疑問はすべて、答えを得る。@星逢一夜
2015年8月27日 タカラヅカ 『星逢一夜』についてうだうだ語る、前日欄からの続き。
以前別欄で書いたけれど、櫓の上での晴興@ちぎくんと泉@みゆちゃんの別れの場面では、晴興はもとの晴興に戻っている。
もとの、というのは、蛍村の子どもたちと一緒にいた頃の紀之介、ではない。
吉宗と出会う前の晴興、だ。
藩主の跡取りになっても、名を晴興としても、また父に連れられ江戸城に赴いても、晴興は晴興、本質は変わらないままだった。
彼が変わったのは、吉宗@エマさんと出会ったためだ。
吉宗と出会い、彼と共に生きようとしたことで、変わったんだ。
だから吉宗を捨てたあと、晴興はシンプルな「晴興」自身に戻る。ゆえに、泉に「一緒に行くか」と言えるんだ。
8/24欄の器とメモリの話でいうと、吉宗との確執が全部なくなったので、メモリ3の段階まできれいさっぱり消えて、星逢祭りで本能のままに泉を口説いた、あのあたりの晴興に戻ってるのな。
昔の晴興まんまじゃない、だってもう彼は吉宗を知っている。その上で、吉宗という錘から解き放たれたことで、押さえられ見えなくなっていた恋心を素直に表しているんだ。
最初に挙げたわたしの疑問はすべて、「吉宗を描かなかったため」で説明が付く。
この物語が要求する「2番手」の役割は、源太ではなく吉宗にある。
なのに、物語の主軸を歪めてまで、吉宗を脇役にし、源太を2番手役にしている。
それゆえにいろいろと齟齬が生まれた。
パズルのピースを当てはめ、ひとりよがりだろーとなんだろーと結論を出して一息ついて。
新たな疑問。
何故、主軸を歪めてまで、「2番目に重要な役」を変更しなければならなかったか?
単純に時間がなかったためか。
2時間以上時間を取れる別箱でなら、晴興の2本の軸をしっかり書き込めたろう。
恋と仕事、どちらかしか描く時間がない場合、タカラヅカなんだから恋を取るのは正しい。日曜9時のTBS系ドラマなら、仕事メインにするだろうけど。(『半沢直樹』とか『下町ロケット』とかの男たちのお仕事ドラマ枠ね)
それはそれでいいんだけど、変な誤魔化しはせず、「時間ナイから省略しました!」とすぱっとやってほしかったなー。2度目の江戸城の場面のキモチ悪さはナイわー。
てゆーかなんで吉宗2番手役じゃいかんかったんやろ。
おっさんだから?
劇団が大好きな海外ミュージカルは、2番手役が容赦なくおっさんですよ? 『エリザベート』だって2番手が若いのは一瞬であとはほとんどヒゲオヤジだし、『ME AND MY GIRL』も『ガイズ&ドールズ』もヒゲオヤジですよ? 『ファントム』なんか父親役ですよ?
男同士の愛憎劇はまずいと判断?
でも、トップスターと2番手なんて、愛憎してなんぼでしょうに。晴興と源太だって、本当なら泉をはさんで愛憎するはずだし(現脚本では、ろくに愛憎関係にないけどなー)。
主人公の「宿命の相手」「愛憎の相手」がびんぼーな名もなき農民であるより、一国の君主である方がドラマチックだし、「タカラヅカ」的にも正しいのに。
吉宗がダメだった理由は、まったく想像が付かない。
だいもん氏が「子どもにしか見えない、若々しい持ち味の2番手さん」だというならともかく……おっさんOKな貫禄ありまくりの人ですよ?
わからんわー。
吉宗2番手はNG、源太を2番手にしなければならない大人の事情なり、ウエクミのこだわりなりがあったとして。
それなら、なんでもっとちゃんと源太を描かないんだ? 主軸を歪めるなら、本腰入れて変更しなきゃ。吉宗2番手のときと同じレベルの描き方(昔友だちだったけど、今は無関係で互いに興味なし)のままじゃまずいわ。
主人公が興味も接点もない相手を「愛憎渦巻く2番手の役」にするのは高等技術が必要、てゆーかそんなもん描くには時間が掛かりすぎるからよせ。
シンプルに、「親友とひとりの女を取り合う」でいいじゃん。なんで源太を「ただの知り合い」としか描いてないんだ?
前に書いたように、今の脚本のままで「源太と晴興を親友同士にする」事は出来るんだ。台詞と演出を少し変更するだけで、ふたりは親友になれる。
何故こんなことになっているのだろう?
作品を好きだと思うからこそ、残念な部分が気になる。
脚本のツケを背負わされたのが源太で、それを払うべく奮闘しているだいもんがえらく魅力的だから、結果オーライ、それでいいのかな。
そしてわたしは、まっつを恋しく思う。
まっつの吉宗見たかったなあ、と。←しつこい(笑)
以前別欄で書いたけれど、櫓の上での晴興@ちぎくんと泉@みゆちゃんの別れの場面では、晴興はもとの晴興に戻っている。
もとの、というのは、蛍村の子どもたちと一緒にいた頃の紀之介、ではない。
吉宗と出会う前の晴興、だ。
藩主の跡取りになっても、名を晴興としても、また父に連れられ江戸城に赴いても、晴興は晴興、本質は変わらないままだった。
彼が変わったのは、吉宗@エマさんと出会ったためだ。
吉宗と出会い、彼と共に生きようとしたことで、変わったんだ。
だから吉宗を捨てたあと、晴興はシンプルな「晴興」自身に戻る。ゆえに、泉に「一緒に行くか」と言えるんだ。
8/24欄の器とメモリの話でいうと、吉宗との確執が全部なくなったので、メモリ3の段階まできれいさっぱり消えて、星逢祭りで本能のままに泉を口説いた、あのあたりの晴興に戻ってるのな。
昔の晴興まんまじゃない、だってもう彼は吉宗を知っている。その上で、吉宗という錘から解き放たれたことで、押さえられ見えなくなっていた恋心を素直に表しているんだ。
最初に挙げたわたしの疑問はすべて、「吉宗を描かなかったため」で説明が付く。
この物語が要求する「2番手」の役割は、源太ではなく吉宗にある。
なのに、物語の主軸を歪めてまで、吉宗を脇役にし、源太を2番手役にしている。
それゆえにいろいろと齟齬が生まれた。
パズルのピースを当てはめ、ひとりよがりだろーとなんだろーと結論を出して一息ついて。
新たな疑問。
何故、主軸を歪めてまで、「2番目に重要な役」を変更しなければならなかったか?
単純に時間がなかったためか。
2時間以上時間を取れる別箱でなら、晴興の2本の軸をしっかり書き込めたろう。
恋と仕事、どちらかしか描く時間がない場合、タカラヅカなんだから恋を取るのは正しい。日曜9時のTBS系ドラマなら、仕事メインにするだろうけど。(『半沢直樹』とか『下町ロケット』とかの男たちのお仕事ドラマ枠ね)
それはそれでいいんだけど、変な誤魔化しはせず、「時間ナイから省略しました!」とすぱっとやってほしかったなー。2度目の江戸城の場面のキモチ悪さはナイわー。
てゆーかなんで吉宗2番手役じゃいかんかったんやろ。
おっさんだから?
劇団が大好きな海外ミュージカルは、2番手役が容赦なくおっさんですよ? 『エリザベート』だって2番手が若いのは一瞬であとはほとんどヒゲオヤジだし、『ME AND MY GIRL』も『ガイズ&ドールズ』もヒゲオヤジですよ? 『ファントム』なんか父親役ですよ?
男同士の愛憎劇はまずいと判断?
でも、トップスターと2番手なんて、愛憎してなんぼでしょうに。晴興と源太だって、本当なら泉をはさんで愛憎するはずだし(現脚本では、ろくに愛憎関係にないけどなー)。
主人公の「宿命の相手」「愛憎の相手」がびんぼーな名もなき農民であるより、一国の君主である方がドラマチックだし、「タカラヅカ」的にも正しいのに。
吉宗がダメだった理由は、まったく想像が付かない。
だいもん氏が「子どもにしか見えない、若々しい持ち味の2番手さん」だというならともかく……おっさんOKな貫禄ありまくりの人ですよ?
わからんわー。
吉宗2番手はNG、源太を2番手にしなければならない大人の事情なり、ウエクミのこだわりなりがあったとして。
それなら、なんでもっとちゃんと源太を描かないんだ? 主軸を歪めるなら、本腰入れて変更しなきゃ。吉宗2番手のときと同じレベルの描き方(昔友だちだったけど、今は無関係で互いに興味なし)のままじゃまずいわ。
主人公が興味も接点もない相手を「愛憎渦巻く2番手の役」にするのは高等技術が必要、てゆーかそんなもん描くには時間が掛かりすぎるからよせ。
シンプルに、「親友とひとりの女を取り合う」でいいじゃん。なんで源太を「ただの知り合い」としか描いてないんだ?
前に書いたように、今の脚本のままで「源太と晴興を親友同士にする」事は出来るんだ。台詞と演出を少し変更するだけで、ふたりは親友になれる。
何故こんなことになっているのだろう?
作品を好きだと思うからこそ、残念な部分が気になる。
脚本のツケを背負わされたのが源太で、それを払うべく奮闘しているだいもんがえらく魅力的だから、結果オーライ、それでいいのかな。
そしてわたしは、まっつを恋しく思う。
まっつの吉宗見たかったなあ、と。←しつこい(笑)