泥に、まみれる。その2。@星逢一夜
2015年8月3日 タカラヅカ 『星逢一夜』公演中盤。源太@だいもんが初日あたりと別人過ぎる件。
泉のために、村のために土下座するんだよ、源太いいヤツ。……だったはずが、土下座が反対の意味になっていた。なんてこったい。
そして、源太ショックはこれだけでは収まらない。
彼の眼に宿る、狂気。
一揆がはじまってからの彼は、鬼気迫る様相になる。
こわい。
源太から、目が離せない。
なにが起こっているの、どこへ向かっているの。
もう何度も観た物語なのに、先が読めない。
晴興@ちぎくんとの一騎打ちの凄まじさ。
降りしきる雨。
泥が見える。
何度も地に転がる、地を這う源太は、泥にまみれていく。
晴興は美しいまま。彼は地に這うことなく立ち続け、源太だけが汚れる。
清と濁。
ふたつの差は埋まらない。
それがまた、源太を狂気へ駆り立てる。
えーとこのひと、すでにおかしいよね?
あっちがわへいっちゃってるよね?
一騎打ちのクライマックス、晴興と源太が背を合わせて笑うところがあるじゃないですか。
なんで笑うのか理解出来なくて違和感ばりばりだったけど、初日あたりは笑ってた。
その場面で、源太は笑ってない。
前に観たときも晴興はともかく、源太はすでに笑いはしていなかったけれど……今回のこれは……これは……。
源太が、すごい顔をしていた。
半分白目剥いてるっていうか、とてもおかしな、醜い顔。
少なくとも、タカラジェンヌが舞台でしていい顔じゃない(笑)。
狂気はある意味耽美っていうか、タカラヅカでもアリな美しい表現のひとつだけど、だいもんさん、それすら行きすぎて、ほんとうにおかしくなってる。現実ならそういう顔になるかもしんないけど、タカラヅカでそこまで表現する必要ないよ、ってとこまで、「狂気表現」から半周くらい行きすぎてる。
タカラヅカでここまでやるのは反則で、タカラヅカ的でないことをやって舞台を掻き回すのはまずいかもしれない。
が、わたしは、掻き回された。そのまんま受け取って、心臓ばくばくして、恐怖に泣いた。
恐怖……源太こわい、のは確かだけど、ここまでくるともうそういう次元のことではなくて、源太単体ではなく、源太を通して「人間」という存在そのものに恐怖した。
今の源太を作った状況、ひとの心、そして今の源太がもたらすだろう歪みにまで、すべてひっくるめて掻き乱され、恐怖した。
こわい。
そして。
改めて、思った。
源太は、死ななければならない。
可哀想だとか、最善の道が他にとか、遺された者が……とか、情ゆえに生きていて欲しいと思うのではなく、ここまで来たら、死ぬしかない、と思った。
ひととして、ここにたどり着いてしまった者は、もう、果てるしかないよなあ。
晴興を、可哀想だと思った。
彼は、源太を殺させられたんだ。
源太を殺すしかない、と、逃げ道のないところへ追いやられた。
藩主として幼なじみとしてそうするしかなかった、という域を超えて、この状態に巻き込まれた者として、役割を押し付けられたんだ。
可哀想だ……あれは、可哀想だ……。
あんなものを、あんな感情を、見せつけられ、押し付けられ、すべて背負わされて、殺すしかなくなるとか。
どんだけ酷いんよ……。
いやもお、壮絶過ぎて。
いつもは源太死んだあとから、櫓の上でのちぎみゆいちゃいちゃから泣けるわたしが、このときは源太の生き様の凄さに息も絶え絶えで、そのあとの場面が、番外編に思えた。
なんつーんだ、夜空が白むほどの花火の大連発、大音声、光光光、うわーーっ!! となって、何万人の観客がわーっと拍手して、ああ、終わったー! すごかったねー!! ってなってるなか、ぽつんぽつんと送り花火が上がってる……あの感じ。
送り花火もたしかにきれいで、花火大会の一部には違いないんだけど、「ああ、花火大会終わったねー」「きれいだったね」「来年も来ようね」って会話しながら眺める程度のモノで……。
終わった……! という、集中のあとの脱力感で、肩で息をしながら呆然と眺めている感じ。
すごかった……。
あのちぎみゆ櫓ラヴシーンが色を失うほど、源太すごかった……。
そして、混乱する。
源太すごかった。
巻き込まれた。
掻き乱された。
が。
どうなんだそれ。
ただもう巻き込まれて奔流に流されただけで、なにがなんだかわからない。
整理出来ない。
依然、源太がわからない。
いや、わかる。
前回わからない、と言ったあの感覚とは違う。情報量少ない、源太が見えてこない、そう思ったのはチガウ。
情報量自体は変わってないかもしれないんだが、今はそのわずかな量が濃すぎて、重すぎて、混乱する。
だいもん……勘弁してくれよ~~。
ほんと、ひどい役者だな(笑)。
この人が何故こんなに人気あるのか、そりゃそうだろ、こんな舞台やる役者、そりゃ人気出るわ。
年功序列の花組では、これをやりたくてもやれる役を与えられなかった。
やっていい立場、立ち位置を与えられれば、こんだけのことをしてのける。
そりゃ、人気出るわ。
舞台の上で、奔流を起こせる人。空気を作り、動かす。その中心になる、起点になる人。
ライブ・エンターテインメントで、「主役」に求められる資質って、まさにソレよね。
生きた空気を動かすこと。それがなければ、映像でいいんだから。時間と場所を共有して「その場」にいることの意味。
いや~、いい体験しました。
そしてさらにまだまだ、体験させてもらえる、公演は続く。
そのことが、震えるほどうれしい。
源太は、面白い。
『星逢一夜』という作品は、面白い。
ツッコミどころはいろいろある。よく出来た作品だけど、物申したい部分はいろいろある。なまじきれいな造作だから、継ぎ目の穴が気になるとか裏地の処理が気になるというか。作品自体破綻していたら、そんな些末はどうでもいい、てなことになるけどさ。
穴あるなあ、ゆるゆるだなあ。そう思う。が、その穴とかゆるさゆえに、だいもんが、暴れられるのなら、それでいい。
送り花火を眺めるくらい、遠くぼーっとしていたのに、やっぱりちぎみゆ最強、櫓芝居では途中からまた引き込まれたし。
面白いなあ。こんな風に、心が引っ張られたり暴力的に振り回されたり、また戻って来たり、フィクション味わう醍醐味だよなあ。
もっと観たい。
役者のモノになった、『星逢一夜』を。
泉のために、村のために土下座するんだよ、源太いいヤツ。……だったはずが、土下座が反対の意味になっていた。なんてこったい。
そして、源太ショックはこれだけでは収まらない。
彼の眼に宿る、狂気。
一揆がはじまってからの彼は、鬼気迫る様相になる。
こわい。
源太から、目が離せない。
なにが起こっているの、どこへ向かっているの。
もう何度も観た物語なのに、先が読めない。
晴興@ちぎくんとの一騎打ちの凄まじさ。
降りしきる雨。
泥が見える。
何度も地に転がる、地を這う源太は、泥にまみれていく。
晴興は美しいまま。彼は地に這うことなく立ち続け、源太だけが汚れる。
清と濁。
ふたつの差は埋まらない。
それがまた、源太を狂気へ駆り立てる。
えーとこのひと、すでにおかしいよね?
あっちがわへいっちゃってるよね?
一騎打ちのクライマックス、晴興と源太が背を合わせて笑うところがあるじゃないですか。
なんで笑うのか理解出来なくて違和感ばりばりだったけど、初日あたりは笑ってた。
その場面で、源太は笑ってない。
前に観たときも晴興はともかく、源太はすでに笑いはしていなかったけれど……今回のこれは……これは……。
源太が、すごい顔をしていた。
半分白目剥いてるっていうか、とてもおかしな、醜い顔。
少なくとも、タカラジェンヌが舞台でしていい顔じゃない(笑)。
狂気はある意味耽美っていうか、タカラヅカでもアリな美しい表現のひとつだけど、だいもんさん、それすら行きすぎて、ほんとうにおかしくなってる。現実ならそういう顔になるかもしんないけど、タカラヅカでそこまで表現する必要ないよ、ってとこまで、「狂気表現」から半周くらい行きすぎてる。
タカラヅカでここまでやるのは反則で、タカラヅカ的でないことをやって舞台を掻き回すのはまずいかもしれない。
が、わたしは、掻き回された。そのまんま受け取って、心臓ばくばくして、恐怖に泣いた。
恐怖……源太こわい、のは確かだけど、ここまでくるともうそういう次元のことではなくて、源太単体ではなく、源太を通して「人間」という存在そのものに恐怖した。
今の源太を作った状況、ひとの心、そして今の源太がもたらすだろう歪みにまで、すべてひっくるめて掻き乱され、恐怖した。
こわい。
そして。
改めて、思った。
源太は、死ななければならない。
可哀想だとか、最善の道が他にとか、遺された者が……とか、情ゆえに生きていて欲しいと思うのではなく、ここまで来たら、死ぬしかない、と思った。
ひととして、ここにたどり着いてしまった者は、もう、果てるしかないよなあ。
晴興を、可哀想だと思った。
彼は、源太を殺させられたんだ。
源太を殺すしかない、と、逃げ道のないところへ追いやられた。
藩主として幼なじみとしてそうするしかなかった、という域を超えて、この状態に巻き込まれた者として、役割を押し付けられたんだ。
可哀想だ……あれは、可哀想だ……。
あんなものを、あんな感情を、見せつけられ、押し付けられ、すべて背負わされて、殺すしかなくなるとか。
どんだけ酷いんよ……。
いやもお、壮絶過ぎて。
いつもは源太死んだあとから、櫓の上でのちぎみゆいちゃいちゃから泣けるわたしが、このときは源太の生き様の凄さに息も絶え絶えで、そのあとの場面が、番外編に思えた。
なんつーんだ、夜空が白むほどの花火の大連発、大音声、光光光、うわーーっ!! となって、何万人の観客がわーっと拍手して、ああ、終わったー! すごかったねー!! ってなってるなか、ぽつんぽつんと送り花火が上がってる……あの感じ。
送り花火もたしかにきれいで、花火大会の一部には違いないんだけど、「ああ、花火大会終わったねー」「きれいだったね」「来年も来ようね」って会話しながら眺める程度のモノで……。
終わった……! という、集中のあとの脱力感で、肩で息をしながら呆然と眺めている感じ。
すごかった……。
あのちぎみゆ櫓ラヴシーンが色を失うほど、源太すごかった……。
そして、混乱する。
源太すごかった。
巻き込まれた。
掻き乱された。
が。
どうなんだそれ。
ただもう巻き込まれて奔流に流されただけで、なにがなんだかわからない。
整理出来ない。
依然、源太がわからない。
いや、わかる。
前回わからない、と言ったあの感覚とは違う。情報量少ない、源太が見えてこない、そう思ったのはチガウ。
情報量自体は変わってないかもしれないんだが、今はそのわずかな量が濃すぎて、重すぎて、混乱する。
だいもん……勘弁してくれよ~~。
ほんと、ひどい役者だな(笑)。
この人が何故こんなに人気あるのか、そりゃそうだろ、こんな舞台やる役者、そりゃ人気出るわ。
年功序列の花組では、これをやりたくてもやれる役を与えられなかった。
やっていい立場、立ち位置を与えられれば、こんだけのことをしてのける。
そりゃ、人気出るわ。
舞台の上で、奔流を起こせる人。空気を作り、動かす。その中心になる、起点になる人。
ライブ・エンターテインメントで、「主役」に求められる資質って、まさにソレよね。
生きた空気を動かすこと。それがなければ、映像でいいんだから。時間と場所を共有して「その場」にいることの意味。
いや~、いい体験しました。
そしてさらにまだまだ、体験させてもらえる、公演は続く。
そのことが、震えるほどうれしい。
源太は、面白い。
『星逢一夜』という作品は、面白い。
ツッコミどころはいろいろある。よく出来た作品だけど、物申したい部分はいろいろある。なまじきれいな造作だから、継ぎ目の穴が気になるとか裏地の処理が気になるというか。作品自体破綻していたら、そんな些末はどうでもいい、てなことになるけどさ。
穴あるなあ、ゆるゆるだなあ。そう思う。が、その穴とかゆるさゆえに、だいもんが、暴れられるのなら、それでいい。
送り花火を眺めるくらい、遠くぼーっとしていたのに、やっぱりちぎみゆ最強、櫓芝居では途中からまた引き込まれたし。
面白いなあ。こんな風に、心が引っ張られたり暴力的に振り回されたり、また戻って来たり、フィクション味わう醍醐味だよなあ。
もっと観たい。
役者のモノになった、『星逢一夜』を。