汚さず、きれいに仕上げる。@星逢一夜
2015年8月10日 タカラヅカ 『星逢一夜』は晴興@ちぎの一人称小説だと、前日欄で書いた。
短編作品なんだから、それでいいと思う。
登場人物が多く、視点が多くなると、どうしても時間が必要になる。
短くまとめるには、リスクを減らすが吉。
それを、うまいな、と思う。
同時に、ずるい、と思う。
この物語さあ、最低限、泉@みゆちゃんの物語も描くべきなんじゃないの?
泉がなにを思っているか、語られる場面ないんですけど?
冒頭で「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と」と語らせるからには、源太@だいもんも描くべきなんじゃないの?
泉と源太、枚数かけて書き込むべき人たちをスルーして、晴興ひとり書き込んで「いい作品できました」はナイだろ。
90分かけてひとり描くだけなら、誰だって出来るわ。……誰でもっつーか、オレは無理だけどな(笑)、わたしではなくて、プロの劇作家なら。
ずるいなー。
んで、ずるいことがわかりにくくしてあるあたり、よりずるいなー、と思う。
飛車落ちで指しておいて、さも実力で勝ちました的な?
ヅカはトップ娘役と2番手まで使い切ってナンボですよ、そのうえ、他の番手スターや若手たちに役と見せ場を与えなきゃなんないんですよ?
主人公ひとりしかまともに描く気なしとか、あり得ないっしょ。
とまあ、勝手なことを言ってみる(笑)。
まあようするに、のろけだな。
『星逢一夜』が好きよ。だから、口を出したい。
他にもっと可能性はなかったのか? と想像する。
泉と源太を、きちんと描いていたら、どうなったのか。
源太に銀橋ソロを、どれだけ昔から泉が特別だったか、愛していたかを歌わせる。
彼の立ち位置表明。
ここに冷酷藩主となった晴興が関わってきても、源太のスタンスが揺るがないのだとわからせるような。
こう考えているからこそ、ああするしかなったのだと。
ソロ歌の位置が星逢祭りより前なら、初日のまんまの善人源太でいられたのかな。
まだ晴興との友情を信じている青年時代なら、源太の歌はやさしい温かいものになるだろう。
晴興に裏切られたあとの壮年時代なら、怒りと激しさのあるものになるだろう。
対泉の歌になるのか、対晴興の歌になるのか。それでずいぶん違う。
だいもんが暴走したのって、源太の情報量の少なさにも原因はあるかな。
ソロで指針が決められていないから。
お稽古場でどれほど理を説かれたところで、舞台の上で動く感情は別だものな。
舞台上にあるものだけだと、源太は闇にも聖にも、どちらにも進むことが出来る。
泉がふたりの男をどう思っていたか。
明言する歌があっていいと思った。
もちろん、語らなくてもわかる。
源太を夫として愛していたのは事実だろうし、それでも晴興に恋していたのも、まぎれもない真実だろう。
だけど、如何せん描かれていることが少なすぎる。関係ない里の歌を歌わせる時間があるのなら、彼女の立ち位置を示すべきだ。行間を読み解く小劇場公演じゃない、2500人の大劇場だ。
星逢祭りの「三人模様」ダンスも、晴興視点でしかなく、泉の心情は貴姫@せしこ程度にしか語られていない。
あそこはもっと短くして(オープニングで長々見たから、使い回しいらない)、一揆前の壮年時代にこそ、「三人模様」を歌とダンスでどーんと入れるべきだろう。
泉も歌うし、源太も歌う。もちろん晴興も歌う。
千々に乱れる心を。
星だの定めだの「全体テーマ」を歌って「きれい」にまとめるんじゃなくて、多少泥臭くなっても、生きて泥に愛執に汚れている人間たちの心の声を。
晴興の物語に、泉と源太の物語が加わったら、どんだけ深い物語になったろう。
晴興と同じ濃度で彼らの生活が、思いが、語られたら。
幾重にもなった陰影は、どれだけの濃さと虹彩を描いただろう。
それは大劇場でやるべきことでもなく、物理的に不可能なことなのかもしれないけれど。
それでも、夢想する。
ウエクミなら、出来たんじゃないの?
……そう思わせるあたりが、ウエクミせんせ。
植爺だーの谷だーのに、そんなことぁカケラも思いません。
出来るのにやらない、汚すことを避け、きれいにまとめることを選んだ、観客の視線も支配したいから意志を持って頑なに一人称にした。
そう思わせる、オレのウエクミDREAM(笑)。
短編作品なんだから、それでいいと思う。
登場人物が多く、視点が多くなると、どうしても時間が必要になる。
短くまとめるには、リスクを減らすが吉。
それを、うまいな、と思う。
同時に、ずるい、と思う。
この物語さあ、最低限、泉@みゆちゃんの物語も描くべきなんじゃないの?
泉がなにを思っているか、語られる場面ないんですけど?
冒頭で「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と」と語らせるからには、源太@だいもんも描くべきなんじゃないの?
泉と源太、枚数かけて書き込むべき人たちをスルーして、晴興ひとり書き込んで「いい作品できました」はナイだろ。
90分かけてひとり描くだけなら、誰だって出来るわ。……誰でもっつーか、オレは無理だけどな(笑)、わたしではなくて、プロの劇作家なら。
ずるいなー。
んで、ずるいことがわかりにくくしてあるあたり、よりずるいなー、と思う。
飛車落ちで指しておいて、さも実力で勝ちました的な?
ヅカはトップ娘役と2番手まで使い切ってナンボですよ、そのうえ、他の番手スターや若手たちに役と見せ場を与えなきゃなんないんですよ?
主人公ひとりしかまともに描く気なしとか、あり得ないっしょ。
とまあ、勝手なことを言ってみる(笑)。
まあようするに、のろけだな。
『星逢一夜』が好きよ。だから、口を出したい。
他にもっと可能性はなかったのか? と想像する。
泉と源太を、きちんと描いていたら、どうなったのか。
源太に銀橋ソロを、どれだけ昔から泉が特別だったか、愛していたかを歌わせる。
彼の立ち位置表明。
ここに冷酷藩主となった晴興が関わってきても、源太のスタンスが揺るがないのだとわからせるような。
こう考えているからこそ、ああするしかなったのだと。
ソロ歌の位置が星逢祭りより前なら、初日のまんまの善人源太でいられたのかな。
まだ晴興との友情を信じている青年時代なら、源太の歌はやさしい温かいものになるだろう。
晴興に裏切られたあとの壮年時代なら、怒りと激しさのあるものになるだろう。
対泉の歌になるのか、対晴興の歌になるのか。それでずいぶん違う。
だいもんが暴走したのって、源太の情報量の少なさにも原因はあるかな。
ソロで指針が決められていないから。
お稽古場でどれほど理を説かれたところで、舞台の上で動く感情は別だものな。
舞台上にあるものだけだと、源太は闇にも聖にも、どちらにも進むことが出来る。
泉がふたりの男をどう思っていたか。
明言する歌があっていいと思った。
もちろん、語らなくてもわかる。
源太を夫として愛していたのは事実だろうし、それでも晴興に恋していたのも、まぎれもない真実だろう。
だけど、如何せん描かれていることが少なすぎる。関係ない里の歌を歌わせる時間があるのなら、彼女の立ち位置を示すべきだ。行間を読み解く小劇場公演じゃない、2500人の大劇場だ。
星逢祭りの「三人模様」ダンスも、晴興視点でしかなく、泉の心情は貴姫@せしこ程度にしか語られていない。
あそこはもっと短くして(オープニングで長々見たから、使い回しいらない)、一揆前の壮年時代にこそ、「三人模様」を歌とダンスでどーんと入れるべきだろう。
泉も歌うし、源太も歌う。もちろん晴興も歌う。
千々に乱れる心を。
星だの定めだの「全体テーマ」を歌って「きれい」にまとめるんじゃなくて、多少泥臭くなっても、生きて泥に愛執に汚れている人間たちの心の声を。
晴興の物語に、泉と源太の物語が加わったら、どんだけ深い物語になったろう。
晴興と同じ濃度で彼らの生活が、思いが、語られたら。
幾重にもなった陰影は、どれだけの濃さと虹彩を描いただろう。
それは大劇場でやるべきことでもなく、物理的に不可能なことなのかもしれないけれど。
それでも、夢想する。
ウエクミなら、出来たんじゃないの?
……そう思わせるあたりが、ウエクミせんせ。
植爺だーの谷だーのに、そんなことぁカケラも思いません。
出来るのにやらない、汚すことを避け、きれいにまとめることを選んだ、観客の視線も支配したいから意志を持って頑なに一人称にした。
そう思わせる、オレのウエクミDREAM(笑)。