『星逢一夜』についてうだうだ語る、前日欄からの続き。


 以前別欄で書いたけれど、櫓の上での晴興@ちぎくんと泉@みゆちゃんの別れの場面では、晴興はもとの晴興に戻っている。
 もとの、というのは、蛍村の子どもたちと一緒にいた頃の紀之介、ではない。
 吉宗と出会う前の晴興、だ。

 藩主の跡取りになっても、名を晴興としても、また父に連れられ江戸城に赴いても、晴興は晴興、本質は変わらないままだった。
 彼が変わったのは、吉宗@エマさんと出会ったためだ。
 吉宗と出会い、彼と共に生きようとしたことで、変わったんだ。
 だから吉宗を捨てたあと、晴興はシンプルな「晴興」自身に戻る。ゆえに、泉に「一緒に行くか」と言えるんだ。

 8/24欄の器とメモリの話でいうと、吉宗との確執が全部なくなったので、メモリ3の段階まできれいさっぱり消えて、星逢祭りで本能のままに泉を口説いた、あのあたりの晴興に戻ってるのな。
 昔の晴興まんまじゃない、だってもう彼は吉宗を知っている。その上で、吉宗という錘から解き放たれたことで、押さえられ見えなくなっていた恋心を素直に表しているんだ。


 最初に挙げたわたしの疑問はすべて、「吉宗を描かなかったため」で説明が付く。
 この物語が要求する「2番手」の役割は、源太ではなく吉宗にある。
 なのに、物語の主軸を歪めてまで、吉宗を脇役にし、源太を2番手役にしている。
 それゆえにいろいろと齟齬が生まれた。

 パズルのピースを当てはめ、ひとりよがりだろーとなんだろーと結論を出して一息ついて。

 新たな疑問。

 何故、主軸を歪めてまで、「2番目に重要な役」を変更しなければならなかったか?

 単純に時間がなかったためか。
 2時間以上時間を取れる別箱でなら、晴興の2本の軸をしっかり書き込めたろう。
 恋と仕事、どちらかしか描く時間がない場合、タカラヅカなんだから恋を取るのは正しい。日曜9時のTBS系ドラマなら、仕事メインにするだろうけど。(『半沢直樹』とか『下町ロケット』とかの男たちのお仕事ドラマ枠ね)
 それはそれでいいんだけど、変な誤魔化しはせず、「時間ナイから省略しました!」とすぱっとやってほしかったなー。2度目の江戸城の場面のキモチ悪さはナイわー。

 てゆーかなんで吉宗2番手役じゃいかんかったんやろ。

 おっさんだから?
 劇団が大好きな海外ミュージカルは、2番手役が容赦なくおっさんですよ? 『エリザベート』だって2番手が若いのは一瞬であとはほとんどヒゲオヤジだし、『ME AND MY GIRL』も『ガイズ&ドールズ』もヒゲオヤジですよ? 『ファントム』なんか父親役ですよ?

 男同士の愛憎劇はまずいと判断?
 でも、トップスターと2番手なんて、愛憎してなんぼでしょうに。晴興と源太だって、本当なら泉をはさんで愛憎するはずだし(現脚本では、ろくに愛憎関係にないけどなー)。

 主人公の「宿命の相手」「愛憎の相手」がびんぼーな名もなき農民であるより、一国の君主である方がドラマチックだし、「タカラヅカ」的にも正しいのに。

 吉宗がダメだった理由は、まったく想像が付かない。
 だいもん氏が「子どもにしか見えない、若々しい持ち味の2番手さん」だというならともかく……おっさんOKな貫禄ありまくりの人ですよ?
 わからんわー。

 吉宗2番手はNG、源太を2番手にしなければならない大人の事情なり、ウエクミのこだわりなりがあったとして。
 それなら、なんでもっとちゃんと源太を描かないんだ? 主軸を歪めるなら、本腰入れて変更しなきゃ。吉宗2番手のときと同じレベルの描き方(昔友だちだったけど、今は無関係で互いに興味なし)のままじゃまずいわ。
 主人公が興味も接点もない相手を「愛憎渦巻く2番手の役」にするのは高等技術が必要、てゆーかそんなもん描くには時間が掛かりすぎるからよせ。
 シンプルに、「親友とひとりの女を取り合う」でいいじゃん。なんで源太を「ただの知り合い」としか描いてないんだ?

 前に書いたように、今の脚本のままで「源太と晴興を親友同士にする」事は出来るんだ。台詞と演出を少し変更するだけで、ふたりは親友になれる。

 何故こんなことになっているのだろう?


 作品を好きだと思うからこそ、残念な部分が気になる。
 脚本のツケを背負わされたのが源太で、それを払うべく奮闘しているだいもんがえらく魅力的だから、結果オーライ、それでいいのかな。

 そしてわたしは、まっつを恋しく思う。
 まっつの吉宗見たかったなあ、と。←しつこい(笑)

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