音楽は好き。@アーサー王伝説
2016年10月29日 タカラヅカ 月組ドラマシティ公演『アーサー王伝説』観劇。
東スタートの公演だから、DC初日にはこだわらず、その翌日の土曜日に観劇。
面白かった。
……けど、好みじゃないなー。
というのが、正直なところ。
物語の展開云々ではなく、情緒部分が好みからはずれている。
英雄や天才の孤独、は好きなテーマだ。
だから「アーサー王」というだけで「好みのネタ」だと思う。
実際、アーサー@たまきちは選ばれたるモノの孤独を背負っていたし、歌っていた。
でもチガウ……心がヒリヒリしない……。
そしてそれは、ランスロット@あーさにしろ、グィネヴィア@ちゃぴにしろだ。
設定自体は魅力的だし、ストーリー展開も悪くないのに、感情が彼らに寄りそわない。あちこちで「え、そう感じちゃうんですか?(わたしならありえない)」と断絶される感じ。
感動したいと思って見ているから、積極的に気持ちを高めようとしているんだけど、もうちょいでイケる!ってときに、水差されるのな、……なんのプレイだコレ。
作者と気が合わないのか、はたまた潤色者と合わないのか。
作者って『1789』の人なんだ?
だったら作者と合わないのかもしれないな。
『1789』と同じもどかしさ、感覚のズレを感じる。『1789』より今回の方が違和感が大きいんだけど。
『1789』大好きなんだけどそれは、音楽の力が大きい。「心」の部分ではそれほど感銘を受けなかった。
『アーサー王伝説』も音楽のおかげで大分底上げされてる……けど、その音楽も『1789』の方が好み。
今回のもっとも大きな疑問はふたつ。
神・アリアンロッドの造形。
グィネヴィアの発狂。
アリアンロッドがうざくてうざくて。
なんでこんな、カンチガイしたアニメキャラみたいになってんの? 原作がそうなの? フランスではジャパニメーションが人気過ぎて、「日本でいつかアニメ化されますように!」とわざとアニキャラ出してんの?
わかば&くらげの萌えキャラ姉妹はいいの。てゆーかあっちは大好き。なのに、小雪ちゃん演じるロリキャラがダメ、ってのは、ロリがダメなのかなわたし?
なまじヲタだから、「ロリキャラに魅力も興味も感じていない人が、外側だけなぞっててきとーにロリキャラ作りました、ほーらロリッ娘だぞありがたがれ」的な臭いを感じて生理的嫌悪感が抑えられない!的な?
小雪ちゃんの芸風に二次元的なものがないため?
自分でも結論は出ないんだが、とにかくアリアンロッドがダメだった。
「少女」とするにしても、他の描き方が出来たのに、わざわざあの造形なのが嫌だ。
ここで必要なのはロリ娘ではなく、聖少女だと思うんだ。生田くんなら『BUND/NEON 上海』の姫花系で作ってくれたろうになあ、とか。
最初に登場するアリアンロッドの造形で、この作品の色がわかっちゃったよなあ。ああ、切ない系ではないんだって。英雄譚でも冒険活劇でも、切ない系は在る。
ああこりゃダメだ、わたし的に、きっとわたしの好みじゃない……と、いや、最初はさすがにそこまで思わなかったけど、観終わったあとで思い返すと納得です、冒頭大事。
そしてラスト。
アーサーが罪を犯したグィネヴィアとランスロットを許す。
それはいい。
でも、それがなあ……。
狂ったグィネヴィアの介護を一生しろ、オマエは終身刑だ、とランスロットに言っているみたいで「えええっ」となった。
グィネヴィアの発狂自体すげー唐突で。
彼女の性格からいって、「死の恐怖で」発狂するとは思えない。でもそれ以外の理由は特に描かれていない。
え、なんで狂ってるの? と展開について行けてないところに、「狂った女を押し付けて厄介払い」するアーサー……。
グィネヴィアが狂っていてランスロットのこともわからないなら、彼のもとにやる必要はないよねえ。
わたしだったら、グィネヴィアの意識がリセットされてしまった、もうなにもわからないおぼえてない、ただの人形のようになってしまった……という段階で。
アーサーに、彼女の手を取らせる。
なにもわからないなりに、グィネヴィアのなかのアーサーを愛した部分が反応し、ふたりでわずかなダンス。
狂ったままでも、自分のことをおぼえてなくても。
彼女にそばにいてほしい。
と、アーサーに告げさせる。
ランスロットも、それがアーサーの、そしてグィネヴィアの幸せならば、と受け入れかける。
でも、人形となったグィネヴィアがランスロットに反応する。アーサーの腕の中で、ランスロットを求めるそぶりをする。
それによって、アーサーがランスロットに問う。
このような状態になった今でも、グィネヴィアを愛しているのかと。
ランスロットが愛を誓い、アーサーはグィネヴィアを彼に託す。
それだけのやりとりを経てからだ、「一生面倒をみろ」と言っていいのは。
妻が狂った、即「一生面倒みろ」と間男へパス。
てのは、あんまりだ。
えええ、ちっともアーサーが寛大に見えない、矮小な寝取られ逆ギレ亭主に見える……と、びびっているうちに、エンディングですよ。
えええ、これで終わり? こんなんで終わっちゃうの?!
てゆーかモーガン@みやるりどうなった。
終わりよければすべてよし、の反対。
終わり方にびびりすぎて、それまでのよかった部分全部吹っ飛んだ(笑)。
なんなのこの「少年ジャンプ」の打ち切りマンガみたいな作品。
ラスト見開き2ページにキャラクタ全員(主人公たち以外はイメージ映像)並べて、「俺たちの戦いはこれからだ!!」……〇△先生の次回作にご期待ください、みたいな。
感想。
面白かったけど、好きじゃない。
東スタートの公演だから、DC初日にはこだわらず、その翌日の土曜日に観劇。
面白かった。
……けど、好みじゃないなー。
というのが、正直なところ。
物語の展開云々ではなく、情緒部分が好みからはずれている。
英雄や天才の孤独、は好きなテーマだ。
だから「アーサー王」というだけで「好みのネタ」だと思う。
実際、アーサー@たまきちは選ばれたるモノの孤独を背負っていたし、歌っていた。
でもチガウ……心がヒリヒリしない……。
そしてそれは、ランスロット@あーさにしろ、グィネヴィア@ちゃぴにしろだ。
設定自体は魅力的だし、ストーリー展開も悪くないのに、感情が彼らに寄りそわない。あちこちで「え、そう感じちゃうんですか?(わたしならありえない)」と断絶される感じ。
感動したいと思って見ているから、積極的に気持ちを高めようとしているんだけど、もうちょいでイケる!ってときに、水差されるのな、……なんのプレイだコレ。
作者と気が合わないのか、はたまた潤色者と合わないのか。
作者って『1789』の人なんだ?
だったら作者と合わないのかもしれないな。
『1789』と同じもどかしさ、感覚のズレを感じる。『1789』より今回の方が違和感が大きいんだけど。
『1789』大好きなんだけどそれは、音楽の力が大きい。「心」の部分ではそれほど感銘を受けなかった。
『アーサー王伝説』も音楽のおかげで大分底上げされてる……けど、その音楽も『1789』の方が好み。
今回のもっとも大きな疑問はふたつ。
神・アリアンロッドの造形。
グィネヴィアの発狂。
アリアンロッドがうざくてうざくて。
なんでこんな、カンチガイしたアニメキャラみたいになってんの? 原作がそうなの? フランスではジャパニメーションが人気過ぎて、「日本でいつかアニメ化されますように!」とわざとアニキャラ出してんの?
わかば&くらげの萌えキャラ姉妹はいいの。てゆーかあっちは大好き。なのに、小雪ちゃん演じるロリキャラがダメ、ってのは、ロリがダメなのかなわたし?
なまじヲタだから、「ロリキャラに魅力も興味も感じていない人が、外側だけなぞっててきとーにロリキャラ作りました、ほーらロリッ娘だぞありがたがれ」的な臭いを感じて生理的嫌悪感が抑えられない!的な?
小雪ちゃんの芸風に二次元的なものがないため?
自分でも結論は出ないんだが、とにかくアリアンロッドがダメだった。
「少女」とするにしても、他の描き方が出来たのに、わざわざあの造形なのが嫌だ。
ここで必要なのはロリ娘ではなく、聖少女だと思うんだ。生田くんなら『BUND/NEON 上海』の姫花系で作ってくれたろうになあ、とか。
最初に登場するアリアンロッドの造形で、この作品の色がわかっちゃったよなあ。ああ、切ない系ではないんだって。英雄譚でも冒険活劇でも、切ない系は在る。
ああこりゃダメだ、わたし的に、きっとわたしの好みじゃない……と、いや、最初はさすがにそこまで思わなかったけど、観終わったあとで思い返すと納得です、冒頭大事。
そしてラスト。
アーサーが罪を犯したグィネヴィアとランスロットを許す。
それはいい。
でも、それがなあ……。
狂ったグィネヴィアの介護を一生しろ、オマエは終身刑だ、とランスロットに言っているみたいで「えええっ」となった。
グィネヴィアの発狂自体すげー唐突で。
彼女の性格からいって、「死の恐怖で」発狂するとは思えない。でもそれ以外の理由は特に描かれていない。
え、なんで狂ってるの? と展開について行けてないところに、「狂った女を押し付けて厄介払い」するアーサー……。
グィネヴィアが狂っていてランスロットのこともわからないなら、彼のもとにやる必要はないよねえ。
わたしだったら、グィネヴィアの意識がリセットされてしまった、もうなにもわからないおぼえてない、ただの人形のようになってしまった……という段階で。
アーサーに、彼女の手を取らせる。
なにもわからないなりに、グィネヴィアのなかのアーサーを愛した部分が反応し、ふたりでわずかなダンス。
狂ったままでも、自分のことをおぼえてなくても。
彼女にそばにいてほしい。
と、アーサーに告げさせる。
ランスロットも、それがアーサーの、そしてグィネヴィアの幸せならば、と受け入れかける。
でも、人形となったグィネヴィアがランスロットに反応する。アーサーの腕の中で、ランスロットを求めるそぶりをする。
それによって、アーサーがランスロットに問う。
このような状態になった今でも、グィネヴィアを愛しているのかと。
ランスロットが愛を誓い、アーサーはグィネヴィアを彼に託す。
それだけのやりとりを経てからだ、「一生面倒をみろ」と言っていいのは。
妻が狂った、即「一生面倒みろ」と間男へパス。
てのは、あんまりだ。
えええ、ちっともアーサーが寛大に見えない、矮小な寝取られ逆ギレ亭主に見える……と、びびっているうちに、エンディングですよ。
えええ、これで終わり? こんなんで終わっちゃうの?!
てゆーかモーガン@みやるりどうなった。
終わりよければすべてよし、の反対。
終わり方にびびりすぎて、それまでのよかった部分全部吹っ飛んだ(笑)。
なんなのこの「少年ジャンプ」の打ち切りマンガみたいな作品。
ラスト見開き2ページにキャラクタ全員(主人公たち以外はイメージ映像)並べて、「俺たちの戦いはこれからだ!!」……〇△先生の次回作にご期待ください、みたいな。
感想。
面白かったけど、好きじゃない。