果なのかしら。

 そう勘ぐってしまうほど、痛々しい作品だ。

 たしかに「空気読めないまぬけなお邪魔キャラ」は、マギーアテ書きかもしれない。マギーはそういった役も得意だと思う。
 てゆーかソレ、谷せんせのマギーのイメージだよね? 谷作品だとマギーはいつもそんな役。谷せんせが、マギーにそういうイメージを植え付けている気がする。

 でもわたしは、かっこいいマギーが観たかった。

 大人の悪役で、それこそにこりともしない役。
 それはもちろん、今までも、そしてこれからも、マギーがやりそうなタイプの役だ。マギーはタカラヅカで貴重な立役、大人の美形男役だ。
 アイドル系の若者たちがヒーローをやる舞台で、大人の悪役は必要。

 いくら悪役を任としていても、マギーにベネディクト@『オーシャンズ11』は回ってこない。それは路線の役だからだ。
 だからこそ、貴重な主演の機会には、「他の舞台では到底出来ない、主役格の悪役」が観たかった。
 マギーの魅力を活かす役であり、そしてさらに、今後のマギーのタカラヅカ人生の血肉になる役だ。

 作品のつまらなさにも大いに肩を落としたけれど。
 たとえどんな駄作でも、「主役がかっこいいからいっか」と思わせてくれるのがタカラヅカ。
 それすらないことに、強い疑問を感じる。

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