『星逢一夜』のぐだぐだ語り、晴興さん@ちぎくんについてあーだこーだ、その4。

 よく出来たプロットであるからこそ引っかかる謎部分について。
 2度目の江戸場面、冷酷老中になった晴興の謎。

 晴興が変わってしまった、のは、泉@みゆちゃんとの別れが原因じゃない。
 吉宗@エマさんのもとが、晴興の居場所であり、泉のもとではなかった。それは、これまでのキャラの立ち位置、関係を見ればわかる。
 だから、晴興が今、こんなに苦しそうなのは、泉(過去)ではなく、今現在の状況が原因なんだ。

 吉宗と晴興の関係性が、不鮮明である。
 それが、キモチ悪さの原因。

 晴興が吉宗と彼の理想を信じ、昔と同じように澱みなく力になりたい思っているなら、現在の晴興の苦しみは別のものになっているはずだ。
 なんつーんだ、スポーツ選手が過酷なトレーニングをしていて、そのトレーニングの辛さはあるけど、目標があるから耐えられる、みたいな。
 でも、「このトレーニング方法でいいのか? この監督についていっていいのか?」と疑問を持っていたら、トレーニング自体の辛さに加え、心の辛さが加わる。むしろ、問題は身体の辛さではないだろう、根本はそこじゃないだろう、てな。

 晴興に迷いがないのなら、彼は依然星を眺めているはずなんだ。

 なのに、それが出来ずにいる。
 問題は、泉でも三日月藩の思い出でもない。それは、要因のひとつでしかない。

 そんな晴興に、吉宗は言うんだ。
「三日月藩の一揆を平らげ、儂のもとへ戻れ」と。

 意図的にミスリードされている不快感。
 根幹は江戸城のなかにあるのに、「泉との恋」が最重要点であると、強引に持って行く。

 あー、わたし、叙述トリック小説って好きじゃないんだけど、それと同じ臭いを感じるなー。
 ウエクミが意図的にやっているのか、結果的にそうなっちゃったのかは知らないけど。

 晴興さんの一人称が、ブレてますよ?
 この江戸城の場面だけ、三人称になってるの。晴興さんの視点で語られてないの。
 でも、またすぐに晴興一人称に戻るのね。江戸城が終わって三日月藩へ舞台が移ると、視点のブレがおさまる。
 晴興が出ていない場面、源太@だいもんたちの場面はもちろんあるんだけど、晴興が出れば視点は彼に戻る。
 舞台だから、観客は誰に視点を合わせ、誰に感情移入して観るか、自由だけど、演出は丁寧に晴興を視点にしている。(それはつまり、前に語った通り、泉や源太には不親切な作りになっているのよねえ……)

 三日月藩にやって来た晴興には、迷いは見えないの。

 かつての友と闘わなければならない痛みや苦しみは全面に出しているけれど、迷ってはいない。
 まさに、「ならぬものはならぬ」なのよ。答えは出ている。

 もう、矢は放たれている。あとは、的を射貫くだけ。

 実際、一揆の最中の晴興は、泉のこと考えてないしね。ほんとうにテーマがそこにあれば、戦う人々を見下ろすセリの上で晴興は「これが私の生きる道か……」という独白のあとに、「泉……!」と続けるべきだもの。

 晴興の苦しみの根幹は、泉との恋にはない。10年間もずーーっと、祭りで一時過ごした幼なじみのことを思い病む30男は嫌だ(笑)。
 三日月藩から目を背けてきたのは、泉が原因ではなく、別のところにあるはず……だが、それは意図的にスルーされてるっぽい。すべてを色恋沙汰に押し込めているみたいに。

 と、思うわたしは、雨の夜に晴興が泉と再会したのは、偶然だと思っている。
 一揆の会合の間、泉と子どもたちは外へ出される。櫓で雨宿りしていたら、そこへ晴興と秋定@翔くんがやってきた。子どもたちを秋定に任せ、晴興は泉とふたりっきりで話す。
 この場面は、ただの偶然。泉を愛し続けている晴興が、わざわざ泉に会いに来たわけじゃない、と思っている。 

 晴興が会いに来たのは、源太だろう。

 一揆平定出張の最中、藩主様が供を連れて、昔の恋人に会いに来るとか、なつかしい思い出の櫓を眺めに来るとか、あるわけない。

 晴興は仕事で、源太に会いに来た。源太個人ではなく、「一揆の首謀者」の疑いのある人物に。
 戦いになる前に収めたかったから、正式な召喚ではなく、内密に自ら出向いた。

 泉と話している間だけ、「老中晴興」ではなく、晴興個人……昔紀之介だった、あの頃を懐かしむ気持ちのある、素の晴興になった。
 泉のことを同じ濃度で10年間愛し続けていたわけでなくても、今現在の辛さから、しあわせだった記憶を共有する泉に会えたこと、話せたことは、大きな意味があっただろうと思う。
 心情面だけでなく、晴興とはまったく立ち位置も認識も違う源太が、ふたりの逢い引き(!)を目撃してしまったことで、さらに事態が悪くなる……という、ストーリー面で大きな意味があり、ふたりは「偶然に」絶対会うと計算されているのだけど。本人同士的には、「偶然」。

 このときの晴興さんは好きな晴興さんだし、観ていて構成上のストレスがない。つらい展開だからもちろん胸をぎゅ~~っとされる感覚で観ているけれど、構成から「変だ、おかしい、気を取られる、水を差される」という邪魔は入らないの。
 源太土下座から一揆の流れは秀逸、胸が躍る。フィクションてのは、エンタメってのは、こうでなきゃ! こういう感覚を味わえるから、ミュージカルは得がたい魅力を持つ。

 そして、恋愛部分での最大の見せ場である、晴興と泉の櫓の別れ場面。毎回ここは泣けるー!

 晴興の苦しみの根幹は、泉との恋にはない、源太へ託した泉を10年間愛し続けてきたわけじゃない。
 わたしはそう書いた。
 だけどこの櫓の場面では、晴興は確かに泉を愛している。

 この場面の晴興は、老中晴興ではなく、ただの晴興だ。

 ただの晴興は、泉を愛している。
 だが晴興は、晴興のままではいられなかった。晴興が自分で、「老中晴興」になっていたからだ。
 それを手放したあとは、もうそのまんまの晴興になる。
 口調も、三日月藩の方言に戻っている。昔の、晴興。

 晴興を苦しめていたものは、三日月藩でも泉との悲恋でもない。
 だから晴興は、すべての原因であったモノと決別したあとに、泉へ正直な愛を告げる。
 ここの晴興さん、ほんとにやさしいの。やさしくて、かなしいの。
 好きだなー……。


 ほんと、二度目の江戸城部分だけだなー、晴興がわかんなくなるの。
 鈴虫@がおりの橋の下場面の謎さも含め、あの一連は作品中毛色が違う。
 なにがあって、あんなことになっているんだろうか。
 筆が乱れているというか、あそこだけ別の人が書いたみたいに、不自然。
 (なので、ここは別項で語りたい。えーと8/24欄あたりで)

 他の部分の晴興は好き。
 ストレスなく感情移入出来る。


 ほんとに、いい作品だな-、『星逢一夜』。
 観られて良かった。ちぎみゆとだいもんで、今の雪組で、この作品を存分に味わえて良かった。

 そう思う。

 それは、ほんとう。
 でもひとつ、物語の基本部分で引っかかることがある。

 翌々日(!)欄へ続く!

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